スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
香西 泰(こうさい ゆたか、1933年3月22日 - 201… 香西 泰(こうさい ゆたか、1933年3月22日 - 2018年5月20日)は、日本の経済学者。第7代政府税制調査会会長。 兵庫県出身。父は旧制甲南高等学校教授を経て実業界入りし、兵庫米穀社長を務めた香西精。兄は元住友化学工業社長の香西昭夫。旧制甲南高等学校を経て東京大学経済学部卒業。経済企画庁入庁。同庁経済研究所総括研究官を経て東京工業大学教授、東洋英和女学院大学教授。経済研究所統括研究官在職中の1980年、『「日本経済展望」への寄与を中心として』でサントリー学芸賞を受賞。公益社団法人日本経済研究センター理事長、一橋大学経済研究所客員教授、内閣府経済社会総合研究所所長を歴任。 2018年5月20日、老衰のため死去、85歳。
福井 俊郎(ふくい としお、1931年〈昭和6年〉 - 20… 福井 俊郎(ふくい としお、1931年〈昭和6年〉 - 2026年〈令和8年〉3月18日)は、日本の生化学者。学位は理学博士。大阪大学名誉教授。専門は生化学、酵素科学。正四位、瑞宝中綬章受章。 1931年(昭和6年)、兵庫県で生まれる。 川西小学校から県立伊丹中学に進むはずだったが、6年生の担任から勧められたこともあり、1944年(昭和19年)、旧制甲南高等学校尋常科入学(尋常科4年、高等科3年)。終戦後の学制改革により高等科を1年で修了。大阪大学へ進学。 1958年、「Enzymatic studies on the phosphorus in potato starch.」で理学博士。 2026年3月18日、腎不全のため死去。
八馬 理(はちうま ただす、1927年〈昭和2年〉10月 -… 八馬 理(はちうま ただす、1927年〈昭和2年〉10月 - )は、日本の実業家。西宮酒造(現日本盛)社長。 兵庫県西宮市久保町、八馬汽船相談役・三代八馬兼介の二男。八馬啓の弟。 旧制甲南高等学校を経て、早稲田大学商学部卒業。父兼介が1920 - 1930年代に収集した新羅金銅仏像と百済金製耳飾など383点を国立中央博物館寄贈館に寄贈した。住所は芦屋市平田町。
関口 恵造(関口 惠造。せきぐち けいぞう、1926年3月1… 関口 恵造(関口 惠造。せきぐち けいぞう、1926年3月13日 - 1994年1月17日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)。歯科医師。埼玉県歯科医師会会長。 1926年3月埼玉県秩父郡皆野町にて関口歯科医院を経営する関口家に生まれる。母は歯科医師。 旧制甲南高等学校、東京歯科医学専門学校(現・東京歯科大学)卒業後、歯科医師となる。家業の関口歯科医院を継ぎ院長となる。 1973年4月埼玉県歯科医師会会長に就任(死去まで)。 1980年7月第12回参議院議員通常選挙全国区に自由民主党公認、日本歯科医師会、日本歯科技工士会、日本歯科衛生士会推薦で立候補し初当選。宏池会所属。1986年7月 第14回参議院議員通常選挙比例区に立候補し、再選。
堀場 雅夫(ほりば まさお、1924年〈大正13年〉12月1… 堀場 雅夫(ほりば まさお、1924年〈大正13年〉12月1日 - 2015年〈平成27年〉7月14日)は、日本の実業家。株式会社堀場製作所創業者および同社最高顧問。 京都帝国大学理学部教授の堀場信吉の長男として京都市に生まれる。京都教育大学附属京都小学校・京都教育大学附属京都中学校(現:京都教育大学附属京都小中学校)、旧制甲南高等学校(現:甲南大学)を経て、1946年(昭和21年)京都帝国大学理学部物理学専攻卒業。物理学者を志したが、在学中の1945年(昭和20年)に太平洋戦争が日本の敗戦に終わると、堀場の指導教授であった荒勝文策が日本の原子力爆弾開発の中心人物であったために、京大の原子力核実験施設はGHQによってすべて粉々に解体され、研究の道に進むことを断念する。
小川 守正(おがわ もりまさ、1922年1月23日 - 20… 小川 守正(おがわ もりまさ、1922年1月23日 - 2019年3月2日)は、日本の実業家、文筆家。 旧制甲南高等学校卒業。1944年九州帝国大学工学部航空学科卒業。川西航空機へ入社するが戦後解散。小型三輪車の明和自動車に移り、同社で労組委員長をつとめた。 1955年松下電器産業入社。電子レンジ事業部長等を経て、1977年独立分社、松下住設機器専務、1982年社長。 1984年退職。甲南学園理事長、近畿大学工学部教授。松下電器産業客員、PHP研究所参与、甲南病院理事長。
森下 泰(もりした たい、1921年12月21日 - 198… 森下 泰(もりした たい、1921年12月21日 - 1987年11月14日)は、日本の実業家、政治家。森下仁丹社長、参議院議員(3期)。 大阪府大阪市出身。森下仁丹創業者森下博の孫。旧制甲南高校から京都帝国大学に進学するも、在学中の1943年3月に祖父の死去に伴い森下仁丹社長に就任。同年9月には戦争の激化に伴い大学を繰り上げ卒業し、短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、1943年9月、海軍経理学校に入学し、1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官。海軍艦政本部出仕兼海軍航空本部出仕となる。1945年(昭和20年)3月、海軍主計大尉に昇進。東京監督官事務所監査官付を経て、監督会計官付で終戦を迎えた。
松野 栄一郎(まつの えいいちろう、1914年9月5日 - … 松野 栄一郎(まつの えいいちろう、1914年9月5日 - 1948年8月1日)は、日本の陸上競技(投擲競技)選手。 1936年ベルリンオリンピックに、男子ハンマー投で出場した。 1934年、旧制甲南高等学校卒業。京都帝国大学に進む。日本陸上競技選手権大会では、1934年に円盤投で、1935年にハンマー投で優勝。 京都大学採鉱科3年の時、1936年ベルリンオリンピックで男子ハンマー投に出場した。 この項目は、陸上選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:陸上競技/PJ陸上競技)。
伊藤 順吉(いとう じゅんきち、1914年(大正3年)3月1… 伊藤 順吉(いとう じゅんきち、1914年(大正3年)3月13日 - 2009年(平成21年)1月9日)は、日本の物理学者。大阪大学名誉教授。専門は原子核物理学、物性物理学。 伊藤竹之助、ときの次男として生まれる。父・竹之助は伊藤忠兵衛 (初代) の長女・ときの婿養子。兄は伊藤英吉。妻は後藤文夫の次女保子。 甲南小学校(9回生)、旧制甲南高等学校を経て、1936年に大阪帝国大学理学部物理学科(一期生)を卒業後、同学科の菊池正士の下につく。高エネルギー電子線を活用する原子核研究を行うため、日本で最初のサイクロトロン建設に携わり、戦時中には同学科教授、1943年春から海軍嘱託として、海軍極超短波レーダーの基礎的部分の研究を山口省太郎(同学科助教授)と共に担当し、菊池グループで重要な役割を果たす。
角谷 静夫(かくたに しずお、1911年(明治44年)8月2… 角谷 静夫(かくたに しずお、1911年(明治44年)8月28日 - 2004年(平成16年)8月17日 )は、日本の数学者。イェール大学名誉教授。娘は日系アメリカ人文芸批評家のミチコ・カクタニ(角谷美智子)。関数解析や確率論の研究で著名。 大阪市生まれ。旧制甲南高等学校文科を経て、1934年東北帝国大学理学部数学科卒業。大阪帝国大学助教授、1940年、アメリカのプリンストン高等研究所に留学。太平洋戦争中も同研究所で研究を続けるが、1942年に母親の意志を受けて帰国。1948年、再びプリンストン高等研究所に戻る。1949年イェール大学准教授、1952年同教授。1982年、定年退職。 コネティカット州ニューヘブンにて死去。
伊藤 英吉(いとう えいきち、1911年(明治44年)6月2… 伊藤 英吉(いとう えいきち、1911年(明治44年)6月25日 - 2011年(平成23年)8月30日)は、日本の実業家。伊藤忠商事元会長。 伊藤竹之助、ときの長男として生まれる。父・竹之助は伊藤忠兵衛 (初代) の長女・ときの婿養子。弟は伊藤順吉。 旧制甲南高等学校を経て、旧制神戸商業大学(現・神戸大学)、ケンブリッジ大学を卒業し、1940年に伊藤忠商事へ入社した。1954年からニューヨークに駐在する。1959年に帰国し、常務、専務、副社長を経て、1968年に会長に就任した。 妻・英子は子爵加納久朗の次女。 2011年8月30日、老衰のため死去。100歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
竹中 錬一(たけなか れんいち、1911年(明治44年)3月… 竹中 錬一(たけなか れんいち、1911年(明治44年)3月1日 - 1996年(平成8年)12月31日)は、日本の実業家。竹中家第15代当主。竹中工務店社長、会長、関西経済同友会代表幹事等を歴任した。 兵庫県神戸市出身。旧制甲南高等学校を経て、1933年(昭和8年)早稲田大学理工学部建築学科卒業、早稲田大学大学院修了。 1975年(昭和50年)には無公害、省エネルギー空調システムの開発で毎日工業技術奨励賞受賞。
坂田 昌一(さかた しょういち、1911年(明治44年)1月… 坂田 昌一(さかた しょういち、1911年(明治44年)1月18日 - 1970年(昭和45年)10月16日)は、日本の物理学者。元名古屋大学教授。湯川秀樹、朝永振一郎とともに日本の素粒子物理学をリードした。弟は、物理学者の坂田民雄。 東京市麹町区(東京都千代田区)で生まれる。旧制甲南高等学校を経て、1933年に京都帝国大学理学部物理学科を卒業する。理化学研究所、大阪帝国大学講師、京都帝国大学講師を経て1942年、名古屋帝国大学教授となる。湯川の中間子論の第2から第4論文の共著者である。 1942年、井上健と共に核力の起源となる中間子と当時宇宙線中に発見された中間子との違いを説明するために、二中間子論を提唱した。
長谷川 三郎(はせがわ さぶろう、1906年(明治39年)9… 長谷川 三郎(はせがわ さぶろう、1906年(明治39年)9月6日 - 1957年(昭和32年)3月11日)は、日本の洋画家。数々の抽象絵画の作品を残した現代抽象絵画の先駆者である。 1906年、山口県豊浦郡長府町(現:下関市)に生まれる。1910年、兵庫県神戸市に転居。1918年、兵庫県芦屋市呉川町に転居。甲南中学校、旧制甲南高等学校を経て、1929年、東京帝国大学文学部美学美術史学科卒業。渡米して画家活動を始める。新時代洋画展や自由美術家協会を設立する。1950年、イサム・ノグチを日本に紹介した。 1950年頃から拓本、木版、水墨の制作に専念する。1953年、日本アブストラクト・アート・クラブ設立。
小場瀬 卓三(おばせ たくぞう、1906年5月12日 - 1… 小場瀬 卓三(おばせ たくぞう、1906年5月12日 - 1977年11月12日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。(旧)東京都立大学名誉教授。 兵庫県生まれ。1927年甲南高等学校文科卒業、1930年東京帝国大学文学部仏文科卒業、1936年から1938年までパリに留学。東京都立大学教授、日本フランス語フランス文学会会長などを歴任。 ディドロ、モリエールを研究、16世紀から18世紀のフランスの思想・演劇について研究、ほかアラゴンの翻訳を含め、多くの著書訳書を著した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。