四代目 坂田 藤十郎(さかた とうじゅうろう、1931年〈昭… 四代目 坂田 藤十郎(さかた とうじゅうろう、1931年〈昭和6年〉12月31日 - 2020年〈令和2年〉11月12日)は、日本の歌舞伎役者。屋号は山城屋。定紋は五つ藤重ね星梅鉢、替紋は向い藤菱。位階は従三位、文化勲章受章者。日本芸術院会員、重要無形文化財保持者。 前名の三代目 中村 鴈治郎(さんだいめ なかむら がんじろう)、また初名の二代目 中村 扇雀(にだいめ なかむら せんじゃく)としても知られる。日本舞踊雁音流の家元として雁音 歌扇(かりがね かせん)を名乗った。妻は女優で政治家の扇千景、妹は女優の中村玉緒。 現代歌舞伎の大看板のひとりでもあり、また上方歌舞伎の復興プロジェクトでも主導的な役目を務めたほか、近松門左衛門作品を原点から勉強し直すために劇団近松座を結成し、尽力した。
李 玖(り きゅう、イ グ、이 구、1931年12月29日 … 李 玖(り きゅう、イ グ、이 구、1931年12月29日 - 2005年7月16日)は、李王垠の第2子・次男。父は大韓帝国の元皇太子で李王、母は日本の皇族である方子女王。王公族としての身位は王世子、敬称は殿下。肥前佐賀藩主・鍋島直正の玄孫。なお、令和時代の上皇とはともに久邇宮朝彦親王を曾祖父とする又従弟に当たる。 1931年(昭和6年)12月29日午前8時22分、李王垠とその妃方子女王の第2子次男として誕生する。兄晋は夭折していたため、玖が王世子(李家当主(=李王)の嗣子に与えられる位)となった。翌年1月4日、命名式が行われ、「玖」と名付けられた。佐賀藩主の鍋島直正は高祖父にあたる。 第二次世界大戦後、日本国憲法施行に伴い王公族の地位を喪失し、日本国との平和条約発効による日本の主権回復とともに日本国籍を喪失した。
飯島 重雄(いいじま しげお、1931年12月28日 – 2… 飯島 重雄(いいじま しげお、1931年12月28日 – 2019年9月13日)は、日本の政治家。 千葉県海上郡旭町(現・旭市)に生まれる。 1949年に千葉県立匝瑳中学校(現・匝瑳高等学校)を卒業。日本橋の衣料問屋「丸山商店」で勤めたのち、家業を継ぐ。 1971年4月、千葉県議会議員に当選。連続9期務め、議会運営委員会委員長、自民党県連議員会長などを歴任した。 2019年9月13日、クモ膜下出血により死去。87歳。 東総文化会館や千葉県立東部図書館を誘致したほか、ハウス栽培を奨励するなど、地元である旭市を始めとする東総地域の発展に尽力した。 県政では千葉県知事となった川上紀一や沼田武を支援し、水野清系議員のまとめ役を務めた。
宮城 泰年(みやぎ たいねん、1931年12月28日 - )… 宮城 泰年(みやぎ たいねん、1931年12月28日 - )は、日本の修験道(本山修験宗)の僧侶。大僧正、聖護院門主、龍谷大学客員教授。 1931年、京都府京都市左京区聖護院内の積善院に生まれる。1954年、龍谷大学文学部文学科卒業。新聞社に勤務。その後、聖護院に勤務。庶務部長、宗務総長、聖護院執事長などを歴任し、2007年、第52代門主に就任。その間、北爆下の北ベトナムや、ポル・ポト政権崩壊直後のカンボジアなどを取材し、仏教者と親交を深める。 京都仏教会常務理事、京都府京都市仏教会事務局長、日本宗教者平和協議会代表委員、宗教者九条の和代表世話人、平和・民主・革新の日本をめざす全国の会代表世話人などを歴任。
曽我 ミヨシ(そが ミヨシ、1931年(昭和6年)12月28… 曽我 ミヨシ(そが ミヨシ、1931年(昭和6年)12月28日 - )は、1978年(昭和53年)8月に新潟県佐渡郡真野町(現、佐渡市)から長女の曽我ひとみとともに北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に拉致された日本人女性。北朝鮮工作員による拉致被害者。 1932年(昭和7年)12月28日、新潟県佐渡郡真野村に生まれた曽我ミヨシは、中学卒業後に就職。茂を婿として迎え、ひとみ、富美子の二女をもうけた。親子は仲がよく、まるで友だちのようだと周囲から羨ましがられたという。母は優しい性格で、子どもたち2人に手をあげることもなく、少々わるいことをしても怒ることさえなかった。また、朝は農作業、昼は土建業できつい仕事をしたほかに帰宅してからはザルづくりの内職を夜12時まで続ける寡黙な働き者であった。
高橋 達也(たかはし たつや、本名:高橋 達朗(たかはし た… 高橋 達也(たかはし たつや、本名:高橋 達朗(たかはし たつろう)、1931年12月27日 - 2008年2月29日)は、日本のジャズ・テナーサックス奏者、バンドリーダー。 山形県鶴岡市生まれ。1951年、仙台の米軍キャンプでプロデビューしその後上京する。1964年にビッグバンド「東京ユニオン」に加入、1966年には4代目バンドリーダーに就任、「高橋達也と東京ユニオン」として名実共に日本一のビッグバンドに成長させる。 1977年、三木敏悟作品アルバム『北欧組曲』でスイングジャーナルジャズディスク大賞、日本ジャズ賞受賞。1978年・1980年、モントルー・ジャズ・フェスティバル出演。1980年代を中心にテレビ音楽を始め数々の演奏を行ってきたが、人気絶頂の1989年11月に心筋梗塞に倒れ緊急入院。
宮崎 直男(みやざき のぶお、1931年12月27日 - )… 宮崎 直男(みやざき のぶお、1931年12月27日 - )は、日本の教育学者・文部官僚。専門は特殊教育。 埼玉県加須市出身。1953年埼玉大学教育学部卒、文部省に入る。1972年文部省初等中等教育局特殊教育課教育調査官。1981年国立特殊教育総合研究所精神薄弱教育研究部長。特別支援教育の実技研究所所長/独立行政法人国立特別支援教育総合研究所名誉所員。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
滝田 ゆう(たきた ゆう、1931年(昭和6年)12月26日… 滝田 ゆう(たきた ゆう、1931年(昭和6年)12月26日 - 1990年(平成2年)8月25日)は、日本の漫画家、エッセイスト。本名・瀧田祐作。 東京市下谷区坂本町(現東京都台東区下谷)の指物職人の家に生まれる。出生の翌日に実母が亡くなり、家庭の事情で叔父の家に養子に行き、東京市向島区寺島町(現東京都墨田区東向島)の旧私娼街玉の井で、義理の両親と義兄1人義姉2人の6人家族で育つ。物心付いたころから養子先はスタンドバーを営んでいた。落語家の3代目三遊亭圓歌は寺島第二國民学校の2歳年上だが同学年の幼馴染。東京都立墨田川高等学校卒業後、國學院大學文学部に進むがほとんど通わず中退する。 1949年(昭和24年)〜1950年(昭和25年)頃、漫画家・田河水泡の内弟子となる。
汲田 克夫(くみた かつお、1931年12月26日 - )は… 汲田 克夫(くみた かつお、1931年12月26日 - )は、日本の教育学者。大阪教育大学名誉教授。 1931年(昭和6年)長野県生まれ。 1950年(昭和25年)長野県松本県ヶ丘高等学校卒業。1955年(昭和30年)東京大学教育学部(学校教育学科)卒業。1957年(昭和32年)東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。1957年(昭和32年)東京大学教育学部助手、1960年(昭和35年)愛媛大学教育学部助手、1965年(昭和40年)愛媛大学教育学部講師、1967年(昭和42年)大阪教育大学講師、1972年(昭和47年)大阪教育大学助教授を経て、1976年(昭和51年)大阪教育大学教授。 1979年(昭和54年)より、大阪教育大学天王寺分校主事、1983年(昭和58年)大阪教育大学補導部長、1988年(昭和63年)大阪教育大学教養学科主事などを務めた。
内野 欣(うちの よし、1931年(昭和6年)12月25日 … 内野 欣(うちの よし、1931年(昭和6年)12月25日 - 2005年(平成17年)11月27日)は、昭和から平成時代前期の政治家。埼玉県入間郡鶴ヶ島町長、鶴ヶ島市長。 埼玉県入間郡鶴ヶ島村(鶴ヶ島町を経て、現鶴ヶ島市)出身。埼玉県飯能実業学校を卒業し、鶴ヶ島町役場に奉職する。同総務課長、企画財政課長、坂戸、鶴ヶ島水道企業団事務局長、鶴ヶ島町助役を経て、1989年(平成元年)鶴ヶ島町長に就任。1991年(平成3年)市制施行に伴い鶴ヶ島市長に就任し1993年(平成5年)引退した。
藁科 滿治(わらしな みつはる、1931年12月25日 ‐ … 藁科 滿治(わらしな みつはる、1931年12月25日 ‐ )は、日本の政治家。 参議院議員(2期)、内閣官房副長官、民主党参議院議員会長を歴任。 神奈川県出身。浅野中学校を経て1950年に浅野高校を卒業。高校時代は野球部に所属していた。1958年、明治学院大学経済学部を卒業した。1957年富士通に入社し、労働組合の活動に携わりながら早稲田大学大学院経済学研究科に通って労働問題を勉強するも中退した。1968年に電機労連に転出、1974年より電機労連書記長を務め、1983年からは中立労連事務局長を兼務。1984年7月に電機労連委員長に、9月には中立労連議長に、1985年には全民労協副議長に就任した。
柏原 正明(かしわら まさあき、1931年〈昭和6年〉12月… 柏原 正明(かしわら まさあき、1931年〈昭和6年〉12月25日 - 2018年〈平成30年〉8月29日)は、日本の実業家。元千代田化工建設代表取締役社長。 大阪府出身。1953年に大阪大学工学部応用化学科を卒業後、千代田化工建設入社。エンジニアリング副本部長、同本部長、技術本部長を経て1987年12月副社長に就任。のち1992年6月玉置正和に代わり社長に就任した。1996年に社長の座を退き、北川正人が次代社長となった。
井上 和雄(いのうえ かずお、1931年12月25日 - … 井上 和雄(いのうえ かずお、1931年12月25日 - )は、日本の経営者。三越社長を務めた。 神奈川県出身。1954年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に三越に入社。1977年5月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1998年1月に社長に就任。2002年1月に取締役を経て、同年5月に相談役に退いた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
秋山 肇(あきやま はじめ、1931年12月25日 - )は… 秋山 肇(あきやま はじめ、1931年12月25日 - )は、日本の政治家。元自由民主党所属の参議院議員(1期)。 現在の東京都世田谷区出身。東京都立西高等学校を経て、1954年早稲田大学法学部卒。世田谷区で青年運動に身を投じ、1977年の東京都議会議員選挙に新自由クラブから立候補して初当選、3期務める。この間新自由クラブ都連幹事長などを務めた。1986年に新自由クラブを離党し、野末陳平の誘いを受け税金党に入り、参院選で比例区から立候補して当選した。税金党では幹事長を務めたが、その後1990年に税金党解散により、野末ら党所属の国会議員とともに自民党に入った。1992年の参院選で比例区から自民党公認で立候補していたが、名簿順位は24位と下位にランクされたため落選した。
円子 修平(圓子修平、まるこ しゅうへい、1931年12月2… 円子 修平(圓子修平、まるこ しゅうへい、1931年12月24日 - 2003年9月28日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。東京都立大学名誉教授。 岩手県立盛岡第一高等学校卒。トーマス・マン、ロベルト・ムージルなどを研究、翻訳した。1995年に東京都立大学教授を定年退任後は、明治大学法学部兼任講師を務めた。
仲村研(なかむら けん、1931年12月24日 - 1990… 仲村研(なかむら けん、1931年12月24日 - 1990年3月13日)は日本の歴史学者。専門は日本中世史。文学博士(佛教大学、1985年)。 鳥取県境港市生まれ。1955年、同志社大学文学部文化学科文化史学専攻卒業。1963年、同志社大学大学院文学研究科文化史学専攻博士課程退学。1963年、同志社大学人文科学研究所専任研究員(助手待遇)に就任。1964年に専任研究員(専任講師待遇)、1967年に専任研究員(助教授待遇)、1975年に専任研究員(教授待遇)を経て、1978年、同志社大学人文科学研究所教授。1990年、死去。58歳没。 同志社大学で赤松俊秀に古文書学を学び、大学院では三品彰英・秋山国三らに学ぶ。
高橋 正彦(たかはし まさひこ、1931年〈昭和6年〉12月… 高橋 正彦(たかはし まさひこ、1931年〈昭和6年〉12月23日 - 2004年〈平成16年〉1月7日)は、日本の歴史学者、古文書学者、書家。慶應義塾大学名誉教授。東京都出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
山田 圭一(やまだ けいいち、1931年12月23日 - )… 山田 圭一(やまだ けいいち、1931年12月23日 - )は、日本の写真家、教育工学者、社会工学者。筑波大学名誉教授。 東京府出身。1954年東京大学工学部応用化学科卒。ゲッティンゲン大学、フライブルク大学に学ぶ。理学博士、64年東大工学博士。東京工業大学助教授、教授、筑波大学社会工学系教授。95年定年退官、名誉教授、電気通信大学教授。 山岳航空写真のパイオニアとして、国際航空安全学会KO3(岡部)賞、日本航空協会航空功績賞を受ける。航空保安協会評議員。航空ジャーナリスト協会会員。RCC3(第二次ロッククライミングクラブ)同人。
大石 繁(おおいし しげる、1931年(昭和6年)12月22… 大石 繁(おおいし しげる、1931年(昭和6年)12月22日 - 2013年(平成25年)7月31日)は、日本の実業家。元静岡ガス会長。 1955年(昭和30年)、一橋大学経済学部卒業。同年4月、静岡ガス入社。1976年(昭和51年)、取締役、1978年(昭和53年)、常務を経て、1983年(昭和58年)、専務。1986年(昭和61年)、代表専務。1989年(平成元年)3月、同代表取締役社長。1999年(平成11年)、静岡朝日テレビ取締役を兼務。2001年(平成13年)3月、静岡ガス代表取締役会長、2006年(平成18年)3月、同最高顧問。 1999年(平成11年)6月、静岡商工会議所副会頭、2000年(平成12年)5月、静岡県障害者雇用促進協会会長、2001年(平成13年)5月、静岡県経営者協会会長、2003年(平成15年)5月、静岡交響楽協会理事長。
三本 和彦(みつもと かずひこ、1931年?12月22日 -… 三本 和彦(みつもと かずひこ、1931年?12月22日 - 2022年7月16日)は、日本のモータージャーナリスト。有限会社 三信工房 代表。日本自動車ジャーナリスト協会名誉会員。日本写真家協会会員、日本自動車研究者&ジャーナリスト会議(RJC)名誉会員。 東京都出身。埼玉工業大学の前身である東京商工学校機械工学科を経て、1954年、國學院大學政経学部経済学科を卒業した。1956年、東京写真大学(現在の東京工芸大学)写真技術科を卒業した。 1956年から1967年まで東京新聞の写真部記者として活動するかたわら、学生時代のアルバイトを通じて小林彰太郎と知り合った縁から、1962年に創刊された『カーグラフィック』の写真撮影を務めた。
小野 経男(おの つねお、1931年12月22日 - 201… 小野 経男(おの つねお、1931年12月22日 - 2014年7月6日)は、日本の英語学者。名古屋大学名誉教授。 東京生まれ。1957年東京都立大学 (1949-2011)卒、1960年同大学院修士課程修了、西南学院大学講師、助教授、愛知県立大学助教授、名古屋大学教養部助教授、同総合言語センター、言語文化部教授。1993年定年退官、名誉教授、名古屋学院大学教授。2003年岐阜済美学院(中部学院大学など)学院長。キリスト教徒。
野村 浩三(、1931年〈昭和6年〉12月22日 - 201… 野村 浩三(、1931年〈昭和6年〉12月22日 - 2010年〈平成22年〉1月12日)は、日本の俳優。本名は尾棹 一浩(おさお かずひろ / おざお かずひろ)。旧芸名は野村 明司()。 東京府北豊島郡練馬町(のちの東京都練馬区)出身。明治大学商学部卒業。 劇団俳優座第3期生。同期には愛川欽也、渡辺美佐子、江幡高志、塚本信夫、穂積隆信、本郷淳などがいる。 1953年、『落葉日記』で映画デビュー。1954年、俳優座養成所卒業。藤本プロ所属。本名でデビューののち、1955年の松竹入社の際に野村浩三に改名。 1958年に東宝に移籍。同年公開の東宝特撮映画『大怪獣バラン』(本多猪四郎監督)で生物学者・魚崎健二役で主演。
竹村 晋吉(たけむら しんきち、1931年(昭和6年)12月… 竹村 晋吉(たけむら しんきち、1931年(昭和6年)12月21日 - 1999年(平成11年)12月9日)は、日本のスピードスケート選手である。長野県茅野市出身、長野県岡谷南高等学校、日本大学を卒業。ヤシカに所属していた。 日本大学在学時の1956年(昭和31年)の冬季オリンピック、コルティナダンペッツォオリンピックに出場、500m11位、1500m36位だった。4年後の1960年(昭和35年)スコーバレーオリンピックでは500m43位に終わった。 池袋スケートセンターの開場式でスケーティングを披露。 1999年脳こうそくのため死去。
中野昌康(なかの まさやす、1931年(昭和6年)12月21… 中野昌康(なかの まさやす、1931年(昭和6年)12月21日 - )は、日本の 医師、微生物学者(細菌学、ウイルス学、免疫学)、慶應義塾大学医学博士、国際エンドトキシン学会会長、自治医科大学名誉教授。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、医学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:医学/Portal:医学と医療)。
中村 保男(なかむら やすお、1931年12月21日 - 2… 中村 保男(なかむら やすお、1931年12月21日 - 2008年12月9日)は日本の翻訳家、作家。 東京府生まれ。1955年東京大学文学部英文科卒業、1958年同大学院修士課程修了。在野の福田恆存に師事し、1957年福田を中心に沼沢洽治、谷田貝常夫、横山恵一と読書会「蔦の会」を結成する。 初期の訳書では、福田と共訳のコリン・ウィルソン『アウトサイダー』(1957年)、G・K・チェスタートン「ブラウン神父シリーズ」(1959 - 1961年)が代表的である。単独では伝記の『フランクリン』(R・バーリンゲーム、時事通信社、1956年)、小説の『苦力』(マルク・ラジ・アナンド、新潮社、1957年)などが挙げられる。
工藤 敦夫(くどう あつお、1931年〈昭和6年〉12月20… 工藤 敦夫(くどう あつお、1931年〈昭和6年〉12月20日 - 2016年〈平成28年〉8月20日)は、日本の法制・通産官僚。元内閣法制局長官。 東京都出身。東京都立第五新制高等学校(現・東京都立小石川中等教育学校)などを経て[要出典]、1953年に東京大学法学部を卒業。同年、通商産業省に入省。入省同期に小長啓一、豊島格、真野温(通産省基礎産業局長、住友電気工業顧問)、若杉和夫ら。 通産省で立地公害局立地指導課長を務めた後、内閣法制局参事官に出向。以後、同局総務主幹、同第四部長、同総務室第一部長、内閣法制次長などを歴任した。味村治の後任として1989年8月から1992年12月まで第1次海部内閣、第2次海部内閣、宮澤内閣の内閣法制局長官を務めた。
藤井 茂利(ふじい しげとし、1931年12月20日 - )… 藤井 茂利(ふじい しげとし、1931年12月20日 - )は、日本の言語学者。 中国大連市生まれ。福岡県出身。1954年九州大学文学部国語国文学科卒、1958年同大学院文学研究科修士課程修了。韓国で文学博士号取得、ハワイ・イオンド大学名誉博士。洛星中学校・高等学校教諭、西山短期大学助教授、東海大学文学部助教授、鹿児島大学法文学部教授、韓国祥明女子大学・釜山女子大学客員教授、福岡大学人文学部教授、2002年定年。韓国新羅大学校特別教授。福岡日韓フォーラム会長、東アジア日本語教育・日本文化研究学会会長、日韓交流博多会(ナドリ倶楽部)会長・顧問、福岡韓国語弁論大会実行委員長。
青山 誠子(あおやま せいこ、1931年12月20日-202… 青山 誠子(あおやま せいこ、1931年12月20日-2022年8月30日)は、日本の英文学者。シェイクスピア、シャーロット・ブロンテなどが専門。青山学院大学名誉教授。 名古屋市生まれ。旧姓・白井。西洋史学者・青山吉信と結婚。1954年名古屋大学文学部英文科卒業。1956年東京大学大学院修士課程修了。1962年共立女子短期大学講師、助教授、1972年教授、1979年フェリス女学院大学教授、1983-85年図書館長、1987年青山学院大学教授、2000年定年退職、名誉教授。 訃報と追悼文2点がShakespeare Newsletter vol.62, No.2, 日本シェイクスピア協会、2023年3月発行に掲載。
小島 慶四郎(こじま けいしろう、1931年12月19日 -… 小島 慶四郎(こじま けいしろう、1931年12月19日 - 2019年12月23日)は、日本の喜劇俳優。大阪府堺市浜寺生まれ。松竹新喜劇の主要メンバーとして活躍していた。 父親は銀行員であったため、少年時代は各地を転々とした。 北海道北見柏陽高等学校から関西大学文学部新聞学科に進学するが、演劇にのめり込み、在学中の1953年、かもめ座に入団。 その2年後、劇団新春座に移り、大学を中退。 1960年、2代目渋谷天外に誘われて松竹新喜劇に入団。独特の容貌と、看板役者の藤山寛美とは違う「アホぶり」で人気を博す一方、市井や底辺に生きる人間の哀しみや切なさも演じきっていた。 1966年の藤山の退団・復帰の際には行動をともにし、以降の新喜劇黄金時代に貢献。
尾崎 和郎(おざき かずお、1931年(昭和6年)12月19… 尾崎 和郎(おざき かずお、1931年(昭和6年)12月19日 - 1995年(平成7年)12月24日)は、フランス文学者。 大阪府北河内郡生まれ。1959年京都大学大学院文学研究科仏文科修士課程修了。相模女子大学講師、助教授、1966年成城大学文芸学部助教授、1974年教授。
尹 起重(윤기중、ユン・ギジュン、1931年12月19日 -… 尹 起重(윤기중、ユン・ギジュン、1931年12月19日 - 2023年8月15日)は、韓国の経済学者。延世大学校名誉教授、韓国学術院会員。元韓国経済学会会長。元韓国統計学会会長。元検事総長、大韓民国第20代大統領の尹錫悦は息子。本貫は坡平尹氏。 現在の忠清南道公州市灘川面生まれ、故郷は同道論山市魯城面である。朝鮮戦争に従軍後、1956年延世大学校商経学部卒業。1958年延世大学校大学院経済学専攻修了。1965年に日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約が締結されると、翌1966年から68年まで一橋大学大学院経済学研究科に留学し、宮川公男助教授らと研究を行った。当時住んでいた東京都国立市のアパートには尹錫悦も訪れたことがあるという。
広井 庄一(ひろい しょういち、1931年12月19日 - … 広井 庄一(ひろい しょういち、1931年12月19日 - 2020年6月29日)は、日本の政治家。新潟県小千谷市長(1期)。 新潟県小千谷市出身。高等小学校卒。小千谷市議会議員を4期務め、副議長となった。1997年小千谷市長に当選。翌年市の発注工事の談合事件が起き、行政処分を不服とした市長解職請求運動が起き、広井はこれに反対した。同年10月に市長を辞職し、出直し市長選挙に立候補したが、元市議会議長の関広一に敗れた。
朝尾 直弘(あさお なおひろ、1931年12月17日 - 2… 朝尾 直弘(あさお なおひろ、1931年12月17日 - 2022年7月7日)は、日本の歴史学者(日本近世史)、京都大学名誉教授、文化功労者。住友史料館館長。 1931年、大阪府吹田市で生まれた。 京都大学文学部に進学し、史学科で小葉田淳に師事した。1954年に卒業。京都大学大学院文学研究科国史学専攻に進み、1956年に修士課程を修了。1959年に博士課程を単位取得退学。 1960年、京都大学研修員に採用された。1963年より『堺市史(続編)』編集主任。1964年に学位論文『寛永時代の基礎的研究』を京都大学に提出して文学博士の学位を取得。1968年4月、京都大学文学部史学科助教授に就き、国史学第二講座を担当した。
有馬 敲(ありま たかし、1931年12月17日 - 202… 有馬 敲(ありま たかし、1931年12月17日 - 2022年9月24日)は、昭和・平成期の詩人、作家。本名は西田 綽宏(にしだ のぶひろ)。日本文藝家協会、日本ペンクラブ所属。 関西詩人協会代表。京都文学研究所代表。全国生活語詩の会代表。日本国際詩人協会理事。元日本モンゴル協会会長。 1931年12月17日生まれ。京都府亀岡市出身。同志社大学経済学部卒業。同志社大学経済学部在学中に「同志社文学」を発行、実存主義の影響を受ける。卒業後、京都銀行に勤めながら詩作を続け、詩誌「ノッポとチビ」「ゲリラ」などを発行する。昭和40年代に盛んになったフォークソング運動では、高石友也、岡林信康らと交流、創作わらべうたなどがフォークシンガーたちによって歌われ、〝オーラル派〝と呼ばれる。
宮﨑 毅(みやざき つよし、1931年(昭和6年)12月16… 宮﨑 毅(みやざき つよし、1931年(昭和6年)12月16日 - 2025年(令和7年)11月16日)は、三菱倉庫元相談役。日本の港湾行政の実力者として活躍し、港湾行政の発展に尽力した。
谷川 俊太郎(たにかわ しゅんたろう、1931年〈昭和6年〉… 谷川 俊太郎(たにかわ しゅんたろう、1931年〈昭和6年〉12月15日 - 2024年〈令和6年〉11月13日)は、日本の詩人、翻訳家、絵本作家、脚本家。愛称は「タニシュン」。 太平洋戦争後の現代日本を代表する、国民的詩人と評価されている。 哲学者で法政大学総長を務めた谷川徹三を父、衆議院議員 長田桃蔵の娘である多喜子を母として、東京府豊多摩郡杉並町(現:東京都杉並区)に生まれ育つ。 1938年 (昭和13年)に東京市立杉並第二尋常小学校、1944年(昭和19年)に東京都立豊多摩中学校(後の東京都立豊多摩高等学校)へ入学。太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)5月に山の手空襲を体験した。この年、京都府久世郡淀町に疎開し、京都府立桃山中学校に転学した。
池田 治(いけだ おさむ、1931年12月15日 - 200… 池田 治(いけだ おさむ、1931年12月15日 - 2006年5月25日)は、日本の弁護士、元政治家。参議院議員(1期)。 愛媛県東宇和郡野村町(現・西予市)出身。1956年中央大学法学部卒業。法政大学の講師などを経て、1969年弁護士登録。1984年法曹政治連盟会長に就任する。1989年の第15回参議院議員通常選挙に愛媛県選挙区から連合推薦で立候補し、自由民主党公認で現職の檜垣徳太郎元郵政大臣を破って初当選。連合参議院(後の民主改革連合)の結成に参加。民主改革連合の幹事長などを務めた。1995年の第17回参議院議員通常選挙で再選を目指したが自由民主党公認の塩崎恭久に敗れて落選、政界から引退した。
多田野 久(ただの ひさし、1931年12月15日 - 20… 多田野 久(ただの ひさし、1931年12月15日 - 2008年11月10日)は、日本の経営者。タダノ社長、会長を務めた。 香川県高松市出身。1951年に徳島大学工学部を中退し、同年に多田野鉄工所(のちのタダノ)に入社。 1977年に取締役に就任し、1979年11月に常務、1980年11月に専務を経て、1987年11月には副社長に就任し、1989年6月には社長に昇格。1997年6月に会長を経て、2002年4月に取締役相談役に就任。 1994年11月に藍綬褒章を受章。 2008年11月10日悪性リンパ腫のために死去。76歳没。
斉藤 發司(さいとう はつじ、1931年12月14日 - 2… 斉藤 發司(さいとう はつじ、1931年12月14日 - 2016年6月8日)は、日本の経営者。東京市(現・東京都)浅草生まれ、大阪府出身。リイド社の初代社長。漫画家さいとう・たかをの実兄。 1931年12月14日、東京市浅草に生まれる。生後まもなくして大阪に移る。神戸大学を卒業してから4年間、会社員として勤務した。1961年、実弟のさいとう・たかをに請われ、マネージャーとなるべく上京、さいとう・プロダクションの経営に参画する。1974年、出版部門を分離独立させるかたちでリイド社を設立。以後、リイド社およびさいとう・プロダクションの代表取締役社長として、経営の第一線で辣腕を振るう。 2016年6月8日、視床梗塞のため死去。
塩谷 信幸(しおや のぶゆき、1931年〈昭和6年〉12月1… 塩谷 信幸(しおや のぶゆき、1931年〈昭和6年〉12月14日 - 2025年〈令和7年〉7月17日)は、日本の医師。北里大学名誉教授。ニューヨーク州 オルバニー医科大学(Albany Medical College)/オルバニー病院(Albany Hospital、現Albany Medical Center)レジデント、東京大学医学部医員、横浜市立大学医学部講師などを経て、北里大学医学部教授、NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長、NPO法人創傷治癒センター理事長、医療法人社団ウェルエイジングDクリニック東京ウィメンズ(現クレアージュ東京 エイジングケアクリニック)名誉院長などを歴任した。
中尾 堯(なかお たかし、1931年12月14日 - )、中… 中尾 堯(なかお たかし、1931年12月14日 - )、中尾堯文(なかお ぎょうぶん)。日本の歴史学者、仏教学者、立正大学名誉教授。仏教古文書学の観点からの日蓮遺文や曼荼羅本尊などを研究。 広島県三次市生まれ。 立正大学文学部史学科卒、1957年(昭和32年)同大学院修士課程修了、同文学部副手、助手。立正女子大学短期大学助教授。1974年(昭和49年)『日蓮宗の成立と展開 中山法華経寺を中心として』で、文学博士(東京教育大学)の学位を取得。 1979年(昭和54年)立正大学文学部教授。 2002年(平成14年)定年退任、名誉教授。日本古文書学会会長、文部省学術審議会専門委員、文化庁文化財保護審議会専門委員、千葉県文化財保護審議会委員などを歴任。
石田 友雄(いしだ ともお、1931年12月14日- 202… 石田 友雄(いしだ ともお、1931年12月14日- 2025年4月2日)は、日本の聖書学者。筑波大学名誉教授。 東京府(現世田谷区)生まれ。石田友治の子。1954年早稲田大学政経学部卒。1975年ヘブライ大学で博士号取得。20年近くドイツとイスラエルで暮らし、1976年筑波大学助教授、84年教授、副学長、95年定年退官、名誉教授。 妻はオルガニストの石田一子(2008年12月30日没)。1980年「つくばバッハ合唱団・合奏団」を創設、1985年つくばに私塾「バッハの森」を創設。 日本赤軍のテルアビブ空港乱射事件の際たまたま空港にいて、岡本公三の通訳を務めた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
秋葉 杜紫(あきは とし、AKIHA Toshi、1931年… 秋葉 杜紫(あきは とし、AKIHA Toshi、1931年〈昭和6年〉12月13日 - 2018年〈平成30年〉12月12日)は、日本の現代水墨画家。現代水墨画創始者。女性日本画家。 中央公論画廊にて墨画展を皮切りに国内外で活躍。小山富士夫、河北倫明、谷川徹三等、著名人から多くの評価を得た。 趣味はピアノ、声楽、東洋古陶磁研究。 大阪府大阪市に生まれる。 1957年(昭和32年)に25才で女子美術大学に入学。1961年(昭和36年)に女子美術大学日本画科卒業。卒業後は1962年(昭和37年)1月から1968年(昭和43年)まで愛知県立保育専門学校にて講師を務める。 1965年(昭和40年)春には中央公論画廊(丸の内)にて主に掛軸の個展を開催した。
三浦昇(みうら のぼる、1931年12月12日 - 1999… 三浦昇(みうら のぼる、1931年12月12日 - 1999年4月10日)は、日本のジャーナリスト、作家。 台湾・新竹州新竹市で生まれ、宮城県で育つ。法政大学文学部卒。1955年中日新聞に入り、東京本社編集委員。将棋、古代史についての著作がある。
小西 栄造(榮造、こにし えいぞう、1931年(昭和6年)1… 小西 栄造(榮造、こにし えいぞう、1931年(昭和6年)12月11日 - 2023年(令和5年)3月15日)は、日本の政治家。元茨城県結城市長(3期)。位階は従五位。旭日双光章。 現在の茨城県結城市出身。栃木県立栃木高等学校卒。小西栄次郎商店に入社し、同社常務を経て、社長となる。商号を「小西」に改称し、社長に留まる。ほか、結城信用金庫理事、結城商工会議所会頭、結城市観光協会会長に就任。 2003年の結城市長選挙に立候補し、初当選。2007年の市長選挙で再選。市長は2011年まで務めた。2023年死去。
山本 富士子(やまもと ふじこ、1931年12月11日 - … 山本 富士子(やまもと ふじこ、1931年12月11日 - )は、日本の女優。本名は同じ。愛称はお富士さん。身長159 cm。日本のミス・コンテストでも最も古い歴史を持つ「ミス日本」の初代優勝者である。 1931年(昭和6年)、大阪市西区立売堀(いたちぼり)生まれ。母は船場の綿花問屋山重の主人の長女。少女時代、花柳禄寿門下の花柳禄之助について日本舞踊を習う。自宅が進駐軍に接収されたため引越し、大阪府立大津高女(現・大阪府立泉大津高等学校)から京都府立第一高女(現・京都府立鴨沂高等学校)に転入し、1949年(昭和24年)卒業。 1950年(昭和25年)、読売新聞社・中部日本新聞社・西日本新聞社が主催し、700人近い応募者があった第一回ミス日本において、満場一致でミス日本の栄冠に輝いた。
土田 浩(つちだ ひろし、1931年12月10日 - 200… 土田 浩(つちだ ひろし、1931年12月10日 - 2009年8月28日)は、日本の政治家・酪農家。満洲出身。酪農学園短期大学通信課程卒。青森県六ヶ所村村長(1989年-1997年)。 山形県立酒田東高等学校卒業後、18歳で青森県上北郡六ヶ所村の「庄内地区」に入植。酪農業を手がけ、青森県酪農協会連合会会長や庄内酪農協同組合理事長も務めた。1975年から六ヶ所村村議会議員を連続4期務め、1989年に核燃料サイクル施設の工事凍結を公約に六ヶ所村長選挙に無所属で出馬し六ヶ所村長に初当選。以後連続2期8年を務めた。村長就任後は、使用済み核燃料再処理工場など核燃料サイクル事業推進へ方針転換し、ITER(国際熱核融合実験炉)の誘致にも関わった。
篠原 眞(しのはら まこと、1931年12月10日 - )は… 篠原 眞(しのはら まこと、1931年12月10日 - )は日本の現代音楽の作曲家。大阪府出身。主としてオランダのユトレヒト在住だが東京と京都にも住まいがある。
池田 温(いけだ おん、1931年12月10日 - 2023… 池田 温(いけだ おん、1931年12月10日 - 2023年12月11日)は、日本の東洋史学者。専攻は、中国古代・中世史。東京大学名誉教授。 1931年、静岡県で生まれた。1950年、東京大学文学部に入学。東洋史学科で学び、1954年に卒業論文『楊堅の出自』を提出して卒業。同大学大学院に進学し、西嶋定生、山本達郎に師事した。修士課程を修士論文『唐代均田制の一考察:その施行の実態を中心として』を提出して修了。1961年に博士課程を中退。 1961年11月、東京大学文学部助手に採用された。1964年、北海道大学文学部助教授に就いた。1971年より東京大学東洋文化研究所助教授となり、1976年に教授昇格。
髙田 次郎(たかだ じろう、1931年12月10日 - )は… 髙田 次郎(たかだ じろう、1931年12月10日 - )は、日本の喜劇俳優。 兵庫県神戸市出身。松竹新喜劇所属。 兵庫県神戸市に生まれる。立命館大学卒業後、「神戸道化座」、「松竹新春座」を経て、1957年「松竹家庭劇」旗揚げに参加する。1967年から、松竹芸能に席をおき、テレビドラマを中心に活動する。 その後、花登筺主宰の「劇団喜劇」を経て、1982年から「松竹新喜劇」に所属して舞台を中心に活動中。2014年には食道癌を患い、7月に出演予定だった新橋演舞場公演を降板したが、同年9月の大阪松竹座公演「道頓堀パラダイス」で復帰している。2018年、第44回菊田一夫演劇賞特別賞を受賞した。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。