スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
橘 あんり(たちばな あんり、Anri Tachibana、… 橘 あんり(たちばな あんり、Anri Tachibana、1987年7月10日 - )は、日本の女優、声優。京都府京都市出身。身長156cm。血液型A型。 京都府立鴨沂高等学校を卒業後、2008年劇団青年座入団。 青年座主催の舞台をはじめ、他劇団の舞台や、ミュージカル・テレビドラマ・映画などにも出演。吹き替えやアニメで声優としても活動している。 2010年、スピードラーニング主催のブロードウェイドリームで優勝し、NYへ3ヶ月留学。 2019年6月よりコミュニティラジオ局の東京府中FM(ラジオフチューズ)理事を務め、自身も出演番組を持ち、声優が出演する番組を多く制作・放送している。 太字はメインキャラクター。
一和 洋輔(いちわ ようすけ、1986年1月23日 - )は… 一和 洋輔(いちわ ようすけ、1986年1月23日 - )は日本のミュージカル俳優である。劇団四季所属(2016年11月に復帰)。京都府京都市出身。 京都府立鴨沂高等学校出身。 もともとは歌手志望で、劇団四季への入団以前にライブ活動やオペラなどに出演したことがある。 2008年に劇団四季の研究所に入所。同年8月、『むかしむかしゾウがきた』九郎衛門役で四季での初舞台を踏み、『ジーザス・クライスト=スーパースター』ジャポネスクバージョンに大八車、アンサンブルとして出演。 2009年、日本初演となるミュージカル『春のめざめ』のハンシェン役の一人に選ばれ、オリジナルキャストとして出演。2010年の東京再演公演、同年の名古屋公演でもハンシェンを演じており、また京都公演では主演のメルヒオールを演じた。
大狸 ぽんぽこ(おおだぬき ぽんぽこ、1984年12月11日… 大狸 ぽんぽこ(おおだぬき ぽんぽこ、1984年12月11日 - )は日本のお笑いタレント、俳優、料理系YouTuber、ゲーム実況YouTuber、さらば青春の光が経営する五反田「さらばBAR」料理長。お笑いユニットシンプルのボケ担当。現在はサンミュージック所属で活動中。過去に松竹芸能に在籍していた。京都府京都市左京区出身。追手門学院大学経済学部経済学科卒業。本名は大蜘蛛英紀(おおくもひでき)。 京都府京都市左京区生まれ。父親がサラリーマンをする中流な家庭に生まれる。幼少時代は野球に夢中する青年だった。 京都市立近衛中学校、京都府立鴨沂高等学校、追手門学院大学経済学部経済学科を卒業。 2004年(平成16年)1月、松竹芸能大阪に入所。
茂山 茂(しげやま しげる、1975年(昭和50年)9月9日… 茂山 茂(しげやま しげる、1975年(昭和50年)9月9日 - )は、狂言方大蔵流の能楽師。五世茂山千作(十三世茂山千五郎)の次男。重要無形文化財保持者(総合認定)、京都府文化賞奨励賞受賞者、京都能楽会副理事長。 1975年、茂山正義(五世千作・十三世千五郎)の次男として生まれる。父親及び祖父の四世茂山千作、曽祖父の 三世茂山千作に師事。初舞台は小舞の「柳の下」(1979年)。 京都府立鴨沂高等学校卒業。京都コンピュータ学院卒業。 1993年に「千歳」を、1994年に「三番三」を披き、1998年には「釣狐」を披く。 1994年、従兄弟の茂山宗彦、茂山逸平兄弟らと共に「花形狂言少年隊」を結成し、若い世代のファンを獲得する。
近藤 祐司(こんどう ゆうじ、本名: 近藤 真人〈こんどう … 近藤 祐司(こんどう ゆうじ、本名: 近藤 真人〈こんどう まさと〉、1974年1月21日 - )は、スポーツキャスター、スポーツ解説者、アンカーマン。京都府出身。立命館大学経済学部卒業。現在、株式会社UGK Sports&Communications 代表。 京都府京都市出身。祖父は城北埼玉中学・高等学校創立者、近藤薫明。父は日本航空に勤務し、非常に厳格な家庭に生まれる。幼少期から小学生までの間は、父の仕事の関係で各地を転々とする。 子供時代を過ごしたアメリカ合衆国・サンディエゴでアメリカンフットボールに出会った。ただ、2023年のインタビューでは、アメフトとの出会いを「グアム時代にテレビで見たArmy-Navy Game(陸軍士官学校と海軍兵学校のカレッジフットボール戦)」だとしている。
東 博樹(あずま ひろき、1966年7月10日 - )は、日… 東 博樹(あずま ひろき、1966年7月10日 - )は、日本の元サッカー選手。 1966年7月10日、京都府出身。同志社大学卒業後、1989年に日本サッカーリーグのクラブチーム、松下電器(後のガンバ大阪)に入団。ディフェンダーとして多くの試合に出場したが、活躍の場は1993年シーズンに減少した。 1994年、横浜フリューゲルスに移籍し、2シーズンプレーしたものの、大きな活躍はできなかった。 1996年にはジャパンフットボールリーグのクラブチームであるヴィッセル神戸に移籍。ヴィッセル神戸は1996年に2位を獲得し、 J1リーグに昇格したものの、東は1997年の試合ではまったく活躍の場がなく、1997年シーズンの終わりに引退した。
村上 晃一(むらかみ こういち、1965年3月1日 - )は… 村上 晃一(むらかみ こういち、1965年3月1日 - )は、日本の編集者、ライター、コラムニスト、ラグビー解説者、ラグビージャーナリスト。京都府京都市生まれ。現役時代のラグビーポジションは、センター(CTB)、フルバック(FB)。 10歳からラグビーを始めた。 鴨沂高校卒業後、大阪体育大学に入学する。大阪体育大学時代、副将を務めた。 1986年度(1987年1月18日)、西日本学生代表となり、第41回東西学生対抗試合にフルバックで出場した。 大阪体育大学卒業後、1987年4月、ベースボール・マガジン社に入社して『ラグビーマガジン』編集部に勤務。1990年6月には同誌編集長に就任し、1997年2月まで編集長を務めた。
瀧津 孝(たきつ こう、1962年1月29日 - )は、日本… 瀧津 孝(たきつ こう、1962年1月29日 - )は、日本の小説家、ジャーナリスト、日本史激動期(戦国・幕末・第二次世界大戦等)研究家。 株式会社雲水舎代表取締役。本名、亘 孝夫(わたり たかお)。 京都府京都市出身。京都府立鴨沂高等学校、立命館大学法学部卒業。 1984年、読売新聞大阪本社に記者職で入社。1997年に退社し、フリージャーナリストへ転身。1998年に家庭用コンピューターゲーム専門の無料総合情報紙「GAMEゆーゆー(現ジャパニメイト)」を創刊し、ローカルメディアとしてのビジネスモデルしかなかったフリーペーパーを、日本で初めて同一紙面のまま全国流通させることに成功。月刊約40万部(公称部数)を国内全域の主要家電量販店や総合スーパーのゲーム売り場などで配布し、2013年まで発行人兼編集長を務めた。
榊 淳司(さかき あつし、1962年〈昭和37年〉 - )は… 榊 淳司(さかき あつし、1962年〈昭和37年〉 - )は住宅ジャーナリスト。京都府京都市出身。本名は、千原俊彦。1980年代後半のバブル期以降、四半世紀以上に渡ってマンション分譲を中心に不動産業界に関わり、主に広告媒体の仕事を経験する。一般ユーザーを対象に住宅購入セミナーを開催するほか、新聞や雑誌に記事を定期的に寄稿、ブログやメルマガで不動産業界の実態を解説している。
山下 太郎(やました たろう、1961年12月18日 - )… 山下 太郎(やました たろう、1961年12月18日 - )は、西洋古典学者、ラテン語学者。主要な研究対象はウェルギリウス。現北白川幼稚園園長、私塾「山の学校」代表。 京都市生まれ。京都府立鴨沂高等学校を経て、1985年京都大学文学部卒業、京都大学大学院文学研究科修士課程修了、1990年京都大学大学院文学研究科博士課程退学。京都大学助手、京都工芸繊維大学講師・助教授を務めた後、学校法人北白川学園理事長及び北白川幼稚園園長に就任。
潮 匡人(うしお まさと、1960年〈昭和35年〉3月 - … 潮 匡人(うしお まさと、1960年〈昭和35年〉3月 - )は、日本の評論家、軍事ジャーナリスト、航空自衛官。帝京大学短期大学人間文化学科准教授、防衛庁広報誌「日本の風」(通巻6号で休刊)編集長。 京都府立鴨沂高等学校を経て、早稲田大学法学部卒業(在学中は雄弁会幹事長を務める)。同大学院法学研究科修士課程修了、TBSテレビ報道制作部契約社員を経て、1983年、航空自衛隊に入隊(防衛大学校27期相当)。 航空教育隊区隊長、第8航空団修理隊計器小隊長、第304飛行隊付幹部、航空中央業務隊付(市ヶ谷駐屯地、航空幕僚監部法務課)、航空総隊司令部(総務課法務班兼防衛課防衛1班)、防衛庁長官官房広報課(広報誌「セキュリタリアン」編集長)等を歴任。
丸山 俊明(まるやま としあき、1960年 - )は、建築・… 丸山 俊明(まるやま としあき、1960年 - )は、建築・歴史学者、住環境文化研究所主宰、元びわこ学院大学短期大学部ライフデザイン学科(キャリアデザイン)教授、元京都美術工芸大学教授(伝統建築) 京都市左京区生まれ。京都府立鴨沂高等学校卒業。1983年琉球大学法文学部史学科日本史専攻卒業。1989年大阪工業技術専門学校2部建築学科卒業。2001年京都工芸繊維大学大学院博士課程修了、「山城国農村部の建築規制に関する研究」で学術博士。熊谷建築設計事務所所員、京都環境計画研究所所員、丸山建築設計事務所・住環境文化研究所主宰をへて、2012年京都美術工芸大学工芸学部建築コース(伝統建築)教授、2016年3月退職。
岡田 憲和(おかだ のりかず、1958年5月10日 - )は… 岡田 憲和(おかだ のりかず、1958年5月10日 - )は、日本の地方公務員。京都市副市長、大学コンソーシアム京都評議員会副議長。 豚熱予防対策などにあたった。 公益財団法人京都文化交流コンベンションビューロー副理事長、公益財団法人大学コンソーシアム京都評議員会副議長、公益財団法人国立京都国際会館評議員等兼務。
李 良枝(イ・ヤンジ、이양지、1955年(昭和30年)3月1… 李 良枝(イ・ヤンジ、이양지、1955年(昭和30年)3月15日 - 1992年(平成4年)5月22日)は、在日韓国人二世の小説家。帰化後の本名は田中 淑枝。 山梨県南都留郡西桂町生まれ。小学生のときに両親が日本国籍を取得したので、同時に彼女も国籍は日本となった。山梨県富士吉田市下吉田の山梨県立吉田高等学校から1973年(昭和48年)に京都府立鴨沂高等学校に編入する。1975年(昭和50年)に早稲田大学社会科学部に入学するが、1学期で中退する。 1980年(昭和55年)5月にははじめて大韓民国を訪れ、以後は韓国への往来を繰り返し、巫俗舞踊(ムソク)や伽耶琴(カヤグム)、語り歌(パンソリ)などの影響を受ける。
沢田 研二(さわだ けんじ、1948年〈昭和23年〉6月25… 沢田 研二(さわだ けんじ、1948年〈昭和23年〉6月25日 - )は、日本の歌手、俳優、ソングライター。ザ・タイガースおよびPYGのボーカル。本名:澤田 硏二(読み同じ)。 両親の実家がある鳥取県岩美郡津ノ井村(現・鳥取市)生まれで京都府京都市育ち。ニックネームは『ジュリー』。妻は女優の田中裕子。義弟は俳優の田中隆三。前妻は歌手の伊藤エミ。 1960年代後半のグループ・サウンズ全盛期から最前線で活躍し、ソロとしてのシングル総売上は1,241万枚を記録。1982年から1991年までの9年間は歴代1位の座を保つ。アルバムも合わせた総売上は約1572万枚。ザ・タイガース、PYG時代も含めたシングルの総売上は1,668万枚に上る。
河村 通夫(かわむら みちお、1948年〈昭和23年〉3月1… 河村 通夫(かわむら みちお、1948年〈昭和23年〉3月11日 - )は、日本のラジオパーソナリティ、ナチュラリスト、料理研究家、ミュージシャン。 身長173cm、血液型O型。滋賀県生まれ、京都府京都市左京区出身。 滋賀県で生まれ、幼少期と青年期を京都で過ごす。 農協職員や料理講師だった母からは料理、竹細工職人のおじからはカンナの刃の研ぎ方をはじめ、木工の技術を学ぶ。また中学時代には石に興味を持ち地学部に入り石の研究でユネスコのコンクールで表彰される。その後京都府立鴨沂高等学校に入学し能狂言部や新聞部を経て、アコースティックギターを覚えアメリカ民謡同好会を設立しフォークソングに傾倒。 父や高校の教師から「国家から離れ在野で生きるべき」と言われ生き方に悩む中見聞を広めるべく北海道への移住を志し高校3年の夏休みから札幌市内の割烹での修行を行い、1969年にフォーク喫茶・ライブハウス「パフ」を開業し経営に携わり、札幌市東区の自宅の庭で家庭菜園を始め5年間住んだ後26歳で苗穂に引っ越し畑を広げ野菜の有機栽培を試みる。
塚本 能交(つかもと よしかた、1948年1月29日 - )… 塚本 能交(つかもと よしかた、1948年1月29日 - )は、日本の実業家。勲等は旭日重光章。ワコールホールディングス名誉会長。京都商工会議所特別顧問、公益財団法人京都服飾文化研究財団理事長、一般社団法人日本ボディファッション協会会長、一般社団法人京都知恵産業創造の森理事長などを務める。 京都府京都市出身。京都教育大学附属京都小学校・中学校、京都府立鴨沂高等学校を経て1971年(昭和46年)芦屋大学教育学部卒業、株式会社ワコール入社。伊藤忠商事貿易本部繊維貿易部出向。 日本中央競馬会(JRA)に登録している馬主としても知られる。勝負服の柄は緑、桃菱山形、袖桃二本輪、冠名には「アンクル」または「ウインクル」を用いる。
梅棹 エリオ(うめさお えりお、1948年 - )は京都府出… 梅棹 エリオ(うめさお えりお、1948年 - )は京都府出身の元冒険家。 梅棹忠夫の長男。平安高等学校の規則の厳しさに反撥して同校を3ヶ月で自主退学し、翌年、京都府立鴨沂高等学校に入学。同校では山岳部に所属。同校2年生のとき成績不良で落第し、2度目の2年生の夏休みに屋久島を旅したことがきっかけで熱気球飛行を思い立つ。1969年同校卒業。 1969年9月28日、京大工学部生の田中厚生、京大理学部生の嶋本伸雄、立命館大機械科生の仁張育夫(にんばり いくお)、浪人生(のち千葉大生)小又哲と共に日本初の熱気球飛行に成功(顧問は名古屋大学教授樋口敬二)。この体験を「若人の夢・風船旅行のスリル」と題して『旅』1970年1月号に発表。
苧阪 直行(おさか なおゆき、1946年12月16日 - )… 苧阪 直行(おさか なおゆき、1946年12月16日 - )は、日本の心理学者。京都大学名誉教授。専門は、認知科学・社会脳科学・ワーキングメモリ。大阪大学脳情報通信融合センター招聘教授、日本学士院会員。2020年春、瑞宝重光章受章。文学博士。 父・苧阪良二は心理学者で京都大学名誉教授、妻・苧阪満里子も心理学者で大阪大学名誉教授。 京都府出身。1965年京都府立鴨沂高等学校卒業。1971年京都教育大学教育学部卒業。1976年京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学、1979年「周辺視に於ける明るさ受容機構の精神物理学的研究」で文学博士の学位を取得。1977年追手門学院大学専任講師、1981年同助教授、1987年京都大学文学部助教授、1994年教授、2008年文学研究科長・文学部長、2010年定年退任、名誉教授。
中西 浩一(なかにし こういち、1946年9月15日 - )… 中西 浩一(なかにし こういち、1946年9月15日 - )は、日本の実業家、馬主。 紳士服や婦人服の製造・販売を手掛ける株式会社オンリーの創業者で、現在は同社の相談役を務める。 1946年、京都府出身。京都府立鴨沂高等学校を卒業後、1965年に紳士服渡辺に入社。その後1970年に独立し紳士服中西を開業、1976年には株式会社オンリーを設立し代表取締役社長となる。2014年より同社取締役会長、2019年より同社代表取締役会長、2020年より同社取締役相談役、2023年より同社相談役。 日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録する馬主として知られる。勝負服の柄は緑、紫縦縞、紫袖で、冠名には「テーラー」を用いる。
岸田 雅雄(きしだ まさお、1946年5月29日 - 202… 岸田 雅雄(きしだ まさお、1946年5月29日 - 2020年1月21日)は、日本の法学者。専門は、商法・法と経済学・ファイナンス論。学位は、法学博士(早稲田大学・論文博士・1997年)。神戸大学名誉教授[リンク切れ]、早稲田大学名誉教授。早稲田大学大学院ファイナンス研究科長・早稲田大学ファイナンス研究センター所長を歴任。 京都府出身で、1970年に滋賀大学経済学部を卒業後、1972年に神戸大学法学部卒業、同年に司法修習を修了した(最高裁判所)。ニューヨーク大学・ロー・スクール修了。神戸大学法学部助手・助教授・教授、同大学院法学研究科教授を経て、2004年に早稲田大学へ移籍。同年、神戸大学より名誉教授の称号を受けた。
河田 悌一(かわた ていいち、1945年5月18日 - )は… 河田 悌一(かわた ていいち、1945年5月18日 - )は日本の中国哲学研究者。関西大学東京センター長(2021年4月1日~)。一般社団法人大学基金推進機構理事長(2020年9月1日~ ※一般社団法人大学資産共同運用機構から名称変更)。一般社団法人大学資産共同運用機構理事長(2018年7月1日~ 2020年8月31日)。日本私立学校振興・共済事業団理事長(2010年1月1日~2018年3月31日)。関西大学教授・学長(第38・39代)。専門は中国思想史、現代中国論。大阪大学博士(文学)。 1945年、京都府京都市生まれ。1958年、京都市立北白川小学校を卒業。同志社中学校に進み、1961年に卒業。
竹内 次也(たけうち つぐや、1944年(昭和19年)2月1… 竹内 次也(たけうち つぐや、1944年(昭和19年)2月13日 - )は、日本の実業家。仙台放送社長、フジテレビ常務取締役を務めた。京都府出身。 鴨沂高校、早大時代は水球の選手であり、1965年にハンガリー・ブダペストで行われたユニバーシアード第4回大会では水球の日本代表として出場した。また東京五輪水球男子日本代表の竹内和也は兄である。
谷口 正和(たにぐち まさかず、1942年7月29日 - 2… 谷口 正和(たにぐち まさかず、1942年7月29日 - 2022年11月30日)は、京都府出身のマーケティング・コンサルタント。株式会社ジャパンライフデザインシステムズ代表取締役社長、立命館大学大学院経営管理研究科教授(2003年4月〜2013年3月)、東京都市大学都市生活学部客員教授(2009年4月〜2013年3月) 京都学芸大学(現:京都教育大学)付属小・中学校、京都府立鴨沂高等学校、武蔵野美術大学造形学部産業デザイン学科を卒業。1981年 株式会社ジャパンライフデザインシステムズ 設立。1986年 マーケット情報分析誌「Fax Press(現IMAGINAS)」創刊。1994年 超・地域限定マガジン「ウォーキング」創刊。
水野 武夫(みずの たけお、1941年11月7日 - )は、… 水野 武夫(みずの たけお、1941年11月7日 - )は、日本の弁護士、税理士。立命館大学大学院教授や、近畿弁護士会連合会理事長、日本弁護士連合会副会長、日本センチュリー交響楽団理事長等を歴任した。 1960年京都府立鴨沂高等学校卒業。1964年立命館大学法学部卒業、国税庁入庁。1966年最高裁判所司法研修所司法修習生。1968年弁護士登録(大阪弁護士会)。 1978年立命館大学法学部非常勤講師。1983年神戸大学法学部非常勤講師。1984年税理士登録。1992年法務省人権擁護委員。1996年大阪市立大学法学部非常勤講師。1999年龍谷大学法学部教授。2000年向日市情報公開審査会会長。2001年大阪弁護士会会長、近畿弁護士会連合会理事長、日本弁護士連合会副会長。
上野 民夫(うえの たみお、1938年(昭和13年)1月19… 上野 民夫(うえの たみお、1938年(昭和13年)1月19日 ‐ 2018年(平成30年)9月17日)は、日本の化学者。専門は天然物有機化学。京都大学名誉教授。 京都市左京区岡崎に生まれる。父は開業医を営んでいた。京都府立鴨沂高等学校から京都大学農学部に進み、1962年に卒業。同大の大学院博士課程(農学研究科)を1967年3月に修了して、農学博士号を取得した。 1967年5月よりダルムシュタット工科大学(当時は西ドイツ)の有機化学研究所で研究員となる。1968年に帰国し、9月より京都大学農学部附属農薬研究施設、農薬化学生物学部門の助手に就任。以後、助教授(1979年4月)を経て、1992年6月に教授(農芸化学科生物調節化学講座)に昇格した。
村山 敦(むらやま あつし、男性、1938年 - )は、日本… 村山 敦(むらやま あつし、男性、1938年 - )は、日本の経営者。関西国際空港株式会社(関空会社)の元代表取締役社長。 京都市出身。1961年に京都大学法学部を卒業し、松下電器産業(現 パナソニック)に入社。同社ではコンプレッサー部門を長年担当したのち、1994年には人事部長に、翌年には取締役となる。その後、常務、専務、副社長を歴任する。社長の中村邦夫とともに経営改革に取り組み、業績の「V字回復」を実現した。 松下での手腕を買われ2003年6月、関空会社の社長に就任。同社社長としては初めての民間企業出身者である。 コスト削減などを徹底した結果、2004年3月期決算(単体)は純利益が43億円となり、開港10年目にして初の黒字化を達成するなどの成果をあげた。
加茂 さくら(かも さくら、1937年7月16日 - 202… 加茂 さくら(かも さくら、1937年7月16日 - 2024年12月21日)は、日本の女優。東京市(現:東京都港区)出身、京都府育ち。本名・大谷 照子(おおたに てるこ)、公称身長160cm。血液型A型。宝塚時代の愛称は本名の照子よりテル(ちゃん)。 東京市麻布区飯倉町(現:東京都港区飯倉)生まれ。小学2年生から疎開先の静岡県熱海市で、中学からは父親の転勤先の京都府京都市で育つ。京都府立鴨沂高等学校中退。 1955年に宝塚歌劇団に花組公演『春の踊り』で入団。宝塚入団時の成績は36人中20位。42期生。1956年、花組配属。1961年から1968年まで主に主演娘役として(主に雪組の明石照子や眞帆志ぶきの相手役)、声楽専科組替えを経て1971年に退団するまで活躍した。
猪熊 兼勝(いのくま かねかつ、1937年 - )は、日本の… 猪熊 兼勝(いのくま かねかつ、1937年 - )は、日本の考古学者。専門は、日本考古学(特に古墳時代より飛鳥時代の墓制)。学位は、文学修士(関西大学)。京都橘大学名誉教授。葵祭行列保存会会長、時代祭考証委員長。所属学会は日本考古学協会、韓国考古学研究会。 京都府京都市に生まれる。猪熊家は代々猪熊通に居住していたが、応仁の乱で焼け出された。京都府立鴨沂高等学校を経て、1962年関西大学文学部史学科卒業。1964年関西大学大学院文学研究科考古学専攻修士課程修了、文学修士。 奈良国立文化財研究所に就職し、同所埋蔵文化財センター研究指導部長、1997年同所飛鳥藤原宮跡発掘調査部部長となる。1998年京都橘大学文学部教授、のちに同名誉教授。
家森 幸男(やもり ゆきお、1937年 - )は、日本の医学… 家森 幸男(やもり ゆきお、1937年 - )は、日本の医学者。医学博士。WHO循環器疾患専門委員、武庫川女子大学国際健康開発研究所長、ハーバード大学客員教授、京都大学名誉教授(予防栄養学)。病理学専攻。日本に「カスピ海ヨーグルト」を紹介したことで知られ、長寿に関する研究で知られる。 京都府出身。京都府立鴨沂高等学校を経て、1962年、京都大学医学部を卒業し、1967年に京都大学大学院医学研究科博士課程修了。島根医科大学教授、京都大学大学院人間・環境学研究科教授などを務めた。
井上 稔(いのうえ みのる、1936年4月16日 -)は日本… 井上 稔(いのうえ みのる、1936年4月16日 -)は日本画家。京都府京都市生まれ。日展会友(出品委嘱)、朴土グループメンバー。
山崎 泰孝(やまさき やすたか、1935年11月18日[要出… 山崎 泰孝(やまさき やすたか、1935年11月18日[要出典] - 2016年2月29日)は、日本の建築家。山崎泰孝+AZ環境計画研究所を主宰し代表を務めた。 兵庫県芦屋市生まれ。京都府立鴨沂高等学校を経て、1960年早稲田大学第一理工学部建築学科卒業。1960年〜1970年坂倉準三建築研究所(現・坂倉建築研究所)。1973年、株式会社アズ・インスティチュート(AZ Institute AZ環境計画研究所)設立。1976年福井工業大学教授( - 1996年)、1997年近畿大学文芸学部芸術学科教授( - 2003年)(近畿大学日本文化研究所)[要出典]。 1977年「善光寺別院願王寺」で。昭和51年度 日本建築学会賞(作品)。
田宮 二郎(たみや じろう、1935年〈昭和10年〉8月25… 田宮 二郎(たみや じろう、1935年〈昭和10年〉8月25日 - 1978年〈昭和53年〉12月28日)は、日本の俳優・司会者。 1960年代から1970年代にかけて俳優として活躍、代表作は映画『悪名』シリーズ、映画『白い巨塔』、テレビドラマ『高原へいらっしゃい』など。ほかにクイズ番組『クイズタイムショック』の司会としても長らく親しまれた(1969年1月9日 - 1978年9月28日)。 大阪府大阪市北区出身。本名、柴田 吾郎(しばた ごろう)。生後4日で父を事故で失ったため幼少から高校時代にかけては京都市にて母方の祖父の家で育つ。祖父の柴田永三郎は金融業を営む資産家で、田宮の母は永三郎の養女で、父の栄吾(旧姓南川)はその入り婿だった。
団 令子(だん れいこ、1935年〈昭和10年〉3月26日 … 団 令子(だん れいこ、1935年〈昭和10年〉3月26日 - 2003年〈平成15年〉11月24日)は、日本の女優。京都府出身。長男は同じく俳優の団優太。京都府立鴨沂高等学校卒業。 1956年、ミス日本コンテスト「ミス着物」に選ばれる。これがきっかけとなり東宝のプロデューサー藤本真澄から映画界へと誘われる。 1957年に東宝へ入社。芸名は藤本真澄が作曲家の團伊玖磨から取って名付けた。 1959年より始まった「お姐ちゃんシリーズ」で健康的な現代娘をコミカルに演じて、人気を得る。同時期の映画では、中島そのみ、重山規子と共演することが多かった。また、クレージーキャッツ主演のクレージー映画シリーズにおいては、初期マドンナとして多数の作品に出演する。
谷口 安平(たにぐち やすへい、1934年(昭和9年)12月… 谷口 安平(たにぐち やすへい、1934年(昭和9年)12月26日 - )は、日本の法学者。専門は民事訴訟法。京都大学名誉教授。弁護士、弁護士法人松尾綜合法律事務所客員弁護士。 京都府立鴨沂高校卒業、日本の司法試験は、京都大学法学部在学中に合格。その後、民法並びに民事訴訟法などを主な研究領域とした学者を目指し、海外のロースクールへ留学。 倒産法分野の研究においては、日本では権威的存在である。また、株式会社における総会決議の効力を争う訴訟について、その実質が会社という法人自身は紛争主体になっていない内部紛争であることに着目し、会社の被告適格性に疑問を呈した「コップの中の嵐」理論でも知られる。 民法学者谷口知平の次男。
北沢 恒彦(きたざわ つねひこ、1934年4月22日 - 1… 北沢 恒彦(きたざわ つねひこ、1934年4月22日 - 1999年11月22日)は、日本の社会運動家。文筆家。元京都市役所職員。 京都市出身。黒川創は息子。北沢街子は娘。秦恒平は弟。 1952年京都府立鴨沂高等学校在学中、朝鮮戦争への反戦運動に加わり、逮捕。1960年同志社大学法学部卒業。また大学卒業後に製パン業の老舗・進々堂に勤め労働争議を経験。 その後、雑誌『思想の科学』の編集、執筆に関わる。1962年京都市役所勤務。66年京都市中小企業指導所に勤務、診断士となる。 京都ベ平連に参加し、67年まで事務局長を務める。 1984年大阪市立大学大学院経済学研究科修士課程修了。1995年京都市役所を定年退職。
山崎 正和(やまざき まさかず、英語: Masakazu Y… 山崎 正和(やまざき まさかず、英語: Masakazu Yamazaki、1934年〈昭和9年〉3月26日 - 2020年〈令和2年〉8月19日)は、日本の劇作家、評論家、演劇研究者。文化功労者、文化勲章受章者。 関西大学文学部教授、大阪大学文学部教授、東亜大学学長、文部科学省中央教育審議会会長(第4期)、LCA大学院大学学長、サントリー文化財団副理事長、大阪大学名誉教授、経済産業省参与、日本芸術院会員などを歴任した。 『世阿弥』(1963年)、『後白河法皇』(1966年)、『冬の花火』(1968年)など多数の話題作を発表し、劇作家としての地位を築く。一方、評論の分野でも活動。『劇的なる日本人』(1971年)では、従来劇的でないとされてきた日本人の生活の中に、西洋とは異質の劇的精神があることを指摘した。
湯浅 憲明(ゆあさ のりあき、1933年〈昭和8年〉9月28… 湯浅 憲明(ゆあさ のりあき、1933年〈昭和8年〉9月28日 - 2004年〈平成16年〉6月14日)は、映画監督やテレビ番組の監督やディレクター。 特撮映画『ガメラシリーズ』のうち昭和期の作品をすべて手がけており、「ガメラの父」としても知られる。 東京都世田谷区赤堤に生まれる。実母は憲明を出産した当時は未成年であったため、息子を養子に出すことを望まなかった父・星ひかるによって私生児扱いにされており、就職のために戸籍謄本を取得した際に初めてそのことを知ったという。 恰幅がよく丸顔でもあり、『大怪獣ガメラ』の撮影時に島耕二からは「ガメラはぬいぐるみじゃなくて、湯浅監督がそのまま演じればいいんだよ」と冷やかされ、回顧録でもガメラに演技をつける湯浅は「まるで兄弟のようだ」と表現されている。
河合 秀和(かわい ひでかず、1933年4月28日 - )は… 河合 秀和(かわい ひでかず、1933年4月28日 - )は、日本の政治学者。学習院大学名誉教授。専門は比較政治、イギリス政治。 1933年、京都市生まれ。1952年京都府立鴨沂高等学校卒業。1956年に東京大学法学部を卒業した。1961年東京大学大学院社会科学研究科国際関係論専攻修了。1962年オックスフォード大学セント・アントニーズ・カレッジに留学。1966年学習院大学法学部助教授。1970年学習院大学法学部教授をつとめた。2000年学習院大学東洋文化研究所長。2004年学習院大学を退任後に、中部大学国際関係学部特任教授として教鞭をとった。2008年3月末を以て、中部大学特任教授を退任。 この他に、1991年から1992年に放送大学客員教授。
鈴江 璋子(すずえ あきこ、1933年(昭和8年)3月 - … 鈴江 璋子(すずえ あきこ、1933年(昭和8年)3月 - )は、日本の英文学者、実践女子大学名誉教授。 大阪市東淀川区生まれ。京都府立鴨沂高等学校卒業。1955年京都大学文学部英文科卒業。1962年同大学院博士課程満期退学。1965年龍谷大学文学部助教授、68年実践女子大学文学部助教授、75年教授、2004年定年、名誉教授、創価大学客員教授。2006-2010年日本ギャスケル協会会長。
末川 清(すえかわ きよし、1933年1月25日 - 201… 末川 清(すえかわ きよし、1933年1月25日 - 2011年11月1日)は、日本の歴史学者。立命館大学名誉教授。専門は西洋史(ドイツ近代史)。 1933年、京都府京都市で法学者・末川博の長男として生まれた。。 1951年に京都府立鴨沂高等学校を卒業し、京都大学文学部に進学。西洋史学科で学び、1955年に卒業。同大学院文学研究科西洋史学専攻に進み、1957年に修士課程を修了。1960年、博士後期課程を単位満期取得退学。 立命館大学に勤務。2011年に死去。
川那部 浩哉(かわなべ ひろや、1932年5月10日 - )… 川那部 浩哉(かわなべ ひろや、1932年5月10日 - )は、日本の生物学者。京都大学名誉教授。滋賀県立琵琶湖博物館前館長(名誉学芸員)。専門は群集生態学、動物社会学。理学博士(京都大学 , 1960年)。 京都市出身。1948年(昭和23年)京都府立第二中学校を卒業、1951年(昭和26年)京都府立鴨沂高等学校を卒業後、京都大学理学部に入学。宮地傳三郎教授を師事し、動物学と生態学を学んだ。 1960年、京都大学の助手に任官。その後、1967年に助教授、1977年に教授に昇任。1996年に教授を退官後、滋賀県立琵琶湖博物館館長に就任した。2010年に滋賀県立琵琶湖博物館館長を退任。 淡水生物の生態を主に研究。
山本 富士子(やまもと ふじこ、1931年12月11日 - … 山本 富士子(やまもと ふじこ、1931年12月11日 - )は、日本の女優。本名は同じ。愛称はお富士さん。身長159 cm。日本のミス・コンテストでも最も古い歴史を持つ「ミス日本」の初代優勝者である。 1931年(昭和6年)、大阪市西区立売堀(いたちぼり)生まれ。母は船場の綿花問屋山重の主人の長女。少女時代、花柳禄寿門下の花柳禄之助について日本舞踊を習う。自宅が進駐軍に接収されたため引越し、大阪府立大津高女(現・大阪府立泉大津高等学校)から京都府立第一高女(現・京都府立鴨沂高等学校)に転入し、1949年(昭和24年)卒業。 1950年(昭和25年)、読売新聞社・中部日本新聞社・西日本新聞社が主催し、700人近い応募者があった第一回ミス日本において、満場一致でミス日本の栄冠に輝いた。
種田 弘(たねだ ひろむ、本名:浅田 弘《あさだ ひろむ》、… 種田 弘(たねだ ひろむ、本名:浅田 弘《あさだ ひろむ》、1931年8月6日 - 2018年2月12日)は、京都府出身のプロ野球選手(投手)。 鴨沂高校から1950年にこの年に創設された大洋ホエールズに入団。スピードはそれほどないが、大きなカーブとシンカー(沈むシュート)を武器に活躍する。1952年途中に退団して、西京観光に入社するが、1955年に阪急ブレーブスでプロに復帰。翌年には梶本隆夫に次ぐ17勝を挙げた。防御率も1.56とリーグ3位という成績を収めた。1961年に引退。 2018年2月12日、死去。85歳没。
北村 泰一(きたむら たいいち、1931年 - 2025年1… 北村 泰一(きたむら たいいち、1931年 - 2025年12月1日)は、日本の地球物理学者。九州大学名誉教授。理学博士。京都市出身。 京都府立京都第一中学校、京都府立鴨沂高等学校を経て、1950年(昭和25年)、京都大学理学部地球物理学科に入学。京都大学山岳部に在籍。1954年(昭和29年)卒業、同大学院修士課程に進学し、長谷川万吉研究室で広野求和から地磁気の指導を受ける。なお、のちに第4次南極越冬隊に参加し、ブリザードのため遭難死した福島紳とは、小学校から大学院まで一貫して同級生同士だった。 修士課程在籍中、長谷川万吉から第1次南極地域観測隊への参加を打診される。その後、長谷川が、隊長に選ばれた永田武との確執から、南極関係の人事から事実上手をひくことになっため、山岳部の先輩である今西錦司に直訴して西堀栄三郎副隊長への紹介状を書いてもらい、西堀に直訴して観測隊に加えられる。
福島 紳(ふくしま しん、1930年(昭和5年)9月24日 … 福島 紳(ふくしま しん、1930年(昭和5年)9月24日 - 1960年(昭和35年)10月10日行方不明、17日認定死亡)は日本の地球物理学者。理化学研究所研究員(宇宙線研究室所属)、南極地域観測隊員。第4次南極越冬隊に参加中、ブリザードのため遭難し、日本の南極観測において初めての死者となった。南極大陸のやまと山脈の最高峰「福島岳」は、その名にちなんでつけられたものである。 1930年(昭和5年)9月24日、京都に生まれる。父は、法学者で関西大学法学部教授の福島四郎。 京都府立京都第一中学校、京都府立鴨沂高等学校を経て、1950年(昭和25年)、京都大学理学部に入学。1954年(昭和29年)卒業、同大学院自然科学研究課程修士課程に進学、1956年(昭和31年)修了し同博士課程に進学、1959年(昭和34年)退学。
大槻 幹郎(おおつき みきお、昭和3年(1928年) - )… 大槻 幹郎(おおつき みきお、昭和3年(1928年) - )は、日本の美術史・仏教文化を専攻する学者。専攻は日本美術システム・仏教文化史。 昭和3年(1928年)、京都府に生まれる。京都師範学校、立命館大学文学部史学科卒業。京都府立鴨沂高等学校教諭を経て、花園大学文学部非常勤講師となる。他に黄檗山万福寺黄檗文化研究所研究員・元花園大学国際禅学研究所客員研究員。
木村 靜子(きむら しずこ、旧姓は桂、1927年 - )は、… 木村 靜子(きむら しずこ、旧姓は桂、1927年 - )は、日本の法学者。専門は刑法。成蹊大学名誉教授。指導教員は滝川幸辰。論文や基本書では「木村静子」と表記されることも多い。
寿岳 章子(じゅがく あきこ、1924年1月2日 - 200… 寿岳 章子(じゅがく あきこ、1924年1月2日 - 2005年7月13日)は、日本の国語学者・エッセイスト・社会活動家。 寿岳文章・寿岳しづ夫妻の長女として京都府に生まれる。弟は天文学者の寿岳潤。 旧制京都府立第一高等女学校、旧制京都府立女子専門学校を経て、1946年(昭和21年)に東北帝国大学法文学部を卒業、京都大学大学院へ進学。京都府立大学助教授、教授として同大学に36年間勤務。 墓所は南禅寺慈氏院。 寿岳の研究業績としては、室町時代の口語資料である抄物の研究が挙げられる。寿岳は抄物の語句や文章形態や文法構造について、抄物を語った人物の声として捉えようとした。あくまでも生きた人間の言葉に目を向け、抄物それ自体の言葉に深く切り込んで、その性格を解明して資料性を保証したのである。
新章 文子(しんしょう ふみこ、1922年1月6日 -201… 新章 文子(しんしょう ふみこ、1922年1月6日 -2015年10月14日)は、日本の小説家。 京都府生まれ。本名・中島光子。京都府立第一高等女学校卒業。1939年、宝塚音楽舞踊学校(現・宝塚音楽学校)に入学して、1941年に「京千鈴」の芸名で宝塚歌劇団に入団して初舞台を踏む。宝塚歌劇団29期生。同期生に淡島千景、久慈あさみ、南悠子らがいる。 1944年に宝塚歌劇団を退団して京都市役所に勤務する。1948年、本名名義で童話集『子りすちゃんとあかいてぶくろ』を刊行する。1959年『危険な関係』で第5回江戸川乱歩賞を受賞し、第42回直木三十五賞候補に挙がる。なお同作は初めて直木賞候補となった江戸川乱歩賞受賞作である。