日枝 久(ひえだ ひさし、1937年〈昭和12年〉12月31… 日枝 久(ひえだ ひさし、1937年〈昭和12年〉12月31日 - )は、日本の実業家、篤志家。フジサンケイグループ元代表。北海道空港取締役。 1980年5月、42歳の若さでフジテレビジョン編成局長に就任。後発局だったフジテレビを視聴率三冠王に押し上げ、黄金時代を牽引した。1988年6月には、同社初の生え抜き出身として代表取締役社長に就任。1997年の東証一部上場を実現し、2001年からは代表取締役会長兼CEOを務めた。2008年には、日本初の認定放送持株会社への移行を主導し、フジ・メディア・ホールディングスの代表取締役会長兼CEOに就任。放送事業を核に幅広い事業を展開する日本を代表するメディア・コングロマリットへと成長させた。
古屋 勝彦(ふるや かつひこ、1937年12月31日 - 2… 古屋 勝彦(ふるや かつひこ、1937年12月31日 - 2025年1月18日)は、日本の経営者。松屋社長、会長を務めた。 東京都出身。1960年に学習院大学政治経済学部を卒業し、同年に三菱銀行に入行。1963年に松屋に転じ、1981年5月に取締役に就任し、1982年10月に常務、1987年3月に専務、1989年1月に副社長を経て、同年12月には社長に就任。2003年5月に会長に就任。 2025年1月18日老衰のために死去。87歳没。 父は三代古屋徳兵衛。長男は古屋毅彦
小沼 勝(こぬま まさる、1937年12月30日 - 202… 小沼 勝(こぬま まさる、1937年12月30日 - 2023年1月22日)は、日本の映画監督。 1937年12月30日、北海道小樽市に生まれる。都立新宿高等学校を経て1961年、日本大学芸術学部映画学科を卒業し、日活に助監督として入社する。 1971年、『花芯の誘い』で映画監督デビューを果たす。以後、40本以上の日活ロマンポルノの作品を手がけた。耽美的な作風でSM物を得意とする。 1974年『花と蛇』での原作改変が原作者の団鬼六を激怒させ、その後は団原作ではないSM映画を数多く撮った。数年後には団とも和解して団原作映画も撮るようになっている。 ロマンポルノ以外では日本テレビ系『火曜サスペンス劇場』など、サスペンスドラマ作品の演出を手掛けたこともあった。
田島 和生(たじま かずお、1937年12月29日 - )は… 田島 和生(たじま かずお、1937年12月29日 - )は、日本の俳人。大学時代より俳誌「風」に所属し沢木欣一に師事。2008年に林徹より俳誌「雉」を主宰継承。 石川県加賀市に生まれる。小学5年時、国語教諭に作品を褒められた、という理由で俳句を始める。高校3年時、旺文社主催の高校文芸誌コンクール俳句の部にて山口青邨の入選を受ける。金沢大学文学部哲学科入学後、沢木欣一の俳誌「風」に入会、師事する。楠本憲吉の特選となる。大学卒業後、新聞社に入社。愛媛県にて勤務時、「えひめ歳時記」を2年間連載する。のちに「えひめ俳句歳時記」として出版。1985年、林徹主宰の俳誌「雉」の創刊同人となる。2002年より大峯あきら代表の超結社同人誌「晨」の同人となる。
塚田 延充(つかだ のぶみつ、1937年12月28日 - )… 塚田 延充(つかだ のぶみつ、1937年12月28日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(民社党→新進党)(3期)。 東京都出身。1961年東京大学経済学部卒業後、帝人に入社。バンコク事務所長などを勤め、退職後に茨城県生産性本部長を務めた。 1983年、第37回衆議院議員総選挙で茨城県第1区から初当選。民社党茨城県委員長、政審副会長、党執行中央委員、国民運動委員長などを務めた。1990年の第39回衆議院議員総選挙で落選。1993年の第40回衆議院議員総選挙で復帰。翌年の新進党の結成に参加。 1996年の第41回衆議院議員総選挙に茨城県第1区(小選挙区)から新進党公認で出馬したが落選した。 2015年春の叙勲で旭日中綬章受章。
伊藤 研一(いとう けんいち、1937年12月27日 - 2… 伊藤 研一(いとう けんいち、1937年12月27日 - 2011年2月20日)は、日本の経営者。伊藤ハム社長、会長を務めた。創業者伊藤傳三の長男。 兵庫県神戸市出身。1960年に慶應義塾大学経済学部を卒業。1959年6月に伊藤ハム取締役に就任し、1965年に常務、1977年5月に専務を経て、1981年7月に社長に就任。2002年10月に会長に就任。 1994年4月に藍綬褒章を受章。 2011年2月20日、急性肺炎のために死去。73歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
吉田 映子(よしだ あきこ、1937年12月27日 - 19… 吉田 映子(よしだ あきこ、1937年12月27日 - 1997年1月2日)は、日本の英米文学者、翻訳家。 千葉県出身。別名・吉田昤子。一橋大学大学院社会学研究科修了。東京女子医科大学看護短期大学教授を務めた。
松本 行雄(まつもと ゆきお、1937年12月27日 - )… 松本 行雄(まつもと ゆきお、1937年12月27日 - )は、日本の銀行家。 沖縄県出身。1960年に琉球大学文理学部商学科を卒業し、1948年6月に琉球銀行に入行。1983年6月に取締役に就任し、1989年6月に常務、1993年6月に専務を経て、1997年6月には頭取に就任。2001年4月には相談役に退いた{。
長谷 正當(はせ しょうとう、1937年12月26日 - )… 長谷 正當(はせ しょうとう、1937年12月26日 - )は、日本の哲学・宗教学者、京都大学名誉教授。 1937年、富山県生まれ。1960年京都大学文学部哲学科を卒業し、同大学院文学研究科宗教学専攻に進んだ。1965年、同大学院博士課程を満期退学。 1976年、京都大学文学部助教授となった。1988年、学位論文『象徴と想像力』を京都大学に提出して文学博士号を取得。1989年に教授昇進。2000年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は大谷大学教授として教鞭をとり(定年後は客員教授)、2009年に退職した。
高野 之夫(たかの ゆきお、1937年〈昭和12年〉12月2… 高野 之夫(たかの ゆきお、1937年〈昭和12年〉12月25日 - 2023年〈令和5年〉2月9日)は、日本の政治家。東京都豊島区長(6期)、豊島区議会議員(2期)、東京都議会議員(3期)、公益財団法人としま未来文化財団理事長などを歴任した。 東京市豊島区西池袋に生まれる。生家は古書店を営んでいた。 1945年4月13日、池袋を含む城北地域が空襲を受けたとき(城北大空襲)、茨城県常陸大宮市出身の父親は徴兵されて満州に行っており、姉は集団疎開で長野県にいた。高野は栃木県城山村(現:宇都宮市古賀志町)の親戚の家に疎開中だった。そこから、東京の空が真っ赤に燃えているのが見えたという。母と当時3歳くらいだった妹は東京に残っていたが、命からがら逃げた。
中島 啓雄(なかしま ひろお、1937年12月25日 - 2… 中島 啓雄(なかしま ひろお、1937年12月25日 - 2024年2月7日)は、日本の政治家。元参議院議員(2期)。関東州大連生まれ。長野県育ち。 成蹊高等学校、東京大学経済学部経済学科卒業。JR貨物の役員を経て、1995年、第17回参議院議員通常選挙で自由民主党公認で比例区から立候補するも落選。その後、1999年8月に石川弘が死去したため、同月20日付で繰上補充となり、当選。その後2001年、再選を目指して立候補した第19回参議院議員通常選挙でも落選したが、その約3か月後に高祖憲治が辞職したため、同年10月3日付で再び繰上補充により当選となった。2回の当選はいずれも繰上当選であった。2007年の任期満了をもって、次期選挙には立候補しなかった。
克美 しげる(かつみ しげる、1937年12月25日 - 2… 克美 しげる(かつみ しげる、1937年12月25日 - 2013年2月27日)は、日本の歌手。本名は津村誠也(つむら せいや)。1975年から1976年にかけては芸名を『克美 茂』と表記していた。
立花 宗鑑(たちばな むねあき、1937年〈昭和12年〉12… 立花 宗鑑(たちばな むねあき、1937年〈昭和12年〉12月25日 - )は、日本の実業家。 筑後柳川藩立花家第17代当主。 1960年に慶應義塾大学経済学部を卒業。 大学卒業後の同年に三井物産に入社。重機械部にて、機械、プラント関連の業務に従事する。1975年に豪州三井物産のシドニー、メルボルンの支店で機械関連の業務に従事。1980年に本店業務部経営企画室に勤務。1988年に日本ユニバックへ出向。バロースとの合弁事業に携わる。2001年6月に取締役、常務取締役関西支社長などを経て退任。同年7月よりは日本ユニシスサプライ代表取締役社長に就任。2004年に退任後は、財団法人軽井沢文化美術学院を立ち上げ、理事事務局長に就任、公益法人の認可を取得。
平尾 昌晃(ひらお まさあき、1937年〈昭和12年〉12月… 平尾 昌晃(ひらお まさあき、1937年〈昭和12年〉12月24日 - 2017年〈平成29年〉7月21日)は、日本の作曲家、作詞家、歌手。社団法人日本作曲家協会・常務理事、社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)理事などを歴任した。 化粧品業を営んだ平尾聚泉の孫。クラシックの作曲家で国立音楽大学教授を務めた平尾貴四男は伯父。 東京市の牛込(現:東京都新宿区)「生まれ」であるが、終戦後、神奈川県の湘南エリアに移住し、藤沢市にある湘南学園で小中学時代を送る。出生名は平尾勇。幼少時にたびたび改名し、デビュー初期の芸名である「昌章」を経て、最終的には本名の通り平尾昌晃を芸名としていた。 小学3年生のとき、自宅に来ていた将校から貰ったジャズのLPを聴き衝撃を覚える。
畑 隆幸(はた たかゆき、1937年12月24日 - )は、… 畑 隆幸(はた たかゆき、1937年12月24日 - )は、大分県日田市出身のプロ野球選手(投手)である。左投左打。
矢田作十路(やた さくじゅうろう、1937年〈昭和12年〉1… 矢田作十路(やた さくじゅうろう、1937年〈昭和12年〉12月24日 - 2018年〈平成30年〉5月30日)は、日本画家。雅号は白羊。日本の荒海や山間の静寂を題材にした作品や、中国の古典にならった虎や鷹の作品を多く残している。仏教にも造詣があり羅漢山宝住寺の釈迦三尊像や十八羅漢の石像の下絵を制作、城西山安養寺と羅漢山宝住寺の七条袈裟なども制作した。 1937年(昭和12年)、京都府何鹿郡中上林村(現在の綾部市)の京友禅の家系に生まれる。友禅の職人であった父・矢田茂久雄に師事し幼少時から筆を握っていた。 『作十路』の命名は禅僧によるもので、十牛図にみる十段階の悟りの境地をただ追い求める姿勢を表したものである。
浅見 源司郎(あさみ げんしろう、1937年12月23日 -… 浅見 源司郎(あさみ げんしろう、1937年12月23日 - 2024年6月)は、日本テレビ放送網、アール・エフ・ラジオ日本(RFラジオ日本)アナウンサー。東京プロ野球記者OBクラブ会員。東京都出身。都立西高等学校を経て、早稲田大学法学部卒業。 1962年(昭和37年)に早大を卒業し、日本テレビへ入社。日本テレビ時代には主としてプロ野球の読売ジャイアンツ(巨人)戦を中心としたスポーツ放送を担当。プロ野球では、1977年9月3日の巨人対ヤクルトスワローズ戦で、王貞治選手(巨人)が放った通算756号本塁打(当時世界新記録)の実況を担当した(但し、生放送できず)。この他にも実況した名シーンは数多く、以下に挙げる試合にも立ち会っている。
蔦川 正義(つたがわ まさよし、1937年12月23日 - … 蔦川 正義(つたがわ まさよし、1937年12月23日 - 2022年12月3日)は、日本の経済学者。佐賀大学名誉教授。専門は、地域経済論、地域開発論。
木村 要(きむら かなめ、1937年12月23日 - )は、… 木村 要(きむら かなめ、1937年12月23日 - )は、日本の裁判官。法務省広島法務局訟務部長や、最高裁判所事務総局家庭局長、千葉家庭裁判所長等を歴任した。 中央大学卒業後、広島地方裁判所判事補、岐阜地方裁判所多治見支部長、法務省広島法務局訟務部長等を経て、局付などを経験しないまま異例の人事で最高裁判所事務総局家庭局第一課長に就任。その後は、エリートコースを歩み、東京家庭裁判所部総括判事、東京地方裁判所部総括判事、最高裁判所事務総局家庭局長、千葉家庭裁判所長を歴任した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
保苅 瑞穂(ほかり みずほ、男性、1937年12月23日 -… 保苅 瑞穂(ほかり みずほ、男性、1937年12月23日 - 2021年7月10日)は、日本のフランス文学者、東京大学・獨協大学名誉教授。 東京府東京市神田区元佐久間町(現在の東京都千代田区神田佐久間町)の、保苅保の子として生まれる。祖父は保苅忠助といった。九段高等学校から、1961年東大文学部仏文科卒、1963年同大学院修士課程修了、1964 - 1967年パリ大学、パリ高等師範学校留学、1968年東大博士課程単位取得満期退学、中央大学専任講師、1974年東大教養学部助教授、1990年教授、1998年定年退官、獨協大学教授、2008年名誉教授。 はじめプルーストを研究、モンテーニュなどにも考察を提示した。
今井 民雄(いまい たみお、1937年(昭和12年)12月2… 今井 民雄(いまい たみお、1937年(昭和12年)12月22日 -2023年(令和5年) 6月29日)は、日本の政治家。元京都府長岡京市長。 京都府出身。1956年(昭和31年)平安高等学校を卒業し、長岡町役場に奉職。 長岡京市生活環境部、経済衛生部長、建設部長、総務部長を経て、1990年(平成2年)収入役。1991年(平成3年)同市長に就任した。2003年(平成15年)市長を退任した。
堀口 勝正(ほりぐち かつまさ、1937年12月22日-)は… 堀口 勝正(ほりぐち かつまさ、1937年12月22日-)は、日本の弁護士。元次長検事。 香川県生まれ。1960年中央大学法学部卒業。1961年司法修習生、検事任官。 1990年最高検察庁検事、1991年奈良地検検事正、1993年水戸地検検事正、1995年7月最高検総務部長、1996年6月同・刑事部長。北島敬介のあとを受けて、次長検事(1997年12月2日-1999年12月22日)を務めて退官した。2006年4月現在、弁護士、帝京大学客員教授。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。
長崎 暢子(ながさき のぶこ、1937年12月20日 - )… 長崎 暢子(ながさき のぶこ、1937年12月20日 - )は、日本の歴史学者、東京大学名誉教授。専門は、インド近代史、南アジア地域研究。博士(文学)(東京大学、1993年)。東京出身。
伊藤 潔(いとう きよし、1937年12月20日 - 200… 伊藤 潔(いとう きよし、1937年12月20日 - 2006年1月16日)は、東アジア政治外交史専攻の歴史学者、同地域研究者。 日本統治時代の台湾・宜蘭県出身。国立中興大学卒業後、1964年に来日し、1969年に早稲田大学を卒業。東京大学大学院博士課程修了、文学博士(博士論文は「台湾統治と阿片問題」)。1982年、日本に帰化した。二松學舍大学教授、杏林大学教授を務めた。2006年1月16日、杏林大学医学部付属病院において心不全のため死去。 帰化以前の名は「劉 明修」であったが、日本国籍取得時に「伊藤 潔」に改名。「伊藤」という姓は、伊藤 潔が最も尊敬する人物伊藤博文から苗字を拝借したものである。
高山 智博(たかやま ともひろ、1937年12月19日 - … 高山 智博(たかやま ともひろ、1937年12月19日 - )は、日本のラテンアメリカ文化学者、上智大学名誉教授。 東京生まれ。上智大学外国語学部イスパニア語学科卒業。メキシコ・イベロアメリカ大学人類学研究科修士課程修了。上智大学助教授、教授、名誉教授。1994年、メキシコ観光省「銀ペン賞」受賞。日墨交流会会長。
森田 勝(もりた まさる、1937年(昭和12年)12月19… 森田 勝(もりた まさる、1937年(昭和12年)12月19日 - 1980年(昭和55年)2月24日)は、日本の登山家。 1937年12月19日、東京府北豊島郡(現在の東京都荒川区)に4人兄弟の長男として生まれた。 戦争中、埼玉県松伏に疎開、家族で自給自足生活に入った。小学校4年生の時に、母が死亡。父が再婚すると、野田の醤油工場に奉公に出される。中学校を卒業できないまま実家に戻り、父の下で金型工の見習いとなる。そのころブームになりつつあった登山を始めるようになる。 1959年に東京緑山岳会に入会。主に谷川岳でのクライミングにのめりこんで行く。金型工としての腕はあったが、山登りを優先し、職場を転々とする生活になった。
工藤 雅樹(くどう まさき、1937年(昭和12年)12月1… 工藤 雅樹(くどう まさき、1937年(昭和12年)12月18日 - 2010年(平成22年)1月29日)は、日本の考古学者、歴史学者。福島大学名誉教授。専門は蝦夷を中心とした東北地方の古代史。 岩手県岩手郡松尾村(現・八幡平市)出身。岩手県立盛岡第一高等学校を経て東北大学文学部史学科入学、1966年には東北大学大学院文学研究科の博士課程を修了した。その後は東北歴史資料館(現在の東北歴史博物館)勤務を経て、宮城学院女子大学に教授として迎えられた。1989年からは福島大学の教授となり、2003年に退官するまで務めた。2004年には再び東北歴史博物館へと戻り、館長を2年間務めた。 2004年からは平泉の世界遺産登録を目指した推薦書作成委員会委員長になったが、2008年7月6日、国際記念物遺跡会議より普遍的価値の証明が不十分との指摘を受け、世界遺産の登録は見送りとなった。
伊藤 謙介(いとう けんすけ、1937年12月17日 - )… 伊藤 謙介(いとう けんすけ、1937年12月17日 - )は日本の実業家。京セラ代表取締役社長や、同社代表取締役会長、京都パープルサンガ代表取締役会長などを務めた。 岡山県川上郡成羽町(現高梁市)出身。1956年岡山県立倉敷工業高等学校卒業、松風工業入社。松風工業の尊敬する上司だった稲盛和夫に誘われ、1959年京都セラミツク(現京セラ)の創業に参画した。1981年専務取締役。1985年代表取締役副社長。 1989年から京セラ代表取締役社長を務め、1997年からホテル京セラ代表取締役会長を兼務。創業40年目にあたる1999年に西口泰夫を後継に指名して代表取締役会長に退き、京都パープルサンガ代表取締役会長に就任。
麻生 実男(あそう じつお、1937年12月17日 - 19… 麻生 実男(あそう じつお、1937年12月17日 - 1991年11月22日)は、広島県福山市出身のプロ野球選手(内野手)。右投げ右打ち。1960年大洋V1戦士の一人で、勝負どころで快打を連発し大洋初優勝に貢献した。
玉澤 徳一郎(玉澤 德一郎、たまざわ とくいちろう、1937… 玉澤 徳一郎(玉澤 德一郎、たまざわ とくいちろう、1937年〈昭和12年〉12月16日 - )は、日本の政治家。 農林水産大臣(第28・29代)、防衛庁長官(第56代)、衆議院議員(9期)などを歴任。 選挙などの際には旧字体の「澤」でなく、画数の少ない「沢」を用い「玉沢徳一郎」と表記されることが多い。 岩手県下閉伊郡田老町(現在の宮古市)出身。岩手県立盛岡第一高等学校を卒業後、早稲田大学第二政治経済学部政治学科に入学。大学では早稲田大学雄弁会に所属。雄弁会の一期上に森喜朗、一期下に小渕恵三がいた。早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了、政治学修士。学生時代から左翼が大嫌い(当時は学生運動の嵐の真っ只中)であることを公言していた。
鎌田 光夫(かまた みつお、1937年12月16日 - )は… 鎌田 光夫(かまた みつお、1937年12月16日 - )は、茨城県出身の元サッカー選手(DF)・サッカー監督。 日立市立多賀中学校を経て進学した日立一高では3年次の1955年、神奈川国体・高校の部に出場して3位入賞を果たした。 高校卒業後の1956年に中央大学へ進学し、2年次の1957年からはレギュラーとなる。同年には天皇杯に中大クラブ(学生・OBの混合チーム)のMFとして出場し、決勝で実業団の強豪・東洋工業を破って優勝。3年次の1958年1月に開催された大学選手権でも優勝し、同年12月には川淵三郎・宮本征勝らと共に日本代表デビュー。香港戦で初出場を果して以来、的確で冷静な判断力とカバーリングを武器に代表守備陣の中枢を成した。
外口 玉子(とぐち たまこ、1937年12月16日 - 20… 外口 玉子(とぐち たまこ、1937年12月16日 - 2022年3月12日)は、日本の政治家、保健師(保健学博士)、看護師。衆議院議員(1期)、社会福祉法人かがやき会理事長を務めた。 1960年、東京大学医学部衛生看護学科卒業後、同大学の助手を経て、1968年、国立武蔵野療養所看護婦長に就任。翌1969年に渡米し、ボストン大学に留学。精神疾患を抱えたベトナム帰還兵の看護などにあたったという。1971年に同大学大学院看護学部修士課程を修了。帰国後の1973年、東京都精神医学総合研究所医療研究室主任研究員。1985年、同研究所副参事研究員。1989年に退職。1986年、精神障害者の社会参加と地域での生活を支援する「地域ケアセンター」を有志で立ち上げ、1989年に社会福祉法人かがやき会を設立。
沢井 忠夫(さわい ただお、1937年12月16日 - 19… 沢井 忠夫(さわい ただお、1937年12月16日 - 1997年4月1日)は、日本の箏曲家、作曲家。沢井箏曲院の創始者。妻は沢井一恵で、息子は沢井比河流。 愛知県中島郡(現在の一宮市)で尺八家の名家に生まれ、箏を始めたのは小学5年生だった(一度、宮城道雄に師事するが、その後すぐに宮城が亡くなる)。1960年に東京芸術大学邦楽科を、1962年に専攻科を卒業。大学在学中にNHK「全国今年のホープ」に選ばれた。 高校時に作曲を始め(最初に形がなった曲が"雪ものがたり"であった)その後、清水脩の元で作曲を師事した。 1964年に青木鈴慕・伊藤松博・高野和之・杵屋栄三郎・山本邦山と「民族音楽の会」を結成。
木谷 明(きたに あきら、1937年〈昭和12年〉12月15… 木谷 明(きたに あきら、1937年〈昭和12年〉12月15日 - 2024年〈令和6年〉11月21日)は、日本の弁護士、裁判官。位階勲等は従三位瑞宝重光章。東京高等裁判所部総括判事等を歴任し、退官後に法政大学法科大学院教授を務めた。 囲碁棋士・木谷實九段の次男。神奈川県平塚市に生まれる。女流棋士の小林禮子、アナウンサーの吉田智子は妹。 神奈川県立平塚江南高等学校を経て、東京大学法学部在学中に司法試験に合格し、1961年(昭和36年)に大学を卒業して司法研修所に入所。司法修習を経て、1963年(昭和38年)に判事補任官(東京地裁)。最高裁事務総局刑事局付、最高裁判所調査官、水戸家裁所長、水戸地裁所長などを経て、2000年(平成12年)5月に東京高裁部総括判事を最後に依願退官。
横澤 彪(よこざわ たけし、1937年12月15日 - 20… 横澤 彪(よこざわ たけし、1937年12月15日 - 2011年1月8日)は、日本の元テレビプロデューサー。通称「オジン」。フジテレビプロデューサーを経て、吉本興業東京本社代表、専務取締役東京本部本部長などを歴任。鎌倉女子大学児童学部教授を経て、晩年はフリーの立場で活動した。群馬県出身。実父は元朝日新聞千葉支局長の横澤陸郎。
高橋 睦郎(たかはし むつお、1937年12月15日 - )… 高橋 睦郎(たかはし むつお、1937年12月15日 - )は、日本の詩人・歌人・俳人。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。 福岡県八幡市(現北九州市)生まれ。貧しい母子家庭に育ち、新聞配達と奨学金で福岡県立門司東高等学校に学ぶ。高卒後は就職を希望していたが母子家庭ゆえに就職試験で落とされ、家庭教師のアルバイトをしつつ福岡教育大学教育学部国語科に学ぶ。大学卒業半年前に肺結核と診断され、生活保護を受けて結核療養所に入り、2年間の療養生活を送る。1961年に快癒して療養所を出たが、結核歴のために教員への道を閉ざされる。大学卒業後、1962年上京し、日本デザインセンターにアルバイトで雇われ、1966年にはサン・アドに移る。
石川 勝夫(いしかわ かつお、1937年(昭和12年)12月… 石川 勝夫(いしかわ かつお、1937年(昭和12年)12月14日 - )は、日本の政治家。元埼玉県蓮田市長(2期)。 埼玉県蓮田市出身。埼玉県立浦和商業高等学校卒業。1957年(昭和32年)、日本交通公社に勤務。1980年(昭和55年)、同公社代理店サントラベルを設立した。 政界入り後、蓮田市議会議員、同市議会議長を経て、1990年(平成2年)に蓮田市長に初当選。1994年(平成6年)に再選。1998年(平成10年)、元蓮田市食生活改善推進員協議会会長の樋口曉子に敗れ落選した。 市長退任後は、社会福祉法人清勝会の理事長に就任した。2002年(平成14年)の市長選でも樋口に敗れた。
程 一彦(てい〈本名:根本〉 かずひこ、1937年12月14… 程 一彦(てい〈本名:根本〉 かずひこ、1937年12月14日 - )は中華料理人・研究家(薬膳・台湾料理・香港料理系)。大阪府出身。「台湾料理・龍潭(リュータン)」オーナーシェフ。
早瀬 圭一(はやせ けいいち、1937年12月14日 - )… 早瀬 圭一(はやせ けいいち、1937年12月14日 - )は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家、毎日新聞社客員編集委員、東洋英和女学院大学名誉教授。 大阪府生まれ。同志社大学法学部卒業後、1961年毎日新聞入社。名古屋、大阪、東京各社会部を経て、『サンデー毎日』別冊編集長。石川達三『七人の敵が居た』も担当した。その後、編集局編集委員。1982年、『長い命のために』で第13回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。毎日新聞客員編集委員。1993年愛知みずほ大学教授、1998年龍谷大学社会学部教授、2001年東洋英和女学院大学教授、2008年同名誉教授、北陸学院大学副学長・教授、2012年退任。
関森 勝夫(せきもり かつお、1937年12月14日 - )… 関森 勝夫(せきもり かつお、1937年12月14日 - )は、日本の俳人、文学者(日本文学)。静岡県立大学名誉教授。 静岡女子大学文学部教授、静岡県立大学国際関係学部教授、静岡県立大学国際関係学部学部長、浜松学院大学短期大学部幼児教育科教授などを歴任した。 1937年、神奈川県横浜市にて生まれた。早稲田大学の大学院に進学し、文学研究科の日本文学専攻にて学んだ。1966年に早稲田大学の大学院を修了する。 大野林火に師事し、俳句の創作を続ける。また、俳句雑誌である『蜻蛉』の主宰を務めている。 俳句の創作だけでなく、俳句の研究や評論にも取り組んでおり、教育機関で教鞭も執った。1979年4月、静岡女子大学の文学部に着任した。
島 多慶志(しま たけし、1937年12月14日 - )は、… 島 多慶志(しま たけし、1937年12月14日 - )は、日本の政治家。元北海道名寄市長(4期)。 北海道上川郡名寄町(現・名寄市)出身。北海道名寄北高等学校卒。名寄市役所に入り、名寄市立総合病院管理課長、総務部長などを経て、助役となる。1996年、名寄市長桜庭康喜の衆議院議員総選挙出馬による辞職に伴う名寄市長選挙に立候補し、無投票で当選する。2000年の市長選挙でも無投票で再選。2004年の市長選挙でも無投票で三選した。2006年に名寄市は風連町と合併して新・名寄市が誕生する。新市施行による市長選挙に立候補し、新人候補を破って当選した。2010年に市長を退任した。
副島 忠雄(そえじま ただお、1937年12月13日 - )… 副島 忠雄(そえじま ただお、1937年12月13日 - )は、日本の経営者。東京証券社長を務めた。 長崎県出身。1960年に慶應義塾大学法学部政治学科を卒業し、同年4月に日興證券に入社。1983年12月に取締役、1986年9月に常務、1988年8月に専務を経て、1991年5月に副社長に就任し、1995年6月には東京証券社長に就任。2000年10月に会長に就任し、2002年4月には相談役に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
北山 克彦(きたやま かつひこ、1937年12月13日 - … 北山 克彦(きたやま かつひこ、1937年12月13日 - )は、日本のアメリカ文学者、翻訳家。立教大学名誉教授。 大阪府生まれ。東京外国語大学英米科卒、東京都立大学 (1949-2011)大学院修士課程修了、東京商船大学助教授、立教大学一般教育部助教授、観光学部教授、2003年定年、名誉教授。 現代アメリカ文学、特にレイ・ブラッドベリの翻訳で知られる。
小平 武(こだいら たけし、1937年12月13日 - 19… 小平 武(こだいら たけし、1937年12月13日 - 1992年3月23日)は、日本のロシア文学者、比較文学研究者、翻訳家。元北海道大学教授。 東京出身。東京外国語大学外国語学部ロシア語学科卒業、東京大学大学院比較文化研究科修士課程修了。北海道大学言語文化部ロシア語科を経て、北海道大学教授。 ロシア・ソヴィエトの詩と演劇を専門とし、ロシア文学関係の仕事としては、マヤコフスキーやチェーホフを論じたほか、アレクサンドル・ブローク、アンドレーエフの作品を翻訳・紹介し、比較文学関係では、夏目漱石、志賀直哉、宇野浩二に関する著作を発表した。 1975年に札幌のロシア研究者たちと共に、同人雑誌「えうゐ ロシアの文学・思想」を創刊し、創刊号から第二十号まで17年間編集を担当する。
飯田 晉一郎(はんだ しんいちろう、1937年12月13日 … 飯田 晉一郎(はんだ しんいちろう、1937年12月13日 - )は、日本の実業家。ウェルファイド代表取締役社長として、三菱東京製薬との企業合併を行い、三菱ウェルファーマ(現・田辺ファーマ)で初代代表取締役社長を務めた。
田邊 雅章(たなべ まさあき、1937年12月13日 - )… 田邊 雅章(たなべ まさあき、1937年12月13日 - )は、日本の映像作家。(株)ナック映像センター代表取締役。本名・俊彦(としひこ)。 広島市生まれで父は軍人。市内猿楽町(現・中区大手町)・産業奨励館(原爆ドーム)東隣の生家で育つ。山口県の母の実家に縁故疎開中の1945年、原爆投下により実家に残っていた父・母・弟を失う。自らも家族を捜すため入市し二次被爆した。 原爆投下から9日後の8月15日、終戦となったこの日に父親が死去(敗戦に伴う自害ではなく、原爆の影響による戦傷死)。軍人であった父親は自らが被爆したこともあり、米軍に対して拭いきれない憎しみを抱きながら軍刀を傍に置いたまま亡くなったという。
小松 敏郎(こまつ としろう、1937年12月11日- 20… 小松 敏郎(こまつ としろう、1937年12月11日- 2010年9月20日)は、日本の実業家。学習研究社(現・学研ホールディングス)代表取締役社長を務めた。 長野県諏訪郡下諏訪町出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1960年に東京教育大学(現・筑波大学)文学部を卒業し、同年に学習研究社(現・学研ホールディングス)に入社。1993年6月に取締役に就任し、1995年6月に常務を経て、1997年6月に代表取締役社長を務めた。2001年6月に相談役に就任。
松田 英三郎(まつだ ひでさぶろう、1937年12月11日 … 松田 英三郎(まつだ ひでさぶろう、1937年12月11日 - )は、日本の経営者。阪急百貨店社長を務めた。 兵庫県神戸市出身、在住。1956年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に阪急百貨店に入社。若いころは営業を担当した。 1985年6月に取締役に就任して以降も開発を担当しており、現場との接点が多く、「現場の声を聴いて組み立てる」のが持論だった。量販店が周囲に多い川西阪急ではアクセサリーなど身の回り品の充実、商圏が狭い宝塚阪急では商品の絞り込みで成功した。その後は常務、専務に就任。1992年(平成4年)ごろ、当時社長の福光尚次からの要請で、次期社長の修行も兼ね、東京店舗事業本部長に就任。赤字が続いた首都圏3店舗(東京大井店=大井阪急、有楽町阪急=阪急百貨店#阪急メンズ東京、数寄屋橋阪急=現在は閉店)の問題を担当した。
今本 博健(いまもと ひろたけ、1937年12月9日 - )… 今本 博健(いまもと ひろたけ、1937年12月9日 - )は、日本の河川工学者。水工技術研究所代表、京都大学名誉教授。専門は実験水理学・河川工学・防災工学。大阪市出身。
霜 禮次郎(しも れいじろう、1937年12月9日 - )は… 霜 禮次郎(しも れいじろう、1937年12月9日 - )は、日本の整形外科医師、射撃選手。