津端 ありさ(つばた ありさ、1993年6月9日 - )は、… 津端 ありさ(つばた ありさ、1993年6月9日 - )は、日本の女子プロボクサー、看護師である。埼玉県狭山市出身。ライフサポートクリニックに勤務。多寿満ボクシングジム所属。担当トレーナーは元日本ミドル級王者の大和田正春。 日本人の父とタヒチ人の母の間に生まれる。看護学校卒業後に看護師になり、西埼玉中央病院に勤務。 2018年よりダイエット目的でボクシングを始める。初の公式戦となる2019年の全日本女子選手権で優勝。 2020年3月にヨルダン・アンマンで開催された東京オリンピックアジア・オセアニア予選に出場するが、1回戦で敗退。新型コロナウイルス感染拡大の影響で東京オリンピックが1年延期。 2021年1月より、練習時間確保のために勤務先を勤務時間が比較的規則的なライフサポートクリニックに移る。
市東 さやか(しとう さやか、1992年 ‐ )は、日本の脚… 市東 さやか(しとう さやか、1992年 ‐ )は、日本の脚本家、看護師。兵庫県生まれ。鹿児島育ち。神戸市看護大学大学院修了。FILM所属。 神戸大学医学部保健学科卒業後、看護師として病院で勤務。 その後大学院に進学し、看護師や保健師のアルバイトをしながら看護研究に取り組む。 大学院生活の中で、良質なフィクションは人の心を癒す力を持っているという事実に胸を打たれ、脚本家を志す。 2021年より独学で脚本を書き始め、2022年に二度目の応募でフジテレビヤングシナリオ大賞の大賞を受賞。2023年に「真夏のシンデレラ』の脚本を担当。
前原 香那枝(まえはら かなえ、1989年10月12日 - … 前原 香那枝(まえはら かなえ、1989年10月12日 - )は、日本のプロボクサー、看護師である。宮崎県えびの市出身。三迫ボクシングジム所属(デビュー2戦はワタナベボクシングジム)。現女子日本ミニマム級王者。 大学病院の看護師として働き始めて3,4年たち、精神的に辛くなった時に姉の勧めで観た映画『百円の恋』がきっかけでボクシングを始める。 2018年8月20日、デビュー戦でダウンを奪って判定勝ち。 2022年9月1日、鵜川菜央に判定で敗れプロ3戦目で初黒星。 2025年1月21日、プロ9戦目で漣バルとの女子日本ミニマム級王座決定戦に臨むが、0-3判定で敗れ王座獲得ならず。 2025年7月27日、神戸市立中央体育館にて女子日本ミニマム級王座決定戦として1位の吉川梨優那と対戦、2回にダウンを奪ったが1-2判定で敗れる。
浅沼 智也(あさぬま ともや、1989年〈平成元年〉4月30… 浅沼 智也(あさぬま ともや、1989年〈平成元年〉4月30日 - )は、岡山県総社市出身の日本のトランスジェンダー活動家、看護師、映画監督。総社市男女共同参画推進委員メンバー。 性別不合(旧称は性同一性障害)当事者であることを公言しているFTM(Female To Male)。 映画「I AmHere〜私たちはともに生きている〜」東京ドキュメンタリー映画祭短編部門でグランプリ受賞、「チェンジマイノリティ」Shunyatam International Film Festivalショートフィルム部門受賞。日本で初となる東京トランスマーチを開催した。 1989年、岡山県総社市で長女として生まれる。
林 真由(はやし まゆ、1989年4月13日 - )は、日本… 林 真由(はやし まゆ、1989年4月13日 - )は、日本の看護師、保健師。ミス・ワールド・ジャパン2016ファイナリスト。 1989年4月13日、東京都に生まれる。 母がJICA、国境なき医師団、日本ユニセフ協会などの活動に関心を寄せており、その関係で幼少時よりボランティア活動に従事した。 2011年5月より東日本大震災の被災者支援を開始し、以後毎月のように気仙沼に通い、活動を続けている。 慶應義塾大学看護医療学部卒業。その後、大学病院で働くが、「6歳の被虐待児童に出会ったとき、その子のケアだけじゃなく、親や家族全体を見る必要があると強く感じた。そういう実体験を経て、家族全体で健やかに成長できるような社会を目指すべく、もっと勉強がしたい」との考えから、2015年4月に東京大学大学院医学系研究科健康科学・看護学専攻修士課程に入学した。
関根 りさ(せきね りさ、1989年3月24日 - )は、日… 関根 りさ(せきね りさ、1989年3月24日 - )は、日本の女性YouTuber、元看護師。本名は北濱 理紗(きたはま りさ)、旧姓は関根(せきね)。夫はYouTuberのジョージこと北濱丈司。 1989年3月24日、神奈川県相模原市に生まれる。16歳で絞扼性イレウスを患い入院した際に、入院担当の看護師がとても気さくで、「こういう人になれたらいいな」と思ったことをきっかけに、看護師を志すようになった。 都内の大学病院外科病棟で看護師として働き始めて2年目となる2012年2月、YouTubeチャンネルを開設。最初に投稿した動画は、自宅でティッシュ箱の上にiPhoneを置いて、コンビニスイーツを紹介したものだった。
谷山 佳菜子(たにやま かなこ、 1986年12月7日 - … 谷山 佳菜子(たにやま かなこ、 1986年12月7日 - )は、日本の元女子プロボクサー、元キックボクサー、空手家、看護師。熊本県合志市出身。熊本信愛女学院高等学校、熊本市医師会看護専門学校看護科卒業。事務所は武蔵と同じパウンドフォーパウンド。元極真空手世界王者。HOOST CUP初代女子バンタム級王者。第3代日本女子バンタム級王者。俳優の木庭博光は叔父。 高校1年当時の2002年、正道会館熊本支部(現・真正会熊本支部)でフルコンタクト空手を始める。 2008年、極真会館(松井章圭館長)主催の全日本女子空手道選手権大会 軽量級(55㎏級)で優勝。 2009年、2010年極真会館主催の世界女子空手道選手権大会 軽量級(55㎏級)で2連覇。
助川 理子(すけがわ みちこ、 (1986-09-25) 1… 助川 理子(すけがわ みちこ、 (1986-09-25) 1986年9月25日 - )は、日本の看護師・ROOM TO WORLD代表。日本とアフリカをつないだ参加型の講演会・交流会を主催する傍ら、近年はコロナ病棟看護師として将来看護師を目指す学生に向けて講演活動中。またNPO法人チャイルドドクター・ジャパンのメディカルスタッフとしてケニアの子ども達への医療支援活動にも従事。 東京医科大学看護専門学校卒業後、オーストラリア・Gold Coast Institute of TAFE修了。以降、自治医科大学附属病院、日本赤十字医療センター、大西脳神経外科病院にて、脳神経外科センター、救命救急センター、心臓血管外科・循環器内科、ICU等で勤務。
伊藤真波(いとう まなみ、1984年 - )は、日本の看護師… 伊藤真波(いとう まなみ、1984年 - )は、日本の看護師、水泳選手、ヴァイオリニスト。20歳の際に交通事故に遭遇したことにより片腕を失い隻腕となった。 水泳を子供の頃得意としていた。また7歳からはバイオリンを習い始めた。 看護学校の学生だった2004年に静岡県内で実習先の病院へバイクで向かう際、交通事故に遭った。その際に右腕が巻き込まれたことにより、右腕を切断した。 近畿義肢製作所へ看護師に適した義手の製作を依頼し、神戸百年記念病院に日本初の義手を用いた看護師として就職した(2016年に休職)。 義手を活用するためのリハビリとして2007年に水泳を再開し、2008年北京パラリンピックと2012年ロンドンパラリンピックに出場した。
青木 ひとみ(あおき ひとみ、1981年〈昭和56年〉5月1… 青木 ひとみ(あおき ひとみ、1981年〈昭和56年〉5月11日 - )は、日本の政治家、看護師。参政党所属の衆議院議員(1期)。 群馬県高崎市出身。高崎市立長野小学校、高崎市立長野郷中学校、高崎経済大学附属高校を卒業。その後、藤岡准看護学校、渋川看護専門学校を卒業後看護師として勤務。 2025年7月の第27回参議院議員通常選挙に参政党公認で群馬県選挙区から立候補し、自由民主党現職の清水真人に約3万票差まで迫ったが落選。 2026年2月の第51回衆議院議員総選挙に参政党公認で群馬県第4区から立候補し、選挙区では自由民主党前職の福田達夫に敗れたが、比例北関東ブロックで比例復活し初当選した。
友納 理緒(とものう りお、1980年〈昭和55年〉11月1… 友納 理緒(とものう りお、1980年〈昭和55年〉11月18日 - )は、日本の政治家、弁護士、看護師、保健師。自由民主党所属の参議院議員(1期)、環境大臣政務官兼内閣府大臣政務官。本名は土肥 理緒(どい りお)。日本看護連盟の組織内候補。 内閣府大臣政務官(第2次石破内閣)を歴任した。 東京都に生まれ神奈川県で育つ。姉はチェリストの友納真緒、叔父は第34代日本青年会議所関東地区協議会会長を務めた友納康二、大伯父は千葉県知事を務めた友納武人。 高校2年生の時、フィリピンのマザー・テレサの家でボランティアをしたことをきっかけに看護師を目指すようになり、雙葉高等学校卒業後、東京医科歯科大学に入学。
矢田 明子(やた あきこ、1980年4月25日 - )は、日… 矢田 明子(やた あきこ、1980年4月25日 - )は、日本の実業家、起業家、コミュニティナースファウンダー、看護師、保健師。株式会社株式会社CNC(旧Community Nurse Company株式会社)代表取締役、一般社団法人 Community Nurse Laboratory 代表理事。厚生労働省「重層的支援体制整備事業(参加支援事業)」調査事業 有識者委員。内閣官房「地方公共団体における多世代交流を通じて活性化するコミュニティづくりの具体化に向けた支援に関する調査研究事業」研究会委員。「デジタル化社会の中長期的展望に係る調査研究」外部有識者。島根県出雲市出身。1億総相互扶助社会の実現に向けて、コミュニティナーシングの社会実装を手がける。
園田 裕史(そのだ ひろし、1977年〈昭和52年〉2月18… 園田 裕史(そのだ ひろし、1977年〈昭和52年〉2月18日 - )は、日本の政治家、看護師。長崎県大村市長(3期)。元大村市議会議員(3期)。 長崎県大村市生まれ。大村市立竹松小学校、大村市立郡中学校、長崎県立大村工業高等学校電子工学科卒業。大村看護高等専修学校と福岡看護専門学校を卒業後、大村市立病院(現・市立大村市民病院)や大村共立病院に勤務。 2007年(平成19年)4月、大村市議会議員選挙に立候補し初当選。2011年(平成23年)、再選。 2014年(平成26年)10月5日執行の大村市長選挙に立候補するも落選。現職の松本崇が通算6期目の当選を果たした。 選挙の結果は以下のとおり。※当日有権者数:72,566人 最終投票率:62.62%(前回比:pts) 2015年(平成27年)4月、大村市議選に立候補し通算3期目の当選。
藤岡 陽子(ふじおか ようこ、1971年7月21日 - )は… 藤岡 陽子(ふじおか ようこ、1971年7月21日 - )は、日本の小説家、看護師。本名、中原陽子。2児の母。 京都府京都市に生まれる。同志社高等学校では赤神諒と同期。同志社大学文学部卒業。卒業後は文章を書く仕事がしたいと1994年に報知新聞社にスポーツ記者として勤務し、高校野球やゴルフを取材する。整理部を経て1997年9月、およそ3年半で退社する。 その後、タンザニア・ダルエスサラーム大学に留学し、スワヒリ語科で学ぶ。卒業はせず帰国し、1999年に大阪文学学校(夜間部)に通い、小説を書いては投稿する日々を続けるが落選が続く。2年連続で「オール読物新人賞」の最終候補に残るが、その後結婚し、出産したことで小説を書く余裕を無くしてしまう。
うてつ あきこ(1970年 - )は、日本の看護師、保健師。… うてつ あきこ(1970年 - )は、日本の看護師、保健師。本名は、宇鉄昭子。NPO法人の方の役職はこちらで表記。 山形県生まれ。日本女子大学卒。1995年より訪問看護に従事。2003年にNPO法人自立生活サポートセンター・もやいのボランティア・スタッフになり、2011年まで理事。「もやい」の事務局次長には「年越し派遣村」村長の湯浅誠がいた(2011年まで現職。2013年度まで理事)。また「NPO法人 訪問看護ステーションコスモス」にも所属し、東京の山谷地域で訪問看護師として週2回勤務していた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
石井 智恵(いしい ともえ、1967年〈昭和42年〉11月1… 石井 智恵(いしい ともえ、1967年〈昭和42年〉11月16日 - )は、日本の政治家、看護師。 衆議院議員(1期)、愛媛県議会議員(1期)を務めた。 愛媛県松山市出身。愛媛県立松山西高等学校、岡山県立短期大学看護科を経て、国立大阪病院付属視能訓練学院を卒業。 松山赤十字病院、愛媛大学医学部付属病院、松山市民病院、知的障害者福祉作業所、介護施設、介護予防支援サービス事業所(訪問入浴事業)に勤務し、愛媛県PTA連合会副会長、東温市立北吉井小学校PTA会長を務めた。 2004年、医療従事者のためのドメスティック・バイオレンス(DV)被害者支援シンポジウムを愛媛県で初めて開催。その後DV問題を考える会を立ち上げ、働く女性のサポートオフィスアイを創業。
木村 弥生(きむら やよい、1965年〈昭和40年〉8月11… 木村 弥生(きむら やよい、1965年〈昭和40年〉8月11日 - )は、日本の政治家、看護師。東京都江東区長(1期)、衆議院議員(2期)を歴任した。父は元衆議院議員の木村勉。妹は元江東区議会議員の高橋恵海。甥は東京都議会議員の高橋巧。 東京都江東区出身。第一亀戸幼稚園、江東区立第一亀戸小学校、東邦大学付属東邦中学校・高等学校を経て、1988年にフェリス女学院大学文学部国文学科を卒業後、学生時代の交際相手と結婚し、専業主婦になる。25歳の時に出産し、長男が高校入学後に離婚した。 1999年3月、東京15区の衆議院議員の柿澤弘治が都知事選に出馬するため辞職。同年4月11日に行われた同選挙区の補欠選挙に父親の木村勉が自民党公認で立候補し初当選した。
髙階 恵美子(たかがい えみこ、1963年〈昭和38年〉12… 髙階 恵美子(たかがい えみこ、1963年〈昭和38年〉12月21日 - )は、日本の政治家、看護師、保健師。自由民主党所属の衆議院議員(2期)。 厚生労働副大臣(第4次安倍第1次改造内閣)、厚生労働大臣政務官(第2次安倍内閣)、衆議院東日本大震災復興特別委員長、参議院文教科学委員長、参議院議員(2期)、自由民主党政務調査会副会長、同文部科学部会部会長、同党女性局長などを歴任。選挙活動では「たかがい恵美子」と広報している。 宮城県加美郡中新田町(現・加美町)出身。中新田町立中新田小学校、中新田町立中新田中学校、大崎市古川(旧・古川市)にある宮城県古川女子高等学校衛生看護科卒業。埼玉県立衛生短期大学(卒業後、看護師国家資格を取得)。
倉林 明子(くらばやし あきこ、1960年12月3日 - )… 倉林 明子(くらばやし あきこ、1960年12月3日 - )は、日本の政治家、看護師、労働運動家。 参議院議員(2期)、日本共産党中央委員会副委員長、党ジェンダー平等委員会責任者。京都府議会議員(1期)、 京都市会議員(5期)を歴任。 福島県耶麻郡西会津町の農家に生まれる。父は西会津町議会議員を務めた三瓶猛(1936 - 2009)。福島県立喜多方高等学校卒業。1979年4月、京都市立看護短期大学に入学。同年12月、日本共産党に入党。1982年3月、同短大卒業。右京病院(京都民医連中央病院の前身)に入る。看護師生活は11年に及ぶが、この間京都民主医療機関労働組合西支部書記長、京都医療労働組合連合会執行委員を務めるなど、労働運動にも深く携わった。
阿部 俊子(あべ としこ、1959年〈昭和34年〉5月19日… 阿部 俊子(あべ としこ、1959年〈昭和34年〉5月19日 - )は、日本の政治家、看護師。自由民主党所属の衆議院議員(8期)。 文部科学大臣(第31・32代)、文部科学副大臣(第2次岸田第2次改造内閣)、外務副大臣(第4次安倍第1次改造内閣)、農林水産副大臣(第2次安倍改造内閣・第3次安倍内閣)、外務大臣政務官(第2次安倍内閣)、衆議院外務委員長、自由民主党副幹事長、同国会対策委員会副委員長、日本看護協会副会長、東京医科歯科大学助教授などを歴任。衆議院議員としての名義は、あべ俊子。 宮城県石巻市出身、現住所は岡山県津山市伏見町。宮城学院中学校・高等学校、宮城学院女子短期大学卒業、栄養士として勤務しつつ准看護師学校在籍。
埜口 保男(のぐち やすお、1958年(昭和33年) - )… 埜口 保男(のぐち やすお、1958年(昭和33年) - )は、日本の自転車による冒険家であり、千葉県立病院に勤務する看護師である。放送大学修士修了。JACC所属。茨城県出身。千葉県在住。 幼少時代の病弱な体質を自転車に乗り続けることにより克服する。大学受験に失敗したのち看護系の専門学校を卒業。のちに看護師となる。専門学校時代の夏休みを利用して東北縦断、北海道を一周する。このことによりキャンプ生活を主体とした自転車旅行をベースにしていく。 その後、資金をためて世界一周旅行へと旅立つ。北アメリカ大陸・南アメリカ大陸をまわり、ユーラシア大陸、そして肝炎を患いながらもアフリカ大陸を走破。オーストラリア大陸を縦断した後に帰国。
山本 美恵(やまもと みえ、1958年 - )は、日本の看護… 山本 美恵(やまもと みえ、1958年 - )は、日本の看護師、ホスピス「きぼうのいえ」看護主任。
福井 トシ子(ふくい としこ、1956年4月2日 - )は、… 福井 トシ子(ふくい としこ、1956年4月2日 - )は、日本の保健師、助産師、看護師。元日本看護協会会長。 2017年6月、前任の日本看護協会長の坂本すがより、日本看護協会会長の役を受け継ぐ。会長の任にあっては「社会の期待に応えることが看護職の使命」「あらゆる場での看護の活動を」の理念をもち、日本看護協会の各事業遂行にあたる。
池田 一二三(いけだ ひふみ、女性、1953年(昭和28年)… 池田 一二三(いけだ ひふみ、女性、1953年(昭和28年)9月28日 - )は、日本の政治家、看護師。岡山県新見市長(1期)、新見市議会議員(3期)、哲西町議会議員(2期)。 1974年(昭和49年)3月、岡山県立倉敷中央高等学校専攻科卒業。同年、倉敷市立児島市民病院(現:倉敷市立市民病院)に看護師として勤務。1991年(平成3年)、哲西町社会福祉協議会に転職。1995年(平成7年)、退職。 1999年(平成11年)、哲西町議会議員に初当選。2003年(平成15年)、再選。2005年(平成17年)3月31日、哲西町は旧新見市、大佐町、神郷町、哲多町と対等合併を行い消滅。新しい新見市が誕生。これに伴って同年4月24日に行われた新見市議会議員選挙に立候補し当選。
藤井 律子(ふじい りつこ、1953年〈昭和28年〉8月7日… 藤井 律子(ふじい りつこ、1953年〈昭和28年〉8月7日 - )は、日本の政治家、看護師。山口県周南市長(2期)。元山口県議会議員(4期)、元日本会議山口副会長。 山口県徳山市(現・周南市)生まれ。旧姓は有吉。1972年(昭和47年)3月、山口県立徳山高等学校卒業。1975年(昭和50年)3月、広島大学医学部附属看護学校卒業。同年4月、広島大学原爆放射線医科学研究所臨床外科病棟の看護師となる。1979年(昭和54年)5月、藤井真と結婚。 2001年(平成13年)9月、山口県議会議員だった夫の藤井真が死去。その後継として2003年(平成15年)4月に行われた県議選に立候補し初当選した。県議時代は自由民主党山口県連の総務会長、副会長などを歴任した。
河端 恵美子(かわばた えみこ、1952年 - )は、日本の… 河端 恵美子(かわばた えみこ、1952年 - )は、日本の看護師、助産師、看護学者(母性領域・更年期看護・更年期医療・医療政策・セクシャリティ)。学位は博士(学術)(新潟大学・2006年)。静岡県立大学短期大学部看護学科教授。 広島赤十字病院附属看護専門学校を卒業したのち、東京都教職員互助会三楽病院附属助産婦学校を卒業した。 一時は百貨店にて販売員を務めたが、東京都教職員互助会三楽病院、東邦大学附属病院、東京都立病院にて、産科や女性専用外来の看護婦や助産婦として勤務した。 その後、明治大学法学部法律学科を卒業した。卒業後は、法政大学大学院社会科学研究科を修了し、修士(政治学)の修士号を取得した。
秋山 正子(あきやま まさこ、1950年 - )は、日本の訪… 秋山 正子(あきやま まさこ、1950年 - )は、日本の訪問看護師、有限会社ケアーズ・白十字訪問看護ステーション代表取締役所長、特定非営利活動法人白十字在宅ボランティアの会理事長、新宿区介護サービス事業者協議会副会長、東京女子医科大学非常勤講師。異名は「市ヶ谷のマザー・テレサ」。 1950年(昭和25年)秋田県秋田市土崎港で9人きょうだいの末っ子として生まれる。1969年(昭和44年)秋田県立秋田高等学校卒業。1973年(昭和48年)聖路加看護大学衛生看護学部卒業。看護師、助産師、保健師の資格を取得。大学卒業後は京都府の日本バプテスト病院で産婦人科病棟に勤務。 大阪大学医療技術短期大学部看護学科助手、日本バプテスト看護専門学校専任教員を経て、1992年(平成4年)8月、医療法人春峰会白十字訪問看護ステーションに勤務。
阿保 順子(あぼ じゅんこ、1949年 - )は、日本の看護… 阿保 順子(あぼ じゅんこ、1949年 - )は、日本の看護学者・看護師、北海道医療大学特任教授。専門は、精神科看護学。 青森県弘前市生まれ。1970年、日本赤十字中央女子短期大学(現・日本赤十字看護大学)卒業。卒業後は日本赤十字社中央病院などに看護師として勤務し、厚生病院附属高等看護学院講師。1979年慶應義塾大学通信教育部卒業。1981年弘前大学医療技術短期大学部非常勤講師。1992年弘前大学大学院人文科学研究科修士課程修了。 1993年北海道医療大学看護福祉学部助教授。その後、同看護福祉学部教授を経て、2010年に北海道医療大学退職。同名誉教授。長野県看護大学学長に就任。2011年より北海道医療大学大学院看護福祉学特任教授。
川越 博美(かわごえ ひろみ、1948年(昭和23年)4月1… 川越 博美(かわごえ ひろみ、1948年(昭和23年)4月10日 - )は日本の看護師、訪問看護師。訪問看護パリアン看護部長。NPO法人すみだ在宅ホスピス緩和ケア連絡会あこも代表。
齋藤 ゆみ(さいとう ゆみ、1948年 - )は、日本の看護… 齋藤 ゆみ(さいとう ゆみ、1948年 - )は、日本の看護学者・看護師。博士(医学)(自治医科大学)。獨協医科大学大学院看護学研究科特任教授、元京都大学大学院医学研究科教授。
田村 やよひ(たむら やよひ、1948年 - )は、日本の看… 田村 やよひ(たむら やよひ、1948年 - )は、日本の看護学者、保健師・看護師。博士(保健学)。静岡県出身。元国立国際医療センター国立看護大学校学校長、前日本赤十字九州国際看護大学学長。公益財団法人日本訪問看護財団理事長。日本看護科学学会理事長を歴任。2022年、瑞宝中綬章受章。 厚生省では、看護職員の需給見通しの策定、在宅看護や精神看護学を強化するための看護教育カリキュラムの改正に取り組んだ。性別によって異なっていた資格の名称を統一した保健師助産師看護師法の改正、新人看護師・助産師の臨床能力向上を図るための卒後研修の仕組みの検討を行った。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
奥宮 暁子(おくみや あきこ、1946年 - )は、日本の看… 奥宮 暁子(おくみや あきこ、1946年 - )は、日本の看護師、看護学者。学位は医学博士。札幌医科大学 名誉教授。専門はリハビリテーション看護学、老年健康看護学など。これまでに茨城県立医療大学教授、大阪大学教授、東京工科大学教授、帝京科学大学教授、北海道科学大学教授などを歴任した。 祖父は大日本帝国海軍中将の栗田健男、高祖父は東京帝国大学教授の栗田寛、おじは大日本帝国海軍中佐・空将の奥宮正武。 1969年に聖路加看護大学を卒業する。1973年に日本社会事業学校研究科を修了。その後、1973年から1982年にかけて国家公務員等共済組合連合会虎の門病院看護師、1982年から1986年にかけて埼玉県立衛生短期大学講師となり、1986年から1996年にかけて東京都立医療技術短期大学助教授、教授として勤める。
山下 香枝子 (やました かえこ 1944年 - )は、日本… 山下 香枝子 (やました かえこ 1944年 - )は、日本の看護師。看護学者。専門は臨床看護学(成人・老年期)、禁煙行動、排尿機能障害、医療事故予防。慶應義塾大学看護医療学部教授。2007年より、同部・学部長。また、慶應義塾大学ワークライフバランス研究センター・センター長兼任。2010年より、聖隷クリストファー大学看護学部看護学科教授、同学部学部長を経て16年より国際医療福祉大学成田看護学部教授・学部長 名古屋大学医学部附属病院、慶應義塾大学医学部の看護師を経て、1976年、慶應義塾大学医学部附属・厚生女子学院(現・慶應義塾大学看護医療学部の前身)の専任教員となった。その後、アメリカ・デューク大学への留学時の経験等から看護師養成における科学的教育の重要性を認識。
新道幸惠(しんどう さちえ、1942年 - )は、日本の看護… 新道幸惠(しんどう さちえ、1942年 - )は、日本の看護学者・看護師・助産師。山口県出身。なお、「新道幸恵」とも表記される。 1963年日本赤十字中央女子短期大学看護科卒。1964年日本赤十字社助産婦学校卒。1969年国立公衆衛生院専攻課程看護コース卒。1977年弘前大学医療技術短期大学部助教授。1983年聖路加国際大学大学院看護学研究科修士課程修了。東海大学医療技術短期大学助教授。1984年国立公衆衛生院主任研究官。1990年神戸大学医学部附属病院看護部長。1992年東邦大学にて「母性意識・行動等と乳幼児期における小児の発育発達との関連性」で医学博士取得。1993年神戸大学医学部教授。1999年青森県立保健大学学長。
外口 玉子(とぐち たまこ、1937年12月16日 - 20… 外口 玉子(とぐち たまこ、1937年12月16日 - 2022年3月12日)は、日本の政治家、保健師(保健学博士)、看護師。衆議院議員(1期)、社会福祉法人かがやき会理事長を務めた。 1960年、東京大学医学部衛生看護学科卒業後、同大学の助手を経て、1968年、国立武蔵野療養所看護婦長に就任。翌1969年に渡米し、ボストン大学に留学。精神疾患を抱えたベトナム帰還兵の看護などにあたったという。1971年に同大学大学院看護学部修士課程を修了。帰国後の1973年、東京都精神医学総合研究所医療研究室主任研究員。1985年、同研究所副参事研究員。1989年に退職。1986年、精神障害者の社会参加と地域での生活を支援する「地域ケアセンター」を有志で立ち上げ、1989年に社会福祉法人かがやき会を設立。
清水 嘉与子(しみず かよこ、1935年〈昭和10年〉11月… 清水 嘉与子(しみず かよこ、1935年〈昭和10年〉11月9日 - )は、日本の政治家、看護師。環境庁長官(第37・38代)、参議院議員(3期)などを歴任した。 東京都立北園高等学校、東京大学医学部衛生看護学科卒業。看護婦として、関東逓信病院看護部看護婦長、東京大学医学部教官、厚生省医務局看護課長などを務めた。 1989年の第15回参議院議員通常選挙に自民党公認、日本看護協会・日本看護連盟の推薦(石本茂の後継)を受けて参議院比例区から出馬し、初当選。連続当選3回。党内では清和会に所属。労働政務次官・参議院文教委員長などを経て、1999年小渕改造内閣に環境庁長官として初入閣。翌年発足した第1次森内閣でも再任された。
松木 光子(まつき みつこ、1934年 - )は、日本の看護… 松木 光子(まつき みつこ、1934年 - )は、日本の看護学者・看護師、日本赤十字北海道看護大学初代学長。専門は、看護学。愛媛県出身 松山赤十字看護専門学校卒業。1969年、佛教大学社会福祉学部卒業。1975年、神戸女学院大学大学院文学研究科社会学専攻修士課程修了。1975年、大阪大学医療技術短期大学部助教授。後に同教授。1991年、金沢大学にて「アセトニトリルの生体作用 : 他種のニトリル類との作用の比較」で医学博士受く 。1993年、大阪大学医学部保健学科教授。1997年、福井医科大学(現・福井大学)医学部看護学科教授。大阪大学名誉教授。1999年、日本赤十字北海道看護大学初代学長に就任。
樋口 康子(ひぐち やすこ、1932年(昭和7年)1月14日… 樋口 康子(ひぐち やすこ、1932年(昭和7年)1月14日 - 2023年(令和5年)6月11日)は日本の看護師、看護学者、教育者。日本赤十字看護大学名誉学長、日本看護科学学会名誉会員、看護教育学博士(コロンビア大学)。第40回(2005年)フローレンス・ナイチンゲール記章受章。 1932年1月14日、東京府に生まれる。3歳(1935年)のとき、官吏であった父親の転勤のため満州国・奉天市(現在の遼寧省・瀋陽市)に家族で移住する。13歳(1945年)で終戦を迎え、翌年日本に引き揚げるまでの1年間は当時のソビエト軍、中国共産党軍による日本人に対する壮絶な仕打ちを目の当たりにし、自身も何とか生きながらえたと語っている。
近藤 潤子(こんどう じゅんこ、1931年7月14日 - )… 近藤 潤子(こんどう じゅんこ、1931年7月14日 - )は、日本の助産師、看護師、保健師、看護学者。学位は看護学修士。天使大学大学院助産研究科特任教授、聖路加国際大学名誉教授、札幌医科大学名誉教授。 聖路加看護大学看護学部教授、札幌医科大学保健医療学部教授、札幌医科大学保健医療学部学部長(初代)。天使女子短期大学衛生看護学科教授、天使女子短期大学学長、天使大学学長(初代)、天使大学大学院助産研究科研究科長(初代)、学校法人天使学園理事長などを歴任した。 北海道虻田郡倶知安町出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
川島 みどり(川嶋 みどり、かわしま みどり、1931年5月… 川島 みどり(川嶋 みどり、かわしま みどり、1931年5月18日 - )は、日本の看護師、看護学者、日本赤十字看護大学名誉教授。 朝鮮京城生まれ。1951年日本赤十字女子専門学校(現日本赤十字看護大学)卒業、日本赤十字社中央病院小児病棟勤務、日本赤十字女子専門学校助手、日本赤十字女子短期大学助手、日本赤十字病院耳鼻科外来係長を経て、1971年退職。1975年健和会柳原病院勤務、みさと健和病院教育婦長。日本赤十字看護大学教授、2002年定年退任、名誉教授。健和会臨床看護学研究所所長、一般社団法人日本て・あーて(TE・ARTE)推進協会代表理事。 1965年東京看護学セミナー結成、世話人代表。日本看護研究学会評議員、日本生命倫理学会評議員、日本看護管理学会理事、日本コンチネンス協会理事。
山田 里津(やまだ りつ、1925年10月24日 - )は、… 山田 里津(やまだ りつ、1925年10月24日 - )は、日本の看護師、看護学者。 三重県出身。日赤甲種看護婦養成所(日本赤十字看護大学の前身)卒。二葉看護学院院長、三井記念病院高等看護学院長。日本看護学校協議会名誉会長。フローレンス・ナイチンゲール記章受章。
石本 茂(いしもと しげる、女性、1913年9月6日 - 2… 石本 茂(いしもと しげる、女性、1913年9月6日 - 2007年10月10日)は、日本の女性政治家、看護師。自由民主党参議院議員(4期)。日本赤十字社富山県支部赤十字病院救護看護婦養成所卒業。石川県小松市出身。 救護看護婦養成所卒業後、看護師となり、戦後は厚生省国立病院課看護係長、国立がんセンター初代総婦長などを経て、1965年の参議院議員選挙に全国区から無所属で立候補し初当選。5年後に自民党に入党。党内では福田赳夫→安倍晋太郎派に属し、1984年11月から1985年12月まで史上3人目の女性閣僚として第2次中曽根改造内閣の環境庁長官を務めた。 1986年4月の春の叙勲で勲七等から勲一等に叙され、瑞宝章を受章する。
林 塩(はやし しお、女性、1904年〈明治37年〉10月1… 林 塩(はやし しお、女性、1904年〈明治37年〉10月14日 - 1992年〈平成4年〉5月8日)は、昭和期の看護師、政治家。参議院議員(1期)、日本看護協会会長。 兵庫県神戸市奥平野で、弁護士の林松柏、千万(ちま)の第9子、五女として生まれる。1912(大正元年)9月に父が死去したため、兵庫中道通の中尾家の養女となるが、奥平野の山田家に預けられた後、1916年(大正5年)夏に淡路島洲本在住の母のもとに戻った。1919年(大正8年)3月、洲本尋常高等小学校を卒業し、地元の鐘淵紡績(のちカネボウ)の工場に事務員として就職した。 1922年(大正11年)4月、日本赤十字社大阪支部病院(現大阪赤十字病院)救護看護婦養成所(のち大阪赤十字看護専門学校)に入学(14回生)。
井上 なつゑ(いのうえ なつえ、1898年〈明治31年〉7月… 井上 なつゑ(いのうえ なつえ、1898年〈明治31年〉7月25日 - 1980年〈昭和55年〉11月13日)は、日本の看護師、政治家。位階は正五位。 参議院議員。看護師の地位向上に尽力した。 兵庫県加東郡福田村で、井上音松の娘として生まれる。1913年(大正2年)京都産婆学校で修業し産婆検定試験に合格。1917年(大正6年)日本赤十字社大阪支部病院(現大阪赤十字病院)救護看護婦養成所(現大阪赤十字看護専門学校)を卒業。1922年(大正11年)同病院看護婦長に就任。1924年(大正13年)応召して樺太陸軍病院で勤務した。女子英学塾(現津田塾大学)修了後、1928年(昭和3年)イギリスに留学し、1929年(昭和4年)ロンドン大学ベットフォード女子専門学校公衆衛生看護学科を卒業した。
平野 ミドリ(ひらの ミドリ、1898年 - 1983年)は… 平野 ミドリ(ひらの ミドリ、1898年 - 1983年)は、日本の看護師、公衆衛生看護学者。ボストンで公衆衛生看護学を学び、ミス・ヌノと共に聖路加国際病院公衆衛生部門を創設した。「日本の保健婦の母」と呼ばれる。「平野 みどり」とも。 父が英語学者の斎藤秀三郎と母・とらの三女として生まれる。平野真三の妻。兄はチェリストで指揮者の斎藤秀雄。父の影響で幼少期より、語学や音楽などに触れていた。 双葉女学校専攻科、聖心女子学院語学科卒業。ボストンへと留学をし、公衆衛生看護学を学び経験を積んだ。 1927年、聖路加国際病院社会事業部へ入職をした。 1931年には、ロックフェラー財団フェローとしてコロンビア大学看護科へと再び留学。
保良 せき(ほら せき、1893年5月15日 - 1980年… 保良 せき(ほら せき、1893年5月15日 - 1980年10月6日)は、日本の看護師、厚生官僚、幼稚園経営者である。日本の訪問看護、公衆衛生、保育事業の先駆者の1人である。 長野県飯田市出身。東京市の東京慈恵医院看護婦教育所卒業後、1921年に女性伝道師として渡米。アメリカ合衆国コロラド州の看護師資格を得る。コロラド病院看護学校、コロンビア大学などで学び、ニューヨーク市で公衆衛生看護やセツルメントの訪問看護に携わる。 1929年に帰国後は大阪市の「大阪朝日社会事業団」(朝日新聞社)の「公衆衛生訪問婦協会」で主任として働きつつ、1931年から1943年まで看護専門雑誌「看護婦」を発刊し続けた。
加藤 きん(かとう きん、1890年〈明治23年〉8月12日… 加藤 きん(かとう きん、1890年〈明治23年〉8月12日 - 1980年〈昭和55年〉1月12日)は、日本の看護師。 宮城県登米郡佐沼町(現・登米市)に生まれる。1911年(明治44年)に日本赤十字社宮城県支部救護看護婦養成所に入学。1914年(大正3年)に卒業して、日本赤十字社中央病院の看護師(当時は「看護婦」)となる。 第一次世界大戦中の1915年(大正4年)から1年間、遣仏救護班看護婦としてフランス赤十字社に派遣され、救護活動に従事し、その後はシベリア出兵の際にも傷病者の看護に当たった。 日中戦争中は、看護婦長として赤十字病院船に乗り込み、中国の上海・南京・九江などに合わせて10回派遣された。
小杉 イ子(こすぎ イね、1884年(明治17年)11月12… 小杉 イ子(こすぎ イね、1884年(明治17年)11月12日 - 1964年(昭和39年)1月6日)は、日本の看護師、助産師、政治家。参議院議員(1期)。 宮崎県、のちの都城市で小杉重二の娘として生まれる。1905年、大阪の梅花女学校を卒業。1913年、大阪の緒方病院に就職し会計課に配属され、のち同院産婆看護婦養成所監督を務めた。産婆看護婦試験に合格し、1917年、常盤看護婦会を立ち上げた。その後、大阪梅花女子専門学校評議員、神戸市技手補、市民神戸病院看護婦長・風紀取締、川西航空機補導課教育係寮母などを務めた。 戦後、1947年4月、第1回参議院議員通常選挙に全国区から出馬して当選(任期3年)し、その後、緑風会に所属して参議院議員を1期務め、女性の地位向上に尽力した。
等々力 いく(とどりき いく、1873年 - 1951年)は… 等々力 いく(とどりき いく、1873年 - 1951年)は、日本の看護師。長野県南安曇郡東穂高村(現安曇野市)生まれ。フローレンス・ナイチンゲール記章受章。
大関 和(おおぜき ちか、1858年5月23日〈安政5年4月… 大関 和(おおぜき ちか、1858年5月23日〈安政5年4月11日〉- 1932年〈昭和7年〉5月22日)は、日本の看護師である。 下野の黒羽藩の国家老であった大関増虎(弾右衛門)とその妻のテツの次女として生まれる。明治維新後、父は辞職し帰農を試みるがかなわず、一家あげて東京へ移り住み、そこで和は成長する。年頃を迎えると国元から縁談話が舞い込むようになり、1876年(明治9年)、和が19歳のとき、黒羽藩の次席家老であった渡辺家の次男、渡辺福之進(豊綱)と結婚し、やがて一男一女をもうけた。しかし、福之進と妾()の関係が清算されなかったことから離婚にいたって東京の実家へ戻る(上京は1881年〈明治14年〉のこと)。