小山田 了三(おやまだ りょうぞう、1932年12月31日 … 小山田 了三(おやまだ りょうぞう、1932年12月31日 - 2009年10月2日)は、日本の物性工学者、技術史学者。富士大学元学長。 岩手県盛岡市出身。小山田信茂の子孫。岩手県立盛岡第一高等学校を経て、1955年岩手大学教育学部卒、59年まで中学校教師、1961年東京理科大学卒、東京教育大学理学部をへて、1964年東京工業大学大学院修士課程修了、科学技術庁金属材料技術研究所研究員、71年同主任研究官、73年「溶融塩の基礎研究 二・三の基礎的性質とイオン間の相互作用について」で大阪大学工学博士。1974年長崎大学教育学部助教授、1978年教授、ニューマテリアル開発研究所・シンクタンク代表。1984年東京電機大学講師、1987年山梨学院大学商学部教授。
中西 治(なかにし おさむ、1932年(昭和7年)12月30… 中西 治(なかにし おさむ、1932年(昭和7年)12月30日 - 2020年4月12日)は、大阪市で生まれた歴史研究者。ソヴェト史、米ソ関係史、国際関係論等の研究を踏まえて宇宙学(Universal Studies)の創造をめざしていた。特定非営利活動法人地球宇宙平和研究所理事長、株式会社中西節子記念会代表取締役、中国の武漢大学客座教授、上海師範大学顧問教授、北京大学日本研究中心特約研究員であった。 2020年4月12日、横浜市の老人福祉施設にて死去したことが、同じく創価大学名誉教授の中野毅のTwitterにて告知された。同ツイートによれば、2019年に脳梗塞を患っていたという。87歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
奥田 碩(おくだ ひろし、1932年〈昭和7年〉12月29日… 奥田 碩(おくだ ひろし、1932年〈昭和7年〉12月29日 - )は、日本の経営者、トヨタ自動車元社長、同社元会長。 日本経営者団体連盟会長、日本経済団体連合会会長、内閣特別顧問、日本郵政取締役兼指名委員長兼報酬委員長、国際協力銀行総裁、トヨタ財団会長などを歴任した。勲等は旭日大綬章。 三重県津市出身。三重県立津中学校(現・三重県立津高等学校 疎開を機に転校)、松阪北高等学校(現・三重県立松阪工業高等学校)を経て、1955年に一橋大学商学部を卒業。奥田務(元J.フロント リテイリング会長兼CEO)は実弟。 幼少時は、祖父(奥田喜一郎)や父が三重県最大の証券会社・奥田証券を営んでおり裕福だった。
勝股 康行(かつまた やすゆき、1932年(昭和7年)12月… 勝股 康行(かつまた やすゆき、1932年(昭和7年)12月28日 - )は、日本の銀行家。元七十七銀行頭取・会長。2004年(平成16年)旭日中綬章受章。 千葉県八日市場市(現:匝瑳市)出身。 日銀勤務を経て、七十七銀入行。頭取、会長を歴任。2005年(平成17年)には、相談役に退いた。また、仙台経済同友会代表幹事も歴任した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
小沢 通宏(小澤 通宏、おざわ みちひろ、1932年12月2… 小沢 通宏(小澤 通宏、おざわ みちひろ、1932年12月25日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元サッカー日本代表、サッカー指導者。 1962年第2回日本年間最優秀選手賞(フットボーラー・オブ・ザ・イヤー)受賞のディフェンダー。2014年日本サッカー殿堂入り。 生まれは兵庫県。父親の仕事の関係で東京に移り住み、太平洋戦争中に宇都宮市へ疎開し、以降宇都宮に住む。幼少期には体は弱く、激しい運動は両親に止められていたほどだった。 栃木県立宇都宮高等学校入学とともに、親の反対を押し切ってサッカーを始める。FW岩淵功とともに活躍、高校1年から全国高等学校蹴球選手権大会(現全国高等学校サッカー選手権大会)に出場、高校2年時に準優勝、3年時に優勝を果たす。
江藤 淳(えとう じゅん、1932年〈昭和7年〉12月25日… 江藤 淳(えとう じゅん、1932年〈昭和7年〉12月25日 - 1999年〈平成11年〉7月21日)は、日本の文芸評論家。東京工業大学、慶應義塾大学教授を歴任。学位は、文学博士(慶應義塾大学)。日本芸術院会員。本名:江頭 淳夫(えがしら あつお)、身長160センチ。 学生時代に発表した『夏目漱石』(1956年)で注目され、『作家は行動する』(1959年)、『小林秀雄』(1960年)で文芸評論家としての地位を確立。『アメリカと私』(1965年)など文明批評も多い。 戦後日本の著名な文芸評論家で、小林秀雄没後は文芸批評の第一人者とも評された。20代の頃から長らく文芸時評を担当し、大きな影響力を持った。
尚 弘子(しょう ひろこ、1932年12月25日 - )は、… 尚 弘子(しょう ひろこ、1932年12月25日 - )は、日本の農学者。琉球大学名誉教授。1991年から1994年には日本では2番目の女性副知事として沖縄県副知事に就任していた。
木村 磐根(きむら いわね、1932年12月25日 - 20… 木村 磐根(きむら いわね、1932年12月25日 - 2019年12月3日)は、日本の宇宙物理学者・電気工学者。京都大学名誉教授・工学博士、大阪工業大学名誉教授。元スタンフォード大学電波科学研究所研究員。木村毅一の長男。瑞宝中綬章受章。 文部省宇宙科学研究所元運営協議員。NASDA宇宙空間利用研究委員会元委員。地球電磁気・地球惑星圏学会元会長。日本地球惑星科学連合 (JpGU) フェロー。応用科学研究所副理事長。 専門は、宇宙物理学、電波工学・通信工学。 主な受賞は、日本地球惑星科学連合 (JpGU) フェロー(同学会黎明期の多大な貢献および超高層物理学、特にプラズマ波動の伝搬特性研究に関して顕著な貢献)。
山本 正美(やまもと まさみ、1932年〈昭和7年〉12月2… 山本 正美(やまもと まさみ、1932年〈昭和7年〉12月25日 - 2003年〈平成15年〉4月12日)は、日本の作曲家。山本直純の妻。作曲家の山本純ノ介は長男、チェリストの山本祐ノ介は二男。東京藝術大学作曲科卒業。1981年、48歳にして長男の純ノ介と共に東京藝術大学大学院に入学し、話題となった。 岡本 正美(おかもと まさみ)名義で交響曲から歌曲・合唱曲まで幅広く手がけたが、その作風は、夫・直純の大衆に幅広く受け入れられるような作風とは違い、やや難解と見られがちな前衛風な響き、構成の作品が多い。上皇后美智子の詞に曲づけした「ねむの木の子守歌」が一般的によく知られている。 遠縁に吉永小百合がいる(山本正美の妹の夫の母が、吉永の母の従兄弟の妻と姉妹同士)という情報があるが、事実ではない。
日野 幹雄(ひの みきお、1932年 (昭和7年) 12月2… 日野 幹雄(ひの みきお、1932年 (昭和7年) 12月24日 - )は、日本の工学者。東京工業大学名誉教授。 専門は、流体力学・水理学・水工学・水文学・海岸工学・風工学・可視化情報学など。 水工学および流体力学の分野で広範な基礎研究を行い、水理工学・流体力学の新分野(Kalman filterの環境問題への応用、Ecohydraulics、植生水文学など)を拓いた。また、研究室からは多くの後継研究者・技術者が輩出した。流体力学・水理学(水工学基礎)に関する多くの著書および評論・解説を行った。また、環境(原子力安全、火力発電所環境審査)に関する政府委員会で長期に亘って貢献した。(注:本記事に記載された全ての事実は、当人が過去に作成された一次情報から抽出したものである。
河原 温(かわら おん、(1932年12月24日 - 201… 河原 温(かわら おん、(1932年12月24日 - 2014年6月27日)は、日本の美術家。コンセプチュアル・アートの第一人者として海外で高い評価を得ている。 公式なバイオグラフィーは「29,771 days」とだけ記載されている。 愛知県刈谷市の生まれ。生年は1933年1月2日とする説もある。愛知県立第八中学校(現・愛知県立刈谷高等学校)卒。 1950年代から芸術活動を始め、グロテスクな「浴室」シリーズ、「物置小屋の出来事」などの鉛筆素描の連作は現在でも高い評価を得ている。その後、「印刷絵画」の実験的な試みや、言語による作品を制作した時期、数年間のメキシコ滞在を経て、1965年頃からニューヨーク市を拠点として活動していた。
山口 清(やまぐち きよし、1932年〈昭和7年〉12月24… 山口 清(やまぐち きよし、1932年〈昭和7年〉12月24日 - 2015年〈平成27年〉2月5日)は日本の政治家。藤岡市議(2期)、群馬県議(5期)、第75代群馬県議会議長を歴任した。 1932年12月24日、群馬県多野郡美九里村(現・藤岡市)に生まれる。1951年、群馬県立藤岡高等学校(現・群馬県立藤岡中央高等学校)卒業。その後は家業の農林業に従事。 1967年、藤岡市議会議員選挙に立候補して初当選を果たし、2期務めた。市議会では、総務常任委員長、経済副委員長、藤岡市立図書館運営協議会長、多野藤岡広域市町村圏振興整備組合議会副議長、藤岡新町吉井鬼石環境衛生事務組合監査委員を歴任した。 1975年に群馬県議会議員選挙に立候補するも落選。
丸森 仲吾(まるもり ちゅうご、1932年〈昭和7年〉12月… 丸森 仲吾(まるもり ちゅうご、1932年〈昭和7年〉12月23日 - 2021年(令和3年)10月25日)は、日本の銀行家。七十七銀行頭取、仙台商工会議所会頭などを歴任した。 出生地は現在の登米市だが、実家は、姓の由来でもある宮城県丸森町の山林地主にあたる。 宮城県佐沼高等学校、東北大学時代は野球部で捕手として活躍。同大野球部でバッテリーを組んだ先輩が七十七銀行に入行しており、その紹介もあって就職を決める。 労働組合書記長や委員長を歴任したほか、人事部長に就任するまで14年間にわたり人事部に在籍。それ以降は、ほとんど営業一筋にキャリアを積んだ。 2001年(平成13年)頭取に昇格し、不良債権処理を進め、強固な経営基盤の確立や人材育成に力を入れた。
高井 良純(たかい よしずみ、1932年12月23日 - 2… 高井 良純(たかい よしずみ、1932年12月23日 - 2020年8月31日)は、日本のミュージカル作曲家、編曲家、演出家。大阪音楽大学卒業。元宝塚歌劇団作曲家(1992年まで在籍)。 関西のミュージカル劇団、日本ミュージカル研究会・劇団JMA 創立者・主宰、但馬ミュージカル研究会 創立者・芸術監督、市民ミュージカル劇団『希望』創立者代表・芸術監督を務める。宝塚歌劇団時代の主な作品に、虞美人、華麗なる千拍子、ワン・ボーイ、ガールス・オー!ガールス、ほか。劇団のモットーは、芸術+エンターテイメント=JMAミュージカル。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。
村山 徳五郎(むらやま とくごろう、1932年12月22日 … 村山 徳五郎(むらやま とくごろう、1932年12月22日 - 2013年12月30日)は、日本の公認会計士。 東京生まれ。1955年慶應義塾大学経済学部卒業。1961年公認会計士登録。1965年村山徳五郎事務所を開設、1968年監査法人中央会計事務所に改称、1994年中央新光監査法人理事長、中央監査法人理事長、2000年青山監査法人と合併して中央青山監査法人となり、相談役に退く。1985年より1989年の間、日本公認会計士協会会長を務めた。大蔵省企業会計審議会臨時委員などを歴任。2013年、死去。81歳没。
林信行(はやし のぶゆき、1932年12月21日 - )は日… 林信行(はやし のぶゆき、1932年12月21日 - )は日本の大蔵官僚。放送大学学園総務部長、島根医科大学事務局長、徳島大学事務局長などを務めた。 北海道出身。北海道釧路湖陵高等学校卒業。1958年9月 大蔵省入省(主計局司計課)。主計局総務課長補佐(歳入・国債)、主計局共済課共済調査官、主計局主計監査官などを経て、1985年5月 放送大学学園総務部長。1987年9月 島根医科大学事務局長。1990年4月1日 徳島大学事務局長。1993年3月31日 退職。
有泉 貞夫(ありいずみ さだお、1932年(昭和7年)12月… 有泉 貞夫(ありいずみ さだお、1932年(昭和7年)12月21日 - 2022年(令和4年)8月15日)は、日本の歴史学者、東京商船大学名誉教授。専門は日本近代政治史。 山梨県西八代郡市川大門町(現:市川三郷町)に生まれる。生家の市川有泉家は江戸後期に巨摩郡東南湖村出身(南アルプス市東南湖)の初代・久紀(市右衛門)を祖とする。酒造業を営み、父の直松は市川大門町長・政友会系の県議会議員。祖父は市川大門村初代村長で漢詩人の有泉米松(蘆堂)。兄の亨は県議会議員。 市川小学校、市川国民学校初等科を卒業し、1945年4月に山梨県立甲府中学校に入学する。戦時下には勤労動員され、陸軍飛行場(ロタコ)の工事にも従事する。
越山 康(こしやま やすし、1932年12月20日 - 20… 越山 康(こしやま やすし、1932年12月20日 - 2009年11月27日)は、東京都出身の日本の法律家、弁護士。 東京都生まれ。成城学園高等学校、東京大学法学部卒業。 司法修習生時代の1962年、参議院選挙でのいわゆる「一票の格差」をめぐる訴訟を全国で初めて提起し、最高裁判所大法廷まで争うも敗訴した。その後も弁護士活動を通じて20件以上の提訴を起こした。1972年と1983年の衆議院選挙について、最高裁判所で違憲判決を得ている。 羽織・袴と口髭を生やして出廷する姿が、彼のトレードマークであったという。 2009年11月27日、中咽頭ガンのため76歳で死去。
谷川 禎次郎(たにかわ ていじろう、1932年〈昭和7年〉1… 谷川 禎次郎(たにかわ ていじろう、1932年〈昭和7年〉12月20日 - 2025年5月13日)は、日本の元競泳選手。1952年ヘルシンキオリンピック男子800mフリーリレー銀メダリスト。大分県出身。メディアによっては谷川 禎治郎とも表記される。日本大学経済学部卒業。 1952年のヘルシンキオリンピック男子800mフリーリレーで鈴木弘、浜口喜博、後藤暢とともに銀メダルを獲得。 2025年5月13日、急性大動脈解離により死去。92歳没。
白石 悌三(しらいし ていぞう、1932年12月20日 - … 白石 悌三(しらいし ていぞう、1932年12月20日 - 1999年7月5日)は、近世文学研究者、福岡大学名誉教授。
柳澤 愼一(やなぎさわ しんいち、1932年〈昭和7年〉12… 柳澤 愼一(やなぎさわ しんいち、1932年〈昭和7年〉12月19日 - 2022年〈令和4年〉3月24日)は、東京府東京市(現:東京都)出身のジャズ歌手、俳優、声優、福祉活動家、ボードビリアン、作詞家である。エム・スリー所属。NPO法人日本アビリティーズ協会会長顧問。有料老人ホーム気まま館東大和名誉館長。 旧芸名は柳沢 真一、柳澤 真一。 江上トミから「在野の料理名人」と呼ばれた柳澤愛子の息子。戦時中、東京で空襲に遭って祖父母の住む新潟県長岡市に疎開するが、長岡でも空襲に遭って東京に戻る。東京都立豊多摩高等学校在学中、日本共産党の下部組織に参加するも、男女交際の乱れを嫌い、青山学院高等部に転校。
木元 教子(きもと のりこ、1932年12月19日 - )は… 木元 教子(きもと のりこ、1932年12月19日 - )は、日本のエネルギー政策の評論家、ジャーナリスト。旧姓、町田(まちだ)。 夫はTBSを経て、現在青森テレビ監査役、息子二人(内の一人は、お笑いサイエンスライターの植木不等式)。実母は、生活評論家の町田貞子。 北海道苫小牧市生まれ。中国(旧満州)で育つ。 4歳の時、父の仕事で旧満州の吉林省敦化に移住。終戦の1年前に、父が南方に出征したため、北朝鮮の羅津から新潟港へ最後の貨客船で帰国している。そのため同年代の中国残留日本人や、北朝鮮による日本人拉致問題に対しては深い思い入れがある。 東京都立豊島高等学校、立教大学文学部英文科、立教大学法学部卒業。
辻井 昭雄(つじい あきお、1932年(昭和7年)12月19… 辻井 昭雄(つじい あきお、1932年(昭和7年)12月19日 - 2024年6月4日)は、日本の実業家。近畿日本鉄道相談役(前会長、前々社長)。 大阪府出身。旧制大阪府立八尾中学校入学、戦後の学制改革時に大阪府立山本高等学校に転校し卒業。京都大学経済学部卒業後、1956年に近畿日本鉄道へ入社。1989年に取締役、1999年に社長に就任し、2003年より会長を務める。2007年6月の株主総会後の取締役会をもって、相談役に退いた。 近畿日本鉄道社長時代には、近鉄グループの再編に着手、経営悪化していた関連会社・施設の閉鎖や売却、解散などを行い、後任の山口昌紀の代まで引き続き、グループのスリム化を押し進め(社長を務めた4年間は赤字決算)後にプロ野球再編問題が起こり、大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブが合併してオリックス・バファローズを誕生させる遠因を作った。
青木 賢児(あおき けんじ、1932年12月19日 - 20… 青木 賢児(あおき けんじ、1932年12月19日 - 2023年8月1日)は、元日本放送協会 (NHK) 理事。 1957年(昭和32年)、NHKに入局。同局在籍時には、30年あまりにわたってドキュメンタリー番組のプロデューサーを務め、『現代の映像』『明治の群像』『NHK特集』などの制作に携わった。そして報道局次長、報道番組部長、放送総局長、NHK専務理事、1991年にはNHK交響楽団理事長を務めた。 NHKを退局後、1993年(平成5年)より宮崎県立芸術劇場館長を、2014年より名誉館長を務めた。1996年に宮崎国際音楽祭を初めて開催し、プロデューサー・徳永二男と共に総監督を2010年まで務めた。
鈴木 秀夫(すずき ひでお、1932年12月19日 - 20… 鈴木 秀夫(すずき ひでお、1932年12月19日 - 2011年2月11日)は、日本の地理学者。東京大学名誉教授。日本地理学会名誉会員。 気候学が専門であり、前線帯で気候を区分する考えを示した。特に氷河期以降の気候の変動についての研究をすすめた。研究対象は気候学にとどまらず、周氷河地形研究やアフリカ地誌研究、風土論、宗教学、言語学など幅広い分野で多くの業績を残した。気候などの自然環境とそれに関連した人間生活や文明の変化についても多くの論考を著し、地理学を基礎とした文明論を展開した。一般向けの著作も多い。
田口 周(たぐち いたる、 1932年12月18日 - 20… 田口 周(たぐち いたる、 1932年12月18日 - 2006年7月19日)は、日本のスポーツライター、高校野球指導者、プロ野球監督・球団経営者。東京都出身。 日本大学第三高等学校、日本大学卒業。共に野球部に所属し、一塁手、投手として活躍。右投右打。 1956年、日刊スポーツ野球記者となる。 1960年、母校の日本大学第三高等学校野球部監督に就任。1962年の選抜高等学校野球大会では準優勝に導く。 その後、日刊スポーツ野球記者に復帰後、1968年2月、高校野球での実績を買われ、プロ経験はないもののサンケイアトムズ(現・東京ヤクルトスワローズ)二軍監督に就任。1971年・1972年と2年連続でイースタン・リーグ優勝を果たした。
岡本 健(おかもと たけし、1932年〈昭和7年〉12月18… 岡本 健(おかもと たけし、1932年〈昭和7年〉12月18日 - )は、日本の裁判官。死者79人の天六ガス爆発事故で大阪市営地下鉄側に有罪判決を言い渡した裁判長。イクメンシングルファーザー判事として子育てを両立、大阪高裁の部総括判事(部長)を還暦で依願退官し板前に転身、裁判所の近くに居酒屋を開き話題となった。 1932年(昭和7年)大阪府大阪市北区天満生まれ。大阪府立清水谷高等学校、京都大学法学部を卒業。京大に在学中の1954年(昭和29年)司法試験に合格し1957年から大阪、神戸、札幌などの地方裁判所や高等裁判所で主に刑事事件を担当する。 1985年(昭和60年)大阪地裁の刑事部部総括判事の時、都市災害史上最大の惨事といわれる天六ガス爆発事故(死者79人・重軽傷者420人)の刑事裁判を担当。
小掛 照二(こがけ てるじ、1932年(昭和7年)12月18… 小掛 照二(こがけ てるじ、1932年(昭和7年)12月18日 - 2010年(平成22年)5月9日)は、広島県甲奴郡上下町(現・広島県府中市上下町)出身の元陸上選手。陸上競技指導者。元三段跳世界記録保持者。日本陸上競技連盟(日本陸連)副会長、名誉副会長。日本オリンピック委員会(JOC)元副会長。日本オリンピアンズ協会元副会長。 中国山地山間の町、上下町の農家の長男として生まれる。叔父、父も甲奴体協のリレーメンバーで、恵まれた体を生かし幼少期から跳躍の素養を発揮した。同郷の先輩・織田幹雄(アムステルダムオリンピック(1928年))、から南部忠平(ロサンゼルスオリンピック(1932年))、田島直人(ベルリンオリンピック(1936年))まで三大会連続で金メダルを獲り、当時は日本のお家芸だった三段跳を教師の勧めで始める。
野村 達朗(のむら たつろう、1932年12月18日 - 2… 野村 達朗(のむら たつろう、1932年12月18日 - 2020年12月14日)は、日本のアメリカ史学者、愛知県立大学名誉教授。 鹿児島県出身。1955年九州大学文学部西洋史学科卒、1960年同大学院文学研究科博士課程満期退学、1966年愛知県立大学文学部講師、助教授、教授を務める。1996年定年退官、名誉教授、愛知学院大学文学部教授となり、2003年定年。 アメリカ労働史研究の草分けで、アメリカ学会会長を務め、名古屋アメリカ研究会の設立者の一人だった。 2011年11月瑞宝中綬章受章。
吉川 文夫(よしかわ ふみお、1932年12月18日 - 2… 吉川 文夫(よしかわ ふみお、1932年12月18日 - 2007年8月11日)は、日本の鉄道研究家。 東京本郷の尚工舎(現・シチズン時計)の工場を運営する家に生まれる。祖父は元工場長の吉川政吉、父は元NHK芸能局長の吉川義雄。幼少時東京都世田谷区に住み、近所の井の頭線、小田急線、東急線などを見て育ち、東急は小学校の通学にも使った(都市名・社名・路線名は現在のもので表現)。1955年(昭和30年)3月日本大学第二工学部電気工学科卒業。 のちに神奈川県鎌倉市に家を構え、本業は池貝鉄工勤務、累進して溝の口工場長を最後に退職。その後、大和電業に勤務し、関東学院大学、神奈川大学(いずれも工学部)で非常勤講師も務めた。
安田 昭治(やすだ よしはる、1932年12月17日 - )… 安田 昭治(やすだ よしはる、1932年12月17日 - )は、日本の実業家。 1958年関東学院大学経済学部卒、同年日本信用販売(後の日本信販)入社。1986年東芝クレジット常務及び日本信販監査役就任。1991年東芝クレジット副社長就任。なお当時東芝クレジット株の40.1%は日本信販が持っていた。1992年日本信販系大手リース会社インターリース代表取締役社長就任。。1999年6月大友巌社長就任までインターリース代表取締役社長となった。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
小暮 得雄(こぐれ とくお、1932年12月17日 - 20… 小暮 得雄(こぐれ とくお、1932年12月17日 - 2009年11月15日)は、日本の法学者(刑法)。北海道大学名誉教授・平成国際大学名誉教授。法学博士(東京大学・論文博士・1961年)(学位論文「法益論の視角からみた違法性の本質」)。東京都生まれ。 激動の戦時中や、戦後を生き抜いた経験から、刑法学を志したとされる。また、東京大学在学中は団藤重光に師事している。 また、将棋はアマ5段の腕前で、東京大学在学中から学生大会で活躍、1956年には全日本アマチュア名人戦決勝戦まで進んだ。息子の小暮克洋もアマチュア将棋の強豪で、将棋観戦記者。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
佐野 美津男(さの みつお、1932年、昭和7年〉12月16… 佐野 美津男(さの みつお、1932年、昭和7年〉12月16日 - 1987年、昭和62年〉5月9日)は、日本の児童文学作家、評論家。本名は暠俊(あきとし)。 東京府東京市浅草区生れ。1945年(昭和20年)3月の東京大空襲で両親を失い、孤児となる。東京都立蔵前工業高等学校卒。大学中退。 古田足日ら児童文学研究誌の「小さな仲間」に参加。25歳から児童文学を中心とした文筆活動に入り、1970年「児童図書館」創刊に参加。 1977年相模女子短期大学教授に就任。相模女子大学短期大学部教授在職中に急死。
山本 直純(やまもと なおずみ、1932年12月16日 - … 山本 直純(やまもと なおずみ、1932年12月16日 - 2002年6月18日)は、日本の作曲家、編曲家、指揮者。東京都出身。 東京五反田の至誠病院に生まれ、中野区や大田区や豊島区などを転々として育つ。幼児期から父の山本直忠、山田和男(一雄)らによって徹底した早期音楽英才教育を施されたほか、自由学園で羽仁協子や久山恵子、林光、三善晃などと共に早期音楽教育を受ける。自由学園時代の学友の一人に渡辺岳夫がいる。指揮は高校時代から自由学園を借りて毎週日曜に開かれていた齋藤秀雄指揮教室で齋藤秀雄に師事。同時期の同門に、尾高忠明、飯守泰次郎、秋山和慶、小澤征爾、村方千之、久山恵子らがいる。小澤は後に、「自分は日本に留まって音楽の底辺を広げる。
高良 留美子(こうら るみこ、1932年12月16日 - 2… 高良 留美子(こうら るみこ、1932年12月16日 - 2021年12月12日)は、日本の詩人、評論家、女性史研究者。夫は作家の竹内泰宏。 高良武久、高良とみの二女として東京に生まれる。 自由学園初等部、日本女子大学附属高等学校を経て、東京藝術大学美術学部(転学)、慶應義塾大学法学部に学ぶ(中退)。 1963年、詩集『場所』でH氏賞受賞。1988年、詩集『仮面の声』により第6回現代詩人賞を受賞。 女性史研究にも力を注ぎ、1997年には、女性の文化向上に貢献した人に贈る「女性文化賞」を個人で創設した。 2000年、詩集『風の夜』で丸山豊記念現代詩賞を受賞。詩のみならず評論でも活躍、『高良留美子の思想世界』全6巻があり、岩見照代と「女性のみた近代」を編纂。
江 丙坤(こう へいこん、1932年〈昭和7年〉12月16日… 江 丙坤(こう へいこん、1932年〈昭和7年〉12月16日 - 2018年〈民国107年〉12月10日)は中華民国(台湾)の政治家、外交官。台湾の対中交渉窓口機関である財団法人 海峡交流基金会(海基会)董事長、中国国民党副主席、国際民主同盟(IDU)副議長、東京スター銀行取締役会長等を歴任。2015年に旭日重光章を受賞した。日本統治時代に使用していた名は江原 正雄。 1932年(昭和7年)12月16日、台中州南投郡(現在の南投県)の貧農の家に生まれる。台湾省立法商学院(現在の国立台北大学)地政学科を卒業し、1960年(民国49年)に中国国民党第一期中山奨学金を得て東京大学に留学、農業経済学博士号を取得した。
戸田 勝久(とだ かつひさ、1932年12月15日 - 20… 戸田 勝久(とだ かつひさ、1932年12月15日 - 2023年5月9日)は、日本の茶人、茶道研究家、創造学園大学名誉教授。茶名・宗安、裏千家今日庵業躰。 東京日本橋茅場町に即日庵戸田宗寛の長男として生まれる。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院文学研究科修士課程修了。創造学園大学教授、名誉教授。2008年『武野紹鷗研究』『武野紹鴎研究 茶と文芸』で東京大学学術博士。元茶の湯文化学会前副会長。第5回茶道文化学術賞受賞。 死後、一般社団法人茶道裏千家淡交会から特別功労賞を追贈された。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
尾身 幸次(おみ こうじ、1932年〈昭和7年〉12月14日… 尾身 幸次(おみ こうじ、1932年〈昭和7年〉12月14日 - 2022年〈令和4年〉4月14日)は、日本の政治家、通商産業・科学技術官僚。位階勲等は正三位旭日大綬章。 衆議院議員(8期)、経済企画庁長官(第54代)、沖縄及び北方対策担当大臣(第2代)、科学技術政策担当大臣(第2代)、財務大臣(第6代)、自由民主党群馬県連会長などを歴任。 群馬県沼田市に8人兄弟の長男として生まれる。家が困窮していたため、少年期は父親の商売を手伝い、しばしば行商にも出た。群馬県立沼田高等学校在学中も家業に従事し、就職コースで簿記等を学んだ。高校2年から進学コースに変更し、1952年に一橋大学商学部入学。奨学金とアルバイトにより、1956年に同大学を卒業し、通商産業省に入省する。
福田 香史(ふくだ こうし、1932年(昭和7年)12月14… 福田 香史(ふくだ こうし、1932年(昭和7年)12月14日 - 1980年(昭和55年)3月18日)は、三重交通株式会社の元社員。三重交通四日市営業所所属の職員だった。革新系(日本社会党所属)の三重県の地方議員。四日市市議会議員を3期務める。四日市市開発公社の理事。四日市市の塩浜地区社会福祉協議会の副会長。塩浜中学校区の子供育成会会長。塩浜地区子供育成連合会の会長。埼玉県川越市出身。住所は四日市市大字塩浜。四日市市磯津地区在住。
児玉 実英(こだま さねひで、児玉 實英、1932年12月1… 児玉 実英(こだま さねひで、児玉 實英、1932年12月14日 - )は、日本のアメリカ文学・比較文学者。同志社女子大学名誉教授。 京都府に、同志社大学名誉教授・児玉実用の長男として生まれる。1955年に同志社大学英文科卒、1956年に同大学院中退。同年、フルブライト奨学金を得てアメリカ合衆国のアマースト大学に留学。1958年同英文科卒業。1959年ワシントン州立大学修士課程修了。1960年に同志社女子大学助手、1961年に同大学専任講師、1964年に同大学助教授、1970年に同大学教授。1984年、「アメリカ詩と日本文化」により同志社大文学博士。93年から同志社女子大学長を務めた後、2001年に広島女学院大学教授。
仲代 達矢(なかだい たつや、英︰Tatsuya Nakad… 仲代 達矢(なかだい たつや、英︰Tatsuya Nakadai、本名︰仲代 元久(なかだい もとひさ、Motohisa Nakadai)、1932年〈昭和7年〉12月13日 - 2025年〈令和7年〉11月8日)は、日本の俳優、演出家、歌手、ナレーター、声優。位階は従三位、文化勲章受章者。劇団俳優座出身。無名塾主宰。仕事所属。東京都目黒区出身。愛称︰モヤ。 劇団俳優座出身で演劇・映画・テレビドラマで活動を続け、映画全盛期から斜陽時代以降までの映画界を支えてきた代表的俳優である。 東京府東京市目黒区(現:東京都目黒区)生まれ。4兄弟の長男。父親は茨城県稲敷郡長竿村(現:河内町長竿)の豪農の長男で、茨城県立江戸崎農学校を卒業しており、千葉交通(現:京成バス)のバス運転手をしていた。
小林 信彦(こばやし のぶひこ、1932年12月12日 - … 小林 信彦(こばやし のぶひこ、1932年12月12日 - )は、日本の小説家、評論家、コラムニスト。中原 弓彦(なかはら ゆみひこ)の筆名も用いた。早稲田大学第一文学部英文学科卒業。血液型B型。 風間賢二は小林をさして「我が国における元祖おたく作家」と評した。 東京市日本橋区米沢町2-5(のちの東京市日本橋区両国18-5、現在の東京都中央区東日本橋2-18-5)に生まれる。江戸時代から9代続いた老舗和菓子屋「立花屋」の長男であった。 代々婿養子が跡を継ぐ家風であったが、やり手であった祖父は自分の息子に跡を継がせようと考えていた。だが、その「長男」(小林の父)は自動車の運転・修理が趣味であるようなモダンな趣味人であり、商人としては無能で後に小林の一家が没落する原因となった。
秦 郁彦(はた いくひこ、1932年(昭和7年)12月12日… 秦 郁彦(はた いくひこ、1932年(昭和7年)12月12日 - )は、日本の歴史家、元大蔵官僚。自身の専門は日本近現代史、軍事史とする。拓殖大学教授、千葉大学教授、日本大学法学部教授を歴任。学位は、法学博士(東京大学・1974年)。 山口県防府市生まれ。父は広島県広島市の出身で、小学生までは郁彦の本籍地も広島の爆心地にあった。このため自身は広島出身でもあると述べている。父は鉄道省の技術官吏で、九州の宮崎県、出水(鹿児島県)、若松(福岡県北九州市)の順で機関区長をしたため、小学校を5回転校。太平洋戦争中に広島市に引っ越し、原爆投下の一年前に母の実家がある山口県防府市に移った。父は戦時中に陸軍司政官としてフィリピン北部のカガヤン州における鉄道建設に従事して終戦の1か月前に戦死した。
永井 充(ながい みつる、1932年12月12日- )は、… 永井 充(ながい みつる、1932年12月12日- )は、プロ野球球団大阪近鉄バファローズ元球団社長である。 大阪府茨木市出身。1955年に関西学院大学経済学部を卒業した後に近畿日本鉄道に入社した。防長交通への出向を経て、1982年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1996年6月から2003年6月までに副社長を務めた。 会計部長、経理部長などを経て、2001年から球団社長に就任した。 ファン開拓のために、夏休みの時に子供の入場料を無料にしたり、選手の人形をプレゼントする企画を建てたり、大阪府内の小学校に野球道具を贈ったりした。球団名の命名権売却を提案したことにより、波紋を起こした。 2004年2月をもって、球団社長を退任した。
梅谷 陽二(うめたに ようじ、1932年(昭和7年)12月1… 梅谷 陽二(うめたに ようじ、1932年(昭和7年)12月12日 - 2024年4月)は、制御工学・バイオメカニクス・ロボット工学を専門とする日本の研究者。東京工業大学名誉教授、工学博士(東京工業大学、論文博士)。プラントの制御やバイオメカニクスとそのロボット応用、宇宙ロボットなどの研究に従事。1991年 エンゲルバーガー賞 受賞、2015年、瑞宝中綬章受章。 東京大学生産技術研究所講師、東京工業大学助教授、教授、豊田工業大学教授、日本ロボット学会会長、バイオメカニズム学会会長を歴任。大学を退職後も、有限会社知能システム研究所を設立し、代表としてコンサルティングや文筆業に従事していた。この間、ロボットによる「からくり能」を提唱し、創作台本『友月』を著している。
奈良 毅(なら つよし、1932年〈昭和7年〉12月11日 … 奈良 毅(なら つよし、1932年〈昭和7年〉12月11日 - 2014年〈平成26年〉1月20日 )は、日本のベンガル語学・文学研究者。東京外国語大学名誉教授。公益財団法人日印協会顧問 1932年(昭和7年)12月11日、秋田県秋田市生まれ。秋田大学学芸学部国文科卒。1958年、東京大学大学院言語学専攻修士課程修了。カルカッタ大学比較言語学博士課程修了。PH.D。 1964年東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所助教授、のち教授。1995年(平成7年)定年退官、名誉教授、清泉女子大学教授。2003年定年。 田中嫺玉とベンガル語による短縮版『マハーバーラタ』を共訳、1974年にマヘーンドラナート・グプターがまとめたラーマクリシュナの言行録『不滅の言葉』を共訳し抄訳として出版、これにより日本翻訳文化賞を受賞した。
水谷 修(みずたに おさむ、1932年12月11日 - 20… 水谷 修(みずたに おさむ、1932年12月11日 - 2014年12月20日)は、日本の言語学者。日本語学者。元国立国語研究所長。名古屋外国語大学学長。 愛知県名古屋市出身。日本語学、日本語教育の分野で、日本語教育学会会長、日本言語政策学会会長等の要職を務めた。また、国際交流基金日本語教育懇談会委員等の役職を通じて、日本語能力試験の創設等、日本語教育の国際的普及と適正化に努め、2001年外務大臣表彰受賞。2004年4月瑞宝中綬章受章。妻は日本語教育の水谷信子。 2014年12月20日、老衰により死去。82歳没。
宮崎 一夫(みやざき かずお、1932年12月10日 - 2… 宮崎 一夫(みやざき かずお、1932年12月10日 - 2016年3月24日)は、神奈川県逗子市出身のプロ野球選手(投手)・監督。 逗子開成高卒業後はコロムビアを経て、1952年に毎日オリオンズへ入団。 毎日ではオーバースローから投げるカーブ・シュートを武器とし、4年間で21勝をマーク。先発・リリーフ両面で活躍した一方で別当薫監督とは反りが合わず、エースの荒巻淳を優遇する投手起用方針に対して意見するなど言い争うことがあったため、1955年も4勝1敗・防御率2.19と好成績を挙げながら、シーズンオフに解雇通告を受ける。 毎日球団からは大洋への移籍を勧められるが、宮崎はパ・リーグに残って毎日を倒したい気持ちから断り、解雇通知を受けた有楽町の毎日球団事務所からその足で銀座の高橋ユニオンズ球団事務所に行き、すぐに入団交渉を行い、そのまま仮契約を結んだ 1956年3月25日の毎日戦に志願先発するが、3回3失点と打ち込まれて敗戦投手になる。
青木 栄一(あおき えいいち、1932年12月10日 - 2… 青木 栄一(あおき えいいち、1932年12月10日 - 2020年5月4日)は、日本の地理学者。理学博士。歴史地理学会会長(2002年 - 2005年)。専門は文化地理学、交通地理学、地図情報論、交通情報論、産業考古学。研究テーマは地域社会を通じての鉄道の歴史地理学、シーパワーの政治地理学、及び海事史。東京学芸大学名誉教授。 鉄道ファンとして知られる。またそれを個人的趣味にとどめることなく、主にアマチュアである鉄道ファンによって支えられてきた鉄道分野の研究を、文化地理学の一環として認知・昇華させるべく活動している。 東京市品川区生まれ。父がサラリーマンだった関係で、小学校時代に東京市から中津川、苫小牧と二度転校。
関口 欣也(せきぐち きんや、1932年(昭和7年)12月1… 関口 欣也(せきぐち きんや、1932年(昭和7年)12月10日 - 2020年(令和2年)5月24日)は、日本の建築史家。横浜国立大学名誉教授。中世禅宗寺院の建築に造詣が深い。