スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
纐纈 あや(はなぶさ あや、1974年 - )は、日本の映画… 纐纈 あや(はなぶさ あや、1974年 - )は、日本の映画監督。代表作はドキュメンタリー映画『ある精肉店のはなし』。 東京都出身。自由学園最高学部卒業。卒業後は半導体の商社にOLとして就職したが、給料をもらってプライベートを充実させるという働き方に疑問を持ち、3年勤めて退職した。これしかないと全力を注げるライフワーク、納得できる仕事を探していろいろな経験をした。2001年、本橋成一が主宰し、写真撮影、映画製作などを行うポレポレタイムス社に入社した。本橋が監督した映画「アレクセイと泉」(2002)、「ナミイと唄えば」(2006)の製作にかかわった。 2010年に初めて監督をしたドキュメンタリー映画「祝の島」(ほうりのしま)がシチリア環境映画祭(2012 SiciliAmbiente Film Festival)のドキュメンタリー部門で最優秀賞を受賞した。
蜷川 実花(にながわ みか、1972年10月18日 - )は… 蜷川 実花(にながわ みか、1972年10月18日 - )は、日本の女性写真家、映画監督。 クリエイティブ・ディレクターとしても活動し、美術、芸術、写真、映像、デザインなどのアートディレクションやインスタレーションを手掛ける。小山登美夫ギャラリーに所属し、芸能事務所はエイベックス・マネジメント・エージェンシーと提携している。 演出家・映画監督の蜷川幸雄と元女優でキルト作家の真山知子(蜷川宏子)夫妻の間に第一子として出生、妹が一人いるが一般人のため公表されていない。従姉は女優の蜷川有紀、蜷川みほ。曾祖父は俳優の谷崎十郎。 桐朋女子高等学校、多摩美術大学美術学部グラフィックデザイン学科卒業、芸術学士号を授かる。
伊藤 毅(いとう つよし、1966年2月3日 - )は、日本… 伊藤 毅(いとう つよし、1966年2月3日 - )は、日本のベーシスト、作曲家・音楽プロデューサー。現在は主にテレビ番組、CM、劇伴など映像関係の音楽を担当している。 他、CM、ゲーム音楽など
宮田 和弥(みやた かずや、1966年2月1日 - )は、日… 宮田 和弥(みやた かずや、1966年2月1日 - )は、日本のミュージシャン、ヴォーカリスト。東京都出身。 東京都世田谷区生まれ。自由学園高等部卒業。血液型はB型。 1988年、JUN SKY WALKER(S)のヴォーカリストとしてメジャーデビュー、23歳の時に武道館でライブを行う。1997年にJUN SKY WALKER(S)は解散。その後ソロ活動を経て、ジェット機のボーカリスト・宮田JETとして2009年7月の解散まで活動した。 2007年からは、2008年にデビュー20周年を迎えるJUN SKY WALKER(S)を復活させた。ジュンスカと並行してインディペンデントな活動のひとつとしてアコースティック1人弾き語り”SLOW CAMP”を全国各地で開催。
小林 雅之(こばやし まさゆき、1965年5月13日 - )… 小林 雅之(こばやし まさゆき、1965年5月13日 - )は、日本のドラマー、ミュージシャン。東京都東久留米市出身。血液型はB型。
森 純太(もり じゅんた、1965年3月10日 - )は、大… 森 純太(もり じゅんた、1965年3月10日 - )は、大分県別府市出身の音楽家、ギタリスト、ソングライター、音楽プロデューサー、DJ。 1980年、JUN SKY WALKER(S)を結成。 1988年5月、トイズファクトリーよりJUN SKY WALKER(S) 1stアルバム『全部このままで』でメジャー・デビュー。 1997年6月、JUN SKY WALKER(S)を解散。解散後、自主レーベル『BEPPU SPRING RECORDS』を立ち上げ、ソロ活動を開始。 1999年、大槻真希のプロデュースを担当。 2000年3月、初のソロアルバム『WHAT'S UP?』をリリース。 2001年、Sepaのプロデュースを担当。
秋田 浩之(あきた ひろゆき、1965年 - )は、日本のジ… 秋田 浩之(あきた ひろゆき、1965年 - )は、日本のジャーナリスト。日本経済新聞論説委員兼編集委員。ボーン・上田記念国際記者賞受賞。 自由学園最高学部卒業。1987年日本経済新聞社入社。1992年ボストン大学大学院国際関係論専攻修了。2006年ハーバード大学日米関係プログラム研究員。日本経済新聞社政治部次長兼編集委員等を経て、2009年から編集委員兼政治部論説委員を務め。米中関係や北朝鮮核問題の分析や論評などを行い、2018年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。
羽仁 知治(はに ともはる、1961年4月10日 - )は、… 羽仁 知治(はに ともはる、1961年4月10日 - )は、日本のジャズピアニスト、作曲家。東京都東久留米市出身。 自由学園高等科卒業後プロの音楽家として活動を開始する。作曲、編曲、ピアニスト、キーボーディスト、音楽プロデューサーとして活動。上田正樹、加藤登紀子、田中健、つのだ☆ひろなど幅広いジャンルの音楽家とコンサート、レコーディングにおける演奏、テレビ、ラジオの音楽番組出演など多数経験している。 2005年1月22日にはアメリカ合衆国の建築家フランク・ロイド・ライトが設計し国の重要文化財に指定された自由学園明日館で今回3回目となる「羽仁知治オリジナルバンド」によるコンサートを行い、これを機にジャズのテイストがありながら「Funky & Melodious」サウンドのオリジナル曲をメインとした「羽仁知治トリオ」で活動を開始する。
山本 ふみこ(やまもと ふみこ、本名・山本 富美子、1958… 山本 ふみこ(やまもと ふみこ、本名・山本 富美子、1958年11月26日 - )は、日本の随筆家。北海道小樽市出身。自由学園最高学部卒。出版社勤務をへて文筆家。武蔵野市教育委員会委員。
神沢礼江(かんざわ のりえ、1958年 - )は、東京都品川… 神沢礼江(かんざわ のりえ、1958年 - )は、東京都品川区出身の作詞家、小説家、イラストレーター。自由学園、セツ・モードセミナー卒業。 自宅に犬と猫を1匹ずつ飼う愛犬家かつ愛猫家でもある。
新海 百合子(しんかい ゆりこ、1950年12月3日 - )… 新海 百合子(しんかい ゆりこ、1950年12月3日 - )は、日本の女優。本名、青井 百合子(あおい ゆりこ)。 東京都出身。自由学園卒業。MC企画を経て、舞プロモーション所属。東京演劇アンサンブル出身。 関西に移住後、テレビドラマの脇役などで活躍する。 フランス人女性から相談されたことがきっかけで、在日外国人が日本語劇に取り組む多国籍ボランティア演劇集団・不安透夢を結成、以来製作・演出を担当。関西を中心に活動し、1993年初の東京公演を計画、『四谷KAIDAN』を上演する。 特技は、ピアノ、ギター、フランス語、英語、スクーバダイビング。趣味は茶道、陶芸、料理、旅行。
山本 明(やまもと あきら、1949年9月18日 - )は、… 山本 明(やまもと あきら、1949年9月18日 - )は、日本の物理学者。高エネルギー加速器研究機構名誉教授、超伝導低温工学センター長。
本橋 成一(もとはし せいいち、1940年4月3日 - 20… 本橋 成一(もとはし せいいち、1940年4月3日 - 2025年12月20日)は、日本の写真家、映画監督。東京都中野区生まれ。平和・協同ジャーナリスト基金の代表委員。 1960年代から写真家としての本格的な活動を始め、現在に至るまで炭鉱や魚河岸、上野駅、サーカス、屠場など市井の人々をテーマにした作品を数多く残している。 また1998年、チェルノブイリ原子力発電所事故の被災地で暮らす人々を撮影した『ナージャの村』を初監督、映画監督としてのキャリアをスタートさせる。 以降2002年『アレクセイと泉』、2006年『ナミイと唄えば』、2009年『バオバブの記憶』、2015年『アラヤシキの住人たち』と計5本の作品を監督。
三木 晴雄(みき はるお、1939年7月15日 - 202… 三木 晴雄(みき はるお、1939年7月15日 - 2023年12月11日)は、日本の実業家。 玉の肌石鹸、ミヨシ石鹸各社の代表取締役会長である。
野依 良治(、1938年9月3日 - )は、日本の化学者(有… 野依 良治(、1938年9月3日 - )は、日本の化学者(有機化学)。学位は工学博士(京都大学・1967年)。国立研究開発法人科学技術振興機構研究開発戦略センター長、名古屋大学特別教授、名城大学客員教授、高砂香料工業株式会社取締役。日本学士院院長。2001年に「キラル触媒による不斉反応の研究」が評価されノーベル化学賞を受賞した。 名古屋大学大学院理学研究科研究科長、理学部長、物質科学国際研究センター長、独立行政法人理化学研究所理事長などを歴任した。 1938年9月、兵庫県武庫郡精道村(当時)に野依金城・鈴子の長男として生まれた。1945年に終戦を迎え、疎開先から神戸市に戻り、兵庫師範学校男子部附属小学校(神戸大学附属住吉小学校の前身)に学んだ。
應 蘭芳(おう らんふぁん、1938年(昭和13年)3月9日… 應 蘭芳(おう らんふぁん、1938年(昭和13年)3月9日 - )は、日本の女優、歌手。旧芸名は応 蘭芳。本名は応 仲奇。日本名は三瀬 滋子(さんのせ しげこ)だったが、1981年に結婚し近藤 滋子になった。身長160cm、B90cm、W60cm、H90cm(1969年1月時点)。第一協団( - 1968年)、伴プロダクション(1969年 - ) を経て、現在はファミリーアーツに所属。 イギリス・イングランド・ロンドン生まれ。父親は英国籍の中国人で、母親は日本人。アンジェラ浅丘はいとこ(応の母がアンジェラの父の妹)。 生後すぐに満州国に移住し、満州国籍となる。11歳の時に母親と二人で舞鶴へと引き揚げた。
水木 楊(みずき よう、1937年10月30日 - 2021… 水木 楊(みずき よう、1937年10月30日 - 2021年8月29日)は、日本の作家。本名は市岡 揚一郎(いちおか よういちろう)。 中華人民共和国上海生まれ。終戦後兵庫県に在住、自由学園最高学部を卒業した。日本経済新聞社に入社、記者として活動し、ワシントン支局長、総編集次長、取締役等を歴任し、退社。作家として独立した。 2009年4月から2017年4月まで第8代学校法人自由学園理事長を務めた。 2021年8月29日、死去。83歳没。 戦後史、政治家・軍人、企業経営者などがテーマ。「田中角栄-その巨善と巨悪」は、発行部数10万部のベストセラーとなった。短編小説「青いあひる」は、自叙伝的な色彩が強い叙情的な作品である。
三善 晃(みよし あきら、1933年1月10日 - 2013… 三善 晃(みよし あきら、1933年1月10日 - 2013年10月4日)は、日本の作曲家。位階は従四位。三善清達の弟。 東京府東京市杉並区阿佐谷(現:東京都杉並区)に生まれる。幼少期より自由学園でピアノ演奏法、音楽基礎を学ぶ。小学校入学の頃から高校まで、ヴァイオリン演奏法と作曲を平井康三郎、のち池内友次郎に師事する。都立高等学校尋常科から同高等科を経て、東京大学に入学。文学部仏文科在学中の1955年から1958年にかけて、フランス政府給費学生としてパリ国立高等音楽院に留学、のち中退。在学中はアンリ・シャラン、レイモン・ガロワ=モンブランに師事した。 1960年、東大文学部仏文科卒業。1963年東京芸術大学講師、1966年桐朋学園大学教授、1970年芸術祭優秀賞受賞。
梅浦 洋一(うめうら よういち、1933年 - )は、日本の… 梅浦 洋一(うめうら よういち、1933年 - )は、日本のテレビプロデューサー、映画プロデューサーである。東宝テレビ部時代に手がけた『太陽にほえろ!』、『俺たちの勲章』で知られる。元東宝テレビ部長、元東京映画新社代表取締役社長。 1933年(昭和8年)、東京に生まれる。自由学園出身(12回生)である。 東宝に入社し、1957年(昭和32年)、世田谷区砧の東宝撮影所で松林宗恵監督の『青い山脈』(司葉子・宝田明主演)、佐分利信監督・主演の『夜の鴎』(田中澄江脚本)にスタッフとして関わる。 1969年(昭和44年)、テレビ部に異動となる。同年に出逢った日本テレビ放送網のプロデューサー岡田晋吉と1972年(昭和47年)、テレビ映画『太陽にほえろ!』の企画を立ち上げ、大ヒットとなる。
山本 直純(やまもと なおずみ、1932年12月16日 - … 山本 直純(やまもと なおずみ、1932年12月16日 - 2002年6月18日)は、日本の作曲家、編曲家、指揮者。東京都出身。 東京五反田の至誠病院に生まれ、中野区や大田区や豊島区などを転々として育つ。幼児期から父の山本直忠、山田和男(一雄)らによって徹底した早期音楽英才教育を施されたほか、自由学園で羽仁協子や久山恵子、林光、三善晃などと共に早期音楽教育を受ける。自由学園時代の学友の一人に渡辺岳夫がいる。指揮は高校時代から自由学園を借りて毎週日曜に開かれていた齋藤秀雄指揮教室で齋藤秀雄に師事。同時期の同門に、尾高忠明、飯守泰次郎、秋山和慶、小澤征爾、村方千之、久山恵子らがいる。小澤は後に、「自分は日本に留まって音楽の底辺を広げる。
本郷 淳(ほんごう じゅん、1932年〈昭和7年〉11月1日… 本郷 淳(ほんごう じゅん、1932年〈昭和7年〉11月1日 - 2000年〈平成12年〉8月15日)は、日本の俳優。東京都世田谷区梅丘出身。 自由学園高等科卒業。俳優座養成所第3期生。養成所卒業後、劇団三期会(後の東京演劇アンサンブル)設立に参加し、劇団の主要メンバーとして活躍する。1993年には東京演劇アンサンブルによるチェーホフの『かもめ』のロシア公演にて、シャムラーエフ役でモスクワ芸術座の舞台に立った。父は彫刻家の本郷新。妻は女優の柳川慶子。息子は俳優の本郷弦(無名塾所属) 趣味は水泳、スキューバダイビング、スキーで、日本環境潜水協会を設立し、その代表も務めていた。 2000年8月15日、鹿児島県川辺郡笠沙町(現・南さつま市)の宇治群島近海でスキューバダイビング中に事故死。
日下 公人(くさか きみんど、1930年〈昭和5年〉12月9… 日下 公人(くさか きみんど、1930年〈昭和5年〉12月9日 - )は、日本の評論家、作家。日本財団特別顧問。多摩大学名誉教授。三谷産業株式会社監査役。 兵庫県生まれ。日本長期信用銀行取締役、ソフト化経済センター理事長、東京財団会長、社会貢献支援財団会長 などを歴任。原子力安全システム研究所最高顧問会議・顧問。2001年に共同で立ち上げた市民満足学会の会長。多摩大学名誉教授。著書『新・文化産業論』でサントリー学芸賞1979年度社会・風俗部門受賞。 アメリカや中国に否定的であり、日本の国益を潰そうとする国の第一に挙げている。[要出典]また、自著で「日本は核武装をすべきだ(原子爆弾を持て)」と主張している。
岸田 今日子(きしだ きょうこ、1930年〈昭和5年〉4月2… 岸田 今日子(きしだ きょうこ、1930年〈昭和5年〉4月29日 - 2006年〈平成18年〉12月17日)は、日本の女優、声優、童話作家。本名同じ。身長156 cm。血液型はA型。 自由学園高校卒業。父は劇作家で文学座創設者の岸田國士、母は翻訳家の岸田秋子。姉に詩人で童話作家の岸田衿子、俳優の岸田森とは従弟にあたる。元夫は俳優の仲谷昇。 東京府豊多摩郡(現在の東京都杉並区)に劇作家の岸田國士・秋子夫妻の次女として生まれる。 10代の頃戦争により姉妹で長野県に疎開した後、1946年に東京に戻り自由学園高校に入学。在学時に彫刻家・本郷新の美術の講義に触発され、同時に父の蔵書で戯曲に親しんだ。舞台美術に興味を抱いて舞台美術家を志し、高校卒業と同時に裏方として文学座付属演技研究所に入り研修生となる。
萩元 晴彦(はぎもと はるひこ、1930年(昭和5年)3月7… 萩元 晴彦(はぎもと はるひこ、1930年(昭和5年)3月7日 - 2001年(平成13年)9月4日)は、日本のテレビ制作者、音楽プロデューサー、実業家。テレビマンユニオン初代社長。 長野県飯田市出身。父・萩元隼人は、労働運動家で日本社会党→左派社会党公認で長野4区から総選挙に出馬したが、1953年の総選挙公示直前に急死した。このため身代わりとして母・萩元たけ子が立候補。トップ当選を果たし、衆議院議員を1期務めた。 1937年に一家で上京し、自由学園に学ぶ。幼少のころは虚弱児童で、小学校は病気がちで欠席が多かった。しかし勉学の方は大変早熟であり、小学校1年生のときに6年生までの漢字はほとんど読めた。
羽仁 協子(はに きょうこ、1929年11月5日 - 201… 羽仁 協子(はに きょうこ、1929年11月5日 - 2015年4月5日)は、日本の音楽教育家、翻訳家。 羽仁五郎と羽仁説子の娘、羽仁進の妹として東京府に生まれる。祖父母に当たる羽仁もと子・羽仁吉一夫妻が創設した自由学園で学ぶ。在学中に山本直純や林光らと共に音楽教育を受け、齋藤秀雄指揮教室にて指揮法を学んだ。同門には小澤征爾、久山恵子、秋山和慶らがいる。1949年自由学園高等科卒業。 1953年に渡欧。ウィーン滞在を経て、1958年ライプツィヒ音楽院指揮科卒業。同年よりハンガリーに移り住み、父・五郎を通じてコダーイ・ゾルターンに会う機会を得た。1959年から1967年までブダペスト大学(正式名はエトヴェシュ・ロラーンド大学、略称:ELTE)で日本語講師を務める。
羽仁 進(はに すすむ、1928年〈昭和3年〉10月10日 … 羽仁 進(はに すすむ、1928年〈昭和3年〉10月10日 - )は、日本の映画監督。父は歴史家で参議院議員を務めた羽仁五郎、母は婦人運動家の羽仁説子。母方の祖父母は自由学園創立者の羽仁吉一と羽仁もと子、父方の祖父は第四十銀行創立者の森宗作。妹に音楽教育家の羽仁協子。 祖母の羽仁もと子が創立した自由学園を1947年に卒業後、1年間の共同通信社記者生活を経て、1949年、岩波映画製作所の設立に加わる。最初は岩波写真文庫の編集などに携わり、1952年に厚生省(現・厚生労働省)がスポンサーとなった『生活と水』で監督デビューする。 1955年に公開された記録映画『教室の子供たち』は、授業中の子どもたちの姿をいきいきと活写し、教育映画祭最高賞を受賞するなど絶賛された。
遠藤 楽(えんどう らく、1927年3月13日 - 2003… 遠藤 楽(えんどう らく、1927年3月13日 - 2003年7月24日)は、日本の建築家。フランク・ロイド・ライトから直接教えを受けた最後の日本人であり、親子二代にわたりタリアセンにてライトの薫陶を受けた。日本国内に、北は青森県八戸市から南は鹿児島県まで300件を超える建築作品を残した。 遠藤新と都の次男として東京府豊多摩郡和田堀町(現・東京都杉並区)に生まれる[要出典]。 1946年3月に自由学園男子部高等科を卒業して、和泉工務所に入社した。1949年、遠藤新建築教室(遠藤新建築創作所、新建創)に移る。[要出典] 1957年3月から、アメリカ合衆国ウィスコンシン州のタリアセンにて、フランク・ロイド・ライトに学ぶ。
古屋 安雄(ふるや やすお、1926年9月13日 - 201… 古屋 安雄(ふるや やすお、1926年9月13日 - 2018年4月16日)は、日本の神学者、牧師。国際基督教大学名誉教授、元聖学院大学大学院アメリカ・ヨーロッパ文化学研究科科長、教授。 プリンストン神学校、東京神学大学、東京大学、自由学園最高学部、講師。アテネオ・デ・マニラ大学客員教授。東京女子大学宗教顧問。国際基督教大学教会牧師、チャプレンを務めた。 アメリカの神学校を出て日本組合基督教会の牧師となった社会的福音でリベラルの父・孫次郎と、南長老ミッションの神戸神学校出身の母の息子として、上海に生まれる。上海の頃からの友人に、後に国際政治学者となる坂本義和がいる。 1945年、旧制高校2年時に19歳の時徴兵検査を受け、二等兵として数か月間の軍隊生活を送る。
羽田 澄子(はねだ すみこ、1926年1月3日 - )は、日… 羽田 澄子(はねだ すみこ、1926年1月3日 - )は、日本の映画監督。「世田谷・九条の会」呼びかけ人を務めている。 旧満州大連市生まれ。1942年旅順高等女学校卒業。満州から引き揚げ、自由学園女子部高等科卒業後、1950年に恩師羽仁説子の紹介で、岩波書店と資本関係のない関連会社岩波映画製作所に入社し、岩波写真文庫を編集に携わる。 映画シナリオを任され、映画『歯』のシナリオを描いた際に、助監督も試験的に担当。羽仁進監督の下で助監督を務めた後、1957年に『村の婦人学級』(岩波映画)で監督デビューを果たす。 1977年『薄墨の桜』を初めて4年間かけ自主製作する。岩波ホールで他3本と上映の際、総支配人高野悦子がドキュメンタリー映画商業上映での史上初の入場料を取り、無料の慣例を変える。
村方 千之(むらかた ちゆき、1925年10月29日 - 2… 村方 千之(むらかた ちゆき、1925年10月29日 - 2014年12月14日)は、日本の指揮者。福岡県生まれ。日本指揮者協会の会員で、2014年の死没まで日本最年長の指揮者であった。村方指揮法教室を主催して後進指揮者育成に力を注いだ。ブラジルよりリオ・ブランコ勲章を受章している。また、第1回ヴィラ=ロボス国際指揮者コンクール特別賞を受賞している。日本ヴィラ=ロボス協会会長、日本演奏連盟会員。東京都中学校吹奏楽連盟初代理事長。 村方の音楽との出会いは、12歳で自由学園に入った時から始まる。 村方は最初、自由学園でフルートを学び、次にヴァイオリンを学んだ。3年後には、オーケストラの重要なメンバーの一人になっていた。
村山 美知子(むらやま みちこ、1920年8月16日 - 2… 村山 美知子(むらやま みちこ、1920年8月16日 - 2020年3月3日)は、日本の文化人。朝日新聞社の第3代社主。元朝日新聞社社長村山長挙の長女。兵庫県出身。甲南幼稚園、甲南小学校、甲南高等女学校を経て1939年に自由学園高等科1年修了。 朝日新聞社の発行済み株式総数のうち36.5%(116万6,641株)を保有する筆頭株主だった。1963年6月から株式会社朝日新聞社取締役社主付として就任。1977年8月から朝日新聞社社主に就任。 また朝日新聞と関係が深い朝日放送(現・朝日放送グループホールディングス)の発行済み株式総数の3.5%(14万5,500株)を保有し、1979年6月から2007年6月27日まで同社の社外取締役を務めていた。
生源寺 美子(しょうげんじ はるこ、1914年1月29日 -… 生源寺 美子(しょうげんじ はるこ、1914年1月29日 - 2015年5月18日)は、日本の児童文学作家。 1914年、柏木三郎夫妻のもとに五人兄姉の末っ子として生まれる。出生地は奈良県だが、1歳になる前に師範学校の校長だった父の転任に伴い、福島に移る。その後、秋田、京都、朝鮮など各地を転々とした生活を送る。 京城第一女子公立高等学校、大邱公立高等女学校を経て、東京自由学園高等部(旧制)を卒業する。 主婦業の傍ら、童話を書き始め、1955年頃から『婦人朝日』の「私の童話欄」に投稿し何度も入選を果たす。童話欄の選者だった与田凖一の指導をうけ、同じ入選仲間である岩崎京子らと「童話の会」を結成。同人誌「童話」を作り創作に励む。
神谷 美恵子(かみや みえこ、1914年(大正3年)1月12… 神谷 美恵子(かみや みえこ、1914年(大正3年)1月12日 - 1979年(昭和54年)10月22日)は、日本の精神科医。哲学書・文学書の翻訳やエッセイの著者としても知られる。 「戦時中の東大病院精神科を支えた3人の医師の内の一人」、「戦後にGHQと文部省の折衝を一手に引き受けていた」、「美智子皇后の相談役」などの逸話でも知られる。 神谷美恵子(結婚前は前田美恵子)は1914年(大正3年)1月12日に内務省職員である父前田多門とその妻房子の長女として岡山市に生まれた。兄弟には兄の陽一の他、後に一男二女が生まれている。父の多門はその年の4月に長崎県の理事官へと転任し、一家は長崎へと転居、翌年には内務省本省勤務となり東京へ転居している。
村山 籌子(むらやま かずこ、1903年〈明治36年〉11月… 村山 籌子(むらやま かずこ、1903年〈明治36年〉11月7日 - 1946年〈昭和21年〉8月4日)は、日本の児童文学作家。動物や野菜などを主人公とした、ユーモアとウイットにあふれる童話を多数執筆した。夫は村山知義、息子は児童劇作家の村山亜土。 1903年(明治36年)、父・岡内徳次郎、母・寛(ゆたか)の長女として香川県高松市に生まれる。家業は祖父の岡内喜三が創業した漢方薬を製造販売する岡内千金丹本舗で、全国的にも名の知られた商家であった。1916年(大正5年)、香川県立高松高等女学校に入学。水泳を得意とし在学中に高松藩の游泳術である水任流を身につけ、その一方、婦人之友社の雑誌『新少女』に和歌で入賞するなど、熱心な読者投稿者でもあった。
石垣 綾子(いしがき あやこ、1903年9月21日 - 19… 石垣 綾子(いしがき あやこ、1903年9月21日 - 1996年11月12日)は、日本の女性問題評論家、社会運動家。旧姓・田中。 陸軍幼年学校物理学教授田中三四郎の二女として東京(現在の東京都新宿区市谷加賀町)に生まれる。2歳のときに早稲田南町に転居した。転居先の近所には夏目漱石が居住しており、漱石の三女とは小学校で同級だった。4歳の時母親と死別し、父親の手で育つ。府立第一高女に学び、YMCAの英語クラス、バイブル・クラスに通って社会運動にふれる。卒業後は自由学園高等科に入学。自由学園卒業後。警察に検挙されたことをきっかけに、家族の勧めにより、1926年に外交官としてワシントンに赴任する姉夫婦とともに米国に渡り、反戦・社会運動に参加する。
坪井 明日香 は、日本の陶芸家。帝塚山大学名誉教授。
堀江 泰子 は、日本の料理研究家。旧姓は、高橋。
宮浦 清 は、日本の音楽家、サックス奏者、音楽プロデューサー… 宮浦 清 は、日本の音楽家、サックス奏者、音楽プロデューサー、呼吸研究家、発明家。東京都練馬区出身。
柿崎 譲志(かきざき じょうじ)は日本の音楽プロデューサー、… 柿崎 譲志(かきざき じょうじ)は日本の音楽プロデューサー、スーパーヴァイザー。 ザ・フォーク・クルセダーズの新結成やサディスティック・ミカ・バンドの再再結成なども仕掛けた音楽プロデューサーであり、オフコース、小田和正、泉谷しげる、大竹しのぶ、平松愛理、蘭華など多くのアーティストのCD制作に関わっている。 1954年生まれ。1970年代より、オフコース、小田和正らの作品制作に関わる。 2008年3月、加藤和彦が盟友小原礼や土屋昌巳、屋敷豪太に呼びかけて結成された新たなロックバンド「VITAMIN-Q」を手がける。 2008年10月1日、還暦を迎え再デビューした泉谷しげるの7年ぶりのアルバム『すべて時代のせいにして』を制作。