塚田 理(つかだ おさむ、1929年12月31日 - 201… 塚田 理(つかだ おさむ、1929年12月31日 - 2016年11月15日)は、日本の神学者。立教大学名誉教授。第7代学校法人立教学院院長。第15代立教大学総長。 新潟県上越市出身。立教大学文学部卒業。聖公会神学院卒業。オックスフォード大学大学院修了。 1957年より日本聖公会名古屋学生センター主事、聖公会神学院を経て立教大学文学部キリスト教学科勤務。 その後、同大学文学部長を経て、1994年大学総長(第15代)、1995年立教学院院長(第7代)。
藤田 恒夫(ふじた つねお、1929年12月29日 - 20… 藤田 恒夫(ふじた つねお、1929年12月29日 - 2012年2月6日)は日本の解剖学者、内分泌学者。日本ペンクラブ会員。生命科学各分野の一流研究者を編集同人に迎えた科学文芸誌『ミクロスコピア』を26年に渡って編集し続けた。父の恒太郎(東京大学名誉教授)も解剖学者であった。藤堂明保(東京大学教授、日中学院長などを務めた中国語学者)は藤田恒夫の叔父にあたる。 東京出身。旧制一高を経て1954年東京大学医学部卒業、1959年同大学院博士課程(解剖学)修了。東京大学 医学博士 博士論文の題は 「二、三の哺乳動物の膵臓における神経膵島複合体についての組織学的研究 」。岡山大学医学部講師、1968年新潟大学教授、95年定年退官、名誉教授、日本歯科大学新潟歯学部教授。
徳永 豊(とくなが ゆたか、1929年12月29日 - 20… 徳永 豊(とくなが ゆたか、1929年12月29日 - 2015年10月31日)は、日本のマーケティング学者、明治大学名誉教授。 1929年 12月29日 山口県下関市で生まれる。1947年 4月明治大学 専門部商科に入学、1950年 3月卒業。その後、同年4月に明治大学 商学部商学科(旧制)に入学、1953年に同課程 卒業。1953年 4月~1956年 3月まで東京青色申告会連合会に勤務。1956年 4月 明治大学 商学部 助手、1958年 5月~ 1961年 3月 同大学同学部 専任講師、1961年 4月~1966年 3月 助教授、1966年 4月~2000年 3月 教授、この間、同学部学部長、大学院研究科長を歴任。
茂木 清夫(もぎ きよお、1929年(昭和4年)12月28日… 茂木 清夫(もぎ きよお、1929年(昭和4年)12月28日 - 2021年(令和3年)6月6日)は、日本の地震学者・火山学者。専門分野は、固体地球物理・地震学・岩石力学。地震の発生機構および地震予知に関心を持ち、地震学および地震予知の権威である。地震学・火山学の研究における数々の業績を残した。東京大学名誉教授。元日本大学教授、元地震予知連絡会会長。山形県出身。 1929年(昭和4年)、山形県谷地町南町(現河北町谷地)に生まれる。旧制寒河江中学・山形高等学校を経て、1953年(昭和28年)に東京大学理学部(地球物理学科)を卒業。同年に三菱鉱業に入社し、1954年(昭和29年)に東京大学助手となる。
永田 吉太郎(ながた よしたろう、1929年(昭和4年)12… 永田 吉太郎(ながた よしたろう、1929年(昭和4年)12月28日 - 2015年5月6日[要出典])は、日本のボクサー。 日本大学在学中に、1952年ヘルシンキオリンピックの男子フライ級に出場し、1回戦でルーマニアのミルチェア・ドブレスク(英語版、ルーマニア語版)に敗れた。アマチュア時代の戦績は117戦110勝。全日本ジュニア・フライ級チャンピオン(1951年)。千代田化工建設 常務取締役、アローヘッドインターナショナル 代表取締役社長 歴任。 この項目は、ボクシング関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJボクシング/PJキックボクシング)。
品川 義雄(しながわ よしお、1929年(昭和4年)12月2… 品川 義雄(しながわ よしお、1929年(昭和4年)12月25日 - )は、日本の政治家。元埼玉県鶴ヶ島市長(3期)。旭日小綬章受章。 内野欣鶴ヶ島町長(後に市長)の下で助役を務めた。市制移行後に内野が勇退したことによる鶴ヶ島市長選に出馬し無投票で当選。鶴ヶ島市長に1993年11月5日就任。2005年11月5日に任期満了となり藤縄善朗に職を譲り退任した。通算3期12年。 2007年には旭日小綬章を受章した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
荒瀬 邦喜(あらせ くにき、1929年12月24日 - 20… 荒瀬 邦喜(あらせ くにき、1929年12月24日 - 2018年4月30日)は、日本の実業家。徳島県出身。 1953年(昭和28年)関東学院大学工学部機械工学科卒。1956年(昭和31年)兼松入社。1972年(昭和47年)兼松エレクトロニクス常務、1978年(昭和53年)兼松エレクトロニクス代表取締役社長就任。1994年(平成6年)兼松エレクトロニクス会長就任。1997年(平成9年)会長退任。2018年4月30日、老衰のため死去。88歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
今井 敬(いまい たかし、1929年12月23日 - )は、… 今井 敬(いまい たかし、1929年12月23日 - )は、日本の実業家。新日本製鐵(現・日本製鉄)相談役名誉会長、元社長。日本経済団体連合会名誉会長で、第9代経済団体連合会会長。 現在は公益財団法人国際花と緑の博覧会記念協会会長、全日本交通安全協会の会長・新潟県知事泉田裕彦後援会相談役、公益財団法人日本国際フォーラム代表理事(会長)、日本テレビホールディングス株式会社・日本テレビ放送網株式会社社外取締役などを務める。ホテルニューオータニ取締役(2019年<平成31年>4月1日-2020年<令和2年>3月31日)。 現在の神奈川県鎌倉市に生まれる。兄は今井善衛(元通商産業事務次官)、甥に同じく経産官僚で安倍晋三総理の内閣総理大臣補佐官、首相政務担当秘書官などを務めた今井尚哉がいる。
岡田 精司(おかだ せいし、1929年12月23日 - 20… 岡田 精司(おかだ せいし、1929年12月23日 - 2019年1月25日)は、日本史学者。 東京生まれ。1954年國學院大學文学部史学科卒、1973年「古代王権の祭祀と神話」で大阪市立大学文学博士、立命館大学助教授、三重大学教授、1993年定年。
岡田 晃(おかだ あきら、1929年(昭和4年)12月22日… 岡田 晃(おかだ あきら、1929年(昭和4年)12月22日 - 2023年(令和5年)10月3日)は、日本の医学者。医学博士(北海道大学)。元金沢大学学長。元金沢星稜大学学長。日本学術会議会員。 1954年北海道大学医学部医学科卒業。1959年同大学院医学研究科博士課程修了。同年、福島県立医科大学医学部助教授。1962年札幌医科大学医学部助教授。同年、西ドイツ・マックス・プランク労働生理学研究所に留学。1967年札幌大学医学部教授。1972年金沢大学医学部教授。1990年同医学部長。1993年金沢大学学長に就任。1994年金沢大学退官。同名誉教授。金沢経済大学人間科学部教授。2000年金沢経済大学学長に就任。
松原 正 (まつばら ただし、1929年12月22日 - 2… 松原 正 (まつばら ただし、1929年12月22日 - 2016年6月8日) は、日本の英文学者、評論家、劇作家、翻訳家。早稲田大学名誉教授。 自らも保守派でありながら、革新派は元より西部邁や西尾幹二ら保守派に分類される論客への厳しい批判で知られる。 東京都生まれ。1952年、早稲田大学第一文学部英文科卒業。学生時代より福田恆存に師事し、正字体、歴史的仮名遣で文章を書く。 早い時期から文藝評論家を目指し、高田保を通して福田の知遇を得た。のち英米演劇を専門にして翻訳のみならず幾つかの戯曲を発表、早稲田大学で教鞭をとることになる(文学部非常勤講師→社会科学部助教授→文学部教授)。 かつて『中央公論』などにも文章を発表、産経新聞にも寄稿したことがあるが、1980年代以降は主に『月曜評論』などのミニコミ誌に執筆していた(2004年8月号で同誌が廃刊)。
風間 吉也(かざま きちや、1929年12月21日 - )は… 風間 吉也(かざま きちや、1929年12月21日 - )は、日本の医師、医学博士、開業医、風間病院院長、酒田風間氏分家・東美系の一族。
鎌田 とし子(かまた としこ、1929年12月20日 - )… 鎌田 とし子(かまた としこ、1929年12月20日 - )は、日本の社会学者。博士(社会福祉学)(東洋大学・2000年)。東京女子大学名誉教授。旭川大学教授。 1957年北海道大学教育学部生活教育学科卒業。1959年同文学部社会学科卒業、北海道立保育専門学院講師。 1968年東京女子大学文理学部講師、1970年助教授、1976年教授。1998年定年、名誉教授、関東学院大学教授。2000年アルファ福祉専門学校校長。2008年旭川大学教授。2000年「貧困階層の研究」で東洋大学より博士(社会福祉学)の学位を取得。2010年瑞宝小綬章受勲。夫は鎌田哲宏(1940- 静岡大学名誉教授)。ゼミの教え子に荒木田百合横浜市副市長など。
池田 英俊(いけだ えいしゅん、1929年〈昭和4年〉12月… 池田 英俊(いけだ えいしゅん、1929年〈昭和4年〉12月19日 - 2004年〈平成16年〉2月4日)は、日本の宗教学者・仏教学者。文学博士(筑波大学)。元旭川大学女子短期大学部学長。北海道和寒町出身。 専門は宗教学。特に仏教史や日本近代仏教思想史を研究 北海道新聞学術文化研究奨励賞(1987年) この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
湯浅 修一(ゆあさ しゅういち、1929年〈昭和4年〉12月… 湯浅 修一(ゆあさ しゅういち、1929年〈昭和4年〉12月18日 - 没年不明 )は、日本の医学者・精神科医。群馬県生まれ。専門は精神病理学。医学博士(群馬大学・1963年)。分裂病(現・統合失調症)の予後研究で知られる。江熊要一、臺弘、中沢正夫らとともに生活臨床グループの創成期メンバー。 1929年群馬県前橋市に生まれる。旧制松本高等学校理科を経て、1953年前橋医科大学(現・群馬大学)卒業。1963年医学博士(群馬大学)。赤城病院院長、群馬大学医学部講師、岸病院神経科医長、東京都精神医学総合研究所副参事研究員、東京大学医学部講師などを経て、榛名病院常勤顧問 。
有川 清次(ありかわ せいじ、1929年12月17日 - 2… 有川 清次(ありかわ せいじ、1929年12月17日 - 2016年5月13日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(1期)。 鹿児島県鹿屋市出身。鹿児島県立鹿屋高等学校卒業。鹿屋市議会議員、鹿児島県議会議員を経て、1990年の総選挙で鹿児島3区から初当選。定数2で二階堂進・山中貞則という自民党の大物二人を相手にしたが、山中を28票差で破っての当選であった。1993年の総選挙で落選。衆議院議員1期。 落選後の1994年、鹿屋市長浅井隼人の死去による鹿屋市長選挙に無所属で立候補したが、元助役の山下栄に敗れて落選した。
秋山 富一(あきやま とみいち、1929年12月17日 - … 秋山 富一(あきやま とみいち、1929年12月17日 - )は、日本の実業家。第六代住友商事社長。 群馬県藤岡市生まれ。1953年一橋大学卒業。大学では体育会ラグビー部に、藤居寛(帝国ホテル社長)らとともに所属しており後年、第6代一橋大学ラグビー部OB会長を務めた。 1953年住友商事株式会社入社、鉄鋼部に配属される。1956年ニューヨーク支店(四年半)、鉄鋼貿易部を経て、1965年ロスアンジェルス事務所長(二年半)、1973年ジャカルタ支店長(三年半)を歴任。 1979年同社取締役、1983年同社常務、1986年同社専務電子航空本部長、1987年同社副社長、1988年同社副社長メディア事業本部長、1990年同社社長、1996年同社会長、1997年退任。
保田 孝一(やすだ こういち、1929年(昭和4年)12月1… 保田 孝一(やすだ こういち、1929年(昭和4年)12月16日 - 2006年(平成18年)2月15日)は日本の歴史学者。岡山大学名誉教授。専門は近代ロシア史。 静岡県浜松市に生まれる。法政大学社会学部を卒業し、東京大学大学院人文科学研究科西洋史学専攻修士課程を修了する。1958年(昭和33年)に岡山大学に赴任し、ロシア革命前のミール(農村共同体)、日露関係史を研究する。1995年(平成7年)に退官し、名誉教授となる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
藤縄 謙三(ふじなわ けんぞう、1929年12月15日 - … 藤縄 謙三(ふじなわ けんぞう、1929年12月15日 - 2000年10月4日)は、日本の西洋古典学者。京都大学名誉教授。専門は古代ギリシア史、ホメロスからエウリピデスまでの古代ギリシア思想史・社会史・文化史の研究を行った。京都大学学術出版会の『西洋古典叢書』発足刊行にも中心的な役割を果たした。 新潟県生まれ。旧制新潟高校を経て、1953年京都大学文学部史学科卒、1955年同大学院文学研究科修士課程修了。同年9月に同博士課程退学後、大阪府立大学教育学部助手。同大学教養部助手、講師、助教授を経て、1970年に京都大学助教授に就任。1979年同教授(西洋史学第一講座)。1993年に京都大学を定年退職、同大学名誉教授、京都女子大学教授。
荷見 武敬(はすみ たけよし、1929年12月15日 - 2… 荷見 武敬(はすみ たけよし、1929年12月15日 - 2006年2月6日)は、日本の農学者。 東京生まれ。東京大学経済学部商業学科卒。農林中央金庫勤務。農林中金総合研究所監査役、農林中金研究センター代表取締役専務理事、農協研究賞、農協人文化賞受賞。 協同組合論が専門で、有機農業の草分けとされる。
北本 重二(きたもと しげじ、1929年12月14日 - )… 北本 重二(きたもと しげじ、1929年12月14日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
多田 宏(ただ ひろし、1929年12月14日 - )は、日… 多田 宏(ただ ひろし、1929年12月14日 - )は、日本の武道(合気道)家。合気道九段。東京府(現・東京都)出身。 第一東京市立中学(現東京都立九段高等学校)、早稲田大学卒業。大学在学中は空手部に在籍し、船越義珍に師事した。大学在学中の1950年に、植芝道場に入門し、植芝盛平、植芝吉祥丸に師事する。その後、天風会・中村天風、一九会道場・日野正一らに師事。 合気道本部道場、防衛庁、学習院大学、慶應義塾大学、東京大学合気道気錬会、早稲田大学合気道会などの師範を務める。また、イタリアをはじめ世界各国でも活動する。 1994年に日本武道協議会より武道功労者表彰。 2019年にイタリア政府よりイタリア共和国功労勲章を受勲。
矢橋 謙一郎(やばし けんいちろう、1929年〈昭和4年〉1… 矢橋 謙一郎(やばし けんいちろう、1929年〈昭和4年〉12月13日 - 2001年〈平成13年〉3月21日)は、日本の実業家。関ヶ原石材株式会社取締役社長・取締役会長。 岐阜県立大垣中学校(現・岐阜県立大垣北高等学校)、旧制武蔵高等学校卒業。1950年(昭和25年)に東京大学理学部地理学科に入学し、1953年に東京大学を卒業すると大学院に進学した。大学院在籍時には暁星高等学校講師、学習院中等科講師などを務めている。 1958年(昭和33年)に東京大学大学院を修了し、成城大学経済学部講師に就任した。1962年(昭和37年)には父親の矢橋五郎が創業した関ヶ原石材株式会社に入社し、取締役兼海外部長に就任した。
上瀧 博正(こうたき ひろただ、1929年12月12日 - … 上瀧 博正(こうたき ひろただ、1929年12月12日 - 2026年1月6日)は、日本の経営者。トーハン社長、会長を務めた。 福岡県出身。1953年に中央大学法学部を卒業し、同年に東京出版販売(現在のトーハン)に入社した。1978年に取締役に就任し、1985年に常務、1988年6月に専務を経て、1991年6月に社長に就任。1999年6月から2010年6月までに会長を務めた。 2012年5月に旭日小綬章を受章。 2026年1月6日死去。96歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
川上 のぼる(かわかみ のぼる 、本名:川上 登(読み同じ)… 川上 のぼる(かわかみ のぼる 、本名:川上 登(読み同じ)、1929年12月11日 - 2013年9月7日)は、日本の腹話術師、声帯模写師。 寄席芸としての腹話術を確立した第一人者と評される。日本腹話術師協会名誉会長を歴任した。 京都市出身。日本画家の川上拙以の次男(兄は東映の美術監督やCFディレクターを務めた川上晃、弟は陶芸家の川上徹)。 芸事好きの父が2代目渋谷天外や2代目桂春團治らと親交があったため、幼少時から芝居小屋や寄席の楽屋に出入りする。少年時代からチャップリンやヒトラーのモノマネを得意とし、その芸の腕を買った2代目天外に「養子に欲しい」と言わしめたほどだったという。 旧制中学5年の時、腹話術師エドガー・バーゲン(英語版)の出演する映画に感激し、ぬいぐるみを用いた見よう見まねの腹話術を、学校の文化祭で披露した。
高橋 敷(たかはし おさむ、1929年12月11日-2015… 高橋 敷(たかはし おさむ、1929年12月11日-2015年7月6日)は、宇宙物理学者、教育評論家。 大阪府堺市出身。松山高等学校(旧制)卒、京都大学理学部卒、1959年同大学院宇宙物理学博士課程満期退学、小・中・高校教師ののち、宇宙学者・教育研究者として南米、ヨーロッパに招かれ、八年間を過ごす。ペルー中部大学教授(教育学)、ベネズエラ東部大学教授(理学部)を務め、その体験に基づいた『みにくい日本人』がベストセラーとなる。のち大阪府教育研究所。東海学園大学教授を務めた。
谷嶋 喬四郎(やじま きょうしろう、1929年12月11日 … 谷嶋 喬四郎(やじま きょうしろう、1929年12月11日 - )は、日本の社会学者、社会思想史専攻、東京大学名誉教授。 東京生まれ。1953年東京大学文学部倫理学科卒。同年同助手、1959年東海大学助教授、1963年東京大学教養学部助教授(社会思想史)、1971年教授、1990年定年退官、名誉教授。桜美林大学教授。この間、ウィーン大学、ハイデルベルク大学客員教授。東大倫理学科の同期には評論家の俵孝太郎、東北大学教授の上妻精、思想の科学研究会会長代行の後藤宏行、山口大学教授の山田洸がいる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
向山 巌(むこうやま いわお、1929年12月11日 -20… 向山 巌(むこうやま いわお、1929年12月11日 -2017年8月17日)は、日本の経済学者、武蔵大学同窓会の初代会長。 東京市(現東京都江戸川区)生まれ。山梨大学学芸学部中退後、武蔵大学経済学部に三年時編入し卒業、東北大学大学院経済学研究科を修了し、武蔵大学講師、助教授、教授。2000年定年、名誉教授。北海道武蔵女子短期大学理事を務める。
窪田 篤人(くぼた あつんど、1929年12月10日 - 1… 窪田 篤人(くぼた あつんど、1929年12月10日 - 1998年5月16日)は、日本の脚本家。東京都出身。趣味は旅行。所属団体は日本放送作家協会、日本脚本家連盟 少年時代は現在の浜松市へ疎開して暮らす。1947年に浜松一中(現・静岡県立浜松北高等学校)を卒業後、東京の大学を受験するも失敗、ぶらぶらしながら小説家になろうか、映画監督になろうかと思っていた1948年、ふと新宿を通りかかって目についたという劇団ムーラン・ルージュ文芸部に入り、処女作「桃色の宿題」を発表。解散後は脚本家として活動。脚本家として駆け出してしばらくは映画監督の川島雄三が経済的な面倒をみて、ムーラン・ルージュ時代の師匠でもあった中江良夫が大映のプロット作家を紹介してくれた。
井手 至(いで いたる、1929年12月10日 - 2017… 井手 至(いで いたる、1929年12月10日 - 2017年4月22日[要出典])は、日本の国語学者・国文学者。大阪市立大学名誉教授。専門は『万葉集』。 愛媛県出身。1952年京都大学文学部国文科卒、同大学院修士課程修了。大阪市立大学助教授、教授、1975年「萬葉集用語・用字の研究」で大阪市立大学より文学博士の学位を取得。1991年定年退官、名誉教授、京都女子大学教授。2000年退職。
稲垣 俊(いながき しゅん、1929年12月10日 - )は… 稲垣 俊(いながき しゅん、1929年12月10日 - )は日本の映画監督、脚本家。本名は稲垣公一。東京都出身。 1954年に東京大学文学部社会学科を卒業と同時に松竹大船撮影所演出部に入社し助監督として小林正樹監督につく。1966年に松竹と契約し1967年からフリーとなり稲垣俊のペンネームで活躍。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
二瓶 敏(にへい さとし、1929年12月10日 - )は、… 二瓶 敏(にへい さとし、1929年12月10日 - )は、マルクス経済学者。元専修大学経済学部教授、専修大学社会科学研究所所員。 横浜市生まれ。兵庫県武庫郡御影町(現在の神戸市東灘区)および台北で育つ。1944年秋に日本に引き揚げ、福島県の旧制会津中学校に転校した。1945年江田島の海軍兵学校に入学した。敗戦後に会津中学校の4年生に復帰した。1947年、旧制浦和高等学校に入学した。1949年に落第および旧制高校廃止により中退し、東京大学教養学部文科2類に入学した。日本共産党に入党した。学生自治会結成と同時に副委員長を務めた。1950年夏より全学連書記局を務めた。「50年問題」では国際派に所属する。
小山 晃佑(こやま こうすけ、英: kosuke koyam… 小山 晃佑(こやま こうすけ、英: kosuke koyama、1929年12月10日 - 2009年3月25日)は、日本で生まれたアメリカ合衆国の牧師、宣教師、神学者。 東京府生まれ。1952年日本基督教神学専門学校(現在の東京神学大学)卒業。在学中、北森嘉蔵教授に師事。日本基督教団の補教師となる。1954年米国・ドルウ神学大学卒。1959年米国・プリンストン神学大学大学院にて神学博士。 1960年から1968年まで、日本基督教団宣教師としてタイ国チェンマイ神学校にて教える。1961年、タイ王国キリスト教会牧師として按手を受ける。1968~1974年シンガポール・東南アジア神学大学院(ATESEA、現在はフィリピン)学長を務め、1974年ニュージーランド・オタゴ大学神学部教授、1981年米国・ニューヨーク・ユニオン神学大学エキュメニックス(英: Ecumenics)教授、1996年退任。
阿部 克自(あべ かつじ、1929年12月10日 - 200… 阿部 克自(あべ かつじ、1929年12月10日 - 2008年9月17日)は、ジャズ・フォトグラファー。 東京・早稲田出身。1940年に紀元2600年全国児童絵画展で文部大臣賞銀賞を受賞。 1945年に海軍兵学校に入校(78期)。この時期に米軍の英語放送を聴き、ジャズの魅力にはまる。 その後、1948年に旧制早稲田中学校卒業、1951年に旧制早稲田大学卒業。 翌1952年にはBOAC(英国海外航空会社:現在のブリティッシュ・エアウェイズの前身会社)に就職。 1953年頃よりレコード・ジャケットのデザインと写真をメインに活動。また、ジャズのDJとしてラジオ番組を持つことになった。 1960年初頭からカヴァー・アートの研究のため渡米するようになり、ニューヨークを拠点に活動を始める。
村山 吉広(むらやま よしひろ、1929年12月9日 - )… 村山 吉広(むらやま よしひろ、1929年12月9日 - )は、日本の古典中国文学者、早稲田大学名誉教授。日本詩経学会会長・日本中国学会顧問・斯文会参与。専門は中国古典学(特に詩経学)漢文学、江戸・明治漢学。
棚橋 昭夫(たなはし あきお、1929年(昭和4年)12月9… 棚橋 昭夫(たなはし あきお、1929年(昭和4年)12月9日 - 2019年)は、元日本放送協会職員。演芸評論家。愛称は「タナヤン」。 大阪府大阪市天満生。実家は天満市場鮮魚仲介業、大阪外国語大学卒業(おもに中国語を学ぶ)。1952年、NHK松山放送局入局。1956年にNHK大阪放送局に移り、ラジオ文芸課のスタッフとなり、「上方演芸会」、「お父さんはお人好し」などのお笑い番組の演出や「横堀川」、「流れ雲」などテレビドラマをプロデュースする。 1976年にNHK放送センター(東京都)に移り、引き続きドラマ、演劇などを手掛けた後1980年に大阪局に戻る。その後定年退職し、NHKサービスセンター大阪支局長を経て、フリーの演芸評論家となる。
竹内 郁郎(たけうち いくお、1929年12月9日 - )は… 竹内 郁郎(たけうち いくお、1929年12月9日 - )は、日本の社会学者、東京大学名誉教授。 東京市(現東京都北区)出身。1955年東京大学文学部社会学科卒、同大学院修士課程修了、東京大学新聞研究所助教授、1976年教授、84年所長、1990年定年退官、名誉教授、静岡県立大学教授、1993年東洋大学教授、2000年退職。
田原 源一郎(たはら げんいちろう、1929年12月9日 -… 田原 源一郎(たはら げんいちろう、1929年12月9日 - 2007年1月4日)は、日本の実業家、馬主、元カーレーサー。 東京都台東区元浅草にある広告物製作業を手がける株式会社田原屋の代表取締役を務めた。 1929年、東京都出身。早稲田大学を卒業後株式会社田原屋を設立した。全日本旗業連合会会長、東京旗商業協同組合理事長を歴任。2007年1月4日、肺炎のため死去。77歳没。 かつてはカーレーサーとして活躍。1963年の第1回日本グランプリでは国内スポーツカーB-IIクラス(1300cc - 2500cc)にダットサン・フェアレディ1500で出場し、優勝する。SCCN(ニッサンスポーツカークラブ)の初代会長であり、1965年以降は日本自動車連盟 (JAF) 内の各委員会の委員、委員長を務めた。
高畑 敬一(たかはた けいいち、1929年12月8日 - 2… 高畑 敬一(たかはた けいいち、1929年12月8日 - 2020年2月8日)は、日本の実業家、労働運動家。松下電器産業常務取締役、松下電器産業労働組合中央執行委員長。 1929年(昭和4年)富山県出身。 1950年(昭和25年)、金沢高等工業学校 (現・金沢大学理工学域)機械工学科卒業。同年、松下電器産業株式会社(現・パナソニック株式会社)に入社。同社入社後、関西大学第二部(夜間部)に編入し、1953年関西大学経済学部を卒業。1953年(昭和28年)労組委員長。1983年(昭和58年)松下電器取締役を経て、1990年(平成2年)取締役常務に就任した。 2020年 6月4日、老衰のため死去。90歳没。
藤本 武彦(ふじもと たけひこ、1929年(昭和4年)12月… 藤本 武彦(ふじもと たけひこ、1929年(昭和4年)12月8日 - 2014年(平成26年)5月24日)は日本の実業家、元三洋化成工業社長・会長。岡山県出身。
髙瀬 一誌(たかせ かずし、1929年12月7日 - 200… 髙瀬 一誌(たかせ かずし、1929年12月7日 - 2001年5月12日)は昭和から平成期の歌人。本名、高瀬公一郎。 東京府豊多摩郡井荻町(現・杉並区)に生まれる。父は東京商科大学(現・一橋大学)教授・文部大臣・郵政大臣などを歴任した高瀬荘太郎、母方の祖父は台湾銀行副頭取・東洋海上保険(現・日新火災海上保険)社長などを歴任した下坂藤太郎。 1942年に暁星中学校に入学し、戦時中は父の郷里である静岡県富士宮市に疎開して富士宮農学校(現・静岡県立富岳館高等学校)に転校した。1946年に歌誌「をだまき」に入会し、中河幹子(小説家・中河与一の妻)に師事。1951年、蒔田さくら子とともに歌誌「短歌人」に入会し小宮良太郎に師事。
関 眞(せき まこと、1929年〈昭和4年〉12月6日 - … 関 眞(せき まこと、1929年〈昭和4年〉12月6日 - 2005年〈平成17年〉11月29日)は、日本の政治家。埼玉県日高市長(2期)。 埼玉県出身。埼玉県立川越中学校(現・埼玉県立川越高等学校)卒。1983年(昭和58年)、日高町議会議員に初当選。3期務めた(1991年(平成3年)からは日高市議会議員)。また、1989年(平成元年)5月9日から1990年(平成2年)5月14日まで第37代日高町議会副議長を、1993年(平成5年)5月12日から1994年(平成6年)5月10日まで第41代日高市議会議長を務めた。 1995年(平成7年)の日高市長選挙に立候補したが、駒野昇に敗れて落選した。 ※当日有権者数:40,280人 最終投票率:70.95%(前回比:-pts) 1999年(平成11年)、日高市長に立候補して3人を破って初当選を果たした。
村越 潔(むらこし きよし、1929年12月5日 - 201… 村越 潔(むらこし きよし、1929年12月5日 - 2011年8月27日)は、日本の考古学者。弘前大学名誉教授。 北海道北見市出身。生後ほどなく横浜市に移る。日本大学文学部史学科卒。在学中の1953年、登呂遺跡の発掘に参加。新潟県立柏崎高等学校教諭、1958年弘前大学教育学部助手、講師、助教授、78年教授、95年定年退官、名誉教授、青森大学考古学研究所長、社会学部教授。1988年砂沢遺跡で弥生前期水田跡を発見。青森県文化財保護審議会会長。青森市史・浪岡町史編集委員長。
鳥越 信(とりごえ しん、1929年12月4日 - 2013… 鳥越 信(とりごえ しん、1929年12月4日 - 2013年2月14日)は、日本の児童文学研究者、児童文学者。
手塚 武彦(てづか たけひこ、1929年12月4日 - 19… 手塚 武彦(てづか たけひこ、1929年12月4日 - 1993年7月15日)は、日本の教育学者。 東京市(現港区)生まれ。旧姓・佐藤。1953年、東京大学教育学部行政学科卒、国立教育研究所勤務、第五研究部長(比較教育研究)、同研究所次長を歴任。退職後は、青山学院大学教授。 東京大学卒業後に、当時の国立教育研究所に研究員として就き、主としてフランスの教育制度・教育課程について研究を続けてきた。特に、「観察課程と指導課程」に注目した研究で知られた。その後、同研究所一筋に勤務し、腰を据えた研究に専念すると共に、多くの科研費代表として多くの研究者と研究をまとめ上げた実績は高く評価されている。平塚益徳と共に、日本比較教育学会の立ち上げにも尽力した。
藤嶽 彰英(藤岳 彰英、ふじたけ しょうえい、1929年12… 藤嶽 彰英(藤岳 彰英、ふじたけ しょうえい、1929年12月3日 - 2016年10月7日)は、旅行記作家。本名は静(しずか)。 三重県出身。大谷大学文学部国文科卒。読売新聞記者を経て文筆家となる。読売新聞記者時代に旅行記を800回連載。その後、フリーランスの旅行作家として執筆のかたわら、テレビ・ラジオなどにも出演。日本各地の旅行案内を執筆し、特に温泉について詳しかった。旅行ブーム、温泉ブームの火付け役となる。吹田市に居住した。 自著『藤岳彰英の全国温泉の旅味覚の旅』(1987年10月発行)では、塔ノ沢温泉(神奈川県足柄下郡箱根町)の混浴露天風呂で、若い女性が入浴しているところを望遠レンズで盗撮したことを堂々と明かすなど、時代の背景もあるが、性的におおらかな作風であった。
奈良 康明(なら やすあき、1929年12月2日 - )は、… 奈良 康明(なら やすあき、1929年12月2日 - )は、日本の仏教学者、曹洞宗の僧侶、駒澤大学元総長、名誉教授(文学博士、東京大学)。法清寺東堂。永平寺西堂。
村角 泰(むらずみ やすし、1929年12月2日 - )は、… 村角 泰(むらずみ やすし、1929年12月2日 - )は、日本の外交官。外務省儀典長、駐スウェーデン特命全権大使、駐ブラジル特命全権大使などを務めた。 関東州大連市出身。郷里和歌山県で中学校教諭を務めたのち、1953年一橋大学を卒業して外務省入省。同期入省には栗山尚一、平岡千之、三宅和助などがいる。 外務省海外広報課長、外務大臣官房文書課長を経て、外務省情報文化局参事官として、広報を担当。東京サミットでは、国内外のジャーナリストの対応を行った。1979年に設置された内閣官房インドシナ難民対策連絡調整会議事務局の初代事務局長に就任し、難民定住者受け入れのための法人作りなどにあたった。 経済協力開発機構日本政府代表部特命全権公使を経て、1983年7月から在アメリカ合衆国日本国大使館特命全権公使、1985年8月からイラク駐箚特命全権大使を務めたのち、1987年10月に外務省儀典長に就任。
奈良岡 朋子(ならおか ともこ、1929年〈昭和4年〉12月… 奈良岡 朋子(ならおか ともこ、1929年〈昭和4年〉12月1日 - 2023年〈令和5年〉3月23日)は、日本の女優、声優、ナレーター。劇団民藝の代表を務めた。父は洋画家の奈良岡正夫。 東京府東京市本郷区駒込(現:東京都文京区)で生まれる。父・正夫の影響で、子供の頃から絵を描いていた。東京府立第一高等女学校(現・東京都立白鷗高等学校・附属中学校)在学中の1945年に父の故郷である青森県弘前市へ疎開し、青森県立弘前中央高等学校を卒業。 1951年、女子美術大学洋画科を卒業する。「女優にならなければ医者になろう、と学生時代は考えていた」と『人生は三百六十五歩のマーチ』(BSフジ、2020年3月7日放送)のゲストトーク内で話している[出典無効]。
花房 秀三郎(はなふさ ひでさぶろう、1929年12月1日 … 花房 秀三郎(はなふさ ひでさぶろう、1929年12月1日 - 2009年3月15日)は日本のウイルス学者。ロックフェラー大学名誉教授、大阪バイオサイエンス研究所名誉所長。兵庫県西宮市生まれ。 ニワトリにがんを起こす「ラウス肉腫ウイルス」を使った研究で、正常な細胞の中にがん遺伝子の原形が存在し、それをウイルスが取り込み、がんを引き起こす遺伝子(がん遺伝子)に作りかえることを実証した。また、複数のがん遺伝子に共通する構造も見つけた。がんは細胞の遺伝子変異で起きるという発がんの基本的な概念を確立した。