スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
原田 勝正(はらだ かつまさ、1930年9月27日 - 20… 原田 勝正(はらだ かつまさ、1930年9月27日 - 2008年4月7日)は、日本の歴史学者。和光大学名誉教授。 東京出身。専門は日本近現代史、鉄道史。特に鉄道関連の研究で知られた。 旧制浦和高等学校を経て1953年に東京大学法学部政治学科(旧制)卒業。国民金融公庫に就職するが3カ月で退職し、服部之総が主宰する日本近代史研究会同人となる(同人にはほかに色川大吉、川村善二郎、小西四郎、遠山茂樹、松島栄一らがいた)。 1961年から日本国有鉄道総裁室修史課嘱託として『日本国有鉄道百年史』編纂業務に従事。本巻14巻、別巻5巻、総頁数11,719頁におよぶ超大冊の国鉄公式年史をまとめあげるうえで中心メンバーの1人として活動した。
野沢 協(野澤 協、のざわ きょう、1930年(昭和5年)2… 野沢 協(野澤 協、のざわ きょう、1930年(昭和5年)2月1日 - 2015年(平成27年)11月18日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。17・18世紀フランス思想史を専攻。 1930年、神奈川県鎌倉市生まれ。旧制浦和高等学校で学び、高等学校時代からの友人に出口裕弘、澁澤龍彦がいる。1953年、東京大学文学部仏文科を卒業。 1962年、(旧)東京都立大学人文学部仏文科助手に就いた。後に助教授、教授に昇進。1990年から2001年まで、駒澤大学外国語部教授をつとめた。2015年に死去。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
二瓶 敏(にへい さとし、1929年12月10日 - )は、… 二瓶 敏(にへい さとし、1929年12月10日 - )は、マルクス経済学者。元専修大学経済学部教授、専修大学社会科学研究所所員。 横浜市生まれ。兵庫県武庫郡御影町(現在の神戸市東灘区)および台北で育つ。1944年秋に日本に引き揚げ、福島県の旧制会津中学校に転校した。1945年江田島の海軍兵学校に入学した。敗戦後に会津中学校の4年生に復帰した。1947年、旧制浦和高等学校に入学した。1949年に落第および旧制高校廃止により中退し、東京大学教養学部文科2類に入学した。日本共産党に入党した。学生自治会結成と同時に副委員長を務めた。1950年夏より全学連書記局を務めた。「50年問題」では国際派に所属する。
大藤 正雄(おおとう まさお、1929年10月7日 - 20… 大藤 正雄(おおとう まさお、1929年10月7日 - 2012年2月1日)は、日本の医学者、医師。 千葉県東金町生まれ。旧制成東中学校、旧制浦和高等学校を経て、千葉大学医学部卒、同大学院博士課程修了、1959年医学博士。千葉大学助教授、教授、1996年定年退官、名誉教授。放射線医学総合研究所、国保成東病院。さんむ医療センター顧問。海堂尊は大藤を心の師と呼んでいる。
木村 俊房(きむら としふさ、1929年〈昭和4年〉3月13… 木村 俊房(きむら としふさ、1929年〈昭和4年〉3月13日 - 1997年〈平成9年〉1月5日)は、日本の数学者(理学博士)。東京大学教授、日本数学会理事長。 群馬県前橋市出身。父の転勤により浦和へ引っ越し、旧制浦和高等学校を経て、東京大学理学部数学科を卒業。 立教大学助教授を勤めたのち、東京大学理学部数学科教授。1977年(昭和52年)から2年間、日本数学会理事長を務めた。 複素微分方程式の研究で知られる。 常微分方程式、数値解析、確率論など様々な分野の著書がある。 木村俊房 - KAKEN 科学研究費助成事業データベース この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
川村 善二郎(かわむら ぜんじろう、1928年11月1日 -… 川村 善二郎(かわむら ぜんじろう、1928年11月1日 - 2024年1月15日)は、岐阜県出身の部落問題研究者。植木等の妹の夫。 岐阜市伊奈波通に生まれ、1930年から1951年まで東京市本所区両国に育つ。1948年、浦和高等学校 (旧制)文科卒業。同年、東京大学 (旧制)に入った年に植木徹誠の一家と知り合い、初めて三重県の部落差別の話を聞く。1951年、東京大学文学部(日本近代史専攻)卒業。 1953年、植木徹誠の娘と結婚。1961年ごろから徹誠のもとで部落問題を学び始める。『幸徳秋水全集』(明治文献資料刊行会)の編纂・解説に当たる。 和光大学、法政大学、女子聖学院短期大学、東京経済大学、横浜市立大学、東京学芸大学の各講師を歴任。
野田 正穂(のた まさほ、1928年9月10日 - 2008… 野田 正穂(のた まさほ、1928年9月10日 - 2008年3月7日)は、日本の経営学者、法政大学名誉教授。 東京都生まれ。旧制浦和高等学校、東京大学経済学部卒業。1953年東京大学大学院中退、1960年法政大学大学院博士課程中退。1960年法政大学経済学部専任講師、1963年経営学部助教授、1969年より教授。1986年「日本証券市場成立史」で法政大経済学博士。法政大学経営学部教授を1999年に定年、名誉教授。鉄道研究でも知られた。 2008年3月7日、食道癌のため死去。
柳父 章(やなぶ あきら、1928年6月12日 - 2018… 柳父 章(やなぶ あきら、1928年6月12日 - 2018年1月2日)は、翻訳語研究者、比較文化論研究者。桃山学院大学名誉教授。本名・章新(ゆきよし)。 東京生まれ。父は農商務省の官吏。旧制浦和高等学校に進むが、20歳の時肺結核を病み、サナトリウムで8年の療養を余儀なくされる。その後東京大学に入り、はじめ理系だったが「文転」し、教養学部国際関係論を卒業した。同期に蓮實重彦がおり、在学中、「東京大学新聞」に「黒船ショック以後」「武内宿祢」などを載せ、五月祭賞を受賞、堀田善衛らの賞賛を受けた。卒業後は評論家となるべく、私塾講師などをしながら著述を出すが、1987年、大学時代のフランス語の師であった平井啓之の誘いで桃山学院大学教授となる。
柳沼 重剛(やぎぬま しげたけ、1926年12月1日 - 2… 柳沼 重剛(やぎぬま しげたけ、1926年12月1日 - 2008年7月29日)は、日本の西洋古典学者。筑波大学名誉教授、プルタルコスの原典訳が著名。 1926年(大正15年)、東京生まれ。浦和高等学校(旧制)を卒業。大正生まれで在学中に学徒出陣で徴兵。最後の初年兵として兵役につき広島県八本松町(現:東広島市)に駐在、1945年8月6日の広島に原爆投下直後から終戦まで約10日間駐留、爆心地で救援に当たり二次被曝した。1949年、京都大学文学部を卒業、田中美知太郎や松平千秋の門下生であった。 1949~56年、都立九段高校で、英語教師として「英語」と「世界史」を担当しつつ、東京大学大学院で、高津春繁の指導を受けた。
平良 敬一(たいら けいいち、1926年3月31日 - 20… 平良 敬一(たいら けいいち、1926年3月31日 - 2020年4月29日)は、建築評論家で多くの建築雑誌で編集に勤めた。沖縄県生まれ。 旧制浦和高等学校を経て、名古屋帝国大学工学部金属学科に入学するも、1946年、新制の東京大学に再入学。
小林 禎作(こばやし ていさく、1925年10月22日 - … 小林 禎作(こばやし ていさく、1925年10月22日 - 1987年3月8日)は、日本の物理学者、雪学者。 神奈川県鎌倉市生まれ。旧制浦和高等学校を経て、1948年、北海道帝国大学理学部物理学科卒業。北海道江別高等学校教諭。1949年8月、北海道大学低温科学研究所助手、1963年に助教授、1980年に教授、物理学部門主任。 雪の結晶についての実験研究に取り組み、中谷宇吉郎が示した雪の結晶の形状と雲の温度・湿度に関する「中谷ダイアグラム」を拡張、精緻化した「中谷・小林ダイアグラム」を開発し、1960年に日本気象学会賞を受賞した。
戸谷 洋(とや ひろし、1923年 - 2002年12月6日… 戸谷 洋(とや ひろし、1923年 - 2002年12月6日)は、日本の地理学者、理学博士。旧・東京都立大学名誉教授。専門は自然地理学。 1923年に東京府で生まれる。第一東京市立中学校、旧制浦和高等学校を経て、東京大学へ進学し、辻村太郎、多田文男などに師事する。その後、東京都立大学理学部地理学教室助手となり、後に教授に就任する。1986年に同大学を退官後は、帝京大学教授などを歴任した。 1957年には、観測船宗谷で第一次南極観測隊に吉川虎雄などとともに夏隊隊員として参加した。これは、昭和基地構築のための先遣隊として、日本隊で初めてオングル島の同地の選定調査をするものであった。また、アフリカの地形調査へ赴くなど、探検家として日本の先駆的存在の一人である。
鹿取 泰衛(かとり やすえ、1921年7月16日 - 200… 鹿取 泰衛(かとり やすえ、1921年7月16日 - 2003年1月11日)は、日本の外交官。位階は正三位。 外務大臣官房長、外務審議官、駐中国特命全権大使、駐ソ連特命全権大使。 宮城県仙台市出身。1941年浦和高等学校文科乙類卒業。1943年東京帝国大学法学部政治学科中退、外務省入省。ドイツ語研修を受ける。在ドイツ日本国大使館一等書記官を経て、1963年外務省欧亜局西欧課長。1965年外務省外務大臣官房会計課長。1967年外務省北米局外務参事官。同年在シアトル日本国総領事館総領事。1969年在インド日本国大使館参事官。1970年外務省経済協力局外務参事官。1972年外務省外務大臣官房長。1974年外務省経済協力局長。
吉田 正己(よしだ まさみ、1921年6月26日 - 197… 吉田 正己(よしだ まさみ、1921年6月26日 - 1977年12月2日)は、ドイツ文学者。 北海道岩内郡共和町出身。浦和高等学校(旧制)卒、1948年東京帝国大学独文科卒。東京大学教養学部助教授、教授。1972年定年退官。 1977年12月2日、S字結腸癌のため死去。 フロイトなどを訳した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
藤沼 基利(ふじぬま もととし、1920年4月30日 - 1… 藤沼 基利(ふじぬま もととし、1920年4月30日 - 1984年11月20日)は、日本の実業家。積水化学工業株式会社代表取締役社長。 父・不二男、母・ミキの長男として東京日本橋で出生。不二男は院展系の日本画家。大森第二小学校、芝中学校を経て、1939年(昭和14年)旧制浦和高等学校文科甲類に入学。1944年(昭和19年)東京帝国大学経済学部経済学科卒業。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、1944年(昭和19年)2月、海軍経理学校に入校。同年9月、経理学校を卒業し、同年12月、海軍主計少尉に任官。終戦を迎え、1945年(昭和20年)9月、主計中尉に進み予備役に編入された。 1953年(昭和28年)積水化学工業株式会社に入社。
酒井 新二(さかい しんじ、1920年1月4日 - 2016… 酒井 新二(さかい しんじ、1920年1月4日 - 2016年12月18日)は、日本のジャーナリスト。 東京都千代田区神田須田町に自転車屋を営む家の7人兄弟の次男として生まれる。浦和高等学校を経て東京帝国大学法学部政治学科(南原繁研究室所属)を卒業。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、1942年9月に海軍経理学校に入校。1943年(昭和18年)1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。太平洋戦争に従軍しラバウルをはじめ南方海域を転戦。1944年5月に海軍主計大尉に進む。1945年8月6日の広島原爆を呉にて、9日の長崎原爆を大村にて体験。松山海軍航空隊主計長兼同地軍需部支部員として終戦を迎えた。
斎藤 成文(さいとう しげぶみ、1919年9月17日 - 2… 斎藤 成文(さいとう しげぶみ、1919年9月17日 - 2020年10月7日)は、日本の電気工学者。東京大学名誉教授。専門は宇宙電子工学、マイクロ波工学。宇宙通信技術の向上に尽くし、日本の宇宙開発に貢献した。 1919年、東京都に生まれる。慶応義塾普通部から浦和高等学校 (旧制)を経て、1941年12月、東京帝国大学工学部電気工学科を卒業し、終戦まで海軍短期現役技術士官としてマイクロ波レーダの開発を行う。 終戦後、東京大学第二工学部助教授、1951年東京大学工学博士。「高周波誘電加熱に関する基礎的研究」。MIT客員教授を経て、1957年に東京大学生産技術研究所助教授として観測ロケット特別事業に参加し、同年教授に就任。
小川 超(おがわ ちょう、1918年 - 1982年11月3… 小川 超(おがわ ちょう、1918年 - 1982年11月30日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。 勲三等旭日中綬章 愛媛県生まれ。浦和高等学校(旧制)卒、1948年東京帝国大学文学部独文科卒。立教大学教授、横浜市立大学教授、東京大学教養学部教授、1979年定年、名誉教授、お茶の水女子大学教授、図書館情報大学教授を務め、在任中に死去した。ドイツ文学の子供向け翻訳を多くした。
門司 親徳(もじ ちかのり、1917年12月9日 - 200… 門司 親徳(もじ ちかのり、1917年12月9日 - 2008年8月16日)は、日本の海軍軍人、実業家。短現6期。最終階級は海軍主計少佐。戦後は日本興業銀行取締役総務部長、丸三証券社長を務める。 1917年12月9日、東京府に生まれる。1933年に東京府立第六中学校を、1937年に浦和高等学校を、1941年に東京帝国大学経済学部を卒業し、日本興業銀行に入社。 1941年4月18日、6期短期現役海軍主計科士官として海軍経理学校に入校。同期生に中曽根康弘、鳩山威一郎がいる。8月11日、同校を卒業。8月、戦艦「陸奥」に乗組。1941年10月2日、「瑞鶴」に乗組、庶務主任に就任。12月、真珠湾攻撃及びマレー作戦により太平洋戦争開戦。
相馬 信夫(そうま のぶお、Aloysius Nobuo S… 相馬 信夫(そうま のぶお、Aloysius Nobuo Soma, 1916年6月21日-1997年10月6日)は、日本のカトリック教会聖職者。洗礼名は「アロイジオ」。カトリック名古屋教区第2代司教を務めた。 相馬又二郎と鈴子の三男として、東京市神田区で生まれた。祖父は専修大学創立者相馬永胤。1921年にカトリック神田教会で受洗し、1934年3月に浦和高等学校を卒業し、1941年3月に東京帝国大学理学部天文学科を卒業。さらに同大学院で学んだ。1942年に応召し、ニューブリテン島現パプア・ニューギニアのラバウルに出征。1946年に帰国。 1953年に東京カトリック神学院入学。1960年3月18日に東京教区司祭として叙階された。
山川 篤(やまかわ あつし、1914年(大正3年)11月3日… 山川 篤(やまかわ あつし、1914年(大正3年)11月3日 - 1997年(平成9年)5月29日)は、日本のフランス文学者。名古屋大学名誉教授。 愛知県(現:岩倉市)出身。東京で育ち、麻布中学校、旧制浦和高等学校卒、1938年東京帝国大学文学部仏文科卒。外務省嘱託として仏印に渡る。1948年第八高等学校教授、49年名古屋大学教養部助教授、56年文学部助教授、70年教授、71年「フローベール研究 作品批評史 1850~1870」で東大文学博士。78年名大定年退官、名誉教授。南山大学教授、83年退職。
奥村 虎雄(おくむら とらお、1914年6月23日 - 没年… 奥村 虎雄(おくむら とらお、1914年6月23日 - 没年不明)は、愛媛県出身の通産官僚、業界団体役員。 浦和高等学校 (旧制)を経て、1938年東京帝国大学法学部卒業。同年商工省入省。同期に倉八正(特許庁長官、石油公団4代目総裁)、橋口隆(衆議院議員、総務副長官(政務担当))日高準之介(日銀政策委員経企庁代表)、奥宮正典(石油鉱業連盟副会長)、五神辰雄(中大法卒、神奈川県副知事)、磯野太郎(繊維局長)など。 1962年1月総理府土地調整委員会事務局長で退官。のち日本鉄鋼連盟へ。専務理事を経て、1980年副会長。在任中、業界団体のなかでは先駆けて、鉄鋼各社をリードする人材育成をする必要性から、各社従業員の技術革新への対応のために産業技術短期大学への派遣、自由化・国際化への対応のために欧米諸国への研修生派遣などの措置をとり、高度経済成長期に鉄鋼連盟はその他業界団体の模範として知られてゆくこととなった。
遠山 茂樹(とおやま しげき、1914年〈大正3年〉2月23… 遠山 茂樹(とおやま しげき、1914年〈大正3年〉2月23日 - 2011年〈平成23年〉8月31日)は、日本の歴史学者。研究分野は日本近代史、東アジア史、東洋史、自由民権運動、明治維新、歴史教育。横浜市立大学名誉教授。『遠山茂樹著作集』(全9巻、岩波書店刊)がある。 1914年、東京市京橋区(現東京都中央区)月島で生まれた。旧制浦和高等学校で学び、1934年に卒業。東京帝国大学国史学科に進学し、1938年に卒業。 1938年から1942年まで文部省維新史料編纂事務局に勤務。1942年から東京帝国大学史料編纂所に勤務。1951年から1952年までは東京大学教職員組合委員長を務めた。1956年、東京大学を退職。
西尾 光一(にしお こういち、1913年(大正2年)6月21… 西尾 光一(にしお こういち、1913年(大正2年)6月21日 - 1998年(平成10年)3月19日)は、日本の国文学者。 西尾実の長男として長野県下伊那郡飯田町(現飯田市)に生まれる。1926年、一家で東京府豊多摩郡落合町に移る。旧制浦和高等学校文科を経て、1936年東京帝国大学文学部国文科卒。 1943年陸軍士官学校教授、1946年東京外国語大学教授を経て、1949年山梨大学教授、1979年定年退官、名誉教授、同年清泉女子大学教授、1985年上田女子短期大学学長。1989年11月勲三等旭日中綬章受章。中世説話文学を専門とした。
林 大 (はやし おおき、1913年5月8日 - 2004年… 林 大 (はやし おおき、1913年5月8日 - 2004年3月30日) は、日本の国語学者。国立国語研究所所長、国語学会代表理事などを務めた。 林古渓の長男として、東京市に生まれた。1934年に浦和高等学校を卒業し、東京帝国大学に入った。文学部国文学科で橋本進吉に師事し、1937年に卒業した。 1946年に文部省教科書局嘱託となる。1949年からは、国立国語研究所と文部省調査普及局国語課に兼務した。1960年には国立国語研究所第一研究部部長、1966年には同第四研究部部長に任ぜられた。 1967年からは文部省初等中等教育局視学官、1972年からは同主任視学官として、学年別漢字配当表および学習指導要領国語科編の改訂にたずさわった。
小沢 正夫(おざわ まさお、1912年11月 - 2005年… 小沢 正夫(おざわ まさお、1912年11月 - 2005年)は、日本の国文学者、愛知県立大学名誉教授。 1912年、東京で生まれた。本籍・茨城県古河市。暁星中学校、浦和高等学校を卒業し、東京帝国大学国文科に進んだ。1935年に同大学を卒業。 1936年より愛知淑徳高等女学校教諭として勤務。1938年からは愛知県第一高等女学校教諭として勤務した。 太平洋戦争後の1947年、愛知県立女子専門学校教授に就いた。1950年に同専門学校が愛知県立女子短期大学となると、同大学助教授となった。1957年に教授昇格。1961年、学位論文『古代歌学の形成についての研究』を東京大学に提出して文学博士号を取得。1966年、愛知県立大学教授に転じた。
田中 忠雄(たなか ただお 1911年11月20日 - 19… 田中 忠雄(たなか ただお 1911年11月20日 - 1983年10月19日)は、日本の実業家。元日本電気(NEC)社長。秋田県出身。 旧制埼玉県立浦和中学校、旧制浦和高等学校文科甲類を経て、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。 1976年6月、小林宏治の後任として日本電気社長に就任。コンピュータトレーニングキットTK-80が発売されたのは、田中の社長就任直後の1976年8月であった。1980年、関本忠弘に譲る形で社長を退任した。1983年10月19日、死去。71歳没。 学生時代はバレーボール部に所属。日本電気女子バレーボール部(現・NECレッドロケッツ川崎)は、田中が社長在任中だった1978年にヤシカバレーボール部からの移籍という形で創部された。
山口 平四郎(やまぐち へいしろう、1910年(明治43年)… 山口 平四郎(やまぐち へいしろう、1910年(明治43年)1月9日 - 2010年(平成22年)1月17日)は、日本の地理学者。立命館大学名誉教授。元人文地理学会会長。授勲勲三等瑞宝章。 日本において第二次世界大戦前から一貫して交通地理学研究を続けてきた唯一の人物。人文地理学会の発足に参画し、機関紙「人文地理」の発刊と頒布にも尽力。 陸軍中将・山口勝の四男として神奈川県横須賀市に生まれる。山口家の本拠は東京にあったが、父が軍人だった関係で小学校を2度転校した。小学生時より地理に関心を持ち、世界の高山や大河を表にしたり、国々や都市の人口、産物、鉄道などの統計を収集したりした。東京開成中学校を経て、1927年(昭和2年)4月、浦和高等学校文科甲類入学。
細谷 俊夫(ほそや としお、1909年〈明治42年〉8月29… 細谷 俊夫(ほそや としお、1909年〈明治42年〉8月29日 - 2005年〈平成17年〉5月16日)は、日本の教育学者。 東京府北多摩郡清瀬村生まれ。旧制東京府立第六中学校、旧制浦和高等学校を経て、1932年に東京帝国大学文学部教育学科を卒業。尋常小学校の訓導を経て、1946年岡崎高等師範学校教授、名古屋大学教育学部の創設に参加、1949年名大教授。1952年東大教育学部教授、1970年定年退官、名誉教授、立教大学教授。白梅学園短期大学学長。産業技術教育を研究、日本産業教育学会理事長。1937年には教育科学研究会技術教育研究部会に参加した。 妻は入沢宗寿(教育学者)の長女。長女はコロンビア大学C・V・スター東アジア図書館司書で、牧野成一(言語学者、プリンストン大学名誉教授)の妻。
関野 克(せきの まさる、1909年2月14日 - 2001… 関野 克(せきの まさる、1909年2月14日 - 2001年1月25日)は、日本の建築史学者、東京大学名誉教授。文化功労者。 東京生まれ。1929年、旧制浦和高等学校理科甲類卒業。1933年、東京帝国大学工学部建築学科卒。1945年、東京大学工学博士。1946年、母校(のち東京大学)教授。1965年、東京国立文化財研究所所長を歴任。1979年~1991年、博物館明治村館長。1990年、文化功労者。墓所は多磨霊園。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
李 弘稙(イ・ホンジク、1909年 - 1970年)は、韓国… 李 弘稙(イ・ホンジク、1909年 - 1970年)は、韓国の歴史学者。朝鮮古代史を専攻。本貫は韓山李氏。 号は南雲。京畿道利川市出身。幼少時に日本に移住する。1931年、浦和高等学校卒業。1935年、東京帝国大学文学部卒業。1936年に帰国。帰国後は李王職に在職していた。 解放後は延禧専門学校講師、明倫専門学校講師、国立中央博物館課長(1945年 - 1951年)。1953年、延禧大学(延世大学)教授。1958年、高麗大学教授。学外では、国史編纂委員会委員、国宝古蹟名勝天然記念物保存会副委員、文化財委員会委員長、大韓民国学術院委員など。 史料批判を重視した実証的な高水準の研究により、韓国の歴史学の発展に大きく寄与した。
吉川 逸治(よしかわ いつじ、1908年12月14日 - 2… 吉川 逸治(よしかわ いつじ、1908年12月14日 - 2002年12月5日)は、日本の美術史学者。西洋美術史専攻。東京大学名誉教授。従兄は中国文学者の吉川幸次郎。 神奈川県横浜市生まれ。旧制神奈川県立横浜第一中学校、旧制浦和高等学校、東京帝国大学文学部美学美術史学科卒業。矢代幸雄に師事。1933年から1939年までフランスに留学、アンリ・フォシヨンに師事。「サン・サヴァン教会堂のヨハネ黙示録画の研究」でパリ大学より博士号取得。ロマネスク建築・壁画研究を専門とした。 1947年東京芸術大学教授を経て1953年東京大学文学部助教授、1955年教授、1969年定年退官後、大和文華館館長。後に名古屋大学教授、東海大学教授。
吉岡 力(よしおか つとむ、1908年(明治41年)1月19… 吉岡 力(よしおか つとむ、1908年(明治41年)1月19日 - 1975年(昭和50年)10月25日)は、日本のオリエント史学者。 1908年、山口県生まれ。東京帝国大学で学び、卒業した。 卒業後は旧制浦和高等学校教授に就いた。戦後、東京大学教養学部助教授となった。1951年に教授に昇進。1968年に東京大学を定年退官した。その後は東海大学教授として教鞭をとった。また、歴史教育研究所を設立し、所長を務めた。 専門は古代オリエント史。一般には世界史に関する受験参考書を多く書いたことで知られている。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
大野 真弓(おおの まゆみ、男性、1907年11月6日 - … 大野 真弓(おおの まゆみ、男性、1907年11月6日 - 2002年11月27日)は、日本の西洋史学者、横浜市立大学名誉教授。英国史が専門。 東京生まれ。浦和高等学校から1931年東京帝国大学西洋史学科卒業、東京府立第一商業学校(現在の東京都立第一商業高等学校)教諭を経て、1937年に第六高等学校教授。戦後1950年に岡山大学法文学部教授、1953年に横浜市立大学教授。1970年に定年、後にフェリス女学院大学客員教授を務めた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
津田 恭介(つだ きょうすけ、1907年(明治40年)2月1… 津田 恭介(つだ きょうすけ、1907年(明治40年)2月10日 - 1999年(平成9年)6月17日)は、日本の薬学者、有機化学者。台湾生まれ、埼玉県出身。海産天然物の医薬品を開発。またフグ毒のテトロドトキシンを抽出する分離精製法を開発し、化学構造を決定した。1980年文化功労者。1982年文化勲章受章。位階は従三位。 旧制浦和高校、東京帝国大学医学部薬学科卒業。九州大学医学部教授、東京大学薬学部教授、東京大学応用微生物研究所所長、共立薬科大学学長、厚生省(現厚生労働省)薬事審議会会長などを歴任。フグ毒テトロドトキシンの抽出分離製法を開発し化学構造を解明、漢方薬成分マトリンの化学構造を解明、海藻類のコレステロールを発見した。
和田 重正(わだ しげまさ、1907年1月23日 - 199… 和田 重正(わだ しげまさ、1907年1月23日 - 1993年5月15日)は、日本の教育家、文筆家。 鎌倉生まれ。父は鉱物学者の和田八重造。 浦和高等学校卒、1929年東京帝国大学法学部法律学科卒。17歳の頃から人生に深く悩み、28歳で機縁にめぐりあって東京西荻窪で青年のため、一誠寮をという寮を開く。 戦後は小田原で「はじめ寮」、1967年から山北町に一心寮を設けて青少年と生活をともにする。 くだかけ会(家庭教育を見直す会)主宰。同行教育人生科を提唱。息子の和田重良が後継者となり「くだかけ生活舎」を運営している。
田辺 貞之助(たなべ ていのすけ、1905年1月30日 - … 田辺 貞之助(たなべ ていのすけ、1905年1月30日 - 1984年9月7日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。 東京市深川区(現・東京都江東区深川)に生まれる。旧制一高を経て、1928年東京帝国大学文学部仏文科卒。暁星中学校講師、浦和高等学校教授を務め、戦後は東京大学教養学部助教授・教授、1966年に定年で退任後は、早稲田大学客員教授、埼玉医科大学教授を務め、1976年に名誉教授となった。 フランス文学作品は、ユイスマンス、ゴーティエほかの幻想文学、また自然主義文学ではエミール・ゾラ、ギ・ド・モーパッサンなど多数を訳し、数多くのフランス艶笑譚の翻訳から近世小咄の研究まで洒脱な随筆調の作品を著した。
川口 浩(かわぐち ひろし、1905年1月29日 - 198… 川口 浩(かわぐち ひろし、1905年1月29日 - 1984年8月18日)は、日本のドイツ文学者、文芸理論家。中央大学名誉教授。 神奈川県横浜市生まれ。本名・山口忠幸。浦和高等学校(旧制)卒、1929年東京帝国大学文学部独文科卒。在学中から左翼文学運動に携わり、林房雄、中野重治、久板栄二郎らとマルクス主義芸術研究会を作る。27年、蔵原惟人、林らと労農芸術家連盟を脱退、前衛芸術家同盟の結成に参画。その後はナップの線に沿って活動した。非公然活動をしていた蔵原惟人の論文に名義貸しをしたこともある。戦後は中央大学教授、1975年定年退任。
飯村 義美(いいむら よしみ、1901年4月27日 - 19… 飯村 義美(いいむら よしみ、1901年4月27日 - 1986年9月16日)は日本の法律家。最高裁判所裁判官。 長野県東筑摩郡笹賀村(現松本市)生まれ。浦和高等学校を経て、1929年東京帝国大学法学部卒業、同年高等文官試験司法科合格。翌年同試験行政科合格。1931年東京府で弁護士開業。1943年中外製薬監査役に就任。1948年東京弁護士会副会長、1950年日本弁護士連合会常任理事となる。1967年から1971年まで最高裁判所裁判官を務める。1973年勲一等瑞宝章受章。 その他、法制審議会の民事訴訟法部・商法部委員や東京家庭裁判所の調停委員も務めた。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。
秦 慧玉(はた えぎょく、1896年3月25日 - 1985… 秦 慧玉(はた えぎょく、1896年3月25日 - 1985年1月2日)は、日本の仏教学者。駒澤大学教授。永平寺76世貫首、曹洞宗管長。号は「明峰」。 兵庫県生まれ。5歳で秦慧昭について得度。曹洞宗大学林(現駒澤大学)卒業。岐阜県の正眼寺で修行。1923年に東京帝国大学に入学。同年5月、宇井伯寿の勧めで、東北帝国大学に転学。武内義雄に師事し支那学を研究した。1926年東北帝国大学を卒業。同年9月、旧制浦和高等学校(現埼玉大学)の教授となる。のち駒澤大学教授。 1976年に曹洞宗管長、永平寺76世貫首。1980年全日本仏教会会長就任。仏教を通して国際親善に尽力。1983年清水寺の大西良慶貫主の本葬では大導師を務めた。
菊沢 季麿(きくざわ すえまろ、1885年(明治18年)9月… 菊沢 季麿(きくざわ すえまろ、1885年(明治18年)9月1日 - 1936年(昭和11年)11月20日)は、日本の文部官僚。旧制浦和高等学校校長。 滋賀県に華房誓因の四男として生まれ、菊沢保孝の養子となった。1913年(大正2年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、高等文官試験に合格した。鳥取県理事官、東北帝国大学事務官、文部事務官、同書記官・東京帝国大学書記官兼秘書官、文部省宗教局長・大臣官房秘書課長を歴任した後、浦和高等学校校長となった。
野口 保市郎(のぐち やすいちろう、1883年3月21日 -… 野口 保市郎(のぐち やすいちろう、1883年3月21日 - 1952年8月5日)は、日本の地理学者。 茨城県出身。1912年に東京帝国大学西洋史学科を卒業した。 郁文館中学校・開成中学校・成蹊中学校教諭、浦和高等学校講師などを経て、1921年より法政大学で教授を務めた。また、中央大学教授も務めている。 1949年に「常陸風土記の歴史地理学的研究」で東北大学より文学博士号を取得した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。