神津 善三郎(こうづ ぜんざぶろう、1919年12月31日 … 神津 善三郎(こうづ ぜんざぶろう、1919年12月31日 - 2002年5月15日)は日本の教育学者。専門は日本教育史。 長野県北佐久郡志賀村(現佐久市)生まれ、同郡小諸町(現小諸市)出身。旧制上田中学(現長野県上田高等学校)を経て、1944年慶應義塾大学文学部卒業。長野県短期大学(現長野県立大学)講師をへて、1961年教授、1976年学長就任。1984年長野大学学長に就任。1961年教育学博士(慶應義塾大学)(論文タイトルは『近代日本における義務教育の就学に関する研究:長野県における学齢期勤労児童の場合』) 長野県地方自治研究センター理事長やコープながの理事長を歴任した。1993年勲三等旭日中綬章。
西村 進一(にしむら しんいち、1919年12月30日 - … 西村 進一(にしむら しんいち、1919年12月30日 - 2006年11月13日)は、京都府出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。旧姓は木村。
小島 清文(こじま きよふみ、1919年〈大正8年〉12月2… 小島 清文(こじま きよふみ、1919年〈大正8年〉12月28日 - 2002年〈平成14年〉3月1日)は、日本の反戦運動家。台湾台北市出身。太平洋戦争末期に戦いの最前線であるルソン島での戦闘に参加し、アメリカ軍の前に敗北必至となった際、「生きて慮中の辱(はずかしめ)を受けず」、つまり敵軍の捕虜になるくらいなら死を選べとの日本軍の心得「戦陣訓」が絶対視された戦中において、敢えて投降の道を選んだ。戦後、後世に自分たちと同じ思いをさせず、戦争のない世界を作るために不戦と平和のために献身した。 慶應義塾大学経済学部を卒業後、太平洋戦争の戦局悪化の最中、海軍兵科予備学生隊を経て少尉に任官した。戦艦大和の暗号士として暗号電信解読の任務についていたが、1944年(昭和19年)12月、ルソン島での陸上勤務を命じられた。
上岡 一嘉(かみおか かずよし、1919年12月28日- 1… 上岡 一嘉(かみおか かずよし、1919年12月28日- 1991年3月6日)は、日本の経済学者。専門はマーケティング。学校法人足利学園および白鷗大学の経営者。 栃木県足利市出身。父上岡長四郎、母上岡た津は足利学園の創設者だった。 1938年、県立足利中学校卒業。1943年、早稲田大学商学部卒業、足利学園高等学校に勤務。1948年1月、GHQ民間情報局勤務。1949年5月、東京都庁経済局勤務。1954年10月、法政大学経済学部および経営学部講師。1956年4月、青山学院大学経済学部講師、1963年同教授。1967年、大阪学院大学教授。1976年2月、足利学園理事長に就任。1976年白鷗女子短期大学2代目学長。
天川 清三郎(あまかわ せいざぶろう、1919年12月27日… 天川 清三郎(あまかわ せいざぶろう、1919年12月27日 - 1944年10月26日)は京都府出身のプロ野球選手(投手、外野手)。
吉田 太郎一(よしだ たろういち、1919年(大正8年)12… 吉田 太郎一(よしだ たろういち、1919年(大正8年)12月24日 - 2014年(平成26年)3月14日)は、日本の財務官僚。京都府出身。 関東財務局長、大蔵省大臣官房審議官(銀行局担当)、経済企画庁長官官房長を経て、1972年(昭和47年)大蔵省銀行局長。1974年(昭和49年)財務官に就任。 1976年(昭和51年)に退官。その後、アジア開発銀行総裁、東京金融先物取引所理事長を歴任し、1993年(平成5年)の秋の叙勲で勲一等瑞宝章を受章。 2014年3月14日午前10時40分、肺気腫のため東京都世田谷区の自宅で死去。94歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
金 聖煥(キム・ソンファン、朝: 김성환、1919年12月2… 金 聖煥(キム・ソンファン、朝: 김성환、1919年12月24日 - 1979年10月8日)は、大韓民国の銀行家、政治家。第11代韓国銀行総裁、第10代韓国国会議員を歴任した。 本貫は慶州金氏。号は蕙山(ヘサン、혜산)、漢字表記は金 聖喚とも。 日本統治時代の平安南道平壌府(現・朝鮮民主主義人民共和国平壌市)倉田里出身。1940年福島高等商業学校卒。その後朝鮮銀行に入行し、1945年時点で同行平壌支店支配人代理を務めた。解放後はしばらく同支店が改組した朝鮮中央銀行外城支店に勤めたが、朝鮮戦争中の韓国軍と国連軍の平壌入城により帰順し、通行証を得て釜山まで南下し韓国銀行に再入行した。1951年から韓国銀行計理課長・文書課長・秘書課長・貿易金融課長・業務課長・業務部次長・銀行監督部管理局長・外換管理部長・業務部長・理事・銀行監督院長・第11代総裁(1970年5月2日~1978年5月1日)を歴任した。
豊嶌 雅男(とよしま まさお、1919年12月23日 - 1… 豊嶌 雅男(とよしま まさお、1919年12月23日 - 1945年3月10日)は、大阪府大阪市出身の元大相撲力士。本名は西村 雅男(にしむら まさお)。
江坂 輝弥(えさか てるや、1919年12月23日 - 20… 江坂 輝弥(えさか てるや、1919年12月23日 - 2015年2月8日)は、日本の考古学者。慶應義塾大学名誉教授。なお本名の正式な表記は「輝彌」である。 東京生まれ。慶應義塾大学文学部史学科卒業。慶應義塾大学文学部助教授、1971年教授。1982年「縄文土器文化研究序説」で慶應義塾大学より文学博士の学位を取得。1985年定年退任、名誉教授、松阪大学教授。1996年退職。縄文土器、石器時代の日本と大陸との交流について研究。1966年、坂詰秀一、芹沢長介と『考古学ジャーナル』を創刊。 2015年2月8日、老衰のため死去。95歳没。
本間 爽悦(ほんま そうえつ、1919年12月23日 - 1… 本間 爽悦(ほんま そうえつ、1919年12月23日 - 1981年3月13日)は、将棋棋士。棋士番号30。大阪府枚方市出身。中井捨吉八段門下。本名は一雄。 1935年中井捨吉門下で奨励会入り。1942年四段。 1961年に第9期王座戦で優勝、1964年に第5期棋聖戦で大山康晴に挑戦するも3連敗で敗退。日本将棋連盟理事を長く務めた。 1973年八段。1981年、現役中に呼吸不全で死去。 この項目は、将棋の棋士(女流棋士・アマチュアを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:ボードゲーム/プロジェクト:人物伝)。
林田 正恒(はやしだ まさつね、1919年 <大正8年> 1… 林田 正恒(はやしだ まさつね、1919年 <大正8年> 12月22日 - 2010年 <平成22年> 1月22日)は、日本の地方公務員、経営者。熊本県教育長、熊本朝日放送初代社長を務めた。福島県出身。 1943年に立教大学経済学部を卒業。 熊本県庁での勤務を経て、1975年に熊本県教育委員会教育長、1980年に熊本県信用保証協会専務理事を経て、1988年12月に熊本朝日放送社長に就任。1996年6月から1997年6月までに会長を務めた。 2010年1月22日心不全のために死去。90歳没。
関口 晃一(せきぐち こういち、1919年12月20日 - … 関口 晃一(せきぐち こういち、1919年12月20日 - 2012年2月1日)は、日本の動物学者。 埼玉県北埼玉郡騎西町(現・加須市)出身。東京高等師範学校、1943年東京文理科大学理科卒。1945年同副手、1947年助手、1957年「遠心処理によつてつくられたクモ重複畸形」で東京教育大学理学博士。1962年東京教育大学助教授、1973年教授。移転で筑波大学教授、1983年定年退官、名誉教授、上武大学教授。1991年退職。1979年日本動物学会賞受賞。1988-1993年日本蜘蛛学会会長を務めた。カブトガニの研究で知られる。
桑田 琢磨(くわた たくま、1919年12月19日 - 20… 桑田 琢磨(くわた たくま、1919年12月19日 - 2011年4月22日)は、日本の経営者。時事通信社代表取締役を務めた。 広島県福山市出身。1944年に中央大学を卒業し、同盟通信社での勤務を経て、1945年に時事通信社に入社。1974年に取締役に就任し、1978年から1980年までに代表取締役を務めた。 2011年4月22日肺炎のために死去。91歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
山田 浅蔵(やまだ あさぞう、1919年12月19日 - 2… 山田 浅蔵(やまだ あさぞう、1919年12月19日 - 2008年8月21日)は、日本の音楽教育者・学者。 滋賀県出身。東京音楽学校卒。東京都立白鴎高等学校音楽教諭、武蔵野音楽大学教授。90年定年退職。
大橋 健三郎(おおはし けんざぶろう、1919年12月18日… 大橋 健三郎(おおはし けんざぶろう、1919年12月18日 - 2014年4月22日)は、日本のアメリカ文学者、翻訳家。東京大学名誉教授。 京都市中京の呉服卸商の家に生まれる。1937年(昭和12年)、京都市立第一商業学校(現京都市立西京高等学校・附属中学校)を卒業し、東京外国語学校英語科入学) 1941年、東北帝国大学英文科に入学。土居光知に師事し、阿部次郎、小宮豊隆の教えを受けて夏目漱石に傾倒するが、戦争のため二年で繰上げ卒業、海軍予備学生、予備士官として各地を転々とする。 戦後、仙台工業専門学校(現仙台高等工業学校)教授。1948年(昭和23年)、横浜市立経済専門学校教授、また横浜市立大学助教授。
小山田 隆(おやまだ たかし、1919年12月18日 - 2… 小山田 隆(おやまだ たかし、1919年12月18日 - 2009年11月20日)は、日本の外交官。初代バングラデシュ人民共和国駐箚日本国特命全権大使として知られる。
廣末 保(ひろすえ たもつ、1919年12月18日 - 19… 廣末 保(ひろすえ たもつ、1919年12月18日 - 1993年10月26日)は、日本の近世文学研究者、演劇評論家。法政大学教授。主に松尾芭蕉、近松門左衛門、井原西鶴、弘瀬金蔵(絵金)、鶴屋南北などを研究した。 高知市出身。旧制高知高等学校を経て、1941年東京帝国大学文学部国文学科卒。1948年、法政大学第一教養部教授。戦後、日本文学協会で活動し、1955年の最初の著書『元禄文学研究』で注目された。1967年、法政大学文学部教授。1976年に文学部教授を務めた。 柳田國男、折口信夫の民俗学的方法に学び、「悪場所」と呼ばれた芝居と遊廓を、民衆のエネルギーの源泉として近世文化を捉えなおした『悪場所の発想』は、その後の近世論に大きな影響を与えた。
吉良 竜夫(きら たつお、1919年12月17日 - 201… 吉良 竜夫(きら たつお、1919年12月17日 - 2011年7月19日)は、日本の生態学者。本名は龍夫。理学博士。大阪市立大学名誉教授。元日本生態学会会長。初代日本熱帯生態学会会長。 大阪市生まれ。父は大阪府四條畷市の曹洞宗寺院龍尾寺の住職で貝類研究家の吉良哲明。父の薫陶を受けて、生態学者としての素養を身につけた。旧制大阪府立北野中学校(現大阪府立北野高等学校)を、1940年に第三高等学校を卒業し、1942年京都帝国大学農学部農学科を卒業。京都帝国大学在学中には、今西錦司、森下正明、さらに1年後輩の梅棹忠夫とともに、大興安嶺山脈、ポナペ島の探検に参加した[要出典]。 1948年、新制の京都大学農学部農学科園芸学教室の助教授に着任。
大崎 平八郎(おおさき へいはちろう、1919年12月15日… 大崎 平八郎(おおさき へいはちろう、1919年12月15日 - 2005年4月5日)は、日本の経済学者。横浜国立大学名誉教授。 1919年、福岡県飯塚市生まれ。横浜高等商業学校(現横浜国立大学)を卒業し、東京商科大学(現一橋大学)に進んだ。しかし太平洋戦争のため1942年9月に同大学を繰上げ卒業となり、入隊。機関砲中隊に配属されるが、病気のため現役免除となり、満鉄調査部に勤務。 戦後、横浜国立大学経済学部助教授となる。後に教授に昇進。1973年経済学部長。1985年に横浜国立大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は関東学院大学教授、神奈川大学教授として教鞭をとった。ユーラシア研究所名誉顧問。
柴山 廣(しばやま ひろし、1919年12月15日 - )は… 柴山 廣(しばやま ひろし、1919年12月15日 - )は、日本の電気工学者。大阪工業大学名誉教授。元電気工学教室担当。工学博士(京都大学)。電気学会関西支部元評議員。 専門は、電気工学・電力工学(電動機含む)・パルス工学、非線形理論。 京都府出身。1942年京都帝国大学工学部電気工学科を卒業。のちに、工学博士(京都大学)。三菱電機研究所(現:先端技術総合研究所)に技師として入社。1946年京都市立第一工業学校教諭などを経て、1950年大阪工業大学工学部電気工学科に着任し、電気工学教室を担当。その後、1957年に助教授、1962年に電気工学科教授。1975年同大学図書館長。1992年大阪工業大学名誉教授。
安井 正(やすい ただし、1919年 <大正8年> 12月1… 安井 正(やすい ただし、1919年 <大正8年> 12月14日 - 2005年 <平成17年> 8月21日)は、日本の経営者。三菱信託銀行社長を務めた。位階は従四位。 東京都出身。1941年に早稲田大学法学部仏法学科を卒業し、1942年に三菱信託銀行に入行。1970年5月に取締役に就任し、1972年10月に常務、1976年7月に専務、1978年9月に副社長を経て、1980年11月には社長に就任。社長在任時には、貸付信託「ビッグ」などの新商品の開発・販売に尽力し、経営基盤を整備した。1984年3月に会長に就任し、1990年3月には相談役に就任。 1985年11月に藍綬褒章を受章し、1990年11月に勲二等瑞宝章を受章。
斎藤 伸雄(さいとう のぶお、1919年〈大正8年〉12月1… 斎藤 伸雄(さいとう のぶお、1919年〈大正8年〉12月11日 - 2011年〈平成23年〉9月24日)は、日本の銀行家、実業家。和光証券(現 みずほ証券)第4代社長、元日本興業銀行常務取締役。柔道六段。 新潟県新潟市上大川前通8番町(現 新潟市中央区上大川前通8番町)出身。1937年(昭和12年)3月に新潟中学校を卒業、1940年(昭和15年)3月に新潟高等学校を卒業、1942年(昭和17年)9月に東京帝国大学法学部法律学科を卒業。 日本興業銀行に入行、1942年(昭和17年)9月30日に海軍経理学校(第9期)に二年現役補修学生として入校、1943年(昭和18年)1月15日に海軍主計中尉に任官、1月30日に卒業、横須賀海軍航空隊に配属、1カ月後に父島海軍航空隊に転属、硫黄島の飛行場使用規定を作成したり、地元農業に価格政策を導入し、作物の種類を豊富にしたりして、半年後に相模野海軍航空隊に転属、間もなく軍事参議官副官(塚原二四三海軍大将付)として海軍省に勤務、1944年(昭和19年)5月1日に海軍主計大尉に任官、1945年(昭和20年)8月15日に太平洋戦争が終戦。
沢田 和夫(澤田和夫、さわだ かずお、1919年12月9日 … 沢田 和夫(澤田和夫、さわだ かずお、1919年12月9日 - 2024年4月11日)は、カトリック東京教区司祭。 東京高等学校、東京帝国大学法学部を卒業。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、1943年9月、海軍経理学校に入学し、1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官。海軍大学校付となり、海軍省大臣官房に転じた。1945年(昭和20年)3月、海軍主計大尉に昇進して終戦を迎えた。海軍将校として対米通訳の任にあたる。 ローマ・ウルバノ大学(神学大学)を卒業し、カトリック教会司祭叙階。神学・哲学博士。上智大学・聖心女子大学専任講師を務めた。川口、清瀬、関口、浅草橋、各教会司祭を務めた。
儀我 壮一郎(ぎが そういちろう、1919年12月7日 - … 儀我 壮一郎(ぎが そういちろう、1919年12月7日 - 2009年12月8日)は、日本の経済学者。商学博士(大阪市立大学・論文博士・1970年)(学位論文「中国社会主義企業の研究」)。大阪市立大学名誉教授。 陸軍軍人・儀我誠也の長男。東京帝国大学経済学部卒。大阪市立大学助教授、教授、1970年「中国社会主義企業の研究」で商学博士(大阪市立大学)の学位を取得。1983年定年退官、専修大学教授。1990年常葉学園浜松大学教授。1996年退職。張学良と交友があった。 2009年12月8日没、墓所は東京都港区の高徳寺。
石田 佐久馬(いしだ さくま、1919年〈大正8年〉12月5… 石田 佐久馬(いしだ さくま、1919年〈大正8年〉12月5日 - 2006年〈平成18年〉)は、日本の国語教育者。 福井県小浜市出身。福井県師範学校本科・専攻科卒業後、福井県での小学校訓導を経て、お茶の水女子大学附属小学校教諭、十文字学園女子短期大学教授。日本国語教師の会代表。 、『新しい学力観に立つ説明文の授業はいま』東洋館出版社、1993 国語授業を変える
宮崎 義一(みやざき よしかず、1919年12月5日 - 1… 宮崎 義一(みやざき よしかず、1919年12月5日 - 1998年5月20日)は、日本の経済学者。京都大学名誉教授。第6代京都大学経済研究所所長。日本学術会議第14期会員。日本学士院会員。経済政策に通じ、日本経済の分析を行った。 東京商科大学 (旧制)(現一橋大学)で杉本栄一・都留重人らの指導を受けた。大学卒業後、短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、1943年9月、海軍経理学校に入学し、1944年3月に卒業して海軍主計中尉に任官。1945年3月、海軍主計大尉に昇進して終戦を迎えた。 1946年12月横浜高等商業学校(現横浜国立大学)に就職。 大学卒業後もたびたび日曜日朝から杉本の家で開かれるゼミに出席し、伊東光晴(京都大学名誉教授)、浅野栄一(中央大学名誉教授)、宮崎犀一(元東京女子大学教授)と、当時ゼミ生だった宮川公男(一橋大学名誉教授)、玉井龍象(金沢大学名誉教授)、近藤鉄雄(大蔵官僚、元労働大臣)らの指導にあたった。
平松令三(ひらまつ れいぞう、1919年12月5日 - 20… 平松令三(ひらまつ れいぞう、1919年12月5日 - 2013年5月14日)は、浄土真宗の仏教学者。学位は、博士(文学)(龍谷大学・2009年、学位論文「親鸞の生涯と思想」)。 1919年(大正8年)三重県津市生まれ。静岡高等学校卒、1943年(昭和18年)京都帝国大学文学部史学科卒、同大学院修了、1946年(昭和21年)郷里の一身田郵便局に勤め局長、1980年(昭和55年)龍谷大学文学部特任教授、教授、1990年(平成2年)定年退任。2009年(平成21年)「親鸞の生涯と思想」で龍谷大学より博士(文学)の学位を取得。
徳山 二郎(とくやま じろう、1919年12月4日 - 20… 徳山 二郎(とくやま じろう、1919年12月4日 - 2000年10月14日)は、日本の実業家、経済評論家。野村総合研究所取締役副社長。
今村 好信(いまむら よしのぶ、1919年(大正8年)12月… 今村 好信(いまむら よしのぶ、1919年(大正8年)12月3日 - )は、日本の技術者。日立機電工業の元取締役社長、名誉相談役。大日本帝国海軍の魚雷艇開発史についての著作がある。 1919年12月3日に、愛媛県上分町(現在の四国中央市の一部)で、今村家の二男一女の次男として生まれる。愛媛県立三島中学校(愛媛県立三島高等学校の前身の旧制中学校)、松山高等学校理科乙類を経て、1942年9月に東京帝国大学工学部機械工学科を卒業する。 大学卒業後、日立製作所に入社するが、太平洋戦争中であったため、ただちに海軍の短期現役技術科士官に志願する。見習尉官としての半年の教育を経て、造機技術大尉(第32期技術科士官)として呉海軍工廠造機部機械工場や艦政本部5部で服務し、新兵器であった魚雷艇のエンジン開発などに従事する。
石井 卓雄(いしい たくお、1919年12月3日 - 195… 石井 卓雄(いしい たくお、1919年12月3日 - 1950年5月20日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少佐。日本の敗戦後にベトナム独立のためにベトナム独立戦争に参加して戦没。グエン・ソン将軍の軍政顧問。クァンガイ軍政学校教官。トゥイホア陸軍中学教官。ベトナム独立戦争時には、「花谷」「チャン・チ・ズン(陳志勇)」「トン」を名乗った。
川崎 静子(かわさき しずこ、1919年(大正8年)12月3… 川崎 静子(かわさき しずこ、1919年(大正8年)12月3日 - 1982年(昭和57年)10月4日)は、昭和期の声楽家(アルト)・歌手・オペラ歌手・音楽教育者。旧姓は千葉。旧字体表記は靜子。二期会の創設者の一人。 1919年(大正8年)、東京府(現: 東京都)に生まれる。 在学中から東京音楽学校(現: 東京藝術大学)による信時潔『海道東征』のアルトソロを務め、全国で演奏旅行を行なう。 1941年(昭和16年)に東京音楽学校を卒業。ヘルマン・ヴーハープフェニッヒ、田中伸枝、リア・フォン・ヘッサートに師事。 同年に新交響楽団(現: NHK交響楽団)定期演奏会でモーツァルト『フィガロの結婚』のマルチェルリーナを歌い、東京音楽学校以外でのデビュー。
大和田 国男(おおわだ くにお、1919年12月3日 - 2… 大和田 国男(おおわだ くにお、1919年12月3日 - 2003年3月24日)は、日本の技術者、実業家。不二越代表取締役社長や、日本プラントメンテナンス協会会長などを務めた。 東京府北豊島郡滝野川町(現東京都北区)生まれ。旧制小学校を首席で卒業後、東京府立化学工業学校(のちの東京都立化学工業高等学校)を経て、1941年に横浜高等工業学校(のちの横浜国立大学理工学部)機械科卒業。同年東京工業大学機械工学科へ進学。 東京工業大学在学中に海軍学生となり、1943年に大学を繰り上げ卒業後、豊川海軍工廠機銃部配属。九九式二〇ミリ機銃、五式三十粍固定機銃などを担当し、大日本帝国海軍技術大尉として日本の降伏時を迎えた。
陸 寅修(ユク・インス、朝鮮語: 육인수、1919年12月3… 陸 寅修(ユク・インス、朝鮮語: 육인수、1919年12月3日 - 2001年6月25日)は、大韓民国の教員、政治家。第6・7・8・9・10代大韓民国国会議員。本貫は沃川陸氏。 1919年12月3日、日本統治時代の朝鮮で忠清北道の沃川に陸鍾寛と李氏のもとに生まれた。清州公立高等普通学校(現・清州高等学校)を卒業後に渡日し、東京の武蔵高等工科学校(現・東京都市大学)を卒業した。満洲国政府経済部水力電気建設局の技師を務めた後、帰国し中学校、高校などの教育機関において教員を務めた。1963年の第6代総選挙にて民主共和党の公認で立候補して国会議員に当選し、その後も4期連続当選した。 その後は国会文教公報委員長、民主共和党中央党政策委員、民主共和党中央委員会議長、民主共和党国会対策委員などの政界の要職を務め、2001年6月25日に持病により82歳で死去した。
兵藤 正之助(ひょうどう まさのすけ、1919年12月2日 … 兵藤 正之助(ひょうどう まさのすけ、1919年12月2日 - 1995年10月1日)は、文芸評論家。 長崎県生まれ。京都帝国大学哲学科卒。久松真一に仏教を学ぶ。戦後、京都の生活社に勤め、文学者たちと交流、文芸評論を書く。1950年代に関東学院女子短期大学助教授、のち関東学院大学教授、1985年定年、名誉教授。関東学院大学では兵藤奨学金を出している。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
池原 季雄(いけはら すえお、1919年(大正8年)12月2… 池原 季雄(いけはら すえお、1919年(大正8年)12月2日 - 2000年(平成12年)2月1日)は、日本の法学者。専門は国際私法。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1962年)。東京大学名誉教授。日本学士院会員。国際法協会日本支部副会長、国際私法学会理事長、国際法学会理事長等を歴任。万国国際法学会正会員。江川英文門下。弟子に石黒一憲、道垣内正人など。 論文「国際私法における裁判管轄権と当事者の国籍」における見解は、後に最高裁判所大法廷判決(1964年3月25日)によって採用された。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
阿部 未喜男(あべ みきお、1919年〈大正8年〉12月2日… 阿部 未喜男(あべ みきお、1919年〈大正8年〉12月2日 - 2005年〈平成17年〉12月7日)は、日本の政治家。衆議院議員(7期、日本社会党)を務めた。 大分県速見郡杵築町(現杵築市)出身。熊本逓信講習所卒。 全逓地方本部委員長を経て、1969年(昭和44年)の第32回衆議院議員総選挙で旧大分県第2区から日本社会党公認で立候補し初当選。以降、当選7回。 社会党右派グループ「水曜会」の代表を務めた。1992年(平成4年)4月の春の叙勲で勲二等に叙され、旭日重光章を受章する。翌1993年(平成5年)、横光克彦に地盤を譲り、政界から引退する。政界引退後は横光の後援会会長を務めていた。 2005年(平成17年)12月7日、肝炎のため大分県別府市の病院で死去した。
中尾 碩志(なかお ひろし、1919年12月1日 - 197… 中尾 碩志(なかお ひろし、1919年12月1日 - 1977年12月9日)は、三重県伊勢市出身のプロ野球選手(投手)。旧名「中尾 輝三(なかお てるぞう)」(プロ初年から1947年まで)。
斎藤吉史(さいとう よしふみ、1919年12月1日 - 19… 斎藤吉史(さいとう よしふみ、1919年12月1日 - 1991年1月12日)は、日本のジャーナリスト、アジア学者。 島根県益田市出身。東京文理科大学卒。1946年朝日新聞社に入り、アジア総局長、外報部長、論説委員をへて、1980年文教大学教授。「朝日新聞」書評委員を務めた。 1991年1月12日、膵臓癌のため死去。
小川 常人(おがわ つねんど、1919年12月 - 2008… 小川 常人(おがわ つねんど、1919年12月 - 2008年12月28日)は、日本の思想史学者。真木保臣研究の第一人者。元郵政大学校教授・芸林会代表。 1919年、京都府に生まれる。第四高等学校を経て、1943年に東京帝国大学文学部国史学科を卒業。平泉澄博士に師事。1944年入営、1945年陸軍少尉。1946年に亀岡郵便局長となった後、郵政省に入って地方郵政局人事部長・郵政参事官・上席監察官・中央郵政研修所教頭等を歴任した後、郵政大学校副校長・教授。さらに、芸林会代表・亀岡市文化財保護委員などもつとめる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
野呂 恭一(のろ きょういち、1919年11月30日 - 1… 野呂 恭一(のろ きょういち、1919年11月30日 - 1995年3月6日)は、日本の政治家。位階は従三位。 厚生大臣(第57代)、衆議院議員(7期)、三重県議会議員などを歴任した。 1919年(大正8年)生まれ。三重県飯南郡飯高町出身。父は宮前村長などを務めた野呂庫二郎。 東京高等師範学校卒業。戦後、三重県議会議員選挙への立候補を目指すも公職追放を受けた父・庫二郎にかわって27歳で三重県議会議員選挙に地元の飯南郡から立候補して当選し、県議会議員となった。自由民主党三重県連の幹事長などを歴任した後、1959年(昭和34年)には三重県議会議長に就任した。 その後、三重県議を辞職し1963年(昭和38年)の第30回衆議院議員総選挙に立候補し初当選。
西嶋 和夫(にしじま かずお、1919年11月29日 - 2… 西嶋 和夫(にしじま かずお、1919年11月29日 - 2014年1月28日)は、日本の仏教学者。 神奈川県横浜市出身。東京府立第五中学校、旧制静岡高校を経て、東京帝国大学法学部法律学科へ進学。卒業後大蔵省入省。日本証券金融等に勤務のかたわら仏教研究を行い、その主著は道元の著した「正法眼蔵」全巻の現代日本語訳である「現代語訳正法眼蔵全12巻」と、さらにその詳細な解説をした「正法眼蔵提唱録全34冊」である。「正法眼蔵」の現代語訳と同時にその詳細な「提唱」を行ったのは、日本で最初である。2007年頃まで日本証券金融常任監査役を経て、㈱井田両国堂顧問。仏教に関する多数の著書があり、ナーガールジュナ(龍樹尊者)の著作「中論」の日本語訳を出版して以降はその講義と再改訂ならびに英語訳に取り組んでいる。
木下 政文(きのした まさふみ、1919年11月29日 - … 木下 政文(きのした まさふみ、1919年11月29日 - )は、鳥取県出身の元プロ野球選手。ポジションは三塁手、捕手。
井筒 研一(いづつ けんいち、1919年11月28日 - 1… 井筒 研一(いづつ けんいち、1919年11月28日 - 1992年1月29日)は、兵庫県出身のプロ野球選手(投手)、審判員。
兪 泰興(ユ・テフン、1919年11月28日 - 2005年… 兪 泰興(ユ・テフン、1919年11月28日 - 2005年1月17日)は、大韓民国の第8代大法院長。 忠清南道洪城に出生。1941年、関西大学専門部第二部法律学科を卒業後、1948年に第2回朝鮮弁護士試験に合格した。 ソウル地方法院(地方裁判所)首席裁判長を務めていた1971年に発生した第一次司法波動の際には、裁判官を代表して声明を朗読し、裁判所上層部と政界に裁判官の改革の意志を表明した。1976年に大法院(日本の最高裁長官に相当)判事に任命された。大法院判事在職中の1980年、 朴正煕大統領と車智澈大統領府警護室長が暗殺された朴正煕暗殺事件では、金載圭大韓民国中央情報部部長に対して内乱目的の殺人を認め、死刑判決を言い渡した。
深見 安博(ふかみ やすひろ、1919年11月26日 - 1… 深見 安博(ふかみ やすひろ、1919年11月26日 - 1972年4月9日)は、兵庫県神戸市出身のプロ野球選手(外野手)・コーチ・監督。
浦井 和男(うらい かずお、1919年11月26日 - 19… 浦井 和男(うらい かずお、1919年11月26日 - 1982年8月29日)は、日本の経営者。兵庫県神戸市出身。 1942年に神戸商業大学を卒業し、1946年10月に神戸銀行に入行。1967年5月に取締役に就任し、1968年10月に常務、1976年10月に太陽神戸銀行専務を経て、1978年6月に阪神相互銀行会長に就任。1981年6月には社長に就任。 1982年8月29日胃潰瘍のために死去。62歳没。
宇治 達郎(うじ たつろう、1919年11月25日 - 19… 宇治 達郎(うじ たつろう、1919年11月25日 - 1980年11月27日)は、日本の医師。胃カメラの開発者の1人。 長野県上伊那郡小野村(現在の辰野町小野)出身。その後、埼玉県の大宮に移り、浦和中学、浦和高校、東京帝国大学医学部に進学し、1943年に卒業した。 卒業後、東京大学附属病院分院の外科に勤務が決まっていたが、軍医候補生として召集され中国に従軍した(第58師団司令部に所属した)。1946年に復員し、外科副手となった。1948年に林田健男助教授のもとで胃カメラの開発に着手し、オリンパス光学工業の技師であった杉浦睦夫と深海正治と共同で1950年に胃カメラを世界で初めて完成させた。1950年に医学博士を取得した。
赤澤 璋一(あかざわ しょういち、1919年11月25日 -… 赤澤 璋一(あかざわ しょういち、1919年11月25日 - 2002年9月29日)は、日本の通産官僚。日本貿易振興会(ジェトロ)第6代理事長。 戦後初の国産旅客機YS-11の生みの親と言われる。1969年通商産業省重工業局長を退官後、1973年富士通入社、同社専務、1976年同社副社長、1981年同社副会長を歴任。1989年同社を退任。1983年9月~1989年12月の期間に日本貿易振興会理事長を務める。学位は法学士。称号は米国コロラド州名誉州民。 岡山県玉島(現:倉敷市)出身。大阪高等学校卒業。1941年12月 東京帝国大学法学部卒業(繰上げ卒業)。1942年1月7日、商工省入省。同期入省で両角良彦(元通産省事務次官)、原田明(元通産省通商局長)らがいる。
牧 圭次(まき けいじ、1919年11月25日 - 2012… 牧 圭次(まき けいじ、1919年11月25日 - 2012年2月26日)は、日本の裁判官。最高裁判所判事。宮城県出身。 1941年(昭和16年)に東京帝国大学法学部を卒業。1942年(昭和17年)1月に司法官試補となるも、同年2月に現役兵として入隊。復員後は裁判官生活に入り、東京地方裁判所や函館地方裁判所などで裁判を経験後、最高裁人事局勤務、刑事局長、千葉地方裁判所所長、東京高等裁判所判事、最高裁事務総長などを歴任した。 東京地裁時代には東大安田講堂事件を担当した際には1969年(昭和44年)6月に騒ぐ被告たちを機動隊を入れて排除し、9人を5日間の監置処分にし、統一公判要求をする弁護側と3時間の論議を行い、8月には弁護団、被告たちに退廷命令を出し、1970年(昭和45年)5月には弁護士1人を15日間の監置処分にするなど果敢な法廷指揮をとった。
湊 徹郎(みなと てつろう、1919年11月24日 - 19… 湊 徹郎(みなと てつろう、1919年11月24日 - 1977年7月19日)は、日本の政治家、自由民主党所属の衆議院議員(5期)。中曽根派。位階は従三位。勲等は勲二等。議員宿舎は、九段宿舎。 福島県田村郡三春町生まれ。水戸高等学校を経て、1942年、東京帝国大学経済学部卒業。大学卒業後、出征し、陸軍少尉。1945年8月に、復員した。 1946年に、福島県庁勤務。1961年、佐藤善一郎福島県知事のもとで、副知事を務める。 1963年の第30回衆議院議員総選挙で福島2区から初当選。以後5期連続当選。1970年、第3次佐藤内閣総理府総務副長官就任。1973年、青嵐会の代表世話人として旗揚げに参加。1976年、衆議院農林水産委員長。