スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
林 伸伍(はやし しんご、1985年1月25日 - )は、日… 林 伸伍(はやし しんご、1985年1月25日 - )は、日本の馬術選手。アイリッシュアラン乗馬学校所属。北海道出身。東海大学付属第四高等学校、明治大学卒業。 1985年1月25日 北海道生まれ。ほくせい乗馬クラブに勤めていた伯母の影響で3歳から乗馬を始める。 明治大学馬術部では馬場馬術・障害馬術・総合馬術の3種目に取り組む。大学2年で挑んだ全日本ジュニア馬場馬術大会のヤングライダー選手権で優勝。4年生時の2006年にもこれを制し、以後専門を馬場馬術に定める。 大学卒業後、単身ドイツに渡り本場ヨーロッパの馬場馬術を学んだのち、東京乗馬倶楽部を経てアイリッシュアラン乗馬学校に所属する。2010年の広州アジア大会で日本人最高の個人5位とし、2014年の仁川アジア大会では団体銀メダルを獲得。
小林 昭(こばやし あきら、1941年2月16日 - 200… 小林 昭(こばやし あきら、1941年2月16日 - 2003年1月6日)は、日本の経済学者。金沢大学教授。専門は地方財政論。 新潟県南魚沼郡六日町(現在の南魚沼市)生まれ。金沢大学法文学部経済学科(現在の金沢大学人間社会学域経済学類)に入学し、在学中は宮本憲一の指導を受ける。1964年3月に金沢大学法文学部を卒業し、同年4月に同助手に採用される(金沢大学の前身である第四高等学校から名古屋大学に進学した宮本憲一も、大学卒業後金沢大学法文学部助手に採用されている)。1965年3月に金沢大学法文学部助手を辞職し、同年4月に名古屋大学経済学研究科修士課程に入学する。大学院在学中は、宮本憲一の指導教員であった水田洋の指導を受ける。
壱岐一郎(いき一郎、いき いちろう、1931年9月 - )は… 壱岐一郎(いき一郎、いき いちろう、1931年9月 - )は、日本のジャーナリスト、日本古代史研究家。日本記者クラブ会員。 東京都雑司が谷生まれ。戦争中は滋賀県に疎開。第四高等学校 (旧制)修了、東北大学法学部卒業後、九州朝日放送・北京放送に勤務し、国会、交通記者を務めた。東海大学福岡短期大学教授、1997年沖縄大学教授、2004年より関西在住。天津社会科学院・東北亜研特別研究員等を務めた。いき一郎の表記も用いる。
酒井 健三(さかい けんぞう、1931年6月16日 - )は… 酒井 健三(さかい けんぞう、1931年6月16日 - )は日本の大蔵官僚。理財局次長(理財担当)、国税庁次長、国際金融局長、商工組合中央金庫副理事長、ニコス生命保険取締役会長などを歴任。 富山県出身。第四高等学校、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。東大法学部第1類在学中の1952年10月 国家公務員6級職試験を合格。1953年 大蔵省入省。大臣官房秘書課配属。1968年6月 大蔵大臣秘書官(事務担当)。1969年8月 大臣官房文書課長補佐(総括・審査)。1977年6月 国際金融局総務課長。1978年6月17日 福岡国税局長。1979年7月10日 大臣官房審議官(理財局担当)。1981年6月26日 理財局次長(理財担当)。
多田 治夫(ただ はるお、1931年1月5日 - 2016年… 多田 治夫(ただ はるお、1931年1月5日 - 2016年4月24日)は、日本の心理学者。金沢大学名誉教授。 第四高等学校出身。1953年(昭和28年)、金沢大学法文学部哲学科(心理学専攻)卒。同大学助手、助教授、教授を経て、1996年(平成8年)定年退官、同大学名誉教授。放送大学石川学習センター所長を経て、2001年(平成13年)より金沢工業大学学生相談室顧問、2004年(平成16年)から同大客員教授。 専門はカウンセリング心理学、被害者心理学に関する研究を展開しており、多数の著書がある。石川被害者サポートセンター代表理事、「金沢こころの電話」会長などを経験し、各種の地域臨床活動の実践で知られる。
芝田 進午(しばた しんご、男性、1930年3月26日 - … 芝田 進午(しばた しんご、男性、1930年3月26日 - 2001年3月14日)は、日本の哲学者・社会学者。広島大学名誉教授。 石川県金沢市出身。金沢一中、第四高等学校を経て、東京大学文学部哲学科を卒業、法政大学助教授、1967年教授、1976年広島大学教授、1986年唯物論研究協会委員長。1993年定年退官、名誉教授、聖泉短期大学教授。 2001年、胆管癌により死去。
大河 千弘(おおかわ ちひろ、1928年1月3日 - 201… 大河 千弘(おおかわ ちひろ、1928年1月3日 - 2014年9月27日)は、日本の物理学者。長らくアメリカ合衆国で活動した。 石川県金沢市に生まれる。旧制石川県立金沢第一中学校4年修了、旧制第四高等学校卒業。1955年に東京大学理学部物理学科を卒業後、アメリカ中西部大学共同研究所に留学。その後、欧州原子核研究機構(CERN)の研究員などを経て、ゼネラル・アトミックス社の研究員になる。 日本原子力研究所の核融合反応装置の開発に参加し、1969年に水素プラズマの閉じ込め実験に成功した原研核融合トーラス第一号(JET-1)装置を完成させる。この装置は、開発に貢献した大河の名を冠して大河トーラスと呼ばれた。
佐伯 孚治(さえき たかはる、1927年12月15日 - 2… 佐伯 孚治(さえき たかはる、1927年12月15日 - 2018年1月13日)は、日本の映画監督、演出家。 東京府東京市本郷区西片町(現在の文京区西片)出身。旧制・開成中学校から旧制第四高等学校を経て、東京大学文学部仏文科卒業。1954年に東映入社。東映東京撮影所の助監督として田坂具隆に師事し、1964年に『どろ犬』で監督デビューする。しかし1965年、労働争議に参加していた佐伯は社長大川博の逆鱗に触れ、テレビ映画製作専門の別会社・東映東京制作所に異動した。その後、数人のスタッフとともに「目黒PR分室」に配属となり、実質的に現場で仕事が出来ない状態になっていた。 1966年、佐伯の置かれた状況を心配した同期の脚本家・鈴木尚之の計らいもあって、『渥美清の泣いてたまるか』(製作国際放映)を監督。
矢守 一彦(やもり かずひこ、1927年10月16日 - 1… 矢守 一彦(やもり かずひこ、1927年10月16日 - 1992年8月3日)は、日本の人文地理学者。学位は、文学博士(京都大学・論文博士・1971年)(学位論文「都市プランの歴史地理」)。大阪大学名誉教授。 朝鮮大邱生まれ。1944年、京城帝国大学予科理に入学。1945年帰国。1948年第四高等学校卒。1953年京都大学文学部史学科地理学卒。1958年まで大学院に学び、名古屋大学文学部助手を経て、1962年大阪大学文学部講師。1966年助教授。1971年、「都市プランの歴史地理」で京都大学より文学博士の学位を取得。1975年、教授。1981年、大阪大学評議員。1987年、図書館長。1988年人文地理学会会長。
樫本 英彦(かしもと ひでひこ、1927年3月20日 - 2… 樫本 英彦(かしもと ひでひこ、1927年3月20日 - 2010年)は、日本の英語教諭。 1927年(昭和2年)3月20日、石川県金沢市に父・樫本竹治、母・美代子の6人兄弟の3男(末子)として生まれる。 金沢女子師範附属小学校、旧制石川県立金沢第二中学校、旧制第四高等学校、東京大学文学部独文科卒業後、金沢大学附属高等学校で英語教諭として定年まで勤務。定年後は北陸学院短期大学教養科教授、北陸大学薬学部非常勤講師を務めた。 趣味は絵画、旅行、ファション、写真、読書と多趣味。特にイギリスの文化と歴史が好きで、蔵書も多く詳しかった。
上野 賢一(うえの けんいち、英文はKenichi Uyen… 上野 賢一(うえの けんいち、英文はKenichi Uyeno 、1927年 - 2012年4月4日)は、日本の医学者、エッセイスト。筑波大学初代皮膚科教授。 父親が英国留学した際に、ケンブリッジ大学の教授に勧められUyenoと書くようになったが、それに準じた。本人の今まで6枚あるパスポートとサインは調べたらUyenoとUenoもあったが、パスポート上のサインも同様は両者あった。論文はUyeno Kであった。メリットもあるがデメリットもある。 1927年金沢市に生まれる。父親は旧制金沢医大、現在金沢大学医学部生理学教授 上野一春。父親は生理学教科書を書いており、賢一はそれをみていたという。1947年 第四高等学校理科甲類卒業。
飴山 實(あめやま みのる、1926年(昭和元年)12月29… 飴山 實(あめやま みのる、1926年(昭和元年)12月29日 - 2000年(平成12年)3月16日)は、日本の俳人、化学者。山口大学名誉教授(農芸化学)。 石川県小松市生まれ。第四高等学校を経て、1950年、京都大学農学部農芸化学科卒。化学者としては酢酸菌の研究を専門とし、大阪府立大学助手、静岡大学助教授を経て、1969年、山口大学農学部教授。1988年、「酢酸菌の生化学的研究」にて日本農芸化学会功績賞、中国文化賞を受賞。1990年、山口大学を定年退職、関西大学工学部教授を務めた。2000年3月16日、腎不全により死去。 句作は高校在学中、『芭蕉七部集』を読み、寮の宿直だった大河寥々の指導を受けて始めた。
柴野 拓美(しばの たくみ、1926年10月27日 - 20… 柴野 拓美(しばの たくみ、1926年10月27日 - 2010年1月16日)は、日本のSF翻訳家、SF作家、SF研究家・評論家。 日本初のSFファングループ『宇宙塵』の主宰者として知られ、同名の同人誌の編集長を務めた。アマチュア作家をプロに育てる才能でも有名だった。 石川県金沢市出身。父・柴野為亥知(ためいち)は陸軍軍人にして詩人・画家でもあり、多数の軍歌を作詞・作曲し、満州映画協会の創設にも関わった。小学校時代から山中峯太郎や海野十三に傾倒。東京で青山学院に入学するが、のち金沢に戻り、金沢二中から四修(飛び級)で第四高等学校に進む。 実父が陸軍大佐であった事から「軍」に関しては複雑な心境を持っていた。
岡山 誠司(おかやま せいじ、1926年4月22日 - )は… 岡山 誠司(おかやま せいじ、1926年4月22日 - )は、日本の情報工学者、物理学者、一橋大学名誉教授。 富山県新湊市中伏木(現・射水市)生まれ。第四高等学校卒、1948年東京帝国大学理学部物理学科卒、1962年東京工業大学工学博士。1948年東京工業大学助手、1963年同工業教員養成所助教授、1969年同工業材料研究所助教授を経て1969年一橋大学経済学部教授。1990年定年退官、名誉教授となる。情報科学、計量情報学。温度基準の理論的設計、標準計測法が専門。
山口 嘉夫(やまぐち よしお、1926年(大正15年)1月2… 山口 嘉夫(やまぐち よしお、1926年(大正15年)1月29日 - 2016年(平成28年)8月12日)は、日本の理論物理学者。 第四高等学校を経て、1947年に東京大学理学部を卒業。 大阪市立大学助手、助教授、教授を経て、1962年に東京大学原子核研究所教授に就任する。1968年、東京大学理学部に転任。1983年に東京大学原子核研究所長となり、1986年に定年退官。退官後は東海大学理学部教授となる。 戦後間もなくの、1953年~1955年イリノイ大学、1957年~1961年欧州原子核研究機構(CERN)での在外研究など日本の物理学コミュニティの国際性を高める努力をし、今日の国際共同研究推進の口火を切った。
竹内 外史(たけうち がいし、1926年1月25日 - 20… 竹内 外史(たけうち がいし、1926年1月25日 - 2017年5月10日)は、日本の数学者、論理学者。専門は数学基礎論(数理論理学・公理的集合論、証明論など)。イリノイ大学名誉教授。 解析学の基礎付けなど、数学基礎論の研究で世界的に知られる。昭和57年(1982年)朝日賞(昭和56年度)受賞。主な著作に「集合とはなにか」「現代集合論入門」「証明論と計算量」「層・圏・トポス」など。1966年以来、長くイリノイ大学で教鞭を執っていた。その間、実数論の無矛盾性の証明を試みる。 石川県出身。(旧制)第四高等学校を経て、1947年東京大学理学部数学科卒業。東京大学教養学部講師、東京教育大学助教授を経て、1962年東京教育大学教授。
黒田 俊雄(くろだ としお、 1926年1月21日 - 19… 黒田 俊雄(くろだ としお、 1926年1月21日 - 1993年1月26日)は、日本の歴史学者。大阪大学名誉教授。専門は日本中世史。文学博士。『黒田俊雄著作集』全8巻(法藏館)がある。 1926年、富山県生まれ。第四高等学校文科甲類卒業。1948年、京都大学文学部史学科を卒業。 1955年、神戸大学教育学部専任講師に着任。1961年、大阪大学文学部助教授となった。1975年、同大教授に昇進。1981年から3期学術会議会員を務めた。1983年、学位論文『日本中世の国家と宗教』を大阪大学に提出して文学博士号を取得。1989年、大阪大学を定年退任し、名誉教授となった。その後は同年より大谷大学教授として教鞭をとった。
禿 了滉(とく りょうこう、1925年7月15日 - 202… 禿 了滉(とく りょうこう、1925年7月15日 - 2020年2月18日 )は、日本の真宗誠照寺派の僧侶(浄覚寺住職)、仏教学者、教育者(学校法人仁愛学園学園長)・福井県元教育委員長。 1925年に福井県越前市に生まれる。母親の実家の浄覚寺(鯖江市)へ養子に入り、金沢市の第四高等学校を卒業、1951年に長尾雅人に師事し京都大学哲学科仏教学専攻を卒業、1953年に同大学院哲学研究科仏教学専攻を修了。 1965年に仁愛女子高等学校校長に就任、1969年に仁愛女子短期大学学長に就任。2008年に福井県教育委員長に就任(2010年まで)
北村 英三(きたむら えいぞう、1922年4月17日 - 1… 北村 英三(きたむら えいぞう、1922年4月17日 - 1997年3月7日)は、日本の俳優、演出家。晩年の芸名は喜多村 英三、本名は北村 英蔵(いずれも読みは同じ)。東京府東京市牛込区新小川町(現:新宿区新小川町)出身。妻は関えつ子、娘は北村岳子。 旧制第四高等学校(現:金沢大学)を経て、京都帝国大学文学部国語国文科に入学。学生演劇で当時の日本人男性としては長身だった体躯を生かし、翻案劇の主演と演出を数多く務めた。在学中の1947年に『劇団くるみ座』の創立に参加する。1948年、京都帝大を卒業。 近畿で製作された舞台、ラジオドラマ、テレビドラマ、映画に数多く出演した個性派俳優として知られ、映画『吸血鬼ゴケミドロ』の政治家・真野剛造のような権力者役や、結束信二脚本・司馬遼太郎原作のテレビドラマ『新選組血風録』と『燃えよ剣』での井上源三郎役、『部長刑事』の大阪府警捜査一課の大鍋部長刑事のような市井の人などの脇役を終生演じ続けた。
駿河 敬次郎 (するが けいじろう、1920年7月28日 -… 駿河 敬次郎 (するが けいじろう、1920年7月28日 - 2023年3月21日)は日本の医師。順天堂大学医学部名誉教授、ノアクリニック院長。 1941年(昭和16年)、旧制第四高等学校理科乙類卒業。 1944年(昭和19年)、東京帝国大学医学部卒業。 1944年~1945年、陸軍短期軍医中尉。 1946年(昭和21年)、東京帝国大学医学部第2外科副手。 1949年(昭和24年)、賛育会病院外科部長。 1959年(昭和34年)、米国ピッツバーグ大学医学部留学。 1963年(昭和38年)、東京大学医学部外科学講師。順天堂大学医学部外科学講師。 1966年(昭和41年)、順天堂大学医学部外科学客員教授。
角本 良平(かくもと りょうへい、1920年3月2日 - 2… 角本 良平(かくもと りょうへい、1920年3月2日 - 2016年2月7日)は、交通評論家。日本国有鉄道OB。経済学博士。 石川県金沢市出身。旧制第四高等学校、東京帝国大学法学部卒業。1941年鉄道省入省。東京、四国、門司などの鉄道管理局に勤務し、運輸省の官僚として1958年東海道新幹線の建設計画に参加。都市交通課長、国鉄新幹線総局営業部長、1966年国鉄監査委員、1970年運輸経済研究センター理事、のち理事長などを歴任。早稲田大学客員教授等も務めた。 国鉄分割民営化の際には、電力会社を参考に地域分割が必要であると主張した。 2016年2月7日、間質性肺炎のため死去。95歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
小川 常人(おがわ つねんど、1919年12月 - 2008… 小川 常人(おがわ つねんど、1919年12月 - 2008年12月28日)は、日本の思想史学者。真木保臣研究の第一人者。元郵政大学校教授・芸林会代表。 1919年、京都府に生まれる。第四高等学校を経て、1943年に東京帝国大学文学部国史学科を卒業。平泉澄博士に師事。1944年入営、1945年陸軍少尉。1946年に亀岡郵便局長となった後、郵政省に入って地方郵政局人事部長・郵政参事官・上席監察官・中央郵政研修所教頭等を歴任した後、郵政大学校副校長・教授。さらに、芸林会代表・亀岡市文化財保護委員などもつとめる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
沢木 欣一(さわき きんいち、1919年〈大正8年〉10月6… 沢木 欣一(さわき きんいち、1919年〈大正8年〉10月6日 - 2001年〈平成13年〉11月5日 )は、富山県出身の俳人。「風」を主宰、戦後の社会性俳句を主唱した。妻は俳人の細見綾子。 富山市生まれ。父が朝鮮で教職にあったため、幼少から中学卒業までを朝鮮で過ごす。金沢の旧制第四高校に入学した1939年より俳句をはじめ、「馬酔木」「寒雷」などに投句、加藤楸邨、中村草田男に師事。1942年、東京帝国大学国文科入学。1943年、召集を受け旧満州の牡丹江の部隊に配属。遺稿になるかもしれないと考え、句集の草稿を後に妻となる細見綾子に託す。1944年、綾子の尽力で第一句集『雪白』出版。9月に東大卒業。
人見 楠郎(ひとみ くすお、1916年10月7日 - 200… 人見 楠郎(ひとみ くすお、1916年10月7日 - 2000年11月4日)は、日本の教育者、学校法人昭和女子大学の第2代理事長、昭和女子大学第5代学長。1974年から死去した2000年まで26年間にわたり長く学園経営のトップであり、学外での役職も数多く歴任し、「カリスマ理事長」として知られた。 岡山県出身。父は、詩人で昭和女子大学創設者の人見東明(圓吉)。 旧制第四高等学校文科乙類を経て、東京帝国大学文学部を卒業。旧制第八高等学校の漢文講師などを経て、1946年に父が経営する学園(後の学校法人昭和女子大学)に入り、1951年に関連法人である学校法人昭和高等学校に付設された昭和幼稚園の主事、次いで同法人が設けた昭和小学校の主事となり、1960年には第2代幼稚部園長となった。
大河原 春雄(おおかわら はるお、1916年(大正5年)3月… 大河原 春雄(おおかわら はるお、1916年(大正5年)3月19日 - 1997年(平成9年)7月17日)は、日本の建築行政指導者、都市計画家、都市計画研究者、教育者。東京都首都整備局技監や東京理科大学教授を歴任した。 石川県金沢市に生まれる。旧制第四高等学校を経て、東京帝国大学工学部建築学科に進学し、1938年(昭和13年)に優秀な成績で卒業する。当時の都市計画講座は内田祥三(のちに総長)の担当だった。卒業後は警視庁保安部建築課に就職し、都市計画の実務に入る。この就職には、都市計画講座に注力していた内田の薦めがあったともされる。 当時建築行政は警察業務として扱われており、東京府では警視庁が所管して市街地建築物法を執行していた。
斎藤 光(さいとう ひかる、1915年4月5日 - 2010… 斎藤 光(さいとう ひかる、1915年4月5日 - 2010年7月11日)は、日本のアメリカ文学者、翻訳家。東京大学名誉教授。 英文学者斎藤勇の長男として東京府に生まれる。 1939年、東京帝国大学英文科卒業、1940年、東北帝国大学副手、1941年、第四高等学校教授、1946年、第一高等学校教授、1950年、東京大学教養学部助教授、のち教授を務める。1976年、定年退官後は日本大学教授、明星大学教授を歴任、1990年から1997年まで自由学園理事長を務める。 1991年、勲三等旭日中綬章受章。 2010年7月11日、肺炎のため死去。95歳没。墓所は多磨霊園。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
小松 伸六(こまつ しんろく、1914年9月28日 - 20… 小松 伸六(こまつ しんろく、1914年9月28日 - 2006年4月20日)は、日本のドイツ文学者、文芸評論家。筆名・内海伸平。 北海道釧路生まれ。東京帝国大学卒。第四高等学校(金沢)教授を務めた。ゲーテ論、トーマス・マンの翻訳などを行うかたわら、1941年、第五次『赤門文学』を主宰。戦後は立教大学教授。久保田正文、林富士馬、駒田信二らと『文學界』の同人雑誌評を担当、原田康子らを発掘した功績で1979年、菊池寛賞受賞、81年、『美を見し人は』で芸術選奨文部大臣賞受賞。 岐阜県海津市の海津市海津図書館の文学同人誌を収集する施設「日本現代紙碑文学館」は、小松伸六の1万5千冊の寄贈が基礎となり、1976年(昭和51年)4月に設立されている。
鴻巣 隼雄(こうのす はやお、1913年(大正2年)10月2… 鴻巣 隼雄(こうのす はやお、1913年(大正2年)10月27日 - 1985年(昭和60年)4月27日)は、日本文学者。聖心女子大学・立正大学名誉教授。文学博士(東京大学・1962年)。 鹿児島県生まれ。父は日本文学者で第四高等学校教授の鴻巣盛広である。隼雄が生まれた時は、第七高等学校造士館教授であった。東京帝国大学を卒業。山口大学、二松學舍大学、聖心女子大学教授を歴任。1972年(昭和47年)立正大学教授に就任した。1984年(昭和59年)、定年退官。 近代文学から始めて古代文学を研究した。1962年、東京大学に於いて「鹿持雅澄と萬葉学」で文学博士となる。
中山 正和(なかやま まさかず、1913年10月21日 - … 中山 正和(なかやま まさかず、1913年10月21日 - 2002年)は、日本の著作家・文筆家。創造工学研究所所長。 広島県または山梨県生まれ。第四高等学校卒、1939年北海道帝国大学理学部物理学科卒。 電電公社電気通信研究所調査役をへて、創造工学研究所を設立し所長。 川喜田二郎のKJ法に対し自身の方法をNM法と名づけた。 禅仏教に関心を深めていった。
亀田 得治(かめだ とくじ、1912年〈大正元年〉8月14日… 亀田 得治(かめだ とくじ、1912年〈大正元年〉8月14日 - 1994年〈平成6年〉3月14日)は、日本の弁護士、政治家。北海道旭川市生まれ。日本社会党の参議院議員、日本社会党大阪府連合書記長、全国革新懇代表世話人を務めた。 生まれてすぐ、家族が石川県に引っ越したため、少年時代を金沢市で過ごす。金沢の第四高等学校に進学。後に日本社会党委員長となる成田知巳と同じクラスで、成績は1、2位を競い合った。2人とも東京帝国大学法学部に合格。社会運動を行っていた賀川豊彦と出会い、キリスト教の洗礼を受けた。賀川牧師のもとで、当時、治安維持法違反で保釈中だった岩本りえと出会い、結婚する。戦時中は弁護士として小作争議などを担当した。
玉置 一徳(玉置 一德、たまき いっとく、1912年7月3日… 玉置 一徳(玉置 一德、たまき いっとく、1912年7月3日 - 1978年11月26日)は、日本の政治家。衆議院議員(5期)。京都府相楽郡加茂町出身。息子は、民主党元衆議院議員の玉置一弥。 桃山中学校、第四高等学校を経て、1936年に京都帝国大学法学部卒業。浅野セメントに入社するも兵役で中国各地を渡る。1943年除隊となり、朝鮮の鉱山会社勤務時に終戦を迎える。 戦後、農業を経て日本社会党結成に参加。相楽郡選出の京都府議を経て1960年の第29回衆議院議員総選挙で民主社会党公認で旧京都2区に立候補し初当選。以後通算当選5回。国対畑を歩み、党国会対策副委員長、国対委員長を歴任した。 議員在職中の1978年11月26日、胸部大動脈瘤破裂により死去した。
能 登志雄(のう としお、1912年5月 - 1988年2月… 能 登志雄(のう としお、1912年5月 - 1988年2月6日)は、日本の地理学者。専門は、集落地理学など。東北大学教授などを歴任。 長崎県長崎市生まれ。父親は、当時長崎高等商業学校教授であったが、その後転勤を重ね、登志雄は青年期を石川県金沢市で過ごすこととなった。 石川県立金沢第二中学校から第四高等学校 (旧制) 理科甲類を経て、1932年に東京帝国大学理学部地理学科で人文地理学を専攻し、辻村太郎の指導を受けた。地理学科の同期生には木内信蔵、1年後輩には矢沢大二がいた。能は語学に優れ、学生時代から英語やドイツ語に通じていた。 卒業後の1935年、大学院に進学し、辻村との共訳という形でノルベルト・クレープス『人類地理学』の翻訳(1936年)を出したが、1936年に広島陸軍幼年学校教官となり、1941年には陸軍気象部付陸軍技師として予報班に勤務し、さらに1942年には南方派遣野戦気象部隊付予報技術将校として出征して南方各地を転戦した。
水上 一久(みずかみ いちきゅう、1912年3月14日 - … 水上 一久(みずかみ いちきゅう、1912年3月14日 - 1962年4月12日)は、日本の歴史学者。専門は日本中世史。 石川県金沢市生まれ。1932年第四高等学校文科甲類卒業、1935年東京帝国大学文学部国史学科卒業。卒業論文は「荘園制の崩壊より見たる中世の東寺領」。 1935年鹿児島県史編纂委員、1943年立命館大学文学部教授を経て、1945年第四高等学校講師、1946年同校教授、1950年金沢高等師範学校教授、1952年金沢大学法文学部助教授、1958年同教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
羽田野 伯猷(はたの はくゆう、1911年7月13日 - 1… 羽田野 伯猷(はたの はくゆう、1911年7月13日 - 1985年1月9日)は、日本の仏教史学者。東北大学名誉教授。日本学士院賞受賞。 愛知県三河国出身。1933年第四高等学校卒業。1936年東北帝国大学法文学部卒業、文学士。1939年大日本帝国陸軍歩兵少尉。1941年大日本帝国陸軍中尉。大日本帝国陸軍大尉として満州で従軍したのち、1944年東北帝国大学着任。1951年東北大学助教授。1955年日本学士院賞受賞。1959年から東北大学教授を務め印度学第二講座を担当した。1960年東北大学文学博士。1975年退官。勲三等旭日中綬章。指導学生に磯田熙文東北大学名誉教授など。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
大沢 一郎(大澤 一郎、おおさわ いちろう、1910年(明治… 大沢 一郎(大澤 一郎、おおさわ いちろう、1910年(明治43年)6月9日 - 1986年(昭和61年)9月12日)は、日本の検察官、弁護士。検事総長。 大阪市出身。第四高等学校を経て、1932年京都帝国大学法学部を卒業。司法官試補となり、法務省矯正局長、大阪地方検察庁検事正、最高検察庁刑事部長、法務事務次官、最高検次長検事、東京高等検察庁検事長などを歴任。 1973年2月2日、検事総長に就任。在任中、日教組ゼネスト事件、協同飼料株価不正操作事件、石油ヤミカルテル事件などを指揮した。 1975年1月25日、検事総長を勇退し退官した。その後、ロッキード事件で偽証罪に問われた小佐野賢治の弁護団に加わった。
瀧山 養(たきやま まもる、1910年(明治43年)2月12… 瀧山 養(たきやま まもる、1910年(明治43年)2月12日 - 2009年(平成21年)4月7日)は、日本の鉄道官僚、土木工学者(工学博士・東京大学)。第62代土木学会会長、日本国有鉄道技師長・理事・顧問、鹿島建設専務取締役等を歴任した。戦前・戦後の激動の時代で、鉄道が輸送機関の主力であったときに鉄道技師として鉄道の発展に貢献。海外引揚や戦災復興都市計画、十河信二国鉄総裁のもと新幹線建設に尽力した。勲二等。 大阪府生まれ。後に東京市に転居し、東京市立麹町小学校、第四高等学校を経て、1932年東京帝国大学工学部土木工学科卒業。高等文官試験行政科に合格し、帝大卒業後鉄道省に入省。入省後は、東京改良事務所や新潟鉄道局、建設局停車場課、華北交通などに配属。
山本 義一(やまもと ぎいち、1909年7月4日 - 198… 山本 義一(やまもと ぎいち、1909年7月4日 - 1980年2月7日) は、日本の気象学者。東北大学名誉教授。元日本気象学会理事長。 石川県金沢市生まれ。第四高等学校を経て、1933年東北帝国大学理学部物理学科卒業、中央気象台入庁。1941年逓信省中央航空研究所研究官。1945年東北帝国大学理学部地球物理学科が新設されると同教授兼任。1946年東北帝国大学に学位論文を提出して理学博士を取得するとともに、専任の教授に異動。地球物理学第3講座を担任し、ここに東北帝国大における気象学講座発祥となった。1959年から国際放射委員会委員。1966年から1969年まで理学部長。1966年から68年まで国際科学会議大気科学委員会委員。
米沢 英雄(よねざわ ひでお、1909年〈明治42年〉5月3… 米沢 英雄(よねざわ ひでお、1909年〈明治42年〉5月31日 - 1991年〈平成3年〉3月3日)は、日本の医師、浄土真宗の伝道者。 福井県福井市生まれ。旧制第四高等学校文科を経て、日本医科大学を卒業。医学博士。開業医のかたわら、親鸞聖人の教えに深く帰依し、多数の著作、全国各地での法話・講演などで、多くの念仏者を生み出した。著述、講演による伝道者・実践者としての功績で1989年<平成元年>第23回仏教伝道文化賞を受賞。
岡本 耕造(おかもと こうぞう、1908年11月10日 - … 岡本 耕造(おかもと こうぞう、1908年11月10日 - 1993年2月24日)は、病理学者。京都大学名誉教授、近畿大学名誉教授。 富山県出身。第四高等学校 (旧制)を経て、1931年京都帝国大学医学部医学科卒業。清野謙次の弟子として京大病理学教室に入った。1935年2月1日付で、歩兵第7連隊幹部候補生として応召、同年12月復職。1938年3月3日、ドイツ語論文「組織鉄に関する研究」で医学博士号取得。 京大講師在任中の1938年春、清野と医学部長戸田正三の説得でやむなく関東軍防疫給水部本部(731部隊)に参加。第一部第六課岡本班で病理研究に従事した。極東国際軍事裁判で戦犯として訴追された。 戦後、兵庫県立神戸医科大学教授、東北大学教授を歴任。
関 守三郎(せき もりさぶろう、1908年(明治41年)7月… 関 守三郎(せき もりさぶろう、1908年(明治41年)7月 - 1990年(平成2年)8月7日)は、日本の外交官。外務省経済局長、駐スペイン特命全権大使、駐メキシコ特命全権大使、アジア生産性機構事務総長、外務省顧問。 新潟県長岡市出身。1926年第四高等学校理科乙類入学許可取消。1929年東京商科大学(現一橋大学)予科修了。1932年同大学本科卒業。山岳部出身。 在英国大使館外務書記生、在ドイツ大使館外交官補、外務省通商局事務官、在中華民国大使館三等書記官、上海領事兼支那派遣軍渉外審判所検察官、徐州総領事等を経て、1945年中華民国三級同光勲章受章。同年外務省政務局第三課長。1946年終戦連絡中央事務局第二部第二課長。
山内 六郎(やまうち ろくろう、1908年(明治41年)6月… 山内 六郎(やまうち ろくろう、1908年(明治41年)6月9日 - 没年不明)は、日本の造園系官僚。 静岡県に生まれる。旧制第四高等学校を経て、1934年に京都帝国大学農学部を卒業。1937年に静岡県立静岡農学校(現・静岡県立静岡農業高等学校)の教諭となる。 1940年に内務省に入り、計画局都市計画課技手となる。翌年、都市計画大阪地方委員会技手兼大阪府都市計画課技手に転じ、1943年には都市計画北海道地方委員会技師兼北海道庁技師となった。[要出典] 1947年から福岡県土木部計画課公園係長を務めた後、1955年に神戸市建設局に移る。神戸市では土木緑地砂防課長などを務めた。 1972年に第3回日本公園緑地協会公園緑地折下功労賞、昭和60年度(第4回)日本造園学会上原敬二賞を、それぞれ受賞している。
石川 太刀雄(いしかわ たちお、1908年3月29日 - 1… 石川 太刀雄(いしかわ たちお、1908年3月29日 - 1973年10月19日)は、医師、病理学者。父は同じく医学博士の石川日出鶴丸。別名「石川 太刀雄丸」(いしかわ たちおまる)、「石川 大刀雄」いしかわ たちお)。 1908年、石川日出鶴丸の息子・太刀雄丸として富山県射水郡下村で誕生。本人の弁によると、自分としては太刀雄であるが戸籍係の間違いで丸の字がついたのだ、といわれている。第四高等学校 (旧制)を経て、1931年、京都帝国大学医学部を卒業。 卒業後は、同大医学部講師に就任。1938年、医学博士の学位を取得した。京都帝国大学の病理学者清野謙次の勧めで、大日本帝国陸軍技師として満州国にわたった。
本部 均(ほんぶ ひとし、1908年1月22日 - 2005… 本部 均(ほんぶ ひとし、1908年1月22日 - 2005年5月9日)は、日本の数学者。東京都立大学 (1949-2011)名誉教授。専攻は微分幾何学。多数の学習参考書、受験参考書の執筆、編著でも知られる。 石川県出身。第四高等学校を経て、1930年東北帝国大学数学科卒業。北海道帝国大学助手、九州帝国大学助教授、同教授を歴任。1952年旧・東京都立大学教授となる。1971年の定年後、東海大学教授に転ずる。 東京出版の月刊誌『大学への数学』で、創刊号から長年執筆を続けていた。 2005年5月9日、肺気腫のため死去。
奥田 豊三(おくだ とよぞう、1908年(明治41年)1月2… 奥田 豊三(おくだ とよぞう、1908年(明治41年)1月20日 - 1983年(昭和58年)10月7日)は、参謀本部陸地測量部の測量官を務めた陸軍技師、内務官僚。第2代国土地理院長を務めた。 富山県富山市出身。第四高等学校理科甲類から1933年(昭和8年)3月31日東京帝国大学理学部天文学科学士試験合格後、東京天文台を経て、1942年(昭和17年)11月10日陸軍技師(高等官六等)に任官し陸地測量部付となる。 終戦を受け陸地測量部解体後、地理調査所を経て、1952年(昭和27年)理学博士(東京大学)、1961年(昭和36年)4月1日国土地理院長に就任。1962年(昭和37年)10月1日に国土地理院長を退官後は緯度観測所長、日本天文学会理事長、日本地図調製業協会会長を務めた。
吉谷 仁士(よしたに ひとし、1908年(明治41年) - … 吉谷 仁士(よしたに ひとし、1908年(明治41年) - 1959年(昭和34年))は、日本の政治家。長野県中野市長。 長野県下高井郡中野町(現中野市)生まれ。旧制第四高等学校を経て、京都帝国大学経済学部卒業。南満州鉄道に入社し、敗戦により1947年(昭和22年)に引き揚げた。同年、新制の町立中野中学校教諭となった。長野県教員組合書記長、長野県総合開発局勤務、農村研究所専務などを務めた。 1954年(昭和29年)8月、中野市長選挙に当選し、初代市長となり1958年(昭和33年)8月まで1期務めた。在任中は市役所の各審議会の設置や都市基盤整備、山林農業や商工業の振興を図り、民主的な市政運営の実現に努めた。
佐々木 巌夫(ささき いわお、1907年12月3日 - 19… 佐々木 巌夫(ささき いわお、1907年12月3日 - 1971年12月3日)は、日本の柔道家(講道館9段)、実業家。旧姓笠原。 学生時代に全国中等学校柔道大会や明治神宮大会柔道競技で優勝等の成績を残し、特に早稲田大学在学中には学生柔道界の花形としてその勇名を轟かせ全日本選士権大会も獲得。卒業後は古河鉱業に就職し、営業部長や資材部長、炭鉱所長、監査役、顧問等を歴任し、実業家として活躍した。 栃木県宇都宮市で医師を務める笠原家10人兄弟の5男として東京都世田谷区の奥沢に生まれ、少年期より栃木県で育った。兄3人が旧制宇都宮中学校(現・県立宇都宮高校)から旧制第四高校へ進んだ柔道選手であったほか、姉2人の夫も旧制第四高校の柔道選手であった関係で、笠原も物心が付いた頃には家の中の十畳間で兄達が乱取を行うのを見て育つなど、既に柔道が身近な存在となっていた。
清水 博(しみず ひろし、1907年9月23日 - 1993… 清水 博(しみず ひろし、1907年9月23日 - 1993年8月10日)は、日本の歴史学者、立教大学名誉教授。専門はアメリカ史。 東京都出身。東京帝国大学卒。第四高等学校講師、1949年立教大学文学部史学科教授に就任。1972年~1974年、アメリカ学会第5代会長。立教大学での教え子に、カナダ史研究者の大原祐子がいる。1976年国際商科大学教授。1985年退職。 アメリカ学会は、1996年、清水を記念する「清水博賞」を創設した。
木場 深定(きば じんじょう、1907年 <明治40年> 4… 木場 深定(きば じんじょう、1907年 <明治40年> 4月28日 - 1999年 <平成11年> 9月20日)は、日本の哲学者。ドイツ哲学を専攻。東北大学名誉教授。位階は正四位。 富山県小矢部市出身。1932年東北帝国大学法文学部哲学科卒、1962年「ヘーゲル宗教哲学の研究 特に宗教的意識と哲学的思惟との関係について」で東北大学文学博士。東北大学文学部教授。1971年定年退官、名誉教授、大谷大学教授を務めた。 1999年死去。死没日付をもって正四位に叙された。 父・木場了本は第四高等学校で西田幾多郎の教えを受けた後、1911年東京帝国大学文学部哲学科卒、京都で大谷大学の教授を勤め、後郷里金沢に帰って第四高等学校の教授となった。
山田 久就(やまだ ひさなり、1907年1月13日 - 19… 山田 久就(やまだ ひさなり、1907年1月13日 - 1987年12月15日)は、日本の外交官、政治家。位階は正三位。 第9代環境庁長官。衆議院議員(4期)。 父は高岡新報(現在の北日本新聞)元社長の山田久太郎。 1907年京都市生まれ。富山県東礪波郡広塚村(後の福野町、現在の南砺市)出身。旅順中学校、第四高等学校卒業。1929年に東京帝国大学法学部を卒業した後、外務省に入る。同期に朝海浩一郎(駐米大使)や大野勝巳(駐英大使)など。外務事務次官や駐ソ連特命全権大使等を務めた後、1967年の第31回衆議院議員総選挙に旧東京8区から立候補し当選する。 1973年に外務政務次官となり、1977年発足の福田赳夫改造内閣において環境庁長官となる。
毎田 周一(まいだ しゅういち、1906年〈明治39年〉9月… 毎田 周一(まいだ しゅういち、1906年〈明治39年〉9月22日 - 1967年〈昭和42年〉2月27日)は、日本の仏教思想家、詩人。金沢市出身。第四高等学校を経て、1929年京都帝国大学文学部哲学科卒業。1937年長野県師範学校教諭、1942年石川県師範学校教諭。 暁烏敏に師事し、西田幾太郎に学ぶ。雑誌『真』、『大雪山』を主宰。仏教の教えを日常の言葉で語り、多くの解説書や詩を残した。没後「毎田周一全集」が纏められた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。