中村 登美(なかむら とみ、1916年12月29日 - 20… 中村 登美(なかむら とみ、1916年12月29日 - 2016年4月9日)は、日本の政治家。自由民主党参議院議員(1期)。参議院議員先代中村喜四郎の妻、元衆議院議員(元建設大臣)中村喜四郎の母。 茨城県那珂郡出身。1935年茨城県立水戸高等女学校(現・水戸第二高等学校)卒。中村喜四郎と結婚し、夫が運営する自動車学校の役員から校長となる。1971年暮れ、夫が死去し、翌年2月の参議院補欠選挙で茨城地方区において諸派(喜友会)から立候補して、自民党公認候補などを破り当選し、茨城県初の女性参議院議員となった。当選後は自民党に入り、参議院物価等対策特別委員長などを歴任した。参議院議員は1期務め、1977年の第11回参議院議員通常選挙には出馬しなかった。
堀川 弘通 (ほりかわ ひろみち、1916年〈大正5年〉12… 堀川 弘通 (ほりかわ ひろみち、1916年〈大正5年〉12月28日 - 2012年〈平成24年〉9月5日)は、日本の映画監督。成城大学名誉教授の堀川直義は兄。 京都府京都市出身。東京市立一中(現:九段高校)、成城高等学校(現:成城大学)を経て、1940年、東京帝国大学文学部卒業。同年、東宝撮影所製作部に演出助手係として入社。最初に山本嘉次郎の『馬』の盛岡ロケから助監督として参加し、この時にチーフ助監督だった黒澤明と仲良くなり、仕事を終えるといつも2人で飲みに回ったという。入社1年後にオーバーワークがたたって肺を病み、1年半休職する。復帰後はすでに監督になった黒澤の作品に就き、『一番美しく』『続姿三四郎』に参加、1945年に軍隊に召集されるが、敗戦となり10月に復員して東宝に戻る。
文 鍾斗(ムン・ジョンドゥ、朝鮮語: 문종두、1916年12… 文 鍾斗(ムン・ジョンドゥ、朝鮮語: 문종두、1916年12月25日 - 1987年8月29日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の教育公務員、実業家、政治家。第3・4代韓国国会議員。 本貫は南平文氏(朝鮮語版)。号は悟耕。 日本統治時代の慶尚北道漆谷郡出身。大邱公立商業学校(現・大邱商苑高等学校(朝鮮語版))、中央大学法科卒。大邱市学務課長署理、慶尚北道知事官房、人事審査院慶尚北道高試課長、金泉中学期成会会長、慶尚北道理事官・教育委員、金泉時報社長、金泉商工会議所会長、金泉新聞記者団団長、民主共和党慶尚北道金泉地区党委員長・中央常任委員を務めた。 晩年は尹奉吉義士義挙55周年記念事業推進会副会長を務めた。
本間 正義(ほんま まさよし、1916年12月25日 - 2… 本間 正義(ほんま まさよし、1916年12月25日 - 2001年10月10日)は、日本の美術評論家。 新潟県長岡市出身。旧制長岡中学、旧制二高、東京帝国大学文学部美学美術史学科卒業。東京国立近代美術館次長を経て、1975年(昭和50年)大阪国立国際美術館長、1982年(昭和57年)埼玉県立近代美術館長。 サンパウロビエンナーレ、現代日本美術展など、国内外の主要美術展の審査員としても活躍した。専門の近代彫刻のほか、美術館運営や企画、国際展の審査などで活躍。ユニークな展覧会を企画する名物館長として知られた。美術評論家連盟会長。オーボエ奏者で古楽研究者であった本間正史(1947-2016)は子息。
横田 伊佐秋(よこた いさあき、1916年〈大正5年〉12月… 横田 伊佐秋(よこた いさあき、1916年〈大正5年〉12月25日 - 1998年〈平成10年〉1月14日)は、日本の物理学者。理学博士。新潟大学名誉教授。専門は物性物理学。 九州帝国大学医科大学生理学教室助手・横田武三(本籍:埼玉県)の長男として出生。1917年(大正6年)9月の父・横田武三の新潟医学専門学校生理学教室第2代教授への就任に伴って新潟県新潟市(現 新潟市中央区)に転居。 1933年(昭和8年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1936年(昭和11年)3月に新潟高等学校を卒業、1939年(昭和14年)3月に東京帝国大学理学部物理学科を卒業。 1939年(昭和14年)に北海道帝国大学理学部助手に就任、1942年(昭和17年)5月に中央気象台附属気象技術官養成所教授に就任、1946年(昭和21年)7月に新潟高等学校教授に就任。
福田 孝(ふくだ たかし、1916年(大正5年)12月25日… 福田 孝(ふくだ たかし、1916年(大正5年)12月25日 - 1998年(平成10年)8月19日)は、日本の技術者、実業家、経営者、フクダ電子創業者。 千葉県印旛郡大森町(現在の印西市)に生まれる。電機学校(現・東京電機大学)卒業後、大学で学んだ知識を医療に生かそうと、特に1930年代に登場した心電計に着目した。1939年(昭和14年)に独力で福田特殊医療電気製作所(現・フクダ電子)を創業。当時の心電計は直流電池を電源に真空管3本と可動鉄片型ガルバー、ゼンマイ式モーターを使った簡単な構造の心電計で、オシログラフペーパーに記録し現像するという代物だった。 戦後、交流電源を使うようになったが、今度は雑音が激しく専門家が操作を手助けするような状況で、まだまだ臨床での利用にはほど遠かった。
福鎌 忠恕(ふくかま ただひろ、1916年12月24日 - … 福鎌 忠恕(ふくかま ただひろ、1916年12月24日 - 1991年4月12日)は、ドイツ文学・西洋思想史学者。弟は福鎌達夫。 大阪府出身。1941年上智大学文学部独文学科卒業。東洋大学社会学部助教授、教授、1962年「モンテスキューの社会学思想」で東洋大学文学博士。1987年名誉教授。1990年『ヴィーコ自叙伝』で日本翻訳出版文化賞受賞。専攻は知識社会学、言語社会学。1991年4月12日、食道癌のため死去。
大沢 実(大澤 實、おおさわ みのる、1916年12月24日… 大沢 実(大澤 實、おおさわ みのる、1916年12月24日 - 1968年9月14日)は、日本の英文学者。早稲田大学教授。 埼玉県生まれ。早稲田大学英文科卒。同大学教授在職中に52歳で死去。ヴァージニア・ウルフを専門とした。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
山鹿 誠次(やまが せいじ、1916年12月22日 - 20… 山鹿 誠次(やまが せいじ、1916年12月22日 - 2005年7月26日)は、日本の都市地理学者。東京学芸大学名誉教授。 東京市日本橋生まれ。1939年東京高等師範学校文科第4部(地理・歴史専攻)卒業、1943年東京文理科大学地理学専攻卒業。同年10月、海軍予備学生として海軍兵学校に配属され、翌年教官となる。1945年海軍中尉で敗戦。1946年国民図書刊行会勤務、1947年東京第一師範学校女子部助教授、1949年東京学芸大学専任講師、1951年同大学助教授、1961年「日本における衛星都市の研究」で東京文理科大学より理学博士の学位を取得。1972年同大学教授。1973-1979年、東京学芸大学附属小金井中学校校長を兼任。
岡 彦一(おか ひこいち、1916年12月22日 - 199… 岡 彦一(おか ひこいち、1916年12月22日 - 1996年1月4日)は、日本の育種学者。国立遺伝学研究所名誉所員。日本農学賞受賞。 和歌山県和歌山市生まれ。1940年北海道帝国大学農学部卒業、大原農業研究所助手。台北帝国大学教授、台中農林専科学校(現国立中興大学)教授を経て、1954年国立遺伝学研究所に着任。1963年日本農学賞受賞。1980年定年退職、国立遺伝学研究所名誉所員。1996年勲三等瑞宝章受章。イネの遺伝育種学研究の第一人者として知られた。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
五十嵐 顕(いがらし あきら、1916年12月20日-199… 五十嵐 顕(いがらし あきら、1916年12月20日-1995年9月17日)は、日本の教育学者、東京大学名誉教授。教育財政学、マルクス主義教育学、ソビエト教育学を研究した。 福井県出身。東京帝国大学卒。文部省教育研修所(現国立教育研究所)所員、東京大学教育学部助教授、1968年東大教授。1977年定年退官、名誉教授、中京大学教授。 「わだつみ会」の会員として不戦運動に取り組んだ。
稲庭 桂子(いなにわ けいこ、1916年(大正5年)12月1… 稲庭 桂子(いなにわ けいこ、1916年(大正5年)12月18日 - 1975年(昭和50年)10月24日)は、日本の紙芝居作家で保育紙芝居の提唱者。童心社創業者。結婚後の本名は村松桂子。稲庭桂子の筆名で活動を続けた。 稲庭桂子は1916年(大正5年)12月18日に岩手県盛岡市で生まれた。1928年(昭和3年)、桂子が12歳の時に、朝日新聞の記者であった父稲庭謙治が東京本社詰になり東京府世田谷区に移る。1934年(昭和9年)、18歳で、青山女学院を卒業。劇作家を志し亀屋原徳に師事。稲庭桂子の筆名で紙芝居の脚本も手掛けた。1942年(昭和17年)、25歳で日本教育紙芝居協会に入社。当時は日中戦争から第二次大戦に至る時代で、稲庭も国策に沿う紙芝居を書くことが求められる時勢であった。
田中 信英(たなか のぶひで、1916年(大正5年)12月1… 田中 信英(たなか のぶひで、1916年(大正5年)12月18日 - 1995年(平成7年)2月5日)は、昭和から平成初期の警察官、政治家。大和高田市長(在職1991年10月5日~1995年2月5日)。位階は従五位。 市営温泉さくら荘、市民文化会館事業を立ち上げた。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
児島 文(こじま ふみ、1916年12月17日 - 1996… 児島 文(こじま ふみ、1916年12月17日 - 1996年6月7日)は、日本の陸上競技選手、陸上競技指導者。旧名・フミ。 鹿児島県肝属郡高山町(現肝付町)出身。中京高等女学校家事体操専攻科(現・至学館大学)卒。鳥栖高等女学校(現佐賀県立香楠中学校・鳥栖高等学校)教員、鹿児島第一高等女学校(現鹿児島県立鶴丸高等学校)教員を務めた。1934年(昭和9年)6月、砲丸投で10m84cmの女子日本新記録を出し、以後、円盤投、砲丸投の選手として活躍。1936年ベルリンオリンピックで女子円盤投に出場した。1951年アジア競技大会で、 円盤投と砲丸投で銀メダルを獲得した。 その後、九州で陸上競技の指導を行い、南日本新聞スポーツ担当記者、愛知県立女子短期大学教授、鹿児島経済大学(現鹿児島国際大学)教授、鹿児島陸上競技協会理事長などを務めた。
三宅 義夫(みやけ よしお、1916年12月14日 - 19… 三宅 義夫(みやけ よしお、1916年12月14日 - 1996年10月19日)は、日本の経済学者。マルクス経済学における金融論専攻。立教大学名誉教授。元経済理論学会代表幹事。 立教大学では山本二三丸(景気論専攻)、小林昇(経済学史専攻)らと並び戦後の経済学部を引っ張ることとなったが、このことは立教大学経済学部にマルクス経済学講座派の牙城を築くこととなり、欧米の主流派経済学の導入を妨げる一因となった。経済学への貢献と言う観点から見ると、カール・マルクス資本論3巻の理解を基にした、貨幣の本質や信用論の深化が挙げられる[要出典]。一部にではあるが資本論への回帰が叫ばれている[要出典]。
加茂 正五(かも しょうご、1916年12月12日 - 19… 加茂 正五(かも しょうご、1916年12月12日 - 1977年9月14日)は、静岡県浜松市出身のサッカー選手。ポジションはFW(左ウイング)。 静岡県立浜松第一中学校(現・静岡県立浜松北高等学校)の在学中より実兄の加茂健とともにサッカーを初め、早稲田大学に入学後はア式蹴球部に所属。在学中の1936年にベルリンオリンピックのサッカー日本代表に選出され、1回戦のスウェーデン代表戦に出場。0-2の状況から、49分に川本泰三、62分には右近徳太郎の得点をアシストして試合を振り出しに戻し、チームの逆転勝利に貢献した。 また、在学中の1938年6月に開催された全日本蹴球選手権大會(第18回天皇杯全日本サッカー選手権大会)でチームの優勝に貢献した。
芝田 稔(しばた みのる、1916年〈大正5年〉12月12日… 芝田 稔(しばた みのる、1916年〈大正5年〉12月12日 - 2007年〈平成19年〉2月10日)は、日本の中国語学者。関西大学名誉教授。 大阪府南河内郡長野町(現・河内長野市)出身。北京大学文学院国文学系卒業。関西大学文学部助教授、教授。1989年定年、名誉教授。 子供は二男二女、長男は芝田啓治(元教員、元河内長野市長)。
国頭 義正(くにとう よしまさ、1916年12月12日 - … 国頭 義正(くにとう よしまさ、1916年12月12日 - 1981年10月1日)は、日本の経営評論家。 鳥取県淀江町(米子市)出身。共同通信記者、大阪タイムス社論説委員、報道部長、編集局長、1949年『経済春秋』を創刊、主宰、ケイザイ春秋社社長。
町田 甲一(まちだ こういち、1916年12月9日 - 19… 町田 甲一(まちだ こういち、1916年12月9日 - 1993年10月5日)は、日本の美術史家。名古屋大学教授等を経て、武蔵野美術大学名誉教授。 1916年、東京府東京市麹町区で日本画家・町田曲江の子として生まれた。東京府立第三中学校で学ぶが、病気のため2年遅れて1936年に卒業。同年、姫路高校に進学。卒業直前の1940年3月に治安維持法違反の疑いで神戸詩人事件に連座して検挙され、18ケ月にわたって拘禁された。1942年、東京帝国大学文学部に入学して美学を専攻した。大学では、児島喜久雄の下で学んだ。1944年に卒業し、その後は同大学大学院に進学。 1946年からは大学院在籍のまま、長尾美術館へ勤務。
岡野 八郎(おかの はちろう、1916年12月8日 - 没年… 岡野 八郎(おかの はちろう、1916年12月8日 - 没年不明)は、滋賀県出身のプロ野球選手。 膳所中学校から関西大学を経て1938年に名古屋金鯱軍へ入団。
大島 孝一(おおしま こういち、1916年12月7日 - 2… 大島 孝一(おおしま こういち、1916年12月7日 - 2012年8月27日)は、日本の教育者、物理学者、平和運動家。女子学院院長。 熊本市に生まれる。1935年福岡県中学修猷館、1937年旧制福岡高等学校理科乙類を経て、1940年、東北帝国大学理学部物理学科卒業。 1941年、福岡管区気象台に勤務中に応召し陸軍の気象班員となる。終戦後、1945年の暮れに九州に向かう途中で、原子爆弾で焼野原となった広島を見て衝撃を受け平和運動を志す。 その後、東北大学理学部地球物理学教室助手を経て、岩手大学学芸学部の物理学の助教授となり、岩手県農村文化懇談会の一員として『戦没農民兵士の手紙』(岩波新書、1961年)の編集に参加している。
堀 昌雄(ほり まさお、1916年12月7日 - 1997年… 堀 昌雄(ほり まさお、1916年12月7日 - 1997年8月29日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員。 京都府京都市出身。旧制高知高等学校を経て大阪帝国大学医学部を卒業し、太平洋戦争では海軍軍医として作戦に参加した。戦後に、1942年2月のシンガポール華僑粛清事件について国会で発言している。日本医師連盟公認での衆院選出馬、落選を経て、1958年、第28回衆議院議員総選挙に旧兵庫2区から出馬して初当選し、以後11回当選した。社会党内では右派の系譜に属し、武藤山治、佐藤観樹と「堀グループ」を形成した。 西欧の社会民主主義を手本に、教条的なマルクス・レーニン主義からの変節を求めた。また、衆議院大蔵委員会の委員を長く務め、社会党きっての財政通として知られた。
川合 辰雄(かわい たつお、1916年12月7日 - 201… 川合 辰雄(かわい たつお、1916年12月7日 - 2019年3月3日)は、日本の経営者。 山形県南陽市出身。1940年に早稲田大学理工学部電気工学科を卒業し、同年に九州水力電気に入社。 1942年4月に九州配電(のちの九州電力)に転じ、1971年5月に取締役に就任し、常務、副社長を経て、1983年6月に社長に就任した。1987年6月に会長に就任し、1997年7月から相談役を務めた。 1981年4月に藍綬褒章を受章し、1991年11月に勲一等瑞宝章を受章。 2019年3月3日誤嚥性肺炎のために死去。102歳没。
長谷川 好三(はせがわ こうぞう、1916年(大正5年)12… 長谷川 好三(はせがわ こうぞう、1916年(大正5年)12月1日 - 1970年(昭和45年)1月1日)は、日本の政治家・実業家。茨城県議会議員・笠間市長。大泉砕石株式会社・初代代表取締役、茨城放送取締役、茨城新聞取締役、茨城県砕石協会会長。茨城県砕石共同販売理事長。 茨城県笠間市福原出身。県立水戸中学校を卒業し、時事新報・いはらき新聞で記者を務める。その後、日立市議会事務局長を経て1948年に茨城県議に初当選。2期務め、県会財政委員長・運営審査委員長を歴任した。 1963年に笠間市長に当選するも、直後に公職選挙法違反で逮捕。裁判で争うも有罪確定によって1965年に失職。在任中は日動画廊・笠間日動美術館創業者の長谷川仁や洋画家・朝井閑右衛門、小説家・田村泰次郎らと共に特産品の笠間焼による地域振興に取り組み、1964年に笠間市芸術村を開村した。
大沢 清(おおさわ きよし、1916年12月1日 - 200… 大沢 清(おおさわ きよし、1916年12月1日 - 2005年7月14日)は、神奈川県鎌倉郡川口村大字片瀬(現:藤沢市片瀬海岸)出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。プロ野球選手の大沢紀三男、大沢啓二は弟。タレントの大沢あかねは従孫娘。 神奈川県立商工実習学校、國學院大學を経て、1937年に名古屋軍へ入団しプロ入り。1年目から内野のユーティリティプレイヤーとして活躍し、1939年には川上哲治に次ぐ打率.310を記録する。第二次世界大戦終戦後、1946年に後身である中部日本軍へ復帰し、1949年に東急フライヤーズへ移籍。 1950年には新球団として発足した大洋ホエールズへ移籍し、一塁手に定着。
武田 考玄(たけだ こうげん、1916年12月1日 - 20… 武田 考玄(たけだ こうげん、1916年12月1日 - 2000年12月31日)は命理家・遁甲家、演出家。横浜市出身。本名:土屋達一郎。ライジングサン石油株式會社(後のシェル石油→昭和シェル石油)の創設者の1人と妾の間に5人兄妹の長男として生を受けた。旧制私立芝中学校、早稲田大学政治経済学部卒業。NETテレビ(日本教育テレビ)で演出を行なううちに、メークアップの研究が観相学へと結びついた。その後四柱推命などの運命学を中国の原書から研究し始め、本場中国の原書を元にした子平(四柱推命学)の日本への導入に努めた。通信講座などで門弟も多く、日本命理学会を主宰。実妹は舞踏家の花柳三弥、元女優の島崎雪子。
小沢 貞孝(おざわ さだたか、1916年12月1日 - 20… 小沢 貞孝(おざわ さだたか、1916年12月1日 - 2002年12月17日)は、日本の政治家。民社党衆議院議員。
斎藤 第六(さいとう だいろく、1916年(大正5年)12月… 斎藤 第六(さいとう だいろく、1916年(大正5年)12月1日 - 2000年(平成12年)2月1日)は、日本の政治家、旧鶴岡市第11代市長、栄典は、従五位・勲四等・旭日小綬章、山形県出身。 1916年(大正5年)山形県に生まれる。 1934年(昭和9年)小樽高等商業学校を卒業する。 1949年(昭和24年)鶴岡市役所に入り、同市助役となる。1979年(昭和54年)無所属で鶴岡市長選挙に立候補し初当選した。1983年(昭和58年)11月20日の同市長選挙で佐藤俊次(共産党公認)を破り、2回目の当選をした。1987年(昭和62年)の同市長選挙で3回目の当選を果たした。1991年(平成3年)に市長を勇退。
塹江 誠夫(ほりえ のぶお、1916年12月1日 - 200… 塹江 誠夫(ほりえ のぶお、1916年12月1日 - 2003年7月24日)は日本の数学者。京都大学名誉教授。 勲二等瑞宝章、正四位。高知市出身。土佐藩塹江氏7代目。高知県安芸城主五藤為重の子孫。 培風館 詳説演習微分積分学 培風館 詳説演習線形代数学 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
矢崎 武夫(やざき たけお、1916年〈大正5年〉12月1日… 矢崎 武夫(やざき たけお、1916年〈大正5年〉12月1日 - 2005年〈平成17年〉1月30日)は、日本の都市社会学者。慶應義塾大学名誉教授、元明星大学教授。 1916年、東京の大森に生まれる。 1941年、慶應義塾大学経済学部卒業。東芝入社。1942-1946年、兵役で中国を転戦。 1949-1952年、シカゴ大学大学院留学。1954年、慶應義塾大学講師。1962年、慶應義塾大学教授。1967年、文学博士。1971-1972年、ハワイ大学客員ティーチング・プロフェッサー。 1975-1976年、香港中文大学崇基学院客員教授。1982年、慶應義塾大学名誉教授、明星大学教授。1993年、いわき明星大学教授。
坂田 正之(さかた まさゆき、1916年12月1日 - 19… 坂田 正之(さかた まさゆき、1916年12月1日 - 1990年10月12日)は、日本の経営者。東京都出身。 1946年に東京帝国大学法学部を卒業。 日本興業銀行での勤務を経て、1949年に坂田種苗(現在のサカタのタネ)に転じ、専務に就任し、1974年には社長に就任。1979年6月から会長を務めた。 1980年11月に藍綬褒章を受章。 1990年10月12日肺炎のために死去。73歳没。
植松 安太郎(うえまつ やすたろう、1916年〈大正5年〉1… 植松 安太郎(うえまつ やすたろう、1916年〈大正5年〉12月1日 - 1981年〈昭和56年〉5月6日)は、日本の詩人、実業家、部落解放運動家。百合崎 迅の筆名でも知られた。日本アジア・アフリカ作家会議会員、新日本文学会会員、ラテンアメリカ行動委員会会員。季刊『原詩人』誌主宰。元日本共産党員で、部落解放文学賞佳作入選の経歴を持つ。 群馬県邑楽郡大川村(現・大泉町)の被差別部落で貧農の三男として生まれる。長兄の植松丑五郎は関東水平社青年同盟の執行委員として活動した。 1932年に郷里の高等小学校を卒業した後、所沢市の魚屋に5年の年季奉公に出されたが、半年で前借り金70円を踏み倒したまま、兄を追って東京に逃亡する。
富永三郎(とみながさぶろう、1916年11月30日 - 19… 富永三郎(とみながさぶろう、1916年11月30日 - 1987年6月20日)は日本の作曲家・教育家。 長兄は富永太郎、次兄は富永次郎。国立音楽大学卒。作曲を大中寅二、菅原明朗に師事。童謡や邦楽作品などを主に発表する。「赤穂浪士」などの時代劇を中心とした映画音楽を多く手がけた。戦後は明星学園、晩年に尚美学園で教鞭を取り、邦楽や編曲の実演などを強力に推薦し、ヨーロッパへの留学生の後押しを積極的に推し進める。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:芸能人)。
俊藤 浩滋(しゅんどう こうじ、1916年11月27日 - … 俊藤 浩滋(しゅんどう こうじ、1916年11月27日 - 2001年10月12日)は、日本の映画・テレビドラマのプロデューサー。本名:俊藤 博(しゅんどう ひろし)。神戸市長田区出身。 女優の富司純子は娘。孫に女優の寺島しのぶ、歌舞伎俳優の八代目 尾上菊五郎がいる。上羽秀は後妻。 夜間の神戸市立第二神港商業学校卒業。山口組最高幹部であった菅谷政雄とは同郷の幼馴染で、親友であった。太平洋戦争時には徴兵や軍需工場への動員で過ごすが、御影町の五島組(ごしまくみ)の賭場に通うなかで、大野福次郎(1900年 - 1953年)と出会った。大野は旧姓を五島といい大野家に養子となったが、兄弟は男だけの9人兄弟で長男の五島清吉を含め4人がヤクザとなった家系である。
岡本 利之(おかもと としゆき、1916年11月27日 - … 岡本 利之(おかもと としゆき、1916年11月27日 - 1969年12月30日)は、鳥取県米子市出身のプロ野球選手、高校野球・社会人野球監督。右投右打で、ポジションは捕手、内野手、投手。 父は米子中学校野球部長を務めた岡本速水。 米子中では4年次の1932年に、夏の甲子園に二塁手として出場した(初戦で石川師範に敗れる)。翌1933年は主将・主戦として活躍したが、山陰大会1回戦で敗れ、甲子園出場を逃した。 卒業後は関西大学に進学し、野球部で好打、堅守の内野手として名を馳せた。1939年には職業野球・ライオン軍に入団。弱小チームでユーティリティープレイヤーとして捕手をはじめ、さまざまなポジションをこなした。
石桁 真礼生(いしけた まれお、旧字体: 石桁 眞禮生、19… 石桁 真礼生(いしけた まれお、旧字体: 石桁 眞禮生、1916年〈大正5年〉11月26日 - 1996年〈平成8年〉8月22日)は、日本の作曲家。和歌山県生まれ。作曲家石桁冬樹は子息。石桁真礼生門下生によって結成されている作曲家のグループとして、グループ<環>がある。 東京音楽学校で下総皖一に師事。1943年の第12回音楽コンクールに「小交響曲」で入賞。後、グループ新声会に参加、ドイツ古典派に規範をおく作品を発表するが、「箏のための協奏三章」(1951年)、「箏のための組曲」(1952年)などの現代邦楽にも手を染めていく。やがて、無調や十二音技法に接近し、三好達治の詩による歌曲「鴉」(1956年)や、十二音を用いた日本最初のオペラとされる「卆塔婆小町」(1957年)、「嬰ヘとハを基音とする交響曲」(1965年)などを生み出す。
佐藤 進一(さとう しんいち、1916年11月25日 - 2… 佐藤 進一(さとう しんいち、1916年11月25日 - 2017年11月9日)は、日本の歴史家。専門は、日本中世史・中世法制史・古文書学。学位は、文学博士(1961年)(学位論文(学位論文「鎌倉時代より南北朝時代に至る守護制度の研究」)。中央大学名誉教授。東京大学教授・名古屋大学教授を歴任。 新潟県中蒲原郡新津町(現・新潟市秋葉区)生まれ。旧制新潟県立三条中学校4年修了後、1936年3月に旧制新潟高等学校文科甲類を卒業。同年4月に東京帝国大学文学部入学。1939年3月に東京帝国大学文学部卒業。卒業論文は「鎌倉幕府訴訟制度の分化」であった。 同年4月に東京帝国大学史料編纂所第十編部に採用される。
河野 健二(かわの けんじ、1916年11月25日 - 19… 河野 健二(かわの けんじ、1916年11月25日 - 1996年8月10日)は、日本の歴史学者・経済史家(専攻はフランス経済思想史)。京都大学名誉教授・京都市立芸術大学名誉教授。新京都学派の一人。 1916年、徳島県生まれ。旧制徳島中学校を経て、京都帝国大学経済学部に入学。1940年に卒業した。同1940年、京都帝国大学助手に採用された。 戦後の1946年、山口経済専門学校(現・山口大学経済学部)教授となった。1947年、京都大学助教授に転じ、1960年京都大学教養部教授となった。1961年、学位論文『フランス革命と経済思想』を京都大学に提出して経済学博士の学位を取得。1968年、京都大学人文科学研究所教授に異動となり、1970年からは2期6年にわたって第7代所長を務めた。
片岡 博国(かたおか ひろくに、1916年11月24日 - … 片岡 博国(かたおか ひろくに、1916年11月24日 - )は、元プロ野球選手。
黒田 長久(くろだ ながひさ、1916年11月23日 - 2… 黒田 長久(くろだ ながひさ、1916年11月23日 - 2009年2月26日)は、日本の鳥類学者・軍人・外務官僚。 侯爵で鳥類学者だった黒田長礼(黑田長禮)の長男。母は閑院宮載仁親王二女・茂子女王。妻は海軍中将の醍醐忠重侯爵の娘・和子。黒田家19代当主である。明仁上皇ははとこに当たる。同じ鳥類学者である山階芳麿は義理の従兄弟でもある。父と同じく日本鳥学会会長を務めた。 幼時より父に鳥への関心を育まれる。学習院高等科を経て、1937年、東京帝国大学理学部動物学科に入学し、鎌田武雄教授に師事する。卒業後は外務省に入るが半年で徴兵され、5年間を近衛師団で過ごし陸軍中尉となった。軍隊では伝書鳩を扱う鳩班長を務めていたという。
土屋 敦博(つちや あつひろ、1916年11月23日 - 2… 土屋 敦博(つちや あつひろ、1916年11月23日 - 2002年10月6日)は、日本の保健学者。専門は障害児病理、スポーツ医学。博士(医学)。 長野県上田市出身。日本体育大学(旧制日本体育専門学校)卒業。信州大学教授を経て、長野大学教授。1972年から学長代行を務め、1977年正式に学長を歴任。 その他、1964年から1968年まで長野県サッカー協会会長を歴任。1960年上田市体育協会功労賞受賞。1964年長野県スポーツ協会スポーツ振興功績者有功賞受賞。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
菊地 又男(きくち またお、1916年〈大正5年〉11月22… 菊地 又男(きくち またお、1916年〈大正5年〉11月22日 - 2001年〈平成13年〉7月1日)は、日本の画家。北海道札幌市出身。北海道美術界の重鎮、抽象絵画の牽引者とされ、反骨精神に富んだ姿勢から「反骨の画家」とも呼ばれた。 画家である兄の菊地精二に、絵を教わった。旧制北海中学校(後の北海高等学校)在学中の1933年(昭和8年)、16歳で道展に初入選した。当初は独立展に出展していたが、その後、自由美術展に移った。北海中学を卒業後は北海道庁に勤務したが、戦中の1938年(昭和13年)に兵役につき、中国に渡った。2年後の1940年(昭和15年)に帰国、北海中学の美術教師となり、教職の傍らで美術展への出展を続けた。
見川 鯛山(みかわ たいざん、1916年11月22日 - 2… 見川 鯛山(みかわ たいざん、1916年11月22日 - 2005年8月5日)は、日本の医師、作家。本名は見川 泰山。栃木県安蘇郡植野村(現・佐野市)出身。 昭和医学専門学校卒業後、栃木県那須郡那須村(現・那須町)に見川医院を開設、60年以上にわたって地域医療に従事する傍ら、那須の風土に根ざした短編小説や随筆を14冊執筆した。製薬会社のPR誌に連載した作品などをまとめた「山医者シリーズ」が有名。獅子文六に師事した。 2男2女の4人の子供がおり、長男は見川医院の院長を引き継いでいる。次女はイラストレーターの米倉万美で、2004年7月に地元佐野市のギャラリー酒蔵楽で「見川鯛山&米倉万美父娘展」を開催した。
大平 志げ子(おおひら しげこ、1916年〈大正5年〉11月… 大平 志げ子(おおひら しげこ、1916年〈大正5年〉11月20日 - 1990年〈平成2年〉5月31日)は、日本の68・69代内閣総理大臣である大平正芳の妻。東京府出身。 三木証券創立者である鈴木三樹之助の二女として生まれる。桜蔭女学校を卒業。1937年(昭和12年)4月15日に大蔵省に入省したばかりの大平正芳と見合いで結婚。夫と共にクリスチャンであった。 1952年(昭和27年)に夫・正芳が衆議院議員に当選し代議士の妻となる。また1978年(昭和53年)12月7日には正芳が内閣総理大臣に就任し、志げ子もファーストレディとして活動する。しかし、夫・正芳が1980年(昭和55年)6月12日の総理任期中に急死し、志げ子は未亡人となる。
村田 克己(むらた かつみ、1916年11月20日 - 没年… 村田 克己(むらた かつみ、1916年11月20日 - 没年不詳)は、日本の政治学者。 鹿児島県日置郡に生まれ、警察官吏の養子となる。1934年福岡県中学修猷館を経て、1938年5月早稲田大学専門部政治経済科を卒業し、河野一郎会頭の中央畜産会に就職、機関紙「畜産」編集部に勤務する。 1939年1月熊本西部第24部隊(輜重兵第6連隊)自動車中隊へ現役入営、1940年11月陸軍少尉となり、同年12月陸軍省兵務局防衛課に出頭を命ぜられ、陸軍中野学校乙種長期第3期学生を命ぜられる。1941年7月同校を退校し、陸軍中野学校学生隊付を命ぜられ、第3期丙種学生(将校学生)係長を命ぜられる。同年10月参謀本部付となる。
清水 彰(しみず あきら、1916年11月20日 - 201… 清水 彰(しみず あきら、1916年11月20日 - 2012年8月17日)は日本の俳優。 香川県高松市出身。1939年に新国劇に入団。解散後は数々の舞台や時代劇などに出演。2005年には日本演劇協会演劇功労者賞を受賞した。 2012年8月17日に肝不全のため死去。
小宮 武喜(こみや たけき、1916年11月20日 - 19… 小宮 武喜(こみや たけき、1916年11月20日 - 1999年4月20日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。 長崎県西彼杵郡香焼町(現長崎市)出身。1933年長崎三菱職工学校卒。三菱重工長崎造船所に勤務する。同所の労組委員長や全日本労働総同盟長崎地方同盟議長、香焼村議、同副議長を経て、1969年の第32回衆議院議員総選挙で長崎1区から民社党公認で立候補して初当選。連続3期務めた。国会内では農林水産、災害対策の各委員、党内では労働対策委員、中央執行委員などを歴任した。1979年の第35回衆議院議員総選挙には立候補せず、政界から引退した(後継者は小渕正義)。 1987年に勲三等旭日中綬章を受章した。
姫田 真佐久(ひめだ しんさく、1916年11月19日 - … 姫田 真佐久(ひめだ しんさく、1916年11月19日 - 1997年7月29日)は、日本の撮影監督である。兵庫県加古川市出身。 帝国美術学校を中退し、1937年4月日活多摩川撮影所(後の大映東京撮影所)に撮影助手として入社。同期には的場徹がいる。渡辺五郎の下で特撮カメラマンを経て、本編班に移り撮影監督デビュー。退社後は主に日活で活動した。今村昌平や神代辰巳との仕事で知られている。「戦後の日本映画を代表する撮影監督の一人」とされている。 日本アカデミー賞を3度受賞した他、1970年には『トラ・トラ・トラ!』でアカデミー賞撮影賞にノミネートされた。
丹下 保夫(たんげ やすお、1916年〈大正5年〉11月16… 丹下 保夫(たんげ やすお、1916年〈大正5年〉11月16日 - 1966年〈昭和41年〉11月12日)は、日本の体育学者。東京教育大学教授。 茨城県東茨城郡石塚村(石塚町、常北町を経て現城里町)出身。1946年(昭和21年)に東京文理科大学教育学科を卒業。水戸市五軒小学校の訓導、東京女子高等師範学校講師、東京高等師範学校助教授、東京教育大学体育学部助教授を経て、同大学の教授を務める。「運動文化の獲得、継承、発展が体育の本質である」とする理論を築き、1955年(昭和30年)に学校体育研究同志会を組織する。1966年(昭和41年)に49歳で死去。
山本 尚敏(やまもと ひさとし、1916年11月15日 - … 山本 尚敏(やまもと ひさとし、1916年11月15日 - 生死不明 )は、神奈川県出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。 関東中学校では、1934年の夏の甲子園に出場。卒業後は日本大学に入学するが、中退して簡易保険局でプレーした。 1936年の大東京軍結成に参加する。1937年は兵役に就いていたが、復帰後の1938年秋になると大友一明に代わって正二塁手に入り、1939年には松岡甲二との併用であったが遊撃手としてチーム最多の61試合に起用され、打率.189ながら規定打席に到達した(リーグ55位)。この年の10月20日の対阪急軍戦では日本プロ野球記録となる同一守備位置(遊撃手)での5失策を犯している。