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井上 章平(いのうえ しょうへい、1929年〈昭和4年〉12… 井上 章平(いのうえ しょうへい、1929年〈昭和4年〉12月1日 - 1995年〈平成7年〉8月22日)は、日本の官僚・政治家、参議院議員(1期)。 徳島県出身。東京陸軍幼年学校48期。旧制高知高等学校を卒業。1954年(昭和29年)、京都大学工学部土木工学科卒。同年建設省入省。1983年(昭和58年)河川局長。1985年(昭和60年)技監。1987年(昭和62年)1月10日付で建設事務次官に就任した。1988年(昭和63年)1月12日付で辞職した。 1989年(平成元年)の第15回参議院議員通常選挙に自民党から比例区に立候補して当選。参議院議員を1期務め、1995年(平成7年)の任期満了をもって政界から引退した。
能島 廉(のしま れん 1929年4月19日 - 1964年… 能島 廉(のしま れん 1929年4月19日 - 1964年12月16日)は、作家、編集者。本名は野島 良治(のしま よしはる)。 宮崎市出身だが、子供の頃に親の故郷である高知市へ移ることになり、高知県立海南中学校に入学した後名古屋陸軍幼年学校へ入学したが、終戦となり海星中学に復学したのち旧制高知高等学校に進学する。 1949年に東京大学文学部ドイツ文学科へ入学すると、在学中に旧制高知高校の先輩から誘われる形で同人誌『第15次新思潮』に加わり、1952年に大学を卒業して小学館に入社した後も児童向け雑誌の編集に関わりながら短編数話を発表した。その後小学館の学習雑誌で学年別の編集長を務め、作家として梶山季之や瀬戸内寂聴らを起用している。
西尾 武喜(にしお たけよし、1925年(大正14年)1月1… 西尾 武喜(にしお たけよし、1925年(大正14年)1月10日 - 2006年(平成18年)8月29日)は、名古屋市長(3期)。父は中津川市長の西尾彦朗(1899年(明治32年) - 1986年(昭和61年))。 岐阜県恵那郡阿木村(現・中津川市阿木)出身。旧制高知高等学校を経て昭和24年に京都大学工学部土木工学科卒業後、名古屋市に入り、名古屋市水道局(現・名古屋市上下水道局)に入局。水道畑を歩む。名古屋水道労働組合初代青年婦人部長、名古屋市水道局技監、水道局長、名古屋市助役などを歴任した。 1985年(昭和60年)、社会党・公明党・民社党から誘いを受け、名古屋市長選挙へオール与党候補として立候補し初当選した。
安岡 満彦(やすおか みつひこ、1920年5月5日 - 20… 安岡 満彦(やすおか みつひこ、1920年5月5日 - 2002年7月16日)は、日本の裁判官。最高裁判所判事。高知県出身。 旧制高知高校から1942年(昭和17年)に東京帝国大学法学部を卒業。同年10月に司法官試補、1944年(昭和19年)1月に軍隊に応召となり、1945年(昭和20年)9月に復員。裁判員生活に入り、東京地方裁判所、秋田地方裁判所などに勤務。次いで司法研修所教官、東京高等裁判所、東京地裁などで裁判事務につき、静岡地方裁判所長を経て、再び東京高裁判事。1979年3月に司法研修所長に就任したが、裁判官の不祥事などが相次ぎ、法曹の卵たちに「予断にとらわれないで着実に進む将棋の王将のようになれ」と説いた。
廣末 保(ひろすえ たもつ、1919年12月18日 - 19… 廣末 保(ひろすえ たもつ、1919年12月18日 - 1993年10月26日)は、日本の近世文学研究者、演劇評論家。法政大学教授。主に松尾芭蕉、近松門左衛門、井原西鶴、弘瀬金蔵(絵金)、鶴屋南北などを研究した。 高知市出身。旧制高知高等学校を経て、1941年東京帝国大学文学部国文学科卒。1948年、法政大学第一教養部教授。戦後、日本文学協会で活動し、1955年の最初の著書『元禄文学研究』で注目された。1967年、法政大学文学部教授。1976年に文学部教授を務めた。 柳田國男、折口信夫の民俗学的方法に学び、「悪場所」と呼ばれた芝居と遊廓を、民衆のエネルギーの源泉として近世文化を捉えなおした『悪場所の発想』は、その後の近世論に大きな影響を与えた。
堀 昌雄(ほり まさお、1916年12月7日 - 1997年… 堀 昌雄(ほり まさお、1916年12月7日 - 1997年8月29日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員。 京都府京都市出身。旧制高知高等学校を経て大阪帝国大学医学部を卒業し、太平洋戦争では海軍軍医として作戦に参加した。戦後に、1942年2月のシンガポール華僑粛清事件について国会で発言している。日本医師連盟公認での衆院選出馬、落選を経て、1958年、第28回衆議院議員総選挙に旧兵庫2区から出馬して初当選し、以後11回当選した。社会党内では右派の系譜に属し、武藤山治、佐藤観樹と「堀グループ」を形成した。 西欧の社会民主主義を手本に、教条的なマルクス・レーニン主義からの変節を求めた。また、衆議院大蔵委員会の委員を長く務め、社会党きっての財政通として知られた。
山本 正淑(やまもと まさよし、1916年(大正5年)6月1… 山本 正淑(やまもと まさよし、1916年(大正5年)6月15日 - 2009年(平成21年)9月5日)は、日本の厚生官僚。高知県出身。厚生事務次官、日本赤十字社社長などを歴任した。 旧制高知高等学校を経て東京帝国大学を卒業後、1940年(昭和15年)厚生省に入省。 退官後は、医療金融公庫総裁、財団法人厚生年金事業振興団理事長を経て、1987年(昭和62年)4月1日から1996年(平成8年)10月まで第12代日本赤十字社社長を務めた。 2009年(平成21年)9月5日、脳出血のため東京都新宿区の病院で死去、93歳。
藤岡 謙二郎(ふじおか けんじろう、1914年4月15日 -… 藤岡 謙二郎(ふじおか けんじろう、1914年4月15日 - 1985年4月14日)は、日本の地理学者。学位は、文学博士(京都大学・1961年)。京都大学名誉教授。 京都府出身。1935年高知高等学校卒業。京都帝国大学文学部史学科卒業。 1938年京都帝国大学文学部副手、1939年立命館大学講師、1945年立命館大学法文学部助教授、教授を経て、1949年京都大学教養部助教授、翌年教授。1978年定年退官。同年、奈良大学文学部教授となり、1985年定年退職。 1961年、「わが國律令時代における地方都市及び交通路の歴史地理学的研究」で京都大学より文学博士の学位を取得。逝去にあたり、正四位勲三等旭日中綬章。
井上 清(いのうえ きよし、1913年12月19日 - 20… 井上 清(いのうえ きよし、1913年12月19日 - 2001年11月23日)は、日本の歴史学者。京都大学名誉教授。日本史専攻。明治維新や軍国主義、尖閣諸島、元号、部落問題に関する著作がある。 高知県出身。旧制高知高等学校を経て、1936年東京帝国大学文学部国史学科卒業。羽仁五郎の指導を受けた。戦時中は文部省の維新史や帝室学士院史の編集に嘱託として携わる。 戦後は在野で、歴史学研究会などで講座派マルクス主義の立場からの日本近代史研究の第一人者として活躍、『天皇制の歴史』で天皇制を批判した。貝塚茂樹の仲介で京都大学人文科学研究所に勤務。1954年に助教授、1961年に教授、1977年に退職。 部落解放運動と部落問題の研究に従事した。
梅田 善司(うめだ ぜんじ、1913年9月13日 - 200… 梅田 善司(うめだ ぜんじ、1913年9月13日 - 2004年8月24日)は、日本の実業家。川崎重工業社長、会長を務めた。 和歌山県那賀郡岩出町出身。旧制高知高等学校を経て1939年に京都帝国大学法学部を卒業し、川崎造船所に入社した。1964年12月に取締役、1969年11月に常務、1975年5月に専務を経て、1976年11月から副社長に就任し、1977年6月に社長に就任した。在任中は、日本で初めて、LNG運搬船の受注を獲得したり、韓国の現代グループへの技術支援や中国で大口受注を獲得するなど海外展開にも積極的に取り組んでいった。1981年6月に会長、12月に取締役相談役を経て、1987年6月から2002年6月までに相談役を務めた。
江湖山 恒明(えごやま つねあき、1910年5月 - 198… 江湖山 恒明(えごやま つねあき、1910年5月 - 1989年3月13日)は、日本の国語学者。 愛媛県生まれ。旧制高知高等学校を経て、1935年東京帝国大学国文科卒。千葉高等女学校(現・千葉県立千葉女子高等学校)教師、第四高等学校教授、東京女子高等師範学校教授、お茶の水女子大学助教授、教授、1976年定年退官、名誉教授、鶴見大学教授。没後正四位。「えこやま」と濁らずに読むこともある。
東條 猛猪(とうじょう たけい、1910年(明治43年)1月… 東條 猛猪(とうじょう たけい、1910年(明治43年)1月29日 - 1991年(平成3年)5月23日)は、日本の大蔵官僚、実業家。大蔵省銀行局長、北海道拓殖銀行頭取、北海道旅客鉄道初代会長を務めた。 高知県高知市出身。旧制高知高等学校を経て、1931年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業。大蔵省に入省。専売局長官官房兼主計局属。1946年9月21日に主計局予算課長。1947年7月2日に主計局第一部長(大蔵、歳入、国会、裁判所、会計検査院、司法、外務、皇室、内閣、内務、地方財政、文部、厚生担当)。1948年7月5日に主計局第一部長(大蔵、歳入、国会、裁判所、会計検査院、司法、外務、皇室、内閣、内務、地方財政、文部、厚生担当)兼主計局第一部第二課長(国会、裁判所、会計検査院、司法、外務担当)。
高橋 勇治(たかはし ゆうじ、1909年(明治42年)1月1… 高橋 勇治(たかはし ゆうじ、1909年(明治42年)1月15日 - 1992年(平成4年)2月6日)は、日本の外国法学者、東京大学社会科学研究所名誉教授。 高知県出身。旧制高知県立城北中学校、旧制高知高等学校、東京帝国大学法学部卒業。北京大学教授、敗戦で法政大学教授、1947年東京大学社会科学研究所助教授、1952年教授、1969年定年退官、名誉教授。千葉大学教授、1974年定年。没後正四位叙勲。中国憲法が専門で、戦後は中華人民共和国、北朝鮮の支持者となった。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
山本 正秀(やまもと まさひで、1907年7月16日 - 1… 山本 正秀(やまもと まさひで、1907年7月16日 - 1980年9月6日)は、日本の国語学者・国文学者。言文一致運動の研究における根本研究を行った。 高知県生まれ。旧制高知高等学校を経て、1933年東京帝国大学文学部国文科卒。神奈川師範学校教諭、第四高等学校教授、水戸高等学校(旧制)教授、茨城大学文理学部助教授、人文学部教授、専修大学教授、1978年定年。1974年「近代文体発生の史的研究」で東大文学博士。
下村 冨士男(しもむら ふじお、1907年4月7日 - 19… 下村 冨士男(しもむら ふじお、1907年4月7日 - 1970年10月4日)は、日本史学者、東京大学文学部名誉教授。 1932年東京帝国大学文学部国史学科卒、1937年外務省嘱託として『大日本外交文書』を編纂、旧制高知高校教授、名古屋大学文学部助教授を経て、1956年東大国史学科助教授、1959年米国ミシガン大学客員教授、1960年教授、1968年定年退官、愛知県立大学教授となるが、1970年死去。東大文学部最初の近代史専攻の教官で、外交史を専門とした。 下村冨士男は反共産主義として知られていたため、東大国史学科赴任には反対の声があったという。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
鈴木 成高(すずき しげたか、1907年(明治40年)3月1… 鈴木 成高(すずき しげたか、1907年(明治40年)3月11日 - 1988年(昭和63年)3月7日)は、日本の西洋史学者(専門は西洋中世史)。京都学派の一人。正五位勲三等瑞宝章。 1907年、高知県生まれ。旧制高知高等学校を経て、1929年京都帝国大学文学部西洋史学科を卒業。戦前は第三高等学校教授、1942年より京都帝国大学助教授を務めた。戦時下には大東亜戦争(太平洋戦争)を「世界史の哲学」の立場から思想的に位置付けようと試みた「世界史的立場と日本」座談会や「近代の超克」座談会に参加。 戦後、思想的事由により不適格と判定され京都大学を公職追放により離れる。1951年の追放解除の後に早稲田大学教授を務めた。
和田 耕作(わだ こうさく、1907年〈明治40年〉1月18… 和田 耕作(わだ こうさく、1907年〈明治40年〉1月18日 - 2006年〈平成18年〉7月4日)は、日本の政治家。元民社党衆議院議員。板垣退助先生顕彰会創立発起人兼顧問 。高知県出身。1984年勲二等旭日重光章受章。 旧制高知高等学校を経て、1930年に京都帝国大学経済学部を卒業。1934年南満州鉄道に入社、調査部に勤務する。1937年企画院調査官となる。1941年の「企画院事件」では和田博雄・勝間田清一らとともに検挙される。翌1942年応召。 戦後はソ連に5年間抑留され、その経験から反共産主義の立場を取るようになる。日本フェビアン協会事務局長を務め、1960年に民主社会主義研究会議を創設して事務局長に就任、同時に民主社会党の結成に参画、1967年の衆議院議員選挙に民社党公認で旧東京4区から出馬し初当選。
秋田 大助(あきた だいすけ、1906年(明治39年)1月1… 秋田 大助(あきた だいすけ、1906年(明治39年)1月14日 - 1988年(昭和63年)11月29日)は、昭和期の政治家。衆議院議員(12期)、自治大臣(第17代)、法務大臣(第27代)。父は衆議院議長を務めた秋田清。「策士」と称された父親と対照的に、地味で穏健な学究肌の政治家であった。 徳島県三好郡足代村(現東みよし町)に生まれる。旧制高知高等学校を経て、1932年(昭和7年)東京帝国大学法学部経済学科を卒業、東邦電力に入社する。戦前は実業界で活躍し、西樺太商事取締役、土佐電気専務取締役、大阪プレス製作所専務取締役、松本鋳造鉄工所専務取締役、田中鉄工所取締役社長、太陽通商取締役、日東海運産業取締役、日東自動車監査役などを務めた。