加賀山 朝雄(かがやま ともお 1926年(昭和元年)12月… 加賀山 朝雄(かがやま ともお 1926年(昭和元年)12月31日 - 1999年(平成11年)10月25日)は、日本国有鉄道常務理事、日本交通公社専務。享年72。 現在の東京都中野区出身。父・加賀山學は鉄道省工務局長を務めた。東大野球部時代は大型スラッガーとして知られ、最終学年となる1949年(昭和24年)の東京六大学野球リーグ戦で東大の主軸・一塁手(ライト・センター)として活躍した。 山崎諭、山崎喜暉ら「両山崎」が抜けた後、速球派の島村俊雄投手(陸士)、塩田捕手(旧制浦和高)、加賀山外野手、伊藤驍遊撃手(旧制姫路高)、佐藤二塁手(旧制新潟高)らの布陣でリーグ戦に臨み、春のリーグ戦では、慶大、法大から2勝して勝ち点を奪い、早大、明大からそれぞれ1勝を勝ち取った。
竹尾 治一郎(たけお じいちろう、1926年12月31日 -… 竹尾 治一郎(たけお じいちろう、1926年12月31日 - )は、日本の哲学者、関西大学名誉教授。分析哲学・科学哲学が専門。 大阪府大阪市出身。1950年京都大学文学部哲学科卒。大阪教育大学助教授、関西大学文学部教授。1997年定年、名誉教授となり、南大阪大学教授。
大西 昭男(おおにし あきお、1926年12月29日 - 2… 大西 昭男(おおにし あきお、1926年12月29日 - 2005年2月26日)は、英文学者。関西大学名誉教授。専門はヘンリー・ジェイムズ。 大阪府出身。1943年(昭和18年)大阪市立天王寺商業学校を卒業、1947年(昭和22年)関西大学専門部国漢科卒業。1951年(昭和26年)京都大学文学部英文科卒業、関西大学文学部助手、専任講師、助教授、1963年(昭和38年)教授、文学部長、1979年(昭和54年)学長、5期務め1994年(平成4年)退任。 1979年(昭和54年)「ヘンリー・ジェイムズの文学」で関西大学文学博士。関西大学名誉教授、学校法人関西大学理事長を務めた。 関西大教授の谷沢永一と親しく、学長選では谷沢が参謀となった。
飴山 實(あめやま みのる、1926年(昭和元年)12月29… 飴山 實(あめやま みのる、1926年(昭和元年)12月29日 - 2000年(平成12年)3月16日)は、日本の俳人、化学者。山口大学名誉教授(農芸化学)。 石川県小松市生まれ。第四高等学校を経て、1950年、京都大学農学部農芸化学科卒。化学者としては酢酸菌の研究を専門とし、大阪府立大学助手、静岡大学助教授を経て、1969年、山口大学農学部教授。1988年、「酢酸菌の生化学的研究」にて日本農芸化学会功績賞、中国文化賞を受賞。1990年、山口大学を定年退職、関西大学工学部教授を務めた。2000年3月16日、腎不全により死去。 句作は高校在学中、『芭蕉七部集』を読み、寮の宿直だった大河寥々の指導を受けて始めた。
吉村 冬子(よしむら ふゆこ、1926年〈昭和元年〉12月2… 吉村 冬子(よしむら ふゆこ、1926年〈昭和元年〉12月29日 - 2022年〈令和4年〉12月13日)は、日本のアイヌ文化伝承者。アイヌの古式舞踊、儀礼、口承文芸など伝承・保存活動、アイヌ語教室の講師や助手など、アイヌ文化の伝承・保存活動への積極的に取組により、アイヌ文化の振興に大きく貢献した。同じくアイヌ文化伝承者の新井田セイノは異父姉にあたる。 北海道鵡川村字チン(現・むかわ町)で誕生した。幼少期は両親や近所の人々が話すアイヌ語を聞きながら育ち、日常生活の中でアイヌ語を身に着けた。 1974年(昭和49年)、むかわアイヌ協会が設立されて以降は、設立当時から会員になり、古式舞踊、儀礼、口承文芸など、アイヌ文化の伝承と保存などの活動を、積極的に行なった。
穴井 太(あない ふとし、1926年12月28日 - 199… 穴井 太(あない ふとし、1926年12月28日 - 1997年12月29日)は、日本の俳人。 大分県玖珠郡(現・九重町)に生まれる。幼時に福岡県戸畑に転居。中央大学専門部経済科卒業後、肺浸潤のため帰省、療養ののち中学校教師の職に就く。1954年、横山白虹の「自鳴鐘」入会。1956年、北九州市で益田清らと「未来派」を創刊。1963年金子兜太の「海程」同人。1965年「天籟通信」をハガキ版で発行(のち俳誌形態となる)。1968年第4回海程賞受賞。1974年第20回現代俳句協会賞受賞。石牟礼道子を俳句に導き『天』(1986)を刊行したことでも知られる。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
若林 彰(わかばやし あきら、1926年12月26日 - 2… 若林 彰(わかばやし あきら、1926年12月26日 - 2013年10月22日)は日本の俳優、演出家、戯曲翻訳家。本名は若林忠昭(わかばやし ただあき)。上海出身(一族は水戸市)、血液型はO型、身長178cm、趣味は鳥類飼育、犬猫ブリード。長男は若林忠宏、長女は若林マリ子で共に音楽家。 1926(昭和元)年12月26日、上海に生まれる。当時父親は、日本水産から独立し上海で海鮮問屋を経営。一家は、上海と若林家の地元茨城県水戸と東京荻窪の別宅を行き来する。代々一族は、水戸藩の足軽頭(馬廻組頭)もしくは書院番を勤め、長男には「忠」の文字を入れることが家訓であった。昭和元年に生まれたため「忠昭」となり、水戸藩士からは十一代目。
藤森 昭一(ふじもり しょういち、1926年(昭和元年)12… 藤森 昭一(ふじもり しょういち、1926年(昭和元年)12月26日 - 2016年(平成28年)6月25日)は、日本の官僚。日本赤十字社名誉社長。環境事務次官、内閣官房副長官、宮内庁長官、日本赤十字社社長などを歴任。勲等は勲一等旭日大綬章。
村田 一(むらた まこと、1926年12月26日 - 201… 村田 一(むらた まこと、1926年12月26日 - 2017年8月19日)は、日本の経営者。昭和電工社長、会長を務めた。 長野県東筑摩郡上川手村(現安曇野市)出身。旧制松本中学・旧制松本高校を経て、1948年に東京大学第二工学部物理工学科を卒業し、同年に昭和電工に入社。1968年に大町工場長、1973年2月に取締役に就任し、1978年3月に常務、1983年3月に専務を経て、同年7月に副社長に就任し、1987年3月に社長に昇格。1997年3月に会長に就任し、2001年3月に相談役を経て、2005年3月から顧問を務めた。 2017年8月19日心不全のために死去。90歳没。
浅香 鉄心(あさか てっしん、本名:浅香 昌平、1926年〈… 浅香 鉄心(あさか てっしん、本名:浅香 昌平、1926年〈昭和元年〉12月26日 - 1997年〈平成9年〉11月22日)は、日本の書家。書游会創立者。吉澤鐵石、大久保龍石とともに日本書作院を創設し、理事長も務めた。 後の茨城県真壁郡下館町に生まれ、小学4年生から書道を始める。第二次世界大戦中は、海軍兵長として従軍し、巡洋艦「摩耶」に乗り組んでいたが、マリアナ沖海戦で至近弾を受けて重傷を負い、内地に送られた。戦後、復員した後、地元で書道塾を開いた。また、平尾孤往に師事した。 1957年に日展に初入選。 1963年、吉澤鐵石、大久保龍石とともに日本書作院を創設し、理事長も務めた。 1970年には青山杉雨の教えを受けた。
伊坂 重昭(いさか しげあき、1926年12月25日 - 2… 伊坂 重昭(いさか しげあき、1926年12月25日 - 2000年4月10日)は、日本の弁護士、元検察官。 平和相互銀行監査役を務め、同銀行をめぐる不正経理事件で逮捕された。 1926年12月25日、北海道札幌市にて生まれる。札幌師範付属小学校、札幌第一中学校を卒業し、東京都に出て武蔵高等学校(旧制)を経て東京大学(旧制)法学部に進学。二年生の時に高等文官試験に一発合格した。 卒業後は検事となり、1950年(昭和25年)、23歳時に宇都宮地方検察庁に赴く。初めて担当した詐欺事件では実刑判決まで持ち込んだ。その後は横浜地方検察庁を経て東京地方検察庁刑事部、同庁特別捜査部に勤める。検事としては経済犯罪の捜査に定評があったとされる。
山田 安邦(やまだ やすくに、1926年12月24日 - 2… 山田 安邦(やまだ やすくに、1926年12月24日 - 2003年3月31日)は、日本の実業家。元ロート製薬社長。大阪府出身。 ロート製薬2代目社長・山田輝郎の長男。1953年東京大学卒業後ロート製薬に入社。1962年副社長、1978年社長、1999年会長に就任、社長の座を長男の山田邦雄(現会長)に譲る。2003年、急性呼吸不全のため76歳で死去。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
渡辺 三郎(ワタナベ サブロウ、1926年12月23日 - … 渡辺 三郎(ワタナベ サブロウ、1926年12月23日 - 2003年2月14日)は、日本の元政治家。衆議院議員(5期)。
尚 詮(しょう せん、1926年12月23日 - 1990年… 尚 詮(しょう せん、1926年12月23日 - 1990年8月31日)は、昭和の実業家。琉球王国19代尚泰王の四男・尚順の六男。
桑原 三郎(くわばら さぶろう、1926年12月20日 - … 桑原 三郎(くわばら さぶろう、1926年12月20日 - 2009年1月21日)は日本の教育者、児童文学者、文学博士。日本児童文芸家協会顧問、慶應義塾福澤研究センター顧問。 人形劇『きかんしゃトーマス』の原作となった絵本『汽車のえほん』の翻訳者のひとり。 1926年、群馬県利根郡池田村大字奈良(現沼田市奈良町)に桑原武一郎、志げの3男として生まれる[要出典]。父は誕生4ヶ月前に腹膜炎で急死、母も生後8ヶ月足らずで脳溢血で死亡、祖母そめとともに乳母杉野そうのもとで育った[要出典]。12歳年上の兄真一郎を父親代わりに、5歳年上の姉富子が教育係になって幼少期を過ごした[要出典]。その姉も18歳の時、災害死して兄1人ともう1人の姉朝子が記憶に残る兄弟となったためか、兄弟愛は強かった[要出典]。
伊藤 義郎(いとう よしろう、1926年12月14日 - 2… 伊藤 義郎(いとう よしろう、1926年12月14日 - 2023年12月5日)は、日本の実業家。北海道札幌市出身。伊藤組土建代表取締役社長、テレビ北海道代表取締役社長、全日本スキー連盟会長、日本赤十字社北海道支部長等を歴任した。 旧制北海道庁立札幌第一中学校(現在の北海道札幌南高等学校)を経て、早稲田大学に進学。1944年からは学徒動員に伴い川崎の日本鍛造へ勤務、渋谷で東京大空襲に被災し、市ヶ谷の東部軍司令部での事務作業の最中に終戦を迎え、一旦札幌に戻った後1年後に早大へ復学。 1950年に早稲田大学政経学部を卒業した。同年5月に伊藤組土建に入社。一方で終戦直後から「日本を負かしたアメリカはどのような国なのか見てみたい」との思いでアメリカへの留学を考えGHQ総司令部に相談し進駐米軍将校の住宅でハウスボーイとして働いた後1951年に渡米し近代経営学を学び、1952年にカリフォルニア大学大学院を修了し、1953年にコロンビア大学大学院を修了。
高瀬保(たかせ たもつ、1926年12月14日-1996年7… 高瀬保(たかせ たもつ、1926年12月14日-1996年7月25日) は、日本の地方史学者。 富山県射水郡本江村(現・射水市)出身。1953年法政大学経済学部卒。富山県内の中学・高校教諭。1981年富山県立新湊高等学校教頭を最後に退職、のち富山大学講師。この間、68年から87年まで富山県史の編纂に携わり、県史編纂室主幹を務めた。1986年には富山県古文書研究会を結成。88年10月から富山市郷土博物館長。
浜垣 実(はまがき みのる、戸籍上は「濱垣實」。1926年(… 浜垣 実(はまがき みのる、戸籍上は「濱垣實」。1926年(大正15年)12月14日 - 2016年(平成28年)2月3日)は、昭和から平成時代の政治家。北海道恵庭市長。 北海道厚田郡厚田村(現石狩市)出身。1955年(昭和30年)自治大学校を卒業する。1943年(昭和18年)厚田村役場に奉職し、1955年(昭和30年)恵庭町役場に転じ、財政課長、庶務課長を経て、1971年(昭和46年)恵庭市助役となる。 1977年(昭和52年)恵庭市長に当選し、4期務めた。「浜垣天皇」と呼ばれるほどの権勢を奮ったが、1993年(平成5年)には多選批判を浴びて、元陸上自衛官で恵庭市議だった合原由作に敗れる。 落選後の翌年2月、在任中に砂利採取業者から受け取っていた現金が賄賂にあたるとして、収賄容疑で逮捕された。
近江 源五郎(おうみ げんごろう、本名:橋本幸男、1926年… 近江 源五郎(おうみ げんごろう、本名:橋本幸男、1926年12月12日 - 2010年12月7日)は、江州音頭音頭取り。浪曲師。 滋賀県近江八幡市の出身。初代桜川梅勇の長男。子供の頃から江州音頭の櫓に上がっていたが、滋賀県立八幡商業高等学校卒業後に浪曲の初代日吉川秋斎の門下になり1943年に浪曲で初舞台。 その後三味線、太鼓、ギター等の楽器を使って江州音頭に節に浪曲を語るという、江州音頭浪曲ショウ『近江源五郎ショウ』を弟子や仲間を連れて始める。一時大阪の劇場・寄席などで人気を博す。高齢になってからは地元で櫓の世界に戻り「近江会」を組織し後進の指導に力を注いだ。 LPレコード『浪花一代男』をテイチクからリリースしている。
安田 一郎(やすだ いちろう、1926年12月11日 - 2… 安田 一郎(やすだ いちろう、1926年12月11日 - 2017年8月)は、日本の心理学者・医師。 安田徳太郎の長男として京都に生まれる。前橋医学専門学校卒業、東京大学文学部心理学科卒。横浜市老人リハビリテーション友愛病院長。1982年、横浜市立大学教授。1992年、定年退官。フロイト、ユングなどを研究、紹介し、セクソロジー(性科学)の著述、翻訳でも知られた。 著作の一部はデジタル化され、国立国会図書館デジタルコレクションなどで公開されている。
加藤 万吉(加藤萬吉、かとう まんきち、1926年12月11… 加藤 万吉(加藤萬吉、かとう まんきち、1926年12月11日 - 2008年9月12日)は、日本の政治家、労働運動家。衆議院議員(8期)。 神奈川県茅ヶ崎市出身。東京電機学校(現在の東京電機大学)を卒業。 日本労働組合総評議会(総評)常任幹事を務めるなどした後、1967年の第31回衆議院議員総選挙旧神奈川3区に日本社会党公認候補として出馬し、初当選。以後8回連続当選を果たす。 代議士としては1986年に衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員会委員長を務め、社会党では選挙対策委員長を務めた。 1996年の第41回衆議院議員総選挙には出馬せず、政界を引退した。 1997年春の叙勲で勲二等旭日重光章受章。
大山 智弥子(おおやま ちやこ、1926年12月10日 - … 大山 智弥子(おおやま ちやこ、1926年12月10日 - 2006年6月6日)は、元極真会館大山派館長。旧姓:藤巻 照子(ふじまき てるこ)。東京市日本橋区(現・東京都中央区日本橋)出身。夫は極真会館創始者の大山倍達。娘は3人おり、三女は大山喜久子。弟は俳優の藤巻潤。 1946年6月、大山倍達と結婚。旧名は「照子」、結婚後「置弥子(のちに智弥子)」と改名。倍達存命時は極真会館の事務長を務めた。 1994年、大山倍達の死後に極真は分裂。翌年2月に高木薫ら5人の支部長とともに大山智弥子未亡人を館長とし遺族派を結成する。 1995年4月、遺族派と支部長協議会派が合流し、大山派館長に就任。しかし1998年には大山派館長を辞任し、大山智弥子を含む旧遺族派は極真会館 宗家として、旧支部長協議会派は新極真会として再分裂した。
宮脇 俊三(みやわき しゅんぞう、1926年〈大正15年〉1… 宮脇 俊三(みやわき しゅんぞう、1926年〈大正15年〉12月9日 - 2003年〈平成15年〉2月26日)は、日本の編集者、紀行作家。元中央公論社常務取締役。鉄道での旅を中心とした作品を数多く発表した。 父は陸軍大佐で後に衆議院議員となった宮脇長吉。娘に作家の宮脇灯子。 編集者として日本出版史に残る企画に数多く携わり、名編集者と謳われる。作家北杜夫を世に出したのも功績の一つである。紀行作家としては、地理や歴史の深い教養に裏打ちされた簡潔かつ格調高く、軽妙なユーモアにあふれた文章を書くことで知られる。また熱心な鉄道ファンでありながら、専門用語などを殊更に羅列したり、評論家ぶったりするなどの、ごく一部の趣味者に見られる嫌味さが作品内にはほとんどなく、飄々とした文体が多くの人々に受け入れられ、鉄道ファンにとどまらない多くの愛読者を惹きつける。
土居 通芳(どい みちよし、1926年12月9日 - 197… 土居 通芳(どい みちよし、1926年12月9日 - 1975年3月16日)は、日本の映画監督、脚本家である。脚本執筆時のペンネームは北 一郎(きた いちろう)。シャンソン歌手の石井好子は義姉(土居の兄の妻)。仲間内からはツーホーさんの愛称で親しまれた。 1926年(大正15年)12月9日、東京に生まれる。 1948年(昭和23年)、上智大学経済学部を卒業後、新東宝に入社、助監督となる。おもに阿部豊、渡辺邦男に師事し、1954年(昭和29年)チーフ助監督となるかたわら、脚本も執筆する。 1958年(昭和33年)、監督に昇進、高倉みゆき主演の『不如帰』で映画監督としてデビューする。土居は大蔵貢社長の大のお気に入り監督で、デビュー作でいきなりカラー・シネスコ大作の担当となった。
佐田 啓二(さだ けいじ、1926年〈大正15年〉12月9日… 佐田 啓二(さだ けいじ、1926年〈大正15年〉12月9日 - 1964年〈昭和39年〉8月17日)は、1940年代後半から1960年代にかけて活躍した日本の俳優。身長173.2cm(172cmとも)。本名は中井 寛一(なかい かんいち)。監督や共演者からは、本名から「寛ちゃん」と呼ばれた。 女優・エッセイストの中井貴惠と、俳優の中井貴一は実子である。 京都市下京区柳馬場仏光寺南の商家で父・敬蔵、母・イトコの二男として生まれ、両親と5歳上の兄と2歳上の姉のもとで育つ。聚楽小学校から京都市立第二商業学校(後の北野中学)を卒業し早稲田大学専門部政経科(のちの政治経済学部)に入学。中学3年生の頃に母、大学入学時に父を亡くすが、兄と姉が親代わりとなり佐田の生活を支えた。
杉浦 寅彦(すぎうら とらひこ、1926年12月8日 - )… 杉浦 寅彦(すぎうら とらひこ、1926年12月8日 - )は、日本の電気・電子工学者。大阪工業大学名誉教授、電子クラブ名誉顧問。工学博士(大阪大学)。元大阪工業大学短期大学部長・中央研究所計算センター長。 専門は、通信工学・無線工学・電波工学(特にマイクロ波)、信号処理・パターン認識・ファジィ理論。 1948年大阪大学工学部通信工学科卒業。1957年同大学大学院工学研究科博士課程修了、工学博士(大阪大学)。1953年大阪工業大学工学部電気工学科(現:電気電子システム工学科)に着任。1958年同学科教授。その後、新設の電子工学科(現:電子情報システム工学科)教授として異動。1982年同大学図書館長。
久邇 正子(くに まさこ、1926年〈大正15年〉12月8日… 久邇 正子(くに まさこ、1926年〈大正15年〉12月8日 - )は日本の元皇族。久邇宮朝融王と同妃知子女王の第1王女。多嘉王の第3王子で伯爵梨本徳彦の元妻。旧名は、正子女王(まさこじょおう)。皇籍離脱前の身位は女王で、皇室典範における敬称は殿下。旧姓は、龍田、梨本。香淳皇后の姪、上皇の従姉、今上天皇の従伯母にあたる。 1926年(大正15年)12月8日午後1時3分、久邇宮朝融王と同妃知子女王の第1王女として誕生。御七夜の12月14日に「正子」と命名された。1944年(昭和19年)12月13日、父宮朝融王の従弟である龍田徳彦伯爵との結婚が勅許された。翌1945年(昭和20年)4月22日に降嫁した。
7代 式守 錦之助(ななだい しきもり きんのすけ、1926… 7代 式守 錦之助(ななだい しきもり きんのすけ、1926年12月7日 - 1995年6月18日)は、大相撲の元三役格行司である。本名は浦本守。 1926年北海道旭川市に生まれる。父は旭川市会議員。幼い頃から相撲好きで、声に自信があったので当初は呼出になろうと思い、1941年7月旭川市での巡業がきっかけで浦風部屋に入門。しかし、人の勧めで間もなく行司へと転向する。師匠は5代式守勘太夫(6代鏡山勘太夫)。1943年1月式守守の名で初土俵、その後何度か改名している。1958年7月場所で十両格に昇格。1962年1月場所に7代式守錦之助を襲名。伊勢ヶ濱部屋に移籍し1974年1月場所で幕内格に昇格。1990年1月場所、63歳で三役格昇格。
上田 義秀(うえだ よしひで、1926年12月6日 - )は… 上田 義秀(うえだ よしひで、1926年12月6日 - )は、日本の射撃競技(ピストル種目)選手。皇宮警察本部所属。1956年メルボルンオリンピックに2種目で出場。 佐賀県三養基郡基里村(現在は鳥栖市の一部)出身。1951年に佐賀県立鳥栖高等学校定時制を卒業し、翌1952年に皇宮護衛官となる。 全国警察短銃射撃競技会個人の部で、1954年に3位、1955年に2位と好成績を残した。1956年メルボルンオリンピックで日本代表に選ばれ、男子ラピッド・ファイア・ピストルおよび男子フリー・ピストルの2種目に出場。
井ヶ田 良治(いげた りょうじ、1926年12月6日 - 2… 井ヶ田 良治(いげた りょうじ、1926年12月6日 - 2018年5月13日)は、日本の法制史学者。法学博士(大阪大学・論文博士・1985年)。同志社大学名誉教授。 宮城県仙台市生まれ。1943年第二高等学校に入学し、1945年に文科乙類を卒業。京都大学で藤直幹・柴田實に学ぶ。権門体制論・顕密体制論で知られる黒田俊雄とは同期。1948年京都大学文学部史学科国史専攻を卒業し大学院文学専攻科に進んだが、1954年に退学。 1951年同志社大学法学部助手(日本法制史)、1953年同専任講師、1956年同助教授、1961年同教授、1997年同名誉教授。同志社大学法学部日本法制史ゼミの教え子で日本法制史研究者に、田中修實(中世)・村上一博(近代)・居石正和(近代)・田口昌樹(近代)等がいる。
尾崎 健一(おざき けんいち、1926年(大正15年)12月… 尾崎 健一(おざき けんいち、1926年(大正15年)12月6日 - 2018年(平成30年)11月28日)は、日本の元陸上自衛隊防衛事務官、社会保険労務士、都山流尺八師範、著作家。 現在の愛知県半田市に生まれる(岐阜県生まれとなっている著書もあるが、両親が岐阜県出身である)。明治大学法学部卒業後、防衛庁(現・防衛省)に入庁。陸上自衛隊事務官任官、練馬駐屯地勤務。1960年、長男の尾崎康が誕生。1965年(昭和40年)11月29日、次男の尾崎豊が誕生。1972年(昭和47年)頃から趣味を探しその結果尺八と短歌を習い始める。そして朝霞駐屯地勤務を経て、防衛庁退官後3年以内に社会保険労務士となる。 1992年(平成4年)4月25日、しかし次男の尾崎豊が死去し、彼にまつわるエッセイなどを数多く出版する。
倉林 義正(くらばやし よしまさ、1926年12月5日 - … 倉林 義正(くらばやし よしまさ、1926年12月5日 - 2021年10月14日)は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授。一橋大学経済研究所所長、国連本部統計局局長、国連統計委員会議長、文化経済学会初代会長等を歴任。 埼玉県生まれ。1947年東京商科大学(現一橋大学)専門部卒業。1951年同本科卒業、前期特別研究生。1954年後期特別研究生。中山伊知郎ゼミ出身。1956年に高橋長太郎主任教授の下で一橋大学経済研究所国民所得・再生産研究部門助手となり、国民経済計算研究を始める。その後大川一司所長の誘いで経済企画庁経済研究所の国民経済計算調査委員会専門委員となり、国民経済調査委員会報告作成に関わり、のちに国民経済計算調査会議議長代理等も務めた。
飯田 テル子(いいだ てるこ、1926年12月5日 - 19… 飯田 テル子(いいだ てるこ、1926年12月5日 - 1991年8月12日)は、日本の女優。鹿児島県鹿児島市出身。1950年、綜芸プロダクション所属。1956年、東京映画入社。1960年、東京俳優生活協同組合所属。本名同じ。旧芸名は飯田 てる子。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
杉本 茂雄(すぎもと しげお、1926年12月4日 - 20… 杉本 茂雄(すぎもと しげお、1926年12月4日 - 2002年4月2日)は兵庫県神戸市出身のサッカー選手、実業家。選手時代のポジションはHB、FB。 兵庫県立第一神戸中学校を経て関西学院大学法学部に入学。在学中はサッカー部に所属した。1948年3月に大学を卒業し、同年4月に京阪神急行電鉄(現:阪急電鉄)に入社。 同社入社後もサッカーを続け、鴇田正憲らと共に「関学クラブ/全関学」(現役、OBで構成される混成チーム)の一員として1950年、1953年および1955年の全日本選手権大会 (現:天皇杯全日本サッカー選手権大会)の優勝に貢献した。 1951年2月11日の全関西戦で日本代表として初出場 し、1951年3月にインドで開催されたアジア競技大会、1954年3月の1954 FIFAワールドカップ・予選など国際Aマッチ3試合を6試合に出場した。
吉田 之久(よしだ ゆきひさ、1926年12月4日 - 20… 吉田 之久(よしだ ゆきひさ、1926年12月4日 - 2003年3月24日)は、日本の元軍人、政治家。海兵74期。最終階級は少尉。戦後、衆議院議員(通算7期)、参議院議員(連続2期)。奈良県磯城郡田原本町出身。位階は従三位。
上月重雄(こうづき しげお、1926年12月4日 - 200… 上月重雄(こうづき しげお、1926年12月4日 - 2002年6月10日)は日本の大蔵官僚。海外経済協力基金総務部長、印刷局長、石油資源開発副社長などを歴任。 兵庫県出身。東京大学経済学部経済学科卒業。1948年9月 大蔵省入省。主計局属。1952年9月 川内税務署長。1953年10月 杉並税務署長。1964年7月 総理府国防会議事務局参事官。1969年8月 関税局企画課長。1970年6月 北海道財務局長。1972年7月 海外経済協力基金総務部長。1973年6月29日 印刷局長。1974年7月10日 退官。退官後にむつ小川原開発常務。1977年6月 石油資源開発常務。その後は同社副社長。2002年6月10日に死去。
槌田 満文(つちだ みつふみ、1926年12月3日 - 20… 槌田 満文(つちだ みつふみ、1926年12月3日 - 2011年5月31日)は、ジャーナリスト、日本近代文学の研究者、武蔵野大学名誉教授。
石川 清逸(いしかわ きよいつ、1926年12月3日 - 生… 石川 清逸(いしかわ きよいつ、1926年12月3日 - 生死不明)は、愛知県名古屋市出身の元プロ野球選手。 名古屋工業高校を中退し、1950年に広島カープへ入団。 1952年に松竹ロビンスへ移籍し、同年引退。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
黒澤 洋(くろさわ よう、1926年12月2日 - 2000… 黒澤 洋(くろさわ よう、1926年12月2日 - 2000年1月2日)は、日本の銀行家。日本興業銀行(現・みずほ銀行)頭取、同会長を歴任。 1944年に東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。附属中の同期には、星新一(小説家)、槌田満文(武蔵野大学名誉教授)、今村昌平(映画監督)、大野公男(元北海道情報大学学長)、児玉進(映画監督)、星野英一(東京大学名誉教授)などがいる。 一高を経て1950年に東京大学法学部を卒業し、日本興業銀行に入行。入社11年目にドイツ銀行に出向して以来、長年にわたり国際畑を歩み、日本で数少ない世界に名の通った国際派バンカーだった。 1990年、第6代頭取に就任。
宮本 研(みやもと けん、1926年〈大正15年〉12月2日… 宮本 研(みやもと けん、1926年〈大正15年〉12月2日 - 1988年〈昭和63年〉2月28日)は、熊本県出身の劇作家である。 熊本県宇土郡不知火町(現宇城市)生まれ。父の仕事の関係で中学時代の六年間を北京で暮らす。大分経済専門学校在学中に学徒動員。九州帝国大学経済学部卒業後、大分県の公立高校の教諭となり、続いて上京し在日本大韓人厚生会勤務を経て、法務省に勤務。法務省在職中に労働者演劇サークル「麦の会」の助言者となって演出を担当し、戯曲を執筆するようになり、演劇界に頭角を現した。実質的に処女作の「僕らが歌を歌うとき」(1957年)で職場演劇サークル内の葛藤と希望を描き、注目される。法務省勤務の関係で久保田万太郎と知り合い、作品を激賞される。
西風 勲(にしかぜ いさお、1926年12月2日 - 202… 西風 勲(にしかぜ いさお、1926年12月2日 - 2023年5月16日)は、日本の政治家、社会運動家。元衆議院議員(1期)。関西大学卒業。 父・金之助は鉄工所勤務から1947年の第一回統一地方選挙で大阪市議会議員に当選(日本社会党→右派社会党→日本社会党→民主社会党→日本社会党)、7期務めた。 勲は1926年(大正15年)に大阪府で生まれ、大阪貿易学院を卒業。1950年代から大阪を基盤に社会党青年部で活動し、左派社会党青年部時代は社会主義協会色の強い左社綱領草案に反対し清水私案支持で論陣を張った。1954年(昭和29年)左派社会党本部青年部長に当選し上京、両社合同に二年遅れて青年部が統一すると、本部青年部長に選出される。
安澤 秀一(やすざわ しゅういち、1926年12月2日 - … 安澤 秀一(やすざわ しゅういち、1926年12月2日 - 2024年6月18日)は、日本の文化情報学者、国文学研究資料館・史料館名誉教授、駿河台大学名誉教授。専攻は文化情報学、アーカイブズ学。 東京市芝区(現港区)生まれ。父は元調布町長の安沢秀雄。慶應義塾大学法学部から同大学経済学部大学院(旧制)に進学し、1956年に退学した。1962年に桃山学院大学助教授となり、教授に昇格後、1978年に国立国文学研究資料館・史料館教授(アーカイブズ系)となる。その後、1990年に明海大学教授となり、1994年に駿河台大学に新設された文化情報学部の学部長に就任する。1999年に同大学院教授・文化情報学研究科長となり、2002年に退任した。
谷 洋一(たに よういち、1926年〈大正15年〉12月1日… 谷 洋一(たに よういち、1926年〈大正15年〉12月1日 - 2011年〈平成23年〉10月24日) は、日本の政治家。勲章は勲一等旭日大綬章。正三位。 農林水産大臣(第30代)、北海道開発庁長官(第56代)、沖縄開発庁長官(第25代)、衆議院議員(9期)、兵庫県議会議員(2期)等を歴任した。 息子は第100代国家公安委員会委員長、衆議院議員の谷公一。 兵庫県美方郡村岡町(現香美町)生まれ。兵庫県立第一神戸商業学校(現兵庫県立神戸商業高等学校)卒業。28歳で町議会議員に初当選し、町議を3期、町長・兵庫県議会議員を2期ずつ務める。1976年、第34回衆議院議員総選挙に旧兵庫県第5区から自由民主党公認で立候補し、当選。
西口 勇(にしぐち いさむ、1926年12月1日 - 201… 西口 勇(にしぐち いさむ、1926年12月1日 - 2014年5月9日)は、日本の政治家。位階は従四位。第4代和歌山県公選知事(1995年11月23日 - 2000年7月13日)として2期を務めた。 1926年12月1日、和歌山県西牟婁郡上芳養村(かみはやむら・現田辺市)で生まれる。旧制和歌山県立田辺商業学校(現:和歌山県立田辺高等学校)を卒業後、役場に勤めつつ青年団活動などに参加して頭角を現し、若くして下芳養村の助役を務めていた。その評判を聞きつけた和歌山県知事の小野真次によって見出され和歌山県庁に入庁し、県知事の仮谷志良の下で副知事を務めた後、1995年の県知事選挙で当時の和歌山市長であった旅田卓宗と壮絶な選挙戦を戦い抜き、初当選を果たした。
木名瀬 亘(きなせ・わたる 1926年12月1日 - 201… 木名瀬 亘(きなせ・わたる 1926年12月1日 - 2010年2月23日)は、日本の物理学者。理学博士(東京大学)。早稲田大学名誉教授。
柳沼 重剛(やぎぬま しげたけ、1926年12月1日 - 2… 柳沼 重剛(やぎぬま しげたけ、1926年12月1日 - 2008年7月29日)は、日本の西洋古典学者。筑波大学名誉教授、プルタルコスの原典訳が著名。 1926年(大正15年)、東京生まれ。浦和高等学校(旧制)を卒業。大正生まれで在学中に学徒出陣で徴兵。最後の初年兵として兵役につき広島県八本松町(現:東広島市)に駐在、1945年8月6日の広島に原爆投下直後から終戦まで約10日間駐留、爆心地で救援に当たり二次被曝した。1949年、京都大学文学部を卒業、田中美知太郎や松平千秋の門下生であった。 1949~56年、都立九段高校で、英語教師として「英語」と「世界史」を担当しつつ、東京大学大学院で、高津春繁の指導を受けた。
松井 栄一(まつい しげかず、1926年12月1日 - 20… 松井 栄一(まつい しげかず、1926年12月1日 - 2018年12月3日)は、日本の国語学者、辞書編纂者。『日本国語大辞典』の編纂で中心的役割を担った。 東京都出身。『大日本国語辞典』の編者松井簡治の孫に当たる。父は簡治の子で同辞典に関わった松井驥。運輸事務次官を務めた松井和治は弟。俳人の大須賀乙字は義理の伯父(父の姉の夫)。東京大学国文科卒業。武蔵大学助教授、山梨大学教授、東京成徳大学教授を歴任。 2018年12月3日、肺炎のため死去。92歳没。 日本最大の国語辞典『日本国語大辞典』第1版と第2版の編纂過程で編集委員として中心的役割を担った。『明治期国語辞書大系』『隠語辞典集成』の編纂にも当たった。
竜嵜 喜助(りゅうざき きすけ、1926年12月1日 - )… 竜嵜 喜助(りゅうざき きすけ、1926年12月1日 - )は、日本の法学者。弁護士、司法書士。「竜崎喜助」とも表記される。新潟大学法学部教授、白鷗大学法学部教授を歴任。神奈川県横須賀市出身。 1952年東京大学文学部言語学科卒業。1957年司法書士登録。1969年司法試験合格。1972年司法修習修了。1974年東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了(指導教授:三ヶ月章)。1974年弁護士登録。1975年神奈川大学法学部非常勤講師(~1978年)。1981年横浜国立大学経済学部非常勤講師(~1982年)。1987年新潟大学法学部教授に就任。1992年新潟大学退官。白鷗大学法学部教授。1997年白鷗大学定年退職。
八波 むと志(はっぱ むとし、1926年〈大正15年〉12月… 八波 むと志(はっぱ むとし、1926年〈大正15年〉12月1日 - 1964年〈昭和39年〉1月9日)は、日本のコメディアン、俳優。本名、坪田 稔(つぼた みのる)旧姓、富沢(とみさわ)。 1926年(大正15年)12月1日、鹿児島県大島郡徳之島町に生まれる。父は道楽好きで母が四人も変っており、幼少期を極貧で過ごす。 東京工専卒業後1943年(昭和18年)に志願兵で兵隊入り、1946年(昭和21年)に森川信の一座に入り、浅草常盤座で八波むと志の名で初舞台。浅草フランス座1代目座長。1956年(昭和31年)に南利明、由利徹と脱線トリオを結成し浅草を中心にテレビ・ラジオ、はたまた役者として活躍する。
山中 寅文(やまなか とらふみ、1926年12月 - 200… 山中 寅文(やまなか とらふみ、1926年12月 - 2003年1月6日)は、日本の林業技術者、東京大学農学部技官。森林文化協会技術顧問。橋本龍太郎ともに、名誉森林インストラクターの称号を持つ。鹿児島県大口市生まれ。 鹿児島県大口市(伊佐市)生まれ。1944年、鹿児島県立伊佐農林高校林学科卒業。 東京大学千葉演習林で1年間の研修を経て、東京大学農学部林学科森林植物学教室文部技官に就任。 小石川植物園に長く勤め、近所に住む幸田文と親しかった。縄文杉を見せるため、彼女を背負っていったこともあるという。1976年には彼女らとともに静岡県の大谷崩れを訪れ、そのときの体験が幸田文の「崩れ」に結実した。 1987年、東京大学を定年退職。