スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
新家 颯(しんや そう、2003年8月14日 - )は、和歌… 新家 颯(しんや そう、2003年8月14日 - )は、和歌山県田辺市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。NPBでは育成選手であった。 田辺市立会津小学校1年時にあいづクラブで野球を始め、田辺市立衣笠中学校では軟式野球部に所属した。 和歌山県立田辺高等学校では1年冬に左肘を手術。2年時はリハビリのため公式戦未登板だったが、リハビリ中に大竹耕太郎の投球フォームを参考にした新フォームを習得し、変化球のキレとコントロールが大きく向上した。3年夏の和歌山県大会は初戦敗退したものの、和歌山工を相手に9回3失点完投し、12三振を奪った。その試合を小園健太(市和歌山)の視察に訪れていた広島東洋カープスカウトの鞘師智也の目に留まり、ドラフト指名に繋がった。
寒川 綾奈(そうがわ あやな、1988年10月20日 - )… 寒川 綾奈(そうがわ あやな、1988年10月20日 - )は、日本のファッションモデル、女優である。和歌山県白浜町出身。和歌山県立田辺高等学校、青山学院大学法学部卒業。ガールズロックバンド「Silent Siren」(現:SILENT SIREN)の元メンバー。雑誌『GIANNA』の専属モデル。パールダッシュ所属。
春風亭 橋蔵(しゅんぷうてい はしぞう、1988年〈昭和63… 春風亭 橋蔵(しゅんぷうてい はしぞう、1988年〈昭和63年〉6月10日 - )は、落語芸術協会所属の落語家、二ツ目。本名∶宮崎 慶太。出囃子は「正札くずし」。 和歌山県日高郡みなべ町出身。和歌山県立田辺高等学校、東京経済大学卒業。 2014年、八代目春風亭柳橋に入門し、かん橋。2018年3月、二ツ目に昇進し、橋蔵と改名した。 千葉県船橋市在住、趣味は喫茶店通い。 好きなものは、アーセナル、サウナ、パンダ(結浜)、コーヒー
桂 紗綾(かつら さあや、1985年6月30日 - )は、朝… 桂 紗綾(かつら さあや、1985年6月30日 - )は、朝日放送テレビ(ABCテレビ)のアナウンサー。 桂は結婚前の苗字(旧姓)に当たるが、ABCへの入社後は、アマチュアの落語家としても活動。2024年1月1日からは、上方落語の定席の一つである神戸新開地・喜楽館の「アンバサダー」(広報大使)に名を連ねている。 和歌山県日高郡みなべ町出身。南部町立(在校当時)南部中学校、和歌山県立田辺高等学校、同志社女子大学学芸学部卒業。 幼少時からクラシックバレエを習っていて、同志社女子大学でもバレエ部に所属。同大学時代には、子育てボランティアにも参加していた。大学卒業後の2008年に、アナウンサーとして朝日放送へ入社した。
春日 伸介(かすが しんすけ、1984年5月18日 - )は… 春日 伸介(かすが しんすけ、1984年5月18日 - )は、和歌山県田辺市出身の元プロ野球選手(内野手)。 和歌山県立田辺高等学校時代は、主にキャッチャーとして出場していたが、肩を脱臼したためにファーストへコンバートするも、第84回全国高等学校野球選手権大会・和歌山県大会では最終的にキャッチャーとして出場。4番・キャプテンとして県ベスト4の原動力となった。2002年のドラフト会議で西武ライオンズから5巡目に指名され、内野手として入団。高校通算28本塁打。 プロ入り後は、伸び悩み、2軍でも本塁打を打つことが出来ずに退団。 引退後は関西の専門学校に入学。理学療法士の資格を取得し、卒業後に就職。
藤井 了(ふじい さとる、1979年5月5日 - )は、和歌… 藤井 了(ふじい さとる、1979年5月5日 - )は、和歌山県田辺市出身の元プロ野球選手(投手)。 和歌山県立田辺高等学校から法政大学に進学。2学年上に安藤優也、1学年下に土居龍太郎らがおりリーグ戦登板は少なかったが、3年秋の対明大2回戦で救援登板すると、主将の廣瀬純のサヨナラ安打で勝利投手となった。 大学卒業後の2003年に渡米し、独立リーグであるセントラル・ベースボール・リーグのサンアンジェロ・コルツと契約するも、1試合(1イニング)のみの登板で自由契約となった。 その後、2005年にオランダに渡り、現地のプロ野球リーグであるホーフトクラッセのスパルタ・フェイエノールト(英語版)と契約。2シーズン在籍した。
北田佳世(きただ かよ、1978年7月7日 - )は、和歌山… 北田佳世(きただ かよ、1978年7月7日 - )は、和歌山県出身の元女子柔道選手(階級は48キロ級)。和歌山県立田辺高等学校→日本体育大学卒、ミキハウス柔道部所属(2001年入社)。2006年4月23日、現役引退を発表。修徳高等学校教諭を経て結婚・出産をし、現在は結婚相手である一般男性が主催している町道場で指導者をしている。婚姻後の氏名は宮田佳世。身長150cm。得意技は背負投。令和2年度 生涯スポーツ功労者賞受賞 2004年と2005年のフランス国際大会の48kg級を連覇している。 アテネオリンピック48キロ級銀メダリストでフランスのフレデリク・ジョシネに対戦成績で3勝1敗と勝ち越すなど、実力的にオリンピックと世界選手権で金メダルを狙える選手であったが、同階級に谷亮子がいるためにオリンピックと世界選手権のいずれも出場できなかった。
仲 章伸(なか あきのぶ、1969年 - )は、日本の化学者… 仲 章伸(なか あきのぶ、1969年 - )は、日本の化学者(有機ケイ素化学)。学位は博士(工学)(広島大学・1995年)。 倉敷芸術科学大学生命科学部教授。 1969年、和歌山県田辺市生まれ。倉敷芸術科学大学産業科学技術学部助手、ウイスコンシン大学化学科博士研究員、倉敷芸術科学大学生命科学部助教授などを歴任した。 1987年3月 和歌山県立田辺高等学校卒業 1987年4月 広島大学工学部第3類(化学系)入学 1991年3月 同上 卒業 1991年4月 広島大学大学院工学研究科博士課程前期入学 1993年3月 同上 修了 1993年4月 広島大学大学院工学研究科博士課程後期進学 1994年4月~1995年3月 日本学術振興会特別研究員採用(DC) 1995年3月 広島大学大学院工学研究科博士課程後期修了 博士(工学) 1995年4月~1996年3月 日本学術振興会特別研究員(PD)(広島大学) 1996年4月 倉敷芸術科学大学産業科学技術学部助手 1999年4月 倉敷芸術科学大学産業科学技術学部講師 2003年4月 倉敷芸術科学大学産業科学技術学部助教授 2003年10月~2004年9月 ウイスコンシン大学マディソン校化学科(Robert West 教授)博士研究員 2005年10月 第10回ケイ素化学協会奨励賞 受賞 2008年4月 倉敷芸術科学大学生命科学部教授 2018年6月 平成29年度ウエスコ財団優秀研究者賞 受賞
楠本 まき(くすもと まき、1967年7月15日 - )は、… 楠本 まき(くすもと まき、1967年7月15日 - )は、日本の漫画家。和歌山県出身。ロンドン在住。お茶の水女子大学哲学科中退。妹は楠本亜紀。 1984年、和歌山県立田辺高等学校在学中に、『週刊マーガレット』(集英社)誌上にて『お気に召すまま』でデビュー。 1988年より『週刊マーガレット』、後に『マーガレット』誌上で連載された『Kissxxxx』が、ファンの多くを獲得する代表作となる。耽美的、退廃的な世界観、艶麗な絵柄が特徴。2001年ごろからイギリス、日本の両方を拠点として執筆活動を続けており、単行本『ロンドン A to Z』、『FEEL YOUNG』(祥伝社)の不定期掲載エッセイコミック『A国生活』などはイギリスをテーマにした作品である。
中瀬 ゆかり(なかせ ゆかり、1964年6月3日 - )は、… 中瀬 ゆかり(なかせ ゆかり、1964年6月3日 - )は、日本の編集者。新潮社執行役員。 1964年(昭和39年)生まれ。郷土史家で南方熊楠研究家の中瀬喜陽の次女で、和歌山県田辺市出身である。姉、弟がいる。田辺市立田辺第一小学校、田辺市立東陽中学校、和歌山県立田辺高等学校[要出典]、奈良女子大学文学部英語・英米文学科を卒業。 1987年(昭和62年)に新潮社へ入社。最初の2年間は出版部で書籍編集を担当し田辺聖子や北杜夫の本の担当補助を行った。独り立ちして初めて作家と二人で進めたのは、群ようこのエッセイ集『鞄に本だけつめこんで』であった。その後、『新潮』編集部へ異動。(当時の編集長は坂本忠雄)9年間在籍し、当初は苦手意識が強かった純文学を好むようになったという。
西岡 良洋(にしおか よしひろ、1961年6月28日 - )… 西岡 良洋(にしおか よしひろ、1961年6月28日 - ) は、大阪府堺市北区出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ、解説者。 田辺高校では1年夏に3年生エース・木下透を擁して県大会優勝、紀和大会で先発出場するも智弁学園の山口哲治に抑えられて敗退。3年では外野手兼控え投手として、双子の兄である西岡良展(早大→住金→NOMOベースボールクラブバッテリーコーチ)らと共に、1979年の夏の県大会準決勝に進む。田辺商と対戦し、この試合では救援投手として兄弟でバッテリーを組むも敗退。この年は県大会を勝ち抜いた箕島高が甲子園春夏連覇を果たしている。 1979年オフに、ドラフト外で西武ライオンズに入団。 最初の2年間は二軍で過ごし、3年目の1982年から一軍で外野手として起用される。
木下 透(きのした とおる、1959年8月31日 - )は、… 木下 透(きのした とおる、1959年8月31日 - )は、和歌山県出身のプロゴルファー、元プロ野球選手(投手)、右投げ右打ち。野球選手時代は181cm、77kg、現在は181cm、88kg。 1977年、田辺高の3年の時、同校のエースとして第59回全国高等学校野球選手権大会の和歌山県大会に参加。決勝で同年春の第49回選抜高等学校野球大会を制した箕島高と対戦する。この時、箕島のエース・東裕司(三菱自動車水島)は、初戦から連続無失点を記録していたが、大会直前に箕島高校のある有田市をコレラ禍が襲い、市内を消毒、不用意な外出を禁じられていたため、箕島は全体的に練習が不足していた。そのような事情もあったが、木下は箕島打線を9回まで零封、東もまた田辺を9回まで零封し連続無失点を42とした。
榎本 憲男(えのもと のりお、1959年 - )は、日本の映… 榎本 憲男(えのもと のりお、1959年 - )は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサー、小説家、シナリオアナリスト、元劇場支配人である。脚本家としてのペンネームにEN(イー・エヌ)がある。ENBUゼミナール映画監督コース講師(講座「脚本入門」)。株式会社CRG(クリエイティブ・ガーディアン)所属。 1959年(昭和34年)、和歌山県に生まれる。和歌山県立田辺高等学校、青山学院大学卒業後、西友に入社。 1987年(昭和62年)、銀座テアトル西友(現在の銀座テアトルシネマ)のオープンを手がけ、1988年(昭和63年)、同劇場支配人に就任する。同劇場を経営する東京テアトルの各劇場に勤務のかたわら、脚本を独学で学び、1991年(平成3年)、日本アート・シアター・ギルドの名を冠した脚本賞に応募、ATG脚本賞特別奨励賞を受賞する。
堺 徹(さかい とおる、1958年7月17日 - )は、日本… 堺 徹(さかい とおる、1958年7月17日 - )は、日本の検察官。最高裁判所判事。 和歌山県田辺市芳養町出身。1974年 田辺市立明洋中学校卒業、1977年 和歌山県立田辺高等学校卒業、1982年東京大学法学部卒業。 1984年検事任官。1996年の住友商事銅取引巨額損失事件では、皆が尻込みをする中で、大量の英文を読んで立件にこぎつけ、「全容を理解できたのは堺だけ」と呼ばれた。1998年の山一證券粉飾決算事件でも海外への損失飛ばしの解明に経験が生きた。 1998年旭川地方検察庁次席検事、2004年東京地方検察庁総務部副部長、2005年大阪地方検察庁刑事部副部長、2006年東京高等検察庁検事。
桂 三歩(かつら さんぽ、1958年1月15日 - )は和歌… 桂 三歩(かつら さんぽ、1958年1月15日 - )は和歌山県田辺市出身の落語家。本名は大炭 康行(おおすみ やすゆき)。吉本興業所属。上方落語協会会員。愛称は「ぽっくん」。大阪府豊中市在住。 実家は質屋を営んでいた。田辺市立田辺第一小学校、田辺市立高雄中学校、和歌山県立田辺高等学校出身。高校時代はテニス部に所属し、2年B組のクラスメイトにはスポーツアナの楠淳生がいた。 関西大学社会学部在学中、ABCテレビの『ラブアタック!』などに出演し、ゲームでみかんを口にキャッチした時に前歯を強打し折れてしまったと言う逸話がある。かつては差し歯で高座中によく前歯を飛ばしていた、2016年8月現在前歯がない状態。
楠 淳生(くす あつお、1957年〈昭和32年〉8月16日 … 楠 淳生(くす あつお、1957年〈昭和32年〉8月16日 - )は、オフィスキイワードに所属するフリーアナウンサー で、元・朝日放送(ABC)アナウンサー。 和歌山県田辺市出身、和歌山県立田辺高等学校から関西学院大学経済学部へ進学。高校時代には、バスケットボールの選手としてインターハイにも2回出場した。 大学4年生だった1980年に、当時新卒の学生にしか門戸を開いていなかった在阪放送局のアナウンサー試験に挑戦。よみうりテレビの最終試験に残った ものの、どの局からも採用されなかった。一時は他の地方の放送局のアナウンサー試験を受けることも考えたが、「在阪局のアナウンサーでなければ、大きな活躍はできない」と一念発起。
福田 良之(ふくだ よしゆき、1956年 - )は、日本の実… 福田 良之(ふくだ よしゆき、1956年 - )は、日本の実業家。新光投信取締役会長等を経て、海外通信・放送・郵便事業支援機構代表取締役社長。 和歌山県田辺市出身。東陽中学校、和歌山県立田辺高等学校を経て、1979年一橋大学商学部を卒業し、株式会社日本興業銀行(現みずほ銀行)入行。一橋大学陸上競技部出身。 2006年株式会社みずほコーポレート銀行(現みずほ銀行)執行役員営業第十五部長、2007年執行役員証券部長、2008年常務執行役員・営業担当役員、2010年常務執行役員・コンプライアンス統括グループ統括役員兼審査グループ統括役員、2011年常務執行役員・コーポレートバンキングユニット統括役員、2012年株式会社みずほ銀行常務執行役員・大企業法人ユニット長兼事業法人ユニット担当、2013年みずほ証券株式会社取締役副社長・投資銀行部門長兼金融公共グループ長、2014年新光投信株式会社取締役会長。
今津 節生(いまづ せつお、1955年5月5日 - )は、日… 今津 節生(いまづ せつお、1955年5月5日 - )は、日本の考古学者、博士。奈良大学学長。専門は文化財保存科学。 和歌山県生まれ。和歌山県立田辺高等学校を経て、1978年駒澤大学経済学部卒業。1980年青山学院大学文学部史学科卒業。1982年同大学大学院文学研究科史学専攻(考古学)修士課程修了。1985年同博士課程単位取得退学。同年に福島県立博物館準備室学芸員を経て、同博物館保存科担当学芸員。1987年奈良県立橿原考古学研究所主任研究員、1989年同研究所保存科学研究室長。2000年同資料室総括研究員を兼務。 1994年京都工芸繊維大学大学院工学研究科学術博士。2005年九州国立博物館博物館科学科室長・課長を経て、2016年奈良大学文学部文化財学科教授。
玉置 公良(たまき きみよし、1954年11月5日 - )は… 玉置 公良(たまき きみよし、1954年11月5日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、和歌山県議会議員(4期)を務めた。 和歌山県西牟婁郡白浜町生まれ。和歌山県立田辺高等学校卒業。高校卒業後、電器店勤務を経て白浜町役場に就職する。1990年、白浜町役場を退職。 同年、第39回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧和歌山2区(定数3)から出馬したが、得票数4位で落選(当時の和歌山県は保守地盤が強く、旧和歌山2区の3議席は自由民主党が独占した)。1995年、和歌山県議会議員選挙に無所属で出馬し、初当選。以後、県議を4期務める。県議時代は社会民主党や非自民系の無所属議員らで構成される会派「新生わかやま」県議団を結成し、団長に就任(同会派は2007年に「真わかやま」に改称、県政野党第1党に躍進した)。
井澗 誠(いたに まこと、1954年9月24日 - )は、日… 井澗 誠(いたに まこと、1954年9月24日 - )は、日本の政治家。元和歌山県白浜町長(3期)。 和歌山県白浜町生まれ。和歌山県立田辺高等学校、早稲田大学卒業。大学卒業から約20年間、旅行・観光業界に勤め29か国を訪問した。その後、学習塾を経営。 2011年(平成23年)10月以降、ごみ焼却場の使用期間延長に伴う地域振興事業の進め方をめぐり、町長の水本雄三と町幹部らが対立。全課長が降格願を提出したり、水本と熊崎訓自副町長が民や担当課長らを相手に慰謝料を求める訴訟を起こしたりするなど町政に混乱が生じた。 2012年(平成24年)3月23日、水本が辞表を提出。井澗は同年5月13日に行われた町長選挙に立候補し、元町議の溝口耕太郎、元町議の西尾智朗らを破り初当選した。
真砂 靖(まなご やすし、1954年(昭和29年)5月11日… 真砂 靖(まなご やすし、1954年(昭和29年)5月11日 - )は、日本の財務官僚・弁護士。元財務事務次官。 株式会社読売新聞西部本社監査役、日本テレビホールディングス株式会社・日本テレビ放送網株式会社社外取締役、三井不動産株式会社監査役、一般社団法人日本外交協会理事を歴任。和歌山県田辺市出身。2025年、瑞宝重光章受章。 真砂曰く入省した動機は「官庁回りをしていた際に『大蔵省の(大臣官房)秘書課に凄く可愛い娘がいるぞ』と聞き、発足冷やかしに行った。帰ろうと思ったら、当時の細川興一(大臣官房)秘書課長補佐から説明を受けた。大学の『優』の成績ぐ4つしかなく、『もっと取れ』とハッパをかけられた。
大江 康弘(おおえ やすひろ、1953年(昭和28年)12月… 大江 康弘(おおえ やすひろ、1953年(昭和28年)12月4日 ‐ )は、日本の政治家。和歌山県白浜町長(1期)。 和歌山県議会議員(6期)、和歌山県議会副議長、参議院議員(2期)、参議院国土交通委員長、改革クラブ総務会長兼国会対策委員長、幸福実現党国会対策委員長、自由民主党和歌山県連会長代行などを歴任した。 和歌山県西牟婁郡白浜町出身。和歌山県立田辺高等学校、芦屋大学教育学部卒業後、玉置和郎の秘書を務める。1979年、和歌山県議会議員初当選、県議会議員を6期務める。1992年、和歌山県議会副議長に就任。 1993年、中西啓介や二階俊博などの地元選出代議士の新党結成の動きに同調して自由民主党を離党し、新生党に参加。
小山 清人(こやま きよひと、1949年 - )は、日本の工… 小山 清人(こやま きよひと、1949年 - )は、日本の工学者。専門は高分子レオロジー工学、超音波工学。学位は東京工業大学博士(工学)。山形大学学長、プラスチック成形加工学会会長、日本レオロジー学会会長等を歴任した。 和歌山県西牟婁郡すさみ町生まれ。 和歌山県立田辺高等学校を経て、山形大学工学部繊維工業科に進み、1974年3月同大学院修士課程修了。1982年12月東京工業大学より工学博士の学位を取得。 1974年4月山形大学工学部助手、1987年4月助教授、1992年4月教授、2002年高分子学会夏期大会運営委員、2002年 - 2003年繊維学会理事、2004年4月-2007年8月31日工学部長・理工学研究科長、2006年 - 2008年プラスチック成形加工学会会長、2007年 - 2009年日本レオロジー学会会長、2007年 - 2008年日本材料学会第56期編集委員会査読委員、2007年9月 - 2014年3月理事・副学長など歴任し、2014年4月1日より学長。
早田 卓次(はやた たくじ、1940年10月10日 - )は… 早田 卓次(はやた たくじ、1940年10月10日 - )は、和歌山県田辺市出身のオリンピック体操金メダリスト。日本大学名誉教授。元日本大学文理学部体育学科教授。1964年東京オリンピック体操男子つり輪、男子団体の金メダリストで、現在は日本オリンピック委員会理事、日本オリンピアンズ協会の理事長を務める。 1959年 - 和歌山県立田辺高等学校卒業。1963年 - 日本大学文理学部卒業。 1964年 - 東京オリンピック男子団体総合、つり輪で金メダルを獲得した。 1970年 - リュブリャナ世界選手権(ユーゴスラビア)男子団体総合で金メダル、鉄棒で銅メダルを獲得した。 1989年 - 日本大学文理学部教授となった。
蒲田 勝(かまた まさる、1940年4月21日 - )は、日… 蒲田 勝(かまた まさる、1940年4月21日 - )は、日本の元陸上競技選手。専門は短距離走。 田辺市立明洋中学校では野球部に所属していた。本人の弁では、3年生時に教員の勧めにより通信陸上大会の走高跳に出場したのが、陸上競技に接した最初だった。 和歌山県立田辺高等学校に進学し、陸上部に入部する。 全国高等学校総合体育大会陸上競技大会において、男子100メートル競走に2年生と3年生時に2連覇(1957年・1958年)を達成、3年生時には200メートル競走でも優勝する。高校2年生時の第12回国民体育大会(静岡国体)では100メートル競走で10秒5の高校生日本記録を出して優勝した。3年生時の1958年アジア競技大会では400メートルリレーメンバーに選出され、銀メダルを獲得している。
上田 重夫(うえだ しげお、1939年7月27日 - )は、… 上田 重夫(うえだ しげお、1939年7月27日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手。 田辺高校から1961年に大洋ホエールズへ入団。1963年に引退。
佐山 和夫(さやま かずお、1936年8月18日 - )は、… 佐山 和夫(さやま かずお、1936年8月18日 - )は、和歌山県出身の作家、ノンフィクション作家。和歌山県田辺市在住。 和歌山県立田辺高等学校、慶應義塾大学文学部英米文学科卒業。会社員、母校田辺高校の英語教師を経て、独立して「田辺イングリッシュアカデミー」を開く。その後作家に。 アメリカ野球学会(SABR)、スポーツ文学会(SLA)に所属。 第3回潮ノンフィクション賞、1984年度和歌山県文化奨励賞、2018年度和歌山県文化功労賞、第4回ミズノスポーツライター賞、ベーブ・ルース学会でジョセフ・アストマン賞、アメリカ野球学会のトウィード・ウエッブ賞、ロバート・ピーターソン賞などを受賞。 日本高等学校野球連盟並びに阪神甲子園球場歴史館では共に顧問を務める。
小嶋 淳司(こじま あつし、1935年7月16日 - )は、… 小嶋 淳司(こじま あつし、1935年7月16日 - )は、がんこフードサービス(現・GANKO)の創業者。同社会長、日本フードサービス協会会長や、関西経済同友会代表幹事、なにわ淀川花火大会会長等も務めた。和歌山県西牟婁郡上富田町生まれ。和歌山県立田辺高校・同志社大学経済学部卒業。 高校時代より家業の雑貨屋『こじま』(紀勢本線朝来駅前)をきりもりする。同志社大学経済学部を卒業後、寿司屋で修行した後、1963年に大阪・十三で4坪半の「がんこ寿司」を開店。1969年(昭和44年)に法人設立 社長に就任、以後は同社を外食産業チェーンに育て上げる。2005年(平成17年)会長に就任。2021年(令和3年)賞味期限改竄問題を受け会長を辞任。
日吉 章(ひよし あきら、1933年(昭和8年) - )は、… 日吉 章(ひよし あきら、1933年(昭和8年) - )は、日本の大蔵・防衛官僚。元防衛事務次官。和歌山県出身。 和歌山県立田辺高等学校、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。東大卒業後、大蔵省入省(為替局総務課)。東海財務局長、大蔵省大臣官房審議官(理財局担当)等を経て防衛庁に転じ、経理局長、防衛局長、長官官房長を経て、1991年(平成3年)防衛事務次官に就任。事務次官在職中の1993年(平成5年)に自宅で時限式爆発物が爆発する事件があった。 退官後は全国防衛協会連合会理事長等を務める。2005年(平成17年)には瑞宝重光章を受章した。
魚津 郁夫(うおづ いくお、1931年(昭和6年) - )は… 魚津 郁夫(うおづ いくお、1931年(昭和6年) - )は、日本の哲学者。熊本大学名誉教授。プラグマティズム研究の第一人者とされる。 和歌山県出身。1953年東京大学文学部哲学科卒。1959年東京大学人文科学研究科博士課程修了。岩崎武雄に学ぶ。ハーバードでプラグマティズムを学んだ鶴見俊輔を事実上のリーダーとし、母校旧制田辺中学(現在の和歌山県立田辺中学校・高等学校)の社会科の元教諭でプラグマティストである上山春平も在籍していた思想集団、思想の科学研究会に、東大時代の友人 後藤宏行とともに入会。同研究会で共同研究「転向」等に参加した。1959年熊本大学講師。1970年熊本大学教授。1996年同大学定年退官。
岩本 堯(いわもと たかし、1930年4月20日 - )は、… 岩本 堯(いわもと たかし、1930年4月20日 - )は、和歌山県田辺市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)・コーチ・監督。 旧制田辺中学校では2年次の1947年に一塁手・控え投手として春の選抜へ出場。1回戦で富田中から22点を奪い快勝。この試合で5回からリリーフに立ち甲子園初登板を果たすが、11四球を与えている。2回戦では先発を任され、城東中の前田祐吉と投げ合い、先制するが9回に追いつかれて延長11回サヨナラ負けを喫した。夏の大会が終わると、野球部を退部して陸上競技部に入る。陸上部では、コーチに来た南部忠平から「野球より陸上競技でオリンピックを目指したほうがよい」と勧められたという。1ヶ月ほどで野球部に復帰すると、3年次の1948年には右翼手に回り、2年連続で春の選抜へ出場。
岩本 堯(いわもと たかし、1930年4月20日 - )は、… 岩本 堯(いわもと たかし、1930年4月20日 - )は、和歌山県田辺市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)・コーチ・監督。
南 温平(みなみ おんぺい、1930年1月6日 - )は、和… 南 温平(みなみ おんぺい、1930年1月6日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(内野手)。 旧制田辺中学校では遊撃手として活躍。2年次の1947年に春の選抜へ出場。1回戦で富田中から22点を奪い快勝。しかし2回戦では城東中に延長11回サヨナラ負け。3年次の1948年にも2年連続で春の選抜へ出場。1回戦は岐阜商を大差で降すが、準々決勝はこの大会に優勝した京都一商の北本重二に抑えられ敗退。チームメートでは右翼手の岩本尭、二塁手の寺本哲治がプロ入りしている。 卒業後は社会人野球の海南日東紡績を経て、1949年夏に読売ジャイアンツが初めて行った選手公募を受験し、大阪地区でただ一人合格し入団。1951年には一軍初出場を果たすが、活躍の場は少なかった。
畑中 幸子(はたなか さちこ、1930年 - )は、日本の文… 畑中 幸子(はたなか さちこ、1930年 - )は、日本の文化人類学者、中部大学名誉教授。専門は、オセアニア研究、民族問題研究。 大阪市生まれ。和歌山県立田辺高校(和歌山県立田辺中学校・高等学校)、早稲田大学を経て、1968年東京大学大学院社会学研究科博士課程修了、「プカルア 環礁に住むポリネシア人の社会・経済的研究」で社会学博士。ニューギニア奥地に単身居を構え、未開の民族を調査していた畑中を、友人の作家有吉佐和子が訪ねた記録は、有吉の『女二人のニューギニア』(朝日新聞社後朝日文庫)というエッセイとなっている。オーストラリア国立大学高等研究所太平洋地域研究部。金沢大学文学部助教授、教授、国立民族学博物館併任教授。
寺本 哲治(てらもと てつじ、1929年9月18日 - 20… 寺本 哲治(てらもと てつじ、1929年9月18日 - 2010年2月 )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(内野手)。 田辺高を経て、1949年に読売ジャイアンツに入団。この年より巨人は二軍制を敷いたが、寺本は二軍で打率・本塁打・打点・盗塁の四冠王を獲得する。1950年には初めて一軍に昇格し、7月19日の対大洋ホエールズ戦での先発出場を始めとして7試合で二塁手を守った。その後、1951年に8試合、1954年に1試合の代走出場に終わり、1954年限りで現役を退いた。 引退後は、報知新聞社大阪本社営業局に勤めている。 できたばかりの二軍に入れられるが、一軍を目指して猛練習に励み、巨人における二軍選手の心構えの基盤を築いたと、評価されている。
西口 勇(にしぐち いさむ、1926年12月1日 - 201… 西口 勇(にしぐち いさむ、1926年12月1日 - 2014年5月9日)は、日本の政治家。位階は従四位。第4代和歌山県公選知事(1995年11月23日 - 2000年7月13日)として2期を務めた。 1926年12月1日、和歌山県西牟婁郡上芳養村(かみはやむら・現田辺市)で生まれる。旧制和歌山県立田辺商業学校(現:和歌山県立田辺高等学校)を卒業後、役場に勤めつつ青年団活動などに参加して頭角を現し、若くして下芳養村の助役を務めていた。その評判を聞きつけた和歌山県知事の小野真次によって見出され和歌山県庁に入庁し、県知事の仮谷志良の下で副知事を務めた後、1995年の県知事選挙で当時の和歌山市長であった旅田卓宗と壮絶な選挙戦を戦い抜き、初当選を果たした。
石本 泰雄(いしもと やすお、1924年(大正13年)12月… 石本 泰雄(いしもと やすお、1924年(大正13年)12月5日 - 2015年(平成27年)12月8日)は、日本の法学者。専門は国際法。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1962年)。大阪市立大学名誉教授。日本学士院会員。 和歌山県西牟婁郡(のちの田辺市)出身の法学者である。専門は国際法であり、特に戦争法の研究に従事した。近代国際法から現代国際法への構造転換の実証に取り組んだことで知られている。また、中立の地位の研究や、国際法学に社会経済史の視点を導入したことでも知られている。1962年に東京大学より法学博士の学位を取得した。東京大学、大阪市立大学、上智大学、神奈川大学短期大学部などで教鞭を執った。
辻原 弘市(つじはら ひろいち、1923年(大正12年)1月… 辻原 弘市(つじはら ひろいち、1923年(大正12年)1月23日 - 1985年(昭和60年)10月19日)は、日本の教育者、政治家。日本社会党衆議院議員(8期)。日本武道館常任理事。 和歌山県出身。1940年(昭和15年)和歌山県立田辺中学校(現和歌山県立田辺中学校・高等学校)を卒業。朝鮮窒素肥料に入社し研究部に配属された。1943年(昭和18年)和歌山師範学校本科を卒業。和歌山県内の小中学校の教諭を務め、和歌山県教職員組合書記長、日本教職員組合中央執行委員、日本労働組合総評議会常任幹事などを歴任。 1952年(昭和27年)の第25回衆議院議員総選挙で和歌山2区から日本社会党左派公認で立候補して初当選する。
大島 弘(おおしま ひろむ、1921年(大正10年)6月26… 大島 弘(おおしま ひろむ、1921年(大正10年)6月26日 - 1994年(平成6年)2月3日)は、昭和期の大蔵官僚、政治家、弁護士。衆議院議員(2期、日本社会党)。兄は第14代大阪市長の大島靖。 和歌山県、現在の田辺市出身。第三高等学校を経て、1942年(昭和17年)4月、東京帝国大学法学部に入学。1943年(昭和18年)12月、現役入営。1945年(昭和20年)8月、陸軍主計少尉に任官し予備役に編入され臨時召集。同年12月、召集解除となる。1947年(昭和22年)東京帝大法学部政治学科を卒業。同年4月、高等試験行政科・司法科に合格。 卒業後、1947年5月、大蔵省に入省して大蔵事務官に任官し専売局長官官房に配属された。
早川 崇(はやかわ たかし、 1916年(大正5年)8月21… 早川 崇(はやかわ たかし、 1916年(大正5年)8月21日 - 1982年 (昭和57年)12月7日)は、日本の政治家。位階は正三位勲一等、勲章は旭日大綬章。自由民主党衆議院議員。自治大臣、国家公安委員会委員長、労働大臣、厚生大臣を歴任した。 1916年(大正5年)8月21日、現在の和歌山県田辺市に生まれる。田辺市立田辺第一小学校、旧制和歌山県立田辺中学校(現・和歌山県立田辺高等学校)、第三高等学校文科甲類を経て、1941年(昭和16年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業する。東大では矢部貞治の門下で、同期生には中曽根康弘(後の首相)、小沢辰男(後の厚相)がいる。高等文官試験に合格し東大卒業後、内務省に入省する。
大島 靖(おおしま やすし、1915年(大正4年)1月30日… 大島 靖(おおしま やすし、1915年(大正4年)1月30日 - 2010年(平成22年)8月7日)は、日本の政治家、官僚。第14代大阪市長。労働省労働基準局長。大阪市長を1971年から1987年まで、4期16年務めた。 1915年1月30日、和歌山県田辺市に生まれる。旧制和歌山県立田辺中学校(現・和歌山県立田辺高等学校)、第三高等学校を経て、東京帝国大学法学部を卒業、1939年に内務省へ入省。 1949年から大阪府労働部長を務め、1954年に在ジュネーヴ領事へ転じた。1959年に労働省審議官に就任し、1960年には労働省労働基準局長に着任。1963年5月31日から中馬馨大阪市長のもとで大阪市助役となった。
和歌嶌 三郎(わかしま さぶろう、1906年9月22日 - … 和歌嶌 三郎(わかしま さぶろう、1906年9月22日 - 1961年3月4日)は、和歌山県日高郡川辺町(現:和歌山県日高郡日高川町)出身の元大相撲力士。本名は松井 三郎(まつい さぶろう)。 「和歌嶋」と表記する文献が多いが、番付上では「和歌嶌」の表記である。 1906年9月22日に和歌山県日高郡川辺町(現:和歌山県日高郡日高川町)で生まれる。和歌山県立田辺中学校に通っていたが、相撲の強さを同郷の高ノ山三郎に見出されたため、3年生で中途退学して入間川部屋へ入門、間もなく出羽海部屋へ転属した。四股名は郷里・和歌山県に因んで「和歌嶌」とした。 1923年1月場所で初土俵を踏むと、スピード出世で1928年5月場所で新十両昇進、その十両も僅か2場所で通過し、1929年1月場所で新入幕を果たした。
脇村 義太郎(わきむら よしたろう、1900年12月6日 -… 脇村 義太郎(わきむら よしたろう、1900年12月6日 - 1997年4月17日)は、日本の経済学者。専攻は経営史。1964年から日本学士院会員、1988年から1994年まで第20代日本学士院院長を務める。1992年文化功労者。東京大学名誉教授。 父は実業家・脇村市太郎。甥に日本高等学校野球連盟会長を務めた脇村春夫がいる。 1900年、現在の和歌山県田辺市に生まれる。旧制和歌山県立田辺中学校(現・和歌山県立田辺高等学校)を経て、1921年第三高等学校卒業。1924年、東京帝国大学経済学部商業学科卒業。 1924年東京帝大助手、1926年東京帝大助教授となる。1935年から37年にかけてヨーロッパへ留学するも、帰国後の1938年人民戦線事件で検挙され、退官。
片山 哲(かたやま てつ、1887年〈明治20年〉7月28日… 片山 哲(かたやま てつ、1887年〈明治20年〉7月28日 - 1978年〈昭和53年〉5月30日)は、日本の弁護士、政治家。栄典は従二位勲一等。クリスチャン。内閣総理大臣 (46代)。 社会民衆党書記長(初代)、衆議院議員(10期)、社会大衆党執行委員、日本社会党書記長(初代)、日本社会党委員長(初代)、民主社会党常任顧問、日本中国文化交流協会会長(初代)を歴任した。 和歌山県西牟婁郡田辺に生まれる。和歌山県立田辺中学校(現・和歌山県立田辺高等学校)、第三高等学校(現・京都大学)を経て、一家で同郷の人物で「軍艦行進曲」の作詞者・鳥山啓宅に寄宿、東京帝国大学法学部独法科卒業。卒業後、YMCA寄宿舎の一室を借りて「簡易法律相談所」を開設、弁護士として活動した。
鈴木 康四郎(すずき こうしろう、1886年(明治19年)2… 鈴木 康四郎(すずき こうしろう、1886年(明治19年)2月15日 - 1960年(昭和35年)3月14日)は、日本の官僚、政治家。第8代和歌山市長。 1886年(明治19年)2月15日、岡崎定治郎の次男として和歌山県西牟婁郡宇津木村(のち白浜町宇津木)で生まれ、後に西牟婁郡万呂村大字下万呂(現:田辺市下万呂)の鈴木まさゑと結婚して改姓。和歌山県立田辺中学校卒業後、1911年(明治44年)4月に西牟婁郡書記となり、1918年(大正7年)には和歌山県属に昇進したが、在任中の手腕が認められて内務属となり中央官界で活躍。 1926年(大正15年)10月、京都市の課長に就任し、累進して中京区長となって5年間務めた後、1938年(昭和13年)に和歌山市助役に迎えられた。
植芝 盛平(うえしば もりへい、1883年〈明治16年〉12… 植芝 盛平(うえしば もりへい、1883年〈明治16年〉12月14日 - 1969年〈昭和44年〉4月26日)は、日本の武道家。合気道の創始者。合気道界では「開祖」(かいそ)と敬称される。 和歌山県西牟婁郡西ノ谷村(現在の田辺市)の富裕な農家に生まれた。大東流を初めとする柔術・剣術など各武術の修行成果を、大本教や神道などの研究から得た独自の精神哲学で纏めなおし、『和合』、『万有愛護』等を理念とする合気道を創始した。開祖の他の敬称として「翁」(おう)。特に古い高弟は「翁先生」・「大(おお)先生」と呼ぶ。 身長156cmながら大相撲力士を投げ飛ばすなど幾つもの武勇伝が有り、また老境に至っても多くの“神技”を示し「不世出の達人」と謳われた。
西田 郁平(にしだ いくへい、1881年(明治15年)2月1… 西田 郁平(にしだ いくへい、1881年(明治15年)2月18日 – 1956年(昭和31年)8月11日)は、衆議院議員(立憲民政党)、弁護士。 和歌山県東牟婁郡那智村(現在の那智勝浦町)で、西田業平の息子として生まれる。和歌山県立田辺中学校、第一高等学校を経て、1909年(明治42年)に東京帝国大学法科大学仏法科を卒業した。卒業後、海軍で経理官として勤務し、中主計(主計中尉)に任命されたが、間もなく官を辞した。その後、和歌山市で元代議士の阪本弥一郎とともに弁護士事務所を開いた。 その後、和歌山市会議員に当選し、1929年(昭和3年)から1931年(昭和6年)まで議長を務めた。 1930年(昭和5年)、第17回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。
堺 徹 は、日本の検察官。最高裁判所判事。