沼波 輝枝(ぬなみ てるえ、本名:沼波 華子(ぬなみ はなこ… 沼波 輝枝(ぬなみ てるえ、本名:沼波 華子(ぬなみ はなこ)、1923年12月31日 - 2013年4月1日)は日本の女優、声優。テアトル・エコーに所属していた。東京府立第一高等女学校(現・東京都立白鴎高等学校)卒業。東京都出身。身長162cm。体重50kg。父は国文学者の沼波瓊音。姉は歌人の沼波万里子
1923年(大正12年)生まれ:754人
沼波 輝枝(ぬなみ てるえ、本名:沼波 華子(ぬなみ はなこ… 沼波 輝枝(ぬなみ てるえ、本名:沼波 華子(ぬなみ はなこ)、1923年12月31日 - 2013年4月1日)は日本の女優、声優。テアトル・エコーに所属していた。東京府立第一高等女学校(現・東京都立白鴎高等学校)卒業。東京都出身。身長162cm。体重50kg。父は国文学者の沼波瓊音。姉は歌人の沼波万里子
北条明直(ほうじょう あきなお、1923年12月30日ー20… 北条明直(ほうじょう あきなお、1923年12月30日ー2004年3月3日)は、日本の華道家。 山梨県大月市出身。都留中学校卒、1947年國學院大學文学部哲学科卒。文部省社会教育局芸術課に勤務、退職後はドキュメンタリーテレビ番組の構成作家、記録映画の監督として活動し、生け花界では初の文部大臣招待日本華道展、日花展の担当官として、生け花にかかわる。1965年跡見学園女子大学助教授、1971年いけばな造形大学を創設し学長。1999年日本フラワーデザイン専門学校校長。
水谷 光男(みずたに みつお、1923年(大正12年)12月… 水谷 光男(みずたに みつお、1923年(大正12年)12月30日 - 2016年(平成28年)8月28日)は、三重県伊勢市長(5期)。 三重県桑名郡多度町(現・桑名市)出身。1946年、國學院大學国史学科卒。同年、三重県庁に入る。県庁では知事公室県民室広報係長、県民室長補佐、県民室長、東京事務所長、農林水産、生活環境、福祉の各部次長、北勢県民局長を経て、1980年、伊勢市助役となる。1984年、伊勢市長に当選、2004年まで4期20年務めた。2005年旭日中綬章を受章。2013年瑞宝単光章を受章。2016年8月に死去した。死去後、死没日をもって正八位から従四位に叙された。
石田 清茂(いしだ きよしげ、1923年(大正12年)12月… 石田 清茂(いしだ きよしげ、1923年(大正12年)12月29日 - 1994年(平成6年)8月9日)は、昭和から平成時代の政治家。奈良県香芝市長。勲五等双光旭日章。 奈良県北葛城郡五位堂村(現香芝市)出身。五位堂高等小学校卒業。 1947年(昭和22年)五位堂村役場に奉職し、1956年(昭和31年)町村合併で香芝町となり同町役場に勤務。1976年(昭和51年)総務部長、1978年(昭和53年)収入役、1982年(昭和57年)助役を経て、1984年(昭和59年)より香芝町長。1991年(平成3年)市制施行に伴い香芝市長となった。 1992年(平成4年)引退。1994年死去。死没日付をもって勲五等双光旭日章を追贈された。
荒川 祐吉(あらかわ ゆうきち、1923年12月28日 - … 荒川 祐吉(あらかわ ゆうきち、1923年12月28日 - 2018年5月26日)は、日本の商学者・経営学者。学位は、商学博士。神戸大学名誉教授。福田敬太郎門下。兵庫県出身。 ゼミ出身者に亀井範雄元東邦テナックス社長などがいる。 2000年4月:勲二等瑞宝章受章。
太宰 久雄(だざい ひさお、1923年〈大正12年〉12月2… 太宰 久雄(だざい ひさお、1923年〈大正12年〉12月26日 - 1998年〈平成10年〉11月20日)は、日本の俳優。大宰 久雄と表記されることもある。 映画『男はつらいよ』シリーズのタコ社長(桂梅太郎)役で有名な俳優である。同映画において渥美清演じる車寅次郎との掛け合いは見所のひとつであった。 東京市浅草区千束町(現在の東京都台東区浅草千束)出身。浅草の荒物雑穀商、海苔問屋・佐野屋の息子として生まれる。タコ社長役で見られた髪型は、父・久吉をモデルにしたもので、当時の浅草の海苔問屋の商人たちの間で流行っていた髪形であるといわれている。この独特のウェーブは魚の鯔の背中の姿を模しているため、イナセと呼ばれる江戸時代に流行ったスタイルでもあった。
有村 章(ありむら あきら、1923年12月26日 - 20… 有村 章(ありむら あきら、1923年12月26日 - 2007年12月10日)は、日本の生理学者。医学博士。チューレーン大学名誉教授。慶應義塾大学医学部客員教授。 鹿児島県鹿児島市出身。旧制の鹿児島県立第二鹿児島中学校および第七高等学校卒業。1951年名古屋大学医学部卒業後、イェール大学での研究生活を経て、1965年からチューレーン大学でアンドリュー・ウィクター・シャリー博士の下で、視床下部ホルモンの研究に従事した。ノーベル生理学医学賞(1997年)を受賞したシャリー博士の研究には、3人の日本人(有村章、馬場義彦、松尾寿之)が直接的に貢献したと言われているが、有村博士は、そのうちの1人。その後、有村博士は、1985年日本の財界の協力を得てチューレーン大学・日米協力生物医学研究所(U.S.-Japan Biomedical Research Laboratories)を設立、同研究所長となり、そこを拠点として、神経科学の発展に貢献した。
谷川 雁(たにがわ がん、本名:谷川 巌(たにがわ いわお)… 谷川 雁(たにがわ がん、本名:谷川 巌(たにがわ いわお)、1923年12月25日 - 1995年2月2日)は、日本の詩人、評論家、サークル活動家、教育運動家。社会主義的なリアリズムを基調とにした詩人として知られ、評論集「原点が存在する」「工作者宣言」は1960年代の新左翼陣営に思想的な影響を与えた。 熊本県水俣市に開業医の、六人兄妹の次男として生まれる。兄は民俗学者の谷川健一、弟に東洋史学者の谷川道雄、日本エディタースクール創設者の吉田公彦。旧制熊本中学、第五高等学校を経て、1945年に東京帝国大学文学部社会学科を卒業。従軍する。 戦後、西日本新聞社に勤務。同人誌「九州詩人」「母音」に詩を発表し、安西均、那珂太郎などと交遊。
阿部 喜元(あべ きげん、1923年(大正12年)12月25… 阿部 喜元(あべ きげん、1923年(大正12年)12月25日 - 1998年(平成10年)4月4日)は、昭和期の政治家、議員秘書。衆議院議員(2期)。 愛媛県西宇和郡出身。1949年(昭和24年)早稲田大学政治経済学部政治科を卒業した。 参議院議員・林屋亀次郎の秘書となり、第4次吉田内閣に林屋が国務大臣として入閣するとその秘書官を務めた。 1958年(昭和33年)5月の第28回衆議院議員総選挙に愛媛県第3区から立候補したが落選。第29回、第30回総選挙でも落選したが、1967年(昭和42年)1月の第31回総選挙に立候補して初当選。第32回総選挙では次点で落選し、1972年(昭和47年)12月の第33回総選挙で再選され、衆議院議員に通算2期在任した。
齋藤雪彦『むらづくり入門』世界思想社、2022年。 青木 志… 齋藤雪彦『むらづくり入門』世界思想社、2022年。 青木 志郎(あおき しろう、1923年12月24日 - 2017年12月)は、日本の農村建築学者。農村計画学者。東京工業大学名誉教授。日本建築学会副会長、農村計画学会会長を歴任。内閣農政審議会専門委員、農林水産省「豊かなむらづくり」審査委員等を歴任。 長野県東筑摩郡筑摩地村(現塩尻市)出身。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、旧制弘前高等学校を経て、1948年に東京工業大学を卒業。同年に東京工業大学工学部建築学科の助手を務めた。1949年、東北大学農学部に新設された家政学科、のち生活科学科に講師として赴任。建築計画学に生活科学の視点を組み込む農村計画学の基礎を構築。
千葉 和郎(ちば わろう、1923年12月23日 - 201… 千葉 和郎(ちば わろう、1923年12月23日 - 2018年1月17日)は、日本の裁判官。最高裁判所事務総局刑事局長や、東京高等裁判所部総括判事、福岡高等裁判所長官、名古屋高等裁判所長官等を歴任した。 第二高等学校で寮歌「散りにし花は」を作曲。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年9月、海軍経理学校に入学し1945年(昭和20年)に卒業。同年6月、海軍主計少尉に任官して終戦を迎え、その後、解員(復員)した。 東北大学卒業後、東京地方裁判所判事補、最高裁判所事務総局刑事局第二課長、東京地方裁判所部総括判事、最高裁判所事務総局秘書課長、最高裁判所事務総局刑事局長、大津地方裁判所長、東京高等裁判所部総括判事、横浜地方裁判所長、東京家庭裁判所長等を経て、1985年福岡高等裁判所長官。
深沢 督(ふかざわ ただし、1923年12月22日 - 20… 深沢 督(ふかざわ ただし、1923年12月22日 - 2019年1月6日)は、群馬県出身の元プロ野球選手(捕手)。 主な出場ポジションは捕手。
三田 純市(みた じゅんいち、1923年12月22日 - 1… 三田 純市(みた じゅんいち、1923年12月22日 - 1994年9月1日)は、日本の落語作家・研究者、演芸作家、脚本家、随筆家。 本名は野村全作(旧姓:三田)。俳号は「道頓」。三田純一と名乗っていた時期もある。 大阪府大阪市南区、道頓堀の芝居茶屋「稲照」の長男に生まれる。1946年、慶應義塾大学経済学部卒業。朝日新聞社販売部に勤務、1951年に退社。松竹新喜劇の曾我廼家十吾、2代目渋谷天外に師事し喜劇の台本を手がけるようになる。 1967年から1982年には東京に在住し、1969年には東京やなぎ句会の創設に参加。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
井沢 義雄(いざわ よしお、1923年12月20日 - 19… 井沢 義雄(いざわ よしお、1923年12月20日 - 1996年12月14日)は、フランス文学者、神戸大学名誉教授。 兵庫県生まれ。東京帝国大学仏文科卒。文芸評論を書いたのち、1954年神戸大助教授、教授。1987年定年退官、名誉教授。ヴァレリーと石川淳を論じた。1996年12月14日、肺癌のため死去。
伊藤 潔(いとう きよし、1923年12月20日 - 199… 伊藤 潔(いとう きよし、1923年12月20日 - 1993年6月22日)は、日本の経営者。川崎汽船社長、会長を務めた。兵庫県出身。 1951年に東京大学法学部法律学科を卒業し、同年に川崎汽船に入社。 1975年5月に取締役に就任し、1978年6月に常務、1981年6月に専務を経て、1983年6月に副社長に就任し、1985年6月には社長に昇格。1988年6月に会長に就任。 1987年4月に藍綬褒章を受章。 1993年6月22日膵臓癌のために死去。69歳没。
石井 次郎(いしい じろう、1923年12月18日-1992… 石井 次郎(いしい じろう、1923年12月18日-1992年4月1日)は、日本の地質学者。理学博士(北海道大学)。 北海道出身。北海道札幌師範学校付属小学校卒業。北海道庁立札幌第二中学校卒業。1946年北海道帝国大学理学部卒業。1946年同応用電気研究所助手。1955年北海道大学大学院(旧制)理学研究科修了。同理学部助手。北海道札幌西高等学校定時制教諭や、北海道農業専門学校教師を経て、1961年に北海道大学にて「北海道第四紀火山噴出物の風化過程」で理学博士受く。1961年北海道大学水産学部助教授。1968年東海大学海洋学部札幌教養課程教授。1988年北海道東海大学工学部教授。1992年3月31日北海道東海大学定年退職。
浜川 祥枝(はまかわ さかえ、正式には、濱川祥枝、男性、19… 浜川 祥枝(はまかわ さかえ、正式には、濱川祥枝、男性、1923年12月18日 - 2006年9月25日 )は、ドイツ文学者。東京大学名誉教授。 東京府(現東京都)で、実業家・浜川友十郎(三菱倉庫社長)の長男として生まれた。旧制府立高等学校を卒業。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年9月、海軍経理学校に入学し1945年に卒業。同年4月、佐世保施設部付となり、同年6月、海軍主計少尉に任官して第325設営隊付に転じ終戦を迎え、その後、解員(復員)した。 1946年9月、東京帝国大学法学部政治学科卒業。南海電鉄勤務ののち、1952年東京大学文学部独文科卒業。ドイツ学術交流会の奨学金を受けて、西ドイツ・ミュンヘン大学へ留学ののち、1955年中央大学文学部助教授、1967年東京大学文学部助教授、1973年教授。
宇賀神 光利(うがじん みつとし、1923年12月18日 -… 宇賀神 光利(うがじん みつとし、1923年12月18日 - 1967年2月)は、日本の作曲家。本名は宇賀神 敏道(うがじん としみち)。戦後の日本における童謡運動「新しいこどもの歌」を推進した作曲家グループ「ろばの会」の結成メンバーの一人。父は作曲家・指揮者の宇賀神味津男。デブパレードのギタリストugazinは孫にあたる。 東京府出身。音楽家の家系に育ち、国立音楽学校(現:国立音楽大学)本科を卒業。作曲を尾高尚忠、諸井三郎に師事した。 1950年(昭和25年)、第19回 日本音楽コンクールの作曲部門(第2部・室内楽曲)において、第3位に入賞。この時の1位は一柳慧、2位は中田喜直であった。 1955年(昭和30年)、中田喜直、大中恩、磯部俶、中田一次と共に、子供の生活感覚に即した芸術性の高い童謡を創造することを目指し、作曲家グループ「ろばの会」を結成。
只野 通泰(ただの みちやす、1923年〈大正12年〉12月… 只野 通泰(ただの みちやす、1923年〈大正12年〉12月18日 - 2015年〈平成27年〉7月18日)は、宮城県白石市出身の作曲家、編曲家。 1944年、日本大学芸術学部音楽科作曲専攻卒業。終戦を清津で迎え、ソ連軍との交戦の後、捕虜としてシベリアに抑留される。抑留中に竹山逸郎が後に大ヒットさせることになる「異国の丘」(吉田正作曲)をアコーディオンで伴奏し、同胞に歌わせ元気づけていた。その様子は日本国内でも報道され、「異国の丘」の作曲者でもある吉田正も知っていたと言われる。 1949年10月に復員し、東京都文京区立第六中学校で音楽科教諭として教鞭をとる中、「異国の丘」の縁で吉田正と運命的に出会う。
大町 北一郎(おおまち ほくいちろう、1923年12月18日… 大町 北一郎(おおまち ほくいちろう、1923年12月18日 – 1987年8月27日)は、日本の地質学者、教育者。専門は鉱床学・資源学。 北海道大学時代(1949年~1955年)に指導教員の鈴木醇教授や同僚たちとともに、北海道を中心とした金属鉱山の記載を精力的に行った。その対象は多様で、テルル、マンガン、鉄、ビスマス、銀、銅、鉱床の記載など多岐にわたっている。これらのうち特に鉄に関連する研究は大町の大きな業績の一つであり、その後の地質調査所以降においても精力的に調査を続け論評を行った。 工業技術院地質調査所(1956年~ 現国立研究開発法人産業技術総合研究所地質調査総合センター)に移ってからは、主に特別研究「低品位鉄鉱石調査研究」に従事し、さらに国内外の鉄を中心とした資源調査を行い、多くの報告書にまとめている。
伊藤 孝二郎(いとう こうじろう、1923年12月17日 -… 伊藤 孝二郎(いとう こうじろう、1923年12月17日 - 2003年7月28日)は日本の政治家。新潟県北蒲原郡黒川村(現胎内市)の村長を約半世紀にわたり務めた人物である。 新潟県北蒲原郡黒川村出身。盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)卒業。 黒川村議会議員を経て、1955年伊藤は先憂後楽の精神のもと、31歳のときに「胎内川総合開発」「道路網の整備」「農業の近代化」の公約を掲げ黒川村村長に当選し、在任中は胎内スキー場、胎内高原ビール園、ロイヤル胎内パークホテルなど観光事業を発展させ雇用を拡大し、農業を活性化させて人口流失による黒川村の過疎化を防いだ。全国市町村会副会長、県市町村会会長を務めた。
中村 尚夫(なかむら ひさお、1923年12月17日 - 2… 中村 尚夫(なかむら ひさお、1923年12月17日 - 2008年6月25日)は、日本の経営者。クラレ社長を務めた。京都府京都市出身。 第三高等学校を経て、1948年に京都大学経済学部を卒業し、1950年に同大学院を修了し、同年にクラレに入社した。 1972年11月に取締役に就任し、1976年6月には常務に就任し、1981年6月には副社長に就任した。 1985年6月には社長に昇格し、1993年6月には会長に就任した。2000年6月から相談役に就任した。 1990年11月に藍綬褒章を受章し、1996年11月に勲二等瑞宝章を受章した。 2008年6月25日急性冠症候群のために兵庫県宝塚市の病院で死去。
工藤 正(くどう ただし、1923年12月17日 - 198… 工藤 正(くどう ただし、1923年12月17日 - 1989年3月22日)は、日本の政治家。元青森市長(3期、当選は4回)。 青森県青森市出身。1948年、中央大学法学部卒業。同年、青森県庁に入庁し、2年後の1950年総理府に転じ、事務官となった。その後1961年に栃木県庁に勤務。1965年に自治省に出向した。翌1966年、青森県庁に復帰し、税務課長、総務部次長などを歴任し、1972年八戸市助役に就任し1975年まで務めた。退任後は保護司となった。 1975年、青森市長選挙に立候補するも落選。 1979年、青森市長選挙に再挑戦し初当選した。 1983年、再選。1984年、青森総合流通団地詐欺事件にからみ、助役が受託収賄容疑で逮捕される。
辰野 高司(たつの たかし、1923年〈大正12年〉12月1… 辰野 高司(たつの たかし、1923年〈大正12年〉12月17日 - 2012年〈平成24年〉2月19日)は、薬学者。 辰野隆の次男として東京駒場に生まれる。本名は高(たかし)。祖父は建築家の辰野金吾。東京帝国大学医学部薬学科卒。1954年薬学博士(論文タイトルは『側鎖に環状塩基性中心を有するベンツオキノリチン類の合成研究』)。東京大学医学部助手、日本大学助教授、1960年東京理科大学薬学部教授。62年11月からパリ大学薬学部、フランス原子力研究所に学ぶ。1963年理化学研究所主任研究員。1962-65年日本薬学会の薬学研究白書の作成に参加。中央薬事審議会委員、日本薬学会理事、日本薬剤師会理事、日仏薬学会会長。
東けんじ(あずま けんじ、1923年〈大正12年〉12月17… 東けんじ(あずま けんじ、1923年〈大正12年〉12月17日 - 1999年〈平成11年〉1月7日)は、宮城けんじと漫才コンビ「Wけんじ」を結成した日本の漫才師。本名は大谷 健二(おおたに けんじ)。栃木県宇都宮市出身。大の酒好き。内向的な性格で普段は無口であった。 実父は大田原町長(現・大田原市)。中学卒業後に地元の東野鉄道に就職し小荷物係として働いていた。元来の芸事好きが高じて駅員仲間を集めて素人劇団を結成したが、それを駅長にとがめられた事に腹を立て辞表を提出。サーカス団に入り「ヘンリー東」を名乗り、生まれつきの身体の柔らかさを生かしたパントマイムやアクロバット、または花形ピエロとしても活躍した。
戸川 猪佐武(とがわ いさむ、1923年(大正12年)12月… 戸川 猪佐武(とがわ いさむ、1923年(大正12年)12月16日 - 1983年(昭和58年)3月19日)は、日本の政治評論家・作家。神奈川県平塚市出身。父親は小説家で平塚市市長を務めた戸川貞雄、弟は小説家の菊村到。 旧制湘南中学を経て早稲田大学政治経済学部へ入学するが、赤紙が来て陸軍へ召集される。しかし、徴兵検査で病気が分かり延期となる。 回復後に再び召集されるが直後に終戦を迎え、早大に復学して卒業する。 1947年(昭和22年)、読売新聞に入社。政治部記者として、数多くの政治家に取材して顔を知られるようになる。一時期は特派員としてモスクワにも滞在していた。1955年に河野謙三から、父・貞雄の平塚市長選挙への出馬説得を依頼されたことから、仲介役を務め、父親を当選させることに成功している。
大木 実(おおき みのる、1923年〈大正12年〉12月16… 大木 実(おおき みのる、1923年〈大正12年〉12月16日 - 2009年〈平成21年〉3月30日)は、大阪府堺市出身の俳優。本名は池田 実。 大阪福島商業学校(現・履正社高等学校)卒業後、照明助手として日活多摩川撮影所に約10年間勤務。 木暮実千代の推挙で役者へ転身。 1951年、『あゝ青春』で映画デビュー。1952年から1961年まで在籍した松竹では佐田啓二、高橋貞二と共に三羽烏と言われ、多くの映画に主演、中でも「張込み」は代表作と言える。 1963年からは東映を中心に活動し脇に回る。若山富三郎とは仲が良く、兄弟と呼び合っていた。 1970年代からはテレビドラマへも進出した。 2009年3月30日午前3時、膵臓癌の為東京都大田区の病院で逝去。
林 和男(はやし かずお、1923年12月16日 - 200… 林 和男(はやし かずお、1923年12月16日 - 2009年9月11日)は、東京都調布市出身の野球指導者。林建設株式会社元会長。 早稲田大学では政経学部に所属し、同校の軟式野球の選手として活躍。大学卒業後は建設会社へ入社し、野球を続けた。 1964年、リトルリーグ(小学生硬式野球)を日本に紹介。野球を国技とするアメリカ合衆国のように、日本の子供たちに硬式野球を広めたいとする思いから、産業経済新聞社、フジテレビジョンなど、のちのフジサンケイグループと協力して、リトルリーグの普及に尽力する。 1965年、林の長男や友人らを中心として、リトルリーグのチーム「調布リトルリーグ(創設時は調布リトル野球チーム)」の創設に携わる。
大熊 一郎(おおくま いちろう、1923年12月15日 - … 大熊 一郎(おおくま いちろう、1923年12月15日 - 1986年12月1日)は、日本の経済学者。 東京市浅草区(現台東区)浅草生まれ。1948年慶應義塾大学経済学部卒、大蔵省理財局調査部・大臣官房調査部勤務。1950年健康保険連合会勤務。1954年慶應義塾大学経済学部専任講師となる。同助教授を経て、1963年「フィスカル・ポリシーの理論構造」で経済学博士の学位を取得。同年慶大教授。62歳で在職中に死去した。
田中 敏夫(たなか としお、1923年〈大正12年〉12月1… 田中 敏夫(たなか としお、1923年〈大正12年〉12月14日 - 2003年〈平成15年〉3月12日)は、日本の実業家。北越製紙第13代社長。 新潟県中蒲原郡横越村(現 新潟市江南区)出身。1941年(昭和16年)3月に新潟中学校を卒業、1943年(昭和18年)9月に新潟高等学校を半年繰り上げ卒業、1944年(昭和19年)9月30日に海軍経理学校(第12期)に補修学生として入校、1945年(昭和20年)3月または4月に卒業、6月1日に海軍主計少尉に任官、8月15日に太平洋戦争が終戦、1947年(昭和22年)3月に東京帝国大学法学部法律学科を卒業。 1947年(昭和22年)7月に北越製紙に入社、新潟工場勤労課長を経て、1970年(昭和45年)8月に本社勤労部長に就任、1973年(昭和48年)7月に長岡工場長に就任、同年12月に取締役 長岡工場長に就任、1977年(昭和52年)1月に取締役 勤労部長に就任、1978年(昭和53年)5月に取締役 営業本部副本部長に就任、1981年(昭和56年)7月に常務取締役に就任、1983年(昭和58年)7月に専務取締役に就任、1985年(昭和60年)7月に取締役副社長に就任、1987年(昭和62年)7月に北越製紙第13代代表取締役社長に就任、1995年(平成7年)6月に代表取締役会長に就任、1997年(平成9年)6月に相談役に就任、1999年(平成11年)1月に相談役を退任、以後、社賓。
山中 千代衛(やまなか ちよえ、1923年 <大正12年> … 山中 千代衛(やまなか ちよえ、1923年 <大正12年> 12月14日 - 2017年 <平成29年> 2月15日)は、日本の電気・電子工学者。大阪大学名誉教授。工学博士(大阪大学)。大阪大学レーザー核融合研究センター(現:大阪大学レーザー科学研究所)創設者。名古屋大学プラズマ研究所元客員教授。アメリカ物理学会(APS)フェロー。IEEEライフフェロー。電気学会名誉員。プラズマ・核融合学会元副会長。レーザー技術総合研究所(ILT)名誉所長・初代所長。日本原子力研究所関西研元研究推進委員長。勲二等瑞宝章・紫綬褒章受章。日本のレーザー核融合研究のパイオニアかつ世界をリードする研究者の一人であった。
林 藤之輔(はやし とうのすけ、1923年12月14日 - … 林 藤之輔(はやし とうのすけ、1923年12月14日 - 1987年8月6日)は、日本の弁護士。最高裁判所判事。大阪府出身。 1923年(大正12年)に大阪・天満にある酒造家の生まれ。戦時中の1944年(昭和19年)に学徒出陣で海軍に応召され、終戦時は主計少尉。復員後、1946年(昭和21年)に高等試験司法科に合格し、1947年(昭和22年)に東京大学法学部を卒業。新司法制度の中で発足した司法修習生の第1期生となる。2年間の司法修習の後、色川幸太郎に従って大阪弁護士会に弁護士登録をし、色川事務所に所属した。 数々の労働事件や民事紛争を手がける。大阪駅前の土地明け渡し訴訟も依頼され、地主側の代理人を務めたが、あくまで相手を説得する姿勢を取り続けて解決した。
津村 謙(つむら けん、1923年12月12日 - 1961… 津村 謙(つむら けん、1923年12月12日 - 1961年11月28日)は、富山県下新川郡入善町出身の歌手。男性。 本名:松原 正(まつばら ただし)。妻は元松竹少女歌劇団の大国阿子。 魚津中学校卒業後、上京し、江口夜詩の門下となる。1943年(昭和18年)、テイチクからデビューしたが、まもなく徴兵される。 1946年(昭和21年)、芸名を津村謙として再デビュー。この芸名は、戦時中に発表されて一世を風靡した映画『愛染かつら』の主人公・津村浩三の「津村」と、それを演じた俳優・上原謙の「謙」を取ったものである。 しばらくヒットに恵まれなかったが、1951年(昭和26年)に、「上海帰りのリル」(作詞:東条寿三郎、作曲:渡久地政信)が大ヒット(島耕二監督によって1952年に映画化/後に根津甚八がカバーする)。
堀井 数男(ほりい かずお、1923年12月12日 - 20… 堀井 数男(ほりい かずお、1923年12月12日 - 2006年7月24日)は、大阪府東大阪市出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ。
田中 卓(たなか たかし、大正12年(1923年)12月12… 田中 卓(たなか たかし、大正12年(1923年)12月12日 - 平成30年(2018年)11月24日)は、日本の歴史学者。皇學館大学名誉教授。専門は日本古代史。 皇學館大学学事顧問、皇學館大学学長、有限会社青々企画代表を務めた。平泉澄の弟子。学位は、文学博士(旧制・國學院大學)。大阪府出身。 東京帝國大學に入学して間もない1942年(昭和17年)、当時文学部国史学科の主任教授であった平泉澄が主宰する青々塾に入塾。また平泉が指導する学生団体、東大朱光会に入会し、1943年(昭和18年)、同会の幹事となった。1944年(昭和19年)9月に、学徒出陣し、海軍予備学生として、土浦海軍航空隊に入隊した。
眞島 健(ましま たけし、1923年12月12日 - 200… 眞島 健(ましま たけし、1923年12月12日 - 2001年4月13日)は、日本の運輸官僚、経営者。海上保安庁長官などを務めた。 東京都出身。1948年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年に運輸省に入省。1978年6月に海運局長を経て、1979年6月に海上保安庁長官に就任。1980年6月に日本長期信用銀行顧問に就任し、1987年6月には日本エアシステム社長に就任し、1995年6月に会長を経て、1997年6月に相談役を退いた。 1996年11月に勲二等旭日重光章を受章。 2001年4月11日に膵臓癌のために死去。77歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
三升 正直(みます まさなお、1923年〈大正12年〉12月… 三升 正直(みます まさなお、1923年〈大正12年〉12月11日 - 2011年〈平成23年〉6月21日)は、日本の政治家。宮城県塩竈市長(3期)。 宮城県塩竈市出身。旧制図南中学(のち仙台図南高等学校を経て仙台図南萩陵高等学校、現在の仙台市立仙台大志高等学校)卒業。塩竈市役所に入り、議会事務局長、収入役、助役などを歴任した。 1991年(平成3年)の塩竈市長選挙に共産党の支持を得て立候補し、自民、社会、公明、民社の各党が推薦する内海勇三らを破って、初当選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts) 同年5月1日、第5代市長に就任した。 1999年(平成11年)の市長選は新人2人との争いになったが、これを破って3選を果たした。
景山 崇人(かげやま たかと、1923年12月10日 - 2… 景山 崇人(かげやま たかと、1923年12月10日 - 2009年9月5日)は、広島県出身の実業家。戦艦大和乗組員。タカキベーカリー社長を務めた。
辛島宜夫(からしま よしお、1923年12月10日 - )は… 辛島宜夫(からしま よしお、1923年12月10日 - )は、日本の占星術師。上海生まれ。血液型はB型。星座は射手座。 占い師の他に抽象画家、オブジェ作家、音楽家、オカルト研究家などの顔を持つ。 戦時下を中国で過ごすが終戦と共に日本へ帰国。帝国美術学校(現武蔵野美術大学)卒業。数度の結婚に及んでいる。 占星タロット占い集団『水星の部屋』主宰、池袋コミュニティカレッジ占星タロット占い講座講師、日本占星学アカデミータロット学科講師などを務めた。その他、音楽や美術、切り絵などの活動も盛んに行っていた。近年ではシルエット切り絵師として横浜のラーメン博物館にて活動。 近年はすべての活動を引退し、2020年3月現在の消息は明らかでない。
千葉 信男(ちば のぶお、1923年12月10日 - 196… 千葉 信男(ちば のぶお、1923年12月10日 - 1967年8月10日)は、日本の俳優、コメディアン。 実業家の千葉芳男と友子(1896年生、宮城県の大友耕三の妹)の三男として東京府東京市淀橋区下落合(現在の東京都新宿区)に生まれる。兄に恭、茂、姉に篤子、弟に孝、芝之がいる。 父芳男は1889年11月3日に宮城県志田郡の仙台藩士族千葉軍記(農事試験場の助手を勤めたのち、上海に渡り、旅館の萬蔵館を経営)の長男として生まれ、東京商工学校卒業後、浅野セメントに入社し、本社検査課や川崎、深川両工場のスレート部、共同販売会社主任、東京支店長心得などを務めたのち独立。1931年に日本スレート販売株式会社が創立されると社長となった。
宇山 翠(うやま みどり、筆名・内村 幹子、1923年12月… 宇山 翠(うやま みどり、筆名・内村 幹子、1923年12月9日-2014年12月5日)は、日本の小説家。北九州市森鷗外記念館理事。 福岡県小倉市(現北九州市小倉南区)生まれ。小倉高等女学校(現福岡県立小倉西高等学校)卒業。大学職員、市役所職員などとして働く傍ら、「製鉄文化」「九州作家」などの同人誌にて活動。 1979年「冬の蛾」で第10回九州芸術祭文学賞地区優秀作。1985年「いちじく」で第9回神戸女流文学賞受賞。1986年「今様ごよみ」で第10回歴史文学賞受賞。1994年北九州市民文化賞受賞。
津山 直一(つやま なおいち、1923年(大正12年)12月… 津山 直一(つやま なおいち、1923年(大正12年)12月8日 - 2005年(平成17年)2月5日)は、日本の医学者である。整形外科学を専門としていた。 兵庫県に生まれる。1946年(昭和21年)9月に東京帝国大学医学部(現在の東京大学医学部)卒業後、東京通信大学に非常勤講師として勤務した。1954年(昭和29年)に東京医科歯科大学に助教授として勤務した後に、イギリス及び西ドイツのミュンヘンに留学のため移住する。その後帰国し、1958年(昭和33年)には古巣の東京大学医学部附属病院分院助教授として復帰した。1960年(昭和35年)に医学博士の称号を獲得し、同大学の助教授を経て教授に昇格する。
阿部 貞市(あべ ていいち、1923年12月7日 - 201… 阿部 貞市(あべ ていいち、1923年12月7日 - 2016年10月21日)は、日本の実業家。元大気社社長。
村上 兵衛(むらかみ ひょうえ、1923年(大正12年)12… 村上 兵衛(むらかみ ひょうえ、1923年(大正12年)12月6日 - 2003年(平成15年)1月6日)は日本の陸軍軍人、評論家、作家。本名は宏城(ひろき)。兄は武藤電機創業者の村上稔夫。
遠藤 政夫(えんどう まさお、1923年12月6日 - 19… 遠藤 政夫(えんどう まさお、1923年12月6日 - 1995年11月9日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)。 福岡県甘木市生まれ。旧制福岡高校を経て、1944年、東京帝大法学部卒。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、同年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、同年12月、海軍主計少尉に任官。1945年9月に主計中尉に進んで予備役に編入された。 1947年4月、高等試験行政科試験に合格し、内務省に入省したが、同省の廃止に伴い労働省に転じ、1972年職業訓練局長、1973年職業安定局長を歴任した。1976年12月24日から1977年1月1日まで、事務次官代理を務めた。
齊藤 美規(さいとう みき、1923年12月6日 - 201… 齊藤 美規(さいとう みき、1923年12月6日 - 2012年12月26日)は、昭和・平成期の俳人。本名・克忠(まさなお)。 新潟県西頸城郡下早川村(現・糸魚川市)生まれ。高岡高等商業学校(現・富山大学経済学部)卒。1941年、高岡高等商俳句会で山口花笠の指導を受け俳句を始める。翌年「寒雷」に入会。戦中戦後期の事情により1958年まで中断。1960年、中野弘一の「海峡」入会。1961年、和知喜八の「響焔」入会。1964年、「寒雷」同人。1970年、森澄雄の「杉」創刊同人。1981年、「麓」を創刊・主宰。これに先立ち「寒雷」以外の同人を辞退。同年、第28回現代俳句協会賞受賞。2006年、第6回現代俳句大賞受賞。
河合 邦人(かわい くにと、1923年(大正12年)12月5… 河合 邦人(かわい くにと、1923年(大正12年)12月5日 - 1983年(昭和58年)10月13日)は、日本の実業家、教育者、政治家。河合塾創始者である河合逸治の二男。 広島県世羅郡世羅町出身。1943年名古屋高等商業学校(現名古屋大学経済学部)卒業。高校教師を経て、戦後間も無く父・逸治を助け河合塾の経営に参画。また広島県東広島市の喜久牡丹酒造専務を兼任、のち社長も歴任した。さらに1963年4月に広島県議会議員に初当選(通算4期務めた後、5期目の任期中に病死)。翌1964年、父の後を継ぎ河合塾理事長に就任。当時、名古屋市内に2つだけだった塾を予備校の他、外国語専門学校など積極経営で拡張、のちに河合塾経営に参画した兄・河合斌人と共に1977年、駒場校開校を皮切りに同塾の全国展開を図り三大予備校の1つに育てあげた。
本田 精一(ほんだ せいいち、1923年12月3日 - 20… 本田 精一(ほんだ せいいち、1923年12月3日 - 2019年6月23日)は、日本の実業家。 福岡県に生まれる。1941年、福岡県中学修猷館を経て、1950年、九州大学経済学部を卒業し日産火災海上に入社。 1973年6月、同社取締役となり福岡支店長、1974年6月大阪支店長、1977年7月常務、1978年11月専務、1980年7月副社長を経て、1981年7月社長に就任する。1989年6月相談役、1994年6月顧問となる。
佐川 美代太郎(さがわ みよたろう、1923年12月1日 -… 佐川 美代太郎(さがわ みよたろう、1923年12月1日 - 2009年10月30日)は日本の漫画家、絵本作家。本名、小林 仁(こばやし じん)。 茨城県真壁郡真壁町(現在の桜川市)に生まれる。茨城県立下妻中学校(現在の茨城県立下妻第一高等学校)を経て、弁護士を目指し中央大学法学部に入学。在学中の1943年に学徒出陣し、陸軍少尉として朝鮮で終戦を迎えた。復員後、大学に復学したが、「これからは経済の時代だ」として、法学部から商学部に転部した。 大学卒業後、電機メーカーを経て、卸売会社・ぬ利彦で経理の仕事につく。1952年より、社業のかたわら、自由出品制の美術展「読売アンデパンダン展」に漫画の投稿を開始。
永井 洋二郎(ながい ようじろう、1923年11月30日 -… 永井 洋二郎(ながい ようじろう、1923年11月30日 - 2018年4月25日)は、秋田県出身のプロ野球選手(捕手)。 秋田中学(現・秋田県立秋田高校)時代は、第27回全国中等学校優勝野球大会が日中戦争の激化により中止されるなど甲子園出場はなし。専修大学を経て1949年に読売ジャイアンツに入団。同年2試合に出場するも、翌1950年に引退。 2018年4月25日に老衰のため死去。