スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
白石 豊土(しらいし とよと、男性、1986年3月8日 - … 白石 豊土(しらいし とよと、男性、1986年3月8日 - )は、日本のプロボクサー。福岡県北九州市戸畑区出身。協栄ボクシングジム所属。福岡県立小倉西高等学校卒業。 2005年6月28日、プロデビュー戦では若木忍(協栄札幌赤坂)を相手にドローに終わった。同年10月17日、プロ2戦目の桃井誉雄(ミナノ)との4回戦に判定で初勝利。2006年9月29日、第63回東日本フライ級新人王トーナメント準決勝で第54代日本フライ級チャンピオン村中優に4R判定で初黒星を喫した。同年12月18日、ジェット勇(F・I)との6回戦ではフルマークの判定勝利を収めた。 2007年の1年間はバンタム級相当での試合が続き、年明けからは3連続KO勝利を収めたが、10月31日に行なわれた第20回KSD杯争奪A級トーナメントバンタム級決勝戦で、後のWBC世界バンタム級王者山中慎介(帝拳)に敗れた。
浮城 智和(うきしろ ともかず、1976年 11月25日- … 浮城 智和(うきしろ ともかず、1976年 11月25日- )は、福岡県北九州市出身の実業家。インターネットにおける家具・インテリアの通信販売会社で、「LOWYA(ロウヤ)」を筆頭に、楽天市場、Yahooショッピング、Amazonにて運営する株式会社ベガコーポレーションの創業者。
竹林 紀雄(たけばやし のりお、1958年2月12日 - )… 竹林 紀雄(たけばやし のりお、1958年2月12日 - )は、日本のテレビ演出家、TVプロデューサー、放送作家。特に、ドキュメンタリーの構成・演出に定評がある。文教大学情報学部メディア表現学科長・教授、文教大学大学院情報学研究科教授、文化庁芸術祭執行委員、日本映画監督協会理事、湘南総合研究所所長。 福岡県小倉市(現・北九州市小倉北区)生まれ。大学入学のために上京した1979年春より、自主映画制作団体 『都会村』を設立・主宰し、8ミリ映画の制作を始める。1981年より2年間、イメージフォーラム付属映像研究所で、松本俊夫、金井勝、かわなかのぶひろ、鈴木志郎康、萩原朔美、松田政男、そして寺山修司などから、実験映画を中心にアートとしての映像表現を学ぶ。
パンチみつお(1954年3月27日 - )は、日本のお笑いタ… パンチみつお(1954年3月27日 - )は、日本のお笑いタレント。本名:小池 三生(こいけ みつお)。 福岡県北九州市小倉出身。福岡県立小倉西高等学校出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。血液型O型。
草刈 正雄(くさかり まさお、1952年〈昭和27年〉9月5… 草刈 正雄(くさかり まさお、1952年〈昭和27年〉9月5日 - )は、日本の俳優、モデル、歌手、司会者、タレント。 福岡県京築地域(現:行橋市)生まれ、同県小倉市(現:北九州市小倉北区)昭和町出身。身長185cm、血液型はO型。左利き。自身の個人事務所であるバービィオフィス所属。 1969年、17歳で上京し、1970年にCMディレクター・杉山登志に起用される形で資生堂専属モデルとなった。MG5のCMで団次郎の弟分としてデビューし、すぐに売れっ子モデルとなる。デビュー当初から甘いルックスと軽快な語り口で人気を得て、1971年~1973年には音楽番組『資生堂・サンデーヒットパレード』で、和田アキ子・大石吾朗と共に司会も担当2年余りのファッションモデルを務めた後、1973年のドラマ『トリプル捜査線』(フジテレビ系)で俳優へ転向した。
高橋 和夫(たかはし かずお、1951年10月15日 - )… 高橋 和夫(たかはし かずお、1951年10月15日 - )は、日本の国際政治学者。専門は、国際政治学、中東研究。放送大学名誉教授、先端技術安全保障研究所 (GIEST)会長 。 福岡県小倉市(現在の北九州市小倉北区)に呉服屋の四男として生まれる。西南女学院短期大学部附属シオン山幼稚園、北九州市立到津小学校、北九州市立思永中学校、福岡県立小倉西高等学校、大阪外国語大学外国語学部ペルシャ語科卒業。1976年コロンビア大学大学院修了(修士論文「エジプトーイラン関係」、国際関係論修士)。1979年、コロンビア大学哲学修士。コロンビア大学大学院博士課程単位取得(1979年)。 イラン国王(皇帝)財団奨学生としてイランへ留学する予定であったが、イラン革命の影響で断念し帰国。
福田 仁一(ふくだ じんいち、1946年3月2日 - )は、… 福田 仁一(ふくだ じんいち、1946年3月2日 - )は、日本の歯学博士、九州歯科大学元理事長(元学長)。 福岡県小倉市(現・北九州市)出身。福岡県立小倉西高等学校から九州歯科大学に進み、同大学院歯学研究科(口腔外科学専攻)修了。1975年歯学博士。学位論文の題は 「幼若犬永久歯歯胚および周囲組織に対するBetatron電子線限局照射の影響に関する実験的研究 」。九州歯科大学助手、スイス・バーゼル大学在外研究員、福岡大学医学部助教授を経て九州歯科大学教授。1999年附属病院長、2002年学長に就任。専門は口腔外科で、文部科学省、厚生労働省の各種委員を務めるほか、九州歯科学会会長、日本口腔外科学会理事長などの要職にある。
内山 文治(うちやま ふみはる、1941年4月12日 - 2… 内山 文治(うちやま ふみはる、1941年4月12日 - 2026年2月5日)は、日本の実業家。ウチヤマホールディングス創業者・代表取締役会長。 福岡県北九州市小倉南区の平尾台近くで生まれる。家業は弁天町の内山米穀店。福岡県立小倉西高等学校卒業後、家業を継ぐ。1971年から不動産事業に進出。住専問題を受け、バブル崩壊前後の1991年からカラオケ事業に進出。1995年からは飲食事業も展開。2006年には子会社を飲食・カラオケ事業のボナーと、介護事業のさわやか倶楽部に再編し、ウチヤマホールディングスを設立。同社代表取締役社長に就任。2012年にジャスダック上場。2013年には東京証券取引所市場第二部に上場し、2014年に東京証券取引所市場第一部への市場変更を果たした。
村田 康一(むらた こういち、1936年11月27日 - )… 村田 康一(むらた こういち、1936年11月27日 - )は、福岡県小倉市(現:北九州市)出身の元プロ野球選手・プロ野球審判員。元パシフィック・リーグ審判部長。 福岡県立小倉西高等学校卒業後の1955年、同じ福岡県出身で近鉄に所属していた原勝彦の誘いで近鉄パールスに捕手として入団。二軍暮らしが長かったが徐々に力を付け、1961年には一塁手に回った竹下光郎の後継としてレギュラーを獲得、68試合に先発マスクを被る。しかし翌1962年には移籍入団の吉沢岳男に定位置を譲り、1964年限りで現役引退。その後2年間は近鉄の合宿所寮長兼二軍マネージャーを務める。 近鉄時代のチームメイトだった加藤昌利や斎田忠利の紹介で1967年、パシフィック・リーグ審判部入局。
宇山 翠(うやま みどり、筆名・内村 幹子、1923年12月… 宇山 翠(うやま みどり、筆名・内村 幹子、1923年12月9日-2014年12月5日)は、日本の小説家。北九州市森鷗外記念館理事。 福岡県小倉市(現北九州市小倉南区)生まれ。小倉高等女学校(現福岡県立小倉西高等学校)卒業。大学職員、市役所職員などとして働く傍ら、「製鉄文化」「九州作家」などの同人誌にて活動。 1979年「冬の蛾」で第10回九州芸術祭文学賞地区優秀作。1985年「いちじく」で第9回神戸女流文学賞受賞。1986年「今様ごよみ」で第10回歴史文学賞受賞。1994年北九州市民文化賞受賞。
斎藤 史(齋藤史、さいとう ふみ、1909年〈明治42年〉2… 斎藤 史(齋藤史、さいとう ふみ、1909年〈明治42年〉2月14日 - 2002年〈平成14年〉4月26日)は、日本の歌人。東京市四谷区生まれ。福岡県立小倉高等女学校(現・福岡県立小倉西高等学校)卒業。 歌人の父の影響で早くから作歌を始め、佐佐木信綱に師事。モダニズム短歌から出発し、内省を深めることで独自の歌風を構築した。歌集に『魚歌』(1940年)、『ひたくれなゐ』(1976年)などがある。 父齋藤瀏は陸軍少将で、佐佐木信綱主宰の歌誌「心の花」所属の歌人でもあった。父は「史子」と出生届を提出したが、戸籍係が間違えて「史」と登録してしまった。17歳の時、若山牧水に勧められて作歌をはじめ、18歳から「心の花」に作品を発表するようになる。
東條 かつ子(とうじょう かつこ、1890年〈明治23年〉1… 東條 かつ子(とうじょう かつこ、1890年〈明治23年〉10月8日 - 1982年〈昭和57年〉5月29日)は、第40代内閣総理大臣・東條英機の妻。夫の英機との間に7人の子供を儲けた。 生涯に渡って本人が用いた署名は「かつ子」。戸籍名はカツ。通称は勝子。 国防婦人会副会長を務めた。 かつ子は福岡県田川郡安真木村(現在の川崎町)の出身で、地元の長者の伊藤万太郎の娘として生まれる。幼少時から向学心が強かった。小倉高等女学校(現:福岡県立小倉西高等学校)在学中は、小倉の萬徳寺(英機の母・千歳の実家。伊藤家の遠縁でもあった。)に下宿していた。小倉高女を卒業すると、明治時代の女性にとっての最高レベルの教育を受けるべく、1906年(明治39年)に、日本女子大学校(現:日本女子大学)国文科に入学のため上京。