山口 剛彦(やまぐち たけひこ、1941年〈昭和16年〉12… 山口 剛彦(やまぐち たけひこ、1941年〈昭和16年〉12月30日 - 2008年〈平成20年〉11月17日)は、日本の厚生官僚。正四位瑞宝重光章。厚生事務次官、社会福祉・医療事業団理事長、独立行政法人福祉医療機構理事長を歴任した。元厚生事務次官宅連続襲撃事件で妻とともに殺害された。 東京府東京市杉並区阿佐ヶ谷(現・東京都杉並区阿佐ヶ谷)に生まれる。父は日本国有鉄道幹部職員。 東京都杉並区立杉並第七小学校、同阿佐ヶ谷中学校、東京都立西高等学校、東京大学法学部卒業後、1965年(昭和40年)、厚生省(後の厚生労働省)入省。大臣官房総務課配属。入省同期に羽毛田信吾(宮内庁長官)など。 1967年(昭和42年)、厚生省環境衛生局環境衛生課主査。
渡 哲也(わたり てつや、1941年〈昭和16年〉12月28… 渡 哲也(わたり てつや、1941年〈昭和16年〉12月28日 - 2020年〈令和2年〉8月10日)は、日本の俳優、演歌歌手、タレント、実業家。本名、渡瀬 道彦(わたせ みちひこ)。 島根県生まれ、兵庫県淡路島出身。株式会社石原プロモーション第2代代表取締役社長、相談取締役。実弟は俳優の渡瀬恒彦。 島根県能義郡安来町(現・安来市)生まれ。父親は日立に勤務して広島県呉市の軍需工場などを転々とし、日立の安来工場に勤務していた時に当地出身の渡の母と結婚していた。戦時中の1943年、父親は任地の日立呉工場を退職し、実家がある兵庫県津名郡淡路町(現:淡路市)に戻り洋品店を開業、小学校一年生途中から淡路島で育った。
比嘉 照夫(ひが てるお、1941年12月28日 - )は、… 比嘉 照夫(ひが てるお、1941年12月28日 - )は、沖縄県出身の株式会社EM研究機構の元代表取締役会長兼社長、農学博士。園芸家。「EM技術」の開発者。琉球大学農学部農学科を卒業後、九州大学大学院農学研究科博士課程修了。2022年、瑞宝中綬章受章。 この他にも国や県などの各種委員を多数歴任した。
太田 義勝(おおた よしかつ、1941年12月28日 - )… 太田 義勝(おおた よしかつ、1941年12月28日 - )は、日本の実業家。ミノルタ代表取締役社長を経て、コニカミノルタホールディングス取締役代表執行役社長や、同社取締役会議長を務めた。 京都府出身。1964年同志社大学法学部卒業、ミノルタカメラ(のちのミノルタ)入社。1987年複写機事業部複写機営業部長。1991年取締役複写機事業部長兼複写機営業部長。1994年情報機器事業統括本部長兼情報機器営業本部長。1995年常務取締役。 1999年からミノルタ代表取締役社長を務め、コニカとの経営統合を行い、2003年持株会社となったコニカミノルタホールディングスの取締役代表執行役副社長及び事業子会社のコニカミノルタビジネステクノロジーズ代表取締役社長に就任。
二橋 正弘(ふたはし まさひろ、1941年12月27日 - … 二橋 正弘(ふたはし まさひろ、1941年12月27日 - )は、日本の官僚。元内閣官房副長官(事務担当)、元自治事務次官。 富山県出身。高岡高校を経て、東京大学法学部卒業後の1964年 自治省に入省。静岡県副知事、自治省財政局長などを経て、1999年自治省最後の事務次官に就任。2003年9月から第1次小泉内閣第2次改造内閣以降の小泉内閣で内閣官房副長官(事務担当)を務めた。2006年9月の安倍内閣発足、的場順三の起用に伴い退任するが、2007年9月発足した福田康夫内閣で再起用される。経験者の再起用は異例。 2008年9月発足の麻生内閣発足に伴い退任、財団法人自治総合センター理事長に復帰した。
越宗 孝昌(こしむね たかまさ、1941年12月27日 - … 越宗 孝昌(こしむね たかまさ、1941年12月27日 - )は、日本の経営者。山陽新聞社社長を務めた。 岡山県出身。1965年に関西学院大学社会学部を卒業し、同年に山陽新聞社に入社。1998年2月に取締役、2000年2月に常務、2004年2月に専務を経て、2006年12月には社長に就任。2014年6月に会長に就任。 2021年4月に旭日重光章を受章。
玉田 勝郎(たまだ かつろう、1941年12月26日 - )… 玉田 勝郎(たまだ かつろう、1941年12月26日 - )は、日本の教育学者。関西大学名誉教授。専門は教育学、人権教育論、生活教育論。 兵庫県生まれ。1971年、名古屋大学大学院教育学研究科博士課程修了。大阪府科学教育センター、兵庫県立湊川高等学校(定時制)を経て、関西大学文学部教授。2005年、兵庫県在日外国人教育研究協議会会長。2012年3月、定年退官。
橋本 功(、1941年12月26日 - 2000年2月12日… 橋本 功(、1941年12月26日 - 2000年2月12日)は、日本の俳優。千葉県市川市出身。本名は同じ。 俳優座養成所(第12期生)卒業後、俳優座に入団。 1966年放送のテレビドラマ『若者たち』の佐藤次郎役が当たり役となり以後、テレビドラマや映画において人情味溢れた善人役から悪役まで多彩な演技をこなし、貴重な脇役として活躍した。 2000年2月12日、食道癌のため松戸市内の病院にて死去、58歳。
加瀬 忠(かせ ただし、1941年12月25日 - )は、日… 加瀬 忠(かせ ただし、1941年12月25日 - )は、日本の教育家、元陸上選手。元マドリッド日本人学校校長、元スペイン・フェリペII世大学翻訳学部PROFESOR。千葉県銚子市出身。 加瀬は、1961年箱根駅伝に憧れて東洋大学経済学部に入学し、現役時代はキャプテンとしてチームをまとめた。2年時には箱根駅伝にも出場している(第38回大会:8区区間7位)。その後、1966年~1974年、東洋大学陸上競技部箱根駅伝チームのコーチ、監督として黎明期の東洋大学箱根駅伝チームを佐々木秀幸と共に指導する。 1994年、文部省の派遣で、スペイン・マドリッド日本人学校校長として赴任し、在外教育施設の管理・運営にあたる。
仲川 幸成(なかがわ ゆきなり、1941年(昭和16年)12… 仲川 幸成(なかがわ ゆきなり、1941年(昭和16年)12月24日 - )は、日本の政治家。前狭山市長(3期)。元狭山市議会議員(4期)。 2003年6月19日、町田潤一市長が死去、これに伴う狭山市長選挙が7月20日告示、27日投開票の日程で行われる事となった。市議会議長であった仲川は7月2日に出馬を表明。町田佐一・町田潤一の父子二代の市長にわたって続いた町田後援会は町田家及び後援会からの後継者擁立はしないことを決め、仲川支援を表明。11日には自由民主党埼玉県連合会が推薦を決定し、続いて公明党、連合埼玉も推薦を決めた。木下博入間市長、齋藤博所沢市長等周辺市の首長も仲川支持を表明した。日本共産党推薦を受けた元埼玉県議会議員・元狭山市議会議員の飯島邦男と選挙を戦ったが、「入間市との合併」「狭山市駅西口再開発事業推進」「行財政改革」を公約に掲げた仲川は26,940票を獲得して当選した。
茂木 雅博(もぎ まさひろ、1941年(昭和16年)12月2… 茂木 雅博(もぎ まさひろ、1941年(昭和16年)12月24日 - )は、日本の考古学者。茨城大学名誉教授。元土浦市立博物館館長。学位は、博士(歴史学)。
中津 文彦(なかつ ふみひこ、1941年12月23日 - 2… 中津 文彦(なかつ ふみひこ、1941年12月23日 - 2012年4月24日)は、日本の小説家。 岩手県一関市出身。本名は廣嶼文彦(ひろしま ふみひこ)。岩手県立一関第一高等学校、学習院大学政経学部卒業。ペンネームの由来は、家の傍に中津川が流れていたことから。 岩手日報社で報道記者として務めていた1982年、『黄金の砂(出版時は『黄金流砂』に改題)』で第28回江戸川乱歩賞を受賞した。その後、退社して作家活動に専念する。1985年には『七人の共犯者』で第12回角川小説賞を受賞した。 2012年4月24日、肝不全により逝去。70歳没。
大幸 甚(おおさか じん、1941年(昭和16年)12月23… 大幸 甚(おおさか じん、1941年(昭和16年)12月23日 - )は、日本の政治家。石川県議会議長等を経て、加賀市の初代市長を務めた。 石川県江沼郡大聖寺町本町生まれ。石川県立小松高等学校を経て、専修大学法学部卒業。代議士秘書を経て、29歳で加賀市議会議員に初当選。1975年石川県議会議員(自由民主党)に初当選し、爾後6期務め石川県議会議長にも選出された。1999年加賀市長。2003年再選。加賀市・山中町合併協議会会長として平成の大合併にあたり、2005年には合併後の新制加賀市の初代市長に当選した。
新井 英治(あらい えいじ、1941年12月23日 - )は… 新井 英治(あらい えいじ、1941年12月23日 - )は、日本のトロンボーン奏者。スタジオ・ミュージシャン。広島県広島市出身。 武蔵野音楽大学在学中にプロとしてデビューする。 東京ユニオン、ニューブリード等のバンド活動を経て、1969年からフリーの音楽家としてコンサートや公演等への参加を開始する。主に1970年代から80年代にかけては、スタジオ・ミュージシャンとして膨大な数のレコーディングに参加するようになる。また、トロンボーン音楽教室やビッグバンドのコーチなども積極的に行っている。ほか、東京ディズニーランドの音楽監督や「夜のヒットスタジオ」の音楽監督および指揮、アレンジ等も担当している。 演奏家のあいだでは″チャンピオン″の愛称で知られる。
牧野 忠昌(まきの ただまさ、昭和16年(1941年)12月… 牧野 忠昌(まきの ただまさ、昭和16年(1941年)12月22日 - )は、越後長岡藩牧野家の第17代当主(現当主)。牧野忠永の長男。長岡市立科学博物館名誉館長。子に牧野忠慈。 昭和39年(1964年)、近畿大学農学部水産学科卒業。魚類の生態に深く興味を持ち、農林水産省水産庁に昭和41年(1966年)から平成9年(1997年)に退職するまで31年間勤務した。この間に沖縄開発庁や科学技術庁に出向となったこともある。平成21年(2009年)6月20日・21日に行われた「第8回全国藩校サミットin長岡」で実行委員長を務めた。現在、柏友会名誉会長、霞会館伝統文化財委員、衣紋道研究会会長、いわし食用文化協会専務理事などを務めている。
竹中 登一(たけなか とういち、1941年12月21日 - … 竹中 登一(たけなか とういち、1941年12月21日 - )は、日本の実業家、獣医師、医学博士。アステラス製薬代表取締役社長CEO、同社代表取締役会長、日本製薬団体連合会会長、筑波大学連携大学院基礎医学系客員教授、東京大学大学院薬学系研究科特任教授等を歴任した。旭日重光章、紫綬褒章受章。 愛知県刈谷市生まれ。愛知県立刈谷高等学校を経て、1964年岐阜大学農学部獣医学科卒業、獣医師免許取得、山之内製薬(現アステラス製薬)中央研究所薬理研究員。1980年東邦大学医学博士。2006年岐阜大学名誉博士。 1993年山之内製薬取締役創薬研究本部長。1997年常務取締役創薬研究本部長兼研究開発本部長。1999年専務取締役(経営企画・海外事業担当)。
海保 宣生(かいほ のぶお、1941年12月21日- 201… 海保 宣生(かいほ のぶお、1941年12月21日- 2015年4月19日)は、東京都出身の元バスケットボール選手、スポーツ指導者。元バスケットボール男子日本代表。 日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に所属するサッカークラブである鹿島アントラーズ及びモンテディオ山形の運営会社幹部を務めていたことでも知られる。 東京都出身。立教大学経済学部経済学科を卒業後、住友金属工業(現・日本製鉄)に入社。籠球団(バスケットボール部)に所属し、1964年東京オリンピックのバスケットボール競技において日本代表チームの一員として活躍した。現役引退後は立教大学体育会バスケットボール部の監督を経て住友金属の監督も歴任した。
蛭田 史郎(ひるた しろう、1941年12月20日 - )は… 蛭田 史郎(ひるた しろう、1941年12月20日 - )は、日本の実業家。旭化成代表取締役社長、オリンパス取締役会議長、石油化学工業協会会長、日韓経済協会副会長等を歴任した。 福島県いわき市出身。福島県立磐城高等学校を経て、1964年横浜国立大学工学部応用化学科卒業、旭化成工業(現旭化成)入社。エンジニアリング樹脂工場長、レオナ工場長等を経て、1997年取締役。1999年常務取締役。2001年専務取締役。2002年取締役副社長。 山口信夫会長の指名により2003年に旭化成代表取締役社長に昇格し、持株・分社化やグローバル展開などを進めたが、やがて社内で絶対的な権力を握っていた山口と対立するようになり2010年に社長及び取締役を退任し最高顧問となった。
田中 博司(たなか ひろし、1941年(昭和16年)12月2… 田中 博司(たなか ひろし、1941年(昭和16年)12月20日 - )は、日本のフィールドホッケー選手。 1964年東京オリンピックと1968年メキシコシティーオリンピックに出場した。
菅原 哲夫(すがわら てつお、1941年12月20日 - )… 菅原 哲夫(すがわら てつお、1941年12月20日 - )は、元中京テレビ放送のアナウンサー。愛知県名古屋市出身。愛知学院大学卒業。血液型B型。 大学卒業後、岐阜放送に入社。同局で7年間アナウンサーを務めた後、1971年に当時まだ開局から2年が過ぎたばかりの中京テレビへ移籍した。 2001年12月に定年を迎えて退職したが、定年退職後も一部の番組でナレーターを務めていた。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。 Category:中京テレビのアナウンサー
田端 泰子(たばた やすこ、1941年12月20日 - )は… 田端 泰子(たばた やすこ、1941年12月20日 - )は、日本の歴史学者。文学博士(京都大学・論文博士・1989年)(学位論文「中世村落の構造と領主制」)。京都橘大学名誉教授、同学長。専門は日本中世史(中世後期の村落構造)・女性史。 兵庫県神戸市生まれ。1964年京都大学文学部卒業、同大学院博士課程中退、橘女子大学助教授、1980年教授、校名変更で1988年京都橘女子大学教授、1989年「中世村落の構造と領主制」で文学博士(京都大学)の学位を取得。2004年より学長、2005年校名変更で京都橘大学学長。2010年退任、名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
タイガー立石(タイガー たていし、1941年12月20日 -… タイガー立石(タイガー たていし、1941年12月20日 - 1998年4月17日)は、日本の画家、漫画家、絵本作家、陶芸家。本名、立石紘一(たていし こういち)。 筑豊の伊田町(現福岡県田川市)に生まれる。戦後復興から高度成長期の時代に少年期を過ごし、映画や昭和歌謡などに囲まれて過ごした。武蔵野美術短期大学への進学・上京を期に美術活動を開始する。最初は本名で活動し、1963年の読売アンデパンダン展でデビュー。画家中村宏と「観光芸術協会」を結成、わずか2年で解散するも中村とともにアバンギャルドな作風と活動方針(雑踏の中で自作を掲げて歩く路上歩行展など)で一時代を築いた。この時代の立石は和製ポップアートの先駆けと評される。
福田 富昭(ふくだ とみあき、1941年12月19日 - )… 福田 富昭(ふくだ とみあき、1941年12月19日 - )は、日本の実業家(会社社長)。アマチュアスポーツとプロスポーツの組織者。 国際レスリング連盟(FILA)副会長。公益財団法人日本オリンピック委員会(JOC)副会長を経て現在名誉委員および2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会評議員、文部科学省五輪対策チーム実行委員長。「美しい日本の憲法をつくる国民の会」代表発起人。雑誌出版・不動産仲介業の日本メディア・ミックス(株)取締役。株式会社パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス社外取締役。 日本オリンピック委員会副会長として、旧竹田宮家の竹田恒和同委員会会長(竹田恒泰の父)を補佐していた。
吉川 恒夫(よしかわ つねお、1941年 (昭和16年) 1… 吉川 恒夫(よしかわ つねお、1941年 (昭和16年) 12月19日 - )は、日本のロボット研究者。工学博士(京都大学)、京都大学名誉教授。ロボットマニピュレータの可操作性 (Manipulability) や動的ハイブリッド制御の提唱者。著書『ロボット制御基礎論』は評価が高く、英語版に相当する“Foundations of Robotics”も世界で読まれている。 京都大学助手、NASAマーシャル宇宙飛行センターNRC準研究員、助教授、教授、立命館大学教授、 同大学 総合科学技術研究機構 チェアプロフェッサー、日本ロボット学会会長などを歴任し、2013年より立命館大学総合科学技術研究機構 上席研究員。
李 明博(イ・ミョンバク、日本語読み:り めいはく、韓国語:… 李 明博(イ・ミョンバク、日本語読み:り めいはく、韓国語: 이명박、1941年12月19日 - )は、韓国の政治家。第14代国会議員、ソウル特別市長及び大韓民国第17代大統領を歴任した。本貫は慶州李氏。族譜名は李相定(이상정)、号は一松(イルソン、일송)。大阪府出身である。日本名は月山 明博(つきやま あきひろ)。日本統治時代生まれた最後の韓国大統領である。 大阪府出身。日本の降伏に伴い日本から朝鮮へ引き上げた後に苦学して大学を卒業。当時草創期にあった現代グループの現代建設に入社し、頭角を現して36歳で社長に就任。 退職後は経済界から転身して政界入りし、新韓国党とハンナラ党に所属。1992年から二代に渡って国会議員を務め、2002年、ソウル市長就任後は都市改造政策等を行った。
畔柳 信雄(くろやなぎ のぶお、1941年12月18日 - … 畔柳 信雄(くろやなぎ のぶお、1941年12月18日 - )は、日本の銀行家、三菱UFJ銀行特別顧問。元サッカー選手。三菱UFJフィナンシャル・グループ社長、池田泉州ホールディングス取締役などを歴任した。東京大学経済学部卒。 東京都文京区出身。中学時代よりサッカーを始め、東京教育大学附属高校(現:筑波大学附属高校)時代 は国民体育大会でベスト4の成績を残した。東京大学経済学部時代はア式蹴球部に所属した。 1965年に東大を卒業して、三菱銀行に入行。入行後は同行サッカー部に所属して35歳まで現役であった。なお、同期に元三菱商事副社長の有若、帝京大学経済学部教授の荒井らがいた。 東京三菱銀行ではシステム統合担当取締役だったこともあって、ITに強いと云われ、マサチューセッツ工科大学 (MIT) 留学時は邦人との交流を断ち、米国人らとの人脈を築いたとされる。
岩井宜子(いわい よしこ、1941年12月18日- )は、日… 岩井宜子(いわい よしこ、1941年12月18日- )は、日本の法学者、弁護士、専修大学名誉教授。 神戸市生まれ。1960年兵庫県立神戸高等学校卒業、1964年東京大学法学部卒業、東京大学法学部助手、1967年法務総合研究所研究官補、1972年弁護士登録、1977年神奈川大学短期大学部助教授、1982年金沢大学法学部助教授、1984年教授、1994年専修大学法学部教授、2004年同法務研究科教授。2012年定年退任、名誉教授。
上野 隆紘(うえの たかひろ、1941年〈昭和16年〉12月… 上野 隆紘(うえの たかひろ、1941年〈昭和16年〉12月18日 - )は、日本のアナウンサー。元中国放送(RCC)アナウンサー。忠犬ハチ公の飼い主である上野英三郎の親戚にあたる。血液型はA型。 三重県津市(旧:久居市)出身。日本大学芸術学部放送学科卒。ラジオ三重(かつて存在した三重県の放送局。現在の東海ラジオ放送の前身)で局アナを務めた後、1965年中国放送(当時はラジオ中国)に入社。現場にこだわり約30年間にわたって広島市民球場から広島東洋カープの模様をラジオ・テレビの視聴者に届けた。ラジオ・テレビの実況の回数はRCC最多記録であり、1975年、カープが初優勝した時のラジオ実況も務めた。広島市民球場は昔はグラウンドの水はけが悪く、大雨の日に実況席の入口まで浸水することもあり、解説を務めたカープ初代監督・石本秀一をおんぶして浸水してないところまで運んだこともある。
大熊 元司(おおくま もとし、本名同じ、1941年12月18… 大熊 元司(おおくま もとし、本名同じ、1941年12月18日 - 1992年12月27日)は、日本のプロレスラーおよび大相撲力士。埼玉県草加市出身。 大相撲時代は崎錦(さきにしき)の四股名で伊勢ヶ濱部屋に所属、最高位は幕下93枚目。プロレス転向後は中堅のラフファイターとして活躍した。愛称は「クマさん」。 中学校卒業後に大相撲の伊勢ヶ濱部屋へ入門し、1957年5月場所に大熊の四股名で初土俵を踏んだ。1958年11月場所から四股名を崎錦と改名したが伸び悩んでしまい、1962年5月場所をもって廃業した。大相撲を廃業して間もない同年5月に日本プロレスへ入門し、1ヶ月後の6月5日に名古屋市金山体育館大会で北沢幹之を相手にデビューを果たす。
藤山 陽子(ふじやま ようこ、1941年12月17日 - )… 藤山 陽子(ふじやま ようこ、1941年12月17日 - )は、日本の映画女優。東宝専属で1960年代に活躍した。神奈川県横浜市金沢区金沢八景出身。身長161cm。愛称はおふじ。
伊東 孝之(いとう たかゆき、1941年12月17日 - )… 伊東 孝之(いとう たかゆき、1941年12月17日 - )は、日本の国際政治学者。北海道大学名誉教授。早稲田大学名誉教授。専門は国際関係論、比較政治学、ポーランドを中心とした東欧地域研究。 日英露波独の5か国語を操り、同時通訳も可能であることで知られている。他に仏語も解する[要出典]。 門下生に旧ユーゴ地域研究の久保慶一がいる。 東大で斉藤孝に師事する
麻生 直子(あそう なおこ、1941年12月16日 - )は… 麻生 直子(あそう なおこ、1941年12月16日 - )は、日本の詩人。本名、村田千佐子(旧姓、深谷)。夫は詩人の村田正夫。 北海道奥尻島生まれ。奥尻町立奥尻小学校卒業後離島し、江差中学校、北海道江差高等学校を経て、北海道函館西高等学校卒業。1960年より東京在住。1970年に村田正夫主宰の詩誌「潮流詩派」に拠る。日本現代詩人会、日本文藝家協会所属。 全国詩誌『詩と思想』(土曜美術社出版販売)の編集委員、日本現代詩人会の「H氏賞」「現代詩人賞」選考委員などを歴任。2007年詩集『足形のレリーフ』で第40回日本詩人クラブ賞を受賞。2018年詩集『端境の海』で第52回北海道新聞文学賞を受賞。村田正夫没後は、詩誌「潮流詩派」の代表を引き継いでいる。
檀 克義(だん かつよし、1941年12月16日 - )はロ… 檀 克義(だん かつよし、1941年12月16日 - )はローランドの元会長。 旧朝鮮・裡里に生まれる。三池高校卒業。昭和47年ローランド入社。平成元年取締役国内営業部長、6年常務、7年専務を経て、8年社長に就任。11年東証・大証第一部に上場。17年会長。 2010年6月18日、顧問(取締役相談役)。
田岡 俊次(たおか しゅんじ、1941年12月16日 - )… 田岡 俊次(たおか しゅんじ、1941年12月16日 - )は、日本のジャーナリスト、軍事評論家。血液型はO型。京都府京都市左京区出身。
田代 正明(たしろ まさあき、1941年12月16日 - )… 田代 正明(たしろ まさあき、1941年12月16日 - )は、日本の経営者。大京社長を務めた。佐賀県出身。 1965年に関西学院大学経済学部を卒業し、同年にオリエント・リース(現在のオリックス)に入社。1998年に執行役員に就任し、2002年に常務、2004年に専務を経て、2005年5月に大京社長に就任。2010年6月に退任。
山口 東一(やまぐち とういち、1941年12月15日 - … 山口 東一(やまぐち とういち、1941年12月15日 - )は、日本の元陸上競技選手。専門は中距離走。 1964年東京オリンピックに1500メートル競走で出場した 。 中央大学で2年次(第43回)と4年次(第45回)に、箱根駅伝に出場した。
浦田 健次郎(うらた けんじろう、1941年12月15日 -… 浦田 健次郎(うらた けんじろう、1941年12月15日 - 2022年12月25日)は、日本の作曲家。東京都出身。 1964年東京芸術大学音楽学部器楽科(トロンボーン専攻)卒業。1969年同大作曲科卒業、1973年同大大学院修士課程修了。1975年より東京芸術大学音楽学部作曲科にて指導にあたり、2009年3月定年により退官。1969年、日本吹奏楽指導者協会作曲賞受賞。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。
昭和 精吾(しょうわ せいご、本名:鎌田 賢、1941年12… 昭和 精吾(しょうわ せいご、本名:鎌田 賢、1941年12月14日 - 2015年8月29日)は、日本の俳優、演出家。昭和精吾事務所設立者。満州生まれ。 昭和16年(1941年)12月14日、満洲の大日本帝国陸軍大佐であった父の官舎で誕生。終戦間際、父の実家に引き揚げ、秋田県大館市の農家で育つ。県立大館鳳鳴高校卒業後上京、演劇の道へと進む。 1967年、劇団東俳演劇研究所に入所。のち東映演劇研究所に移籍。高倉健主演『網走番外地』シリーズ、渥美清主演『初詣列車』、日本テレビの東映刑事物のドラマにチンピラ等で出演。 1969年、寺山修司の演劇実験室◎天井桟敷に入団。主に詩をマイクで語るマイクアジテーションを担当。
森 詠(もり えい、1941年12月14日 - )は、日本の… 森 詠(もり えい、1941年12月14日 - )は、日本の小説家、ジャーナリスト。 日本文藝家協会理事(2012年より)。日本ペンクラブ会員。 代表作は架空戦記『燃える波濤』(徳間書店)。 東京府生まれ。栃木県立黒磯高等学校、東京外国語大学イタリア語学科を卒業後、「週刊読書人」の記者を経て、フリージャーナリストとして独立。 1971年、『黒い龍』で作家デビュー。以後、世界をまたにかけたスパイ小説、軍事情報小説で人気を博す。 1983年には、日本冒険作家クラブの創設を提唱して実現。1985年には『雨はいつまで降り続く』で第93回直木三十五賞候補となった。その後、警察小説、青春小説、架空戦記などジャンルの幅を広げて活躍。
平野 克明(ひらの かつあき、1941年12月14日 - )… 平野 克明(ひらの かつあき、1941年12月14日 - )は、新潟県出身の元プロ野球選手。 新潟県立柏崎工業高校から社会人野球の新潟電化を経て、1964年に大洋ホエールズ(現:横浜DeNAベイスターズ)に入団。開幕3戦目の先発を任されたが早々にKOされ、以降の登板は1試合に終わり、この1年だけで現役を引退した。
磯崎 康彦(いそざき やすひこ、1941年12月14日- )… 磯崎 康彦(いそざき やすひこ、1941年12月14日- )は、日本の美術史家。福島大学名誉教授。近世日本の蘭画を専門とした。 神奈川県生まれ。横浜国立大学教育学部美術科卒、東京芸術大学大学院修士課程修了。オランダ政府給費生としてアムステルダム自由大学に学び、福島大学教授となる。ハイデルベルク大学客員教授、ベルリン大学客員研究員を歴任。福島大学教授退任後は同大学名誉教授となる。 2007年、「江戸時代の蘭画と蘭書 近世日蘭比較美術史」で東京芸術大学より博士(美術)。
黒岩 常祥(くろいわ つねよし、1941年12月13日 - … 黒岩 常祥(くろいわ つねよし、1941年12月13日 - ) は、日本の生物学者。東京大学名誉教授。元日本植物学会会長。日本学士院会員。文化功労者。日本学士院賞等受賞。 東京市牛込区生まれ。1966年東京都立大学理学部生物学科卒業。1971年東京大学大学院理学系研究科植物学専攻博士課程修了、東京都立アイソトープ総合研究所研究員。 1973年岡山大学理学部生物学科講師。1974年岡山大学理学部生物学科助教授。1977年岡崎国立共同研究機構基礎生物学研究所助教授。1983年岡崎国立共同研究機構基礎生物学研究所教授。1987年東京大学理学部生物学科教授。1991年東京大学理学部附属植物園園長。1992年東京大学総長補佐。
加藤 眞(かとう しん、1941年12月13日 - )は、日… 加藤 眞(かとう しん、1941年12月13日 - )は、日本の実業家、エンジン技術者、レーシングカーデザイナーである。 株式会社サードの会長兼社長、株式会社シグマオートモーティブ会長、株式会社シグマ商事会長。父はトヨタ自動車販売社長加藤誠之。 1941年12月千葉県市川市に生まれる。 1965年日本大学理工学部工業経営学科(現・生産工学部)を卒業し、この当時父誠之()がトヨタ自動車販売で副社長であり「トヨタでもレースをやるようだから、そっちへ行ったらどうか」と入社を勧め、1965年4月トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)に入社し試作課(後に車両試験課に改名)配属となった。トヨタ社員時代の研修で、キャロル・シェルビーの元でレースシリーズに同行しエンジニアリングとレースチーム運営のノウハウを学ぶ。
高橋 紘(たかはし ひろし、1941年(昭和16年)12月1… 高橋 紘(たかはし ひろし、1941年(昭和16年)12月12日 - 2011年(平成23年)9月30日)は、日本のジャーナリスト、皇室研究者。 東京都生まれ。東京都立竹早高等学校、早稲田大学法学部卒業後、1965年(昭和40年)に共同通信社に入社。社会部長・仙台支社長、ラジオ・テレビ局長、取締役事業本部長などを経て退職。同じく皇室関係の著作がある橋本明は上司にあたる。2005年(平成17年)に、小泉政権時代に開かれた「皇室典範に関する有識者会議」にて議題となった皇位継承問題においては女系天皇化を主張していた。2008年(平成20年)まで、静岡福祉大学社会福祉学部教授(専攻は皇室制度、近現代日本史)。
所 功(ところ いさお、1941年(昭和16年)12月12日… 所 功(ところ いさお、1941年(昭和16年)12月12日 - )は、日本の法学者、歴史学者、法制史学者。専門は日本法制史。学位は法学博士(慶應義塾大学・1986年)。京都産業大学名誉教授。公益財団法人モラロジー研究所教授(研究主幹)。麗澤大学比較文明文化研究センター客員教授。京都産業大学日本文化研究所客員教授。皇學館大学特別招聘教授。 岐阜県揖斐郡小島村野中(現・揖斐川町)生まれ。岐阜県立大垣北高等学校では稲川誠一の指導の下、歴史同好会を設立。1964年(昭和39年)に名古屋大学文学部史学科を卒業し、同年皇學館高等学校非常勤講師。1966年(昭和41年)に名古屋大学大学院文学研究科修士課程修了(文学修士・名古屋大学・1966年)。
山本 義隆(やまもと よしたか、1941年(昭和16年)12… 山本 義隆(やまもと よしたか、1941年(昭和16年)12月12日 - )は、日本の科学史家・自然哲学者・教育者。元学生運動家。駿台予備学校物理科講師。元・東大闘争全学共闘会議代表。妻は装幀家の山本美智代。東京大学大学院博士課程中退。 大阪府出身。大阪市立船場中学校、大阪府立大手前高等学校を経て、1960年(昭和35年)東京大学理科一類入学、1964年(昭和39年)東京大学理学部物理学科卒業。 その後、同大学院で素粒子論を専攻、京都大学基礎物理学研究所に国内留学する。秀才でならし、将来を嘱望されていたが、学生運動に没入した。学生運動の後は大学を去り、大学での研究生活に戻ることはなかった。 1960年代、東大ベトナム反戦会議の活動に携わり、東大全共闘議長を務める。
市村俊和(いちむら としかず、1941年(昭和16年)12月… 市村俊和(いちむら としかず、1941年(昭和16年)12月12日 - )は、日本の武道家、合気道家。 1966年から1986年までスウェーデンに住み、同時期にスウェーデンで合気道を指導した。また、デンマークとフィンランドで責任者として、これら3カ国の居合道の発展に貢献し、フィンランドで初めて合気道の演武を行った。1977年に合気会6段、1969年に居合道で錬士6段を修めた。そして武道の教えに関連して、マクロビオティックと言霊についても指導を行った。 1957年に東京にある合気会本部道場で合気道をはじめ、西尾昭二師範に師事した。1961年、東洋大学に進学後、合気道部(当時同好会)の創立に関わる。
酒井 洋子(さかい ようこ、1941年12月11日 - )は… 酒井 洋子(さかい ようこ、1941年12月11日 - )は、日本の翻訳家。 東京出身。本姓・金子。日本女子大学英文科卒。ハワイ大学イースト・ウェスト・センター大学院演劇科修士課程修了。 文学座、テアトル・エコーなどで、ニール・サイモンをはじめとする舞台の演出を手がけるかたわら、小説、ノンフィクション、児童書などの翻訳を手がける。第12回湯浅芳子賞受賞。
小川 陽一郎(おがわ よういちろう、1941年12月11日没… 小川 陽一郎(おがわ よういちろう、1941年12月11日没)は、大日本帝国海軍の軍人。最終階級は中佐。福岡県出身。駆逐艦「早苗」や「如月」の艦長を務め、ウェーク島沖にて1941年12月11日に戦死した。 旧制福岡県立東筑中学校(現・福岡県立東筑高等学校)を卒業後、海軍兵学校に入校(第57期卒業)。1941年4月15日に「早苗」艦長。1941年10月1日、「如月」艦長となる。 第6水雷戦隊第30駆逐隊所属の「如月」は、1941年12月の太平洋戦争開戦劈頭、ウェーク島攻略(ウェーク島の戦い)任務に就き、第6水雷戦隊旗艦である軽巡洋艦「夕張」等とクェゼリン環礁を出撃した。12月11日、「如月」はウェーク島ピーコック岬の南で、島内のアメリカ海兵隊基地に所属するF4F戦闘機の機銃掃射を受けて爆沈し、その際に小川は戦死した。
鷲見 洋一(すみ よういち、1941年12月11日 - )は… 鷲見 洋一(すみ よういち、1941年12月11日 - )は、日本のフランス文学者、慶應義塾大学名誉教授。専攻は18世紀フランス文学・思想・歴史。音楽学者の渡部恵一郎は従兄。