スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
益山 武明(ますやま たけあき、1989年4月14日 - )… 益山 武明(ますやま たけあき、1989年4月14日 - )は、日本の声優、俳優。沖縄県那覇市生まれの東京都板橋区育ち。 小さい頃、夕方に放送されていたアニメを見てアニメが好きになった。当時はロボットものが多かった。声優に興味を持つきっかけは『魔法少女リリカルなのは』の主題歌を同作に出演していた水樹奈々が歌っており、その時に主要キャラクターの声優が歌っていることに気づき衝撃を受けたという。 東京メディアアカデミー(現:専門学校 東京声優・国際アカデミー)の声優養成科を卒業後、賢プロダクション付属の声優養成所スクールデュオ(第12期)卒業。賢プロダクション(2012年4月 - )所属。 音楽座ミュージカルには、2013年の秋オーディションに合格し、音楽座ミュージカル『ラブ・レター』サトシ役で初舞台、初主演を射止めた。
三浦 駿斗(みうら はやと、1989年1月24日 - )は、… 三浦 駿斗(みうら はやと、1989年1月24日 - )は、日本の脚本家。アンドリーム(&REAM)所属。東京都出身。
斎藤 康貴(さいとう やすたか、1988年7月3日 - )は… 斎藤 康貴(さいとう やすたか、1988年7月3日 - )は、テレビ朝日のアナウンサー。 東京都出身。都立竹早高校、早稲田大学文化構想学部卒業。学生時代にモデルの仕事を通じて「一つのものを全員で作り上げる喜び」を知ったことが、アナウンサーを志すきっかけになったという。 早稲田大学卒業後の2011年に、アナウンサーとしてテレビ朝日に入社した。同期入社のアナウンサーは青山愛。入社後は、2013 ワールド・ベースボール・クラシックでテレビ朝日が担当する日本国内向けの決勝ラウンド中継にリポーター(サブアナウンサー)として帯同するなど、スポーツアナウンサーとして経験を積んでいる。 2013年4月からは、『スーパーJチャンネル』の平日版を皮切りに、報道・情報番組のフィールドキャスターとしてニュース取材も担当している。
鎌田 和樹(かまだ かずき、1983年〈昭和58年〉12月3… 鎌田 和樹(かまだ かずき、1983年〈昭和58年〉12月3日 - )は日本の実業家。 1983年(昭和58年)、埼玉県で生まれる。東京都立竹早高等学校を卒業後、2年で大学を中退し、2003年(平成15年)に光通信に入社。総務に4年務め、その時の功績が認められて2011年(平成23年)からイー・モバイル一次代理店会社の代表取締役を任される。 イー・モバイル代理店時代の社員表彰式でYouTuberであるHIKAKINを呼び盛り上がったことで、感じていたYouTuberへの可能性が、確信に変わる。実業家の孫泰蔵との出会いもあって、2013年(平成25年)6月にUUUMの前身となるONSALEという会社を設立して独立した。
大田 祐歌(おおた ゆか、1982年2月7日 - )は、日本… 大田 祐歌(おおた ゆか、1982年2月7日 - )は、日本の女性歌手、元タレント。 東京都板橋区出身。板橋区立緑小学校、板橋区立志村第四中学校、東京都立竹早高等学校、日本大学芸術学部映画学科卒業。 身長157cm。血液型O型。 1997年10月、文化放送のラジオ番組『古本新之輔 ちゃぱらすかWOO!』のオーディションに合格し、女性アイドルグループ「くらぶ・ちゃぱらっち」のメンバーとなる。会員番号1番。1998年3月まで活動。 1999年1月29日、フジテレビ『DAIBAッテキ!!』のオーディションで女性アイドルグループ「チェキッ娘」のメンバーとなる。チェキッ娘ID021。同年11月3日まで活動。
佐藤 真希子(さとう まきこ、1977年11月6日 - )は… 佐藤 真希子(さとう まきこ、1977年11月6日 - )は日本の投資家。独立系ベンチャーキャピタルである株式会社iSGSインベストメントワークス(iSGS Investment Works Inc.)/チャレンジパートナーズ 代表パートナー。ベンチャーキャピタリストとして18年間で4万人以上の起業家と会い、100社以上に投資に実行。株式会社サイバーエージェント新卒一期生出身。夫は株式会社スペースマーケット代表取締役CEOの重松大輔。 東京都生まれ。東京都立竹早高等学校、清泉女子大学文学部国文学科(現:日本語日本文学科)を卒業。 2000年(平成12年)株式会社サイバーエージェントに入社、上場前のサイバーエージェントに、新卒一期生だった。
ダークホース山出(ダークホースやまで、1976年〈昭和51年… ダークホース山出(ダークホースやまで、1976年〈昭和51年〉5月6日 - )は、日本のお笑い芸人。本名、山出 雄大(やまで ゆうだい)。所属事務所はニュースタッフプロダクション。元お笑いコンビ「ダークホース」のメンバー。 東京都立竹早高等学校卒業。2001年に、ニュースタッフプロダクションに所属し、江原寅次郎とお笑いコンビ「ダークホース」を結成したが、2019年12月に解散した(相方の江原寅次郎は芸能界引退)。解散後は、ピン芸人「ダークホース山出」としてものまねタレントで活動している。 趣味は巨人軍応援とバレーボール。無類のテレビっ子でドラマの第1回は観ているらしい。特技はものまね。将来の夢は、小説家。
小手 伸也(こて しんや、1973年〈昭和48年〉12月25… 小手 伸也(こて しんや、1973年〈昭和48年〉12月25日 - )は、日本の俳優、声優、作家、演出家。神奈川県出身。オフィスPSC所属。愛称は、小手ちゃん。 東京都立竹早高校、1999年早稲田大学教育学部卒業。同大学内の演劇サークル、早稲田大学演劇倶楽部・アイスホッケー同好会に所属。大学卒業後、劇団innerchildを主宰。心理学や神話に特化した劇作が多く、日本神話、特に古事記に関する造詣が深い。舞台での活動が中心だったが、2016年の『真田丸』(塙団右衛門役)で注目を集めた。2018年には『コンフィデンスマンJP』『SUITS/スーツ』に出演し、アクの強い演技を見せた。 「『シンデレラボーイ』とするには年齢が高い」として「シンデレラおじさん」と自称した。
神田 織音(かんだ おりね、1972年7月12日 - )は、… 神田 織音(かんだ おりね、1972年7月12日 - )は、講談協会に所属する講談師。本名∶伊豆本 良恵。 東京都豊島区出身。竹早高等学校在学中から芝居の勉強を始め、その後約十年芝居に携わる。 1999年4月、神田香織に入門。9月より前座となり、「おりね」を名乗る。 2003年4月、二ツ目昇進。「織音」に改名。 2011年4月、真打昇進。初の「女流真打が育てた女流真打」となった。
山崎 智之(やまざき ともゆき、1970年 - )は、音楽ラ… 山崎 智之(やまざき ともゆき、1970年 - )は、音楽ライター。東京都在住。 東京都出身であるがベルギー、オランダ、チェコスロバキア、イギリスと海外で育った。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て1994年に音楽ライターになる。ミュージシャンを中心に1,000以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆している。英検1級、TOEIC945点を取得している。
川村 ケン(かわむら けん、1968年11月25日 - )は… 川村 ケン(かわむら けん、1968年11月25日 - )は、東京都出身のキーボーディスト、作曲家、編曲家。血液型AB型。愛称は「ケン坊」。既婚。 1968年11月25日に東京都渋谷区で生まれ、5歳から10歳までクラシックピアノのレッスンを受ける。 東京都立竹早高等学校に入学した1984年にアマチュアバンドとしての活動をはじめ、1986年にYAMAHA主催EastWest系コンテストにてBest Keyboardist賞を受賞。 日本大学芸術学部在学中だった1987年は、プログレッシブ・ロックバンドとしてインディーズで活動し、1989年に大学を卒業した同時期よりアーティスト・サポートの活動を開始。
住吉 義則(すみよし よしのり、1964年10月10日 - … 住吉 義則(すみよし よしのり、1964年10月10日 - )は、大阪府泉佐野市出身の元プロ野球選手(内野手)。 現在は少年硬式野球チーム「ヤングKIXベースボールクラブ・21」の監督を務めている。 箕島高では、1982年の春の選抜に捕手として出場。準々決勝に進むが、エース榎田健一郎を擁するPL学園高に0-1で惜敗。チームメートに控え投手の吉井理人、左翼手の畑山俊二がいた。 箕島高では定時制に通っていたため、高校野球引退後は東京・竹早高(定時制)に転校のうえ、社会人野球のプリンスホテルに進む。5年間ブルペン捕手を務めた後に内野手に転向する。左腕エース橋本武広らを擁し1989年の都市対抗野球に出場。
内多 勝康(うちだ かつやす、1963年〈昭和38年〉4月1… 内多 勝康(うちだ かつやす、1963年〈昭和38年〉4月18日 - )は、元NHKシニアアナウンサー。 東京都立竹早高等学校を経て東京大学教育学部卒業後、1986年入局。「首都圏ニュース845」や「生活ほっとモーニング」などローカルニュース番組や生活情報番組に多く出演していた。 2016年(平成28年)3月限りでNHKを退職し、国立成育医療研究センターが運営する医療型短期滞在施設“もみじの家”のハウスマネージャーに就任した。転身のきっかけは、『クローズアップ現代』にて病気児童とその家族の医療ケア問題を取り上げた放送回を自身が担当してから、「医療的なケアを必要とする子どもと家族の支援をしたい」と考えるようになったからだという。
三崎 由紀(みさき ゆき、1962年8月18日 - )は、元… 三崎 由紀(みさき ゆき、1962年8月18日 - )は、元キャスター。 津田塾大学学芸学部卒業。1985年、住友商事入社。1988年に退社し、フリーアナウンサーとなる。 ファッション誌には、楠田枝里子司会の科学番組でレポーターを担当した三崎は、マスコミ志望だったがすべての局のアナウンサー採用試験に不合格になり、別の業種に就職したがキャスターへの思いは捨てきれず、事務所(オフィス・トゥー・ワン)に売り込み、キャスターの道へ。数々の番組を担当したあと「ザ・スクープ」のキャスターを務め、スカパーのCMを境に引退。引退後1996年6月に日本コカ・コーラに広報として入社。
金杉 憲治(かなすぎ けんじ、1959年9月11日 - )は… 金杉 憲治(かなすぎ けんじ、1959年9月11日 - )は、日本の外交官。内閣総理大臣秘書官、外務省経済局長、外務省アジア大洋州局長、外務審議官(経済担当)等を歴任し、駐中華人民共和国日本大使。 東京都豊島区出身。東京都立竹早高等学校を経て、1983年一橋大学法学部卒業、外務省入省。大学では国際法ゼミに所属し、一橋祭運営委員会で西川りゅうじん(のちにマーケテイングコンサルタント)らと、他大学の学生たちと高尾山に行くハイキングの企画・運営を行うなどした。 外務省ではオーストラリア研修でオーストラリア国立大学に2年留学し、在オーストラリア日本国大使館三等書記官を経て、1998年総合外交政策局総務課首席事務官。
吉森 保(よしもり たもつ、1958年9月3日 - )は、日… 吉森 保(よしもり たもつ、1958年9月3日 - )は、日本の生物学者。大阪大学名誉教授。主な業績は哺乳類オートファジーの分子機構と生理機能の研究。 オートファジーを研究するベンチャー企業「AutoPhagyGO」を2019年6月に設立した。
大野 香菜(おおの かな、1958年5月17日 - )は、日… 大野 香菜(おおの かな、1958年5月17日 - )は、日本のフリーアナウンサー。圭三プロダクション所属。旧名:大野 かおり(おおの かおり)。 3人兄妹の長女として誕生(兄1人、弟1人)。東京都世田谷区出身。東京都立竹早高等学校、東京女子大学短期大学部教養学科卒業。 1966年にフジテレビの『日清ちびっこのどじまん』に出場し、チャンピオンになったことがある。その後も小学3年生から中学生まで「東京ちびっこ合唱団」に所属していた。 インタビュアーになるのが夢でマスコミ界を目指し、1979年4月にフジテレビに入社。アナウンサー(「大野かおり」名義)時代の1979年4月2日から1981年4月3日にかけての2年間、『ママとあそぼう!ピンポンパン』の第4代目お姉さん(司会の女性役)を担当し、子供たちの人気を博した。
大野 香菜(おおの かな、1958年5月17日)は、日本のフ… 大野 香菜(おおの かな、1958年5月17日)は、日本のフリーアナウンサー。圭三プロダクション所属。旧名:大野 かおり(おおの かおり)。
坂井 孝一(さかい こういち、1958年2月 - )は、日本… 坂井 孝一(さかい こういち、1958年2月 - )は、日本の歴史学者。創価大学文学部人間学科教授。専門は日本中世史。平安時代末期・鎌倉時代初期の政治史・文化史と室町時代芸能史を研究テーマにする。 東京都出身。東京都立竹早高等学校を経て、1982年に東京大学文学部国史学科を卒業する。1990年に同大学大学院博士課程単位取得。 1991年より創価大学文学部専任講師となり、助教授(1994年)を経て、2002年に教授に就任した。 2015年に「曽我物語の史的研究」で博士(文学)号を取得した。 2020年2月に、2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の時代考証者になる 坂井千春・東京芸術大学器楽科(ピアノ)教授は、実妹。
福田 裕彦(ふくだ やすひこ、1957年5月3日 - )は、… 福田 裕彦(ふくだ やすひこ、1957年5月3日 - )は、日本の音楽プロデューサー及び作曲家・編曲家、キーボーディスト。東京都板橋区出身。早稲田大学第一文学部卒業。株式会社大頭(だいず)代表取締役。 東京都立竹早高等学校卒業後の1976年、早稲田大学第一文学部に進学。1978年には、YAMAHA東京支店主催のバンドコンテスト「EAST WEST '78」決勝大会に「夢職人」として出場、優秀賞を受賞する。 早稲田大学卒業後の1980年にベーシスト鳴瀬喜博(現・カシオペア)、ドラマー岡井大二(元・四人囃子)らと結成したバンド「QUYZ」のキーボーディストとしてプロデビュー。 翌1981年、ギタリスト山岸潤史のソロアルバム『ALL THE SAME』にセッション・ミュージシャンとしてレコード・デビュー[要出典]。
しゅう さえこ(本名:村田 佐枝子(むらた さえこ)、195… しゅう さえこ(本名:村田 佐枝子(むらた さえこ)、1956年10月18日 - )は、日本の歌手、シンガーソングライター。愛称は「さっこおねえさん」。兵庫県西宮市出身。身長163.5cm。東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。夫は建築家の村田琢真。息子が2人おり、長男は歌手でCarnavacationのメンバーである村田匠、次男はラグビー選手でNECのフランカーである村田毅。 兵庫県生まれ、東京都育ち。大阪府出身。小学4年生の時に合唱団に入団。東京都立竹早高等学校、東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。 1981年4月から1983年3月まで、NHKテレビの『おかあさんといっしょ』で、14代目のうたのおねえさんを務めた。
伊藤 比呂美(いとう ひろみ、1955年〈昭和30年〉9月1… 伊藤 比呂美(いとう ひろみ、1955年〈昭和30年〉9月13日 - )は、日本の詩人。 東京都板橋区出身。東京都立竹早高等学校、青山学院大学文学部日本文学科卒業。ポーランド文学者の西成彦は元夫。 1975年、大学在学中より新日本文学会の文学学校にて阿部岩夫に学ぶ。同年、詩人の岩崎迪子らと詩誌『らんだむ』を創刊。1976年から『現代詩手帖』に投稿をはじめる。1978年、第一詩集『草木の空』でデビューする。同年に第16回現代詩手帖賞を受賞。のちに詩をやめて小説に移行し、1999年『ラニーニャ』などで一定の評価を得るが、2005年『河原荒草』で、また詩に復帰し、2007年『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』を発表。
長谷部 勇一(はせべ ゆういち、1954年 - )は、日本の… 長谷部 勇一(はせべ ゆういち、1954年 - )は、日本の経済学者。専門は比較経済システム、産業連関分析、経済統計で、東アジア経済や神奈川地域産業の分析を研究テーマとする。第15代横浜国立大学学長。元環太平洋産業連関分析学会会長・神奈川大学非常勤講師。現在、一橋大学監事。 東京都北区豊島の商店街寝具店の家に生まれる。子供のころ、家の前に映画館があったため、巨大怪獣と若大将シリーズが大好きでゴジラや加山雄三の映画の追っかけを始める。東京都立竹早高等学校を経て、1978年一橋大学経済学部卒業。中村政則の日本経済史の講義などを受講した。1981年一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了、経済学修士。1984年同博士課程単位取得退学。
小森 陽一(こもり よういち、1953年(昭和28年)5月1… 小森 陽一(こもり よういち、1953年(昭和28年)5月14日 - )は、日本の日本文学研究者(近代日本文学・構造主義記号論)。東京大学名誉教授。和光学園理事長。全国「九条の会」事務局長。 東京都出身。日本共産党党員(書記局員)であった父・小森良夫(1926-2008)の仕事の関係で、1961年から4年間、ソ連の衛星国だったチェコスロバキアのプラハで過ごす。プラハでは、ソ連外務省が直接運営する外国共産党幹部子弟専用のソビエト学校に通い、ピオネール(ソ連・共産圏の少年団)にも加入していた。そのために帰国後、型にはまった日本語でしか話すことができず苦労した(『小森陽一、ニホン語に出会う』)。 北海道大学文学部・同大学院では亀井秀雄の指導を受ける。
山下 達郎(やました たつろう、英語: Tatsuro Ya… 山下 達郎(やました たつろう、英語: Tatsuro Yamashita、1953年〈昭和28年〉2月4日 - )は、日本のシンガーソングライター。日本における旧来の愛称は、ヤマタツ。日本を代表するアーティストとして、ロングセラーの「クリスマス・イブ」など数多くのヒット曲を制作し、他の歌手への楽曲提供なども多く手がけているシンガーソングライターである。 東京都豊島区池袋生まれ。妻はシンガーソングライターの竹内まりや。 所属レコード会社はワーナーミュージック・ジャパン。所属事務所はスマイルカンパニー、および、妻と共同経営する個人事務所(著作権管理用)のテンダベリー&ハーヴェスト(山下側の企業は株式会社テンダベリーミュージック)。
中井 紀夫(なかい のりお、1952年11月20日 -)は日… 中井 紀夫(なかい のりお、1952年11月20日 -)は日本の作家、SF作家。日本SF作家クラブ会員。 武蔵大学人文学部卒業。ピアノ演奏者として活動。また、1982年に創刊された雑誌『SFの本』にライターとしてSF評論を発表する。 1985年、『SFマガジン』主催の第11回ハヤカワ・SFコンテストにおいて、「竜の降りる夜」が参考作となり、作家デビュー。『山の上の交響楽』で1988年度星雲賞日本短編部門を受賞。ホルヘ・ルイス・ボルヘス、イタロ・カルヴィーノや、南米マジック・リアリズムの影響を受けた奇妙な味の作風で知られる。テレビドラマ「世にも奇妙な物語」の代表的な原作者、ノベライズ担当者でもあった。
小池 正勝(こいけ まさかつ、1952年〈昭和27年〉1月1… 小池 正勝(こいけ まさかつ、1952年〈昭和27年〉1月17日 - )は、日本の政治家。参議院議員(1期)、新党改革政審会長、徳島県徳島市長(3期)を務めた。 東京都板橋区生まれ。東京都立竹早高等学校、東京大学法学部卒業。1975年、建設省に入省。1984年より徳島市役所へ出向し、徳島市開発部長に就任。1988年、徳島市助役に就任。 1993年、徳島市長選挙に無所属で出馬し、初当選を果たした。当時、県庁所在地では最年少の市長であった。1997年、2001年の徳島市長選でも再選。 1998年、徳島市職員互助会背任事件が発覚、徳島市労働組合の市職員組合元書記長で部落解放同盟会長の息子であった井上直樹や市職員組合元委員長で天水連連長の山田実らから脅迫や恫喝・暴力を受け、市政への不法介入をされていた事実が公判で明らかになった。
吉川 弘道(よしかわ ひろみち、1952年 - )は、日本の… 吉川 弘道(よしかわ ひろみち、1952年 - )は、日本の土木系耐震工学者。工学博士、技術士(建設部門)、土木学会認定特別上級土木技術者(鋼・コンクリート)、1級土木施工管理技士。専門は、鉄筋コンクリート、耐震設計、地震リスク。
畑尻 剛(はたじり つよし、1950年8月30日 - 202… 畑尻 剛(はたじり つよし、1950年8月30日 - 2023年1月20日)は、日本の憲法学者。中央大学名誉教授。指導教官は川添利幸。和歌山県田辺市出身。
中田 基昭(なかだ もとあき、1948年 - )は、日本の教… 中田 基昭(なかだ もとあき、1948年 - )は、日本の教育学者。東京大学名誉教授、岡崎女子短期大学特任教授。 専攻は、授業実践学、教育哲学、現象学。 現象学的知見をもとにした教育事象の解明。哲学を渡邊二郎に師事。 東京都生まれ。東京大学大学院教育学研究科後期博士課程修了。1982年東京大学教育学博士、論文の題は「重症心身障害児の教育方法研究 : 現障学に基づく経験構造の解明 」。 東京大学教育学部助手、助教授、教授を経て2009年に東京大学を定年退職。2010年から岡崎女子短期大学幼児教育学科特任教授。
藤田 みどり(ふじた みどり、1946年5月9日 - )は、… 藤田 みどり(ふじた みどり、1946年5月9日 - )は、日本の女優。東京都出身。 1970年、劇団欅に入団。1971年、『呪いの館 血を吸う眼』にて映画デビュー。翌1972年、当時同じ劇団欅に所属していた俳優・岡田眞澄と結婚。その後、俳優兼DJの岡田眞善(長男)ら3人の息子をもうけるが、1994年9月5日に離婚。
山口 仲美(やまぐち なかみ、1943年5月25日 - )は… 山口 仲美(やまぐち なかみ、1943年5月25日 - )は、日本の言語学者(日本語学)。勲等は瑞宝中綬章。学位は文学博士(東洋大学・1988年)。埼玉大学名誉教授、日本語検定委員会理事。文化功労者。 聖徳学園女子短期大学保育科講師、共立女子短期大学部文科講師、共立女子短期大学文科助教授、明海大学外国語学部教授、実践女子大学文学部教授、埼玉大学教養学部教授、明治大学国際日本学部教授などを歴任した。 日本語学を専攻する言語学者。古典語から現代語までの日本語の歴史を研究。特に、『ちんちん千鳥のなく声は』『犬は「びよ」と鳴いていた』『男は「よよよよよよ」と泣いていた』など、擬音語・擬態語(オノマトペ)の歴史的研究は、高く評価されている。
松尾 葦江(まつお あしえ、1943年4月 - )は、日本の… 松尾 葦江(まつお あしえ、1943年4月 - )は、日本の国文学者。宇都宮大学教授・國學院大學教授を歴任。 神奈川県生まれ。1967年、お茶の水女子大学国文科卒。1974年、東京大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学。1978年、東京女学館短期大学専任講師。1986年、鳥取大学教育学部助教授。1991年、椙山女学園大学人間関係学部教授。1997年、「軍記物語論究」で東京大学より文学博士の学位を取得。1999年、宇都宮大学教育学部教授。2002年から2014年まで國學院大学文学部教授。放送大学・国文学研究資料館客員教授など。
菅 民郎(かん たみお、1942年6月25日 - )は、日本… 菅 民郎(かん たみお、1942年6月25日 - )は、日本の統計学者、統計解析のコンサルタント、企業家。博士(理学)(中央大学・2009年)。ビジネス・ブレークスルー大学院名誉教授。東京都出身。 株式会社社会情報サービス、株式会社エスミ、株式会社アイスタットを設立。 統計学や解析手法は分析・研究の現場で生かされるべきと考え、統計解析の入門書を数多く執筆・出版している。 1942年、東京都杉並区で誕生。学生時代から東大セツルメントなどの児童文化運動に関わっていた父・菅忠道(児童文学研究家)と貿易商垣内徳三郎が所有する名主の滝亭(現在は東京都北区名主の滝公園)で誕生した母・京子との間に長男として生まれる。
西川 太一郎(にしかわ たいいちろう、1942年〈昭和17年… 西川 太一郎(にしかわ たいいちろう、1942年〈昭和17年〉5月27日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日重光章。 東京都荒川区長(5期)、衆議院議員(3期)、東京都議会議員(4期)、経済産業副大臣(第1次小泉改造内閣)等を歴任。 東京都荒川区生まれ。荒川区立第七峡田小学校、文京区立第六中学校、東京都立竹早高等学校、早稲田大学商学部卒業。早稲田大学大学院商学研究科に進学し、単位取得退学。2014年3月、聖学院大学大学院アメリカ・ヨーロッパ文化学研究科から博士(学術)の学位取得。 石田博英元労相の秘書、東京青年会議所政治常任委員を経て、1973年の東京都議会議員選挙に荒川区から無所属で立候補したが落選。
岸野 文雄 (きしの ふみお、1942年4月 - )は、日本… 岸野 文雄 (きしの ふみお、1942年4月 - )は、日本の経済学者。創価大学名誉教授。専門は経済原論、金融政策。 東京都生まれ。1961年東京都立竹早高等学校、1967年東洋大学経済学部卒業。1969年明治大学大学院政治経済学研究科修士課程修了。1973年駒澤大学大学院経済学研究科博士課程満期退学。1981年創価大学専任講師、1984年同助教授を経て、1991年同教授に就任。2013年同大学退職、名誉教授。 著書に「日本の金融システムと金融構造」「経済学概論」「金融論:現代金融の理論と構造」など。
高橋 紘(たかはし ひろし、1941年(昭和16年)12月1… 高橋 紘(たかはし ひろし、1941年(昭和16年)12月12日 - 2011年(平成23年)9月30日)は、日本のジャーナリスト、皇室研究者。 東京都生まれ。東京都立竹早高等学校、早稲田大学法学部卒業後、1965年(昭和40年)に共同通信社に入社。社会部長・仙台支社長、ラジオ・テレビ局長、取締役事業本部長などを経て退職。同じく皇室関係の著作がある橋本明は上司にあたる。2005年(平成17年)に、小泉政権時代に開かれた「皇室典範に関する有識者会議」にて議題となった皇位継承問題においては女系天皇化を主張していた。2008年(平成20年)まで、静岡福祉大学社会福祉学部教授(専攻は皇室制度、近現代日本史)。
矢崎 藍(やざき あい、1940年11月6日 - )は、エッ… 矢崎 藍(やざき あい、1940年11月6日 - )は、エッセイスト、作家。 東京都生まれ。本名・柴田竹代。 1963年(昭和38年)お茶の水女子大学国文科卒。大学卒業後は児童読物雑誌の編集者。1965年(昭和40年)、25歳のときに結婚し、同時に夫の住む豊田市に移住した。結婚後は子供が生まれるまで、愛知県立昭和高等学校において非常勤講師を務める。子育て中の10年間は専業主婦として過ごすが、1977年(昭和52年)から愛知県立足助高等学校で古典と漢文を教える非常勤講師となる。 非常勤講師として在職中の1980年(昭和55年)に短編小説集『ああ子育て戦争』がベストセラーとなり、文筆活動に入る。小説執筆のきっかけは、教育雑誌のモニターをしている際に編集担当者から勧められたことによる。
マッド・アマノ(1939年7月28日 - )は、東京都出身の… マッド・アマノ(1939年7月28日 - )は、東京都出身のグラフィックデザイナー、パロディスト。有限会社ビッグバン代表取締役。本名は天野 正之()。東京都立竹早高等学校を経て東京藝術大学美術学部卒。フォトモンタージュによるパロディ作品で知られる。現在は月刊誌『創』誌上において狂告の時代の後継ともいえる、風刺パロディ作品を連載している。自身は風刺やパロディ作品にについて「風刺は権力者との闘争の手段である。」と述べている。 『狂告の時代』(きょうこくのじだい)とは、写真週刊誌「FOCUS」(新潮社)に1981年10月の創刊から2001年10月の休刊まで、最終ページに掲載されていたマッド・アマノによるオマージュ写真の連載企画。
稲見 友之(いなみ ともゆき、1938年12月25日 - )… 稲見 友之(いなみ ともゆき、1938年12月25日 - )は、日本の弁護士。東京弁護士会所属。 敬天総合法律事務所所長。 ロッキード事件で逮捕・起訴された田中角栄の裁判で弁護団事務局長や主任弁護人を務めた。 竹早高校卒業。中央大学法学部在学中の1963年に24歳で司法試験合格。1964年3月卒業。1966年、司法修習修了(18期)、弁護士登録(登録番号10082)。 田中角栄が逮捕・起訴された後、田中派の2年生議員で中央大学の同級生だった保岡興治に請われて訴訟対策を行い、弁護団の事務局長に就任した。1審で敗訴した際には、越山会の機関紙「月刊越山」に「人権無視 恐るべき偏向判決」との一文を寄せた。
田畑 佐和子(たばた さわこ、1938年3月22日 - )は… 田畑 佐和子(たばた さわこ、1938年3月22日 - )は、日本の中国文学者。 東京出身。東京都立竹早高等学校、東京外国語大学外国語学部中国語学科卒業、1962年旧・東京都立大学大学院人文科学研究科中国文学専攻修士課程修了、岩波書店に編集者として入社し、雑誌『思想』や、岩波新書、岩波中国語辞典、岩波日中辞典などの編纂に携わる。ウーマンリブ運動にも加わった。 岩波書店退社後は、東京大学、早稲田大学、学習院大学などで非常勤講師として中国語・中国文学を講ずる傍ら、丁玲などの現代中国文学の翻訳をする。季刊「中国現代小説」(蒼蒼社)の同人として、多くの翻訳を同誌に掲載した。 夫田畑光永は、元東京放送(TBS)記者。
緒形 拳(おがた けん、1937年〈昭和12年〉7月20日 … 緒形 拳(おがた けん、1937年〈昭和12年〉7月20日 - 2008年〈平成20年〉10月5日)は、日本の俳優。旧芸名および本名は緒形 明伸(おがた あきのぶ)。趣味は絵手紙と水墨画。 東京府東京市牛込区(現・東京都新宿区)出身、千葉県千葉市育ち。長男は緒形幹太、次男は緒形直人で共に俳優。義理の娘(直人の妻)に女優の仙道敦子、孫に緒形敦(直人の息子)がいる。 なお、後述の通り、芸名の読みは元来「おがた"こぶし"」であるとされるが、一般には「おがた"けん"」として知られる。 1937年7月20日(火曜日)、東京府東京市牛込区で生まれる。男5人兄弟の四男として誕生。太平洋戦争中、空襲で牛込の家が焼かれたため、小学校2年生の時に千葉県千葉市登戸町(現・中央区登戸)に一家で疎開したという。
齋藤 康一(さいとう こういち、1935年3月31日 - )… 齋藤 康一(さいとう こういち、1935年3月31日 - )は、日本の写真家。東京都品川区生まれ。 東京学芸大学附属竹早中学校、東京都立竹早高等学校卒業後、日本大学芸術学部写真学科入学。 大学在学中、写真家林忠彦の助手を19歳から務めた後、写真家秋山庄太郎の助手となった。1959年大学卒業後フリーとなった。 週刊誌・月刊誌等に数多くの人物写真および、ルポルタージュを多数掲載。 1965年、第一回日中青年大交流に日本写真家協会より参加、以後、80回中国各地を訪問、取材する。日本写真家協会名誉会員。日本写真協会監事。 1976年、第7回講談社出版文化賞をシリーズ「この人」にて受賞。1988年には日本写真協会年度賞。
魚住 純子(うおずみ じゅんこ、1933年6月17日 - 2… 魚住 純子(うおずみ じゅんこ、1933年6月17日 - 2015年1月13日)は、日本の女優。東京府出身。 東京都立第二高等女学校卒業。松竹音楽舞踊学校卒業。俳優座演技研究所を経て、1952年に東映に入社。1953年に退社した後はフリーランスとなり、テレビ・ラジオでの活動を開始。綜芸プロに所属し、最終所属はエス・オー・プロモーション。 1967年に魚住のスキャンダルをでっちあげて週刊誌に報道させたとして、魚住の元所属事務所「文芸会」の社長と同社の女性事務員、『週刊実話』の編集長と同誌女性記者が名誉棄損の疑いで逮捕される事件が起こり、社長と事務員が起訴されたが、判決前の同年5月30日に東京拘置所の独房で社長が首つり自殺、女性事務員も6月30日に静岡・畑毛温泉で睡眠薬自殺(未遂)を図った(魚住純子中傷事件)。
板垣 雄三(いたがき ゆうぞう、1931年2月5日 - )は… 板垣 雄三(いたがき ゆうぞう、1931年2月5日 - )は、日本のイスラム学者。東京大学名誉教授、東京経済大学名誉教授。文化功労者。
金森 トシエ(かなもり としえ、1925年9月20日 - 2… 金森 トシエ(かなもり としえ、1925年9月20日 - 2011年9月7日)は、日本のジャーナリスト。 1925年、東京都港区に生まれる。その後、文京区に移る。 府立第二高等女学校から帝国女子専門学校国文科へ入学。勤労動員として、紡績工場などで働く。1945年に中国から出張中であった金森正嘉と結婚。夫はすぐに中国に戻った。同年、帝国女子専門学校も自宅も罹災し、宮城県小野田町に妹とともに疎開した。 第二次世界大戦終戦後、夫が中国から帰国し、専業主婦として過ごす。「夫を朝晩送り迎えしながら、私の人生は過ぎていくのか」とむなしい思いを抱えていたところ、父親のすすめもあり、1950年に拓殖大学政経学部に3年次編入することになる。
城戸崎 愛(きどさき あい、1925年7月1日 - 2020… 城戸崎 愛(きどさき あい、1925年7月1日 - 2020年2月13日)は、日本の料理研究家・料理家。兵庫県出身。愛称は「ラブおばさん」。 1945年、東京家政学院卒業。 結婚後、夫が食通だったこともあって東京會舘クッキングスクールで料理を学ぶ。夫の赴任先であるパリのル・コルドン・ブルーではフランス料理を学んだ。 帰国後、料理研究家として活動を始め、名前の愛に因んで「ラブおばさん」の愛称でNHK『きょうの料理』の人気講師となる。 晩年は[いつ?]「non・no」「MORE」等の雑誌で家庭料理やお菓子を紹介していたが、高齢のためかメディアへの露出も減っていた。 2020年2月13日に急性心不全で死去。
芥川(間所) 紗織(あくたがわ〈まどころ〉さおり、1924年… 芥川(間所) 紗織(あくたがわ〈まどころ〉さおり、1924年〈大正13年〉5月24日 - 1966年〈昭和41年〉1月31日)は、愛知県渥美郡高師村(現・豊橋市)出身の画家。 1950年代から急逝するまで、当時はほとんどいなかった前衛の女性画家の一人であり、また「染色」という全く独自の技法で道を切り開いた作家である。 「芥川」は芥川也寸志との最初の結婚時の、「間所」は間所幸雄との再婚後の姓で、旧姓は山田である。「芥川紗織」とも「間所紗織」とも呼ばれるが、2つの姓を併記して「芥川(間所)紗織」と書かれることも多い。 旧姓を山田といった。東京音楽学校(現・東京藝術大学)本科声楽部を卒業後、作曲家の芥川也寸志と結婚し、芥川麻実子ら2女をもうけた。
松本 紀子(まつもと のりこ、 1924年〈大正13年〉2月… 松本 紀子(まつもと のりこ、 1924年〈大正13年〉2月11日 - 2023年〈令和5年〉4月28日)は、日本の教育者。学校法人鎌倉女子大学学園主。 1924年、仏教学者長井真琴の四女として東京市本郷に生まれる。誠之小学校、東京府立第二高等女学校に学び、東京家政学院では創設者の大江スミに師事。1950年、鎌倉女子大学・学祖松本生太の子、松本尚(後の鎌倉女子大学・学父)と柳原白蓮の媒酌で結婚。音楽学などを担当する京浜女子大学講師となり、鎌倉女子大学教授、学長、理事長、学園長を歴任した。1999年には松竹株式会社から大船撮影所の敷地を取得して大船キャンパスの開設(2003年)に尽力するなど、鎌倉女子大学における幼稚部から大学部までの一貫教育に力を注ぎ、その発展に大きく寄与した。
鳩山 安子(はとやま やすこ、旧姓:石橋、1922年9月11… 鳩山 安子(はとやま やすこ、旧姓:石橋、1922年9月11日 - 2013年2月11日)は、財団法人日本友愛青年協会名誉会長。ブリヂストン創業者・石橋正二郎の長女、鳩山威一郎の妻、井上和子・鳩山由紀夫・邦夫の母、鳩山紀一郎・太郎・二郎の祖母である。東京府立第二高等女学校、女子学習院高等科卒業。 1922年、日本足袋(現ブリヂストン)の創業者・石橋正二郎の長女として、福岡県久留米市に生まれる。中学入学を期に上京し、東京府立第二高等女学校、女子学習院高等科に進学する。高等科在学時に父・正二郎が準備した縁談で、鳩山一郎の長男・威一郎と見合いをした。そのまま1942年に帝国ホテルで大々的に式を挙げ、結婚する。