文田 哲雄(ふみた てつお、1933年12月31日 - 20… 文田 哲雄(ふみた てつお、1933年12月31日 - 2022年12月12日)は、日本の洋画家。鹿児島県立短期大学名誉教授。鹿児島市立美術館第12代館長。二科会会員・参与だった。 奄美群島の徳之島にある鹿児島県大島郡天城町兼久生まれ。京都府立京都第二中学校(旧制)から鹿児島県立第二鹿児島中学校(旧制)に転校し、学制改革で鹿児島県甲南高等学校となった同校を1955年3月に卒業。在学中に結核を発症して療養のため休学したので、旧制鹿児島二中・新制鹿児島県甲南高校に通算で約9年間在籍し、本来は鹿児島県甲南高校3期生だったが6期生として卒業した。高校在学中は美術部に在籍し、南日本美術展に1953年奨励賞、1954年県教育委員会賞で連続受賞。
伊藤 芳明(いとう よしあき、1933年12月30日 - )… 伊藤 芳明(いとう よしあき、1933年12月30日 - )は、静岡県浜名郡北浜村貴布祢(現:浜松市浜名区)出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)・コーチ。 中学時代に野球を始めるが、肩が強く左投げだったため投手となる。興誠商業高校では2年生からエースとなり、3年次の1951年の夏の甲子園の静岡県予選の前には新聞に「ダークホース」と書かれたが、1回戦で静岡市立高校に0-1で敗れた。 1952年に中央大学へ進学すると、1年の春季から東都大学リーグで登板。2年次の1953年春季のリーグでは5勝を挙げて中央大学の全勝優勝に貢献する。同年の大学選手権でも勝ち上がるが、決勝で立大に敗れ準優勝となった。しかし、同年の夏場に背中の筋肉を痛める。
田中 琢(たなか みがく、1933年12月29日 - 202… 田中 琢(たなか みがく、1933年12月29日 - 2022年9月16日)は、日本の考古学者。 1933年、滋賀県で生まれた。京都大学文学部を卒業し、同大学大学院修士課程を修了。 1959年、奈良国立文化財研究所所員となった。のち同埋蔵文化財センター所長。文化庁文化財鑑査官をへて、1994年からは奈良国立文化財研究所長をつとめた。1999年に退官。2022年9月16日、死去。 「田中琢」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』。https://kotobank.jp/word/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E7%90%A2。コトバンクより2022年9月26日閲覧。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
立松 敬一(たてまつ けいいち、1933年12月28日- … 立松 敬一(たてまつ けいいち、1933年12月28日- )は、日本の経営者。ダイビル社長、会長を務めた。 東京都出身。1956年に東京大学経済学部商業学科を卒業し、同年に住友銀行に入行した。1980年12月に取締役に就任し、1984年4月に常務を経て、1986年6月には大阪建物(のちのダイビル)社長に就任した。1992年6月に会長1998年6月に相談役を経て、2002年6月には特別顧問に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
山下 栄一(やました えいいち、1933年12月28日 - … 山下 栄一(やました えいいち、1933年12月28日 - )は、日本の教育心理学者。 東京生まれ。1961年東京大学教育学部卒業。1963年東京大学大学院教育心理学専攻修士課程修了。同大学院教育科学研究科博士課程単位取得。関西大学文学部教授、心理教育研究情報センター代表を務めた。 障害者問題を研究し、障害児と健常児が「共に生き、共に育ち合う」という「共生教育」を提起した。
渡辺 健(わたなべたけし、1933年12月26日 - )は、… 渡辺 健(わたなべたけし、1933年12月26日 - )は、ドイツ文学者、東京大学名誉教授。
岸田 秀(きしだ しゅう、1933年12月25日 - )は、… 岸田 秀(きしだ しゅう、1933年12月25日 - )は、日本の心理学者・精神分析学者・エッセイスト・翻訳家。和光大学名誉教授。 1977年の『ものぐさ精神分析』が話題になり、思想界を担う存在となった。翻訳書も多数著している。『ものぐさ精神分析』では「人間は本能の壊れた動物である」とし、独自の唯幻論を提言する。妻は文化人類学者の船曳建夫の実姉。 1933年に香川県仲多度郡善通寺町(現:善通寺市)に生まれた。父親は1921年に善通寺町に開館した映画館「世界館」の経営者であり、岸田家は東京・浅草六区にあった「世界館」の経営者でもあった。戦前において、善通寺町の世界館は仲多度郡で最も大きな映画館だった。
安西 孝之(あんざい たかゆき、1933年〈昭和8年〉12月… 安西 孝之(あんざい たかゆき、1933年〈昭和8年〉12月25日 - )は、日本の実業家。昭和電工専務取締役、日本体育協会会長、日本ゴルフ協会名誉会長。袖ヶ浦カンツリークラブ理事長。 東京都出身。父は昭和電工社長を務めた安西正夫、母は昭和電工や日本冶金工業など森コンツェルン創業者森矗昶の娘である満江。1956年に慶應義塾大学法学部卒業後、昭和電工に入社。1995年に同社専務取締役。 父方祖父は、千葉県議会議長を務めた安西直一(二松學舍出身)。父・正夫の兄に東京瓦斯元会長安西浩(子に同社元会長邦夫)らがいる 母方祖父は、森コンツェルン創業者の森矗昶。母・満江の兄妹に森曉、森清、森美秀、三木武夫首相夫人の睦子、田中覚夫人の三重子(前夫との子に松崎哲久ら。
前島 誠(まえじま まこと、1933年12月25日 - 20… 前島 誠(まえじま まこと、1933年12月25日 - 2019年12月9日)は、キリスト教・ユダヤ教学者、元玉川大学教授。 東京出身。上智大学文学部哲学科卒、同大学院神学研究科修了。東京カトリック大司教区付司祭を5年務め、1965年1月玉川学園講師、玉川大学文学部教育学科助教授、教授。1999年退任。専攻は、西洋哲学・神学。
富永 幸生(とみなが ゆきお、1933年12月25日 - 1… 富永 幸生(とみなが ゆきお、1933年12月25日 - 1977年3月2日)は、日本の歴史学者。専門はドイツ現代史、独ソ関係史。 長崎県生まれ。東京大学文学部西洋史学科卒業。東京大学大学院社会科学研究科(国際関係論専攻)およびジョンズ・ホプキンス大学大学院で学ぶ。東京大学教養学部助手を経て、1968年から青山学院大学文学部教授。
川端 香男里(かわばた かおり、男性、1933年(昭和8年)… 川端 香男里(かわばた かおり、男性、1933年(昭和8年)12月24日 - 2021年(令和3年)2月3日)は、日本のロシア文学者。東京大学名誉教授。川端康成記念会理事長。旧姓・山本 1933年(昭和8年)12月24日、英文学者で翻訳家の山本政喜の三男として東京(現・品川区)で誕生。開成中学、東京都立第六高等学校(現・東京都立新宿高等学校)を経て、東京大学教養学部教養学科フランス分科に進学。同大学を卒業後、同大学大学院人文科学研究科で比較文学比較文化(ロシア文学の比較文学的研究)を専攻。1960年よりフランス政府給費留学生としてパリ大学に留学。同期生には友人の栗原雅直がいた。 1963年、北海道大学文学部の専任講師となった。
徳川 義宣(とくがわ よしのぶ、1933年(昭和8年)12月… 徳川 義宣(とくがわ よしのぶ、1933年(昭和8年)12月24日 - 2005年(平成17年)11月23日)は、尾張徳川家第21代当主。美術史家、財団法人徳川黎明会会長、徳川美術館館長。婿養子のため徳川家の直系の血筋ではないが、多数の著作や講演を通して、他の御三家以上に一般メディアへの露出が高かった。 旧下総佐倉藩主家当主・堀田正恒伯爵の六男として東京市渋谷区に生まれた。生まれた時の姓名は堀田正祥。学習院幼稚園から学習院大学まで明仁親王(現・上皇)の同級生であった(誕生日もわずか1日違い)。1955年11月、学習院大学政経学部経済学科在学中に尾張徳川家第20代当主・徳川義知の婿養子となり、徳川義宣と改名する。
諏訪 淳(すわ あつし、1933年12月23日 - 没年不明… 諏訪 淳(すわ あつし、1933年12月23日 - 没年不明)は、日本の映画監督。 長野県諏訪郡下諏訪町出身。実家は代々教師の多い家系。中学時代から演劇に興味を持ち、脚本を書いて仲間と舞台作品を発表。長野県諏訪清陵高等学校時代は映画鑑賞して友人と語り合った。東京芸術大学を経て、成城大学経済学部在学中に演劇部に所属、映画美術助手として水谷浩、下河原友雄に師事。美術では限界があり、大監督の作品に満足できなくなり、監督を目指すようになり、契約助監督となる。1959年同大学卒業後、岩波映画製作所入社。羽仁進、羽田澄子らの助監督を務める。1965年『道程』で初監督。1995年同社社長に就任。その後、岩波映像販売社長、岩波映像会長を務める。
中嶋 明勲(なかじま あきのり、1933年12月23日 - … 中嶋 明勲(なかじま あきのり、1933年12月23日 - 2010年4月21日)は、教育社会学者。 仙台市出身。東北大学教育学部卒、同大学院博士課程修了、「社会学的教育思想の形成 フランスに於ける「社会学主義」を中心に」で教育学博士。愛知教育大学助教授、教授、90年名誉教授、名古屋工業大学教授、金城学院大学教授、東北学院大学教授。 長男は分子生物学者・東北大学准教授の中嶋正道(1960 - )。
遠藤 享(えんどう すすむ、1933年12月22日 - 20… 遠藤 享(えんどう すすむ、1933年12月22日 - 2024年2月10日)は、日本のグラフィックデザイナー。山梨県甲府市生まれ。東京ADC会員、JAGDA会員。 1959年武蔵野美術学校(現:武蔵野美術大学)デザイン科中退。1962年桑沢デザイン研究所グラフィックデザイン研究科卒。 その作品はドイツ、ユーゴスラビア、ブルガリア、フィンランド等の世界各国で賞を受けており、大英博物館、サンパウロ美術館を初め、多数の美術館にコレクションされている。 2024年2月10日、脳膿瘍のため死去。90歳没。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
高橋 宏(たかはし ひろし、1933年12月21日 - )は… 高橋 宏(たかはし ひろし、1933年12月21日 - )は日本の実業家。日本郵船副社長、郵船航空サービス社長、公立大学法人首都大学東京理事長、特定非営利活動法人一橋総合研究所理事長等を歴任。
小山 恒三(こやま つねぞう、1933年12月20日 - 2… 小山 恒三(こやま つねぞう、1933年12月20日 - 2018年1月31日)は、長野県出身のプロ野球選手(投手)。 長野県小諸実業高等学校から東京鉄道管理局を経て、1952年に国鉄スワローズに入団。同年10月10日の対松竹ロビンス戦(西京極球場)に先発投手として一軍公式戦へのデビューを果たすと、完封で初勝利を挙げた。「スワローズの新人投手による一軍公式戦初登板での先発完封勝利」は球団史上初の快挙だが、小山に続く達成者は、東京ヤクルトスワローズ時代の2024年5月15日に松本健吾(トヨタ自動車出身の右投手)が対広島東洋カープ戦(松山坊っちゃんスタジアム)で記録するまで72年間現れなかった。 カーブやドロップなどの変化球を駆使していたものの、プロ野球投手としての実働年数はわずか2年で、1953年に現役を引退。
大橋 一郎(おおはし いちろう、1933年12月20日 - … 大橋 一郎(おおはし いちろう、1933年12月20日 - )は愛知県出身のプロ野球選手。
七代目 嵐 徳三郎(しちだいめ あらし とくさぶろう、193… 七代目 嵐 徳三郎(しちだいめ あらし とくさぶろう、1933年(昭和8年)12月20日 - 2000年(平成12年)12月5日)は上方の歌舞伎役者。屋号は葉村屋。定紋は三つ橘、替紋は九枚笹。本名は横田 一郎(よこた いちろう)。 香川県高松市生まれ。会社員の父と結髪師の母との間に生まれる。日本大学芸術学部に在学中、国劇研究会の公演で歌舞伎を演じた事が松竹会長の大谷竹次郎に認められ、学士俳優の第一号の一人として大谷ひと江の名で昭和31年 (1956) 4月中座の『五十年忌歌念仏』(お夏清十郎)で初舞台。会長の苗字を芸名にするという破格の待遇だった。 この頃までに関西歌舞伎は凋落の一途をたどっていたが、その中にあっても有望な若手俳優として力をつけ、昭和39年 (1964) 9月の仁左衛門歌舞伎公演で片岡孝夫の相方をつとめた『女殺油地獄』のお吉で大阪府民劇場奨励賞を受賞。
山谷 初男(やまや はつお、1933年〈昭和8年〉12月19… 山谷 初男(やまや はつお、1933年〈昭和8年〉12月19日 - 2019年〈令和元年〉10月31日)は、日本の俳優。本名:山谷 八男。旧芸名:山谷 初夫。舞プロモーションに所属。秋田県仙北郡角館町(現:仙北市)出身。秋田県立角館北高等学校(現:秋田県立角館高等学校)卒業。役者仲間からは「はっぽん」の愛称で親しまれた。 八か月の早産で産まれたことから、八男と名付けられたが、生死が危ぶまれていた中、奇跡的に生き続けたため、もう一つの名前として「初男」を与えられている。その「はつお」から「ハツ坊」「ハッポ」というあだ名がつけられた。 高校卒業後に画家を目指して上京。当初は中野の通信学校に入っていたが、昼は代々木の予備校、夜は阿佐ヶ谷の絵の学校にも通う。
三代目 翁家 和楽(おきなや わらく、1933年(昭和8年)… 三代目 翁家 和楽(おきなや わらく、1933年(昭和8年)12月19日 - 2014年(平成26年)9月3日)は、太神楽曲芸師。 この項目は、落語家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:舞台芸術/PJ:お笑い)。
井内 雄四郎(いのうち ゆうしろう、1933年12月18日 … 井内 雄四郎(いのうち ゆうしろう、1933年12月18日 - 2024年5月19日)は、日本の英文学者、翻訳家。早稲田大学名誉教授。 1964年早稲田大学大学院博士課程単位取得満期退学、早稲田大学第一文学部教授。2003年定年退職。アイリス・マードックを中心に、英国女性小説が専攻。ワセダミステリクラブ二代目会長もつとめた。 2024年5月19日、逝去。享年92(満90歳)。 伯父はギリシア古典文学研究者の高津春繁。
佐々木 勝美(ささき かつみ、1933年12月18日 - )… 佐々木 勝美(ささき かつみ、1933年12月18日 - )は、日本の経営者。山陽新聞社社長を務めた。 福岡県出身。1958年、九州大学教育学部を卒業し、同年に山陽新聞社に入社。1988年2月、取締役に就任。1990年2月、常務に就任。1992年2月、社長に就任。2006年12月、会長に就任し、2012年2月、取締役相談役に退いた。 2009年11月、旭日重光章を受章。
西村 章三(にしむら しょうぞう、1933年(昭和8年)12… 西村 章三(にしむら しょうぞう、1933年(昭和8年)12月18日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(通算6期)。民社党委員長を務めた西村栄一の甥。衆議院議員の西村眞悟は従弟。 大阪府出身。1958年(昭和33年)立命館大学法学部卒。西村栄一の秘書を15年務めたあと、大阪府議会議員1期を経て、1976年(昭和51年)民社党から衆院議員に当選。1990年(平成2年)落選。1996年(平成8年)新進党の比例四国ブロックより返り咲く。1998年(平成10年)1月自由党に参加。通算6期務めた。2000年(平成12年)引退。2004年(平成16年)、旭日重光章を受章。
小武方 信一(こぶかた しんいち、1933年12月17日 -… 小武方 信一(こぶかた しんいち、1933年12月17日 - 2009年6月2日)は、元プロ野球選手。 1933年(昭和8年)12月17日、小武方寅次郎・テルの長男として、岩手県岩手郡大更村(現在の八幡平市大更)で出生。父・寅次郎は大更村村長を務めていたが昭和17年、急病のため死去 岩手高校では、エースとして1951年夏の甲子園予選奥羽大会に進むが、1回戦で七戸高に敗れる。卒業後は富士製鐵釜石に入社。1954年の都市対抗では、3完投勝利で準決勝に進み八幡製鐵の福嶋一雄と投げ合うが敗退。 1955年に南海ホークスへ入団。同年は15試合に登板し、4月5日に近鉄から初勝利を挙げるが、1956年限りで退団。
中島 峰広(なかしま みねひろ、1933年12月15日 - … 中島 峰広(なかしま みねひろ、1933年12月15日 - )は、日本の農業地理学者、博士(学術)[4]。畑地灌漑・棚田研究の第一人者である[5]。早稲田大学教育学部(社会科地理歴史専修)の教員として長く教鞭を執ったほか、農林水産省日本の棚田百選の選定委員や、棚田学会会長[6][7]、NPO法人棚田ネットワーク代表を歴任した[5][8]。
半澤 孝麿(はんざわ たかまろ、1933年12月15日 - … 半澤 孝麿(はんざわ たかまろ、1933年12月15日 - )は、日本の政治学者。旧・東京都立大学名誉教授。 静岡県沼津市生まれ。東京大学法学部卒業。東京大学法学部助手。堀豊彦に師事。東京都立大学教授(1975-1997)、和洋女子大学教授(1997-2004)を歴任。 エドマンド・バークからサミュエル・テイラー・コールリッジにいたるイギリス政治思想の研究者として知られる。半澤の学風は、南原繁以来の東京大学の堅実なアカデミズムに立つが、同時にテキストを、余分な思い入れなしにその生まれたコンテキストのなかで読み直そうとするJ・G・A・ポーコック、クェンティン・スキナー、ジョン・ダンらの方法論をも取り入れたものである。
松永 嘉夫(まつなが よしお、1933年12月15日 - 1… 松永 嘉夫(まつなが よしお、1933年12月15日 - 1996年11月3日)は、日本の経済学者。 愛知県名古屋市出身。愛知県立旭丘高等学校を経て、1956年名古屋大学経済学部卒、1961年名古屋大学大学院経済学研究科博士課程満期退学、1965年「対外流動準備の機能に関する研究 適正対外流動準備の理論」で経済学博士。名大助手、1964年名古屋市立大学講師、1965年助教授、1971年教授、経済学部長。1994年名誉教授、1991年早稲田大学商学部教授。1996年定年退任、中部大学教授。
関屋 喜代作(せきや きよさく、1933年12月15日 - … 関屋 喜代作(せきや きよさく、1933年12月15日 - 2015年12月5日)は、将棋棋士。1994年、引退。土居市太郎名誉名人門下。棋士番号は69。千葉県茂原市出身。 1955年、22歳でプロ入り。 初参加(1956年度)から8期目の第18期(1963年度)C級2組順位戦は、2勝10敗で初の降級点を喫する。ところが、次の第19期(1964年度)では一転して開幕7連勝をするなど、最終局を待たずして10勝1敗(最終成績は10勝2敗)の圧倒的な成績でC級1組への昇級を決める。なお、もう一人の昇級者は、同じく10勝2敗の米長邦雄(関屋の10歳下)であった。 第2回(1958年度)古豪新鋭戦で優勝。
北川 智繪(きたがわ ちえ、1933年12月14日 - )は… 北川 智繪(きたがわ ちえ、1933年12月14日 - )は、日本の女優、声優。希楽星所属。東京都出身。 クレジットタイトルなどでは「北川智絵」、「北川知絵」の表記も見受けられる。以前は北川 智恵子の芸名で活動していた。 埼玉県立熊谷高等学校、日本芸術学院卒業。以前は劇団青い実の会、タレントエージェント、東京俳優生活協同組合、同人舎プロダクション、プロダクション・エムスリーに所属していた。 語りの公演や指導、ナレーター養成などを行う話芸写を主宰している。 2010年代以降、一部の持ち役を降板している。 太字はメインキャラクター。
馬場 雅夫(ばば まさお、1933年12月14日 - 199… 馬場 雅夫(ばば まさお、1933年12月14日 - 1993年11月24日)は、日本のアナウンサー、演芸・競輪評論家。 神奈川県横浜市出身。神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校、明治大学文学部英米文学科卒業後、新日本放送(現在の毎日放送)に入局。1959年、日本教育テレビ(略称:NET。現在のテレビ朝日)開局のため、出向という形で転籍したが、以後もNETに在籍することになる。テレビ朝日(NET)在籍時代には、前任司会者の山田吾一の後を受け、1973年11月から1974年3月1日までアフタヌーンショーの司会者、時代劇・破れ傘刀舟悪人狩りのナレーションなどを務めたが、顕著な活動が見られたのは、落語の評論である。
岡本 久敬(おかもと ひさたか、1933年12月14日 - … 岡本 久敬(おかもと ひさたか、1933年12月14日 - )は日本出身の元サッカー選手。 選手時代は主に関西学院大学で活躍。全関学(現役、OBを含めた混成チーム)の一員として1953年、1955年の全日本サッカー選手権大会 (後の天皇杯全日本サッカー選手権大会)優勝に貢献した。 日本代表としては1955年1月の東南アジア遠征、1月2日のビルマで代表デビューを果たした。その年、国際Aマッチ5試合に出場した。
浦 達也(うら たつや、1933年12月14日 - 2016… 浦 達也(うら たつや、1933年12月14日 - 2016年4月)は、元NHKディレクター、江戸川大学名誉教授。 広島県生まれ。特別科学学級の生徒であった。 慶応義塾大学経済学部卒業後、NHKに入局し、『現代文明展望』『現代キーワード探検』などの番組を手がける。 東京大学講師を経て、江戸川大学教授となり、2004年、特任教授。
松田 昇(まつだ のぼる、1933年12月13日 - )は、… 松田 昇(まつだ のぼる、1933年12月13日 - )は、日本の検察官。元東京地検特捜部部長。 北海道函館市出身。北海道函館工業高等学校電気科を経て、苦学しながら1957年中央大学法学部を卒業。会社勤務の傍ら司法試験に挑み続け、1963年検事任官。山本清二郎の下で日通事件に関わった。ロッキード事件では児玉誉士夫の取調べ担当にあり、さらに1976年7月27日午前6時半、特捜部資料課事務官の4人らと共に、目白台の田中邸に出向き、田中角栄を逮捕、東京地検への同行を求めた。 1985年東京高検特別公判部長(政治家被告人のための公判担当)、1987年8月東京地検特捜部長、1989年最高検検事。以後、1990年大津地検検事正、1991年最高検検事、同年水戸地検検事正を経て、1993年7月法務省矯正局長に。
九条 道弘(くじょう みちひろ、1933年〈昭和8年〉12月… 九条 道弘(くじょう みちひろ、1933年〈昭和8年〉12月13日 - 2017年〈平成29年〉9月16日)は、日本の神職、平安神宮名誉宮司。 五摂家の一つ、元公爵九条家の第34代当主。子に九条道成。第125代天皇・明仁(現・上皇)は再従弟に当たり、自身の誕生から10日後に誕生している。 1933年、東京府で公爵・九条道秀の長男として生まれる。学習院初等科、学習院中等科、学習院高等科を経て、関西学院大学文学部卒業。文化放送勤務。 1973年、神職に就く。平安神宮第14代宮司(1991年 - 2017年4月)。2002年、神職身分特級(神職身分の最高位)。藤裔会会長。 平安神宮宮司在任中の1994年には、平安神宮鎮座百年祭を執り行った。
田波 靖男(たなみ やすお、1933年12月12日 - 20… 田波 靖男(たなみ やすお、1933年12月12日 - 2000年3月21日)は、日本の脚本家・作家・プロデューサー。東京都出身。ペンネームに「梅野かおる」「大井みなみ」がある。名前の表記は「靖」の右下の「月」が「円」になっている旧字も使われている。
伊澤 平一(いさわ へいいち、1933年〈昭和8年〉12月1… 伊澤 平一(いさわ へいいち、1933年〈昭和8年〉12月12日 - )は、日本の実業家。美食家。勝山企業代表取締役を務めた。国際アイスホッケー連盟および日本アイスホッケー連盟オールドタイマー最年長プレイヤー(2019年に85歳3ヶ月の試合で現役引退)。 醸造家で七十七銀行頭取を務めた伊澤平勝(10代目)の長男として宮城県仙台市に生まれる。伊澤平馬は祖父、伊澤平左衛門は曽祖父に当たる。宮城県仙台第二高等学校を経て、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業後、カリフォルニア大学バークレー校大学院政治科にて修士課程を修了(政治学修士)した。慶大時代にアイスホッケーを始める。 1959年(昭和34年)に三和銀行に入行し、1962年(昭和37年)から4年間ロンドン支店に勤務した。
牧野 洋(まきの ひろし、1933年(昭和8年)12月10日… 牧野 洋(まきの ひろし、1933年(昭和8年)12月10日 - 2021年10月5日)は、日本の機構学、ロボット工学の研究者、技術者。技術士(機械部門)、工学博士(東京大学)。山梨大学名誉教授、自動化推進協会名誉会長で、牧野オートメーション研究所代表。ロボット殿堂入りした組み立て用産業用ロボット「SCARA(スカラ)」の開発者で、カムやロボットなどの機構解析でも顕著な業績を挙げている。 山梨大学教授、同 地域共同開発研究センター長、精密工学会自動組立専門委員会委員長、自動化推進協会会長などを歴任。「牧野の平面三角法」「牧野座標系」「牧野機構学」など、名前を冠する用語もある。1985年エンゲルバーガー賞、アセア・ゴールデンロボット賞、2013年瑞宝中綬章。
辻 宏(つじ ひろし、1933年12月10日 - 2005年… 辻 宏(つじ ひろし、1933年12月10日 - 2005年12月22日)は、愛知県春日井市出身のパイプオルガン建造家。オルガン奏者。ピストイア名誉市民。妻は翻訳家の辻紀子(つじ としこ)。
ペギー葉山(ペギーはやま、本名:森 繁子(もり しげこ)、旧… ペギー葉山(ペギーはやま、本名:森 繁子(もり しげこ)、旧姓:小鷹狩(こたかり)、1933年12月9日 - 2017年4月12日)は、日本の女性歌手、タレント。社団法人日本歌手協会7代目会長(後に名誉会長)。 東京都新宿区出身。青山学院女子高等部(現:青山学院高等部)卒業。1952年にキングレコードよりレコードデビュー。
吉田 忠明(よしだ ただあき、1933年12月9日 - 20… 吉田 忠明(よしだ ただあき、1933年12月9日 - 2018年2月19日)は、日本の大蔵官僚、実業家。東京国税局長を経て、トマト銀行社長、会長を務めた。 鳥取県八頭郡用瀬町出身。旧制鳥取県立鳥取第一中学校(現鳥取県立鳥取西高等学校)、鳥取県立八頭高等学校を経て、一橋大学経済学部を卒業し、1957年大蔵省(現:財務省)に入省(大臣官房文書課)。 1959年6月近畿財務局理財部。1960年6月東京国税局調査査察部。1961年6月銀行局金融制度調査官付。1964年7月広島国税局米子税務署長。1966年6月関東信越国税局総務部総務課長。1972年5月外務省在香港日本国総領事館領事。1979年6月東京国税局総務部長。
相沢 武彦(あいざわ たけひこ、1933年12月8日 - 2… 相沢 武彦(あいざわ たけひこ、1933年12月8日 - 2012年8月30日)は、北海道議会議員(2期)。参議院議員(1期)。衆議院議員(1期)。 1933年(昭和8年)北海道生まれ。1953年(昭和28年)北海道留萌高等学校卒業。卒業後は北海道銀行に勤務し、その後、聖教新聞に入り、北海道総支局長となる。公明党に入り、北海道本部事務局長などを歴任する。 1969年(昭和44年)、第32回衆議院議員総選挙において北海道4区から公明党公認で立候補し当選する。1972年(昭和47年)7月に衆議院石炭対策特別委員長に就任。同年12月の第33回衆議院議員総選挙で落選。 1974年(昭和49年)、第10回参議院議員通常選挙において北海道選挙区から公明党公認で立候補し当選。
矢追 秀彦(やおい ひでひこ、1933年12月8日 - 20… 矢追 秀彦(やおい ひでひこ、1933年12月8日 - 2009年12月12日)は、日本の政治家。兵庫県出身。 参議院議員(3期)、参議院運輸委員長、衆議院議員(3期)、公明党副書記長、公明党副委員長などを歴任した。 1933年12月8日、兵庫県に生まれる。1952年、大阪府立池田高等学校卒業。1958年、大阪大学歯学部を卒業する。 1965年7月4日、第7回参議院議員通常選挙に全国区から公明党公認候補として立候補し、初当選する。1967年、四大公害病の一つであるイタイイタイ病について国会で初めて言及し、政府を追及した。 1980年6月22日、第12回参議院議員通常選挙に公明党公認候補として立候補し、当選する。
田中 荘三(たなか しょうぞう、1933年12月8日 - 1… 田中 荘三(たなか しょうぞう、1933年12月8日 - 1996年2月15日 )は、日本の経営者。日本触媒社長を務めた。 大阪府出身。1957年に京都大学経済学部を卒業し、同年に日本触媒化学工業(のちの日本触媒)に入社。1983年3月に取締役に就任し、1987年2月に常務、1989年2月に専務を経て、1990年2月には社長に就任。1996年1月には会長に就任。 1996年2月15日心不全のために死去。62歳没。
坂下 千津子(さかした ちづこ、1933年12月8日 - 1… 坂下 千津子(さかした ちづこ、1933年12月8日 - 1972年5月17日)は、富山県出身の元体操選手。東京女子体育大学卒業後、富山商の教員時に1956年メルボルンオリンピック体操女子代表。1972年病気で死亡。38歳没。 この項目は、体操に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:スポーツ/Portal:スポーツ)。
森野 安弘(もりの やすひろ、1933年(昭和8年)12月8… 森野 安弘(もりの やすひろ、1933年(昭和8年)12月8日 - )は、東京都出身の軍事評論家、元陸上自衛官(最終階級は陸将)。 いずれも「森野軍事研究所」として出版。
黒川 欣映(くろかわ よしてる、1933年12月7日 - )… 黒川 欣映(くろかわ よしてる、1933年12月7日 - )は、日本の劇作家、アメリカ演劇研究者、法政大学名誉教授。 東京生まれ。東京大学文学部英文科卒。米国コロンビア大学大学院で演劇を学ぶ。劇作家、評論家として活動ののち、法政大学文学部助教授、教授。2004年定年退任、名誉教授。劇団アリストパネス・カンパニー主催。2013年瑞宝中綬章受勲。 天皇制、黒人、中国などを主題に左翼的な戯曲、評論[要出典]を書いた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
宍戸 錠(ししど じょう、(英:Joe Shishido)1… 宍戸 錠(ししど じょう、(英:Joe Shishido)1933年〈昭和8年〉12月6日 - 2020年〈令和2年〉1月18日)は、日本の俳優・タレント・司会者。血液型はB型。宍戸錠事務所所属。愛称は「エースのジョー」。 妻はエッセイスト、宍戸游子。宍戸開は長男、宍戸史絵(現・紫しえ)は長女、郷鍈治は実弟、ちあきなおみは義妹(実弟・郷鍈治の妻)。大阪府桜宮(現在の大阪市都島区)出身。宮城県白石高等学校卒業、日本大学藝術学部演劇科中退。 父の左義右は1898年9月、現在の福島県伊達市に生まれた。兄に義一郎がいた。錠によれば母の文は神奈川県横浜市出身だが、母親自身の話では父(錠の祖父)が台湾総督の副官であり、台湾で生まれ、父の転勤で日本へ戻り、静岡県浜松市で育ったと述べている。
マルセ太郎(まるせ たろう、1933年12月6日 - 200… マルセ太郎(まるせ たろう、1933年12月6日 - 2001年1月22日)は、大阪府出身のパントマイム芸人、俳優、ヴォードヴィリアン、劇作家。 在日朝鮮人二世として大阪市生野区猪飼野(現在の生野区中川)に生まれる。本名、金原 正周(きんばら まさのり)/金均洚(キム・キュンホン、김균홍)。大阪府立高津高等学校卒業後、1954年に上京した。もともと新劇俳優志望だったが、俳優座養成所の試験に落ちる。失意とヒロポン中毒の中、映画『天井桟敷の人々』を見てパントマイムを知り、マルセル・マルソーの舞台演技に影響を受けた。マルセル・マルソーにちなんだ芸名でパントマイム芸人としての活動を始めた。 高校の同級生に関西で活躍するジャズ・ピアニストの大塚善章がいた。
浅田 浩二(あさだ こうじ、1933年(昭和8年)12月6日… 浅田 浩二(あさだ こうじ、1933年(昭和8年)12月6日 - 2013年(平成25年)12月15日)は、日本の農芸化学者。京都大学名誉教授。農学博士。位階は従四位。淺田浩二と綴られることもある。京都市伏見区に在住した。京都府出身。 福山大学 生命工学部元教授(生命工学科)。オーストラリア国立大学非常勤講師。 JSPP(日本植物生理学会)サイエンスアドバイザー。岡山県生物学総合研究所研究アドバイザー。 多くの餓死者を出した敗戦直後の時期に少年時代を過ごした体験から、農学者の道を志す。 世界に先駆けて、活性酸素の生成-消去バランスが好気性生物の生存にとって重要であることを提唱し、1960年代後半頃より、生物に害を及ぼす反応性の高い酸素の分子種(・O2−, H2O2, ・OH, 1O2 など)をまとめて「活性酸素」と呼ぶことを提唱した。