スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
村民代表南川(そんみんだいひょうみなみかわ、1994年3月2… 村民代表南川(そんみんだいひょうみなみかわ、1994年3月28日 - )は、日本のお笑いタレント、ピン芸人。愛称は村民(そんみん)。サンミュージックプロダクション所属。 岩手県滝沢村(現滝沢市)出身で、芸名の由来となっている。その他、自身の学生時代のあだ名も「村民」であり、呼ばれ慣れている名前を残したかったからということで、「4・4・5の音、またはそれに準ずるリズムで読める芸名」にするため、勝手に「代表」を付け、最後も5音にするために本名の皆川に一字足して「南川」にして芸名を付けた。他の芸名候補として、高校時代に囲碁将棋部の主将であり、初めて作ったフリップネタが「高校将棋あるある」だったことから同じく4・4・5の音を活かした「将棋部キャプテン南川」、高校の文化祭で出た時の芸名「WENT!皆川」も考えていたが、「将棋部 - 」の方は、この芸名だと将棋ネタしか出来なくなりそうだと気付いたこと、「WENT - 」はGO!皆川を過去形にしているだけということで共に候補から外したという。
西川 潤(にしかわ じゅん、1986年12月10日 - )は… 西川 潤(にしかわ じゅん、1986年12月10日 - )は、日本のプロレスラーである。岩手県盛岡市出身。
大将 (たいしょう、1984年4月27日 - )は、日本のお… 大将 (たいしょう、1984年4月27日 - )は、日本のお笑い芸人。本名は藤澤 大将(ふじさわ だいすけ)。岩手県盛岡市出身。 岩手高等学校、北海道浅井学園大学(現:北翔大学)卒業。大学卒業後、2007年4月に総合学園・ヒューマンアカデミーへ入学。ヒューマンアカデミー時代は、同期生同士で『ラインズマン』を結成していた。なお、当時は両者ともギャルに扮して、ギャル的に実際にありがちなエピソードを展開するネタなどを披露していた。 かつて結成していたコンビは「プラチナポケット(男性コンビ 2008年4月6日結成、2009年2月解散)」、「ユニバーサルボンボン(男女コンビ 2009年4月1日結成、2010年10月からマセキ芸能社所属、2012年9月3日解散)」。
柴田 泰孝(しばた やすたか、Shibata Yasutak… 柴田 泰孝(しばた やすたか、Shibata Yasutaka、1981年〈昭和56年〉10月8日 - )は、オペラ歌手。岩手高等学校卒業、洗足学園音楽大学音楽学部声楽科卒業。血液型A型。
長沢 興祐(長澤 興祐、ながさわ こうすけ、1981年〈昭和… 長沢 興祐(長澤 興祐、ながさわ こうすけ、1981年〈昭和56年〉5月23日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(1期)。 足立区議会議員(3期)を務めた。 静岡県生まれ。岩手県で育つ。私立岩手中学・高等学校、日本大学法学部政治経済学科卒業。明治大学公共政策大学院ガバナンス研究科修了。卒業後はオーストラリアに渡り、テニスコーチとして指導する。帰国後、民間会社勤務を経て、東京都議会議員高島直樹の秘書を務める。2015年、足立区議会議員に初当選。3期10年務める。 2026年1月、自由民主党東京都第29選挙区支部長に就任。2月の第51回衆議院議員総選挙で東京29区から自民党公認で立候補し、中道改革連合の木村剛司らを破り初当選した。
前田 剛秀(まえだ たけひで、1979年2月17日 - )は… 前田 剛秀(まえだ たけひで、1979年2月17日 - )は、岩手県盛岡市出身のレーシングドライバー。実業家。岩手医科大学歯学部卒。 2003年、FJ1600東北シリーズにて公式レースデビュー。 岩手県内では医大生レーサーとして取り上げられ、ニュースやドキュメンタリー番組、CM出演、雑誌にてコラム掲載など、多くのメディアに取り上げられた。
KYO-SUKE(キョウスケ、本名:中村 恭輔(なかむら き… KYO-SUKE(キョウスケ、本名:中村 恭輔(なかむら きょうすけ)、1974年11月28日 - )は日本のマジシャン、創作家、俳優。岩手県盛岡市出身。 至近距離で演じるクロースアップ・マジックからステージで演じるステージ・マジックまで幅広いジャンルをこなす。 “マジックとは仮想現実(ヴァーチャル・リアリティ)を現実世界に創造するエンターテインメントである”という哲学を持ち、『ヴァーチャリスト』を称する。 岩手高等学校、石巻専修大学卒業。大学在学中、学内にマジック研究愛好会『アート・オブ・エフェクト』を設立。初代代表を務める。 大学卒業後、「日本テレビアナウンスカレッジ」(現・日テレ学院)にて、トークと演技を学ぶ。
佐々木 光司(ささき こうじ、1959年8月2日 - )は、… 佐々木 光司(ささき こうじ、1959年8月2日 - )は、日本の政治家。岩手県岩手町長(2期)。 岩手県岩手郡生まれ。岩手町立沼宮内小学校、岩手町立沼宮内中学校、岩手高等学校、慶應義塾大学文学部史学科国史学専攻卒業。1983年(昭和58年)4月、岩手町役場に奉職。 2017年(平成29年)3月、岩手町役場退職。同年4月、有限会社佐々木石材工業に入社。同年11月、任期満了に伴う岩手町長選挙に立候補する意向を表明。 2018年(平成30年)5月20日執行の岩手町長選挙で現職の民部田幾夫との一騎打ちを制し、初当選を果たした。6月1日、町長就任。※当日有権者数:11,748人 最終投票率:67.71%(前回比:-15.14pts) 2022年(令和4年)5月17日、任期満了に伴って告示された岩手町長選挙でほかに立候補の届け出がなく、無投票で再選が決まった。
藤原 隆麿(ふじわら たかまろ 1954年 - 2020年)… 藤原 隆麿(ふじわら たかまろ 1954年 - 2020年)は、日本の神職であり、盛岡八幡宮の第11代宮司、岩手護国神社宮司、岩手県神社庁長、神社本庁理事、神道政治連盟総務会長を務めた。 岩手高等学校、皇學館短期大学を経て、1980年より神社本庁録事、秘書部長などを歴任し、1997年より宮司に就任。 2011年の東日本大震災が起きたときには、4日後に被災地に入り、岩手県神社庁理事として被災地支援の陣頭指揮をした。2013年3月26日に岩手県神社庁長に選任された。 2019年に戦没者を追悼する行事を行った。 2020年5月に死去が報じられた。
高橋 克彦(たかはし かつひこ、1947年8月6日 - )は… 高橋 克彦(たかはし かつひこ、1947年8月6日 - )は、日本の小説家。 岩手県釜石市生まれ、盛岡市在住。岩手中学校・高等学校を経て早稲田大学商学部卒業。 大学卒業後、浮世絵の研究者となり、久慈市のアレン短期大学専任講師となる(父のつてによる)[要出典]。1983年に『写楽殺人事件』で江戸川乱歩賞を受賞してデビュー。『総門谷』『竜の柩』などのアクション伝奇小説(広義のSF)、『炎立つ』『火怨』などの歴史小説のほか、ホラー、ミステリー、時代小説など、幅広いジャンルで活躍する。東北地方を舞台とすることが多い。浮世絵師東洲斎写楽の正体について、『写楽殺人事件』の作中では秋田蘭画の絵師説、『歌麿殺贋事件』の作中では喜多川歌麿説を展開しているが、高橋自身は能役者斎藤十郎兵衛説への支持を公言している。
小武方 信一(こぶかた しんいち、1933年12月17日 -… 小武方 信一(こぶかた しんいち、1933年12月17日 - 2009年6月2日)は、元プロ野球選手。 1933年(昭和8年)12月17日、小武方寅次郎・テルの長男として、岩手県岩手郡大更村(現在の八幡平市大更)で出生。父・寅次郎は大更村村長を務めていたが昭和17年、急病のため死去 岩手高校では、エースとして1951年夏の甲子園予選奥羽大会に進むが、1回戦で七戸高に敗れる。卒業後は富士製鐵釜石に入社。1954年の都市対抗では、3完投勝利で準決勝に進み八幡製鐵の福嶋一雄と投げ合うが敗退。 1955年に南海ホークスへ入団。同年は15試合に登板し、4月5日に近鉄から初勝利を挙げるが、1956年限りで退団。
円子 宏(まるこ ひろし、1933年3月22日 - 1998… 円子 宏(まるこ ひろし、1933年3月22日 - 1998年6月9日)は、岩手県出身の元プロ野球選手(投手)。東都大学野球連盟やプロ野球関連の資料では旧字体の圓子 宏と表記されることが多い。 岩手高校から東京農業大学へ進学。東都大学野球リーグでは専大、日大など伝統校の壁を破れず、在学中4位以下に沈む。リーグ通算85試合登板で23勝44敗をマークするが、44敗はリーグ記録である。3年次の1953年秋季リーグで記録した83奪三振は、1990年春季リーグで111奪三振を記録した亜大の小池秀郎に抜かれるまで、長らくリーグ歴代1位の記録であった。ただし、この記録は後に改定され、中大の高橋輝による107奪三振(1949年春)となっている。
村上 昭夫(むらかみ あきお、1927年1月5日 - 196… 村上 昭夫(むらかみ あきお、1927年1月5日 - 1968年10月11日)は、日本の詩人。 岩手県東磐井郡大東町(現:一関市)出身。生地は現在の陸前高田市。両親は叔父と姪の関係であった。岩手中学校(現:岩手高等学校)を卒業。第二次世界大戦中、日本鋳造鶴見工場に学徒動員。工場の寮に募集斡旋があったことから満州国哈爾濱省官吏となるが、8月に終戦。ソ連のシベリアで二年間の過酷な抑留生活を送る。 1946年に帰国後、1947年に盛岡郵便局に勤務、労働組合機関誌を編集して小説や詩を発表する。しかし1950年に結核が発病し、退職を余儀なくされる。この結核との闘病生活は41歳で亡くなる最期まで続く。村上の創作活動は闘病生活の中、サナトリウムでの俳句から始まり、やがて同じサナトリウムに入院してきた詩人の高橋昭八郎の影響から詩に転じた。