二見 富雄(ふたみ とみお、1927年12月27日 - 20… 二見 富雄(ふたみ とみお、1927年12月27日 - 2007年1月25日)は、日本の経営者。日野自動車社長を務めた。東京都出身。 1953年に東京大学法学部を卒業し、同年に日野ヂーゼル工業(のちの日野自動車)に入社。 1978年6月に取締役に就任し、1987年6月には社長に就任。1997年6月に相談役に就任し、2000年6月から顧問を務めた。 2007年1月25日肺がんのために死去。79歳没。
藤沢 周平(ふじさわ しゅうへい、1927年(昭和2年)12… 藤沢 周平(ふじさわ しゅうへい、1927年(昭和2年)12月26日 - 1997年(平成9年)1月26日)は、日本の小説家。山形県鶴岡市出身。本名:小菅 留治(こすげ とめじ)。 江戸時代を舞台に、庶民や下級武士の哀歓を描いた時代小説作品を多く残した。とくに、架空の藩「海坂藩(うなさかはん)」を舞台にした作品群が有名である。 山形県東田川郡黄金村大字高坂字楯ノ下(現在の鶴岡市高坂)に生まれる。父小菅繁蔵と母たきゑの第四子(兄弟は順に繁美、このゑ、久治、留治、てつ子、繁治)。実家は農家で、藤沢自身も幼少期から家の手伝いを通して農作業に関わり、この経験から後年農村を舞台にした小説や農業をめぐる随筆を多く発表することになる。
山路 敬三(やまじ けいぞう、1927年12月26日 - 2… 山路 敬三(やまじ けいぞう、1927年12月26日 - 2003年12月26日)は、元キヤノン社長。
日原 利国(ひばら としくに、1927年12月26日 - 1… 日原 利国(ひばら としくに、1927年12月26日 - 1984年6月21日)は、日本の中国哲学者。 1927年、山梨県生まれ。京都帝国大学文学部で中国哲学を専攻して卒業。卒業後は同大学大学院に進み、博士課程を満期修了退学した。 その後は愛知学芸大学講師となり、助教授に昇進。1971年より大阪大学文学部助教授、1973年より教授。大阪大学に学位論文『春秋公羊伝の研究』を提出して文学博士号を取得。1983年、大阪大学と兼任の形で京都大学文学部教授となったが、在任一年弱で死去した。
山川 浩二(やまかわ ひろじ、1927年 (昭和2年) 12… 山川 浩二(やまかわ ひろじ、1927年 (昭和2年) 12月26日 - )は、日本の広告評論家(広告研究家)。 大阪府出身。1951年に大倉高等商業学校(現・東京経済大学)卒業。 1952年に電通に入社。ラジオ局ラジオ制作部企画課に配属。三木鶏郎のCMソングのプロデュースにも携わった。プランニングセンター副部長を経て、クリエイティブ総務次長・開発部長を最後に退職(1982年)。 1988年、メディアボンドを設立し主宰を務める。 1989年、尚美学園短期大学教授に就任。葵プロモーション顧問などを経て、2012年現在はフリー。 早くから広告資料のアーカイブ化に着目し、著書も出している。
佐武 一郎(さたけ いちろう、1927年12月25日 - 2… 佐武 一郎(さたけ いちろう、1927年12月25日 - 2014年10月10日)は、日本の数学者。山口県出身。カリフォルニア大学バークレー校名誉教授。東北大学名誉教授。理学博士。 専門は微分幾何学、代数群。佐武同型(英語版)(Satake isomorphism)、志村多様体の佐武コンパクト化、ディンキン図形の一般化である佐武図形(英語版)(Satake diagram)、保型形式のL-函数のオイラー積における佐武パラメーターなどで知られる。著書の『線型代数学』は線型代数学の入門書として有名であり、現在でも広く読まれている。
赤井 達郎(あかい たつろう、1927年12月24日 - 2… 赤井 達郎(あかい たつろう、1927年12月24日 - 2017年1月7日)は、日本の歴史学者。奈良教育大学名誉教授。専門は日本美術史・芸能史。 1927年、岐阜県中津川市で生まれた。立命館大学文学部で学び、1954年に卒業。同大学大学院文学研究科に進学し、1958年に修了。 1993年から1999年まで奈良教育大学学長を務め、同大学を退任後は名誉教授。2017年1月7日に死去。89歳没。叙正四位。
荒川 さつき(あらかわ さつき、1927年12月22日 - … 荒川 さつき(あらかわ さつき、1927年12月22日 - 没年不明)は、日本の女優。本名は吉田 五月。 熊本県出身。東京川村女学院(現・川村高等学校)を経て実践専門学校中退。鎌倉在住の文士たちが中心になって開催した鎌倉カーニバルにおいてミス鎌倉に選ばれ、久米正雄の推薦により、1949年に大映に入社。1950年、映画「私は狙われている」(監督:森一生)で主役に抜擢される。1952年に新東宝に移籍。1959年に東映入社。1963年の時点では東京俳優生活協同組合に所属 。 1956年、関東女子ゴルフ選手権で優勝。当時、大きな話題となる。
滝口 豊広(たきぐち とよひろ、1927年12月22日 - … 滝口 豊広(たきぐち とよひろ、1927年12月22日 - 没年不明)は、福岡県出身の元プロ野球選手。 戦前の来歴は不明。戦後の1946年に西南学院中学部に入学するが、小倉中学監督の鬼塚格三郎にその才能を見出され、鬼塚の推薦で1947年に明治大学に入学。入学時すでに20歳と高齢だったため、若手捕手との争いに敗れ、主にブルペン捕手として活躍した。同期には牧野茂、山崎善平、菅原道裕などがいた他、1学年下に実弟が在籍していた。 明大専門部卒業後、同郷の先輩の誘いで1949年に大映スターズへ入団。しかしプロでもブルペン捕手としての起用が中心で、1軍出場は1試合のみだった。 その後は門司鉄道局でプレー。1952年、1953年の全国鉄硬式野球大会にも出場している。
飛田 茂雄(とびた しげお、1927年12月22日 - 20… 飛田 茂雄(とびた しげお、1927年12月22日 - 2002年11月5日)は、日本のアメリカ文学者、翻訳家、中央大学名誉教授。日本ヘンリー・ミラー協会名誉会長。 東京都世田谷区出身。1940年、主計将校だった父の転勤に伴って広島に転居。勤労動員先の陸軍被服支廠で被爆している。1952年、青山学院大学英文科卒業。1957年、早稲田大学大学院文学研究科近代英文学専攻博士課程修了(中退)。1955年、青山学院大学助手、1957年に同専任講師、1960年同助教授。1963年、小樽商科大学助教授、1969年に中央大学商学部教授、1993年に中央大学総合政策学部教授。 この間1976年4月から半年間カールトン大学客員研究員、1978年4月から1年間ノースカロライナ大学チャペルヒル校客員研究員を歴任。
岩田 平太郎(いわた へいたろう、1927年 <昭和2年> … 岩田 平太郎(いわた へいたろう、1927年 <昭和2年> 12月22日 - 2009年 <平成21年> 4月19日)は、日本の神経薬理学者。大阪大学名誉教授。妻は水墨画家の岩田咲子、長男は応用昆虫学者の岩田隆太郎。曾祖父の弟は実業家の岩田惣三郎。位階は従三位。 大阪府大阪市天王寺区生まれ。大阪大学医学部1951年卒業。1956年大阪大学医学博士。 奈良県立医科大学助手、名古屋市立大学医学部助教授、大阪大学薬学部教授を歴任。 タウリンなどの神経薬理作用の研究などを行う。 関西探偵作家クラブ会員としてラジオドラマなどの執筆も行い、白井 竜三のペンネームによる「渦の記憶」で1960年6月、「クラボウ・ミステリ・影」入選[6]。
長野 卓 (ながの たかし、1927年12月22日 - 19… 長野 卓 (ながの たかし、1927年12月22日 - 1998年4月4日)は日本の映画監督、脚本家。 静岡県浜松市生まれ。1947年に日本大学を卒業。1950年、東宝で助監督を務め、映画監督に就任した。1960年代と1970年代に多くのテレビシリーズを監督した。 1998年4月4日、東京都で肺梗塞のため死去。 ※のみ監督、他は助監督
小川 国夫(おがわ くにお、1927年(昭和2年)12月21… 小川 国夫(おがわ くにお、1927年(昭和2年)12月21日 - 2008年(平成20年)4月8日)は、日本の小説家。静岡県藤枝市出身。大阪芸大教授。 20歳でカトリックに入信。仏留学中に地中海沿岸を巡った経験から書いた『アポロンの島』が島尾敏雄の推挽により注目を集め、「内向の世代」の代表作家と目された。堅固で簡潔な文体でもって、自然や人間存在の原形を描き出し、聖書の世界を描く物語やエッセイを数多く手がけた。日本芸術院会員。 三男の小川光生は、サッカーライター・翻訳家。 静岡県志太郡藤枝町長楽寺(現在の藤枝市本町)に小川富士太郎・まきの長男として生まれる。母まきの弟は竹内壽平。1933年、青島幼稚園に入園。
平岡 敬(ひらおか たかし、1927年(昭和2年)12月21… 平岡 敬(ひらおか たかし、1927年(昭和2年)12月21日 - )は、日本の政治家。第31・32代広島市長。大阪府出身。 大阪市住吉区に生まれ、ソウルと広島市で育つ。旧制広島高等学校を経て早稲田大学第一文学部卒業後、中国新聞社へ入社。1964年に創刊し、1年で廃刊となったスポーツ中国の製作責任者(スポーツ整理部部長) や、常務取締役編集局長、中国放送代表取締役社長などを歴任した後、1991年2月3日に行われた広島市長選挙で保守分裂による候補者乱立のなかから初当選。1995年には再選を果たし、1999年までの2期8年にわたり在職した。 在任中の1994年には広島アジア大会が開催され、また原爆ドームの世界遺産登録に力を注いだ。
清水 正和(しみず まさかず、1927年12月19日 - 2… 清水 正和(しみず まさかず、1927年12月19日 - 2002年7月17日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。甲南女子大学名誉教授。 専門分野は19世紀フランス文学とその関連芸術。 和歌山県生まれ。京都大学文学部フランス文学専攻卒業。大阪音楽大学助教授を経て甲南女子大学教授。1998年定年退職し、名誉教授。 2002年、肝不全により74歳で死去した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
南 和男(みなみ かずお、1927年12月19日 - 201… 南 和男(みなみ かずお、1927年12月19日 - 2017年9月24日)は、日本の日本史学者。 大阪府大阪市天王寺区上本町生まれ。1951年國學院大學文学部国史学科卒業。1981年「幕末江戸社会の研究」で立正大学より文学博士の学位を取得。東京都の公立中学校教諭、1958年東京都立航空工業高等専門学校講師となり、教授で定年退職、1988年駒澤大学文学部教授となり、1998年定年退職。江戸時代の風俗などを研究した。
金森 誠也(かなもり しげなり、1927年12月18日 - … 金森 誠也(かなもり しげなり、1927年12月18日 - 2018年6月6日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。専門は、ドイツ文学・ドイツ思想。 東京出身。1952年東京大学文学部独文学科卒業。54年同大学院修士課程修了。日本放送協会に勤務し、国際局欧米部チーフディレクター。1977年に広島大学総合科学部教授、亜細亜大学教養部教授、1983年静岡大学教授。1991年定年退官し日本大学教授。1998年に退職。 1993年に日本独学史学会賞,2007年に国際文化表現学会賞受賞[要出典]。
中里 良彦(なかざと よしひこ、1927年〈昭和2年〉12月… 中里 良彦(なかざと よしひこ、1927年〈昭和2年〉12月17日 - 2022年〈令和4年〉6月12日)は、日本の経営者。富士電機社長を務めた。 群馬県渋川市出身。1945年、群馬県立前橋中学校卒。1951年に東京大学第一工学部機械工学科を卒業し、同年に富士電機製造(のちの富士電機)に入社。1981年8月に取締役に就任し、1983年6月に常務を経て、1987年2月に副社長に就任し、1992年6月に社長に昇格。1998年6月に相談役に就任。 1991年11月に藍綬褒章を受章。 2022年6月12日老衰のために死去。94歳没。
平田 昭彦(ひらた あきひこ、1927年〈昭和2年〉12月1… 平田 昭彦(ひらた あきひこ、1927年〈昭和2年〉12月16日 - 1984年〈昭和59年〉7月25日)は、日本の俳優。本名は小野田 昭彦(おのだ あきひこ)。 主に東宝映画、テレビドラマで活躍。特撮分野の名優としても知られる。吉江企画に所属していた。 夫人は女優の久我美子。実兄に映画監督の小野田嘉幹、義姉(嘉幹の妻)に女優の三ツ矢歌子、実妹に女優の音羽美子がいる。 日本統治時代の朝鮮の京城生まれ、東京都中野区出身。東京陸軍幼年学校、陸軍士官学校(60期)、旧制第一高等学校を経て、東京大学法学部政治学科卒。 陸士での同期には中條高徳がいた。また、東大での親しい同期には児島襄、松下康雄らがいた。
佐伯 孚治(さえき たかはる、1927年12月15日 - 2… 佐伯 孚治(さえき たかはる、1927年12月15日 - 2018年1月13日)は、日本の映画監督、演出家。 東京府東京市本郷区西片町(現在の文京区西片)出身。旧制・開成中学校から旧制第四高等学校を経て、東京大学文学部仏文科卒業。1954年に東映入社。東映東京撮影所の助監督として田坂具隆に師事し、1964年に『どろ犬』で監督デビューする。しかし1965年、労働争議に参加していた佐伯は社長大川博の逆鱗に触れ、テレビ映画製作専門の別会社・東映東京制作所に異動した。その後、数人のスタッフとともに「目黒PR分室」に配属となり、実質的に現場で仕事が出来ない状態になっていた。 1966年、佐伯の置かれた状況を心配した同期の脚本家・鈴木尚之の計らいもあって、『渥美清の泣いてたまるか』(製作国際放映)を監督。
小山田 宗徳(おやまだ むねのり、1927年〈昭和2年〉12… 小山田 宗徳(おやまだ むねのり、1927年〈昭和2年〉12月14日 - 1986年〈昭和61年〉5月13日)は、日本の俳優、声優である。福島県石川郡石川町出身で、東京府立第六中学校を経て東京高等学校 (旧制)を1948年に卒業した。 1951年に俳優座養成所へ三期生として入所し、1954年に卒業した。同期に穂積隆信、渡辺美佐子らがいた。1960年に小沢昭一らと7人で「劇団俳優小劇場」を旗揚げ、小劇場活動で先駆的役割を務めた。1961年に、水谷八重子に招かれて「女の勲章」で新派の舞台に立った。 舞台公演の傍ら1950年代後半からテレビドラマにも活躍の場を広げ、「今日を生きる」「白い南風」などのいわゆる『よろめきドラマ』に出演すると、誠実で落ち着いた雰囲気と風貌が主婦層に高く人気を得た。
森田 富士郎(もりた ふじお、1927年12月14日 - 2… 森田 富士郎(もりた ふじお、1927年12月14日 - 2014年6月11日)は、日本の撮影技師、撮影監督、特撮監督。 1927年(昭和2年)、京都府葛野郡太秦村(現在の京都市右京区太秦)の出身。映画監督の黒田義之とは京都市立太秦小学校の同級生だった。1945年(昭和20年)、京都市立第一工業学校卒業。 1947年(昭和22年)、大映京都撮影所撮影部に戦後第一号入所。撮影助手として相坂操一キャメラマンに師事。当時、敗戦後の復員によって、京都撮影所は撮影助手だけで総勢40人の大所帯だった。相坂の他、杉山公平、宮川一夫の撮影助手も多数務めた。 1949年(昭和24年)、『幽霊列車』(野淵昶監督)、『透明人間現わる』(安達伸生監督)で円谷英二の特撮助手を務め、これが円谷との出会いとなる。
石川 周(いしかわ いたる、1927年12月14日 - )… 石川 周(いしかわ いたる、1927年12月14日 - )は、日本の銀行家。常陽銀行頭取を務めた。 茨城県水戸市出身。1953年に東京大学経済学部経済学科を卒業し、同年に大蔵省に入行。1982年6月に造幣局長、1983年7月に国土庁長官官房長を経て、1984年7月から1985年7月までに国土事務次官を務めた。1985年9月に常陽銀行顧問に就任し、1986年6月に取締役、同年7月に副頭取を経て、1988年7月には頭取に就任。1993年6月に会長を経て、1999年6月には取締役相談役に退いた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
額田 やえ子(ぬかだ やえこ 、1927年12月13日 - … 額田 やえ子(ぬかだ やえこ 、1927年12月13日 - 2002年4月9日)は、東京出身の英語翻訳家、吹き替え字幕翻訳家。映画翻訳家協会会員。 父は劇作家・小説家の額田六福。本名・渡辺弥栄子。夫は英米文学翻訳家・渡辺栄一郎。 東京府青山師範学校附属小学校(現・東京学芸大学附属世田谷小学校)から立教女学院をへて1944年日本女子大学国語学科に入学、母の同期生だった茅野雅子に学び、敗戦後1948年に卒業。アテネ・フランセで英語を学び、高等科を卒業、1952年、南部圭之助の秘書としてスタア社に入り、映画雑誌『スタア』の編集に4年間携わり、1956年からテレビ映画の吹き替えの翻訳を始める。 『刑事コロンボ』など、テレビドラマ等の吹き替え(アテレコ)の翻訳や、小説の翻訳などで知られている。
岡村 崔(おかむら たかし、1927年12月13日 - 20… 岡村 崔(おかむら たかし、1927年12月13日 - 2014年2月4日)は、日本の写真家。 東京府下吉祥寺に生まれる。5歳の頃、両親の故郷静岡県に転居。幼少期は相良、その後静岡市内に移り、1945年、静岡県立静岡中学校卒業。 1948年に芝浦工業専門学校(現、芝浦工業大学)を卒業し、日本大学旧工学部(現、理工学部)建築学科に入学(のち中退)。 中学在学中より登山を始め、山岳風景の写真にも取り組むようになる。1958年、登山の国際大会に参加するため初めて渡欧。この頃より専攻した建築から関心を広げ、ロマネスクの彫刻などヨーロッパの文化、美術に興味を持ち、渡航を重ねる。1965年にはローマに移住、ヨーロッパ各地の美術作品や教会建築などの撮影を中心に美術写真の専門家として活動するようになった。
山本徳源(やまもと とくげん、1927年12月13日 - 1… 山本徳源(やまもと とくげん、1927年12月13日 - 1995年12月2日)は、元ワーナー・パイオニア社長。 1927年、東京府北多摩郡狛江村(現・狛江市)に生まれる。1947年芝浦高等工学校卒業、1961年早稲田大学経済学部夜間部卒業。卒業後、上智大学、ハーバード大学で学ぶ。 アメリカン・スクール事務長、フルブライト委員会事務局、RCAレコード・アジア太平洋地区代表を歴任。1981年にワーナー・パイオニア常務となり、1985年から代表取締役社長。 その他、タイム・ワーナー特別顧問、デール・カーネギー・コース日本主催者、パンポテンシア代表取締役社長も務めた。 1995年12月2日、心筋梗塞のため死去。
佐藤 隆(さとう たかし、1927年12月11日 - 199… 佐藤 隆(さとう たかし、1927年12月11日 - 1991年4月17日)は、日本の政治家。自由民主党参議院議員(2期)・衆議院議員(6期)。新潟県中蒲原郡亀田町(現新潟市)出身。東京農業大学卒業。従三位勲一等瑞宝章。父は衆議院議員・参議院議員と務めた佐藤芳男、子は新潟県議会議員の佐藤純。
佐藤 隆(さとう たかし、1927年12月11日 - 199… 佐藤 隆(さとう たかし、1927年12月11日 - 1991年4月17日)は、日本の政治家。自由民主党参議院議員(2期)・衆議院議員(6期)。新潟県中蒲原郡亀田町(現新潟市)出身。東京農業大学卒業。従三位勲一等瑞宝章。父は衆議院議員・参議院議員と務めた佐藤芳男、子は新潟県議会議員の佐藤純。 1949年東京農業大学農学部農業経済学科卒業後、農林中央金庫に入り、後に農林漁業金融公庫に移る。退社後は父・芳男の秘書を経て、1967年の衆議院議員総選挙に旧新潟2区から無所属で出馬したが落選。しかし同年8月に父が災害で急死し、それを受けて行われた参議院議員補欠選挙に新潟選挙区から自民党公認で出馬し初当選。
竹ノ内 洋一郎(たけのうち よういちろう、1927年12月1… 竹ノ内 洋一郎(たけのうち よういちろう、1927年12月11日 - )は、日本の建築家。
菊池 瑞穂(きくち みずほ、男性、1927年12月11日 -… 菊池 瑞穂(きくち みずほ、男性、1927年12月11日 - 2022年4月16日)は、日本の実業家。富士シティオ及びスリーエフ創業者。 愛媛県西宇和郡宮内村(後の保内町、現在の八幡浜市)の農家出身。日本の降伏後復員して上京し、富士スーパーを創業。1979年富士スーパーのコンビニエンス事業部としてスリーエフを創業し、チェーン展開を開始し、1981年スリーエフを設立。2007年に郷里八幡浜市立宮内小学校と、八幡浜市立保内中学校に本を寄贈し、図書館内に菊池瑞穂・早苗文庫が設けられた。のちにスリーエフ代表取締役社長を務めた中居勝利は娘婿。 2022年死去、94歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
鎌田 茂雄(かまた しげお、道号:梅嶺、1927年12月10… 鎌田 茂雄(かまた しげお、道号:梅嶺、1927年12月10日 - 2001年5月12日)は、日本の仏教学者。中国仏教史研究に多大な業績がある。学位は、文学博士。東京大学名誉教授。僧名は慧忍。 1927年、神奈川県鎌倉市に生まれた。陸軍幼年学校に入学し、1945年に卒業。陸軍士官学校に進むが、終戦により中途退学。退学後は駒澤大学予科に編入した。 駒澤大学予科に編入後、円覚寺で参禅。1948年、駒澤大学予科を卒業し、同大学文学部仏教学科に進んだ。1951年に卒業し、東京大学大学院人文科学研究科印度哲学専門課程に進んだ。華厳学を専攻し、1955年に修士課程を修了。1958年、博士後期課程を満期修了。
佐藤 昌一郎(さとう しょういちろう、1927年 <昭和2年… 佐藤 昌一郎(さとう しょういちろう、1927年 <昭和2年> 12月10日 - 2010年 <平成22年> 8月25日)は、日本の政治家。元山形県村山市長(5期)。位階は従四位。勲四等旭日小綬章。 山形県出身。1951年、東北大学農業経営学科卒。NHKに入り、報道部勤務を経て、宮崎、山形の各放送局長、中央研究所教授を務める。1980年の第12回参議院議員通常選挙において山形県選挙区から野党系候補として無所属で立候補したが落選した。1982年に村山市長選挙に立候補して初当選し、5期務めた。2010年死去。死没日付をもって従四位に叙された。
阿部 明子(あべ あかし、女性、1927年12月10日 - … 阿部 明子(あべ あかし、女性、1927年12月10日 - 2018年2月28日)は、日本の育児学者、東京家政大学名誉教授。 東京出身、旧満洲(中国東北部)生まれ。旧姓・小田島。英文学者の小田島雄志は弟、エッセイストの松村紀代子は妹。 日本女子大学家政学部児童学科卒業、同大学院修士課程修了、東京家政大学短期大学部講師、助教授、教授、1998年東京家政大学名誉教授。 2018年2月28日午後、多臓器不全のため、東京都目黒区の病院で死去。90歳没。
梅田 昌志郎(うめだ よしろう、1927年12月10日 - … 梅田 昌志郎(うめだ よしろう、1927年12月10日 - )は、英文学者、作家。本名は芳朗。 札幌市生まれ。1951年(昭和26年)北海道大学卒、1960年「海と死者」で中央公論新人賞受賞。文化学院や法政大学講師を務め、英文学などの翻訳がいくつかある。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
中沢 昭二(なかざわ しょうじ、1927年 (昭和2年) 1… 中沢 昭二(なかざわ しょうじ、1927年 (昭和2年) 12月9日 - )は、日本の脚本家、放送作家。 高知県出身。海南中学校(現・高知小津高等学校)卒業。日本放送作家協会会員。
水野 肇(みずの はじめ、1927年12月9日 -2019年… 水野 肇(みずの はじめ、1927年12月9日 -2019年5月)は、日本のジャーナリスト、医事評論家。大阪府出身。 父は作曲家・声楽家で元岡山大学教育学部長の水野康孝。1948年大阪外国語大学ロシア語学科卒業後、山陽新聞入社。社会部デスク時代に企画連載「ガンを追って」で日本新聞協会賞を受賞。その後独立して医事問題の評論家となり、老人保健福祉審議会、医道審議会等の委員を歴任。 この項目は、医学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:医学/Portal:医学と医療)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
戸口 幸策(とぐち こうさく、1927年12月9日 - 20… 戸口 幸策(とぐち こうさく、1927年12月9日 - 2016年9月17日)は、日本の音楽学者、成城大学名誉教授。専門はイタリア音楽史。別名、あずさ・まゆみ。 和歌山県生まれ。1953年東京大学経済学部卒。イタリアで音楽学を学び、1964年成城大学助教授、教授、1998年定年退任、名誉教授。 和歌山県文化賞受賞。1979年イタリア政府よりカヴァリエーレ(ナイト)勲章授与。1996年『オペラの誕生』で京都音楽賞受賞。
辻 信太郎(つじ しんたろう、1927年(昭和2年)12月7… 辻 信太郎(つじ しんたろう、1927年(昭和2年)12月7日 - )は、日本の実業家、作家。山梨県庁職員を経て、株式会社サンリオを創業。同社代表取締役社長・会長を歴任し、現在は同社の名誉会長。 1960年8月の創業以来、2020年6月までサンリオの社長を務めた。サンリオ作品の原作・脚本を執筆するなどの創作活動も手がけている。日本文芸家協会・日本ペンクラブ会員。 長男はサンリオ副社長を務めた辻邦彦(2013年没)。また現社長・辻朋邦は孫。 サンリオが発行する『いちご新聞』で毎号コラムを掲げる「いちごの王さま」は辻の分身的存在であり、王さまの姿を借りて「世界中がみんな仲良く平和に暮らせるように」との願いを発信し続けている。
上原 昭二(うえはら しょうじ、1927年(昭和2年)12月… 上原 昭二(うえはら しょうじ、1927年(昭和2年)12月7日 - )は、日本の実業家。大正製薬名誉会長。東京府出身。 内務省技師・土屋澄男の次男として生まれる。参議院議長・埼玉県知事などをつとめた土屋義彦は兄。 父が急性肺炎で死去し、母・初江は子どもを残して家を去ったため、昭二は澄男の妹・上原小枝とその夫上原正吉の養子となる。 東京薬学専門学校(現:東京薬科大学)卒業後、1948年(昭和23年)、大正製薬所(現:大正製薬)に入社。1950年には23歳の若さで取締役に選任され、1957年に副社長、1973年に社長。1982年に婿養子・上原明に社長を譲り、会長となる。 1983年(昭和58年)5月、正吉・小枝夫妻により小枝の郷里・静岡県下田市に上原仏教美術館が開館。
林 友直(はやし ともなお、1927年12月6日 - 202… 林 友直(はやし ともなお、1927年12月6日 - 2024年6月4日)は、日本の航空宇宙工学者。東京大学名誉教授。宇宙電子工学専攻。
森本 和夫(もりもと かずお、1927年12月6日 - 20… 森本 和夫(もりもと かずお、1927年12月6日 - 2012年10月1日)は、日本のフランス文学者、翻訳家、道元研究家。東京大学名誉教授。 1927年、奈良県で生まれた。東京府立第十一中学校(現・東京都立江北高等学校)を経て、東京大学文学部仏文科に進学。同大学大学院に進み、博士課程を中退。 1960年、東京大学教養学部助教授に就き、フランス語を講じた。のち教授昇格。1988年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。2012年に死去。 専門はフランス文学ならびにフランス思想であり、はじめサルトルなど実存主義に始まり、メルロ=ポンティ、ロラン・バルト、ジャック・デリダなどを日本に紹介した。その後、フランス思想との関連から道元へと関心を深め、『正法眼蔵』の読解を行なっている。
阿萬 英昭(あまん ひであき、1927年12月6日 - 19… 阿萬 英昭(あまん ひであき、1927年12月6日 - 1998年2月5日)は、日本の経営者。日本新薬社長、会長を務めた。大分県出身。 1948年に熊本薬学専門学校薬学科を卒業し、同年に日本新薬に入社。 1977年に取締役に就任し、1981年6月に常務を経て、1987年6月に社長に就任。1997年6月に会長に就任。 1998年2月5日骨腫瘍のために死去。70歳没。
田宮輝夫(たみや てるお、1927年12月6日 -2000年… 田宮輝夫(たみや てるお、1927年12月6日 -2000年7月13日)は、日本の教育者。国語教育、とりわけ作文教育(生活綴方教育)の実践家・理論家。 東京生まれ。中央大学法学部卒業。東京都の小中学校に勤務。日本作文の会常任委員、教育科学研究会会員、全国生活指導研究協議会会員。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
正木 進三(まさき しんぞう、1927年12月6日 - 20… 正木 進三(まさき しんぞう、1927年12月6日 - 2017年1月28日)は、日本の生物学者。弘前大学名誉教授。専門は昆虫学で、昆虫の気候適応や光周性の研究などで知られる。「昆虫の光周性」や「生態進化発生学」などの訳本を手がけ、数多くの学生や研究者に影響を与えた。 エンマコオロギ類の気候的種分化の仮説を提唱。日本昆虫学会会長、日本応用動物昆虫学会会長をつとめた。 1927年大阪府生まれ。1954年に北海道大学を卒業。1956年、北海道大学大学院修了。1956年、三重大学農学部教務員。1957年、農学博士(北海道大学)。1958年、三重大学農学部助手、弘前大学農学部講師。1960年、弘前大学農学部助教授。
川村 晃(かわむら あきら、1927年12月3日 - 199… 川村 晃(かわむら あきら、1927年12月3日 - 1996年1月4日)は日本の小説家。 日本統治時代の台湾・嘉義市出身で静岡県沼津市育ち。静岡県立沼津中学校(現・静岡県立沼津東高等学校)在学中、1941年小説を書いて停学処分となり、以後奇矯な振る舞いのため放校となりかけ、陸軍航空通信学校に入学、大阪の飛行場に配属されていた際に敗戦を迎える。文学書を耽読するが定職なく、自殺を企て後遺症を残す。1949年日本共産党に入る。筆耕職人として働く。58年離党、59年より『文学四季』に作品を発表、子持ちの女性と同居する。60年より『文学街』に小説を発表。 「美談の出発」(「文學街」1962年3月号)が同人雑誌優秀作として『文學界』に転載され、1962年上半期第47回芥川賞を受賞。
小松 源助(こまつ げんすけ、1927年12月3日 - 20… 小松 源助(こまつ げんすけ、1927年12月3日 - 2006年9月24日)は、日本の社会福祉学者。 長野県北佐久郡(現・佐久市)生まれ。1950年日本社会事業専門学校研究科修了、1952年国立精神衛生研究所勤務、1953年熊本短期大学講師、助教授、1959年大阪府精神衛生相談所勤務、1963年日本社会事業大学助教授、教授、福祉学部長、1994年定年退任、名誉教授、東北福祉大学教授、大正大学人間学部教授、2004年聖隷クリストファー大学教授。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
加藤 祐治(かとう ゆうじ、1927年12月3日 - 201… 加藤 祐治(かとう ゆうじ、1927年12月3日 - 2016年11月21日)は、日本の技術者、模型製作者。東京都世田谷区に生まれ、株式会社関水金属の創業者であり、代表取締役会長であった。日本国内外にNゲージの鉄道模型を普及させた功労者である。 加藤祐治は1927年12月3日、東京都世田谷区で生まれた。物心ついた時からの鉄道好きで、戦後に父が経営していた加藤金属工芸社のドロップフォージング技術を生かし、当時珍しかったピボット軸受けの16番鉄道模型用の台車を発売した。加藤祐治は1949年に交通博物館で開催された鉄道模型コンクールにおいてHOゲージの車両が入賞したことがきっかけとなり実家の加藤金属(世田谷)から独立し1957年8月、東京都文京区関口水道町に鉄道模型用金属部品工場を興し、この地にちなんで関水金属彫工舎と名づけた。
南 不二男(みなみ ふじお、1927年12月2日 - )は、… 南 不二男(みなみ ふじお、1927年12月2日 - )は、日本の国語学者。 愛知県生まれ。名古屋大学文学部国文科卒、1995年「現代日本語文法の輪郭」で大阪大学文学博士。國學院大學助教授、国立国語研究所日本語教育センター長。関西外国語大学教授、文教大学教授を務めた。
木元 進一郎(きもと しんいちろう、1927年12月2日 -… 木元 進一郎(きもと しんいちろう、1927年12月2日 - 2012年5月25日)は、日本の経営学者。明治大学名誉教授。 大阪府大阪市出身。1950年明治大学商学科卒、1972年「経営参加制度研究」で経営学博士の学位を取得。明治大学経営学部講師、助教授、1962年教授となり、1996年退任、名誉教授となり、浜松大学教授、同大学学長を務めた。 労務管理が専門で、労務理論学会の創設(1991年)に尽力し、同学会第二代会長、最高顧問。2004年 旭日中綬章叙勲。
瀬原 義生(せはら よしお、1927年12月1日 - 201… 瀬原 義生(せはら よしお、1927年12月1日 - 2016年9月25日)は、日本の歴史学者。文学博士(京都大学・論文博士・1991年)(学位論文「ドイツ中世農民史の研究」)。立命館大学名誉教授。専門は中世から近世初期にかけてドイツ史。 鳥取県米子市生まれ。1951年京都大学文学部史学科西洋史専攻卒業。1956年京都大学大学院(旧制)修了。 立命館大学助教授、教授、1994年定年退任、名誉教授、京都橘女子大学教授、1991年「ドイツ中世農民史の研究」で京都大学より文学博士の学位を取得。