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信岡 資生(のぶおか よりお、1929年7月21日 - 20… 信岡 資生(のぶおか よりお、1929年7月21日 - 2018年12月21日 )は、日本のドイツ語学者。成城大学名誉教授。 広島県尾道市生まれ。旧制広島高等学校卒、1952年東京大学独文科卒、愛媛大学助教授、大阪学芸大学助教授、中央大学教授を経て、1979年成城大学経済学部教授、2000年定年退任、名誉教授。ドイツ語学院ハイデルベルク講師。1979年 - 1989年、月刊『基礎ドイツ語』(三修社)編集長。2009年秋瑞宝中綬章受勲。
稲賀 敬二(いなが けいじ、1928年(昭和3年)3月20日… 稲賀 敬二(いなが けいじ、1928年(昭和3年)3月20日 - 2001年(平成13年)4月11日)は、日本の国文学者。平安文学専攻。広島大学名誉教授。美術史家稲賀繁美の父。 旅順市明治村に生まれる。本籍地は鳥取県境港市。1947年(昭和22年)広島高等学校文科甲類卒業。1950年(昭和25年)、東京大学文学部文学科卒業。1954年(昭和29年)、東京大学大学院特別研究生退学。東京大学在学中は池田亀鑑のもとで『源氏物語大成』(全9巻)『源氏物語事典』(全2巻)などの編集に従事した。 1956年(昭和31年)、立教大学一般教育部講師、広島大学文学部講師。1961年(昭和36年)、広島大学文学部助教授。
平岡 敬(ひらおか たかし、1927年(昭和2年)12月21… 平岡 敬(ひらおか たかし、1927年(昭和2年)12月21日 - )は、日本の政治家。第31・32代広島市長。大阪府出身。 大阪市住吉区に生まれ、ソウルと広島市で育つ。旧制広島高等学校を経て早稲田大学第一文学部卒業後、中国新聞社へ入社。1964年に創刊し、1年で廃刊となったスポーツ中国の製作責任者(スポーツ整理部部長) や、常務取締役編集局長、中国放送代表取締役社長などを歴任した後、1991年2月3日に行われた広島市長選挙で保守分裂による候補者乱立のなかから初当選。1995年には再選を果たし、1999年までの2期8年にわたり在職した。 在任中の1994年には広島アジア大会が開催され、また原爆ドームの世界遺産登録に力を注いだ。
栂野 泰二(とがの たいじ、1926年1月3日 ‐ 2002… 栂野 泰二(とがの たいじ、1926年1月3日 ‐ 2002年2月14日) は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(2期)。弁護士。 島根県出身。旧制広島高校を経て1950年東京大学法学部政治学科卒。司法試験合格後、日本生協連合会などの顧問弁護士を務める。1976年の第34回衆議院議員総選挙で郷里の島根県から日本社会党公認で立候補して当選する。1979年の第33回衆議院議員総選挙で落選。1980年の第35回衆議院議員総選挙で復帰。1983年の第36回衆議院議員総選挙で落選し、政界を引退した。2002年死去。
福村 晃夫(ふくむら てるお、1925年1月5日 - 201… 福村 晃夫(ふくむら てるお、1925年1月5日 - 2016年12月5日) は、日本の情報工学者。名古屋大学名誉教授。初代人工知能学会会長。 広島県江田島生まれ。1945年広島高等学校甲類卒業。1949年名古屋大学工学部電気学科卒業、名古屋大学工学部電気学科助手。 1959年名古屋大学工学部電気学科講師。1960年名古屋大学工学部電気学科助教授。1966年工学博士(東北大学)の学位を取得。1968年名古屋大学工学部電気工学第二学科教授。1980年文部省学術審議会専門委員。1981年名古屋大学大型計算機センタセンター長。1984年情報処理学会理事。1987年文部省大学設置・学校法人審議会専門委員。
東久保 勝彦(とうくぼ かつひこ、1925年-)は日本の農学… 東久保 勝彦(とうくぼ かつひこ、1925年-)は日本の農学者、化学者、京都大学名誉教授、学位は農学博士。専攻は植物栄養化学。 大正14年(1925年)広島に生まれる。旧制広島高等学校を経て京都大学農学部農芸化学科を卒業。その後京都大学教授、退官後同大名誉教授。 趣味が多彩で研究の余暇に、文学・絵画・音楽に親み、音楽に対する造詣は深く、管楽器以外は何でもこなす。ギターが得意。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
森田 康(もりた こう、1924年(大正13年)11月30日… 森田 康(もりた こう、1924年(大正13年)11月30日 - 1998年(平成10年)8月26日)は、日本のジャーナリスト、実業家。日本経済新聞社代表取締役社長。 広島県広島市で生まれ、旧満州で育つ。旧制広島高等学校を経て、東京帝国大学経済学部を卒業する。 大学時代、GHQ関連のアルバイトを始めるが、そこで森田に割り振られた仕事は、その日の朝刊に載った記事のうちGHQの高官に読ませたいとして担当の将校がよりわけた記事を英文に訳すことだった。ところが、渡される記事のほとんどが日経の記事だった。「また日経ですか」と森田が聞くと日系二世の中尉は笑って、「しようがないさ。ここの記事がいちばん公平で参考になるんだから」と応えた。
青木 正夫(あおき まさお、1924年6月20日 - 200… 青木 正夫(あおき まさお、1924年6月20日 - 2007年8月7日)は、日本の建築学者、建築家。九州大学名誉教授。 1924年(大正13年)6月20日、山口県都濃郡富田町で生まれた。生家は裕福な地主であった。1932年に徳山中学を卒業し、同年4月に旧制広島高等学校へ入学。1934年9月、東京帝国大学第一工学部建築学科へ進学。大学では吉武泰水に師事。1948年3月に東京大学を卒業し、その際には辰野金吾賞を受賞。その後は同大学に進み、1953年3月に特別研究生前後期課程を満期退学。 1953年8月に、東北大学工学部助手に就任。翌1954年4月に講師昇格。九州大学に建築学科が新設されることとなり、1956年9月より九州大学工学部助教授となった。
服藤 弘司(はらふじ ひろし、1921年〈大正10年〉7月2… 服藤 弘司(はらふじ ひろし、1921年〈大正10年〉7月20日 - 2005年〈平成17年〉7月15日)は、法制史学者、東北大学名誉教授。専門は近世武家法。 愛媛県新居浜市生まれ。1939年愛媛県立西条中学校卒、1942年旧制広島高等学校卒、同年九州帝国大学法文学部入学、1943年学徒動員、1945年復員。 1946年九州帝国大学法文学部卒、1952年同大学院(旧制)特別研究生修了(指導教授:金田平一郎)、九州大学九州文化史研究所研究員、1953年金沢大学法文学部助教授、1957年同教授、1962年九州大学にて論題「近世封建法の性格」で法学博士受く、1967年東北大学法学部教授、1979年同図書館長、1985年定年退官、名誉教授。
坂部 武夫(さかべ たけお、1921年(大正10年)1月15… 坂部 武夫(さかべ たけお、1921年(大正10年)1月15日 - 1987年(昭和62年)1月26日)は、日本の実業家。旭硝子(現AGC)社長や、同社会長を務めた。 広島県福山市出身。旧制広島高校を経て1943年東京帝国大学法学部政治学科卒業、旭硝子入社。1975年取締役総務部長に昇格。1981年から社長を務めた。社長在任中に「21世紀に繁栄する企業作り」を標榜し、新製品、新規事業への投資を中心とする拡大路線を指揮。エレクトロニクス、エンジニアリングセラミックス、バイオテクノロジー分野などに積極展開した。健康悪化により1987年1月には会長に退いたが、まもなく肺炎のため死去した。享年66。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
今井 則義(いまい のりよし、1918年8月2日 - 199… 今井 則義(いまい のりよし、1918年8月2日 - 1997年4月15日)は、マルクス経済学者。法政大学経営学部名誉教授。元東京交通短期大学学長。専攻は産業論、景気変動論。筆名・西原文夫。 広島県生まれ。1935年広島高等師範付属中学校卒業。1938年広島高等学校文科乙類卒業。1941年東京帝国大学経済学部経済学科卒業。石油統制会社調査課勤務(1946年石油公団に改組)。1951年運輸調査局経済調査部勤務。1957年法政大学経営学部助教授。1960年「戦後循環の分析」で経済学博士(法政大学)。1961年法政大学経営学部教授。1967-68年法政大学経営学部長。1968-72年法政大学常務理事。
大田 堯(おおた たかし、1918年3月22日 - 2018… 大田 堯(おおた たかし、1918年3月22日 - 2018年12月23日)は、日本の教育学者。東京大学名誉教授、都留文科大学名誉教授。日本子どもを守る会名誉会長。シューレ大学アドバイザー。専攻は教育学、教育史、教育哲学。 広島県広島県本郷町(現・三原市)出身。築島家の三男として生まれ、1946年大田智子と結婚し、大田と改氏。旧制広島高校を経て東京帝国大学文学部教育学科卒業。 東京大学教育学部・大学院教育学研究科教授、日本子どもを守る会会長、都留文科大学学長、日本教育学会会長などを歴任。 戦後の日本を代表する教育学者として著名である。2011年に大田を主人公としたドキュメンタリー映画「かすかな光へ」が公開され、再びその活動が注目されている。
永野 嚴雄(ながの いづお、1918年3月20日 - 198… 永野 嚴雄(ながの いづお、1918年3月20日 - 1981年10月8日)は、日本の弁護士、政治家。広島県知事(5-7代)。参議院議員(2期) 父は、戦後揃って政経財界で活躍した「永野六兄弟」の長兄で戦中戦後に国会議員を務めた永野護であった。旧制広島高校を経て1941年東京帝国大学法学部を卒業し司法試験に合格。短期現役海軍主計科士官(8期)を志願し、1942年1月、海軍経理学校に入校し海軍主計中尉に任官。同年5月、経理学校を卒業。1943年(昭和18年)11月、主計大尉に進み終戦を迎えた。 戦後は東京地方検察庁検察官、法務総裁秘書官を歴任。 弁護士や会社経営を経て、広島県知事の大原博夫がスキャンダルで任期途中で辞任したため、1962年に行われた県知事選挙で当選した。
御輿 員三(おごし かずぞう、1917年1月25日 - 20… 御輿 員三(おごし かずぞう、1917年1月25日 - 2002年1月30日)は、日本の英文学者。京都大学名誉教授。ジェフリー・チョーサーからジョン・ミルトンまでを研究した。 息子の御輿哲也(1951年 - )も英文学者、神戸市外国語大学教授。 広島県生まれ。1939年京都帝国大学文学部英文学科卒業。文学部副手、広島高等師範学校講師、広島高等学校教授、広島大学助教授、1951年京都大学文学部助教授、1962年教授。評議員、文学部長を務め、1980年定年退官、名誉教授、大谷女子大学教授。
嘉屋 實(かや みのる、1917年1月1日 - 2002年1… 嘉屋 實(かや みのる、1917年1月1日 - 2002年12月3日)は、日本の経営者。 山口県岩国市出身。広島高等学校を経て1939年に東京帝国大学経済学部商業学科を卒業し、同年、日本鉱業に入社した。短期現役海軍主計科士官(3期)を志願。同年10月、海軍経理学校に入学し海軍主計中尉に任官。1940年3月に経理学校を卒業。1941年10月、主計大尉、1944年11月、海軍主計少佐に進み終戦を迎えた。 1965年8月に共同石油に転じ、取締役に就任し、常務、専務を経て、1978年6月に副社長に就任し、1983年6月には社長に昇格した。1985年11月に会長に就任し、1990年6月から相談役を務めた。
小室 直人(こむろ なおと、1916年(大正5年)5月1日 … 小室 直人(こむろ なおと、1916年(大正5年)5月1日 - 1997年(平成9年)11月25日)は、日本の法学者。専門は民事訴訟法。学位は、法学博士(東北大学・論文博士・1962年)(学位論文「上訴制度論」)。大阪市立大学名誉教授。勲三等旭日中綬章受章。斎藤秀夫門下。弟子に松本博之、上野泰男など。 鳥取県の谷内家に生まれ、宮城県小室家へ養子に行く。 1939年広島高等学校 (旧制)卒、1940年学徒出陣、45年復員し、1948年東北帝国大学法文学部卒、1950年東北大学法学部大学院(旧制)修了(指導教員:斎藤秀夫)、1950年大阪市立大学法文学部助手、1951年講師、1952年助教授、1960年法学部教授。
登張 正実(とばり まさみ、1916年3月27日 - 200… 登張 正実(とばり まさみ、1916年3月27日 - 2006年3月20日)は、日本のドイツ文学者。東京大学名誉教授。 ドイツ文学者・登張信一郎(竹風)の子として宮城県に生まれる。1941年、東京帝国大学独文科を卒業。 1943年、広島高等学校教授に着任。1951年、一橋大学助教授となる。1964年、「ドイツ教養小説の成立」を提出して文学博士号を取得。母校である東京大学文学部助教授となり、1967年、教授昇進。1976年、定年退官した後は成城大学教授となった。この間、日本独文学会理事長、IVG(Internationale Vereinigung für germanistische Sprach- und Literaturwissenschaft 国際ゲルマン語学文学連合)理事、財団法人ドイツ語学文学振興会理事長等をつとめた。
西 順蔵(にし じゅんぞう、旧字体: 西 順藏、1914年8… 西 順蔵(にし じゅんぞう、旧字体: 西 順藏、1914年8月30日 - 1984年6月12日)は、中国思想史家、一橋大学名誉教授。 1914年、広島県広島市で倫理学者・旧制広島文理科大学教授であった西晋一郎の次男として生まれた。旧制広島高校を経て、東京帝国大学文学部支那文学哲学科で学んだ。1937年に卒業し、同大学大学院に進学。 卒業後は、1938年より文部省国民精神文化研究所助手として勤務。1942年、京城帝国大学文学部助教授に任じられた。1944年、京城で大日本帝国陸軍第49師団歩兵第106連隊に二等兵として3ヶ月入隊。 1946年、第二次世界大戦終戦にともなって京城帝国大学も廃止となり退官。
大原 栄一(おおはら えいいち、1912年12月2日 - 1… 大原 栄一(おおはら えいいち、1912年12月2日 - 1998年3月9日)は日本の実業家。富士重工業元社長・元会長。広島県沼隈郡沼隈町田島(現福山市)出身。満州安東育ち。 旧制広島高校を経て1936年東京帝国大学経済学部卒業後、日本興業銀行入社。1957年復興金融金庫に出向、1950年興銀復帰後、1962年取締役常務。1963年富士重工業副社長に転じ、1970年同社社長に就任。三菱重工業、いすゞ自動車との提携破棄、日産自動車との提携強化などを進め自動車業界再編の台風の目となった。この間、スバル1000などの名車を世に出した。1978年会長となり、1985年から名誉会長。1998年3月9日死去。
長戸 寛美(ながと ひろみ、1910年〈明治43年〉10月2… 長戸 寛美(ながと ひろみ、1910年〈明治43年〉10月24日 - 2002年〈平成14年〉4月2日)は日本の法曹。元最高検察庁次長検事。のち弁護士。東京都出身。 父は寺の住職。漢学者の母方の家を継いだ。祖父が検事であった。1923年(大正12年)、静岡市立城内尋常高等小学校卒業。静岡県立静岡中学校入学。静岡中学時代の親しい友人に三宅静雄。1927年(昭和2年)、中学4年1学期を終了し、広島の中学に転校した。旧制広島高等学校を経て、東京帝国大学法学部卒業。1935年(昭和10年)12月、検事任官。 東京地方検察庁検事、法務省刑事・総務課長などを経て、甲府地方検察庁・長野地方検察庁検事正、法務総合研究所長となり、高松高等検察庁・広島高等検察庁検事長を歴任、最高検察庁次長検事を最後に1973年(昭和48年)10月定年退官した。
富和 宗一(とみわ むねかず、1910年(明治43年)3月1… 富和 宗一(とみわ むねかず、1910年(明治43年)3月14日 - 1991年(平成3年)2月5日 )は、日本の実業家。近畿日本鉄道(近鉄)の元社長(大阪電気軌道創立から9代目)。 奈良県大和郡山市出身。広島高等学校を経て1934年4月京都帝国大学法学部卒業とともに当時の大阪電気軌道に入社。同社が合併を経て近畿日本鉄道となったのち、1965年(昭和40年)5月25日に取締役となる。以後、1968年(昭和43年)11月25日常務取締役、1971年(昭和46年)5月25日専務取締役を経て、1973年(昭和48年)5月に取締役副社長に就任。1977年(昭和52年)6月22日、今里英三の後任として社長に就任する。
相川 博(あいかわ ひろし、1909年 - 1948年6月4… 相川 博(あいかわ ひろし、1909年 - 1948年6月4日)は日本の雑誌編集者、記者。雑誌「改造」の編集人、横浜事件の当事者の一人。 1909年、山口県に生まれる。広島高等学校理科を病気で中退後、上京し、法政大学予科に入学、1932年に同大学法文学部独文科に進学する。在学中、大学内の左翼読書会グループに参加し、『戦旗』やマルクスの『賃労働と資本』などを読む。1934年に卒業し、神保町の尚文堂書店に勤務し、月刊『独逸語』の編集・校正に携わる。1937年に改造社に入社し、編集部に所属、記者として勤務する。雑誌『大陸』の記者などをし、1940年に編集主任、1941年10月頃に雑誌『改造』の編集次長となる。
久富 貢(ひさとみ みつぐ、1908年8月28日-1988年… 久富 貢(ひさとみ みつぐ、1908年8月28日-1988年2月23日)は、美術評論家。 福岡県山門郡生まれ。広島高等学校卒業、1932年京都帝国大学文学部美学美術史学科卒業。同年東京帝国大学文学部大学院に入学、35年中退、日本大学講師。1937年国際文化振興会に勤務、1946年同編纂課長。1947年中央労働学園専門学校講師、48年改組により法政大学講師、1950年東京学芸大学講師、51年教授。59-61年同附属図書館館長、72年停年退官、名誉教授。1973年共立薬科大学教授、1974年跡見女子大学教授を兼任。近代日本画、フェノロサを研究した。妻は料理評論家の久富志子。孫に映画研究者の谷川建司がいる。
数山 英一(かずやま えいいち、1908年〈明治41年〉1月… 数山 英一(かずやま えいいち、1908年〈明治41年〉1月18日 - 没年不明)は、昭和時代の台湾総督府官僚。 数山定太郎の二男として山口県下関市に生まれる。広島高等学校を卒業。1930年(昭和5年)4月、東京帝国大学法学部法律科(英法)を卒業し、同年10月高等試験行政科および司法科に合格。同大大学院に進んだのち、1932年(昭和7年)6月に台湾総督府に奉職する。文教局学務課勤務を経て、1936年(昭和11年)10月、地方理事官に進み、台北州羅東郡守に就任した。 ついで支那に転じ、興亜院調査官廈門連絡部勤務を経て、1942年(昭和17年)11月、大使館三等書記官となった。 戦後、丸善化成監査役を務めた。
新開 長英(しんかい ながふさ、1903年3月24日 - 1… 新開 長英(しんかい ながふさ、1903年3月24日 - 1985年8月5日)は、日本の哲学者。 福岡県田川市出身。1928年九州帝国大学法文学部哲学科卒、旧制広島高等学校教授、福岡高等学校教授、1932年九大助教授、1942年神宮皇學館教授に転じる。戦後は北九州大学教授、九州産業大学教授を務めた。
中峠 国夫(なかたお くにお、1903年(明治36年)3月1… 中峠 国夫(なかたお くにお、1903年(明治36年)3月13日 - 没年不詳)は、日本の政治家。衆議院議員を1期務めた。 広島県出身。苦学の末、旧制広島高等学校、京都帝国大学(文学士)、東京帝国大学(工学士)卒業。 計15回の選挙に立候補するが、当選は1952年の第25回衆議院議員総選挙の1回のみであった。文部大臣秘書官。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
日高 第四郎(ひだか だいしろう、1896年2月16日 - … 日高 第四郎(ひだか だいしろう、1896年2月16日 - 1977年12月14日)は、日本の教育学・文教官僚。 日高秩父・リキ夫妻の四男として東京府(現:東京都)に生まれる。1922年京都帝国大学文学部哲学科卒。広島高等学校教授、第三高等学校教授、第一高等学校教授、1946年文部省学校教育局長となり、戦後の学制改革に参加。のち国立教育研究所長、1951年文部事務次官。文部事務次官時代の1952年2月、女子及び年少者の人身売買に関する件で衆議院行政監察特別委員会に証人喚問された。同年国際基督教大学教授。1966年定年退職、学習院女子短期大学学長兼学習院副学長を務め1970年退職。日本ユネスコ国内委員、民主教育協会副会長、教育課程審議会会長などを務めた。
堀江 久勝(ほりえ ひさかつ、1877年(明治10年)1月 … 堀江 久勝(ほりえ ひさかつ、1877年(明治10年)1月 - 没年不明)は、広島高等学校教授。族籍は長野県士族。 長野県士族・堀江久次の二男。松本市生まれ。1927年、家督を相続。1904年、東京帝国大学文科大学哲学科を卒業。茨城県立太田中学校教諭、秋田鉱山専門学校教授同生徒監、山形高等学校教授等を歴任。 1922年、倫理及び教育研究のため独英に留学し、1924年、広島高等学校教授に任ぜられ1932年、退官する。趣味は文学、絵画、園芸。宗教は仏教。住所は広島市白島九軒町、東京市世田谷区玉川等々力町。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。