スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
村瀬 由徠(むらせ・ゆら、2007年2月1日 - )は、日本… 村瀬 由徠(むらせ・ゆら、2007年2月1日 - )は、日本のプロフェッショナル・スノーボーダー。所属はTOKIOインカラミである。 岐阜県岐阜市出身。岐阜市立合渡小学校、岐阜市立岐阜西中学校を経て岐阜第一高等学校在学中。 両親がスノーボード好きであったこと、また2歳年長の姉(村瀬心椛)も4歳からスノーボードを始めていたことからことから自身も4歳でスノーボードを始める。本人曰く「幼稚園でスノーボードクロスの大会に出て優勝した」という。 小学校年代で早くもプロ選手となり、2018年、小学校5年次(11歳)でムラサキスポーツの契約選手となる。 中学校年代では公認競技会への出場も増え、中学校1年次の2021年1月の「2021 ジャパンスロープスタイルオープン」と「第25回北海道スキー選手権スノーボード競技」では共にスロープスタイル種目で優勝。
上條 優奈(かみじょう ゆうな、2005年6月21日 - )… 上條 優奈(かみじょう ゆうな、2005年6月21日 - )は、長野県塩尻市出身の女子野球選手(外野手)、コーチ。右投左打。読売ジャイアンツ女子チーム所属。 父や4歳年上の兄の影響で、小学2年時に吉田スポーツ少年団に入団し野球を始めた。当初のポジションは投手。塩尻市立丘中学校では男子選手とともに練習を積み、全国大会にも出場した。 父の勧めにより女子硬式野球部のある岐阜第一高等学校へ進学。2年時の第26回 夏の大会では準決勝で開志学園に敗れ、甲子園での決勝出場を逃したが、翌年の第27回 夏の大会では準決勝で福井工業大学附属福井に勝利し、甲子園出場を果たした。2023年8月1日に甲子園で行われた決勝では神戸弘陵学園と対戦し、試合は1-8で敗れたものの、2番手投手として2回無失点の好投を見せ、安打も記録した。
田中 流嘉州(たなか るうかす、2003年〈平成15年〉12… 田中 流嘉州(たなか るうかす、2003年〈平成15年〉12月11日 - )は、日本のプロバスケットボール選手。ポジションはスモールフォワード/パワーフォワード。三重県およびブラジル出身で、日本国籍を有する。 B.LEAGUE・長崎ヴェルカに特別指定選手登録されている。 ブラジルで生まれ、小学生の頃に名古屋でバスケットボールを始める。中学時代は再びブラジルでプレーしたのち、日本へ戻り愛知県の中部大学第一高等学校に進学し、インターハイで同校初となる優勝を経験した。また高校時代に日本国籍を取得した。 高校卒業後は大東文化大学に進学し、関東大学バスケットボールリーグ戦で2025年シーズンには平均7.7得点、6.5リバウンド、1.9アシストを記録した。
畑 享和(はた みちかず、1990年3月17日 - )は、北… 畑 享和(はた みちかず、1990年3月17日 - )は、北海道釧路市出身のプロアイスホッケー選手。アジアリーグアイスホッケーの東北フリーブレイズに所属。 幼少時にアイスホッケーを始め、中学は釧路市立北中学校、高校は青森の八戸工業大学第一高等学校に進学し、大学は大阪の関西大学へ進学。大学卒業後はアジアリーグアイスホッケーの東北フリーブレイズに入団。 2005年に釧路市出身のGKとしては異例の青森県の八戸工業大学第一高等学校に進学する。 高校3年生の時に選抜大会で全国制覇。 2007年にIIHF世界U18日本代表に選ばれる。 元々、八戸工業大学第一高等学校はGKの指導に関して他校よりも優れた部分は多かったが、畑の高校卒業後はそれまで以上に優秀なGK(元H.C.栃木日光アイスバックスの龍翔太郎、横浜グリッツの古川駿)が排出されるようになった。
根本 知(ねもと さとし、1984年 - )は、日本の書家。… 根本 知(ねもと さとし、1984年 - )は、日本の書家。 埼玉県越谷市出身。書道推薦により入学した大東文化大学第一高等学校を経て、大東文化大学大学院博士課程修了、2013年に書道学の博士号を取得。大東文化大学文学部書道学科非常勤講師(2013年〜)、放送大学教養学部非常勤講師(2019年〜)、大東文化大学第一高等学校非常勤講師(2020年〜)、相模女子大学学芸学部非常勤講師(2020年〜)を経て、立正大学文学部文学科日本語日本文学コース特任講師を務める。 教鞭を執るかたわら、かな書道およびペン習字の講座を各地で開き、2016年には初の個展を開催した。2018年に腕時計ブランド・GrandSeikoに作品提供し、2019年にはニューヨークにて個展「flow」を開催。
名和 秋(なわ あき、1979年11月15日 - )は、東京… 名和 秋(なわ あき、1979年11月15日 - )は、東京都出身のプロボウリング選手。血液型はA型。相模原パークレーンズ所属。大会公認ハイスコアは2006年全日本女子選手権で記録された300(パーフェクト)。箸や鉛筆は左利きだが、ボウリングは右投げ。サニーサイドアップとマネージメント契約。BS日テレ制作の『ボウリング革命 P★League』でも活躍。キャッチフレーズは「サイレントビューティー」。
DJ KOHNO(ディージェイ コウノ、本名:河野 健太、1… DJ KOHNO(ディージェイ コウノ、本名:河野 健太、1977年6月28日 - )は日本のヒップホップグループケツメイシやミニ塾。のメンバーでDJを担当。広島県廿日市市出身。血液型はO型。
磯崎 竜一(いそざき りゅういち、1976年3月13日 - … 磯崎 竜一(いそざき りゅういち、1976年3月13日 - )は、東京都世田谷区出身の俳優。本名及び旧芸名は見目 竜一(けんもく りゅういち)。東京農業大学第一高等学校卒業。身長182cm。O型。
佐々木 正明(ささき まさあき、1971年〈昭和46年〉 -… 佐々木 正明(ささき まさあき、1971年〈昭和46年〉 - )は、日本のジャーナリスト。元産経新聞社会部編集委員。2021年より大和大学社会学部教授。実弟は元警察官で犯罪評論家の佐々木成三。 岩手県一関市生まれ、一関第一高等学校、大阪外国語大学(現・大阪大学外国語学部)卒業。1996年(平成8年)産業経済新聞社に入社。神戸総局、横浜総局、産経新聞大阪本社社会部などを経てロシアのモスクワ大学留学。2007年より産経新聞東京本社外信部。モスクワ支局長、ブラジルのリオデジャネイロ支局長などを経て産経新聞社会部編集委員を担当。2021年より大和大学社会学部教授。
御厩 祐司(みまや ゆうじ、1970年〈昭和45年〉 - )… 御厩 祐司(みまや ゆうじ、1970年〈昭和45年〉 - )は、日本の教育・研究者。一般社団法人日本教育啓発研究所代表理事・所長。元民間人校長(茨城県立水戸第一高等学校・附属中学校校長)。元文部官僚。 香川県高松市生まれ。1988年に香川県立高松高等学校を卒業した後、京都大学に入学。卒業後、文部省に入省した。内閣府企画官(公益法人行政担当)、文部科学省地域政策室長、内閣府参事官、東京大学研究推進部長、総務省情報流通行政局情報通信利用促進課長、愛媛県教育委員会保健スポーツ課長などを歴任し、文化庁メディア芸術祭や日本学生支援機構、えひめスポーツ俳句大賞などの創設に関わった。また、総務省情報流通行政局情報通信利用促進課長時代には「教育クラウドプラットフォーム」標準仕様の策定や、「先導的教育システム実証事業」を行うなど、プログラミング教育を推進した。
加藤 文元(かとう ふみはる、1968年7月27日 - )は… 加藤 文元(かとう ふみはる、1968年7月27日 - )は、日本の数学者。ZEN大学知能情報社会学部教授、東京工業大学名誉教授、学校法人角川ドワンゴ学園理事、株式会社SCIENTA・NOVA代表取締役。博士(理学)。専門分野は代数幾何学・数論幾何学(対数的幾何学、リジッド幾何学、志村多様体、モジュライ理論、代数的微分方程式)。 1968年宮城県仙台市生まれ。1987年宮城県仙台第一高等学校卒業。1993年京都大学理学部卒業。1997年京都大学大学院理学研究科博士後期課程(数学・数理解析専攻)修了、博士(理学)の学位を取得。 その後、九州大学大学院数理学研究院助手、京都大学大学院理学研究科数学専攻准教授、熊本大学大学院自然科学研究科理学専攻数理科学講座教授などを経て、東京工業大学理学院数学系教授。
阿部 和香子(あべ わかこ、1966年4月4日 -)は、福島… 阿部 和香子(あべ わかこ、1966年4月4日 -)は、福島県会津若松市出身の自転車選手である。日本における女子ロードレース黎明期に活躍した選手である。愛称は「ワッコちゃん」。
小原 由香(おばら ゆか、1966年 - )は、日本の地方公… 小原 由香(おばら ゆか、1966年 - )は、日本の地方公務員。岩手県庁職員、盛岡市副市長。盛岡市初の女性副市長である。 1985年に岩手県立盛岡第一高等学校を卒業(同期に内舘茂(盛岡市長)、階猛(衆議院議員)、大友啓史(映画監督)など)。1989年に東北大学法学部を卒業、岩手県庁に入庁。 定住推進・雇用労働室長、盛岡広域振興局副局長などを歴任し、2023年4月から岩手県県土整備部副部長を務めた。 前年9月に現職を破って就任した内舘茂市長の盛岡第一高校の同級生でもあり、内舘のスカウトを受け、2024年3月27日に盛岡市議会の同意を得て、4月1日、盛岡市の2人目の副市長に、女性として初めて就任した。
池田 ひろ子(いけだ ひろこ、1957年12月2日 - )は… 池田 ひろ子(いけだ ひろこ、1957年12月2日 - )は、東京都出身の元アイドル歌手。身長155cm(1975年時点)。ホリプロに所属していた。 一人っ子。子供の頃、弱かった体を鍛えるためにダンスを始める。5歳からタップダンス、10歳からクラシックバレエ、12歳からモダンダンス、13歳から日本舞踊を習っていた。 1975年10月、CBS・ソニーよりシングル『恋のABC』で歌手デビュー。 1976年3月、洗足学園第一高等学校卒業。 1976年4月からはNHK教育テレビの「なかよしリズム」に、歌のお姉さんとして1978年3月までの2年間出演する。 1978年4月 - 1979年3月にTBSテレビ系の「ワンツージャンプ!」に、いけだひろこ名義でお姉さんとして出演。
福田 薫(ふくだ かおる、1955年10月4日 - )は日本… 福田 薫(ふくだ かおる、1955年10月4日 - )は日本の元スピードスケート選手である。北海道釧路市出身。釧路第一高等学校卒。 1980年レークプラシッドオリンピック代表に選出され、500m14位、1000m19位となった。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
藤田 昌宏(ふじた まさひろ、1954年11月12日 - )… 藤田 昌宏(ふじた まさひろ、1954年11月12日 - )は、日本の経済産業官僚。経済産業省貿易経済協力局長や、住友商事代表取締役副社長、石油資源開発代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長。 茨城県水戸市出身。茨城大学教育学部附属中学校、水戸第一高等学校から東京大学に入学。1977年同大学法学部第1類(私法コース)卒業、通商産業省入省(立地公害局保安課)。2002年7月経済産業省産業技術環境局産業技術政策課長。2003年資源エネルギー庁省エネルギー・新エネルギー部長。2007年関東経済産業局長。2008年7月経済産業省貿易経済安全保障局長。2009年退官、三井住友海上火災保険株式会社顧問。2010年住友商事株式会社執行役員。
栗田 尚弥(くりた ひさや、1954年 - )は、日本の国際… 栗田 尚弥(くりた ひさや、1954年 - )は、日本の国際政治学者。國學院大學、立教大学、立正大学各講師。専門は日本政治外交史、軍事史。 東京都出身。1973年茨城県立土浦第一高等学校卒業。1977年中央大学法学部卒業。1988年明治大学大学院政治経済学研究科博士後期課程修了後に退学。 國學院大學文学部講師を長く務めているほか、中央大学社会科学研究所客員研究員を経て沖縄東アジア研究センター主任研究員を務めている。また神奈川県の『相模原市史』や『座間市史』や『茅ヶ崎市史』、埼玉県の『埼玉県史』や『さいたま市史』、千葉県の『柏市史』や『鎌ヶ谷市史』や『野田市史』、東京都の『立川市史』など関東地方の自治体史編纂に関わっている。
渡辺 芳人(わたなべ よしひと、1953年5月30日 - )… 渡辺 芳人(わたなべ よしひと、1953年5月30日 - ) は、日本の化学者。専門は生物無機化学、生体機能関連化学。名古屋大学理事・副総長を経て、自然科学研究機構分子科学研究所所長。元日本化学会筆頭副会長。元日本学術会議会員。日本化学会賞等受賞。 1972年岩手県立盛岡第一高等学校卒業1976年東北大学理学部化学科卒業。1982年筑波大学大学院化学研究科博士課程修了、理学博士。同年ミシガン大学化学科博士研究員。1984年ミシガン大学化学科上級研究員。1985年プリンストン大学化学科研究員。1987年慶応大学医学部助手。1989年通商産業省工業技術院化学技術研究所主任研究員。1990年京都大学工学部助教授。
川人 貞史(かわと さだふみ、1952年(昭和27年)12月… 川人 貞史(かわと さだふみ、1952年(昭和27年)12月7日 - )は、日本の政治学者。博士(法学)(東京大学・論文博士・1993年)。東京大学名誉教授。北海道大学教授・東北大学教授・東京大学教授を経て、帝京大学教授。 専門は、日本政治、選挙研究。第一次資料に基づく実証分析を重視しつつ、新制度論政治学による日本政治についての理論構築を志向している。富山県西礪波郡福岡町赤丸生まれで、実父は神職で高岡第一高等学校長も務めた川人貞現。 略歴は以下のとおり。 指導教官は京極純一。
北村 直人(きたむら なおと、1947年〈昭和22年〉7月7… 北村 直人(きたむら なおと、1947年〈昭和22年〉7月7日 - )は、日本の政治家、獣医師。日本獣医師会顧問、日本獣医師政治連盟委員長、農場管理獣医師協会会長、日本獣医生命科学大学客員教授、酪農学園大学特別講師。 農林水産副大臣(第1次小泉第1次改造内閣)、内閣官房副長官(羽田内閣)、北海道開発政務次官(宮澤改造内閣)、衆議院農林水産委員長、衆議院議員(6期)等を歴任。 元衆議院議員の北村義和は父。 北海道鶴居村生まれ。鶴居村立鶴居小学校、鶴居村立鶴居中学校、釧路第一高等学校(1978年廃校)、酪農学園大学獣医学部獣医学科卒業。獣医師免許を取得している。 1980年から父・北村義和及び小沢辰男(いずれも衆議院議員)の秘書を務める。
高田 ひろお(たかだ ひろお、1947年3月28日 - )は… 高田 ひろお(たかだ ひろお、1947年3月28日 - )は日本の作詞家、絵本作家、脚本家。日本の歌謡曲で史上最多のシングルレコード売上を記録した「およげ!たいやきくん」の作詞者として知られる。 希望学園釧路第一高等学校を卒業後[要出典]上京し、弁護士をめざして大学の法学部に進学する。大学院まで進んだものの、弁護士には(合格に)時間がかかると言われて志望を断念し、25歳の時に星野哲郎に弟子入りする。作詞家や絵本作家を目指した理由は、都会の子供にも故郷の釧路のような自然に触れてほしいという思いだった。 絵本作家からスタートし、子供向けの楽曲の作詞を多く手がけた。「およげ!たいやきくん」は『ひらけ!ポンキッキ』の童謡募集の話を知って持ち込んだ曲の一つで、10歳頃に冬の銭湯帰りに鯛焼きを買って腹巻きに入れた経験を東京で思い出し、釧路の海であの鯛焼きを泳がせてやりたいと考えたことが元になったという。
佐々木 隆生(ささき たかお、1945年10月10日 - )… 佐々木 隆生(ささき たかお、1945年10月10日 - )は、日本の経済学者。経済学博士(東北大学)。北海道大学名誉教授。岩手県盛岡市生まれ。 1964年岩手県立盛岡第一高等学校卒業、1969年東北学院大学経済学部卒業、1975年東北大学大学院経済学研究科単位取得満期退学。同年、東北大学経済学部助手。1977年北海道大学経済学部講師。1978年同経済学部助教授。1985年同経済学部教授。同公共政策大学院教授を経て、2009年同公共政策大学院特任教授。2011年北海道大学を退職、同名誉教授、北星学園大学経済学部教授。2016年3月北星学園大学定年退職。 専門は世界経済論、国際関係論、理論経済学。
大江 英雄(おおえ ひでお、1944年1月8日 -)は、日本… 大江 英雄(おおえ ひでお、1944年1月8日 -)は、日本のボート選手(ローイング選手)。山形県山形市旅籠町生まれ。 日本大学山形高等学校(当時は山形第一高等学校)在学中は吹奏楽部に所属。中央大学に進み体育連盟ボート部に入部。在籍中に1964年東京オリンピックへと出場し、かじ付きフォアの整調(ストローク)を務めた。その後、山形新聞社勤務。同社退職。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:スポーツ/PJ:スポーツ人物伝)。
渡辺 剛夫(わたなべ たけお、1943年10月13日 - )… 渡辺 剛夫(わたなべ たけお、1943年10月13日 - )は、埼玉県出身の元アナウンサー。 東京都北区立富士見中学、法政大学第一高等学校、法政大学経済学部卒業。ラジオ大阪(旧社名・大阪放送株式会社)にアナウンサーとして入社。主にスポーツ・ニュース部門を担当。 ハワイ日本語放送局KZOOに日本語アナウンサーとして派遣される。1994年(平成6年)、ラジオ大阪を退社。 元京都光華女子大非常勤講師。 株式会社「フェーム」ならびにフェーム・コミュニケーションアカデミーを設立。 話し方教室「渡辺剛夫のスピーチセミナー」、朗読教室「フェーム・朗読教室」を主宰。 その後、リタイアして兵庫県丹波篠山市に移住、現在、地区老人クラブで会長職などを務めている。
関根 忍(せきね しのぶ、1943年9月20日 - 2018… 関根 忍(せきね しのぶ、1943年9月20日 - 2018年12月18日)は、日本の柔道家(9段)。茨城県東茨城郡大洗町出身。1972年ミュンヘンオリンピック柔道男子80kg級金メダリスト。身長173cm。1964年東京オリンピック80kg級金メダリストの岡野功とは同じ茨城県の出身で、同年齢のライバルでもあった。 茨城県立那珂湊第一高等学校から中央大学を経て警視庁に進み、左手をぐいと伸ばして肩越しに背中をつかむ変形の組み手で実力を伸ばした。 1972年には中量級の選手ながら全日本選手権で優勝した。さらに1972年ミュンヘンオリンピックの男子柔道中量級でも金メダルを獲得した。5回戦で韓国の呉勝立に敗れたが、呉が勝ち進んだため敗者復活で救われ勝ち上がり、決勝で呉と再戦。
大熊 孝(おおくま たかし、1942年(昭和17年)8月 -… 大熊 孝(おおくま たかし、1942年(昭和17年)8月 - )は、日本の河川工学者。新潟大学名誉教授。台北市生まれ。千葉市出身、新潟市在住。 専門は河川工学・河川土木史で、自然と人の関係、川と人の関係を地域住民の立場を尊重しながら研究している。土木工学の教員の中では珍しく住民運動の側に立ったり、社会的な発言をする。 2019年4月現在、八ッ場ダムに反対する八ッ場あしたの会代表世話人・水の駅・ビュー福島潟名誉館長、NPO 法人新潟水辺の会顧問、日本自然保護協会参与などを務める。 1942年台湾で出生。4歳で高松に引き揚げて亀阜小学校に入学し、そのあと千葉に20年少し住む。千葉県立千葉第一高等学校を卒業。
山崎 一穎(やまざき かずひで、1938年9月20日 - 2… 山崎 一穎(やまざき かずひで、1938年9月20日 - 2024年9月14日)は、日本の近代文学研究者。専門は森鷗外。跡見学園女子大学名誉教授。元学校法人跡見学園理事長。森鷗外記念会会長、森鷗外記念館(津和野町)館長。 長野県中野市生まれ。中学校以降は千葉県で育つ。1957年、千葉県立千葉第一高等学校、1962年早稲田大学教育学部国語国文学科卒業。千葉県立高校の定時制教諭の傍ら、1970年、同大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。同年、跡見学園女子大学文学部国文学科専任講師、1974年助教授、1978年教授。同年から跡見学園女子大学学長、1989年に学長を退任。1998年学長に再任、2008年定年退職。
中垣 信夫(なかがき のぶお、1938年 - )は、日本のグ… 中垣 信夫(なかがき のぶお、1938年 - )は、日本のグラフィックデザイナー・エディトリアルデザイナー。神奈川県出身。 武蔵野美術大学卒業。1964~73年杉浦康平デザイン事務所勤務。ウルム造形大学(en:Ulm_School_of_Design)に招致された杉浦康平に同行し、オトル・アイヒャーに師事する。1973年、中垣デザイン事務所設立。2008年4月、杉浦康平、勝井三雄などのグラフィックデザイナーが講師を務める、社会人のためのデザイン学校「ミームデザイン学校」を設立。 実家はワイナリー(皇國葡萄酒)。母方の祖父は、1935年東京大学駒場に移転した、当時の第一高等学校校長森巻吉。
高橋 治男(たかはし はるお、1936年11月25日 - )… 高橋 治男(たかはし はるお、1936年11月25日 - )はフランス文学者。中央大学名誉教授。 1936年、千葉県四街道市で生まれた。千葉県女子師範学校附属幼稚園卒園後、戦争の影響で千葉市立富士見小学校、四街道町立富士見小学校、千葉大学教育学部附属第二小学校と小学校を転々とした。千葉大学教育学部附属第二中学校を卒業し、千葉県立千葉第一高等学校に進んだ。中学時代に三銃士などのアレクサンドル・デュマの小説に夢中になり、高校時代には「天井桟敷の人々」などフランス映画から多大の影響を受けた。高校卒業後は学習院大学文学部仏文学科へ進学。大学院は東京都立大学大学院仏語仏文学専攻に進み、修士課程を修了。 1969年4月、中央大学法学部専任講師となった。
川名 登(かわな のぼる、1934年6月13日 - 2011… 川名 登(かわな のぼる、1934年6月13日 - 2011年6月11日)は、日本の経済史学者、河川水運史研究者、千葉経済大学名誉教授。 千葉県銚子市生まれ。犢橋村立犢橋中学校、千葉県立千葉第一高等学校を経て、千葉大学文理学部史学科日本史学専攻に入学。1957年千葉大学文理学部史学科日本史学専攻卒業。1962年明治大学大学院文学研究科日本史学専攻修士課程修了。明治大学大学院文学研究科日本史学専攻博士課程単位取得満期退学。横須賀市博物館、千葉経済大学短期大学教授、1987年に千葉経済大学経済学部が設置されると教授に就任し、2005年定年退任、名誉教授。 1993年『日本近世河川水運史の研究』で文学博士(明治大学)。
原 裕(はら ゆたか、1930年10月11日 - 1999年… 原 裕(はら ゆたか、1930年10月11日 - 1999年10月2日)は、茨城県出身の俳人。本名・昇。旧姓・堀込。原石鼎に師事、石鼎の死後、夫人原コウ子の養子となり、コウ子のあとを継いで「鹿火屋」を主宰した。 真壁郡大田村(現・筑西市)生まれ。農家の長男であった。1943年、茨城県立下館商業学校に入学。1947年、下館第一高等学校工業科2年に編入。県内高校生投句誌「はいく」に処女作が掲載される。同年、書店で「鹿火屋」を見て入会、投句をはじめる。のち「朝霧」「かびれ」「ひろば」にも参加。1949年、商工省へ入省。明治大学二部商学科へ進学。また鹿火屋東京句会に参加、「鹿火屋」編集部員となる。1951年、原石鼎の通夜の席上で、石鼎夫人の原コウ子に養子縁組を懇請され、承諾(実際にはその半年前から打診があり、郷里の親族会議を経て決断を保留していたものだった)。
古田 幸男(ふるた ゆきお、1930年9月28日 - 201… 古田 幸男(ふるた ゆきお、1930年9月28日 - 2014年4月8日 )は、日本のフランス現代思想の研究者、翻訳家、詩人。法政大学名誉教授。筆名に矢田 修。 東京生まれ。1945年海軍兵学校(78期)中退、1950年第一高等学校文科乙類卒業、1953年東京都立大学仏文科卒、1955年同大学院修士課程修了、1960年東京医科歯科大学非常勤講師、1961年法政大学第一教養部講師、1968年助教授、同年フランス留学、1970年教授、2001年定年退職、名誉教授。 2010年瑞宝中綬章受勲。 安士正夫に師事し、ルネ・ジラール、エドガール・モランなどを翻訳した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
阿部 龍蔵(あべ りゅうぞう、1930年7月11日 - 20… 阿部 龍蔵(あべ りゅうぞう、1930年7月11日 - 2013年11月1日)は、日本の物理学者。東京大学名誉教授。 東京都出身。旧制第一高等学校を経て、1953年東京大学理学部物理学科卒業。1959年東京教育大学理学博士。東京工業大学助手、1961年東京大学物性研究所助教授、1966年東京大学教養学部教授。1991年定年退官、名誉教授、放送大学教授、副学長。
檜山 久雄(ひやま ひさお、1930年2月13日 - )は、… 檜山 久雄(ひやま ひさお、1930年2月13日 - )は、日本の中国文学者、文芸評論家。 東京生まれ。旧制第一高等学校を経て、東京大学文学部中国文学科を卒業した。東大在学中より『新日本文学』の編集に携わり、同誌を中心に文芸評論を執筆、大岡昇平が大衆文学を批判した際に反論した。のち広島大学教授、青陵女子短期大学教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
清水 孝純(しみず たかよし、1930年1月23日 - 20… 清水 孝純(しみず たかよし、1930年1月23日 - 2024年4月3日)は、日本の比較文学者。九州大学、福岡大学名誉教授。 東京・深川生まれ。1949年旧制第一高等学校理科乙類卒業ののち、東京教育大学文学部へ進学して1957年国語学国文学科卒業、1958年仏語学仏文学科中退、1960年東京大学大学院人文科学研究科(比較文学比較文化専攻)修士課程修了、1965年同博士課程単位取得満期退学、同年4月から1969年3月まで日本大学専任講師、1969年4月九州大学教養部助教授、1976年9月同教授。1982年『ドストエフスキー・ノート』で第1回池田健太郎賞受賞。1992年3月定年退官ののち、福岡大学教授。
荒木 昭太郎(あらき しょうたろう、1930年 - )は、日… 荒木 昭太郎(あらき しょうたろう、1930年 - )は、日本のフランス文学者。東京大学名誉教授。20世紀日本におけるモンテーニュ研究の第一人者。クラシック音楽にも造詣が深くフレデリック・ショパンに関する著訳書がある。 横浜市に生まれる。1948年第一高等学校に入学、1953年東京大学文学部フランス文学科で渡辺一夫に師事、卒業後は1958年まで同大学院人文科学研究科仏語仏文学専門課程に在学。 1958年より東京藝術大学音楽学部で非常勤講師(1994年まで)。1960年から1962年までフランス政府留学生としてパリ大学に、1972年から1974年まで文部省在外研究員としてパリに滞在。1963年から1991年まで東京大学教養学部助教授を経て教授。
一本松 康雄(いっぽんまつ やすお、1929年 <昭和4年>… 一本松 康雄(いっぽんまつ やすお、1929年 <昭和4年> 9月12日 - 2012年 <平成24年>11月5日)は、日本の経営者。神戸電鉄社長を務めた。一本松珠璣の息子。位階は正五位。 兵庫県出身。1950年に第一高等学校を経て、1953年に東京大学法学部を卒業し、同年に京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)に入社。1983年6月に取締役に就任し、1986年6月に常務、1988年6月に専務となった。 約22年間にわたって神戸電鉄の発展に尽力した中田大三の後任として、1992年(平成4年)6月25日の取締役会において神戸電鉄社長に就任する役員人事が決定した。前社長である中田大三の社長方針「ルールを守れ。
大竹 宏繁(おおたけ ひろしげ、1929年 <昭和4年> 8… 大竹 宏繁(おおたけ ひろしげ、1929年 <昭和4年> 8月20日 - 1994年 <平成6年> 12月19日)は日本の大蔵・経済企画官僚。位階は従三位。勲二等瑞宝章。 東京府神田生まれ。第一高等学校、東京大学法学部卒業。1953年 大蔵省入省(理財局総務課)。1980年12月1日に経済企画庁長官官房審議官(調整局担当)。1982年7月2日 国民生活局長。1983年7月12日 総合計画局長。1985年6月10日に経済企画審議官となり、1986年6月3日より経済企画事務次官。1987年6月23日に退官。同年 大和銀行総合研究所(現:りそな総合研究所)初代理事長(〜1993年4月28日)。1994年12月19日 死去。
池田 健太郎(いけだ けんたろう、1929年5月19日 - … 池田 健太郎(いけだ けんたろう、1929年5月19日 - 1979年11月7日)は、日本のロシア文学者。 愛知県生まれ。本名・豊。陸軍幼年学校、旧制第一高等学校を経て東京大学仏文科卒業、同大学院比較文学比較文化専攻修士課程修了。立教大学講師、東大助教授を務めたが、1969年大学紛争により退職、書籍編集局次長扱いで中央公論社に入るが翌年退職。1975年『プーシキン伝』により第26回読売文学賞評論・伝記賞受賞、1979年『「かもめ」評釈』により第29回芸術選奨新人賞を受賞した。 1979年11月7日未明1時、心臓発作のために東京都三鷹市の自宅にて急逝した。『「桜の園」評釈』『チェーホフ学入門』(仮題)の両著作に取り組んでいる最中のことであった。
坂口 健二(さかぐち けんじ、1929年 - 没年不詳)は、… 坂口 健二(さかぐち けんじ、1929年 - 没年不詳)は、日本の農芸化学者。 父は醸造の世界的権威東京大学名誉教授坂口謹一郎博士。 坂口健二は1929年、東京市に生まれ、第一高等学校を卒業する。1952年に東京大学農芸化学科を卒業し、千葉県野田市の野田産業科学研究所(キッコーマン)の研究員となる。1971年には、東京都町田市に設立された三菱化成生命科学研究所(後の三菱化学生命科学研究所)の微生物化学研究所室長となり、情報開発室長に1981年になる。1983年にフランス政府招聘研究員、1984年にドイツ政府招聘研究員。1984年にカリフォルニア大学客員教授となった。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
長島 正充(ながしま まさみつ、1929年 - 2010年)… 長島 正充(ながしま まさみつ、1929年 - 2010年)は、日本の建築家。 東京都生まれ。旧制第一高等学校を経て、1953 年 東京大学工学部建築学科卒業。1956年 東京大学大学院数物系研究科修土課程修了。丹下研に所属。1961年からURTEC。この頃、秋田の家と写真家の家を発表。1973年独立、長島建築研究所代表取締役。1979 年聖グレゴリオの家設計で、JIA25年賞受賞 1989年 新高松空港旅客 ターナル設計。他代表作にパティオ北新宿、東久留米のセミナー施設、香川育英会東京学生寮(1994年)他。 訳書にジョン・J・フルーイン『歩行者の空間 - 理論とデザイン』(鹿島出版会)がある。
嶋田 豊(島田 豊、しまだ ゆたか、1929年 - 1997… 嶋田 豊(島田 豊、しまだ ゆたか、1929年 - 1997年10月22日)は、日本の哲学者。日本福祉大学名誉教授。 東京生まれ。旧制第一高等学校を経て、1952年名古屋大学文学部哲学科卒業。1957年日本福祉大学に赴任。同大学経済学部教授(哲学・社会思想史)、常任理事、全学教授会議長、経済学部長、社会福祉学部長などを務めた。 1982年-1984年唯物論研究協会(全国唯研)委員長。
杉山 好(すぎやま よしむ、1928年12月19日 - 20… 杉山 好(すぎやま よしむ、1928年12月19日 - 2011年9月10日)は、ドイツ文学、キリスト教学者。東京大学教養学部名誉教授。 1928年、静岡県生まれ。第一高等学校を卒業し、東京帝国大学独文科に進む。1952年に卒業。同1952年に東京大学教養学部助手に採用される。以後、講師、助教授、教授(ドイツ語)に昇進。1989年、東京大学を定年退官し、名誉教授となった。それまで矢内原忠雄の創設した無教会主義系東京大学聖書研究会(東大聖研)の顧問だったが、川中子義勝に交代した。その後は恵泉女学園大学教授として教鞭をとった。また、獨協大学の非常勤講師を1963年頃から1998年まで続けたが、これは同大学創立者の天野貞祐に依頼されたからとされる。
寺田 和夫(てらだ かずお、1928年5月17日 - 198… 寺田 和夫(てらだ かずお、1928年5月17日 - 1987年9月5日)は、日本の人類学者、東京大学教養学部教授。 1928年、横浜市生まれ。第一高等学校から、東京大学理学部人類学科へ進んだ。1951年に卒業し、同大学院に進学。 1956年、教養学部助手に採用された。1958年から1969年、東京大学アンデス地帯学術調査団の一員としてペルーで考古学遺跡の発掘調査に従事。助教授を経て、教授した。1962年、学位論文『人体計測値による親子の類似性の分析』を東京大学に提出して理学博士の学位を取得。在職中に死去した。 ラテンアメリカの歴史と文化を専攻し、師泉靖一のインカ文化・アンデス文明研究を引き継いだ。
平田 昭彦(ひらた あきひこ、1927年〈昭和2年〉12月1… 平田 昭彦(ひらた あきひこ、1927年〈昭和2年〉12月16日 - 1984年〈昭和59年〉7月25日)は、日本の俳優。本名は小野田 昭彦(おのだ あきひこ)。 主に東宝映画、テレビドラマで活躍。特撮分野の名優としても知られる。吉江企画に所属していた。 夫人は女優の久我美子。実兄に映画監督の小野田嘉幹、義姉(嘉幹の妻)に女優の三ツ矢歌子、実妹に女優の音羽美子がいる。 日本統治時代の朝鮮の京城生まれ、東京都中野区出身。東京陸軍幼年学校、陸軍士官学校(60期)、旧制第一高等学校を経て、東京大学法学部政治学科卒。 陸士での同期には中條高徳がいた。また、東大での親しい同期には児島襄、松下康雄らがいた。
赤池 弘次(あかいけ ひろつぐ、1927年11月5日 - 2… 赤池 弘次(あかいけ ひろつぐ、1927年11月5日 - 2009年8月4日)は、日本の数理統計学者。1970年代に確立した赤池情報量規準(AIC)で知られる。統計数理研究所第8代所長。2006年京都賞受賞者(基礎科学部門)。 1927年、現在の静岡県富士宮市にて生まれた。1945年、海軍兵学校(75期)を卒業し、第一高等学校に入学。1948年、第一高等学校を卒業。同年4月に東京大学理学部数学科に入学し、数学を専攻した。1952年、東京大学理学部数学科を卒業。 卒業後は、1952年4月より統計数理研究所に入った(文部技官)。1961年、学位論文『間隔過程の統計的管理について』を東京大学に提出して理学博士号を取得。
大野 正男(おおの まさお、1927年9月3日 - 2006… 大野 正男(おおの まさお、1927年9月3日 - 2006年10月28日)は、日本の弁護士。最高裁判所判事。 東京府出身。小学生時代に大蔵官僚であった父大野龍太が帝人事件で逮捕・起訴され、無実の罪で3年半のあいだ未決勾留された経験から弁護士志望となる。 第一高等学校 (旧制)を経て、1951年、東京大学法学部卒業。在学中は政治思想史の丸山眞男ゼミに所属。一旦会社勤めをした後、1954年に弁護士登録。弁護士としては海野普吉に師事。弁護士としては悪徳の栄え事件、砂川事件、西山事件、全逓中郵事件、羽田空港デモ事件、飯塚事件、芸大事件を担当した。 1993年4月に最高裁判事に就任。1997年9月に定年退官。
大久保 昭男(おおくぼ てるお、1927年9月1日 - 20… 大久保 昭男(おおくぼ てるお、1927年9月1日 - 2024年3月12日)は、日本のイタリア文学者、フランス文学者、翻訳家。本名「てるお」だが「あきお」と読むこともある。 アルベルト・モラヴィアの作品を数多く訳した。(児童向けを含め)フランス文学の訳書も出している。 英文学の翻訳者大久保康雄は遠縁の親戚に当たる。 茨城県結城郡西豊田村(現・八千代町)生まれ。1945年第一高等学校入学を経て、東京大学文学部仏文科卒。 2024年3月12日、老衰のため死去。96歳没。
青木 信仰(あおき しんこう、 1927年8月30日 - 2… 青木 信仰(あおき しんこう、 1927年8月30日 - 2011年10月9日)は、日本の天文学者。 東京府に生まれる。第一高等学校に進み,1947年に東京大学理学部天文学科に入学した。1952年に卒業、麻布の東京大学理学部の天文教室に採用され、その後東京天文台に移籍する。1961年の1年間,アメリカ航空宇宙局(NASA)のゴダード宇宙飛行センターで人工衛星の運動の研究に従事した。1970年に教授に昇任。 専門は、天文学の基本座標系と地球自転運動・地球内部構造との関係、銀河の構造と力学など。地球のコアとマントルの相互作用が黄道傾斜角に及ぼす影響を述べた論文は広く引用された。天文定数系の問題では、国際天文学連合(IAU)の委員として大きな役割を果たした。
銀林 浩(ぎんばやし こう、1927年〈昭和2年〉8月9日 … 銀林 浩(ぎんばやし こう、1927年〈昭和2年〉8月9日 - 2020年〈令和2年〉8月18日)は、日本の数学者。数学教育運動家。明治大学名誉教授。 東京出身。旧制第一高等学校を経て、東京大学理学部数学科卒業。遠山啓とともに考案した四則計算の指導体系「水道方式」を提唱。1962年、日大数学科事件に伴い日本大学講師を退職。ファン・デル・ヴェルデンの現代代数学の名訳で知られている。同書は2018年に第1巻のみ復刊された。