坂口 仁美(さかぐち ひとみ、1994年1月8日 - )は、… 坂口 仁美(さかぐち ひとみ、1994年1月8日 - )は、長野県東御市出身の、日本人の女子柔道選手である。階級は44kg級。身長145cm。血液型O型。段位は弐段。組み手は右組み。得意技は背負投、寝技。
長野県小諸商業高等学校:16人
※有名人ナビに登録されている16人を職業別に数えました。複数の職業を持つ人は、それぞれの職業に数えています。
坂口 仁美(さかぐち ひとみ、1994年1月8日 - )は、… 坂口 仁美(さかぐち ひとみ、1994年1月8日 - )は、長野県東御市出身の、日本人の女子柔道選手である。階級は44kg級。身長145cm。血液型O型。段位は弐段。組み手は右組み。得意技は背負投、寝技。
松村 千秋(まつむら ちあき、1992年10月25日 - )… 松村 千秋(まつむら ちあき、1992年10月25日 - )は、日本のカーリング選手。中部電力カーリング部所属。 長野県軽井沢町出身。11歳の時からカーリングを始め、2011年に長野県小諸商業高等学校を卒業後、中部電力に入社。
菊池 悠希(きくち ゆうき、1990年7月24日 - )は、… 菊池 悠希(きくち ゆうき、1990年7月24日 - )は、日本の女子ショートトラック選手。全日本空輸(ANA)所属。日本スケート連盟のショートトラック女子ナショナル強化選手A指定選手。2018年平昌オリンピック及び2022年北京オリンピックのショートトラック女子日本代表。長野県小諸商業高等学校を経て、2015年に立教大学経営学部を卒業。 姉からの影響も大きく幼少の頃から競技を始めた。南佐久郡小海町北相木村南相木村中学校組合立小海中学校時代からスピードスケートで、各種の大会に出場している。 2022年北京オリンピックではショートトラック混合リレーに菊池純礼、吉永一貴、菊池耕太と出場したが予選3組4着となった。
小林 すすむ(こばやし すすむ、本名;小林 進、1954年4… 小林 すすむ(こばやし すすむ、本名;小林 進、1954年4月15日 - 2012年5月16日)は、日本の俳優、タレント。長野県上田市出身。身長165cm、体重66kg。
山口 又宏 (やまぐち またひろ、1953年(昭和28年) … 山口 又宏 (やまぐち またひろ、1953年(昭和28年) - )は日本の外交官。ジッダ総領事等を経て、レバノン駐箚特命全権大使。 長野県出身。1972年長野県小諸商業高等学校卒業。1977年に明治大学政治経済学部を卒業し、1978年に外務省入省。 在外では、エジプト、スーダン、ニュージーランド、イスラエル、シンガポール等で公務。本省では、日米安全保障課沖縄担当、経済協力局技術協力課青年海外協力隊事業担当、中東アフリカ局中東第二課(サウジ担当)、領事局邦人安全課(緊急事態担当)などで勤務。 2010年、本省国際協力局民間援助連携室長。2013年ジッダ総領事。2016年からレバノン駐箚特命全権大使。
柳沢 敏幸(やなぎさわ としゆき、1949年 - 2010年… 柳沢 敏幸(やなぎさわ としゆき、1949年 - 2010年9月10日)は、元アマチュア野球選手である。ポジションは投手。 長野県北佐久郡御代田町出身。小諸商業高校を卒業した後に1968年に社会人野球の電電信越に入団する。チームでは投手として活躍し、1976年からコーチを兼任、1980年に現役引退した。翌年から監督に就任し、1982年の都市対抗野球から都市対抗野球に8年連続出場を果たした。その中で1987年の都市対抗野球ではチームをベスト8に導いた。その後、1989年までに監督を務めた後に、2004年~2008年までに母校の小諸商業高校の野球部監督を務めた。 2010年9月10日、大腸癌のため死去。
堀込 基明(ほりごめ もとあき、1939年10月31日 - … 堀込 基明(ほりごめ もとあき、1939年10月31日 - 1997年2月16日)は、長野県小諸市出身のプロ野球選手(外野手)。愛称は「モーやん」。 小諸商業高校から専修大学へ進学。東都大学野球リーグでは1959年春季リーグで優勝。直後の全日本大学野球選手権大会では、エース坂井勝二を擁し準決勝に進出するが、木次文夫、近藤昭仁らのいた早大に敗退。1960年秋季リーグでも山本兵吾の好投もあって在学中2回目の優勝を飾った。大学の1年上には坂井(3年で中退)、山本の他に、後にプロで同僚となる小池兼司がいた。1961年春季リーグでは首位打者を獲得。リーグ通算89試合出場、288打数95安打、打率.330、4本塁打、35打点。
長谷川 英憲(はせがわ ひでのり、1938年3月6日 - 2… 長谷川 英憲(はせがわ ひでのり、1938年3月6日 - 2022年5月8日)は、日本の政治家。中核派の政治団体「都政を革新する会」(旧「杉並革新連盟」)代表。杉並区議会議員(5期)、東京都議会議員(1期)を務めた。 選挙では、名前を平仮名にした長谷川 ひでのりの表記も用いる。また、俗称に長谷川 エイケン、ハセケン。 長野県生まれ。長野県小諸商業高等学校を卒業し、会計検査院に入庁した。働きながら早稲田大学第二政治経済学部を卒業。 1967年、70年安保や沖縄返還、公害、消費者保護を争点に杉並区議会議員選挙に立候補し、初当選。以後1971年、1975年、1979年、1983年と杉並区議に連続当選。
小山 恒三(こやま つねぞう、1933年12月20日 - 2… 小山 恒三(こやま つねぞう、1933年12月20日 - 2018年1月31日)は、長野県出身のプロ野球選手(投手)。 長野県小諸実業高等学校から東京鉄道管理局を経て、1952年に国鉄スワローズに入団。同年10月10日の対松竹ロビンス戦(西京極球場)に先発投手として一軍公式戦へのデビューを果たすと、完封で初勝利を挙げた。「スワローズの新人投手による一軍公式戦初登板での先発完封勝利」は球団史上初の快挙だが、小山に続く達成者は、東京ヤクルトスワローズ時代の2024年5月15日に松本健吾(トヨタ自動車出身の右投手)が対広島東洋カープ戦(松山坊っちゃんスタジアム)で記録するまで72年間現れなかった。 カーブやドロップなどの変化球を駆使していたものの、プロ野球投手としての実働年数はわずか2年で、1953年に現役を引退。
若林 克彦(わかばやし かつひこ、1933年〈昭和8年〉9月… 若林 克彦(わかばやし かつひこ、1933年〈昭和8年〉9月9日 - 2024年〈令和6年〉7月18日)は、大阪市出身の日本の技術者、実業家。ハードロック工業創業者、代表取締役会長。「ナニワの発明王」の異名を持つ。 今宮工業高等学校を経て、1956年、大阪工業大学機械工学科卒業。世界でオンリーワンの機械部品「ハードロックナット」を発明・開発。1974年、ハードロック工業を創業、代表取締役会長。「世界が注目する日本の中小企業100社」にも選出された。第10回日本イノベーター大賞、第35回発明大賞本賞、2009年旭日双光章を受章。主な著書は、「絶対にゆるまないネジ - 小さな会社が世界一になる方法」(中経出版)。
高島 照治(たかしま てるじ、1924年〈大正13年〉1月1… 高島 照治(たかしま てるじ、1924年〈大正13年〉1月18日 - 2006年〈平成18年〉3月17日)は、日本の農業家、政治家。主な役職に群馬県議会議員、同議長、嬬恋村議会議員、日本ホルスタイン登録協会会長など。 大正13年(1924年)、群馬県吾妻郡草津町に生まれる。長野県立小諸商業学校(現・長野県小諸商業高等学校)を卒業。 太平洋戦争終結後復員すると、1946年(昭和21年)に嬬恋村(群馬県吾妻郡)に入植し、仙之入開拓農協(全国開拓農業協同組合連合会参照)を設立して組合長に就任した。 群馬県の畜産に関する様々な団体の要職を歴任したほか、1984年(昭和59年)からは日本ホルスタイン登録協会の会長を務め、牛の個体識別システムの導入に携わった。
韮沢 忠雄(にらさわ ただお、1922年 - 2007年)は… 韮沢 忠雄(にらさわ ただお、1922年 - 2007年)は、日本のジャーナリスト。日本共産党で赤旗編集局長等を歴任し、既存マスコミの報道におけるタブーへの批判などを展開した。 長野県小諸町生まれ。実家は洋服屋。小諸商業学校(現長野県小諸商業高等学校)を経て、旧制東京商科大学(現一橋大学)に進学。大学在学中金沢で陸軍に勤務。高島善哉ゼミ出身。 大学に復学後、共産党シンパの学生らで組織された民主主義科学研究会(民研)に本間要一郎(のちに横浜国立大学名誉教授)、岡稔(のちに一橋大学教授)、佐藤定幸(のちに一橋大学名誉教授)らとともに参加し、主要メンバーとして活動した。民研はのちに、学生自治会委員長となった弓削達(のちに東京大学名誉教授)から批判を受けるなどし解散して社会科学研究会に改組した。
小山 威雄(こやま たけお、1905年〈明治38年〉7月1日… 小山 威雄(こやま たけお、1905年〈明治38年〉7月1日 - 1981年〈昭和56年〉8月24日)は、日本の実業家、政治家。長野県小諸市長。 長野県北佐久郡小諸町(現小諸市)で、小山重右衛門、婦美野の息子として生まれた。旧制小諸商業学校(現長野県小諸商業高等学校)を経て、旧制青山学院専門部商科修了。1930年(昭和5年)丸五商店に入社し、丸五商会に改組し代表取締役となる。1944年(昭和19年)計理士を開業。1947年(昭和22年)小諸商工会議所会頭となる。1951年(昭和26年)長野県商工信用組合監事に就任した。 1953年(昭和28年)小諸市教育委員、1963年(昭和38年)小諸市議会議員となり1971年(昭和46年)まで2期在任し、同議長も務めた。
小山 亮(こやま まこと、1895年2月4日 - 1973年… 小山 亮(こやま まこと、1895年2月4日 - 1973年2月9日)は、日本の政治家(衆議院議員)。 自由民権運動家で衆議院議員を務めた長野県小諸出身の小山久之助の次男として、東京市麹町に生まれる。6歳の時に父が亡くなり、父の郷里である小諸に移る。1912年3月、小諸町立小諸商工学校(現・長野県小諸商業高等学校)を卒業後上京し、父と知遇のあった大隈重信から援助を得て三重県立鳥羽商船学校(現・鳥羽商船高等専門学校)に入学したが1年で退学、新潟県立新潟商業学校(現・新潟県立新潟商業高等学校)の商船科に移ったがここもその年に退学し、1914年3月に愛媛県立弓削商船学校(現・弓削商船高等専門学校)に移り、1919年に卒業した。
加藤 剛一 は、日本の経営者。東北銀行頭取を務めた。
新保 高正 は、長野県出身の元プロ野球選手。