竹腰 俊蔵(たけごし/たけこし しゅんぞう、1895年〈明治… 竹腰 俊蔵(たけごし/たけこし しゅんぞう、1895年〈明治28年〉12月30日 - 1963年〈昭和38年〉3月28日)は、日本の教員、政治家。群馬県知事(公選第4代)を務めた。群馬県群馬郡箕輪村(のちの箕郷町、現在は高崎市)出身。参議院議員を務めた竹腰徳蔵は実兄であり、群馬県知事に立候補していた兄の急死により補充立候補して当選を果たした。 1895年(明治28年)12月30日、群馬県群馬郡箕輪村西明屋(現・高崎市箕郷町西明屋)の酒造業者・竹腰徳蔵(先代)の次男として生まれる。1909年(明治42年)箕輪小学校を卒業後、1914年(大正3年)高崎中学校(現・群馬県立高崎高等学校)を卒業。1915年(大正4年)に群馬県師範学校本科二部(現在の群馬大学教育学部)を卒業した。
大塚 好治(おおつか こうじ、1895年12月27日 - 1… 大塚 好治(おおつか こうじ、1895年12月27日 - 1979年4月25日)は、日本の化学者。大阪工業大学名誉教授。工学博士(大阪大学)。元応用化学教室担当。 専門は、無機工業化学・分析化学・物理化学。 鳥取県出身。1917年旧制大阪高等工業学校(のちの大阪大学)卒業。同校助手となり、1929年旧制大阪工業大学(のちの大阪大学工学部)講師。1933年大阪帝国大学工学部応用化学科助教授などを経て、1952年大阪大学大学院工学研究科にて工学博士(大阪大学)。1958年大阪工業大学工学部応用化学科教授、応用化学教室を担当。1977年大阪工業大学名誉教授。1979年逝去。 大阪工業大学工学部応用化学科で、1958年の同学科開設時より18年の長きに渡り教鞭を執り、同学科初期の応用化学(特に、無機工業化学・分析化学・物理化学)の研究・育成に貢献した。
笠井 鎮夫(かさい しずお、1895年12月27日 - 19… 笠井 鎮夫(かさい しずお、1895年12月27日 - 1989年5月21日)は、日本の文学研究者、スペイン語学・文学者、翻訳家。東京外国語大学名誉教授。日本の怪異譚にも関心をもち、僖真 学人を名乗った。 岡山県岡山市出身。1919年東京外国語学校西語学科卒業。同年4月同校助教授。1929年同校教授。1949年東京外国語大学教授、同年7月から1951年まで同大学附属図書館長を兼任。1959年定年退官、名誉教授、南山大学教授、1972年退職。 日本とスペイン語圏文化の交流に尽力し、日本ボリビア協会理事、日本アルゼンチン協会評議員などを歴任。『西譯古今名句選』では、俳句のスペイン語訳を行った。 1965年6月、スペイン政府からイサベル・ラ・カトリカ勲章(スペイン語版、英語版)を受章。
金子 光晴(かねこ みつはる、1895年〈明治28年〉12月… 金子 光晴(かねこ みつはる、1895年〈明治28年〉12月25日 - 1975年〈昭和50年〉6月30日)は、日本の詩人。本名:金子安和(かねこ やすかず・後に保和を名乗る)。弟に詩人で小説家の大鹿卓がいて、衆議院議員の河野密(妹・捨子の夫)は義弟にあたる。妻も詩人の森三千代、息子に翻訳家の森乾。 愛知県海東郡越治村(現:津島市)生まれ。暁星中学校卒業。早稲田大学高等予科文科、東京美術学校日本画科、慶應義塾大学文学部予科に学ぶも、いずれも中退。 渡欧して西洋の詩を研究し、詩集『こがね虫』(1923年)を刊行。その後世界を放浪して無国籍者の視野を獲得。反権力、反戦の詩を多く残した。作品に『鮫』(1937年)、『落下傘』(1948年)など。
山下 陸奥(やました むつ、1895年(明治28年)12月2… 山下 陸奥(やました むつ、1895年(明治28年)12月24日 - 1967年(昭和42年)8月29日)は、日本の歌人。 広島県尾道市千光寺通りに生まれる。 尾道市立土堂小学校、広島県第一中学校(現広島県立広島国泰寺高校)を経て、東京高等商業学校(現一橋大学)中退。住友合資に入社し、愛媛県新居浜住友工業所に勤務。上司の川田順の勧めで佐佐木信綱の竹柏会に入り、新井洸、木下利玄に私淑。のち上京して信綱、石槫千亦を助けて「心の花」の編集を担当。信綱、久松潜一から国文学を学ぶ。 1930年(昭和5年)、歌誌「一路」を創刊、主宰した。「一路」には岡部桂一郎や山崎方代、塩野崎宏、角宮悦子などが参加したが、戦後に多く離反していった。
田中 一松(たなか いちまつ、1895年12月23日 - 1… 田中 一松(たなか いちまつ、1895年12月23日 - 1983年4月19日)は、日本の美術史家である。 山形県鶴岡市に生まれ、旧制中学校の山形県立荘内中学校、旧制高等学校の第一高等学校を経て、1918年に東京帝国大学文学部美学美術史学科に入学し、1923年に卒業した。 1924年から東京帝室博物館(現東京国立博物館)に勤務し、文化財の調査研究・保護にあたった。1952年に東京文化財研究所美術部長、1953年に同所長となった。1964年に退任し、1965年から國華社主幹、1977年から死去まで編集顧問を務めた。 田中は研究者としても精力的に活動した。1926年に古社寺保存計画調査嘱託、1935年に国宝保存に関する調査嘱託、1936年に重要美術品等調査委員会の臨時委員を務めた。
松本 泰輔(まつもと たいすけ、1895年12月21日 - … 松本 泰輔(まつもと たいすけ、1895年12月21日 - 1940年代)は、日本の元俳優である。本名同じ。新派の川上貞奴一座からキャリアを開始、伊庭孝らの歌舞劇協会など、新派のみならず新劇・歌劇の諸劇団を組織して実演年数を重ね、映画界に転向後は帝国キネマ芦屋撮影所、日活太秦撮影所などで活躍した大スターとして知られる。 1895年(明治28年)12月21日、鳥取県鳥取市立川町に生まれる。『映画新研究十講と俳優名鑑』(朝日新聞社)など、一部の資料によれば、生年月日は「明治二十八年一月三十一日」(1895年1月31日)である旨が記されている。また、『新映画年鑑』(豊國社)によれば、生年月日は「明治二十八年十月」(1895年10月)、出生地は「鳥羽市」(三重県鳥羽市)である旨が記されているが、誤植と思われる。
園田 晟之助(そのだ せいのすけ、1895年(明治28年)1… 園田 晟之助(そのだ せいのすけ、1895年(明治28年)12月20日 - 1942年(昭和17年)4月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 兵庫県出身。鳳鳴義塾塾長・園田定太郎の長男として生まれる。鳳鳴中学校(現兵庫県立篠山鳳鳴高等学校)、大阪陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1917年(大正6年)5月、陸軍士官学校(29期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第70連隊付となる。1924年(大正13年)11月、陸軍大学校(36期)を卒業した。 1925年(大正14年)12月、陸軍省軍務局付勤務となり、陸軍兵器本廠付兼整備局課員、参謀本部付(支那研究員)、整備局課員、軍務局課員を務め、1932年(昭和7年)8月、歩兵少佐に進級し整備局課員・参謀本部員を兼務した。
菅 円吉(かん えんきち、1895年12月20日 - 197… 菅 円吉(かん えんきち、1895年12月20日 - 1972年9月23日)は、日本の神学者、教育者、翻訳家。 立教大学名誉教授、立教大学文学部長、立教学院理事、立教高等女学校(現・立教女学院中学校・高等学校)校長、立教女学院小学校校長、立教女学院院長・理事、世界キリスト教協議会理事長、日本聖公会司祭。 1895年、京都府で生まれた。父の菅寅吉は日本聖公会の聖職者で、岸和田聖保羅教会で牧師を務めた人物である。主教であるチャニング・ウィリアムズ(立教大学創設者)は、寅吉一家と一時期京都で生活を共にしたこともあり、その後も一家と深く親交した。寅吉の3人の子供たちは、洗礼名として長男の円吉から順にウィリアムズ、チャニング、ムーアとそれぞれウィリアムズの名前からとって名づけられ、ウィリアムズも子供たちを可愛がった。
辻 荘一(つじ しょういち、1895年(明治28年)12月2… 辻 荘一(つじ しょういち、1895年(明治28年)12月20日 - 1987年(昭和62年)4月21日 )は、日本の音楽学者。専攻は西洋音楽史。特にキリスト教音楽の歴史。立教大学名誉教授。 1895年、岐阜県生まれ。東京帝国大学文学部で学び、弘田龍太郎、田村寛貞に師事。1920年に同大学を卒業。 1923年(大正12年)、立教大学文学部教授に就任。キリスト教音楽史の講義を担当した。同年立教大学グリークラブを創部した。また、週に1度、母校である東京大学文学部で非常勤講師を務めた。東大での教え子に、音楽学者の皆川達夫がいる。 戦後、日本音楽学会の設立に尽力し、1964年4月から1970年3月には第2代会長も務めた。
岡村 丹二(おかむら たんじ、1895年12月19日 - 1… 岡村 丹二(おかむら たんじ、1895年12月19日 - 1954年12月8日)は、日本の経営者。山陽電気鉄道社長を務めた。 兵庫県神戸市出身。1921年に東京帝国大学経済科を卒業し、鉄道省、大阪鉄道での勤務を経て、1930年10月に宇治川電気(のちの山陽電気鉄道)に入社。 1940年10月に常務、1943年10月に専務を経て、1949年4月に社長に就任。 1954年12月8日、社長在任中に死去。58歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
住谷 悦治(すみや えつじ、1895年〈明治28年〉12月1… 住谷 悦治(すみや えつじ、1895年〈明治28年〉12月18日 - 1987年〈昭和62年〉10月4日)は、日本の経済学者。同志社大学名誉教授。同大学元総長。吉野作造門下。群馬県出身。 群馬県群馬郡国府村(現・高崎市東国分町)に、父・住谷友太、母・軟の次男として生まれる。旧制前橋中学校、旧制第二高等学校を経て、1922年(大正11年)に東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年吉野作造の推薦により同志社大学法学部助手となる。1927年(昭和2年)に同大学教授となったが、1933年(昭和8年)に治安維持法で逮捕され、職を辞す。東京文藝春秋社欧州特派員として1934年(昭和9年)に渡欧(1936年に帰国)。
今村 延雄(いまむら のぶお、1895年〈明治28年〉12月… 今村 延雄(いまむら のぶお、1895年〈明治28年〉12月18日 - 没年不明)は、日本の政治家。埼玉県北埼玉郡南河原村長、同村農業委員会長。 埼玉県北埼玉郡南河原村(現・行田市)出身。熊谷中学校に学ぶ。 1925年5月、南河原村会議員に当選。1929年5月、同村会議員に再選。1930年2月から1940年11月まで同村助役。1940年11月、同村長に就任。1946年11月、公職追放により辞職する。 1951年7月、埼玉県農業委員に当選。1955年8月、南河原村長に当選。 地方自治の発展に寄与した。住所は埼玉県北埼玉郡南河原村大字南河原。
中村 隆寿(なかむら たかひさ、1895年(明治28年)12… 中村 隆寿(なかむら たかひさ、1895年(明治28年)12月15日 - 1973年(昭和48年)7月31日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 1895年(明治28年)に熊本県で生まれた。陸軍士官学校第29期、陸軍砲工学校高等科、京都帝国大学工学部工業化学科を卒業し、工学博士の学位を取得している。1939年(昭和14年)に陸軍工兵大佐に進級し、陸軍技術本部米国駐在官となる。1941年(昭和16年)に陸軍燃料廠廠員を経て、1942年(昭和17年)に南方燃料廠南スマトラ支廠長に就任し、太平洋戦争に出動。 1943年(昭和18年)8月に陸軍少将に進級し、9月に陸軍燃料廠附を経て、1944年(昭和19年)1月に陸軍燃料廠研究部長、3月に陸軍燃料廠技術部長を歴任した。
松原 與三松(まつばら よそまつ、1895年12月15日 -… 松原 與三松(まつばら よそまつ、1895年12月15日 - 1975年4月29日)は、日本の経営者。日立造船社長を務めた。 福井県坂井郡坂井町出身。1920年に長崎高等商業学校を卒業。 久原鉱業、日立製作所での勤務を経て、1941年に日立造船に転じ、1950年5月に社長に就任。1962年11月には会長に就任。 1958年11月に藍綬褒章を受章し、1962年3月にデンマークのダンネブログ勲章を受章し、1966年11月に勲一等瑞宝章を受章した。 日本棋院関西総本部長をつとめ、1968年に大倉賞を受賞。 1975年4月29日、胃癌のために死去。79歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
藤村 益蔵(ふじむら ますぞう、1895年(明治28年)12… 藤村 益蔵(ふじむら ますぞう、1895年(明治28年)12月10日 - 1978年(昭和53年)10月29日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 1895年(明治28年)に福岡県で生まれた。陸軍士官学校第30期、陸軍大学校第39期、東京帝国大学政治学科卒業。1939年(昭和14年)3月9日、陸軍歩兵大佐進級と同時に第4軍高級参謀に就任し、1940年(昭和15年)3月に陸軍省人事局恩賞課長となった。1942年(昭和17年)2月に歩兵第56連隊長(南方軍・第15軍・第18師団)に就任し、ビルマ侵攻に参加。 1943年(昭和18年)3月1日に陸軍少将に進級し、またこの頃に第25軍軍政監部総務部長兼第25軍参謀となる。
大沼 法龍(おおぬま ほうりゅう)(旧姓 村岡 正人、189… 大沼 法龍(おおぬま ほうりゅう)(旧姓 村岡 正人、1895年〈明治28年〉12月10日 - 1976年〈昭和51年〉4月17日) は、日本の仏教家。大正から昭和の時代に活躍した西本願寺の布教使である。 明治28年(1895年)12月10日山口県岩国市に生まれる。その後 1911年広島第四仏教中学校(現 崇徳高校)に入学した。1916年に仏教大学(現 龍谷大学)に予科入学し、1921年(大正10)同校の研究科に入学する。その後、1923年に信心を獲得し、1924年に研究科を卒業した。その年の12月に北九州市八幡東区の敬行寺に入寺した。ハワイでの布教などの布教活動を積極的に行った。その後数々の著書を発刊。
鈴木 忠吉(すずき ちゅうきち、1895年(明治28年)12… 鈴木 忠吉(すずき ちゅうきち、1895年(明治28年)12月9日 - 1962年(昭和37年)1月25日)は、昭和時代の政治家。実業家。衆議院議員。静岡県賀茂郡下田町長。大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中尉。 静岡県賀茂郡下田町(現・下田市)に生まれる。自宅は、江戸時代から続く廻船問屋「雑忠(さいちゅう)」。父も明治末期と大正初期に当時の下田町長をつとめている。賀茂郡立中学豆陽学校を経て[要出典]、慶應義塾大学部理財科に学ぶ。 下田町会議員、同町長(在任:1935年(昭和10年)2月 - 1936年(昭和11年)4月)を歴任。ほか、全国貨物自動車運送事業組合理事、同静岡県組合理事長、下田船渠、東海自動車各取締役、東海パルプ、伊豆合同電気各監査役、伊豆通運、東海自動車各社長を務めた。
吉田 正廣(よしだ まさひろ、1895年12月8日 - 19… 吉田 正廣(よしだ まさひろ、1895年12月8日 - 1972年1月10日)は、日本の朝鮮史家、郷土史家、朝鮮総督府官吏。 堂前家の三男として鹿児島県北伊佐郡羽月村(現・伊佐市)に生まれる。5歳の時、吉田家の養子となる。鹿児島県立鹿屋農学校(現・鹿屋農業高等学校)卒業。朝鮮総督府の記録では、大正10年(1921年)、京畿道勧業技手が初見。36歳の時、吉田朝子(当時23歳)と見合い結婚する。朝鮮農地令制定の最重要人物とされ、朝鮮総督府高等官(奏任官)として『朝鮮の小作慣行-時代と慣行』(1930年)などの著作がある。自らライフワークを「『朝鮮の農村及農村生活』の実証的研究である」と記していたという。
石崎 政一郎(いしざき まさいちろう、1895年12月8日 … 石崎 政一郎(いしざき まさいちろう、1895年12月8日 - 1972年7月25日)は、昭和期の法学者。専攻は労働法、社会保障法。フランス法。東北大学名誉教授。元立教大学法学部教授。日仏法学会会長を歴任。 銀行頭取の石崎丈太郎の長男として生まれる(石崎家第3代)。東京出身。東京帝国大学法学部卒業。1921年(大正10年)に、渡欧、パリ大学、リヨン大学で法学を学び、博士号の学位を得る。1940年(昭和15年)、家督を相続。戦時中は、東北帝国大学報国隊第4大隊に所属、学徒勤労動員に関わる。 1952年(昭和27年)4月から1954年(昭和29年)3月まで東北大学法学部長を務め、1959年(昭和34年)3月に定年退職後、名誉教授となり、同年4月に立教大学法学部教授に就任。
小寺 融吉(こでら ゆうきち、1895年(明治28年)12月… 小寺 融吉(こでら ゆうきち、1895年(明治28年)12月8日 - 1945年(昭和20年)3月29日)は、日本の舞踊研究家、民俗学者。 東京生まれ。小寺芳次郎の四男。開成中学校卒、1918年早稲田大学文学部英文科卒。歌舞伎舞踊、民俗舞踊を研究、1927年柳田國男、折口信夫らと民俗芸術の会を結成、『民俗藝術』を創刊した。小寺駿吉、中村伸郎の兄。小寺廉吉、小寺健吉の弟。
福田 悌夫(ふくだ やすお、1895年(明治28年)12月4… 福田 悌夫(ふくだ やすお、1895年(明治28年)12月4日 - 1966年(昭和41年)8月28日)は、大正から昭和期の地主、農業経営者、著述家、教育者、実業家、政治家。衆議院議員、山口県都濃郡福川町長。 山口県都濃郡福川村(福川町(第1次)、徳山市、福川町(第2次)、南陽町、新南陽市を経て現周南市)で福田秀夫の五男として生まれ、素封家福田民平の養子となる。1920年(大正9年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業した。 農業を営む。著述業にも従事し、雑誌『新思潮』を経営。その後、徳山実業実践学校講師、徳山商業学校教諭を務めた。政治家道源権治の後継者と目され、都濃郡農会長、同教育会長の後任に推薦されて就任。
児玉 作左衛門(こだま さくざえもん、1895年(明治28年… 児玉 作左衛門(こだま さくざえもん、1895年(明治28年)12月3日 - 1970年(昭和45年)12月26日)は、日本の解剖学者・人類学者。北海道大学名誉教授。アイヌ研究で知られる。秋田県鹿角郡生まれ。 1895年(明治28年)、秋田県鹿角郡柴平村(現鹿角市)に生まれる。1900年(明治33年)、父が眼科医院開業とクリスチャンとしての宗教教育を目的として、一家で函館に移住。函館中学校、第二高等学校を経て東北帝国大学医学部に進学。解剖学を専攻し、スイス留学後の1928年(昭和3年)に「中枢神経の解剖学的研究」で博士学位を取得。翌1929年(昭和4年)、北海道帝国大学医学部解剖学第二教室教授に任じられる。
衣笠 静夫(きぬがさ しずお、1895年(明治28年)12月… 衣笠 静夫(きぬがさ しずお、1895年(明治28年)12月2日 - 1962年(昭和37年)2月24日)は、日本の実業家である。ミツワ石鹸(旧:丸美屋商店、現在は廃業)の副社長を務めた。 兵庫県龍野市(現在のたつの市)に生まれ、京都高等工芸学校(現在の京都工芸繊維大学)に入学する。1917年(大正6年)に卒業後は後のミツワ石鹸である丸美屋商店に入社し、宣伝部長や企画部長、営業部長を歴任した。勤務中は同社のユニークな広告制作に携わり、多くの新聞社に依頼しその広告を新聞広告として採用された事で名を馳せる。 その後は日本油脂工業会および日本化粧品工業会理事を務め、全日本広告連盟の理事長や日本広告主協会(現在の日本アドバイターズ協会)の理事や全日本広告協議会の幹事長等も歴任した。
阪本 牙城(さかもと がじょう、1895年12月1日 - 1… 阪本 牙城(さかもと がじょう、1895年12月1日 - 1973年8月8日)は、日本の漫画家、水墨画家。本名・坂本雅城(さかもと まさき)。水墨画家としては阪本雅城を用いる。 東京府西多摩郡五日市町(現東京都あきる野市)に生まれる。五日市小学校五年生のとき、同校の校章をデザインしたことにより、これは現在でも使われている。東京府立第二中学校(現東京都立立川高等学校)卒業後日本画家を志すが、生活できず岡本一平のすすめで漫画を描き始める。勤務していた中外商業新報(現日本経済新聞)や夕刊大阪新聞(現産経新聞)の家庭面に4コマ漫画を連載したが、思い切り奇想天外な作品を試したいと思い立ち、鉄の玉の中に人が入っている作品を「幼年倶楽部」編集部へ持ち込んだ。
山田 恵諦(やまだ えたい、明治28年(1895年)12月1… 山田 恵諦(やまだ えたい、明治28年(1895年)12月1日 - 平成6年(1994年)2月22日)は、日本の天台宗の僧侶。第253世天台座主を20年務め、「比叡山宗教サミット」の開催や「一隅を照らす運動」に尽力した。その行動的な姿から「空飛ぶお座主」といわれた。 明治28年(1895年)12月1日、兵庫県揖保郡太子町に生まれる。母に連れられて寺に参詣した際、修行者の姿に心を惹かれて仏教に憧れたという。明治37年(1904年)延命寺で出家し、堀恵慶の弟子となる。この時「恵諦」の法名を賜る。16歳で比叡山に入り、比叡山中学に入学。大正9年(1920年)天台宗西部大学卒業、卒業後は天台学の専門研究員となる。
岸田 正記(きしだ まさき、1895年〈明治28年〉12月1… 岸田 正記(きしだ まさき、1895年〈明治28年〉12月1日 - 1961年〈昭和36年〉6月3日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。幾久屋百貨店店主。 元衆議院議員岸田文武の父。元広島県知事宮澤弘(元内閣総理大臣宮澤喜一の実弟)の岳父。元科学技術庁長官岩動道行は妻・和子の従姉妹。衆議院議員で第100・101代内閣総理大臣の岸田文雄と参議院議員宮澤洋一は孫。 広島県賀茂郡西志和村(現:東広島市)出身。岸田幾太郎の長男。西志和高等小学校卒業。1913年(大正2年)、広島県立広島商業学校卒業。広商時代の同級生に大木惇夫がいる。長崎高等商業学校、京都帝国大学法学部卒業。在学中の1922年(大正11年)高等文官試験行政科合格。
瀧清 麻吉(たきすみ あさきち / たきずみ あさよし、18… 瀧清 麻吉(たきすみ あさきち / たきずみ あさよし、1895年(明治28年)12月1日 - 1950年(昭和25年)2月7日)は、大正から昭和期の警察官、政治家。衆議院議員、奈良県奈良市長。旧姓・上窪(かみくぼ)。 奈良県山辺郡針ヶ別所村大字馬場(都祁村を経て現奈良市)で、上窪甚三郎の三男として生まれ、同郡福住村(現天理市福住町)の瀧清こふしの養子となる。1915年(大正4年)小倉農業補修学校を修了した。 1916年(大正5年)奈良県巡査となる。以後、1920年(大正9年)巡査部長・高田警察署勤務、1922年(大正11年)奈良県警部補、1924年(大正13年)奈良県警部、1926年(大正15年)郡山警察署竜田分署長、1927年(昭和2年)御所警察署長、桜井警察署長、1928年(昭和3年)高田警察署長、1929年(昭和4年)郡山警察署長、1932年(昭和7年)奈良県警察部高等警察課長、1936年(昭和11年)地方警視・奈良警察署長などを歴任。
杉浦 喜之助(すぎうら きのすけ、1895年(明治28年)1… 杉浦 喜之助(すぎうら きのすけ、1895年(明治28年)12月1日 - 1975年(昭和50年)10月5日)は、日本の政治家。愛知県西尾市長(2期)。 愛知県西尾市生まれ。1911年(明治44年)、福地村立福地尋常高等小学校(現・西尾市立福地北部小学校)卒業。1919年(大正8年)、西尾町の肴町の金物店、小岸屋に養子に入り、杉浦姓となる。 1940年(昭和15年)、西尾町議会議員に初当選。戦後、西尾町議会議長として、市制施行の実現に尽力する。1952年(昭和27年)、西尾信用金庫理事長に就任。 1953年(昭和28年)12月15日、西尾市誕生とともに市議会議員となる。1957(昭和32年)、市議会議長に就任。
柘植 文雄(つげ ふみお、1895年(明治28年)12月 -… 柘植 文雄(つげ ふみお、1895年(明治28年)12月 - 1987年(昭和62年)8月)は、日本の内務・警察官僚。官選鹿児島県知事。 山形県出身。柘植文弥の長男として生まれる。山形高等学校を卒業。1925年11月、高等試験行政科試験に合格。1926年、東京帝国大学法学部を卒業。内務省に入省し社会局属となる。 以後、北海道・大阪府・広島県・愛知県各勤務、愛知県官房主事兼人事課長、和歌山県学務部長、茨城県書記官・警察部長、静岡県書記官・警察部長、新潟県書記官・警察部長、同県部長・警察部長、福岡県部長・警察部長などを歴任。 1945年4月21日、鹿児島県知事に就任。防空対策に精通し、城山に壕を掘り県庁分室を設置するなどの対策を実施。
永田 菊四郎(ながた きくしろう、1895年(明治28年)1… 永田 菊四郎(ながた きくしろう、1895年(明治28年)11月29日 - 1969年(昭和44年)9月18日)は、長崎県平戸出身の民法学者。法学博士。弁護士。日本大学第5代総長、同名誉総長。 日本における知的財産権、工業所有権法の権威であり、親族法や相続法の著名な研究でも知られている。民法学研究の為に28歳の時に単独渡独し、当時の日本人にとっては至難の業とされた海外での博士号を取得(博士論文は、ドイツ語論文『登記簿と工業所有権保護の役割』B5判、127ページ)した。総長就任後は、日本大学付属高等学校(日本大学明誠高等学校.長崎日本大学高等学校)の設立に尽力、日大紛争の収束に努めた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
菅谷 北斗星(すがや ほくとせい、1895年11月27日 -… 菅谷 北斗星(すがや ほくとせい、1895年11月27日 - 1962年1月21日)は、日本の将棋観戦記者の草分け。本名は菅谷 要。 栃木県栃木市出身。県立栃木中学校卒業後、慶應義塾大学部理財科にはいるも中退。早稲田大学英文科卒業。大衆文藝を志す。 菊池寛の紹介で、当時将棋観戦記で活躍していた大崎熊雄の助手となる。1927年、将棋観戦専門記者として読売新聞に入社。この時筆名として「北斗星」を採用。1937年の坂田三吉・木村義雄の京都南禅寺決戦を始め、多くの観戦記・随筆を手がけた。 一方で将棋史研究にも手をそめ、関連するエッセイを多数発表している。
真崎 長年(まさき ながとし、1895年(明治28年)11月… 真崎 長年(まさき ながとし、1895年(明治28年)11月26日 - 1965年(昭和40年)11月3日)は、日本の内務官僚。官選佐賀県知事。 長崎県出身。真崎雄四郎の二男として生まれる。第一高等学校を卒業。1921年、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し茨城県属となる。 以後、内務属、山口県警視・保安課長、青森県学務部長、岩手県書記官・学務部長、愛知県学務部長、大分県書記官・警察部長、宮崎県総務部長、福島県総務部長、大阪府学務部長などを歴任。 1940年4月、佐賀県知事(「佐賀県知事一覧」参照)に就任。1941年3月、朝鮮総督府学務局長に転任し、1942年10月まで在任。
大野木 秀次郎(おおのぎ ひでじろう、1895年11月25日… 大野木 秀次郎(おおのぎ ひでじろう、1895年11月25日 - 1966年3月4日)は、日本の政治家。 京都府宇治郡山科村(現京都府京都市山科区)生まれ。大野木繁太郎の次男。清和中学校(現立命館高等学校)を経て、立命館大学経済科中退。 洛東織物工場社長を経て、1946年貴族院多額納税者議員に当選。翌1947年には第1回参議院議員通常選挙京都府選挙区に日本自由党より出馬し当選。以後通算当選4回。在任中は、サンフランシスコ講和条約の首席全権代理、参議院自由党議員会長、自民党京都府議連初代会長(連続4期)などを務めた他、第3次吉田内閣第3次改造内閣および第5次吉田内閣で国務大臣を務めるなど国政の要職を歴任した。
小林 和一(こばやし わいち、1895年(明治28年)11月… 小林 和一(こばやし わいち、1895年(明治28年)11月25日 - 1968年(昭和43年)6月1日)は、日本の政治家、地方公務員。第5代福山市長。 広島県福山町(現・福山市地吹町)に生まれる。1915年(大正4年)、広島県立福山誠之館中学校(現・広島県立福山誠之館高等学校)卒業。深安郡書記、大阪北区職員を勤めたあと、関西法律学校(現・関西大学)に入り、同校を卒業した。 1919年(大正8年)7月、福山市は大水害に見舞われる。帰郷を決意し、福山市役所に奉職。庶務課長、税務課長、収入役などを歴任した。 1939年(昭和14年)1月、助役に選任される。小林壽夫市長の懐刀と言われた。1944年(昭和19年)9月26日、三菱鉱業取締役会長などを務めた三谷一二が第6代市長に就任。
松田 恒次(まつだ つねじ、1895年11月24日 - 19… 松田 恒次(まつだ つねじ、1895年11月24日 - 1970年11月15日)は、大阪府大阪市出身の実業家。 東洋工業(現マツダ)3代目社長。実父は東洋工業創始者の松田重次郎、息子にマツダ4代目社長の松田耕平。自身から孫の松田元と3代続けて広島東洋カープオーナーである。 1895年、大阪市の天満橋筋で鉄工所を営んでいた父松田重次郎、母千代の長男として生まれる。重次郎が造船技術者として呉や佐世保など各地の海軍工廠で勤務したため、幼少期は大阪で祖母に育てられていた。 重次郎と同様に機械好きで、学校から帰ると重次郎の経営する鉄工所で手伝いをしていた。1911年、大阪市立工業学校に入学、野球部に入った。
寺田 雅雄(てらだ まさお、1895年(明治28年)11月2… 寺田 雅雄(てらだ まさお、1895年(明治28年)11月23日 - 1988年(昭和63年)4月25日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 福井県出身。小浜中学校(現福井県立若狭高等学校)卒業を経て、1917年(大正6年)5月、陸軍士官学校(29期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第36連隊付となる。1921年(大正10年)4月から翌年10月までシベリア出兵に従軍。1928年(昭和3年)12月、陸軍大学校(40期)を首席で卒業し歩兵第36連隊中隊長に就任した。 陸軍省軍務局付勤務、同局課員、イギリス駐在、参謀本部員などを務め、1936年(昭和11年)8月、歩兵中佐に昇進。1937年(昭和12年)10月、第10軍参謀に発令され日中戦争に出征。
蠟山 政道(ろうやま まさみち、1895年11月21日 - … 蠟山 政道(ろうやま まさみち、1895年11月21日 - 1980年5月15日)は、日本の政治学者・行政学者・政治家。お茶の水女子大学名誉教授。民主社会主義の提唱者であり、行政学研究の先駆的存在である。 新潟県刈羽郡鵜川村で蝋山政次郎と母寛子(衆議院議員・牧口義方の二女)の長男として生まれる。父は1872年8月に蝋山政右衛門の長男として生まれ、同家8代目の当主であった。祖父政右衛門が群馬県高崎市歌川町で蝋山酒造を経営していたため同地で育つ。父は上州銀行や上州信託、高崎倉庫株式会社の取締役をはじめ、上州電気鉄道株式会社の監査役を務めるなど群馬県経済界の重鎮であった。 1913年3月に県立高崎中学校、1917年7月に第一高等学校を卒業し、東京帝国大学法学部政治学科に進学。
蝋山 政道(ろうやま まさみち、1895年11月21日 - … 蝋山 政道(ろうやま まさみち、1895年11月21日 - 1980年5月15日)は、日本の政治学者・行政学者、政治家、お茶の水女子大学名誉教授。民主社会主義の提唱者であり、行政学研究の先駆的存在である。
神山 嘉瑞(こうやま かずい、1895年(明治28年)11月… 神山 嘉瑞(こうやま かずい、1895年(明治28年)11月21日 - 1971年(昭和46年)4月8日)は、大正から昭和期の鉄道官僚、政治家、華族。貴族院男爵議員。 華族・神山郡昭の二男として生まれる。父の隠居に伴い、1932年(昭和7年)8月15日、男爵を襲爵した。 1922年(大正11年)3月、京都帝国大学経済学部を卒業。同年、鉄道省に入省し鉄道局書記に就任。以後、鉄道属、鉄道局副参事、東京鉄道局千葉運輸事務所長、鉄道省輸送実費調査委員会幹事などを務めた。 1940年(昭和15年)11月27日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し、公正会に所属して活動し、1946年(昭和21年)5月9日まで一期在任した。
唐川 安夫(からかわ やすお、1895年〈明治28年〉11月… 唐川 安夫(からかわ やすお、1895年〈明治28年〉11月19日 - 1977年〈昭和52年〉7月29日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 福山中学校、広島陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1917年(大正6年)5月、陸軍士官学校(29期)を卒業。同年12月、砲兵少尉に任官し野砲兵第1連隊付となる。陸軍砲工学校高等科を卒業し、さらに1927年(昭和2年)12月、陸軍大学校(39期)を卒業した。 野砲兵第1連隊中隊長、参謀本部付勤務、参謀本部員、イタリア駐在、陸軍兵器本廠付、陸軍重砲兵学校教官、参謀本部員を経て、1938年(昭和13年)6月から翌年3月まで大本営謀略課長を務めた。イタリア大使館付武官、参謀本部欧米課長、参謀本部謀略課長を歴任し、日中戦争に第13軍参謀長として出征。
平塚 運一(ひらつか うんいち、1895年11月17日 - … 平塚 運一(ひらつか うんいち、1895年11月17日 - 1997年11月18日)は、島根県八束郡津田村(現松江市)出身の版画家。勲三等瑞宝章受章(1977年)、松江市名誉市民(1989年)。 1895年(明治28年)11月17日、島根県八束郡津田村(現松江市)に生まれた。島根県立松江商業学校に入学したが、1913年(大正2年)に中途退学し、松江市役所に勤務。石井柏亭の洋画講習会がきっかけとなり、1915年(大正4年)に上京してデッサンに励み、さらに版画技術を会得。1916年(大正5年)には、二科展に版画作品が入選し、日本美術院展には油彩作品と水彩画作品が入選した。1917年(大正6年)に帰郷して結婚し、公立小学校の図画教員となった。
中西 悟堂(なかにし ごどう、1895年(明治28年)11月… 中西 悟堂(なかにし ごどう、1895年(明治28年)11月16日 - 1984年(昭和59年)12月11日)は、日本の野鳥研究家で歌人・詩人、天台宗僧侶。文化功労者。日本野鳥の会の創立者。本名は富嗣、悟堂は法名。他に筆名として赤吉(しゃくきち)。 「野の鳥は野に」を標語に自然環境の中で鳥を愛で、保護する運動を起こした。「野鳥」や「探鳥」は悟堂の造語。 1895年(明治28年)、石川県金沢市長町に生まれ、富嗣と命名される。祖父は加賀藩士。父親は海軍軍楽隊教官だったが、悟堂の生後まもなく病死し、母は長崎の実家に帰ったまま行方不明となり、父の兄で中西家十代の当主元治郎(悟玄)の養嗣子となる。3歳頃より四書五経を学び千字文を書写する。
杉本 勝次(すぎもと かつじ、1895年11月14日 - 1… 杉本 勝次(すぎもと かつじ、1895年11月14日 - 1987年1月2日)は日本の政治家。衆議院議員、福岡県知事などを務めた。 福岡県福岡市出身。1914年、中学明善校(現・福岡県立明善高等学校)卒業。1921年、東京帝国大学法学部政治学科卒業。 九州帝国大学、福岡高校、福岡女子専門学校の各講師、西南学院専門学校(現・西南学院大学)校長を経て、1946年4月、戦後初の衆議院議員総選挙に福岡1区から社会党所属で出馬し当選、1期務める。1947年4月から2期、福岡県知事を務めて石炭政策を推進した。福岡県知事の任期満了後に両派社会党の推薦で福岡市長選に出馬するが保守系現職の小西春雄に敗れて落選、翌1956年3月から久留米市長となる。
中鉢 常正(なかばち つねまさ、1895年〈明治28年〉11… 中鉢 常正(なかばち つねまさ、1895年〈明治28年〉11月14日 - 1978年〈昭和53年〉11月19日)は、日本の経営者。東京都出身。位階は正五位。 1919年に慶應義塾大学法科を卒業。古河鉱業での勤務を経て、1934年に古河電気工業に転じ、1949年に取締役に就任し、1955年3月に常務を経て、1957年2月に日本ゼオン副社長に就任し、1960年5月には社長に昇格。1962年11月には相談役に就任。 1971年4月に勲三等瑞宝章を受章。 1978年11月19日心不全のために死去。83歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
小川 莚喜(おがわ のぶき、1895年(明治28年)11月1… 小川 莚喜(おがわ のぶき、1895年(明治28年)11月12日 - 1944年(昭和19年)2月24日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍少将。 1895年(明治28年)、高知県高岡郡高石村用石(現土佐市)で生まれた。1915年(大正4年)高知県立第一中学校(現:高知県立高知追手前高等学校)を卒業後、1918年(大正7年)11月、海軍兵学校(46期)を卒業。 海軍水雷学校高等科を経て、駆逐艦「灘風」、重巡洋艦「高雄」「五十鈴」「衣笠」、戦艦「霧島」などの水雷長兼務分隊長、駆逐艦「水無月」「夕霧」「白雪」「白雲」などの艦長、巡洋艦「天龍」「筑摩」の副長、第5駆逐隊司令などを歴任。 太平洋戦争開戦当時は、第12駆逐隊司令としてマレー上陸作戦、ジャワ島上陸作戦、ジャカルタ沖海戦などに参加。
中村 四郎(なかむら しろう、1895年(明治28年)11月… 中村 四郎(なかむら しろう、1895年(明治28年)11月12日 - 1989年(平成元年)2月3日)は、日本の内務・警察官僚。官選徳島県知事。 鹿児島県肝属郡新城村(現在の垂水市)新城で、中村思無邪の四男として生まれた。鹿児島県立第一鹿児島中学校を経て、1918年7月、第七高等学校造士館第一部甲類(英法)を卒業。1920年10月、文官高等試験行政科試験に合格。1921年4月、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年8月、内務省に入省し三重県属、内務部地方課勤務となる。同年12月、休職し一年志願兵として歩兵第23連隊に入隊。1922年11月に満期除隊。 1923年4月、三重県内務部学務課兼社寺兵事課兼農商課勤務となる。
本多 市郎(ほんだ いちろう、1895年(明治28年)11月… 本多 市郎(ほんだ いちろう、1895年(明治28年)11月11日 - 1959年(昭和34年)4月5日)は、日本の政治家。衆議院議員、参議院議員、行政管理庁長官(第4・10代)、地方自治庁長官(第2代)、自治庁長官(第2代)。位階は正三位、勲等は勲二等。 長崎県南高来郡南有馬町(現南島原市)に、農業・本多福四郎の長男として生まれる。長じて上京し、両国税務署員として働きながら、1925年中央大学法科を卒業する。上京時の下宿先では小澤佐重喜と起居を共にしていた。 関東大震災が起きると、復興局に勤務する傍ら、深川区(現在の江東区北西部)の自宅に法律無料相談所を開いて罹災者の相談に乗り、地元住民の信望を集めていった。
柳井 恒夫(やない ひさお、1895年(明治28年)11月6… 柳井 恒夫(やない ひさお、1895年(明治28年)11月6日 - 1981年(昭和56年)7月21日)は、大正・昭和期の外交官、弁護士。 東京 で医師・柳井貴三の二男として生まれる。1913年に東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業、第一高等学校を経て、1919年7月、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業した。 1919年7月、外務省に入省し外務属として電信課に配属された。同年10月、高等試験外交科試験に合格。以後、シャム、フランス、ベルギー、ブラジル、外務省アジア局第一課などで勤務した。1931年1月、領事に任じられ奉天在勤となり満州事変に遭遇した。以後、アジア局第三課長、東亜局第三課長、兼東亜局第二課長、ドイツ大使館一等書記官、同参事官、ジュネーヴ総領事兼国際会議帝国事務局次長、興亜院経済部長などを歴任。
江辺 清夫(えべ きよお、1895年(明治28年)11月5日… 江辺 清夫(えべ きよお、1895年(明治28年)11月5日 - 1950年(昭和25年)1月11日)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事、川崎市長。 山形県南置賜郡南原村猪苗代町(現米沢市)出身。旧米沢藩士・江辺信次(小学校長、郡視学、南原村長)、いよ夫妻の長男として生まれる。1914年3月、山形県立米沢中学校を卒業。第二高等学校を経て、1920年7月、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。同年10月、高等試験行政科試験に合格し逓信省に入省。1921年、内務省に転じ山梨県属・地方課兼学兵課勤務となる。 以後、山梨県西山梨郡長、山梨県警視・警察部警務課長兼巡査教習所長、同保安課長、山口県地方事務官・産業課長、同商工水産課長、同学務課長、富山県書記官・学務部長、山形県書記官・警察部長、三重県書記官・警察部長、熊本県書記官・警察部長、神奈川県経済部長などを経て、1939年4月、兵庫県総務部長に就任。