スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
山本 匠真(やまもと しょうま、2002年6月20日 - )… 山本 匠真(やまもと しょうま、2002年6月20日 - )は、日本の男子陸上競技選手。専門は短距離走。100mで10.16の自己ベストを持つ。 廿日市市立野坂中学校、広島県立広島国泰寺高等学校を卒業。広島大学陸上競技部所属。 2024年世界リレー4×100mリレーの日本代表。 2024年に日本陸上競技選手権大会で10.31を記録し、8位入賞。 小学生時代はサッカーをしており、その時から足が速かったため、廿日市市立野坂中学校への進学を転機に陸上部に入り、短距離に取り組んでいた。それでも中学、高校と全国大会出場経験はなし。加えて、高校3年生の時は、コロナ禍で大会が中止になった。 2019年9月、高校2年生の時に出場した広島県高等学校新人陸上競技大会では男子100m決勝で、県8位に入賞した。
冨田 奈央子(とみた なおこ、 1989年6月10日 - )… 冨田 奈央子(とみた なおこ、 1989年6月10日 - )は、フリーアナウンサー。元広島ホームテレビ (HOME)(テレビ朝日系列)、および、元IBC岩手放送(2012年 - 2016年)のアナウンサー。広島県広島市出身。 1989年(平成元年)6月10日生まれ、広島県広島市出身。広島県立広島国泰寺高等学校在学中に、広島ホームテレビ『ホビーの匠』に匠子として数度出演した。また、広島FM『大窪シゲキの9ジラジ』にも出演したことがある。2007年(平成19年)には、第54回NHK杯全国高校放送コンテストのアナウンス部門において優良賞を受賞した。 同校卒業後、日本大学芸術学部放送学科に入学。野球部のマネージャーを務めていた。
窪田 崇(くぼた たかし、1977年 - )は、広島県広島市… 窪田 崇(くぼた たかし、1977年 - )は、広島県広島市出身の映画監督・映像作家・脚本家。 広島県立広島国泰寺高等学校を経て松竹京都撮影所内KYOTO映画塾卒。2008年に初長編映画となる『イエスタデイズ』を監督。他、代表作にはSixTONES結成のきっかけとなったドラマ&映画『私立バカレア高校』、ジャニーズと乃木坂46が初共演したドラマ&映画『BAD BOYS J』、平野紫耀の初主演ドラマ『SHARK』、GENERATIONSの初主演ドラマ『シュガーレス』、AAAの初主演ドラマ『彼らの海・VIII -Sentimental Journey- 』などがある。 2001年、フジテレビの深夜番組が実施した映像作家発掘プロジェクトに選ばれショートフィルムを発表。
木次 真紀(こつぎ まき、1974年10月19日 - )は、… 木次 真紀(こつぎ まき、1974年10月19日 - )は、ジョイスタッフ所属のフリーアナウンサー。元山陰放送(BSS)アナウンサー。 広島県広島市出身。血液型はA型。星座はてんびん座。広島県立広島国泰寺高等学校、広島修道大学人文学部人間関係学科心理学専攻卒業、1997年山陰放送に入社。『テレポート山陰』のキャスターを担当。2001年10月に山陰放送を退社。その後アメリカのボストンとロサンゼルスへ相次いで留学。2002年2月からジョイスタッフに所属。 資格として潜水士免許、小型船舶1級免許、大型自動二輪免許、普通自動車免許を所持している。相棒はハーレーダビッドソンXL1200SからのFXDFからのVストローム250。
植田 功一(うえだ こういち、1973年8月7日 - )は、… 植田 功一(うえだ こういち、1973年8月7日 - )は、日本のフリーアナウンサー。ライトハウス所属。九州龍谷短期大学准教授。元NHKアナウンサー。広島県広島市出身。 広島県立広島国泰寺高等学校から1997年駒澤大学文学部社会学科卒業。同年、NHKにアナウンサーとして入局。東京での2ヶ月研修後、東北は岩手・盛岡局に3年2ヶ月、山陰の島根・松江局に1年勤務した。同期には島津有理子、膳場貴子、登坂淳一、斉木武志、和田政宗、佐藤寅彦、原口雅臣、三浦拓実など。 2001年にNHKを退局し独立。フリーアナウンサー、ジャーナリストとして活動。中国新聞社で創刊120周年記念事業として行われているテレビ番組『1945原爆と中国新聞』(中国新聞社制作・中国放送協力)で語りを担当。
時川 英之(ときがわ ひでゆき、1972年11月3日 - )… 時川 英之(ときがわ ひでゆき、1972年11月3日 - )は、日本の映像作家、映画監督。広島県広島市生まれ。広島市に拠点を置いて活動。 広島市生まれ。広島県立国泰寺高校(平成3年卒)を経て明治大学政治経済学部卒業。カナダのバンクーバー・フィルムスクールで本格的に映画を学ぶ。 ディスカバリーチャンネル・アジア(シンガポール)、ウォルト・ディズニー・テレビジョン(東京)で多くの番組にプロデューサー/ディレクターとして携わる。 その後、映画監督の岩井俊二に師事し、日韓W杯ドキュメンタリー『六月の勝利の歌を忘れない』、映画『花とアリス』などに参加する。 映画を中心に、ドキュメンタリー、TVCM、ミュージックビデオなど幅広いジャンルの映像作品を手がける。
小林 康秀(こばやし やすひで、1972年10月16日 - … 小林 康秀(こばやし やすひで、1972年10月16日 - )は、中国放送(RCC)のアナウンサー。広島県広島市出身。 小学2年生の時に広島東洋カープがリーグ優勝したことがアナウンサーを目指したきっかけで、小学校卒業時に埋めたタイムカプセルに「アナウンサーになることが夢」と書いた。中学、高校時代は体育会系の部活に打ち込む。専修大学では放送研究会に所属。ゼミのテーマは「日本の経営」。広島県立広島国泰寺高等学校、専修大学経営学部経営学科卒業後、1996年入社。スポーツアナウンサーとしてプロ野球やサッカー、陸上競技の実況中継、スポーツ番組をはじめ、広島ローカルの平日夕方ニュース番組『RCCニュース6』のキャスターを担当した。
大神 友明(おおがみ ともあき、1970年6月7日 - )は… 大神 友明(おおがみ ともあき、1970年6月7日 - )は、広島市中区江波(えば)出身の元プロサッカー選手(ゴールキーパー)。 広島県立国泰寺高校から筑波大学に進学。卒業後、1993年にジュビロ磐田入団。 1996年より次第に出場機会を掴み、レギュラーを奪取した1997年には磐田の初優勝に貢献すると共にJリーグベストイレブンに選出される。1998年にはオールスターゲームに出場。しかし1999年の第1ステージで靭帯損傷の負傷から長期欠場。その後も調子が戻らず、アルノ・ヴァンズワムの加入などから出場機会を減らした。 2002年にアビスパ福岡に移籍。当初は正GKだったが、2003年以降は水谷雄一にその座と背番号1を譲り、2004年に現役を引退。
高田 哲也(たかだ てつや、1969年7月31日 - )は、… 高田 哲也(たかだ てつや、1969年7月31日 - )は、広島県出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。 現役時代はボランチを中心に、センターバック、左サイドバックを担当。1993年に湘南ベルマーレの前身のフジタSCに入団以来、ベルマーレ一筋にプレーして2000年に引退した。 引退後は湘南ユースのコーチ、監督を経て、2006年はトップチームのコーチに就任。2009年から2017年まで名古屋グランパスにてU-15、U-18監督、テクニカルダイレクター、アカデミーダイレクターを歴任した。 2018年よりサンフレッチェ広島のジュニアユース監督に就任。2020年からはユース監督に就任した。
義田 貴士(よしだ たかし、本名:吉田 貴志=読みは同じ、1… 義田 貴士(よしだ たかし、本名:吉田 貴志=読みは同じ、1967年(昭和42年)2月19日 - )は、広島県広島市出身のスポーツジャーナリスト、プロ野球インタビュアー、テレビプロデューサー、俳優、タレント。血液型はA型。実父は元崇徳高校硬式野球部監督・元OB会会長の吉田祥三。 広島国泰寺高校→広島修道大学商学部経営学科卒業後、1990年にテレビ朝日へ入社。 スポーツ部記者として、プロ野球中継(読売ジャイアンツ=巨人、千葉ロッテマリーンズ、日本ハムファイターズ)や『GET SPORTS』の取材、リポーターとして活躍。中継出演時は「Dr.レポート」と銘打たれていた。また、自社のドラマ番組に出演し話題を集めた。
野村 雅之(のむら まさゆき、1966年12月11日 - )… 野村 雅之(のむら まさゆき、1966年12月11日 - )は、東京都生まれ、広島県育ちの元サッカー選手、サッカー指導者、解説者。岡山県作陽高等学校サッカー部総監督。 1983年広島国泰寺高校のゴールキーパーとして吉田安孝らとともに高校選手権出場。義田貴士は同級生である。1988年筑波大学に進学しサッカー部で活躍。中山雅史、井原正巳、森山佳郎らが大学の後輩。 1990年招かれて保健体育教諭として作陽高等学校に赴任しサッカー部コーチとなり、1999年監督就任。2007年、高校選手権で同校を岡山県勢初の決勝進出に導いた。2005年にJFA公認A級ライセンス、2008年に同S級ライセンスを取得している。
吉田 安孝(よしだ やすたか、1966年11月22日 - )… 吉田 安孝(よしだ やすたか、1966年11月22日 - )は、広島県出身の元サッカー選手、現・サッカー解説者。 現役時代は、タイトなマークのディフェンダー として活躍、広島国泰寺高校時代の同期に野村雅之。 1988年東海大学卒業後、マツダSCの今西和男監督に誘われていたが、すでに入社を決めていた日本サッカーリーグ2部の田辺製薬サッカー部へ入団。田辺製薬がJリーグ参加を見送ることになり、再び今西に誘われ、1991年マツダSCに移籍。Jリーグ発足でサンフレッチェ広島になった1994年のサントリーシリーズのステージ優勝を経験した。1995年からコスモ石油四日市FCでプレーするも1996年のチームの解散で現役を引退。
松尾 たいこ(まつお たいこ、1963年9月12日 - )は… 松尾 たいこ(まつお たいこ、1963年9月12日 - )は、日本のイラストレーター広島県呉市出身。夫にジャーナリストの佐々木俊尚がいる。2017年現在、東京都在住。 幼いころから絵を描くことが好きで、広島県立広島国泰寺高等学校では目立たない生徒であったが、絵の才能を認められて卒業アルバム委員に選出され、1982年の学校公式卒業アルバムの挿絵を担当したのが初仕事となった。この時点では、東京の美術大学を目指すことができるほどの絵の実力はないと考えており、周りのすすめに従い、地元の広島女学院大学短期大学部に進学、卒業後、マツダに就職して11年間勤務。自分にできることを探しながらシステム開発などに携わった。
沢村 凜(さわむら りん、1963年7月5日 -)は、日本の… 沢村 凜(さわむら りん、1963年7月5日 -)は、日本の小説家。広島県広島市生まれ。広島県立広島国泰寺高等学校、鳥取大学農学部獣医学科卒業。女性。 幼少期より読書家だった母の影響で読書に親しむ。広島県立広島国泰寺高等学校、鳥取大学農学部獣医学科卒業。タウン誌の記者などを経て、1991年、『リフレイン』が第3回日本ファンタジーノベル大賞の最終候補作となり、1992年、同作で作家デビュー。1998年、『ヤンのいた島』で第10回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。2008年、「人事マン」で第61回日本推理作家協会賞(短編部門)候補。2009年、「前世の因縁」で第62回日本推理作家協会賞(短編部門)候補。
永野 護(ながの まもる、1960年1月21日 - )は、日… 永野 護(ながの まもる、1960年1月21日 - )は、日本のメカニックデザイナー、キャラクターデザイナー、漫画家。
久保田 麻三留(くぼた まさる、1959年(昭和34年)6月… 久保田 麻三留(くぼた まさる、1959年(昭和34年)6月5日 - )はテレビ東京報道局ニュースセンター解説委員、気象予報士。 (元)NHKアナウンサーの久保田順三を父として、大分県大分市で誕生。福岡県、東京都、名古屋市、広島県で育ち、広島県立広島国泰寺高等学校、日本大学文理学部応用地学科卒業。 1982年(昭和57年)に父と同じくNHKへ入局。NHKで10年近く勤務。NHK時代には各地の気象台に足しげく通い、ラジオで気象関連のレギュラーコーナーも持っていた。1992年(平成4年)1月にテレビ東京へ移籍。主に報道番組のキャスターを担当。1995年には男性局アナで最初に気象予報士の資格を取得。2005年7月より編成局アナウンス部長。
藤井 恒(ふじい ひさし、1959年 - )は、日本の生物学… 藤井 恒(ふじい ひさし、1959年 - )は、日本の生物学者。理学博士(京都大学)。NPO法人日本チョウ類保全協会設立代表者。 広島県生まれ。広島県立広島国泰寺高等学校を卒業、弘前大学理学部生物学科に進学、卒業後、京都大学大学院、日高敏隆の研究室にて理学博士。祖父、藤井崇治、父、藤井脩、母、良子 子供の頃からの昆虫好きであり、中学3年生にして、広島虫の会、日本鱗翅学会、日本昆虫学会に入会。弘前大学の学生のとき『広島県のチョウ』に自身が撮影してきた蝶の写真を掲載。結果、専門となったのは生物学、後述、学術上の業績はこちらにあるが、写真も趣味であり、趣味の写真が専門に生かされた。 また子供の頃から音楽好きで、ピアノや歌を独学し、大学(学部)時代は混声合唱団に参加、演奏会やコンクールなどに出演した。
井上 哲士(いのうえ さとし、1958年5月5日 - )は、… 井上 哲士(いのうえ さとし、1958年5月5日 - )は、日本の政治家。 参議院議員(4期)、日本共産党中央委員、同党中央委員会書記局員、同党参議院幹事長兼国会対策委員長を歴任。 銀行員だった父の転勤先、山口県徳山市で生まれ、広島県で育った。1983年、京都大学法学部卒業後、赤旗記者などを経て2001年、第19回参議院議員通常選挙比例代表で初当選。
宗政 潤一郎(むねまさ じゅんいちろう、1957年7月30日… 宗政 潤一郎(むねまさ じゅんいちろう、1957年7月30日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者(JFA Proライセンス、旧称:JFA 公認S級コーチ)。広島県広島市中区出身。武蔵大学卒業。現在、日本サッカー協会参与、評議員、中国サッカー協会 (日本) 会長、広島県サッカー協会会長。サッカー解説者。テレビ&ラジオコメンテーター&MC。 テレビ番組「MIKASAサッカーナビ ミカサッカー及びムネ ザ・トーク~ちゅピCOMひろしま~」とラジオ番組「ムネ ザ・トークR~FMちゅーピー~」にレギュラー出演。 2024年10月6日、広島県サッカー協会100周年記念式典で、100周年を記念して設けられた「広島県サッカー殿堂」11名の中の1人として表彰され、広島サッカースタジアム(エディオンピースウイング広島)内にある広島サッカーミュージアムにレリーフが設置された。
桝井 省志(ますい しょうじ、1957年 - )は、日本の映… 桝井 省志(ますい しょうじ、1957年 - )は、日本の映画プロデューサー アルタミラピクチャーズ代表取締役及びアルタミラミュージック代表取締役元東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻プロデュース領域教授東京藝術大学名誉教授 愛媛県久万高原町生まれ。実家は造り酒屋。祖父の代は『金露』、父親の代は『千両』という銘柄の醸造元であった。幼少時は久万幼稚園に通う。父親の転職に伴い兵庫県西宮市に移り阪急幼稚園に通う。父親がサントリーに入社し以降転勤族となり全国を転々とする。兵庫県西宮市瓦木小学校入学、宝塚市立長尾小学校、神奈川県横浜市立三ツ沢小学校卒業、横浜市立松本中学校入学、北海道札幌市立平岸中学校、広島県広島市立庚午中学校卒業、広島県立広島国泰寺高等学校に入学、卒業後上智大学文学部哲学科入学、卒業後大映映画株式会社入社。
川上 政行(かわかみ まさゆき、1956年10月26日 - … 川上 政行(かわかみ まさゆき、1956年10月26日 - )は福岡県を拠点に活動しているフリーアナウンサー。 ハートリンク代表で、キャスト・プラス(TBSスパークル)と業務提携している。福岡アナウンススクール主宰者。 広島県広島市出身。広島県立広島国泰寺高等学校、法政大学社会学部応用経済学科卒業。1980年4月に宮崎放送に入社。 1991年にTXN九州(TVQ)開局に際し移籍。アナウンス部長・スポーツ部長を最後に2003年よりフリー。TVQ時代は福岡ダイエーホークス(現:福岡ソフトバンクホークス)戦の実況を担当し、1999年のダイエーの初優勝を福岡ドームから伝えた。 フリー転身後の2003年6月から2016年3月まで、RKB毎日放送『今日感テレビ』のメインキャスターを務める。
栩野 幸知(とちの ゆきとも、1952年5月28日 - )は… 栩野 幸知(とちの ゆきとも、1952年5月28日 - )は、日本の俳優であり、劇用刺青師、ガンエフェクトコーディネーター。広島県呉市出身。
緒方 喜治(おがた よしはる、1950年11月1日‐)は、元… 緒方 喜治(おがた よしはる、1950年11月1日‐)は、元NHKアナウンサー。現在はフリーアナウンサーとして、ボイスワークスとマネジメント協力を結んでいる。 広島県広島市出身。山口県立防府高等学校から広島県立広島国泰寺高等学校を経て慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、1974年にNHKへ入局。 スポーツアナとして1981年から2004年春場所まで大相撲中継の実況を担当(特に1990年代中盤から2001年頃には初日ならびに千秋楽の実況を務めることもあった。ただ、同時期に活躍していた石橋省三、内藤勝人よりも年下であったこと、1995年以降は藤井康生の担当回数が増加したことが影響して、緒方の担当回数は限定的であった)。
神浦 元彰(かみうら もとあき、1949年7月7日 - 20… 神浦 元彰(かみうら もとあき、1949年7月7日 - 2016年5月4日)は、日本の軍事ジャーナリスト。広島県世羅郡世羅西町(現・世羅町)出身。 被爆二世。広島県立世羅高等学校(1学年1学期修了後経済的な事情で中退)、陸上自衛隊少年工科学校(12期生、3年次中退)、広島県立広島国泰寺高等学校定時制卒業。 写真専門学校を中退後、報道カメラマン等を経て1977年に小山内宏らと共に軍事学セミナーを発足。その後『週刊プレイボーイ』誌などで軍事ジャーナリストとしての活動に入る。 2004年4月から2005年3月まで放送されていた『HOT'n HOT お気に入りに追加!』(ニッポン放送)の木曜パートナーとして出演していた。
玉井 日出夫(たまい ひでお、1948年9月5日 - )は、… 玉井 日出夫(たまい ひでお、1948年9月5日 - )は、日本の文部官僚。文部科学審議官(文教担当)、文化庁長官を歴任。愛媛県美術館名誉館長、玉川大学客員教授。 愛媛県松山市出身。広島国泰寺高等学校を経て、東京大学法学部第2類(公法コース)を卒業の後、同第1類(私法コース)に学士入学。1974年(昭和49年)に旧文部省に入省(初等中等教育局中学校教育課)。総括審議官や大臣官房長を歴任したのち、2007年(平成19年)から文部科学審議官(文教担当)。2009年(平成21年)7月より19代目の文化庁長官に在任し、2010年に退官。2011年に学校法人北海学園特任教授。2012年から玉川大学芸術学部客員教授(文化政策などを担当)。
細川 匡(ほそかわ ただし、1947年5月8日 - )は日本… 細川 匡(ほそかわ ただし、1947年5月8日 - )は日本の実業家。 FMはつかいち社長。デリカウィング会長。けん玉ワールドカップ廿日市大会会長。広島修道大学特別客員教授。 鳥取県日野郡日南町に生まれる。広島県立広島国泰寺高等学校卒業。早稲田大学を経て、コピーライターとして広告代理店に勤務する。 1978年に父が経営をしていた惣菜工場に入社。専務に就任。1983年にはデリカウィング社長に就任。セブン-イレブン広島県第一号の舟入店とも契約を結ぶ。 2007年から廿日市商工会議所の会頭を務める。 2021年、デリカウィング会長となり、経営から退く。
煙石 博(えんせき ひろし、1946年11月2日 - )は、… 煙石 博(えんせき ひろし、1946年11月2日 - )は、日本のアナウンサー、ラジオパーソナリティ。元中国放送アナウンサー。 広島県広島市出身。広島県立広島国泰寺高等学校1年生の時に広島県放送劇コンクールで助演賞受賞、高校2年生の夏休みに開催された高校放送コンクール全国大会に、広島県代表として参加して4位入賞。その後は、広島商科大学短期大学部卒業。1971年(昭和46年)中国放送へ入社。広島弁での語り口は多くのラジオリスナーの心を掴んだ。入社早々の1972年(昭和47年)から担当した『ヤングポップス』では「仏のえんちゃん」と呼ばれた。また、「えんちゃん」の愛称でも親しまれた。 1985年(昭和60年)頃放送された『世の中土曜日うきうきワイド』を担当するまでは主に1人でのトーク番組を担当。
松井 桂三(まつい けいぞう、1946年9月 - )は、広島… 松井 桂三(まつい けいぞう、1946年9月 - )は、広島県広島市出身、兵庫県在住のアートディレクター、グラフィックデザイナー。大阪芸術大学短期大学部・デザイン美術学科教授。松井桂三有限会社主宰。様々な企業・ブランドのアートディレクションを手がけている。 広島県立広島国泰寺高等学校、大阪芸術大学デザイン学科を中退後、髙島屋宣伝部に入り広告デザインを多数手がける。独立後、Apple Computerデザインコンサルタント、政府広報のシンボルマーク、関西国際空港株式会社のシンボルマークなどを手がける。また、ヒロココシノのブランディングのアートディレクションほか、多岐にわたり上質なデザイン・ブランディングを手がける。
河原 さぶ(かわはら さぶ、1945年11月10日 - )は… 河原 さぶ(かわはら さぶ、1945年11月10日 - )は、日本の俳優、タレント。広島県呉市出身。旧芸名は河原 裕昌(かわはら ひろまさ)。1982年に現在の芸名に改名。ホリプロ・ブッキング・エージェンシー所属。 呉市立五番町小学校から、父の転勤で東京に移り、板橋区立上板橋第二小学校、板橋区立上板橋第二中学校を経て、広島市に転居し、広島市立国泰寺中学校、広島県広島国泰寺高等学校を卒業。兄は1960年代に活動した男性コーラス・グループ、「フォー・メイツ」の河原茂樹(河原たけし)で、兄に憧れ上京した。 1965年、東映演技研修所(第一期生)に入所。2年間大部屋俳優として活動するが、「スターにしてくれ」と東映本社に直談判に行き東映をクビになる。
長石 多可男(ながいし たかお、1945年1月7日 - 20… 長石 多可男(ながいし たかお、1945年1月7日 - 2013年3月31日)は、映画・テレビドラマ作品の監督・演出家。広島県出身。広島県立広島国泰寺高等学校卒業。 1965年頃、ピンク映画で前衛的な作品を発表していた映画監督の若松孝二と知り合ったことがきっかけで、映画界入りを志す。当初は若松プロダクションへの参加を考えていたが、当時の若松プロは足立正生・沖島勲・小水一男(=ガイラ)をはじめ多くの助監督を抱えていたことから断念し、他社でピンク映画作品の助監督となる。その後、『特命捜査室』(1969年、東映・フジテレビ)で初のテレビドラマ助監督を務めた。 『柔道一直線』の助監督を経て、チーフ助監督を務めた『仮面ライダー』では、原作者・石森章太郎(=石ノ森章太郎)が監督を務めた第84話「危うしライダー! イソギンジャガーの地獄罠」で監督補を務めた。
水口 洋次(みずぐち ようじ、1944年7月20日 - 20… 水口 洋次(みずぐち ようじ、1944年7月20日 - 2022年4月10日)は、広島県広島市出身のサッカー選手、サッカー指導者。 選手時代は、後のセレッソ大阪であるヤンマーディーゼルサッカー部の主力選手として活躍した。ガンバ大阪の前身・松下電器産業サッカー部の創設者で、ガンバ大阪の発足に向けた立ち上げに携わり、同クラブの基礎作りに尽力した。 広島県広島市出身。広島国泰寺高校から、中央大学法学部政治学科を経て1967年、ヤンマーディーゼル株式会社入社。小柄ながらボール扱いのうまさは日本最高ともいわれ、同社サッカー部の主力選手として活躍した。同い年で同期就職で親友の釜本邦茂のデビュー初得点のアシストを決めている。
宮内 正喜(みやうち まさき、1944年(昭和19年)1月2… 宮内 正喜(みやうち まさき、1944年(昭和19年)1月28日 - )は、日本の実業家、篤志家。公益財団法人日本美術協会理事、上野の森美術館館長。 岡山放送株式会社代表取締役社長、株式会社ビーエスフジ代表取締役社長、株式会社フジ・メディア・ホールディングス代表取締役会長、株式会社フジテレビジョン代表取締役会長などを歴任した。 1944年(昭和19年)1月28日、山口県生まれ。広島県立広島国泰寺高等学校、慶應義塾大学法学部卒業。高校時代はダイソー創業者の矢野博丈と同級生だった。 1967年4月1日、フジテレビジョン(現:フジ・メディア・ホールディングス)入社。同期入社は杉田成道、石田弘、竹内次也、松本寛、北林由孝。
吉本 直志郎(よしもと なおしろう、1943年(昭和18年)… 吉本 直志郎(よしもと なおしろう、1943年(昭和18年)9月1日 - )は、日本の作家。 子供たちを中心に描いた物語のほか、歴史を題材にした作品などを手がける。 福岡県生まれ、広島県広島市育ち(満1歳から)。11歳の時、原爆孤児のための養護施設「広島戦災孤児育成所」(佐伯郡五日市町(現:広島市佐伯区))に入所。広島県立広島国泰寺高等学校卒業までここで過ごす。 1978年に同所の体験をもとにした『青葉学園物語 右向け、左!』を発表し、児童文学作家としてデビュー。同作は日本児童文学者協会新人賞受賞、ベストセラーとなりシリーズ化、1981年市毛良枝主演で映画化もされた。 1981年に川村たかし、那須正幹ら児童文学者とともに児童文学創作集団・亜空間を結成し、同人誌『亜空間』を創刊した。
矢野 博丈(やの ひろたけ、1943年4月19日 - 202… 矢野 博丈(やの ひろたけ、1943年4月19日 - 2024年2月12日)は、日本の実業家。本名「栗原五郎」。「矢野」は妻の姓で「博丈」は姓名判断による改名。 100円ショップの草分けである大創産業(100円SHOPダイソー)の創業者。広島県東広島市出身。 父親は医師で、戦時中は中国天津市の病院に勤めており、北京市で生まれる。母親は広島銀行の前身の一つ「山岡銀行」の娘。8人兄弟の末っ子の5男。戦後半年、父親の郷里である広島県賀茂郡久芳村(現:東広島市)に引き揚げ。父親は広島市内中心部の新川場通り(並木通り)で医院を開業していたが貧困であり、自身は中央大学の二部に進学したが、貧しさのためたいへん苦労したという。
原田 和德(はらだ かずよし、1941年〈昭和16年〉5月2… 原田 和德(はらだ かずよし、1941年〈昭和16年〉5月22日 - )は、日本の弁護士、元裁判官。仙台高等裁判所長官を歴任した。 主に民事裁判を担当し、プロ野球再編問題ではオリックス・ブルーウェーブと大阪近鉄バファローズの合併を巡り、日本プロ野球選手会及び古田敦也らが合併差し止めを求めた仮処分申請の即時抗告審を担当した。退官後は中央更生保護審査会委員長を務めた。趣味は野球とテニスで広島東洋カープのファン。 広島県立広島国泰寺高等学校、京都大学法学部を卒業後、1965年(昭和40年)に第19期司法修習生。1967年(昭和42年)4月7日に東京地方裁判所判事補任官。判事補任官以降の経歴は以下の通り。
滝村 修平(たきむら しゅうへい、1940年7月7日 - )… 滝村 修平(たきむら しゅうへい、1940年7月7日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手。 広島国泰寺高校出身。卒業後は早稲田大学に進学予定だったが取りやめて1959年に広島カープへ入団した。 1年目の5月に一軍へ昇格するもブルペン投球中に右肩を痛め登板することなく二軍へ降格。二軍でもまともにボールが投げれない中で二軍監督を務めていた門前眞佐人から下手投げを勧められ下手投げ投手へと転向する。 1962年6月23日のウエスタン・リーグ対近鉄戦でノーヒットノーランを記録。同年一軍でも2試合に登板した。 1963年オフに引退し、引退後は法政大学に進学。その後は広島市内の海運会社で定年まで勤めた。現在はアマチュアゴルファーとして活動している。
貞末 良雄(さだすえ よしお、1940年 - )は、日本の実… 貞末 良雄(さだすえ よしお、1940年 - )は、日本の実業家。メーカーズシャツ鎌倉株式会社創業者・取締役会長。 山口県柳井市生まれ。父が広島県で呉服屋を営んでいたため中学校から広島に移り、広島県立広島国泰寺高等学校を経て、現役で広島大学に不合格となり、大学受験浪人生活を送ったが、東京大学や東京工業大学の受験には失敗し、1964年千葉工業大学工学部電気工学科卒業。高速道路の照明についての卒論を書き、大学卒業後は和光電気研究室エンジニアを経て、1966年ヴァンヂャケット入社。同社統括部長などを務めたが、倒産により退社。その後、ヤオハンや数社のアパレル会社勤務を経て、1993年、53歳でメーカーズシャツ鎌倉設立。
川西 武彦(かわにし たけひこ、1938年10月9日 - 2… 川西 武彦(かわにし たけひこ、1938年10月9日 - 2026年3月22日)は広島県出身の元サッカー選手(FW/MF)。 東洋工業に所属し、日本代表としてもワールドカップチリ大会予選など、国際Aマッチ8試合に出場した。 選手引退後も東洋工業・マツダに勤務した。
花岡 永子(はなおか えいこ、1938年5月5日 - )は、… 花岡 永子(はなおか えいこ、1938年5月5日 - )は、日本の宗教哲学者、大阪府立大学名誉教授。 広島県生まれ。1957年広島国泰寺高等学校卒、1963年京都大学文学部哲学科卒、同大学院に学び、1965年より西独ハンブルク大学留学、1968年京大博士課程中退、1973年ハンブルク大学神学博士。1981年花園大学助教授、1986年教授、1992年大阪府立大学教授、1994年「心の宗教哲学 -心の自然な構造に即して」で京大文学博士。2002年定年退官、名誉教授、奈良産業大学教授、2009年退任、名誉教授。別に亡夫の姓である川村永子名義の著作もある。西田幾多郎の影響が強い。
三宅 一生(みやけ いっせい、Issey Miyake、19… 三宅 一生(みやけ いっせい、Issey Miyake、1938年〈昭和13年〉4月22日 - 2022年〈令和4年〉8月5日)は、日本のファッションデザイナー。広島県広島市東蟹屋町(現在の同市東区)出身。 広島市立尾長小学校在学中7歳のとき被爆。広島大学附属東雲中学校~広島県立広島国泰寺高等学校卒業。小学校高学年のときの担任が絵の先生で、絵を描く楽しさを教えてもらう。広島の美術館や岡山県倉敷の大原美術館にもよく通った。ルオーが好きだったという。周囲から「将来は絵描きになるの?」とよく聞かれたが、絵描きは貧乏イメージがあったから、大人になってからの職業にしようとは考えなかった。また当時は被爆都市を励ますという意味での宝塚の広島公演がよくあり、5歳上の姉に連れて行ってもらった。
髙山 剛(たかやま つよし、1936年7月30日 - 201… 髙山 剛(たかやま つよし、1936年7月30日 - 2015年4月7日)は、日本の実業家。第14代大同特殊鋼代表取締役社長。 広島市安芸区矢野町に6人兄弟の長男として生まれる。矢野小学校、矢野中学校から1955年広島県立広島国泰寺高等学校卒業。京都大学法学部卒業後、1960年に大同製鋼株式会社(現大同特殊鋼株式会社)に入社。1984年に販売第一部長。1990年に取締役営業本部大阪支店長。1992年に常務取締役営業本部大阪支店長。1994年に専務取締役。1996年に代表取締役副社長。1998年に代表取締役社長。2004年から代表取締役会長を務めた。2009年相談役。2015年ぼうこう腺がんで逝去。
松尾 聰(まつお さとし、1935年12月28日 - 202… 松尾 聰(まつお さとし、1935年12月28日 - 2020年7月3日)は、日本の実業家。カルビー代表取締役社長や、代表取締役会長を務めた。一般社団法人グリーン・ファミリー代表理事である。 広島市生まれ。1954年広島県立広島国泰寺高等学校卒業。1958年広島大学工学部卒業。竹林守元マツダ代表取締役会長は高校の同期。カルビー創業者松尾孝の長男で、1987年から第2代カルビー代表取締役社長を務めた。1992年カルビー代表取締役会長。2001年会長退任。一般社団法人グリーン・ファミリー代表理事も務め、2014年には母校広島大学に給付型奨学金・グリーン・ウィング教育奨学金を設立した。2020年没。 カルビー創業者松尾孝は父。
田中 雍和(たなか やすかず、1933年6月15日 - )は… 田中 雍和(たなか やすかず、1933年6月15日 - )は、日本出身の元サッカー選手。ポジションはFW。 広島一中(のち学制改革により鯉城高校、現国泰寺高校)の2年先輩に福原黎三、3年先輩に重松良典がいる。 中大クラブ(中央大学サッカー部の現役、OBで構成されたチーム)の一員として長沼健、内野正雄、丸山義行らと共に1956年の全日本サッカー選手権大会 (後の天皇杯全日本サッカー選手権大会)準優勝に貢献した。 日本代表としては1955年1月の東南アジア遠征で代表に初招集され、同月11日のビルマ体協選抜戦で国際Aマッチデビューを飾った。その年、国際Aマッチ4試合に出場した。
関千枝子(せき ちえこ、1932年3月28日 - 2021年… 関千枝子(せき ちえこ、1932年3月28日 - 2021年2月21日)は、日本のノンフィクション作家。 大阪市出身。旧姓:富永。1944年、父の転勤で大阪から広島市に移住し、旧制広島県立第二高等女学校(現・広島県立広島皆実高等学校の前身の一つ)に入学。そして1945年、自身が2年生のときに広島で被爆。このとき、第二高等女学校では爆心地に程近い雑魚場町(現・中区国泰寺町)での建物疎開作業に動員されており、引率した教師、そして同級生含めた約40人が被爆し亡くなったが、関自身は当日体調不良で欠席、宇品の自宅で病臥していたために被爆こそしたが、爆心地より遠かったため生き延びたという(当日、関含めた生徒でも6人が欠席したほか、建物疎開作業に動員された同級生で1人だけ奇跡的に助かった者がおり、彼女はその後24年生きた)。
福原 黎三(ふくはら れいぞう、1931年4月2日 - 19… 福原 黎三(ふくはら れいぞう、1931年4月2日 - 1970年2月27日)は、広島県東広島市八本松町出身のサッカー選手、サッカー指導者。 1945年8月6日、原爆投下後の広島市に入り入市被爆。 1946年広島一中(のちの鯉城高等学校、現広島国泰寺高等学校)3年生のときにサッカーを始める。重松良典は一中サッカー部の1年先輩にあたる。また学校の同期には原田康夫(広島大学学長)、坂田正二(呉大学学長)、沢田昭二(名古屋大学名誉教授)、葉佐井博巳(広大名誉教授)などがいる。 全国中等学校蹴球大会(現全国高等学校サッカー選手権大会)が学制改革により全国高等学校蹴球選手権大会となった1948年に優勝した鯉城高校のフォワード(センターフォワードあるいはインサイドレフト)。
中山士朗(なかやま しろう、1930年11月22日-2022… 中山士朗(なかやま しろう、1930年11月22日-2022年10月12日 )は、日本の作家。 広島市生まれ。広島県立広島第一中学校在学中に被爆。早稲田大学文学部ロシア文学科卒業。1993年の『原爆亭折ふし』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。
吉村 仁(よしむら ひとし、1930年9月27日 - 198… 吉村 仁(よしむら ひとし、1930年9月27日 - 1986年10月23日)は、日本の厚生官僚。公的健康保険制度の大改革を実現させた厚生省事務次官。広島県賀茂郡西条町(現・東広島市西条岡町)出身。 旧制広島県立広島第一中学校(現・広島県立広島国泰寺高等学校)三年のときに、広島への原爆投下があったが、出席番号が奇数だったために呉市の工場へ動員され、奇跡的に被爆を免れる。旧制官立広島高等学校(現・広島大学)を経て、1953年に東京大学法学部第3類(政治コース)卒業後、旧厚生省に入省する。薬害エイズ事件当時の薬務課長であり、元衆院議員の持永和見は同期。以降一貫して医療保険政策に携わり医療問題に取り組む。
重松 良典(しげまつ よしのり、1930年 - 2018年)… 重松 良典(しげまつ よしのり、1930年 - 2018年)は、日本の実業家。広島県広島市出身。 元サッカー日本代表。1965年日本サッカーリーグ(JSL)創設に尽力した人物の一人。のちに日本プロ野球界に転じ1970年代の赤ヘル旋風時の広島東洋カープ球団代表。Jリーグ・ベルマーレ平塚における最後の社長であり、湘南ベルマーレ創設に尽力した人物の一人。 1945年8月6日、広島市への原子爆弾投下により被爆した。 重松ら旧制広島県立第一中学校(現国泰寺高校)3年生60人は、爆心地から2.2キロメートルに位置した舟入川口町の軍需工場に学徒勤労動員で来ており、ちょうど8時の朝礼が終わった後のことだった。倒れてきた設備機械により級友の一人が亡くなり、多数の怪我人を出した。
伊東 壮(伊東 壯、いとう たけし、1929年10月5日 -… 伊東 壮(伊東 壯、いとう たけし、1929年10月5日 - 2000年3月3日)は、日本の経済学者、平和運動家。山梨大学学長、日本原水爆被害者団体協議会代表委員、東京都原爆被害者団体協議会会長等を歴任した。 広島市に生まれる。旧制県立広島一中3年の時に被爆。1959年、一橋大学大学院経済学研究科修了。大川一司ゼミ出身。 都立高校教諭を経て1965年より山梨大学の教員をつとめた。山梨大学教育学部長、山梨大学学長(1992-98年)のほか、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)代表委員(1981-2000年)、東京都原爆被害者団体協議会(東友会)会長、大規模小売店舗審議会特別委員(通商産業省)などを歴任した。
桂 芳久(かつら よしひさ、1929年3月4日 - 2005… 桂 芳久(かつら よしひさ、1929年3月4日 - 2005年2月1日)は、日本の小説家・民俗学者・北里大学名誉教授。昭和後期から平成時代にかけて活躍した。 広島県高田郡吉田町(現:安芸高田市)の生まれ。 旧制広島県立第一中学校(現:広島県立広島国泰寺高等学校)の4年生のとき、広島市への原子爆弾投下に遭遇する。このとき学校は全滅したものの、勤労動員で郊外に滞在していたため生き残ることができた。少年期のこの経験は桂の心に深く残り、後々まで作品世界に何度も描かれることになった。 1950年に慶應義塾大学に入学する。 同年、劇作家の加藤道夫の紹介により三島由紀夫に認められ、1953年、三島の推薦で「群像」7月号に「棘草の蔭に」を載せ、文壇に登場。