髙荷 義之(たかに よしゆき、1935年12月28日 - )… 髙荷 義之(たかに よしゆき、1935年12月28日 - )は、日本のイラストレーター。 群馬県前橋市出身。少年雑誌、架空戦記の挿絵・表紙絵、プラモデルのボックスアートなどを数多く手がけ、師匠の小松崎茂と共にメカニックイラストの専門家として知られる。 少年時代に購入した『冒険世界』の表紙をきっかけに、小松崎茂のファンとなる。以来髙荷は小松崎の元にファンレターを送り続け、群馬県立前橋高等学校卒業後の1954年、挿画家を志し小松崎に弟子入り。同年11月に独立し、1955年に『中学生の友』3月号の挿絵でデビューを飾った。月刊誌「少年」などのグラビアページに西部劇などのイラストを描く。その後、週刊少年誌が相次いで誕生し、1960年代に戦記ブームが起きると戦車・軍艦・航空機などのメカニックイラストを描き始める。
松尾 聰(まつお さとし、1935年12月28日 - 202… 松尾 聰(まつお さとし、1935年12月28日 - 2020年7月3日)は、日本の実業家。カルビー代表取締役社長や、代表取締役会長を務めた。一般社団法人グリーン・ファミリー代表理事である。 広島市生まれ。1954年広島県立広島国泰寺高等学校卒業。1958年広島大学工学部卒業。竹林守元マツダ代表取締役会長は高校の同期。カルビー創業者松尾孝の長男で、1987年から第2代カルビー代表取締役社長を務めた。1992年カルビー代表取締役会長。2001年会長退任。一般社団法人グリーン・ファミリー代表理事も務め、2014年には母校広島大学に給付型奨学金・グリーン・ウィング教育奨学金を設立した。2020年没。 カルビー創業者松尾孝は父。
広田 亮一(ひろた りょういち、1935年12月27日 - … 広田 亮一(ひろた りょういち、1935年12月27日 - 2024年1月3日)は、日本のジャーナリスト、新聞経営者。南日本新聞社社長を務めた。鹿児島県鹿児島市出身。 1958年に鹿児島大学文学部国文学科を卒業し、南日本新聞社に入社。1990年2月に取締役に就任し、1991年12月に常務、1993年12月に専務を経て、1995年12月から1999年12月までに社長を務めた。 2024年1月3日、特発性間質性肺炎のために死去。88歳没。
原 徹(はら とおる、1935年12月26日 - 2021年… 原 徹(はら とおる、1935年12月26日 - 2021年12月14日)は、日本の映画プロデューサー、実業家。 トップクラフト代表取締役社長、株式会社スタジオジブリ常務取締役、株式会社スタジオジブリ代表取締役社長などを歴任した。 福岡県北九州市出身。福岡県立八幡高等学校を経て、早稲田大学入学。在学中に、しとうきねお、園山俊二、東海林さだお、福地泡介らとともに早稲田大学漫画研究会を創設。「漫画サンデー」に4コマ漫画を描く。漫画家の道は断念し、1959年に大学を卒業すると同時に東映動画に入社。 企画制作の仕事をし、1965年のテレビアニメ『宇宙パトロールホッパ』を始めとして、『ひみつのアッコちゃん』『魔法のマコちゃん』『さるとびエッちゃん』等少女向けテレビアニメの製作を担当。
佐久間 美成(さくま よしなり、1935年12月26日 - … 佐久間 美成(さくま よしなり、1935年12月26日 - 2024年3月2日)は、日本の経営者。岩田屋社長を務めた。 東京都出身。1958年に成蹊大学政治経済学部を卒業し、同年に伊勢丹に入社。1980年2月に取締役、1992年6月に常務、1994年2月に専務、1997年6月に副社長、2001年6月に常勤監査役を経て、2002年6月に岩田屋社長に就任し、2006年5月までに務めた。 2024年3月2日に胆管癌のために死去。88歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
後藤 忠彦(ごとう ただひこ、1935年(昭和10年)12月… 後藤 忠彦(ごとう ただひこ、1935年(昭和10年)12月25日 - )は、日本の教育学者、教育工学専攻。岐阜県出身。岐阜大学教育学部卒。愛知県一宮高等学校教諭、岐阜大学助手を経て、岐阜大学教育学部付属カリキュラム開発研究センター助教授、同教授を歴任。岐阜大学名誉教授。退官後、岐阜女子大学に移り、同女子大学副学長、岐阜女子大学文化情報研究センター長。2019年、瑞宝中綬章受章。 遠隔教育、教育情報システム、地域情報システムの構築などを専門とする。日本教育情報学会理事、日本教育情報学会情報部会代表、日本教育工学会理事などを歴任。
冨田 義治(とみた よしはる、1935年12月25日 - 没… 冨田 義治(とみた よしはる、1935年12月25日 - 没年不明)は、岐阜県出身の映画監督、助監督、脚本家。
豊田 義夫(とよだ よしお、1935年12月25日- )は、… 豊田 義夫(とよだ よしお、1935年12月25日- )は、元アマチュア野球選手、監督である。 大阪府八尾市出身。左利き。 会社勤務を経て、1956年から母校の近大附属高校でコーチを務めた後1965年から1984年まで同校の監督を務めた。1967年、1971年、1975年の3度の春のセンバツへの出場を果たした。厳しい練習から「キンコー(近高)の鬼」と呼ばれ、部員や他校から恐れられていた。 その手腕を買われ、近大附属福山高校(1990年~2000年)、近大附属新宮高校(2005年4月~2006年8月1日)、八尾ベースボールクラブ(2009年2月~2010年1月)、近大泉州高校(2010年1月~2013年7月15日)の監督を歴任した。
武部 宏(たけべ ひろし、1935年12月24日 - 202… 武部 宏(たけべ ひろし、1935年12月24日 - 2023年7月21日)は、ラジオパーソナリティ、司会者、プランツコーポレーション代表取締役会長であり、KBS京都の元アナウンサー。香川県立小豆島高等学校、神戸大学文学部卒業。宇治市に在住していた。既婚、1男2女あり。 京都府中郡峰山町(今の京丹後市)生まれ。3人兄弟の末っ子。父親は税務署員で、3歳で神戸に引っ越し、鵯越小学校に通った。小学校2年生当時の1943年、戦争の激化をうけて父親の本籍地である小豆島に引っ越し、高校卒業までを小豆島で過ごした。中学、高校と演劇をしていて、主役で活躍。神戸大学に進学し、サンドイッチマン、スナックのバーテンダー(アルバイト)などを経て、1959年に京都放送へ入社。
中島 衛(なかじま まもる、1935年(昭和10年)12月2… 中島 衛(なかじま まもる、1935年(昭和10年)12月23日 - 2013年(平成25年)11月5日)は、日本の政治家、実業家。位階は従三位。 科学技術庁長官(第48代)・総理府原子力委員会委員長(第48代)、衆議院議員(6期)等を歴任した。 父は元衆議院議員の中島巌。 長野県下伊那郡飯田町(現飯田市)生まれ。飯田高松高等学校(現長野県飯田高等学校)、中央大学経済学部卒業。大学卒業後、父・中島巌が経営する信南交通に入社。信南交通を経て地元・飯田市の青年会議所理事長を務める。 青年会議所での活動を通じて、仲間の企業家から政界への進出を勧められ、1972年の第33回衆議院議員総選挙に旧長野県第3区(定数4)から無所属で出馬したが、得票数6位で落選。
渡辺 信三(わたなべ しんぞう、1935年12月23日 - … 渡辺 信三(わたなべ しんぞう、1935年12月23日 - )は日本の数学者。京都大学名誉教授。立命館大学理工学部名誉教授。確率論を専門とする。 1958年に京都大学理学部を卒業。理学研究科修士課程修了後、京都大学理学部助手となり1963年9月に京都大学理学博士、同大学教養部講師、理学部助教授を経て、1974年京都大学理学部教授。1999年京大退官後、立命館大学教授。2006年立命館大学退職。伊藤清の弟子に当たり、大学院では国田寛、福島正俊の一学年上であった。弟子に重川一郎がいる。確率解析学の第一人者であった。
秦 恒平(はた こうへい、1935年12月21日 - )は、… 秦 恒平(はた こうへい、1935年12月21日 - )は、日本の小説家。 京都市生まれ。京都市立日吉ヶ丘高等学校、同志社大学文学部(美学)卒業。同大大学院中退。1959年上京して医学書院に勤める。1969年、「清経入水」が太宰治賞を受賞し文壇にデビュー。1971年「廬山」で芥川賞候補。74年医学書院を辞めてフリーとなるが、東横学園女子短期大学で非常勤講師を務め、1992年から東京工業大学客員教授も務めた。2015年京都府文化賞・功労賞受賞。 作家の秦建日子は長男。長女・朝日子の夫は押村高。評論家の北沢恒彦は兄。文芸評論家・作家の黒川創は甥。「大きな古時計」で知られる作詞家の保富康午は妻の兄にあたる。
小谷 承靖 (こたに つぐのぶ、1935年12月21日 - … 小谷 承靖 (こたに つぐのぶ、1935年12月21日 - 2020年12月13日) は、日本の映画監督・演出家・脚本家。 父は鳥取県倉吉市2代目市長の小谷善高。 東京府東京市杉並区出身で、小学校2年生まで東京で育つ。公職追放になった父の故郷・鳥取県東伯郡西郷村の村長の後釜を引き受けたため、1944年3月末、当地に引っ越す。県立倉吉東高校卒業まで鳥取で過ごし、東京に戻りたくて、一浪後東京大学文学部フランス文学科入学を機に東京へ戻る。同時期に大江健三郎・久世光彦が在学していた。この2人は東大在学中から目立つ存在で、次第に落ちこぼれて映画に方向転換した。 大学卒業後、1960年に、暮しの手帖社と東宝の入社試験を受け、東宝に入社。
山口 太一(やまぐち たいち、1935年12月20日 - 2… 山口 太一(やまぐち たいち、1935年12月20日 - 2010年6月18日)は、日本の漫画家。本名:山口 太一(やまぐち たかかつ)。ナンセンス漫画や、児童向け学習漫画などで活躍した。 福島県石城郡内郷村(のちのいわき市)出身。1938年、公務員の父の赴任地だった満州・大連市に一家で渡る。終戦時は普蘭店で迎え、1946年12月に引き揚げ、母の郷里の千葉を経て、父の復員に合わせて内郷に戻る。 中学時代に『寒がり屋のサブちゃん』と題するストーリー漫画を『漫画少年』に投稿して特選に入賞。このほか毎日中学生新聞や、地元紙に漫画を投稿する。福島県立磐城高等学校卒業後、上京。東京芸術大学美術学部の受験に失敗するが、東京に残って漫画の持ち込み活動を開始し、文藝春秋社で加藤芳郎を紹介される。
豊崎 光一(とよさき こういち、1935年12月20日 - … 豊崎 光一(とよさき こういち、1935年12月20日 - 1989年6月12日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。 1935年(昭和10年)12月20日、東京府東京市(現在の東京都)に生まれる。 1959年(昭和34年)、学習院大学仏文科卒、1960年(昭和35年)から3年間、パリ大学に留学する。 福永武彦門下のボードレール研究者として早くから頭角をあらわした。ル・クレジオのデビュー作『調書』の翻訳以降、現代フランス文学・思想の紹介を精力的に行い、クロソフスキー、ブランショ、フーコー、デリダなどの訳書で知られる。ジル・ドゥルーズおよびフェリックス・ガタリの『リゾーム』の日本語訳は、『千のプラトー』の一部を抜粋して作られた原書の忠実な翻訳に、ほぼ同量の訳者のお遊びをそれと分かるように紛れ込ませたものである。
東 隆眞 (あずま りゅうしん、1935年12月20日 - … 東 隆眞 (あずま りゅうしん、1935年12月20日 - 2022年5月17日)は、日本の仏教学者(文学博士、元駒沢女子大学学長、同名誉教授)、曹洞宗の僧侶(大乗寺山主、同専門僧堂堂長)。専門は曹洞宗学(瑩山紹瑾・徹通義介)。
関口 房朗(せきぐち ふさお/ふさろう、1935年12月20… 関口 房朗(せきぐち ふさお/ふさろう、1935年12月20日 - 2018年5月以前)は、日本の実業家、馬主。血液型はA型。愛称は「フサロー」。多くの派手な逸話により、「豪快馬主」「異色の経営者」と評された。 名前の読みに関しては、「ふさお」とする記載、「ふさろう」とする記載で分かれているが、自身の公式サイトのプロフィールにおいては「ふさお」としている。 兵庫県尼崎市出身。尼崎市立尼崎産業高等学校を中退後、2年ほど個人経営の運送業を営むが、腰の支障により体を崩し廃業。その後は実家の工場「関口工業技術」の営業として勤務。1961年に、名古屋に移り「関口工業技術」名古屋出張所長になる。1963年に関西精器を設立し、代表取締役社長に就任するが、1973年に倒産。
角田 明夫(つのだ あきお、1935年〈昭和10年〉12月1… 角田 明夫(つのだ あきお、1935年〈昭和10年〉12月19日 - )は、日本放送協会 (NHK) の元アナウンサー。 1935年(昭和10年)12月19日、当時の東京府に生まれる。現在の杉並区立第六小学校・杉並区立阿佐ヶ谷中学校・東京都立西高等学校を経て、早稲田大学第一文学部美術史学科を卒業。1959年(昭和34年)から日本放送協会 (NHK) のアナウンサーとなり、1996年(平成8年)に退くまで35年あまり同職にあった。1997年(平成9年)からはフリーアナウンサーとなり、2000年(平成12年)に引退。配偶者と2子がある。 NHK在職時は、テレビの報道ニュース、司会、スポーツ、ラジオパーソナリティ等を担当。
西室 泰三(にしむろ たいぞう、1935年(昭和10年)12… 西室 泰三(にしむろ たいぞう、1935年(昭和10年)12月19日 - )は、日本の実業家。東芝名誉顧問。
澤田 利夫(さわだ としお、1935年12月19日 - )は… 澤田 利夫(さわだ としお、1935年12月19日 - )は、日本の教育学者。専門は数学教育。元東京理科大学教授。社団法人日本数学教育学会名誉会長、国立教育政策研究所名誉所員、東京理科大学名誉教授。 岩手県北上市出身。東京理科大学大学院修了後、国立教育研究所(現国立教育政策研究所)科学教育研究センター長、東京理科大学教授、同総合研究機構数学教育研究部門長、同総合教育機構理数教育研究センター客員教授等を経て、現東京理科大学名誉教授。 1990年代から本格化したいわゆるゆとり教育に対し、文部科学省やIEA、OECD等の行う学力調査の結果の分析を通じ、一貫して児童の学力低下や学力の二極化につながるものとして警鐘を鳴らし続けた。
梶田 進(かじた すすむ、1935年12月19日 - 201… 梶田 進(かじた すすむ、1935年12月19日 - 2019年5月24日)は、日本の経営者。テレビ愛知社長を務めた。 愛媛県出身。1960年に東京大学経済学部を卒業し、同年に日本経済新聞社に入社。1993年3月に常務に就任し、1997年6月にはテレビ愛知社長に就任。2003年6月には会長に就任。 2019年5月24日に大動脈弁狭窄症のために死去。83歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
江連 隆(えづれ たかし、1935年12月19日‐2003年… 江連 隆(えづれ たかし、1935年12月19日‐2003年3月22日)は、日本の国語・漢文教育学者、弘前大学名誉教授。 栃木県生まれ。東京教育大学卒、同大学院修士課程修了。都内で高校教諭の後、1971年弘前大学教育学部助教授、国語教育と漢文を担当。のち教授、2000年定年退官、名誉教授。高校国語教科書・国語辞典・漢和辞典の編集に携わる。
大前 均(、1935年12月19日 - 2011年3月1日)… 大前 均(、1935年12月19日 - 2011年3月1日)は、日本の元俳優。旧芸名は大前 釣(読み同じ)。身長190cm、体重115kg。柔道五段。生前は第一協団、アクターズプロモーションに所属していた。 岐阜県出身。1958年3月、明治大学商学部卒業。 大学を卒業後、日本ケーブルに就職。学生時代から続けていた柔道経験を活かし、会社の実業団チームに所属した。実業団対抗の柔道大会で部を優勝に導き、銀座で祝賀会を催していた店で中村錦之助と出会い、スカウトされる。大前は酔った勢いもあって快諾、翌日には京都に行く中村に付いていき、東映京都撮影所と契約を交わして入社した。 1960年、東映映画『若き日の次郎長 東海の顔役』でデビュー。
宇南山 宏(うなやま ひろし、1935年12月19日 - 1… 宇南山 宏(うなやま ひろし、1935年12月19日 - 1984年6月16日)は、日本の俳優。東京市(現:東京都)世田谷区玉川奥沢町出身。本名は宇南山 広。 早稲田大学文学部演劇学科卒業。俳優座養成所を経て、1961年に劇団青年座へ入団。1967年よりフリーとなり、日活ロマンポルノ、テレビドラマ、吹き替えを中心に活躍。 1984年6月16日、高田馬場駅で鉄道自殺。
一峰 大二(かずみね だいじ、1935年12月19日 - 2… 一峰 大二(かずみね だいじ、1935年12月19日 - 2020年11月27日)は、日本の漫画家。本名:寺田 国治(てらだ くにはる)。 東京都荒川区出身。敗戦を疎開先の福島県石川町で迎える。絵物語作家、岡友彦(歌川大雅)の弟子を経て、1956年に『なぞのからくり屋敷』(「てらだくにじ」名義)でデビュー。 1960年代から1970年代にかけて、多くの特撮ヒーロー作品のコミカライズを手がけており、特にピー・プロダクションの作品の大半を漫画化している。中でも『スペクトルマン』への思い入れは強く、1999年に角川書店から復刻された単行本に加筆を施したり、2006年には後日談を発表したりしている。 2005年、『画業半世紀一峰大二大全集』で第34回日本漫画家協会賞特別賞を受賞。
中村 政則(なかむら まさのり、1935年12月17日 - … 中村 政則(なかむら まさのり、1935年12月17日 - 2015年8月4日)は、日本の歴史学者。専門は、日本近現代史。学位は、経済学博士(一橋大学・1981年)(学位論文「近代日本地主制史研究 資本主義と地主制」)。一橋大学名誉教授。「最後の講座派」と呼ばれていた。オックスフォード大学客員教授等を歴任。 現在の東京都新宿区生まれ。祖父は埼玉県出身。1961年一橋大学商学部卒業、1963年一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了、1966年同博士課程単位修得退学。大学時代はホッケー部に所属。一橋大の日本経済史講座断絶後着任した古島敏雄を指導教官とし、永原慶二にも師事した。 1966年一橋大学経済学部専任講師、1970年同助教授、1977年同教授、1979年ハーヴァード大学東アジア研究センター客員研究員、1981年「近代日本地主制史研究 資本主義と地主制」で一橋大学より経済学博士の学位を取得。
熊本 信夫(くまもと のぶを、1935年12月16日 - 2… 熊本 信夫(くまもと のぶを、1935年12月16日 - 2022年10月6日)は、日本の法学者。専門は、行政法・アメリカ合衆国憲法、特に政教分離・行政手続法・環境法。学位は、法学博士(北海道大学・1973年)(学位論文「アメリカにおける政教分離の原則」)。北海学園大学名誉教授。弁護士(熊本信夫法律事務所所長)。藍綬褒章、瑞宝中綬章受章。北海道出身。
中野 豊士(なかの とよし、1935年(昭和10年)12月1… 中野 豊士(なかの とよし、1935年(昭和10年)12月16日 - )は、日本の経営者。元三菱信託銀行社長・会長。三菱UFJ信託銀行最高顧問。
南野 京右(のうの きょうすけ、1935年12月16日 - … 南野 京右(のうの きょうすけ、1935年12月16日 - 2011年10月8日)は、日本の政治家。山口県長門市長(1期)。 長門市仙崎出身。山口県立大津高等学校 を経て中央大学経済学部卒。卒業後、家業の鮮魚仲買業の会社に就職。同社の社長や長門青年会議所理事長を務めた後、1983年に旧長門市議会議員に初当選。以後26年に渡り旧長門市議・長門市議を務め、旧長門市で4年間、合併後の長門市で4年間市議会議長を務めた。 2009年4月12日に行われた長門市長選挙に立候補し、現職の松林正俊らを破って初当選、新市二代目の長門市長に就任する。市長就任後は長門市の行財政改革や、地域の基幹になる農業と水産業、観光産業の活性化などに取り組んでいた。
和田 茂穂(わだ しげほ、1935年12月16日 - 202… 和田 茂穂(わだ しげほ、1935年12月16日 - 2023年2月9日)は、日本の流通学者。千葉経済大学短期大学部ビジネスライフ学科教授。経営学、マーケティング、流通システム論などの授業を担当。 東京都出身。早稲田大学文学部卒業、日本経済新聞記者となり、論説委員などを務め、流通関係の分野を専門とする。その後、千葉経済大学短期大学部教授となる。近年、商店街の再活性化などで和田の著書が参考にされる事が多い。[要出典] 2023年2月9日、87歳で死去した。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
尾髙 煌之助(おだか こうのすけ、1935年〈昭和10年〉1… 尾髙 煌之助(おだか こうのすけ、1935年〈昭和10年〉12月15日 - )は、日本の経済学者。専門は労働経済学。一橋大学・法政大学名誉教授。紫綬褒章受章。日経・経済図書文化賞、労働関係図書優秀賞受賞。 1935年、尾高次郎の五男である尾高邦雄の子として東京府東京市(現東京都千代田区)生まれた。一橋の設立に携わった渋沢栄一は曽祖父。母・京子は和辻哲郎の長女である。成蹊高等学校理系を経て、1年間の浪人生活を経て、慶應義塾大学経済学部に補欠で合格。大学では、藤林敬三ゼミで学んだ。カリフォルニア大学バークレー校大学院に留学し、1964年に修士課程を修了、1967年に経済学博士号を取得。 米国滞在時に、共同研究のためUCバークレーを訪れていた大川一司一橋大学経済研究所教授の知遇を得る。
丹 道夫(たん みちお、1935年(昭和10年)12月15日… 丹 道夫(たん みちお、1935年(昭和10年)12月15日 - )は、日本の実業家。名代富士そばを運営するダイタングループの創業者である。 1935年(昭和10年)に名古屋市で生まれ、生後すぐに父親が死去したため、母親の実家のある愛媛県西条市に転居。父親の大野釜次郎は陸軍省から払い下げを受けた革製の馬具をカバンなどに仕立て直して売る商売で成功していた。母親は愛媛で芸者となり、道夫が4歳のとき、17歳年上の丹高助と再婚。丹は新居郡大保木村(現・西条市)で山林の立木を測定する仕事のほかに借家業を営み裕福だったが、弟が生まれて以降道夫に辛く当たり重労働を課すようになった。大保木国民学校(のちの村立大保木小学校)を経て村立大保木中学校入学直前に肺門リンパ腺炎を患い、3か月間療養する。
杉浦 滋男(すぎうら しげお、1935年12月15日 - 1… 杉浦 滋男(すぎうら しげお、1935年12月15日 - 1997年12月6日)は、日本の男性アナウンサー。 東京都出身・日本大学法学部卒業だが、北海道に憧れていたことから、1958年に北海道放送へアナウンサーとして入社。その後1962年に名古屋テレビ放送開局と同時に移籍後の1964年、やはり開局後の日本科学技術振興財団テレビ事業本部(東京12チャンネル)に移った。 東京12チャンネルでは主に格闘技の実況中継に携わり、プロレス中継では、米国のプロレスを紹介するプロレスアワー・小畑千代VSファビュラス・ムーラをはじめとした日本女子プロレス中継・NETによる『ワールドプロレスリング』開始前の新日本プロレスの単発中継でのアントニオ猪木VSカール・ゴッチ二連戦を経て、国際プロレスのレギュラー中継番組『国際プロレスアワー』のメイン実況を担当。
田中 毅(たなか たけし、1935年12月15日 - )は、… 田中 毅(たなか たけし、1935年12月15日 - )は、日本の実業家。富士重工業(現SUBARU)代表取締役社長や、同社代表取締役会長兼最高経営責任者、日本航空宇宙工業会副会長等を務めた。 神奈川県出身。1958年横浜市立大学商学部卒業、日産自動車入社。1982年第一調達部長。1985年関係会社室長。1987年取締役。1990年富士重工業(現SUBARU)常務取締役購買本部長。1993年富士重工業代表取締役専務購買本部長兼品質保証本部長。1995年富士重工業代表取締役副社長。 1996年から富士重工業代表取締役社長を務め、2000年にはゼネラルモーターズとの資本提携を行った。2001年富士重工業代表取締役会長兼CEO。
平山 允(ひらやま まこと、1935年12月15日 - )は… 平山 允(ひらやま まこと、1935年12月15日 - )は、日本のアナウンサー、映画評論家。TBSアナウンサー第7期生。日本映画ペンクラブ会員。東京府(のちの東京都)出身。 早稲田大学第一政経学部卒業後、1961年4月にTBSへアナウンサー第7期生として入社。主に芸能(歌謡)、ニュース、スポーツ番組を担当した。深夜ラジオワイド番組『パック・イン・ミュージック』では、秘密結社「TBSシネクラブ」シヤチョーとして、映画情報コーナーを担当。一方で、映画雑誌『ロードショー』などで映画評を発表するほか、「毎日映画コンクール」の司会と選考委員を25年以上に渡り担当。 その間、報道局ニュース部(1964年3月)→ニュース取材部(1965年12月)→ラジオニュース部兼アナウンサー研修室付(1967年11月)→テレビ本部報道局ラジオニュース部(1970年7月)→ラジオ本部アナウンス室(1971年4月)→ラジオ本部アナウンス室兼第二制作局スポーツ部(1984年6月)→編成局番組宣伝部(1986年7月)→事業総局ライブラリー局資料部(1991年5月。
長八(ちょうはち、1935年(昭和10年)12月15日 - … 長八(ちょうはち、1935年(昭和10年)12月15日 - )は、大相撲の元三役呼出。本名は川村 健治。青森県青森市出身。高島部屋→友綱部屋所属。
品川 徹(しながわ とおる、1935年12月14日 - )は… 品川 徹(しながわ とおる、1935年12月14日 - )は、日本の男性俳優、声優。北海道旭川市出身。ノックアウト所属。 幼少期は勉強が嫌いな子供で、学校から家に帰っても遊んでばかりだった。内気でシャイであったが、家の中では威張っていたことから内弁慶だった。 勉強が嫌いで高校に進学せず、家具屋に入り修業をしていた。1年間、カンナのかけ方や刃の研ぎ方やノコの使い方を教えてもらい、職業補導所で簡単なものを作らせてもらえた。その後、兄弟子が5人いる町の工場で2年半くらい働いていた。下駄箱を作ったり、北海道独特の木目模様を出す技法を使ったタンスを作ったりもしていたが、飽きて嫌になり辞めた。その後は「もう少し勉強しよう」と思い、定時制高校に進学して4年間通う。
中山 俊丈(なかやま としたけ、1935年12月14日 - … 中山 俊丈(なかやま としたけ、1935年12月14日 - 2016年10月24日)は、愛知県名古屋市昭和区出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者。
戸田 光昭(とだ みつあき、1935年12月14日 - 20… 戸田 光昭(とだ みつあき、1935年12月14日 - 2011年2月3日)は、日本の図書館学者。駿河台大学名誉教授。専攻は図書館情報学。 東京生まれ。1961年に慶應義塾大学文学部を卒業する。同年に日産自動車へ入社し、総務部調査課などで図書・資料管理、文書管理、社史編纂などを行う。1986年に同社を退職し、1987年から姫路獨協大学附属図書館事務室長・副館長となり、1989年に同大学一般教育部教授に就任する。1994年に駿河台大学文化情報学部教授となり、教務委員長、就職部長、文化情報学部長などを歴任した。2006年に定年退職し名誉教授となる。 2011年2月3日、膵臓癌のため東京都渋谷区の病院で死去。
川崎 信定(かわさき しんじょう、1935年12月14日 -… 川崎 信定(かわさき しんじょう、1935年12月14日 - )は、仏教学者、筑波大学名誉教授、文化功労者。 千葉県船橋市の真言宗豊山派の寺院に生まれる。1958年、東京大学教養学部アメリカ分科卒。同大学院人文科学研究科印度哲学科博士課程中退、東大文学部助手、インドのバンダルカル研究所などで学ぶ。東洋文庫専任研究員、1975年筑波大学助教授、1986年教授、1997年定年退官、名誉教授、東洋大学教授。2006年退職。インド哲学・チベット仏教専攻。1987年「一切智(Sarvajna)思想の研究」で東大文学博士、1994年「一切智思想の研究」で日本学士院賞受賞。2011年春瑞宝中綬章受章。2014年秋に文化功労者。
今井 忠光(いまい ただみつ、1935年(昭和10年)12月… 今井 忠光(いまい ただみつ、1935年(昭和10年)12月14日 - 2019年(平成31年)4月25日)は、昭和から平成時代の政治家。福島県白河市長。 白河市出身。1957年(昭和32年)東京農業大学農学部短期大学を卒業後、家業の農業に従事。1967年(昭和42年)大村旅館経営、1982年(昭和57年)ホテル大村経営。 1977年(昭和52年)以来、白河市議会議員を5期、うち同議長を2期、副議長を務めた。1994年(平成6年)白河市長に当選。2期8年務め、教育環境の整備や社会福祉施設の充実に尽力した。 ほか、白河地方広域市町村圏整備組合、西白河地方衛生処理一部事務組合各管理者を歴任した。
春名 徹(はるな あきら、1935年(昭和10年)12月13… 春名 徹(はるな あきら、1935年(昭和10年)12月13日 - )は、日本のノンフィクション作家、漂流民研究家。妻は作家の入江曜子。
梶野 吉郎(かじの きちろう、1935年〈昭和10年〉12月… 梶野 吉郎(かじの きちろう、1935年〈昭和10年〉12月13日 - )は、日本のフランス文学者、北海道大学名誉教授。 長野県伊那市出身。1959年京都大学文学部仏文科卒、70年同大学院博士課程満期退学。1963 - 69年グルノーブル大学大学院博士課程に在籍、文学博士。69年グルノーブル大学最優秀論文賞受賞。1970年北海道大学文学部助教授、82年言語文化部教授、1999年定年退官、名誉教授。
飛鳥 みさ子(あすか みさこ、1935年12月13日 - 1… 飛鳥 みさ子(あすか みさこ、1935年12月13日 - 1998年7月9日)は、日本の元女優である。本名は犬飼 淑乃(いぬかい よしの)。 1935年(昭和10年)12月13日、愛知県挙母市(現在の同県豊田市)に生まれる。 1954年(昭和29年)、神奈川県立横須賀大津高等学校を卒業後、東宝舞踊学校へ入所。1955年(昭和30年)4月、第10期東宝ニューフェイスとなり、東宝と専属契約を結ぶ。翌1956年(昭和31年)1月22日に公開された本多猪四郎監督映画『若い樹』で映画デビューを果たし、以後、ジャンルを問わず多くの作品に出演。特に、1958年(昭和33年)1月6日から放映された菊田一夫原作のテレビドラマ『人知れずこそ』(KRテレビ系列)では、同じく東宝の専属俳優だった大塚国夫と主役を務め、一躍話題となった。
西久保 弘光(にしくぼ ひろみつ、1935年12月12日 -… 西久保 弘光(にしくぼ ひろみつ、1935年12月12日 - 2019年11月12日)は、CMディレクター、CMプランナー。 1935年に上海市で生まれ。1945年の敗戦後に兵庫県姫路市へ引き揚げ、その後、神戸市灘区で育つ。神戸市立鷹匠中学校時代に親友であるギャラリスト西岡務と、藤本弘(藤子・F・不二雄)、楳図かずお、水谷武子らとともに漫画サークル「改漫クラブ」の設立に参加。 兵庫県立神戸高等学校卒業後、阪急百貨店、大阪コマーシャルフィルムを経て、中学時代からの親友である西岡務の紹介によりフォルム画廊(大阪市)へ就職。交通事故により片目を失明し退職。その後梁瀬次郎が立ち上げた日本テレビジョン株式会社(後のTCJ)に就職し、テレビCMディレクター、プランナーとして活動。
岸本 正壽(きしもと まさとし、1935年12月12日 - … 岸本 正壽(きしもと まさとし、1935年12月12日 - )は、日本の実業家。オリンパス光学工業で社長・会長を歴任した。 1954年(昭和29年)3月、鳥取県立倉吉東高等学校卒業。進学した早稲田大学法学部では法律相談部で活動した。1958年(昭和33年)3月に早大法学部を卒業し、同年4月、光学工業に入社。多くの同期と同じく本社勤務になると期待していたが、伊那市の顕微鏡工場勤務となった。しかし原価管理などで工場全体を把握できる職務にやりがいを感じたという。また、内視鏡など医療用光学機器の営業担当となり、医学雑誌などを読みながら精力的に業務をこなした。 その後ドイツに赴任し、下山敏郎とともに西ヨーロッパにおける市場開拓と販売網整備に努めた。
高田 明和(たかだ あきかず、1935年12月12日 - 2… 高田 明和(たかだ あきかず、1935年12月12日 - 2023年12月17日[要出典])は、日本の脳科学者、浜松医科大学名誉教授。 専門は血液学、生理学、大脳生理学。 静岡県清水市(現・静岡市清水区)生まれ。静岡県立清水東高等学校を経て、1961年慶應義塾大学医学部卒業、同大学院(生理学)修了。1966年医学博士。米国ロズエル・パーク記念研究所、ニューヨーク州立大学助教授、浜松医科大学教授、2001年名誉教授。 日本生理学会、日本血液学会、日本臨床血液学会評議員。NPO法人「食と健康プロジェクト」理事長。 帝京大学名誉教授で日本肝胆膵外科学会元理事長の高田忠敬は弟。 妻の高田由美子(1937年2月17日 - 2013年5月25日)は生理学者。
古川 雅司(ふるかわ まさし、1935年12月12日 - 2… 古川 雅司(ふるかわ まさし、1935年12月12日 - 2026年2月7日)は、日本の政治家。元公明党衆議院議員(5期)。 広島県出身。1961年山形大学工学部電気工学科卒。三菱レイヨン(株)に勤務した後、大竹市議、広島市議を務める。1969年の第32回衆議院議員総選挙に広島3区から公明党公認で立候補して当選し、以来5期務めた。1990年の第39回衆議院議員総選挙で落選し、政界を引退した。 2026年2月7日、老衰のため広島県福山市の自宅で死去。90歳没。
鈴木 本一郎(すずき もといちろう、1935年12月12日 … 鈴木 本一郎(すずき もといちろう、1935年12月12日 - )は、日本の俳優、シニアモデル。Dreave's所属。トラベルライター。元朝日新聞社社員。元編集者。 静岡県出身。1954年、静岡県立静岡高等学校卒業。立教大学卒業。朝日新聞社入社。関連会社社員(新聞社にて監査役など)を経て退職。 長年、野生動物保護運動に携わる。機関紙 Nipponia Nippon(トキの雑誌)編集長(15年間)。ハワイ大学と共同でハワイ語の「生物の手引き」編纂。現在、サモア語編纂中。特技はウクレレ演奏、経理。趣味は、鉄道模型修理、読書、音楽鑑賞(ハワイアン・カントリー)、アロハシャツ集め。
高梨 欣也(たかなし きんや 1935年12月12日 - )… 高梨 欣也(たかなし きんや 1935年12月12日 - )は、毎日放送元アナウンサーで大阪芸術大学放送学科講師。フリーアナウンサー、ナレーター。神奈川県大和市出身。愛称は「欣ちゃん」 早稲田大学卒業後の1958年、新日本放送(毎日放送の前身)にアナウンサーとして入社。ニュース・報道番組などを担当した。この間、1969年から2年間、北米支局(ニューヨーク)で勤務した。 1992年にアナウンサー室長になり、1995年定年後も主幹の肩書きで嘱託として在籍。1997年12月、嘱託期間満了に伴い39年間務めた毎日放送を退職した。退職後は大阪芸術大学の放送学科の教授になり、後に講師になり後進の指導を行っている。