スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
宮島 裕之(みやじま ひろゆき、1992年9月23日 - )… 宮島 裕之(みやじま ひろゆき、1992年9月23日 - )は、ジャパンラグビーリーグワンNECグリーンロケッツ東葛に所属するラグビー選手。 ラグビーを始めたきっかけは幼馴染に誘われたことから。 2011年、飯田高校卒業後、同志社大学に入る。 2015年、同志社大学卒業後、NECグリーンロケッツ(現・NECグリーンロケッツ東葛)に加入。 2016年10月1日に行われたジャパンラグビートップリーグ第5節のトヨタ自動車ヴェルブリッツ戦に途中出場で公式戦初出場を果たす。
片桐 康策(かたぎり やすのり、1992年2月5日 - )は… 片桐 康策(かたぎり やすのり、1992年2月5日 - )は、ラグビーユニオンの選手。 ラグビーを始めたきっかけは友人に誘われたことから。 2010年、飯田高校卒業後、筑波大学に入る。なお飯田高校時代、高校日本代表候補に選ばれたことがある。 2014年、筑波大学卒業後、豊田自動織機シャトルズ(現・豊田自動織機シャトルズ愛知)に加入。同年11月29日に行われたジャパンラグビートップリーグ2ndステージ第1節のNTTドコモレッドハリケーンズ戦に途中出場で公式戦初出場を果たした。 2020-21シーズンまでで豊田自動織機シャトルズ愛知を退団した。
吉沢 文洋(よしざわ ふみひろ、1991年10月24日 - … 吉沢 文洋(よしざわ ふみひろ、1991年10月24日 - )は、元ラグビーユニオンの選手。2023-24シーズンまでジャパンラグビーリーグワン静岡ブルーレヴズに在籍した。 ラグビーを始めたきっかけは父と友達に勧められたことから。上郷ラグビースクールに入団した。 2010年、飯田高校卒業後、筑波大学に入る。 2015年、筑波大学卒業後、ヤマハ発動機ジュビロ(現・静岡ブルーレヴズ)に加入。同年11月21日に行われたジャパンラグビートップリーグ第2節の豊田自動織機シャトルズ戦に途中出場で公式戦初出場を果たす。 2024年5月13日、引退を発表。
中村 光希(なかむら ひろき、1990年8月11日 - )は… 中村 光希(なかむら ひろき、1990年8月11日 - )は、日本のラグビー指導者。現在飯田OIDE長姫高校ラグビー部の監督を務めている。 飯田高校卒業後、天理大学に入学。なお飯田高校時代、主将を務めた。 2013年、天理大学ラグビー部の主将に就任。 天理大学卒業後、2018年、飯田OIDE長姫高校ラグビー部の監督に就任。 2023年、監督として第103回全国高等学校ラグビーフットボール大会にて花園57大会振りの出場に貢献。
細田 佳也(ほそだ よしや、1987年8月5日 - )は、日… 細田 佳也(ほそだ よしや、1987年8月5日 - )は、日本の元ラグビー選手。 上郷ラグビースクールでラグビーを始めた。 飯田高校卒業後、2007年に日本大学へ入る。なお飯田高校時代、チームの主将を務めた。 2011年、日本大学卒業後、NECグリーンロケッツ(現・NECグリーンロケッツ東葛)に加入。同年11月12日に行われたジャパンラグビートップリーグ第3節のトヨタ自動車ヴェルブリッツ戦に途中出場で公式戦初出場を果たす。 2015年12月にはスーパーラグビーの日本チームサンウルブズの2016年スコッドに入った。 2016年6月12日に行われたカナダ遠征でのカナダ代表戦にて先発出場で日本代表初キャップを獲得した。
長谷川 洋敬(はせがわ ひろたか、1984年 - )は、日本… 長谷川 洋敬(はせがわ ひろたか、1984年 - )は、日本の脳神経外科医。埼玉医科大学総合医療センター脳神経外科講師を務めている。 2002年に長野県飯田高等学校を卒業後、東京大学理科三類へと進学。 2008年に東京大学医学部医学科を卒業し、医師免許を取得。公立昭和病院で初期臨床研修を修了した後、2010年から東京大学脳神経外科関連施設で後期研修を開始した。 2015年にECFMG certificate(米国医師資格)を取得。東京大学脳神経外科助教としてガンマナイフ治療と神経内視鏡手術に従事した。 2021年から2024年6月まで東京大学医学部附属病院脳神経外科助教を務め、2024年7月より埼玉医科大学総合医療センター講師を務める。
久保田 祥江(くぼた さちえ 1976年6月28日 - )は… 久保田 祥江(くぼた さちえ 1976年6月28日 - )は、SBC信越放送の元アナウンサー。
吉澤 宙彦(よしざわ おきひこ、1975年6月19日 - )… 吉澤 宙彦(よしざわ おきひこ、1975年6月19日 - )は、日本の俳優。長野県喬木村出身。身長180cm。長野県飯田高等学校、立命館大学卒業。京都での演劇活動を経て、2001年円演劇研究所入所。2003年、演劇集団 円会員に昇格し、演劇集団 円所属。
井ノ口 あさ子(いのくち あさこ、1972年7月30日 - … 井ノ口 あさ子(いのくち あさこ、1972年7月30日 - )は、広島テレビ放送 (HTV) 企画開発部在籍の社員で、元アナウンサー。 詳細は基礎情報を参照。長野県飯田高等学校を経て文教大学卒業後、1995年HTVにアナウンサーとして入社。 2008年3月31日付でアナウンス部を“卒業”し、企画開発部に異動した。
加藤 篤士(かとう あつし、1968年11月20日 – )は… 加藤 篤士(かとう あつし、1968年11月20日 – )は、日本の心理学者である。専門は、臨床心理学。公認心理師。 宮崎県日向市にて出生、長野県飯田市出身。飯田市立鼎小学校、飯田市立鼎中学校、長野県飯田高等学校を経て、早稲田大学教育学部教育心理学専修卒業、同大学大学院教育学研究科修了。早稲田大学助手、早稲田大学文学学術院総合人文科学研究センター招聘研究員を経て、十文字学園女子大学講師。 この間、国士舘大学、駿河台大学心理学部・大学院心理学研究科、人間環境大学大学院、東京未来大学、環太平洋大学、群馬医療福祉大学、高崎商科大学などの非常勤講師などを務めた。 適正飲酒の講師のほか、民間のクリニックでのカウンセリング業務、慶應義塾大学医学部付属病院精神・神経科勤務、国立病院機構久里浜医療センター、社会福祉法人泉会での心理士業務などで臨床経験を積み、現職。
草田 敏彦(くさだ としひこ、1968年5月20日 - )は… 草田 敏彦(くさだ としひこ、1968年5月20日 - )は、長野朝日放送(abn)のアナウンサー。 長野県飯田市南信濃(旧:下伊那郡南信濃村)出身。長野県飯田高等学校、國學院大學文学部卒業。 1990年に母校の長野県飯田高等学校にて教育実習に参加している。 1991年に長野朝日放送開局と共にアナウンサーとして入社。平日夕方に放送されている報道番組「ABNステーション(現:abnステーション)」でメインキャスターを1994年から2017年までの20年以上にわたり長く務めた。妻は元同局アナウンサー(草田と同期入社)の保坂道代。
塩澤 快浩(しおざわ よしひろ、1968年 - )は、日本の… 塩澤 快浩(しおざわ よしひろ、1968年 - )は、日本の編集者。早川書房編集部長。『SFマガジン』第8、10代編集長。日本SF作家クラブ会員。 長野県飯田市出身。飯田市立丸山小学校から上郷町立(現飯田市立)上郷小学校、飯田市立高陵中学校を経て長野県飯田高等学校に進む。東京外国語大学の入試に失敗し、一浪して上智大学英語学科に入学。早川書房入社前はミステリファンであり、SFはあまり読んでいなかった。 編集長就任後は、ライトノベル出身作家を積極的に『SFマガジン』等で執筆させたり、『このミステリーがすごい!』のSF版『SFが読みたい!』の創刊や、叢書「ハヤカワSFシリーズ Jコレクション」を創刊したりするなど、精力的に活動。
佐藤 健(さとう たけし、1967年〈昭和42年〉10月21… 佐藤 健(さとう たけし、1967年〈昭和42年〉10月21日 - )は、日本の政治家、自治・総務官僚。長野県飯田市長(2期)。 長野県飯田市出身。長野県飯田高等学校、東京大学法学部卒業。1991年(平成3年)4月、自治省に入省。 2011年(平成23年)5月、飯田市副市長を務めた。2019年(平成31年)3月に退任し、同年4月に総務省に復帰。地方公務員共済組合連合会事務局長を務めた。 2020年(令和2年)3月31日、総務省を退職。同年4月1日、任期満了に伴う飯田市長選挙に立候補する意向を表明。同年10月18日実施の市長選挙に立候補し、現職の牧野光朗ら2候補を破り初当選した。10月28日、市長就任。
日下部 かおり(くさかべ かおり、1966年 - )は、日本… 日下部 かおり(くさかべ かおり、1966年 - )は、日本の女性ピアニスト、声楽家(ソプラノ)、音楽家、声優。 長野県豊丘村出身。血液型はA型。 母は高校音楽教師の後に日下部の出産にあたりピアノ教室を始める。一人っ子。日下部は小学1年生の頃にピアノを習い始め、クヴィタ・ピリンスカ、久保田惠子に師事した。中学校・長野県飯田高等学校では演劇部に所属。高校の時に筝曲師範を取得したが、日下部が高校在学時には筝曲部がなく、母が筝曲を教えていたということもあり、高校の教諭による筝曲の個人レッスンを受けていたという。長野県飯田高等学校(高35回)を経て国立音楽大学器楽学科ピアノ専攻を卒業後、劇団青年座養成所で舞台の基礎を学び放送声優として、『鎧伝サムライトルーパー』のナスティ柳生役を演じる。
代田 昭久(しろた あきひさ、1965年5月8日- )は、日… 代田 昭久(しろた あきひさ、1965年5月8日- )は、日本の実業家、教育者。佐賀県武雄市特別顧問、構造改革特別区域推進本部評価・調査委員会専門部会(教育部会)委員を務める。 2008年4月1日から2013年3月31日まで東京都杉並区立和田中学校の民間人校長を務めた。 和田中学校校長当時、男性教諭が起こした女子生徒へのわいせつ事件が発生。週刊金曜日によると、2011年1月に監督責任を問われて杉並区教育委員会から文書訓告の行政処分を受けた。週刊金曜日は、東京都教育委員会は一年近く「調査」と称して隠蔽し、代田はその間「教諭は病気休職」と報告していたと報道している。代田は後述する鎌倉市の教育長人事にまつわる問題の末、2013年4月7日の「鎌倉の新しい教育を考えるシンポジウム」に参加、わいせつ事件の隠蔽と虚偽の説明の真偽を尋ねられて、一切なく、事実無根だと答え、東京都教育委員会から処分はされておらず、杉並区教育委員会から文書訓告の「処置」を受けたのであって処分ではないのだと主張した。
寺澤 孝文(てらさわ たかふみ、1964年 - )は、日本の… 寺澤 孝文(てらさわ たかふみ、1964年 - )は、日本の心理学者、教育者、博士(心理学)。岡山大学教授、兵庫教育大学大学院連合学校教育学研究科副研究科長などを務める。教育ビッグデータ研究とその社会実装の第一人者。 専攻は心理学(特に教育心理学、実験心理学、認知心理学、教育工学、人工知能など)。 兵庫教育大学大学院(兵庫県加東市)は、「連合学校教育学研究科」のため、実際は同大学院で講義・指導を行うのではなく、構成校(兵庫教育大学、上越教育大学、鳴門教育大学、岡山大学)の岡山大学(岡山県岡山市北区)で講義・指導にあたる。
新井 章仁(あらい あきひと、1962年12月3日 - )は… 新井 章仁(あらい あきひと、1962年12月3日 - )は、ドキュメンタリー番組の演出家、テレビディレクターである。 長野県飯田市出身。長野県飯田高等学校卒業。ドキュメンタリー番組のディレクターとして活躍中。 アシスタント時代は、毎日放送『中村敦夫の地球発22時』などの番組に従事する。その後、フリーディレクターとして数々のドキュメンタリー番組を手がける。 日本テレビ「Time21」で津軽海峡のサメ獲り漁師の親子鷹をテーマにした「津軽海峡にサメを追え!」で日本民間放送連盟賞を受賞した。その後、ATP賞なども受賞している。 2007年には、テレビ朝日で放送された番組『特捜!』で海上保安庁の潜水士研修の様子を取材し、「ザ・リアル海猿」というサブタイトルで放送した番組がATPグランプリ2007を受賞した。
園原 健弘 (そのはら たけひろ、1962年11月9日 - … 園原 健弘 (そのはら たけひろ、1962年11月9日 - )は、日本の陸上競技選手。実業家。五輪選手。ウォーキングプロデューサー。散歩指導者。散歩評論家。元陸上日本代表。元アシックス社員。
牧野 光朗(まきの みつお、1961年〈昭和36年〉8月16… 牧野 光朗(まきの みつお、1961年〈昭和36年〉8月16日 - )は、日本の政治家、銀行員。元長野県飯田市長(4期)。 長野県飯田市出身。長野県飯田高等学校を経て、1985年(昭和60年)3月、早稲田大学政治経済学部卒業。同年4月、日本開発銀行(現・日本政策投資銀行)に入行。富山事務所調査役、企画部調査役を経て、2001年(平成13年)3月、同行のフランクフルト事務所長に就任。2002年(平成14年)6月、大分事務所長に就任。2004年(平成16年)3月、退職。 同年10月24日に行われた飯田市長選挙で2候補を相手に戦い初当選した。10月28日、市長就任。2008年(平成20年)、再選。2012年(平成24年)、無投票で3選。
丸山 寿(まるやま ひさし、1961年3月8日 - )は、日… 丸山 寿(まるやま ひさし、1961年3月8日 - )は、日本の実業家。昭和電工マテリアルズ株式会社代表取締役会長、合成樹脂工業協会副会長。 長野県飯田市出身。長野県飯田高等学校を経て、1983年一橋大学法学部卒業。大学卒業後は、一橋大卒業生の就職先としては珍しかった、製造業の法務部門を志して日立化成に入社した。入社後は、希望通り法務部門に配属され、南メソジスト大学法科大学院修士課程修了後、ニューヨークの法律事務所で研修を受け、契約書の作成や、交渉などを担当した。 日立化成では、社長室広報・IR担当部長や日立製作所広報部長への出向、自動車部品事業部副事業部長などを経て、2011年執行役に昇格。2015年執行役常務。
宮下 直(みやした ただし、1961年 - )は、日本の生物… 宮下 直(みやした ただし、1961年 - )は、日本の生物学者。東京大学教授。学位は、博士(農学)。クモや昆虫を中心に、生態学、特に生物多様性の理論を研究する。 長野県飯田市に生まれ、長野県飯田高等学校を卒業。1983年に東京大学農学部林学科を卒業し、1985年に東京大学大学院農学系研究科林学専攻修士課程を修了。1992年、「ジョロウグモの生活史における生態的制約と適応」により、東京大学から博士(農学)を取得。 東京大学大学院農学生命科学研究科生圏システム学専攻助教授を経て、教授。
加藤 喜久子(かとう きくこ、1960年2月24日 - )は… 加藤 喜久子(かとう きくこ、1960年2月24日 - )は、日本の外交官。長野県飯田市出身 。在ハンブルク日本国総領事を経て、2023年(令和5年)10月から駐アルバニア特命全権大使。
南嶌 宏(みなみしま ひろし、1957年10月4日- 201… 南嶌 宏(みなみしま ひろし、1957年10月4日- 2016年1月10日)は、日本の美術評論家。専門は芸術学、現代美術思想研究、アートディレクション。本名は南島 宏。 長野県生まれ。長野県飯田高等学校、1983年筑波大学芸術専門学群芸術学専攻卒業。 いわき市立美術館、広島市現代美術館の運営に参画する。1993年にカルティエ現代美術財団奨学生としてパリへ留学。 2000年4月から熊本市現代美術館の運営に参画し熊本市学芸課長 兼 熊本市現代美術館副館長・館長を歴任。2008年3月に熊本市現代美術館長を退任。 2008年4月に女子美術大学芸術学部芸術学科教授に就任。2010年4月から女子美術大学芸術学部アート・デザイン表現学科アートプロデュース表現領域主任教授、武蔵野美術大学造形学部油絵学科客員教授。
櫻井 孝(さくらい たかし、1956年 - )は、日本の特許… 櫻井 孝(さくらい たかし、1956年 - )は、日本の特許庁技官、弁理士。特許技監を最後に退官し、工業所有権協力センター副理事長、知的財産研究教育財団理事。 長野県生まれ。長野県飯田高等学校を経て、1978年新潟大学工学部卒業、特許庁入庁。1982年特許庁特許審査官。1990年外務省在インド日本国大使館一等書記官。1996年特許庁審査企画官。1997年財団法人知的財産研究所研究部長。2001年特許庁国際課長。2004年特許庁首席審査長。2006年特許庁調整課長。2007年特許庁特許審査第四部長。2011年特許技監。2013年に退任後、弁理士、工業所有権協力センター専務理事調査業務センター長、工業所有権協力センター副理事長、知的財産研究教育財団理事。
宮島 篤(みやじま あつし、1953年3月7日 - ) は、… 宮島 篤(みやじま あつし、1953年3月7日 - ) は、日本の生物学者。東京大学名誉教授。元東京大学分子細胞生物学研究所所長。元日本生化学会会長。 1971年長野県飯田高等学校卒業。1975年静岡大学理学部化学科卒業。1980年東京大学大学院理学系研究科生物化学専攻博士課程修了、理学博士、静岡大学助手。1982年DNAX分子細胞生物学研究所に留学。1983年DNAX分子細胞生物学研究所研究員。1988年DNAX分子細胞生物学研究所主任研究員。1994年東京大学分子細胞生物学研究所教授。2003年東京大学分子細胞生物学研究所所長。2005年日本生化学会会長。2009年日本学術振興会科学研究費審査委員。
松村一登(まつむら かずと、1953年1月20日 - )は、… 松村一登(まつむら かずと、1953年1月20日 - )は、日本の言語学者、東京大学教授。ウラル語、コーパス研究が専門。 長野県下伊那郡豊丘村出身。長野県飯田高等学校卒、1976年東京大学文学部言語学科卒、1983年同大学院博士課程満期退学、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所助手、1990年助教授、1995年東京大学文学部附属文化交流研究施設助教授、97年教授。
木下 秀樹(きのした ひでき、1952年5月19日 - )は… 木下 秀樹(きのした ひでき、1952年5月19日 - )は、日本の裁判官、弁護士。仙台高等裁判所部総括判事や、名古屋高等裁判所部総括判事を経て、福井地方裁判所所長を務めた。 長野県飯田市出身。1971年長野県飯田高等学校卒業。1975年中央大学法学部法律学科卒業。1978年新潟地方裁判所判事補。1981年大阪地方裁判所判事補。1984年前橋地方裁判所高崎支部判事補。1987年東京地方裁判所判事補。1988年東京地方裁判所判事。1990年秋田地方裁判所判事。1992年仙台高等裁判所秋田支部長。1993年横浜地方裁判所判事。1996年浦和地方裁判所越谷支部判事。2000年東京高等裁判所判事。2003年水戸地方裁判所下妻支部長。
北川原 温(きたがわら あつし、1951年(昭和26年)10… 北川原 温(きたがわら あつし、1951年(昭和26年)10月31日 - )は、日本の建築家(一級建築士)。長野県千曲市生まれ。元東京芸術大学教授(2019年3月退任)、元「北川原温建築都市研究所」代表取締役所長。現在東京芸術大学名誉教授、「MET株式会社」フェロー職。日本建築学会賞作品賞、日本芸術院賞、日本建築大賞、村野藤吾賞、ケネス・F・ブラウン建築文化大賞、など多数受賞。 東京芸術大学建築科在学中に国際設計コンペで1位となり、大学院ではサウジアラビアで都市計画の仕事に携わる。20代から設計活動を始め、これまでに多くの作品が世界に紹介されている。 日本建築学会賞、村野藤吾賞、グッドデザイン賞金賞、アルカシア賞ゴールドメダル、ケネス・F・ブラウン大賞をはじめ国内外の多数の建築賞を受賞。
丸山 克俊(まるやま かつとし、1951年1月4日 - 20… 丸山 克俊(まるやま かつとし、1951年1月4日 - 2020年1月14日)は、日本の教育学者、東京理科大学理工学部教授。専門は、スポーツ教育学、コーチング学、子どもの健康教育学。 長野県飯田市出身。1969年、長野県飯田高等学校卒業。1973年、日本体育大学体育学部体育学科卒業。1975年、日本大学大学院文学研究科教育学専攻(体育学コース)修士課程修了。1977年、東京理科大学理工学部教養助手。1978年、日本大学大学院文学研究科教育学専攻博士課程満期退学。1984年、東京理科大学理工学部教養講師、1988年、同助教授、2003年、同教授。東京理科大学のソフトボール部を自ら創設し、監督・総監督として、全日本大学選手権大会14回出場・ベスト8を3回という実績を残した。
吉田 博美(よしだ ひろみ、1949年〈昭和24年〉6月17… 吉田 博美(よしだ ひろみ、1949年〈昭和24年〉6月17日 - 2019年〈令和元年〉10月26日)は、日本の政治家。位階は従三位。 参議院議員(3期)、国土交通大臣政務官(第3次小泉内閣)、参議院国土交通委員長、参議院政治倫理審査会会長、自由民主党参議院国会対策委員長、自由民主党参議院幹事長、自由民主党総裁特別補佐、長野県議会議長(第75代)、長野県議会議員(5期)などを務めた。 山口県柳井市生まれ。長野県下伊那郡松川町育ち。長野県飯田高等学校、早稲田大学社会科学部卒業。スイスやイギリスへの留学を経て、中島衛、金丸信両衆議院議員の秘書を務める。1983年、長野県議会議員選挙に立候補し、初当選。
菅沼 龍夫(すがぬま たつお、1948年 - )は、日本の医… 菅沼 龍夫(すがぬま たつお、1948年 - )は、日本の医師、医学者。専門は解剖学。宮崎大学学長などを歴任した。長野県飯田市出身。
吉川 泰弘(よしかわ やすひろ、1946年11月 - )は、… 吉川 泰弘(よしかわ やすひろ、1946年11月 - )は、日本の獣医師、獣医学者。東京大学 名誉教授、岡山理科大学 名誉教授。共和化工株式会社 環境微生物学研究所 所長。学位は農学博士(東京大学・1976年)。 一般社団法人 予防衛生協会 代表理事、北里大学 客員教授、千葉科学大学 非常勤講師なども務める。 長野県飯田市出身。1965年 長野県飯田高等学校卒業、東京大学理科Ⅱ類入学。1971年 東京大学農学部畜産獣医学科卒業。1976年 東京大学大学院農学系研究科博士課程修了、農学博士号取得、獣医師免許取得。同年 厚生省 国立予防衛生研究所(現 国立感染症研究所) 入所。 1977年-1979年 ユストゥス・リービッヒ大学ギーセンのウイルス研究所に留学。
佐々木 孝治(ささき こうじ、1946年9月8日 - )は、… 佐々木 孝治(ささき こうじ、1946年9月8日 - )は、日本の実業家。ユニー代表取締役社長や、同社取締役会長、日本チェーンストア協会会長等を歴任した。食品産業功労賞受賞。 長野県下伊那郡阿南町出身。長野県飯田高等学校を経て、1969年法政大学経営学部卒業、西川屋チェン(のちのユニー)入社。ユニー取締役住関本部長兼書籍部長を経て、1997年からユニー代表取締役社長。2005年日本チェーンストア協会会長。2007年ユニー取締役会長。2012年食品産業功労賞受賞。2013年ユニーグループ・ホールディングス取締役。2014年にはユニーグループ・ホールディングス相談役として、ゴルフコンペで同席したファミリーマートの上田準二代表取締役会長と、経営統合交渉を開始することを合意し、のちの経営統合に導いた。
田口 成光(たぐち しげみつ、1944年2月4日 - )は、… 田口 成光(たぐち しげみつ、1944年2月4日 - )は、日本の脚本家、構成作家、プロデューサー。 長野県飯田市出身。長野県飯田高等学校を経て日本大学芸術学部を卒業後、脚本家を目指して1967年に円谷プロダクション(以下、円谷プロ)へ入社。しかし、円谷プロの意向で『ウルトラセブン』などの特撮班助監督を経験することになり、同社の作品数が激減した1960年代末に企画室の勤務へ就いた。 1971年に放映された『帰ってきたウルトラマン』で、TBSのプロデューサーだった橋本洋二から深夜に及ぶ書き直し要求を経て、第8話「怪獣時限爆弾」が初採用され脚本家としてデビュー。以降は円谷プロで企画室長として1970年代の「第2期ウルトラシリーズ」『ミラーマン』などを企画し、脚本も執筆した。
石田 瑞穂(いしだ みずほ、1943年 - )は、日本の地球… 石田 瑞穂(いしだ みずほ、1943年 - )は、日本の地球科学者。専門は地震学。元日本地震学会会長。 長野県飯田市出身。長野県飯田高等学校を経て、1966年(昭和41年)お茶の水女子大学理学部物理学科流体力学専攻卒業。1974年(昭和49年)東京大学大学院理学系研究科博士課程修了、理学博士(東京大学)。同年科学技術庁国立防災科学技術センターに入所、1988年(昭和63年)地震活動研究室長、1996年(平成8年)地圏地球科学技術研究部長、2001年(平成13年)防災科学技術研究所研究主監を経て、海洋研究開発機構特任上席研究員、産業技術総合研究所客員研究員などを歴任した。 またカリフォルニア工科大学、カーネギー研究所の研究員も務めた。
中塚 勝人(なかつか かつと、1941年2月2日 - )は、… 中塚 勝人(なかつか かつと、1941年2月2日 - )は、日本の資源開発工学者。東北大学名誉教授。東北大学副総長や、物理探査学会副会長、日本工学教育協会副会長などを務めた。 長野県生まれ。1959年長野県飯田高等学校卒業。1964年東北大学工学部鉱山学工学科卒業。1966年東北大学大学院工学研究科鉱山工学専攻修士課程修了、東北大学工学部助手。1974年東北大学工学博士。1976年東北大学工学部講師。1978年東北大学工学部助教授。1987年東北大学工学部教授。1992年紛体粉末冶金協会理事。1993年資源・素材学会理事。1994年東北大学評議員。1996年東北大学国際交流会館副館長、宮城県自然環境保全審議会委員。
熊谷 弘(くまがい ひろし、1940年6月25日 - )は、… 熊谷 弘(くまがい ひろし、1940年6月25日 - )は、日本の政治家、通産官僚。 参議院議員(1期)、衆議院議員(6期)、通商産業大臣(第55代)、内閣官房長官(第57代)、保守新党代表(初代)を歴任した。 静岡県磐田郡水窪町(現・浜松市天竜区)出身。長野県飯田高等学校を経て、1964年に一橋大学社会学部を卒業し、通商産業省に入省。同期に渡辺修、細川恒、中田哲雄、藤原武平太、川田洋輝(資源エネルギー庁長官、電源開発副社長)、久禮彦治(駐連合王国公使、日本産業デザイン振興会理事長)、横田捷宏らがいる。 1966年企業局産業資金課、1972年繊維雑貨局繊維製品課長補佐、機械情報産業局情報処理振興課補佐、1974年10月大臣官房秘書課補佐、1974年11月ハーバード大学留学、1975年5月中小企業庁官房施策普及室長などを経て、1977年、第11回参議院議員通常選挙に自由民主党から立候補し当選する。
上條 謙二郎(かみじょう けんじろう、1940年 - )は、… 上條 謙二郎(かみじょう けんじろう、1940年 - )は、日本の航空宇宙工学者。東北大学名誉教授。紫綬褒章受章。 長野県下伊那郡松川町生まれ。1960年長野県飯田高等学校卒業。1964年名古屋工業大学機械工学科卒業。1969年東京工業大学大学院理工学研究科機械工学専攻博士課程修了、航空宇宙技術研究所研究員。1975年航空宇宙技術研究所角田支所ロケット流体機器研究室長。同年カリフォルニア工科大学客員研究員。1983年東京大学工学部非常勤講師。1992年航空宇宙技術研究所角田支所研究調整官。1993年航空宇宙技術研究所角田宇宙推進技術研究センターロケット推進研究部長。H-IロケットのLE-5やH-IIロケットのLE-7のターボポンプの開発を行い、1996年から東北大学流体科学研究所極限流研究部門極低温流研究分野教授を務めた。
牧内 良平(まきうち りょうへい、1938年4月 - )は、… 牧内 良平(まきうち りょうへい、1938年4月 - )は、日本の新聞記者、実業家。元テレビ神奈川社長。前学校法人神奈川大学理事長。神奈川県海老名市在住。 長野県飯田市出身。飯田高校卒業後2年間浪人したのち、早稲田大学政治経済学部に入学。1965年、神奈川新聞社に入社。 1985年、社会部長に就任。1986年6月1日付の神奈川新聞に霊感商法の被害状況を取材した記事が掲載されると、その日の夕方から神奈川新聞社本社には、統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の信者からの無言電話および抗議の電話が殺到。電話は3日夜までに8,400件を超え、会社の通信機能は麻痺した。牧内は6月4日付の同紙のコラムに実名で「暴力は、どんな形にしろ絶対に容認できない。
原 広司(はら ひろし、1936年9月9日 - )は、日本の… 原 広司(はら ひろし、1936年9月9日 - )は、日本の建築家。東京大学名誉教授。
中島 衛(なかじま まもる、1935年(昭和10年)12月2… 中島 衛(なかじま まもる、1935年(昭和10年)12月23日 - 2013年(平成25年)11月5日)は、日本の政治家、実業家。位階は従三位。 科学技術庁長官(第48代)・総理府原子力委員会委員長(第48代)、衆議院議員(6期)等を歴任した。 父は元衆議院議員の中島巌。 長野県下伊那郡飯田町(現飯田市)生まれ。飯田高松高等学校(現長野県飯田高等学校)、中央大学経済学部卒業。大学卒業後、父・中島巌が経営する信南交通に入社。信南交通を経て地元・飯田市の青年会議所理事長を務める。 青年会議所での活動を通じて、仲間の企業家から政界への進出を勧められ、1972年の第33回衆議院議員総選挙に旧長野県第3区(定数4)から無所属で出馬したが、得票数6位で落選。
小島 麗逸(こじま れいいつ、1934年1月23日 -202… 小島 麗逸(こじま れいいつ、1934年1月23日 -2024年12月7日 )は、日本の経済学者・中国研究者。中国の経済建設・日本植民史・アジア経済を研究。大東文化大学名誉教授。アジア経済研究所調査研究部次長を経て、学校法人大東文化学園理事・北京大学光華管理学院客員教授・現代中国学会理事などを務めた。 長野県下伊那郡下久堅村(現飯田市)出身。長野県飯田高松高等学校(現長野県飯田高等学校)を経て、1960年一橋大学経済学部卒。種瀬茂ゼミ出身。同年アジア経済研究所入所。山梨県大月市で農耕や、牧畜、植林に従事しながらアジア経済研究所に通い、石川滋一橋大教授の指導の下で研究に従事。1978年からアジア経済研究所主任研究員。
後藤総一郎(ごとう そういちろう、1933年12月5日 - … 後藤総一郎(ごとう そういちろう、1933年12月5日 - 2003年1月12日)は、日本の思想史学者。 長野県下伊那郡和田組合村遠山郷(現飯田市)出身。1952年長野県飯田東高等学校(現長野県飯田高等学校)卒業。病気療養を経て、1955年明治大学法学部入学後、同大学政治経済学部に再入学。東京教育大学講師、明治大学政治経済学部助教授、1987年同教授。1996-1999年に図書館長。1990年-2003年1月柳田國男記念伊那民俗学研究所初代所長。 橋川文三に師事、柳田國男研究を軸に『全集』(筑摩書房)編集委員を務め、「柳田國男研究会」、市民講座「常民大学」を主宰した。2003年神奈川県鎌倉市の病院で悪性リンパ腫のため死去。
本多 勝一(ほんだ かついち、1932年1月28日 - )は… 本多 勝一(ほんだ かついち、1932年1月28日 - )は、日本の新聞記者・ジャーナリスト・作家。元朝日新聞編集委員。 長野県下伊那郡大島村(現在の松川町)に生まれる。 長野県飯田高松高校卒。高校3年次の担任はのちに日本古生物学会の会長を務めた鹿間時夫であった。同級に富永明夫がおり、後に本多の義兄となった。 本多には脳性小児麻痺の妹がいた。父は雑貨商を営んでおり、本多には薬科大学に進むことで薬局を加えた店の跡を継いでほしいと願っていた。本多は高校で木原均の講演に感銘を受け、京都大学で遺伝学を学びたいと考えたため、父と衝突した。結局、薬剤師の資格を取得すれば好きなことをやってもよいとの妥協案を受け入れ、千葉大学薬学部に進学。
塩沢 実信(しおざわ みのぶ、1930年11月29日 - )… 塩沢 実信(しおざわ みのぶ、1930年11月29日 - )は、出版ジャーナリスト、ノンフィクション作家。
上沼 八郎(かみぬま はちろう、1927年11月20日 - … 上沼 八郎(かみぬま はちろう、1927年11月20日 - )は、日本の教育学者。筆名・伊那竜平。 長野県下伊那郡市田村(現高森町)生まれ。旧制飯田中学(長野県飯田高等学校)を経て、名古屋大学教育学部卒、1956年同大学院教育学研究科博士課程満期退学、1965年「信州教育史の研究 地方教育史研究序説」で名古屋大学より教育学博士の学位を取得。名大助手、沖縄国際大学助教授、信州大学助教授、東京女子体育大学講師、実践女子大学助教授、奈良教育大学教授、1990年高千穂商科大学教授。1998年定年退任。上沼真平の叔父にあたる。
古島 和雄(ふるしま かずお、1921年10月11日 - 2… 古島 和雄(ふるしま かずお、1921年10月11日 - 2004年4月26日)は、日本の歴史学者。専門は中国史。東京大学名誉教授。大東文化大学名誉教授。 1921年、長野県飯田市生まれ。1942年、旧制飯田中学を卒業。1943年、旧制浦和高等学校(現埼玉大学)を卒業。東京帝国大学文学部入学したが、徴兵により兵役に就いた。 1945年、太平洋戦争終結にともなって復員。東京帝国大学文学部に復学し、1948年に卒業した。東京大学大学院(旧制)に進んだが、1949年に退学して東洋文化研究所助手となった。1954年、東京大学社会科学研究所助教授に就任。1967年、同研究所教授に昇格。1978年から1983年まで、現代中国学会代表幹事を務めた。
小坂 樹徳(こさか きのり、1921年(大正10年)9月11… 小坂 樹徳(こさか きのり、1921年(大正10年)9月11日 - 2010年(平成22年)8月3日)は、日本の医学者、医学博士。専門は内科学、糖尿病学。東京大学名誉教授、虎の門病院名誉院長。日本人の糖尿病の原因や病態を明らかにし、診断法や治療法の確立に貢献した。 長野県下伊那郡座光寺村(現飯田市)出身。旧制飯田中学(長野県飯田高等学校)、 松本高等学校理科乙類を経て、1945年 東京帝国大学医学部卒業後、坂口康蔵教授の、東京帝国大学第三内科学教室入局。1966年から東京女子医科大学教授、1972年から82年まで東京大学医学部第三内科第6代教授。後任の教授は高久史麿。東京大学退官後は虎の門病院院長を歴任。
数江 教一(かずえ きょういち、1913年11月18日 - … 数江 教一(かずえ きょういち、1913年11月18日 - 2003年5月28日)は、日本の倫理学者、茶道研究家。茶号は瓢鮎子(ひょうねんし)。 長野県茅野市出身。旧制飯田中学(長野県飯田高等学校)、旧制松本高等学校を経て東京帝国大学文学部倫理学科卒。和辻哲郎に師事。1962年「日本の末法思想」で東京大学より文学博士の学位を取得。1952年中央大学文学部非常勤講師、1953年専任講師、1955年助教授、1960年教授、1984年定年、名誉教授となる。東大在学中に茶の湯同好会を作り茶道を研究する。 日本倫理学会、日本思想史学会、日本哲学会に所属した。
松澤 太郎(まつざわ たろう、1912年(大正元年)12月2… 松澤 太郎(まつざわ たろう、1912年(大正元年)12月26日 - 2007年(平成19年)3月11日)は、昭和期の機械技術者、政治家。 長野県下伊那郡上飯田村(現飯田市)で、松澤茂雄、寿美の長男として生まれた。旧制飯田中学(長野県飯田高等学校)、旧制松本高等学校理科甲類を経て、1938年(昭和13年)3月、京都帝国大学工学部機械工学科を卒業。 石川島芝浦タービンから1950年(昭和25年)芝浦ミシンに転職し、1955年(昭和30年)退社。飯田市商工観光課工業指導事務嘱託を経て、1956年(昭和31年)飯田市教育長、1964年(昭和39年)飯田市総務部長となり、1968年(昭和43年)に退職。