伊藤 海(いとう かい、1985年12月12日 - )は、日… 伊藤 海(いとう かい、1985年12月12日 - )は、日本の弁護士・弁理士。東京弁護士会所属、伊藤海法律事務所代表。株式会社AGRS顧問。学位は法務博士。男性。 IT業界、アパレル業界、エンターテイメント業界(芸能)を中心に、多くの名ブランド、著名人の顧問・代理人を務める。クライアントには声優の杉田智和などの声優を多く抱えるほか、俳優、モデル、ミュージシャンなど多数。 芸術・カルチャー・エンターテインメント分野の権益を守り社会的意義をより高めることを目指している。エンタメに携わるすべての関係者の想いを身近に感じ取るため、自らもエンタメ関係のスタートアップに参画。
柳野 嘉秀(やなぎの よしひで、1982年 - )は、日本の… 柳野 嘉秀(やなぎの よしひで、1982年 - )は、日本の弁理士(日本弁理士会所属)。知的財産修士(専門職)。イノベーションマネジメント修士(ポーツマス大学)。柳野国際特許事務所所長。コンソーシアムDブレーン(CDB)メンバー。日本弁理士会近畿支部知財普及・支援委員会2015副委員長。 同志社大学法学部法律学科卒業。大阪工業大学知的財産専門職大学院知的財産専攻修了、知的財産修士(専門職)。 キーエンス勤務を経て、2006年弁理士試験合格。2011年弁理士登録し、柳野国際特許事務所に入所。 2016年ポーツマス大学大学院MSc Innovation management and Entrepreneurship専攻修了。
小川 コータ(おがわ コータ、1977年9月17日 - )は… 小川 コータ(おがわ コータ、1977年9月17日 - )は、日本の発明家、シンガーソングライター、作詞家、作曲家、弁理士。本名、小川 耕太(おがわ こうた)。 1977年9月17日生まれ、東京都町田市出身、血液型はA型。1996年慶應義塾高等学校卒業。2000年慶應義塾大学法学部政治学科卒業。2006年弁理士登録、弁理士登録番号14812。2009年東京工業大学大学院修士課程修了、技術経営修士。 神奈川県鎌倉市在住。作曲家としてハイキックエンタテインメントに所属。2010年に結成した、鎌倉を中心に活動する音楽ユニット「小川コータ&とまそん」でウクレレ・ギター・ピアノ・ボーカルを担当。2017年から2024年3月までFm yokohama『SHONAN by the Sea』(毎週日曜6:00-9:13)内「コータ&とまそんのB3PO(ビー散歩)」にてビーチサンダルを履いた中継レポーターとして出演した。
植村 貴昭(うえむら たかあき、1973年 - )は、日本の… 植村 貴昭(うえむら たかあき、1973年 - )は、日本の弁理士、元特許庁審査官補。株式会社ポラリス知財コンサルティング代表取締役。 北海道旭川市出身。1992年、東京工業大学第4類機械工学科卒業。2000年、東京工業大学原子炉研究所修士課程修了。2007年、大宮法科大学院大学夜間卒業。 2000年より2006年にかけて特許庁で審査官補として勤務。2010年弁理士登録。 2016年より帝国データバンクの帝国ニュースにて月1回連載を開始。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
冨宅 恵(ふけ めぐむ、1972年11月6日 - )は、大阪… 冨宅 恵(ふけ めぐむ、1972年11月6日 - )は、大阪府柏原市出身の日本の弁護士(大阪弁護士会所属)・弁理士。登録政治資金監査人・商事仲裁人。スター綜合法律事務所パートナー。大阪工業大学知的財産専門職大学院客員教授。 西大和学園高等学校卒業。1996年同志社大学法学部卒業。大阪工業大学知的財産専門職大学院知的財産専攻修了、知的財産修士(専門職)。2000年弁護士登録。2005年中本総合法律事務所より独立し、吉村洋文弁護士との共同経営による法律事務所(現:スター綜合法律事務所)を開設。2006年弁理士登録。2008年政治資金監査人登録。2009年商事仲裁人登録、大阪工業大学知的財産学部准教授。
畑中 鐵丸(はたなか てつまる、1968年 - )は、日本の… 畑中 鐵丸(はたなか てつまる、1968年 - )は、日本の弁護士(東京弁護士会所属)、税理士(東京税理士会所属)、弁理士(日本弁理士会所属)、ニューヨーク州弁護士。弁護士法人畑中鐵丸法律事務所(東京都千代田区丸の内)の代表弁護士を務める。企業法務を専門とし、企業や政府機関などの顧問として活動している。
上田 育弘(うえだ いくひろ、1963年 - )は、日本の元… 上田 育弘(うえだ いくひろ、1963年 - )は、日本の元弁理士。ベストライセンス株式会社社長。 大阪大学工学部金属材料学科を卒業後、大手自動車メーカーで6年間勤務。東京大学大学院法学政治学研究科修士課程を修了する。1994年より弁理士としての活動を開始するも、2013年4月10日付で日本弁理士会から会費滞納を理由に退会処分を受けて弁理士登録が抹消され、弁理士として業務を行うことができなくなった。 同時期より自身および『ベストライセンス株式会社』の名義で、他社がすでに使っている商品名などについて、極めて多くの商標の登録出願を開始。そのほとんどは手数料を支払っていないために却下されているが、出願情報は出願公開公報やJ-PlatPatにて公表され、却下されるまでの間に既に商品名などを使用していた他社が使用や商標登録を断念する懸念があるため、特許庁がホームページにて注意喚起を行っている。
早稲田 祐美子(わせだ ゆみこ、1960年 - )は、日本の… 早稲田 祐美子(わせだ ゆみこ、1960年 - )は、日本の弁護士、弁理士。専門は知的財産権法等。現在は東京六本木法律特許事務所パートナーのほか、IHI社外監査役、中外製薬社外監査役、SCSK社外取締役(監査等委員)、ジェネシスヘルスケア倫理審査委員会委員、住宅リフォーム・紛争処理支援センター理事、文化審議会臨時委員(著作権分科会)、法制審議会委員に就任。森・濱田松本法律事務所パートナー、日本弁護士連合会副会長、最高裁判所医事関係訴訟委員会委員、日弁連法務研究財団専務理事、花王社外監査役、アサヒグループホールディングス社外監査役等を歴任。知財功労賞受賞。 東京都立青山高等学校を経て一橋大学法学部に進学。
牧野 和夫(まきの かずお、1958年 - )は、日本の弁護… 牧野 和夫(まきの かずお、1958年 - )は、日本の弁護士、弁理士。琉球大学法科大学院兼任講師、関西学院大学法学部・商学部兼任講師、同志社大学商学部兼任講師。 東京都品川区出身。1981年、早稲田大学法学部卒業。ジョージタウン大学ロースクール法学修士課程修了、米国弁護士登録(ミシガン州)。いすゞ自動車法務部課長、Apple Computer株式会社法務部長に従事。早稲田大学大学院(国際情報通信研究科)、関西学院大学大学院(MBA)、関西学院大学商学部・法学部、明治学院大学法学部、駒澤大学法学部、各講師を経て、2000年国士舘大学法学部・同法学研究科助教授、2002同教授、2004年尚美学園大学大学院総合政策研究科客員教授、2005年大宮法科大学院大学教授、2005年東京理科大学大学院研究科知的財産戦略専攻客員教授、英国ウェールズ大学経営大学院MBA(日本語)プログラム(企業リスクマネジメント)教授を兼任。
櫻井 孝(さくらい たかし、1956年 - )は、日本の特許… 櫻井 孝(さくらい たかし、1956年 - )は、日本の特許庁技官、弁理士。特許技監を最後に退官し、工業所有権協力センター副理事長、知的財産研究教育財団理事。 長野県生まれ。長野県飯田高等学校を経て、1978年新潟大学工学部卒業、特許庁入庁。1982年特許庁特許審査官。1990年外務省在インド日本国大使館一等書記官。1996年特許庁審査企画官。1997年財団法人知的財産研究所研究部長。2001年特許庁国際課長。2004年特許庁首席審査長。2006年特許庁調整課長。2007年特許庁特許審査第四部長。2011年特許技監。2013年に退任後、弁理士、工業所有権協力センター専務理事調査業務センター長、工業所有権協力センター副理事長、知的財産研究教育財団理事。
溝上 哲也(みぞがみ てつや、1956年 - )は、日本の弁… 溝上 哲也(みぞがみ てつや、1956年 - )は、日本の弁護士・弁理士。元大阪弁護士会知的財産委員会委員長および図書・情報処理委員会委員長。元日本弁護士連合会コンピュータ委員会委員長。元大阪簡易裁判所民事調停委員。元日本知的財産仲裁センター調停人・仲裁人候補者。元日本商標協会理事。弁理士・弁護士法人バリュープラス代表。 専門は、特許法・実用新案法/意匠法/商標法・知的財産法、民法、IT・電子工学。 1956年大阪市旭区生まれ。1975年大阪府立北野高校卒業。1981年京都大学法学部卒業(在学中に司法試験合格)。のちに、大阪工業大学工学部電子工学科卒業。第35期司法修習修了後、1983年網田・廣川法律事務所入所し、弁護士登録(No.18539)および弁理士登録(No.8946)。
杉村 憲司(すぎむら けんじ、1953年9月4日 - )は、… 杉村 憲司(すぎむら けんじ、1953年9月4日 - )は、日本の建築家および弁理士。杉村萬国特許法律事務所の代表弁理士。 1953年に、杉村萬国特許法律事務所の創設者杉村信近の孫として東京で生まれた[要出典]。武蔵高校を経て早稲田大学に進学し、建築学を専攻した。 1978年から1983年にかけてロンドンのノーマン・フォスター建築事務所に勤め、1983年から1986年にかけて香港で代理人を務めた。彼は香港上海銀行・香港本店ビルの建設に携わった。 その後、ロイ・フリートウッドをパートナーに、事務所設立。1988年に東京で杉村フリートウッド建築エンジニア建築事務所を主宰。 建築家として25年のキャリアを経て、杉村は弁理士になる。
小玉 秀男(こだま ひでお、1950年(昭和25年)7月22… 小玉 秀男(こだま ひでお、1950年(昭和25年)7月22日 - )は、日本の弁理士。特許業務法人 快友国際特許事務所所属。日本弁理士会会員。3Dプリンターの基幹技術となる光造形装置を発明した。「光造形法の発明」に対して1992年型技術協会賞受賞、1995年イギリスでランク賞を受賞した。 1977年名古屋大学大学院水圏科学研究所修士課程修了。名古屋大学先端技術共同研究センター客員教授、日本弁理士会常議員、日本弁理士会研修所副所長、日本弁理士会東海支部副支部長、日本弁理士会各種委員会委員を歴任。 愛知県生まれ。名古屋大学工学部応用物理学科卒業後、名古屋大学大学院理学研究科に進学。水圏科学研究所で樋口敬二に師事して南極、ヒマラヤ、アラスカなどに分布している氷河の研究に従事。
小寺 正史(こでら まさし、1950年5月17日 - )は、… 小寺 正史(こでら まさし、1950年5月17日 - )は、日本の弁護士、弁理士、法学修士。札幌弁護士会会長や、北海道弁護士会連合会理事長、日本弁護士連合会副会長、北海道大学客員教授、北海道第三者検証委員会委員長、法務省人権擁護委員等を歴任した。 1969年北海道帯広三条高等学校卒業。1975年北海道大学法学部卒業。1977年旧司法試験合格。1978年最高裁判所司法研修所司法修習生。1980年弁護士登録、橋本昭夫法律事務所入所。小寺正史法律事務所設立。1985年弁理士登録。1997年北海道大学大学院法学研究科中国法専攻修士課程修了、修士(法学)。 1997年市立札幌病院倫理委員。1999年北海道大学先端科学技術共同研究センター客員教授、法務省人権擁護委員。
木梨 貞男(きなし さだお、1950年 - )は、米国ワシン… 木梨 貞男(きなし さだお、1950年 - )は、米国ワシントンD.C.弁護士、日本弁理士、米国弁理士。
小野 新次郎(おの しんじろう、1948年? - 2022年… 小野 新次郎(おの しんじろう、1948年? - 2022年〈令和4年〉6月3日)は、日本の特許庁技官、弁理士。特許技監を最後に退官後、ユアサハラ法律特許事務所特許部代表パートナー。位階勲等は従四位瑞宝中綬章。 1970年(旧)東京都立大学工学部工業化学科卒業、特許庁入庁。1974年特許庁審査第四部審査官(高分子有機材料)。1975年科学技術庁振興局管理課情報室出向。1977年特許庁審査第四部審査官(薬品化学)。1978年からアメリカ化学会Chemical Abstractsサービスに留学。1979年特許庁審査第四部審査官(応用化学)。 1982年外務省在ジュネーブ国際機関日本政府代表部一等書記官。
山内 康伸(やまうち やすのぶ、1947年 - )は、日本の… 山内 康伸(やまうち やすのぶ、1947年 - )は、日本の弁理士・法学者。専門は知的財産法。
菅 直人(かん なおと、1946年〈昭和21年〉10月10日… 菅 直人(かん なおと、1946年〈昭和21年〉10月10日 - )は、日本の元政治家・弁理士(登録番号:07558)。勲等は桐花大綬章。 衆議院議員(14期)、厚生大臣(第79代)、副総理(鳩山由紀夫内閣)、財務大臣(第13代)、国家戦略担当大臣、内閣府特命担当大臣(科学技術政策、経済財政政策)、内閣総理大臣(第94代)、旧民主党代表、民主党代表(初代・3代・8代)、民主党政策調査会長、民主党幹事長、民主党代表代行、旧立憲民主党最高顧問、立憲民主党最高顧問を歴任した。中選挙区制時代の選挙区は、旧東京7区。小選挙区比例代表並立制導入後は東京18区及び比例東京ブロック。 1946年10月10日、岡山県出身の父・菅寿雄の勤務先である山口県宇部市に長男として生まれる。
植村 昭三(うえむら しょうぞう、1946年7月29日 - … 植村 昭三(うえむら しょうぞう、1946年7月29日 - )は、日本の経産官僚、弁理士。世界知的所有権機関(WIPO)事務局次長、特許庁審査第四部長、東京大学先端科学技術研究センター客員教授を歴任。 1998年8月から、WIPOにおける初めての日本人事務局次長として、著作権をはじめとする知的財産権の規範作成や、エンフォースメントを担当した。
塚原 朋一(つかはら ともかつ、1945年8月21日 - )… 塚原 朋一(つかはら ともかつ、1945年8月21日 - )は日本の裁判官、弁護士、弁理士。最高裁判所調査官、知的財産高等裁判所所長、早稲田大学大学院教授及びTMI総合法律事務所顧問を経て、創英国際特許法律事務所共同代表パートナー会長。瑞宝重光章受章。 栃木県立栃木高等学校を経て、一橋大学経済学部に入学。大学では塩野谷祐一教授のゼミに参加。しかし、経済学は社会公共の利益を考える学問で、社会で戦う武器にはならないと考え大学3年時に何か資格を取ろうと思い立つ。始めた公認会計士試験の勉強で、民法や商法に触れ、その後聴講した法学部の植松正教授の刑法の講義で法学に興味を持ち旧司法試験の勉強を開始。約1年後に旧司法試験に上位の席次で合格。
工藤 莞司(くどう かんじ、1944年11月9日 - )は、… 工藤 莞司(くどう かんじ、1944年11月9日 - )は、日本の弁理士。知的財産法学者。専門は商標法。首都大学東京元教授。山形県生まれ。 1964年、特許庁入庁。1969年、中央大学法学部2部卒業。1973年、特許庁商標審査官。1987年、商標審判官。1997年、商標課長。1999年、商標部門代表審判長。2000年特許庁退官。創英国際特許法律事務所入所。東京工業大学工学部非常勤講師を経て、2004年4月東京都立大学 (1949-2011)法科大学院教授に就任。2008年3月、首都大学東京停年退官。姫路獨協大学法科大学院客員講師。2011年、退職。現在、首都大学東京法科大学院及び中央大学大学院法学研究科の非常勤講師。
小島 庸和(こじま つねかず 1944年 - )は、日本の法… 小島 庸和(こじま つねかず 1944年 - )は、日本の法学者(知的財産権)・弁理士。高千穂大学商学部教授。元神奈川大学非常勤講師 中央大学法学部卒業。1971年、弁理士登録。2002年、日本弁理士会永続勤務表彰。
石井 正(いしい ただし、1943年11月15日 - )は、… 石井 正(いしい ただし、1943年11月15日 - )は、日本の知的財産学者、弁理士。元特許庁特許技監。大阪工業大学名誉教授、知的財産学部初代学部長・知的財産専門職大学院初代研究科長。知的財産教育研究・専門職大学院協議会(現:知的財産大学院協議会)初代会長。深見特許事務所元副会長。IPI-Award(International Patent Information -Award)2010受賞者(アジアにおける知的財産関係者では初)。大学における知的財産教育・研究推進の第一人者。 東京都出身。2003年大阪工業大学に日本で初めて設置された知的財産学部の初代学部長として、大学における知的財産専門教育の確立に貢献した。
升永 英俊(ますなが ひでとし、1942年(昭和17年)7月… 升永 英俊(ますなが ひでとし、1942年(昭和17年)7月12日 - )は、日本の弁護士(第一東京弁護士会)・弁理士。米国のコロンビア特別区及びニューヨーク州弁護士。TMI総合法律事務所シニアパートナー。元東京永和法律事務所代表兼東京永和特許事務所顧問。
渡辺 望稔(わたなべ もちとし、1941年 - 2018年1… 渡辺 望稔(わたなべ もちとし、1941年 - 2018年11月5日)は、日本の弁理士、いおん特許事務所の創業者である。日本弁理士会副会長や、日本弁理士政治連盟会長を歴任し、日本の知的財産制度の発展と弁理士の地位向上に尽力した[独自研究?]。 1970年3月、東京大学工学部化学工学科を卒業した。同年4月、杉村萬國特許事務所(現在の杉村萬國特許法律事務所)に入所した。 1975年12月に弁理士として登録された(登録番号 第8015号)。1978年4月に渡辺特許事務所を開設し、翌1979年1月には事務所名称を「いおん特許事務所」へと変更した。 実務家として活動する傍ら、業界団体の要職を歴任した。1997年には日本弁理士会副会長に就任し、1999年からは日本弁理士政治連盟の会長として、弁理士法の抜本的改正や知的財産基本法の制定に向けた政治的働きかけにおいて中心的な役割を果たした[独自研究?]。
則近 憲佑(のりちか けんすけ、1940年 - )は、日本の… 則近 憲佑(のりちか けんすけ、1940年 - )は、日本の知的財産学者・特許権法学者、弁理士。大阪工業大学知的財産学部・知的財産専門職大学院元教授。元日本知的財産協会理事長。元ソフトウェア情報センター専務理事。元太平洋工業所有権協会日本部会長。ジョージ・ワシントン大学元客員教授。 専門は、特許法・実用新案法・工業所有権(特にソフトウェア保護)、知的財産法・知的財産管理(IPマネジメント)・特許情報・法情報管理(パテントマップ含む)、MOT・技術マネジメント。 1963年九州大学法学部卒業。東京芝浦電気(現:東芝)入社。1969年弁理士試験合格、弁理士登録。1979年東芝ワシントン特許事務所初代所長。
綿貫 隆夫(わたぬき たかお、1938年(昭和13年)10月… 綿貫 隆夫(わたぬき たかお、1938年(昭和13年)10月2日 - 2020年(令和2年)12月25日)は、日本の政治家、弁理士。長野県中野市長。 長野県下高井郡中野町(現中野市)生まれ。長野県長野高等学校を経て、信州大学工学部卒業。高校卒業時から家業の醤油醸造業を承継し、学生生活と社長を兼ねた。 1973年に弁理士試験合格。科学技術翻訳士資格取得。その後、長野市に綿貫国際特許・商標事務所を開業し、クリエイ知的所有権研究所長も務める。 1996年、中野市長選挙に初当選した。2004年に退任し、2006年からは長野県教育委員長を務めた。 2009年、旭日双光章受章。2020年、紺綬褒章飾版受章。
松尾 和子(まつお かずこ、1929年10月31日 - 20… 松尾 和子(まつお かずこ、1929年10月31日 - 2024年4月10日)は、日本の弁護士、弁理士。中村合同特許法律事務所に所属した。 知的財産法に関する実務の第一人者として知られ、日本商標協会の設立、2005年の知的財産弁護士ネットワーク創設に携わる。内閣府知的財産戦略会議メンバー、経済産業省産業構造審議会知的財産政策部会委員など公職も務めた。 森永製菓副社長・取締役、秋田県醗酵工業社長を務めた白川順一の四女。夫は松尾浩也東京大学名誉教授。 2024年4月10日、死去。満94歳没。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
中村 稔(なかむら みのる、1927年1月17日 - )は、… 中村 稔(なかむら みのる、1927年1月17日 - )は、日本の弁護士・弁理士・詩人・評論家。中村合同特許法律事務所パートナー、日本商標協会顧問、公益財団法人日本近代文学館名誉館長、第二東京弁護士会所属、日本芸術院会員、文化功労者。 中松特許法律事務所弁護士、中村・山本・武田合同特許法律事務所代表パートナー、中村合同特許法律事務所代表パートナー、日本商標協会会長(初代)、財団法人日本近代文学館理事長(第6代)、社団法人日本商事仲裁協会常任理事、日本芸術院第二部部長などを歴任した。 千葉県木更津市生まれ。父・光三は、尾崎秀実、リヒャルト・ゾルゲの予審担当の主任判事。東京府立第五中学校から第一高等学校を経て、1950年、東京大学法学部法律学科卒業。
木川統一郎(きがわ とういちろう、1924年-2020年10… 木川統一郎(きがわ とういちろう、1924年-2020年10月22日)は、日本の法学者・弁護士・弁理士。専門は民事手続法、特に民事訴訟法・民事執行法・民事保全法。学位は、法学博士(早稲田大学・論文博士・1974年)。元中央大学教授。千葉県香取郡多古町出身。 中央大学法学部助手。1953年中央大学法学部助教授。1962年中央大学法学部教授。1968年中央大学理事。1970年旧司法試験第二次試験考査委員。1971年中央大学依願退任。中央大学法学部非常勤講師(~1994年)。1973年弁護士・弁理士登録。1975年早稲田大学大学院法学研究科客員講師・同法学部客員講師(~1994年)。最高裁判所規則制定諮問委員(1975~1994年)。
井深 大(いぶか まさる、1908年(明治41年)4月11日… 井深 大(いぶか まさる、1908年(明治41年)4月11日 - 1997年(平成9年)12月19日)は、日本の電子技術者、実業家、教育者、弁理士。位階は正三位。 栃木県上都賀郡日光町(現在の日光市)出身。盛田昭夫とともにソニーの創業者の一人。 祖先は会津藩の家老であり、親戚には飯盛山で自刃した白虎隊の井深茂太郎や明治学院総理を歴任した井深梶之助、ハンセン病に一生を捧げカトリック看護師協会の会長を歴任した井深八重がいる。日露間で樺太・千島交換条約が締結された後、祖父基が公務員として千島列島を巡回し、明治11年に占守島を訪れているが、その際に現地で撮影された集合写真に収まっていた吏員の一人が祖父基であることを後に井深大自身が確認している。
西枝 一江(にしえだ いちえ、1901年〈明治34年〉12月… 西枝 一江(にしえだ いちえ、1901年〈明治34年〉12月20日 - 1973年〈昭和48年〉3月15日)は、日本の弁理士、実業家。宮木電機製作所第2代社長、元京セラ取締役。 新潟県西蒲原郡味方村大字西白根(現 新潟市南区西白根)の浄土真宗大谷派・願信寺の西枝正観の四男として出生。 1920年(大正9年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1923年(大正12年)3月に新潟高等学校を卒業、1927年(昭和2年)3月に京都帝国大学工学部電気工学科を卒業。 1927年(昭和2年)に京都府京都市下京区福稲岸ノ上町(現 京都市東山区)の碍子製造会社・松風工業に入社したが、社長と何度も衝突し、昭和恐慌の影響で人員整理の対象となり、1930年(昭和5年)に退社。
李 鎮洙(イ・ジンス、朝鮮語: 이진수/李鎭洙、1900年8… 李 鎮洙(イ・ジンス、朝鮮語: 이진수/李鎭洙、1900年8月7日 - 1968年12月9日または12月10日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の計理士、弁理士、教育者、政治家、実業家。朝鮮弁理士会(現・大韓弁理士会)会長、制憲・第2代韓国国会議員。本貫は徳山李氏(朝鮮語版)。 咸鏡南道利原郡出身。北青公立普通学校、京城オソン中学校、日本大学専門部工科専修科、同大商科経済学科卒。京都帝国大学(現・京都大学)経済学・社会学修了。世和堂製薬株式会社代表取締役、世和産業・世和商事・世和土建株式会社代表取締役、朝鮮弁理士会(現・大韓弁理士会)会長、韓国民族代表者大会代議員、総選挙対策委員会委員、財団法人世和学院理事長、ソウル薬学大学理事長、朝鮮雄弁会副会長、国会文教厚生・産業労働分科委員、独立政治経済問題研究所代表者、李儁先生記念事業協会理事、大韓労農党党員、大韓国民党党員、大韓労総委員長、自由党幹部、東洋水産株式会社代表、咸南人会総務部長を務めた。
細川 政之助(ほそかわ まさのすけ、1898年(明治31年)… 細川 政之助(ほそかわ まさのすけ、1898年(明治31年)10月15日 - 1990年(平成2年)4月18日)は、日本の商工官僚、実業家、弁理士。細川特許事務所長。 富山県人・細川次郎左衛門の二男。1924年、東京帝国大学法学部政治科を卒業。商工省に入る。特許局事務官、鉱山監督局書記官等を経て、大阪鉱山監督局長、技術院審判部長等を歴任。 退官後日本金属常務専務を経て1947年、日本歯科機材社長に就任。趣味はゴルフ、旅行。宗教は仏教。東京在籍で、住所は東京大田区田園調布、同区北千束。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
小原 栄次(おはら えいじ、1897年〈明治30年〉9月13… 小原 栄次(おはら えいじ、1897年〈明治30年〉9月13日 - 1957年〈昭和32年〉1月20日)は、日本の弁護士、弁理士。 人権擁護委員東京連合会副会長、日本弁護士連合会人権擁護第一部長、東京地方裁判所調停委員、東京弁護士会常議員を歴任した。鹿児島県出身。族籍は鹿児島県士族。次女は声優、女優、ナレーター、朗読家の小原乃梨子。 鹿児島県士族・小原萬次郎の息子として同県日置郡上伊集院村上谷口に生まれる。母は奥休太郎の長女・イネ。1937年(昭和12年)に家督を相続した。1914年(大正3年)博約義塾(現・樟南高等学校)を卒業後、上京し、1917年(大正6年)、中央大学法科を卒業。卒業後、農商務省に奉職。
中松 澗之助(なかまつ かんのすけ、1895年(明治28年)… 中松 澗之助(なかまつ かんのすけ、1895年(明治28年)11月1日 - 1973年(昭和48年)3月20日)は、日本の弁護士、弁理士。日本弁護士連合会会長、日本弁理士会会長、国際工業所有権保護協会日本部会(現日本国際知的財産保護協会)会長。 1895年(明治28年)11月出生。中松盛雄の長男。1921年(大正10年)3月、京都帝国大学法学部英法科を卒業し東京帝国大学大学院に入り産業法を専攻。弁護士・弁理士資格を取得し、1946年(昭和21年)には、父・盛雄が開設した中松特許法律事務所の代表となる。 1963年(昭和38年)に、国際工業所有権保護協会日本部会の第2代会長に就任。日本国際知的財産保護協会では、その功績を記念して1996年(平成8年)にAIPPI中松記念スカラーシップ(中松澗之助スカラーシップ)を設けている。
新納 克己(にいろ かつみ、1895年〈明治28年〉7月4日… 新納 克己(にいろ かつみ、1895年〈明治28年〉7月4日 - 1971年〈昭和46年〉3月14日)は、昭和時代の日本の外交官、弁理士。第二次世界大戦中に、マニラ総領事や外務省通商局長を務めた。新納 克巳とも。 鹿児島県鹿児島市出身。谷村敏成の三男に生まれ、新納家の養子になる。旧制京都一中(現京都府立洛北高等学校)を経て、1916年(大正5年)第三高等学校二甲卒業。1919年(大正8年)に東京帝国大学工学部土木工学科卒業。1921年(大正10年)4月、鉄道省雇となり、同年11月、高等試験行政科試験に合格。同年12月、外務省嘱託となり臨時平和条約事務局に勤務。1922年(大正11年)東京帝国大学法学部政治学科卒業、外務事務官に任官。
由比 忠之進(ゆい(正しくは、ゆび[要出典]) ちゅうのしん… 由比 忠之進(ゆい(正しくは、ゆび[要出典]) ちゅうのしん、1894年(明治27年)10月11日 - 1967年(昭和42年)11月12日)は、日本の弁理士、日本エスペラント学会会員のエスペランティスト、反戦運動家。福岡県志摩郡前原村(現・糸島市)生まれ。 1919年(大正8年)、当時蔵前にあった東京高等工業学校(現・東京工業大学)を卒業。 労働運動に共感し学歴を隠して沖電気の職工として就職するが、入営に前後して学歴が判明したため失業、1920年(大正9年)小学校教諭と結婚し、特許事務所で外国の特許の翻訳に従事した。1921年(大正10年)頃からエスペラント語を学び始める。 1924年(大正13年)に東京職業補導所に入り木工技術を習得し、同級生の資金援助で家具屋を開業したが、身体の不調から家具屋をやめ、その後名古屋放送局に勤務した。
久能木 慎治(久能木 愼治、くのき しんじ、1892年〈明治… 久能木 慎治(久能木 愼治、くのき しんじ、1892年〈明治25年〉9月16日 - 没年不明)は、日本の弁護士、弁理士、久能木法律事務所主、会社役員。関東興業監査役。 東京府人・久能木宇兵衛の二男。久能木宇兵衛の弟。鈴木信太郎、團伊能、山田珠樹らと共に構想し、1917年、『攻魂珠』が創刊される。東京高師附属中学、第一高等学校を経て、1918年、東京帝国大学法科大学仏法科卒業。事務所を設立し、開業する。一般の法律事務に従事する。 趣味は乗馬、釣り。宗教は浄土宗。住所は東京日本橋室町2丁目。
安達 幸雄(あだち ゆきお、1889年〈明治22年〉10月2… 安達 幸雄(あだち ゆきお、1889年〈明治22年〉10月29日 - 没年不明)は、日本の弁護士、弁理士。安達兄弟法律事務所長。東京相互利殖監査役。人事興信所法律顧問。 鳥取県東伯郡三朝村(現・三朝町)出身。安達幸男の長男。生家は豊かではなかったので父母に学資を仰ぐことを避け、16歳の頃、旅費10円を懐にして、単身上京する。以来職をもとめて学資を得、研学につとめ1908年に順天中学校の編入試験を受けてその4学年に入学し、同校を卒業後添田増男の法律事務所に仕えて苦学研鑚する。 1916年に日本大学法律科を卒業し、同年に判検事登用試験・弁護士試験に合格する。東京市牛込区下宮比町に独立して弁護士事務所を開業する。
宮崎 武吉(みやざき ぶきち、1888年〈明治21年〉4月2… 宮崎 武吉(みやざき ぶきち、1888年〈明治21年〉4月29日 - 没年不明)は、日本の弁護士(大阪弁護士会所属)、税理士、弁理士、歌人。旧姓・井上。お笑いタレント椿鬼奴の祖父。 大阪府大阪市西区出身。3代目、井上嘉助の息子。宮崎良平の養子となる。 1897年、9歳の時に父が亡くなると親戚のいる京都の乾物店に丁稚奉公に出される。丁稚奉公をしながら高等小学校を卒業する。夜学の学習塾にも通う。31歳にして京都帝国大学に入学する。 1922年、京都帝国大学経済学部を卒業。高等試験行政科に合格し、直ちに京都府庁に入り、内務部社会課兼庶務課に勤務する。 山口県庁電気局庶務課長となり、1930年3月に職を辞し、同年5月に弁理士登録、同年9月に計理士登録。
松永 東(まつなが とう、1887年〈明治20年〉10月15… 松永 東(まつなが とう、1887年〈明治20年〉10月15日 - 1968年〈昭和43年〉1月22日)は、日本の実業家、弁護士、弁理士、政治家。位階は正三位。 第45代衆議院議長。第76代文部大臣。さいたま市名誉市民。 長崎県南高来郡北串山村(のち小浜町、現雲仙市)の農家に生まれる。松永道広の長男。鎮西学院を卒業。1905年、上京した。弁護士事務所の書生をしたり、新聞配達をした。 早稲田実業学校出身。早稲田大学商科に学び中退した(1934年に推薦校友)。また日本大学に学び、法律の勉強をした。1911年、家督を相続した。弁護士試験に合格後弁護士、弁理士を開業した。傍ら武州鉄工所社長、武州瓦斯取締役を兼ねた。
長井 亜歴山(ながい あれきさん、1887年〈明治20年〉1… 長井 亜歴山(ながい あれきさん、1887年〈明治20年〉1月19日 - 1966年〈昭和41年〉6月12日)は、日本の外交官、弁護士、弁理士。東京帝国大学法学部卒業。 父はエフェドリンの発見者で日本薬学の父として知られる長井長義。祖父は徳島藩医の長井琳章。 1887年(明治20年)、近代薬学の開祖である長井長義とドイツ人女性のテレーゼ・シューマッハの長男として生まれる。第一高等学校仏法科を経て、東京帝国大学法学部を卒業後、逓信省勤務、久原本店勤務を経て、外交官となり、6ヶ国語に精通した。また勝海舟の孫で、目賀田種太郎の次女・多計代(たけよ)と結婚した。 駐ドイツ日本国大使館付商務官となり、第二次世界大戦のベルリン陥落後はアメリカ軍によりワシントンD.C.に連行された。
杉村信近(すぎむら のぶちか、1882年(明治15年) - … 杉村信近(すぎむら のぶちか、1882年(明治15年) - 1973年(昭和48年)4月15日)は、日本の技術者、発明家、弁理士。日本弁理士会の初代理事長(現在の会長職相当)。 東京帝国大学を卒業後、芝浦製作所に技術者として入社。在職中に12件の日本国特許出願を行い、米国でも特許を取得した。 1920年(大正8年)に弁理士資格を取得し、日本初の企業内弁理士として芝浦製作所特許部に勤務する。 1923年(大正11年)に、芝浦製作所を退職し、杉村萬国特許事務所を創立する。 原子力エネルギー発生装置事件の出願及び審決取消訴訟の代理人を務める。 1961年(昭和36年)に藍綬褒章を受章する。墓所は多磨霊園(13-1-22)
有馬 忠三郎(ありま ちゅうさぶろう、1879年(明治12年… 有馬 忠三郎(ありま ちゅうさぶろう、1879年(明治12年)3月4日 - 1958年(昭和33年)6月2日)は、日本の弁護士、弁理士。法学博士。貴族院勅選議員。帝国弁護士会理事。 香川県大内郡丹生村(現:東かがわ市)出身。有馬米次郎の六男。1904年(明治37年)京都帝国大学法科大学独法科を卒業。1912年、分家して一家を創立する。 弁護士・弁理士事務所を開業し、後には第一東京弁護士会会長を務めた。1917年(大正6年)からは東京帝国大学農学部講師を務めた。1922年(大正11年)論文『不正競業論』で法学博士の学位を授与された。その他、高砂生命保険(のち三井生命保険)、復興建築助成各監査役や日本石油顧問などを務めた。
岩崎 勲(いわさき いさお、1878年(明治11年)2月25… 岩崎 勲(いわさき いさお、1878年(明治11年)2月25日 – 1927年(昭和2年)1月18日)は、日本の弁護士、弁理士、政治家。衆議院議員(静岡県第五区選出、当選4回)。族籍は静岡県士族。 静岡県駿東郡八幡村(清水村八幡を経て現清水町)の人である。三嶋大社の禰宜岩崎元功の長男。家は代々八幡神社の社掌だったが、父の代に至って三嶋神社の禰宜を兼ねた。 静岡県尋常中学校、第一高等学校を経て東京帝国大学に入る。在学中には各大学の同志とともに青年革進協会を組織してその幹部となり、雑誌『革進』の編集主任を務めた。 1903年(明治36年)、東京帝国大学法科大学法律学科(仏法)を卒業、同年文官高等試験に合格したが、官界には入らず弁護士・特許弁理士となった。
永屋 茂(ながや しげる、1877年(明治10年)1月20日… 永屋 茂(ながや しげる、1877年(明治10年)1月20日 - 1923年(大正12年)11月8日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、弁護士、弁理士。 広島県甲奴郡階見村(現在の神石郡神石高原町)に永屋要平の二男として生まれる。広島県師範学校を卒業後、日本大学で法学を学び、1910年(明治43年)に卒業した。卒業後は東京で弁護士となり、花井卓蔵弁護士の補助を務めたこともある。 1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬して当選を果たした。 その他、日本人造絹糸株式会社監査役を務めた。
岡 八(おか わかつ、1876年(明治9年)8月4日 - 1… 岡 八(おか わかつ、1876年(明治9年)8月4日 - 1970年(昭和45年)12月2日)は、日本の政治家、弁護士、弁理士。衆議院議員(1期)。 三重県安濃郡神戸村(現津市)に奥田八郎の長男として生まれ、岡義之助の養子となった。1903年(明治36年)、京都帝国大学法科大学独法科を卒業し、司法官試補となった。1905年(明治38年)、大阪地方裁判所判事となるも、翌年に退官して弁護士を開業した。 1912年(明治45年)、第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たしたが、野中事件で1913年(大正2年)5月9日、議員辞職、失脚。これにより同年8月4日、自らの請求で所属の大阪地方裁判所の弁護士名簿登録取消、同年9月23日に従七位返上を命じられる。
山田 福三郎(やまだ ふくさぶろう、1868年11月30日(… 山田 福三郎(やまだ ふくさぶろう、1868年11月30日(明治元年10月17日) - 1914年(大正3年)5月18日)は、日本の弁護士、特許弁理士、政治家。 埼玉県北埼玉郡小曽根村(現・熊谷市小曽根)出身。山田充八の息子。熊谷中学校に学ぶ。1885年に上京し、東京電信学校の官費生として入学する。卒業後逓信技手となり函館郵便電信局に在勤し、傍ら英米人に就き英学を修め兼ねて哲学法律学を独修する。 1894年、明治法律学校(現・明治大学)卒業。判検事試験に及第し、司法官試補に任ぜられる。横浜地方裁判所の判事を経て、渡米してコロンビア大学に学び、帰国後横浜で弁護士を開業する。大日本共同運輸監査役、横浜市会議員、横浜英語学校校長、横浜商業会議所特別議員などをつとめる。
中松 盛雄(なかまつ もりお、1865年11月20日〈慶応元… 中松 盛雄(なかまつ もりお、1865年11月20日〈慶応元年10月3日〉 - 1952年〈昭和27年〉7月21日)は、日本の官僚、弁護士、弁理士。第9代特許局長。日本基督教会理事長。化学工業協会会長。族籍は和歌山県士族。 中松克正の二男。1891年(明治24年)帝国大学法科大学英法科(現東京大学法学部)を卒業。農商務省に入る。1907年(明治40年)12月25日から1913年(大正2年)6月13日まで第9代特許局長を務めた。退官後、1914年(大正3年)に弁護士・弁理士登録し、同年7月1日に現在の中村合同特許法律事務所の前身にあたる中松特許法律事務所を開設した。日本共立火災保険取締役を兼ねる。