スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
安部 大晴 (あべ たいせい、2004年6月7日 - ) は… 安部 大晴 (あべ たいせい、2004年6月7日 - ) は、長崎県長崎市出身のサッカー選手。スイス・スーパーリーグ・FCルツェルン所属。ポジションはミッドフィルダー。 V・ファーレン長崎のアカデミー出身。U-18チームに所属していた2020年8月、2種登録選手としてトップチームに登録された。2021年も引き続き2種登録選手としてトップチームに帯同。2021年5月29日、J2第16節のレノファ山口FC戦でJリーグデビューを果たした。 2022年1月6日、プロ契約締結が発表された。これにより長崎県内初の「現役高校生Jリーガー」となった。 2023年、開幕スタメンに選ばれるなど自身最多の17試合に出場。
五月田 星矢(さつきだ せいや、2002年4月18日 - )… 五月田 星矢(さつきだ せいや、2002年4月18日 - )は長崎県出身のサッカー選手。Jリーグ・テゲバジャーロ宮崎所属。ポジションはMF。 V・ファーレン長崎のアカデミー出身。U-18チームに所属していた2019年・2020年は2種登録選手としてトップチームに登録された 2020年9月17日、2021年シーズンからのトップチーム昇格内定が発表された。 2021年6月9日、天皇杯1回戦の沖縄SV戦で途中出場し、プロデビューを果たした。 2023年8月15日、レイラック滋賀FCへ期限付き移籍。 2024年、V・ファーレン長崎に復帰。 2024年8月28日、テゲバジャーロ宮崎に育成型期限付き移籍。12月6日、期限付き移籍満了と25シーズンより宮崎へ完全移籍する事が発表された。
江川 湧清(えがわ ゆうせい、2000年10月24日 - )… 江川 湧清(えがわ ゆうせい、2000年10月24日 - )は、長崎県南島原市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・V・ファーレン長崎所属。ポジションはディフェンダー(DF)。 中学校時代は、平日はJFAアカデミー熊本宇城、土日はFCKマリーゴールド熊本でプレー。高校進学後はV・ファーレン長崎U-18へ加入し、チームのキャプテンを務めた。また、高校2年次の2017年3月からトップチームに2種登録され、翌2018年も引き続き登録されたが、同年3月に登録が抹消された。 2019年より、トップチームへ昇格。初年度は5月に右膝前十字靭帯断裂の重傷を負った影響で公式戦の出場はなかった。2020年9月23日、J2第21節のFC町田ゼルビア戦で85分から途中出場しプロデビューを果たした。
永尾 敏明(ながお としあき、2000年3月13日 - )は… 永尾 敏明(ながお としあき、2000年3月13日 - )は、日本の男子バレーボール選手である。 長崎県長崎市出身。担任の先生に勧められ小学6年生からバレーボールを始める。 鎮西学院高等学校、東亜大学を経て、2021-22シーズン、V.LEAGUE DIVISION1 MEN(V1男子)に所属する大分三好ヴァイセアドラーの内定選手となった。内定選手としてV1の試合に出場しVリーグデビューも果たした。 2022年、大学卒業後に、大分三好ヴァイセアドラーに入団した。 2024年5月にチームが休部となったことを受け、自由交渉選手として公示された。 この項目は、バレーボール関係者に関連した書きかけの項目です。
梅本 鈴太郎(うめもと りんたろう、1998年4月9日 - … 梅本 鈴太郎(うめもと りんたろう、1998年4月9日 - )は、日本の男子バレーボール選手である。 長崎県雲仙市出身。友人の勧めで小学2年生よりバレーボールを始める。 中学生時に全日本中学生選抜に選出され、同年12月にはJOCにてオリンピック有望選手賞を受賞する。 鎮西学院高等学校を経て、2017年、中央大学に進学。2019年、ユニバーシアード競技大会競技大会に日本代表として出場。アジアU-23選手権にもU-23日本代表として出場した。2020-21シーズン、V.LEAGUE DIVISION1 MEN(V1男子)に所属する堺ブレイザーズ(現・日本製鉄堺ブレイザーズ)の内定選手となった。内定選手としてリーグ戦に出場しV1デビューを果たした。
今富 稜介(いまどみ りょうすけ、1993年10月22日 -… 今富 稜介(いまどみ りょうすけ、1993年10月22日 - )は、日本の元男子バレーボール選手である。 鎮西学院高等学校、福岡大学でプレーし、堺ブレイザーズのトライアウトを経て、2015年10月26日付で同チームの内定選手となった。2016年正式入団。 2017-18シーズン、ディグ担当リベロ(堺側がサーブのラリーでコートに入る)で多くの出場機会を得る(サーブレシーブ担当は、当シーズン限りで現役引退となった井上裕介)。しかし、2018-19シーズンになると、移籍入団した山本智大(2021年に東京オリンピック出場)がリベロのレギュラーとなり、出場機会が減少した。 2020年、2019-20シーズン終了をもって現役引退。
井上 大仁(いのうえ ひろと、1993年1月6日 - )は、… 井上 大仁(いのうえ ひろと、1993年1月6日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は長距離走・マラソン。長崎県諫早市出身。諫早市立飯盛中学校、鎮西学院高等学校、山梨学院大学各卒業。現在三菱重工マラソン部所属。2018年ジャカルタアジア競技大会金メダリスト、2017年世界陸上ロンドン大会日本代表(共に男子マラソン種目)。山梨学院大学時代から力をつけ、卒業後の2018年アジア大会(ジャカルタ)でエルアバシとデットヒートを繰り広げラスト100mでスパート合戦となり見事差し切り優勝した。
土田 瑞起(つちだ みずき、1990年1月1日 - )は、長… 土田 瑞起(つちだ みずき、1990年1月1日 - )は、長崎県南高来郡千々石町(現:雲仙市)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 鎮西学院高校3年時に、春の県大会で準優勝。夏は、右肘痛の影響もありベスト8で敗退。打撃では、高校通算31本塁打を記録している。 高校卒業後は、地元球団である四国・九州アイランドリーグの長崎セインツに入団。トライアウトに行く際、一人ではいやだったので一緒に来たのが、水口大地だったという。 長崎時代には、2年目の2009年に、リーグ戦33試合に登板。5勝4敗7セーブ、リーグ3位の防御率2.16を記録するとともに、球団の前期優勝に貢献した。しかし、2010年シーズン終了後に球団が解散したため、リーグ内の救済ドラフトで愛媛マンダリンパイレーツへ移籍した。
濱岡 和久(はまおか かずひさ、1981年2月28日 - )… 濱岡 和久(はまおか かずひさ、1981年2月28日 - )は、長崎県出身の元サッカー選手。ポジションは、ミッドフィールダー。 1999年、大分トリニータに入団。出場機会は少なく、2000年に退団。 2001年に入団した愛媛FCでは主力選手として活躍。2005年のJ2昇格に貢献した。しかし、2006年シーズン終了後に愛媛を退団。その後は佐川印刷SC、バンディオンセ加古川とチームを転々としたが、2009年は無所属となってしまう。 その後、2010年に栃木ウーヴァFCのセレクションに合格、入団となった。2013年をもって栃木ウーヴァを退団。 2014年より奈良クラブに移籍。同年6月、奈良クラブを退団。
森 秀昭(もり ひであき、1972年10月16日 - )は、… 森 秀昭(もり ひであき、1972年10月16日 - )は、長崎県諫早市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 現FCバイエルン・ツネイシU-13コーチ。 1991年にマツダSCに入団。同期は森山佳郎、柳本啓成、笛真人、路木健、松山大輔、小倉一浩。しかし、トップチームであるマツダSCでの出場機会はなく、サテライトチームであるマツダSC東洋での出場のみだった。サンフレッチェ広島設立とともにプロ契約。1995年にビム・ヤンセン監督によってレギュラーに抜擢されるも、翌1996年は怪我もあり出場は無かった。 同年途中にアビスパ福岡へ移籍すると、レギュラーとして活躍。1998年にはJ1参入決定戦にも出場し、得点した。
菊川 昭二郎(きくかわ しょうじろう、1945年2月7日 -… 菊川 昭二郎(きくかわ しょうじろう、1945年2月7日 - )は、長崎県出身で、近鉄バファローズ・西鉄(太平洋クラブ)ライオンズ・ロッテオリオンズに在籍した元プロ野球選手。右投右打で、現役時代のポジションは主に遊撃手。
稲尾 義文(いなお よしふみ、1937年4月8日 - )は、… 稲尾 義文(いなお よしふみ、1937年4月8日 - )は、長崎県出身の元プロ野球選手(内野手)。 鎮西学院高から社会人野球の日炭高松を経て、1961年に広島カープへ入団。 1964年限りで、現役を引退。
牧平 年廣(まきひら としひろ、1933年(昭和8年)9月1… 牧平 年廣(まきひら としひろ、1933年(昭和8年)9月10日 - )は、日本の実業家。きょくとう代表取締役会長。
川上 宗薫(かわかみ そうくん、1924年4月23日 - 1… 川上 宗薫(かわかみ そうくん、1924年4月23日 - 1985年10月13日)は、日本の小説家。本名はむねしげと読み、筆名もむねしげと読ませていた時期がある。愛媛県生まれ。 日本基督教団メソジスト派の牧師、川上平三の子として愛媛県東宇和郡宇和町卯之町(現在の西予市)に生まれる。大分県と長崎県で小学校時代を送り、1937年、鎮西学院中等部(現・鎮西学院高等学校)に首席入学。第七高等学校や長崎高等商業学校の入試に失敗し、1943年、西南学院高等学部商科に入学。1944年秋、長崎県大村の陸軍連隊に入隊。しかし肋膜炎を意図的に悪化させ、敗戦までの約1年間を入院患者として過ごす。 1945年8月9日、母と2人の妹を長崎原爆で喪う。
山川 武範(やまかわ たけのり、1922年8月25日 - 1… 山川 武範(やまかわ たけのり、1922年8月25日 - 1981年11月9日)は、長崎県出身のプロ野球選手(内野手)。1951年途中までは山川 喜作 。 石本秀一の秘蔵っ子で、金鯱・大洋軍などでプレー後、1942年に応召される。 戦後の1946年に東京巨人軍に入団しプロ野球に復帰する。堅実な守備とシュアな打撃を買われて二番・三塁手のレギュラーを掴み、チームトップの70得点を記録した。同年8月21日の対中部日本戦では、1,3,4,5,6回と5打席連続四球(1試合最多四球の一リーグ記録)を選ぶと、6回の打者一巡後の打席で二ゴロ失策で出塁し、9回には二塁打を打って、1試合7打席7出塁の珍しい記録を作り、5得点を記録している。
泉田 喜義(いずみだ きよし、1920年(大正9年)6月10… 泉田 喜義(いずみだ きよし、1920年(大正9年)6月10日 - 没年不明)は、長崎県出身のプロ野球選手。 鎮西学院中学校から1940年に東京巨人軍へ入団。「チョコ投げの泉田」と呼ばれ、落ち着きのない投球フォームに定評があった。1942年に応召される。戦後は川南造船に在籍した。2003年に出版された澤宮優の『巨人軍史上最強の捕手』において、取材協力者の1人として名を連ねている。
岡西 明貞(おかにし あきさだ、1913年(大正2年)9月1… 岡西 明貞(おかにし あきさだ、1913年(大正2年)9月19日 - 2003年(平成15年)7月16日)は、昭和期のジャーナリスト、政治家。衆議院議員(2期)。 長崎県西彼杵郡、現在の時津町出身。1939年(昭和14年)明治大学商学部を卒業した。 福岡日日新聞記者となる。長崎県物価統制協力会議事務局長、長崎県価格査定委員会事務局長、長崎民友新聞社取締役などを務めた。 1948年(昭和23年)11月に実施された、今村等の公職追放、本田英作の死去に伴う第23回総選挙の長崎県第1区補欠選挙に民主自由党公認で出馬して初当選。1949年(昭和24年)1月の第24回総選挙で再選され、衆議院議員に連続2期在任した。
鵜崎 多一(うざき たいち、1905年(明治38年)3月4日… 鵜崎 多一(うざき たいち、1905年(明治38年)3月4日 - 1971年(昭和46年)9月11日)は日本の政治家。福岡県知事(公選)を2期8年務めた。 1905年(明治38年)、学校法人鎮西学院院長などを務めた宗教家鵜崎庚五郎の四男として京都府京都市で生まれる。鎮西中学校、第二高等学校理科甲類を経て1928年(昭和3年)に東京大学農学部農経科卒業。卒業後、農林省に入省し、福島県農地部長や福岡地方経済安定局調整部長、福岡県知事室長などを歴任した。 1959年(昭和34年)4月に行われた福岡県知事選に出馬し当選。当時、全国で唯一の社会党公認知事として、日本のエネルギー政策の転換期において産炭地域であった福岡県が直面した問題に取り組んだ。
大泉 黒石(おおいずみ こくせき、1893年(明治26年)1… 大泉 黒石(おおいずみ こくせき、1893年(明治26年)10月21日/1894年(明治27年)7月27日 - 1957年(昭和32年)10月26日)は日本の作家、ロシア文学者。自称「国際的の居候」。アナキスト的思想を盛り込んだ小説『老子』『人間廃業』などのベストセラーがある。 長崎県八幡町(現在の長崎市)八幡神社境内にて、ロシア人アレクサンドル・ステパノヴィチ・ワホーヴィチと日本人本山恵子の間に生まれる。日本名、大泉 清。ロシア名アレクサンドル・ステパノヴィチ・キヨスキー。 父はロシアの農家の出でペテルブルク大学出身の法学博士。天津の領事館に勤務していたが、ロシア皇太子時代のニコライ2世の侍従として来日した折、日本側の接待役でロシア文学研究家だった恵子と知り合い、周囲の反対を押し切って結ばれた。
宇土 虎雄(うと とらお、1891年1月30日 - 1986… 宇土 虎雄(うと とらお、1891年1月30日 - 1986年12月23日)は日本の柔道家(講道館9段)、スポーツ指導者。 柔道家として全日本選士権優勝等の実績を持つ一方、熊本県に様々な近代スポーツを紹介して“熊本近代スポーツの父”や“ミスター熊本”とも呼ばれる。 長崎県南高来郡湯江村(現・島原市)の生まれ。鎮西学院中学在学中に柔道を始め、卒業後1912年に東京の東京高等師範学校に進学して山下義韶や永岡秀一(いずれも後の講道館10段)に師事し柔道を学んだ。東京高師時代の同期には岡部平太や会田彦一、先輩に1909年入学の大谷武一や甲佐知定のほか中途退学したものの徳三宝らの顔触れがあり、後輩には1913年入学で東口真平や後に“高師の秀才”と謳われた桜庭武らがいた。
西岡 竹次郎(にしおか たけじろう、Takejiro Nis… 西岡 竹次郎(にしおか たけじろう、Takejiro Nishioka、1890年〈明治23年〉5月28日 - 1958年〈昭和33年〉1月14日)は、日本の政治家、実業家。西岡伊三次の養子。長崎県知事や戦前から戦後にかけ長崎民友新聞社長を務めた。位階は正四位。勲二等瑞宝章。 長崎市出身。1916年(大正5年)に早稲田大学法学部を卒業すると、普通選挙運動に関わり1921年(大正10年)からヨーロッパへ外遊。1924年(大正13年)に帰国すると同年5月の総選挙に中立候補として出馬し水産大学の誘致・総合大学の設置・国立博物館の建設等の6大政策を掲げたが、憲政会の対立候補だった本田恒之がそれを利益誘導として西岡を告訴したものの、結果的に本田・則元卯太郎(政友本党)と激戦の末に2,385票の最高点で初当選した。
松本 卓夫(まつもと たくお、1888年6月19日 - 19… 松本 卓夫(まつもと たくお、1888年6月19日 - 1986年11月28日)は日本の牧師、新約聖書学者である。 1888年(明治21年)岩手県盛岡市にメソジスト派の牧師松本総吾の三男として生まれる。 鎮西学院高等部卒業後、1912年に関西学院神学部を卒業する。1913年(大正2年)に渡米し、オハイオ・ウェスレアン大学、ドルー神学大学、ペンシルベニア大学院、ユニオン神学校大学院で学び、1919年に帰国する。 1919年(大正8年)より青山学院神学部の教授に就任する。東京女子大学、津田塾大学講師も兼任する。 1923年(大正12年)に日本メソヂスト教会の按手礼を受けて、牧師になる。 1941年(昭和16年)より広島女学院院長、広島女学院大学学長を兼任する。
佐野 勝也(さの かつや、1888年 - 1946年8月19… 佐野 勝也(さの かつや、1888年 - 1946年8月19日)は、日本の宗教学者。 熊本県出身。鎮西学院卒、1917年東京帝国大学文学部宗教学科卒、1935年「使徒パウロの神秘主義」で文学博士。ハーバード大学に学び、1925年九州帝国大学法文学部宗教学科助教授、1926年初代教授。在任中58歳で死去した。
松永 東(まつなが とう、1887年〈明治20年〉10月15… 松永 東(まつなが とう、1887年〈明治20年〉10月15日 - 1968年〈昭和43年〉1月22日)は、日本の実業家、弁護士、弁理士、政治家。位階は正三位。 第45代衆議院議長。第76代文部大臣。さいたま市名誉市民。 長崎県南高来郡北串山村(のち小浜町、現雲仙市)の農家に生まれる。松永道広の長男。鎮西学院を卒業。1905年、上京した。弁護士事務所の書生をしたり、新聞配達をした。 早稲田実業学校出身。早稲田大学商科に学び中退した(1934年に推薦校友)。また日本大学に学び、法律の勉強をした。1911年、家督を相続した。弁護士試験に合格後弁護士、弁理士を開業した。傍ら武州鉄工所社長、武州瓦斯取締役を兼ねた。
中山 福蔵(なかやま ふくぞう、1887年6月7日 - 19… 中山 福蔵(なかやま ふくぞう、1887年6月7日 - 1978年10月13日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(3期)、参議院議員(3期)。 熊本県玉名郡江田村出身。中山勝平の二男。7歳のときに父が亡くなり、母に連れられ鹿児島県の志布志に移る。 1903年志布志尋常高等小学校を卒業し、長崎県の鎮西学館(鎮西学院)入学。1905年鎮西学館より大阪府立富田林中学校 (旧制)2年に編入し、さらに1907年(明治40年)奈良県立郡山中学校 (旧制)へ転校。1908年に第七高等学校造士館へ入学し、1911年 7月に卒業。同年東京帝国大学法学部に入学し、1918年卒業。大学卒業後、東京で弁護士となるが、東大の同級生と法廷で争うことを避けて大阪に弁護士事務所を開き、大阪弁護士会所属で活動。
高嶋 菊次郎(たかしま きくじろう、1875年(明治8年)5… 高嶋 菊次郎(たかしま きくじろう、1875年(明治8年)5月17日 - 1969年(昭和44年)1月29日)は、明治、大正、昭和期の日本の実業家。 福岡県生まれ。1900年(明治33年)に東京高等商業学校(現在の一橋大学)を卒業。大阪商船に入社。後に三井物産に転じ、藤原銀次郎の知遇を得て、1912年(明治45年)に王子製紙に入社。 苫小牧工場長を経て、1914年(大正3年)に王子製紙取締役に就任。常務、専務、副社長を経て、藤原銀次郎の後任として1938年(昭和13年)12月に取締役社長に就任した。その後1942年12月まで王子製紙の社長を務めている。同社のほか、傍系会社の日本パルプ工業の取締役社長を1939年(昭和14年)5月から1943年(昭和18年)1月まで務めた。
倉場 富三郎(くらば とみさぶろう、明治3年12月8日〈18… 倉場 富三郎(くらば とみさぶろう、明治3年12月8日〈1871年1月28日〉- 昭和20年〈1945年〉8月26日)は、日本の実業家、水産学者。英名はトミサブロー・アワジヤ・グラバー(Tomisaburo Awajiya Glover)、ただし、墓標に刻まれた名はトーマス・アルバート・グラバー(Thomas Albert Glover)。苗字の「倉場」は、「グラバー」をもじったもの。 幕末から明治維新にかけて活躍したイギリス人貿易商トーマス・グラバーと淡路屋ツルの長男として1871年1月28日(明治3年12月8日)、長崎に生まれる。母は加賀マキとする説もある。また養子として迎えられたイギリス系日本人(British-Japanese)であったとも言われている。
宮崎 滔天(みやざき とうてん、1871年1月23日〈明治3… 宮崎 滔天(みやざき とうてん、1871年1月23日〈明治3年12月3日〉 - 1922年〈大正11年〉12月6日)は、自由民権思想を根幹とする世界革命を目指し活動した近代日本の社会運動家。孫文ら中国の革命家たちを支援した日本人の代表格として知られ、孫文の自伝「志有れば竟に成る」で「革命の為に奔走して終始おこたらざりし者」 としてその名が挙げられている。本名は寅蔵(もしくは虎蔵)。白浪庵滔天と号した。 荒尾宮崎家は1647年、宮崎弥次兵衛正之が荒尾村の有力武士の娘を嫁に迎え、定住したことに始まる。肥後国玉名郡荒尾村(現在の熊本県荒尾市)に遠祖を菅原道真とする郷士の家柄に、その9代目となる宮崎政賢と佐喜夫妻の八男として、1871年(明治3年)に生まれる。
比嘉 保彦(ひが やすひこ、1867年 - 1937年12月… 比嘉 保彦(ひが やすひこ、1867年 - 1937年12月11日)は沖縄県出身の日本メソジスト教会所属の牧師である。 読谷山尋常高等学校で小学校の校長をしていたが、3人の子供を2年間のうちに亡くす。自分の子供の連続した死を、ユタに不運の解明と将来を占わせていたが解決はなかった。 1903年に大阪で開催された内国勧業博覧会に行き、キリスト教伝道館に入り、キリスト教の説教を聴いて感銘を受けて、地元沖縄でも教会に通うようになった。那覇メソジスト教会の立て看板に書かれていたマタイ福音書11章28節に心を引きつけられ、クリスチャン医師の勧めで牧師を訪ねて以来、キリスト教を受け入れ1902年に洗礼を受けた。
服部 武雄(はっとり たけお、天保3年(1832年) - 慶… 服部 武雄(はっとり たけお、天保3年(1832年) - 慶応3年11月18日(1867年12月13日))は、新選組隊士・御陵衛士。通称は三郎兵衛。