浅井 恵倫(あさい えりん、1894年12月25日 - 19… 浅井 恵倫(あさい えりん、1894年12月25日 - 1969年10月9日)は、日本の言語学者。台湾を中心としたオーストロネシア語族諸言語を研究した。日本言語学会評議員、日本民族学会評議員、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所運営委員を務めた。 1894年、石川県能美郡苗代村(現・小松市)で浄土真宗大谷派住職・浅井恵定の長男として生まれた。1912年、県立小松中学校を卒業。第四高等学校に進学し、在学中にエスペラントを独学。1915年に卒業し、東京帝国大学文科大学に進学した。言語学科専攻で学び、1918年に卒業。 卒業論文『ポリネシア諸民族とその諸言語』はエスペラントで執筆した。1919年、日本エスペラント学会の創立に関わった。
戸川 貞雄(とがわ さだお、1894年(明治27年)12月2… 戸川 貞雄(とがわ さだお、1894年(明治27年)12月25日 - 1974年(昭和49年)7月5日)は、日本の小説家、平塚市の第7・8代市長。勲三等瑞宝章。 東京は本郷の森川町生まれ。幼少から父の仕事により台湾へ移り、本土へ戻ってからも静岡や名古屋などへ移り続けた。 静岡県立静岡中学校に学ぶ。早稲田大学文学部英文科在学中から執筆活動を行い、卒業後は東京社(現在のハースト婦人画報社)の編集者を経たのち退職し、1921年10月に『蠢く』で作家デビュー。翌年東京から平塚市に移住し、戦前から戦後にかけて作家として活動する。 1955年に河野謙三からの要請を受けて平塚市長選挙に出馬。所属していた作家クラブの小説家や芸能人の応援もあり、710票差の接戦を制し当選。
水谷 まさる(みずたに-、1894年(明治27年)12月25… 水谷 まさる(みずたに-、1894年(明治27年)12月25日 - 1950年(昭和25年)5月25日)は、日本の童話作家、少女詩人。 東京出身。本名は勝。早稲田大学卒。コドモ社『良友』編集者、『少女画報』主筆などをへて童話作家となる。1928年千葉省三らと同人誌『童話文学』を創刊。
大島 義晴(おおしま よしはる、1894年〈明治27年〉12… 大島 義晴(おおしま よしはる、1894年〈明治27年〉12月25日 - 1953年(昭和28年)4月21日)は、大正から昭和前期の労働運動家、農民運動家、実業家、政治家。衆議院議員(1期)。 群馬県新田郡尾島町(現・太田市)で生まれる。 18歳頃から棒頭(人足頭)として足尾線工事、利根川改修工事に従事。徴兵検査後に上京し三河島造船尻ケ崎鉄工所で働き、労働運動に加わり日本友愛会向島支部長に就任した。1919年(大正8年)ワシントンで開催の第1回国際労働会議に労働代表顧問として出席。マーガレット・サンガーに賛同して産児調節運動に取り組むが、出版法違反で投獄された。 満洲に移り、その後、盧溝橋近くで大島鉱業所を経営した。
林 信夫(はやし のぶお、1894年(明治27年)12月24… 林 信夫(はやし のぶお、1894年(明治27年)12月24日 - 1972年(昭和47年)11月16日)は、日本の内務・警察官僚、弁護士。官選県知事。 和歌山出身。林治の三男として生まれる。第三高等学校を卒業。1919年、京都帝国大学法学部法律学科を卒業。内務省に入省し兵庫県属となる。同年10月、高等試験行政科試験に合格した。 以後、兵庫県印南郡長、長崎県理事官、埼玉県参事官、山形県書記官・学務部長、青森県書記官・警察部長、警視庁書記官・保安部長、岡山県書記官・総務部長、東京府書記官・総務部長などを歴任。 1937年1月、茨城県知事に就任。県民の負担増の抑制のため財政の立て直しと、緊急事業の実施に尽力。
児島 健爾(こじま けんじ、1894年12月23日 - 19… 児島 健爾(こじま けんじ、1894年12月23日 - 1966年3月11日)は、日本の経営者、銀行家。千葉興業銀行頭取を務めた。兵庫県出身。 1920年に東京帝国大学独法科を卒業。 安田保善社、安田銀行での勤務を経て、1937年に第九十八銀行社長、1943年に千葉銀行副頭取を歴任し、1952年1月には千葉興業銀行頭取に就任。1963年5月には会長に就任。 1960年に黄綬褒章を受章。 1966年3月11日脳軟化症のために死去。71歳没。
3代八馬 兼介(はちうま かねすけ、旧名・栄之介、1894年… 3代八馬 兼介(はちうま かねすけ、旧名・栄之介、1894年〈明治27年〉12月23日 - 1960年〈昭和35年〉8月12日)は、日本の実業家、政治家、資産家、兵庫県多額納税者。貴族院議員。神戸銀行頭取。八馬汽船相談役。勲四等。 兵庫県武庫郡西宮町(現西宮市)出身。兵庫県平民、海運業・八馬永蔵の長男。初代八馬兼介の孫。1916年、早稲田大学商科卒業。 1917年、家督を相続し、旧名・栄之介を改めた。精米及び海運業を営み、傍ら銀行会社の重役であった。 西宮市会議員、日本船主協会、日伯協会各理事、八馬汽船社長、同会長、同相談役、武庫銀行、西宮銀行各頭取、日伯拓殖、大同信託、神戸土地興業、日本毛織、共同信託、東洋パルプ各取締役、西宮酒造、神戸海上火災保険、朝日海上火災保険、梅田映画劇場、阪神急行電鉄、東京宝塚劇場、山陽中央水電、南街映画劇場、神戸瓦斯、日本鉱産業、桐花興業各監査役、神戸信託相談役、多聞代表社員などを務めた。
成田 一郎(なりた いちろう、1894年〈明治27年〉12月… 成田 一郎(なりた いちろう、1894年〈明治27年〉12月22日 - 1959年〈昭和34年〉7月4日)は、日本の内務官僚、政治家。兵庫県知事(官選第28代)、石川県知事(官選第36代)、台湾総督府総務長官、参議院議員(1期)。 宮城県仙台市出身。成田喜十郎の長男として生まれる。広島高等師範学校を経て、1920年(大正9年)、京都帝国大学法学部を卒業。同年10月、高等試験行政科試験に合格。内務省に入り、埼玉県属となる。埼玉県児玉郡長、警視庁警視、内務省社会局事務官、社会局労働部労務課長、同庶務課長、資源局事務官などを歴任。 1936年(昭和11年)、内務書記官兼内務大臣秘書官となり、大臣官房人事課長、社会局労働部長、厚生省労働局長などを務める。
関根 久蔵(久藏、せきね きゅうぞう、1894年(明治27年… 関根 久蔵(久藏、せきね きゅうぞう、1894年(明治27年)12月20日 - 1969年(昭和44年)3月29日)は、日本の農業経営者、政治家。衆議院議員(2期)、参議院議員(1期)、埼玉県児玉郡金屋村長。 埼玉県児玉郡金屋村(のち児玉郡児玉町、現:本庄市)で生まれる。1913年、群馬県立富岡中学校を卒業し、農業を継いだ。 1920年、金屋村助役に就任し、農業恐慌への対策に取り組む。その後、金屋村信用販売購買組合長、同村産業組合長、同村農業会長、埼玉県信販購利用組合連合会専務理事、同農業会専務理事、同農業共済組合連合会長、同信用農業協同組合連合会長、同養蚕農業協同組合連合会長、全国乾繭組合連合会副会長、全国養蚕農業協同組合連合会長、農林中央金庫評議員などを務めた。
森田 たま(もりた たま、1894年12月19日 - 197… 森田 たま(もりた たま、1894年12月19日 - 1970年10月30日)は、日本の小説家、随筆家、政治家。 元参議院議員(1期)。北海道出身者初の女性作家。位階は従四位。長女はデザイナーの森田麗子、息子に映画プロデューサー森田信。
加藤 顕清(かとう けんせい、1894年〈明治27年〉12月… 加藤 顕清(かとう けんせい、1894年〈明治27年〉12月19日 - 1966年〈昭和41年〉11月11日)は、岐阜県出身の彫刻家、洋画家。本名、加藤 鬼頭太。 長年に亘り日展審査員を務めたほか、後進の指導育成に尽くした。 1894年(明治27年)12月19日、岐阜県に生まれる。生後まもなく北海道深川市に転居し、上川中学校(現・北海道旭川東高等学校)卒業後、旭川市で代用教員を務めた後に上京して上智大学哲学科に入学。中原悌二郎の彫刻に出会ったことをきっかけに、1915年(大正4年)東京美術学校彫刻科入学、在学中は高村光雲、白井雨山に師事。 1923年(大正12年)同校研究科を卒業し西洋画科本科に再入学、藤島武二、長原孝太郎に師事し油絵を学んだ。
吉田 五十八(よしだ いそや、1894年(明治27年)12月… 吉田 五十八(よしだ いそや、1894年(明治27年)12月19日 - 1974年(昭和49年)3月24日)は昭和期に活躍し、和風の意匠である数寄屋建築を独自に近代化した建築家である。東京生まれ。東京美術学校(東京芸術大学)卒業。母校で教壇に立ち、多くの後進を育てる。死後、その功績を記念して、吉田五十八賞が設けられた。
唐橋 重政(からはし しげまさ、1894年(明治27年)12… 唐橋 重政(からはし しげまさ、1894年(明治27年)12月18日 - 1976年(昭和51年)1月18日)は、大正から昭和期の農業経営者、政治家。衆議院議員、福島県耶麻郡山都町長。俳号・藻人。 福島県耶麻郡朝倉村(山都町を経て現:喜多方市)で、林業家・政治家、唐橋左源次の二男として生まれる。1905年(明治38年)家督を相続。1912年(大正元年)福島県立蚕業学校(現:福島県立福島明成高等学校)を卒業した。 農業を営む。日本正準製糸常務、福島県養蚕業組合連合会副会長、全国養蚕業組合連合会議員などを務めた。 政界では、組合村長、耶麻郡町村長会長、福島県町村会長、福島県会議員、同参事会員、大政翼賛会福島県支部常務委員などを務めた。
谷岡 登(たにおか のぼる、1894年12月17日 - 19… 谷岡 登(たにおか のぼる、1894年12月17日 - 1974年11月22日)は、日本の学校経営者。大阪城東大学(現・大阪商業大学)初代学長、学校法人谷岡学園理事長などを務めた。 奈良県磯城郡朝倉村黒崎(現・桜井市黒崎)に、谷岡角松・きんの長男(弟四人、妹二人)として生まれた。谷岡家は、三町歩の田畑と山林を所有する裕福な農家で、父は村の総代を務める地域の有力者であり、製粉所の経営も行う実業家であった。生来の負けず嫌いから小学校では首席だった。それ以外にも生家の隣にある大日寺の住職から論語や四書を習い、少し長じて長谷寺方丈の漢学院で漢学を学んだ。1920年、常岡米蔵の長女・花枝と結婚。妻と兵庫県武庫郡住吉村呉田(現・神戸市東灘区住吉南町)に居を構え、大阪府西成郡役所に勤務。
森山 鋭一(もりやま えいいち、1894年(明治27年)12… 森山 鋭一(もりやま えいいち、1894年(明治27年)12月17日 - 1956年(昭和31年)6月9日)は、大正から昭和前期の法制官僚、政治家、弁護士。貴族院勅選議員、法制局長官。 現在の三重県桑名市で、伊藤伊右衛門の三男として生まれ、森山兵介の養子となる。1914年(大正3年)7月、第八高等学校一部丙を首席で卒業。1919年(大正8年)7月、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業し、同月、内務省に入り内務属・土木局工営課に配属された。1920年(大正9年)10月、高等試験行政科試験に合格。 その後、兼警察講習所教授、埼玉県視学官、帝都復興院計画局制度課、復興局事務官・長官官房計画課などを歴任。
久松 潜一(ひさまつ せんいち、1894年〈明治27年〉12… 久松 潜一(ひさまつ せんいち、1894年〈明治27年〉12月16日 - 1976年〈昭和51年〉3月2日)は、日本の国文学者。学位は文学博士。 1894年(明治27年)、愛知県知多郡藤江村(現・知多郡東浦町)で生まれた。愛知一中、第八高等学校を経て、東京帝国大学文学部国文学科に進んだ。1919年(大正8年)、大八車で搬入したとされる大部の卒業論文を提出して卒業し、同大学大学院に進学した。 1922年(大正11年)、佐佐木信綱の三女三枝子と結婚。一高教授となり、1925年(大正14年)からは東京帝国大学国文学科助教授となった。1934年(昭和9年)、学位論文『日本文学評論史ノ研究』を東京大学に提出して文学博士を取得。
岩田 徳治(いわた とくじ、1894年12月15日 - 19… 岩田 徳治(いわた とくじ、1894年12月15日 - 1982年2月20日)は、日本の実業家、政治家。岩田建設の創業者。北海道議会議員(4期)。 札幌村(現在の札幌市東区)出身。岩田家は富山県で江戸時代から続く瓦工場であったが、徳治の両親は西南戦争後の不況により土地家屋を手放し、1890年(明治23年)北海道に渡り現在の丘珠町に入植した。丘珠尋常小学校(現・札幌市立丘珠小学校)卒業後、家業の農業の手伝いに励む。14歳のときに苗穂町(現在の本町)に居を移し、長兄が早逝したため18歳で家督を相続する。北海中学校(現・北海高等学校)卒業。 大星組などを経て1912年から義兄・村上六松が営む合資会社村上組で帳場を担当。
松井 亮吉(まつい りょうきち、前名・章吉、1894年〈明治… 松井 亮吉(まつい りょうきち、前名・章吉、1894年〈明治27年〉12月15日 - 没年不明)は、日本の酒造家(寛永11年創業、平野屋、銘酒「山の井」の醸造元)、広島県多額納税者、会社役員。 第六十六銀行(現・広島銀行)、広島桟橋各監査役。族籍は広島県平民。 広島県広島市出身。先代亮吉の長男。県立広島一中卒業。1918年、家督を相続し前名・章吉を改め襲名した。平野屋と称し、酒造業を営んだ。 貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した。趣味は郷土史研究。宗教は禅宗。住所は広島市京橋町。 家系について『広島県紳士録 昭和8年版』によると、「広島市京橋町の松井家祖先の伊右衛門は、豊田郡小田の荘より出て寛永年間広島に酒造業を創業した」という。
三輪 寿壮(みわ じゅそう、1894年(明治27年)12月1… 三輪 寿壮(みわ じゅそう、1894年(明治27年)12月15日‐1956年(昭和31年)11月14日)は日本の法律家、政治家。労働農民党書記長、日本労農党書記長、第二東京弁護士会会長、衆議院議員。
池田 純久(いけだ すみひさ、1894年(明治27年)12月… 池田 純久(いけだ すみひさ、1894年(明治27年)12月15日 - 1968年(昭和43年)4月30日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。東大経済学部で統制経済を研究し、統制派の理論的指導者として知られた。 大分県宇佐郡柳ヶ浦村(柳ヶ浦町、長洲町を経て現宇佐市)で、軍人・池田純孝の長男として生れる。中津中学校(現大分県立中津南高等学校)、熊本陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1916年(大正5年)5月、陸軍士官学校(28期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第48連隊付となる。陸士予科生徒隊付などを経て、1924年(大正13年)11月、陸軍大学校(36期)を卒業し歩兵第48連隊付に発令。
内田 勇三郎(うちだ ゆうざぶろう、1894年12月15日 … 内田 勇三郎(うちだ ゆうざぶろう、1894年12月15日 - 1966年11月18日)は、日本の心理学者・心理検査開発者。 クレペリンの作業曲線のアイデアとクレッチマーの性格類型論を結びつけた性格理論を提唱し、それに基づいた内田クレペリン精神検査(クレペリン検査)を開発した。内田クレペリン精神検査の販売と実施・判定を中心に、幅広い心理学関連業務を行っている日本・精神技術研究所(1947年創設)の創設者。
谷田 勇(たにだ いさむ、1894年(明治27年)12月14… 谷田 勇(たにだ いさむ、1894年(明治27年)12月14日 - 1992年(平成4年)1月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 本籍徳島県。東京府で谷田文衛陸軍中将の二男として生まれる。学習院(現学習院中・高等科)、広島陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1915年(大正4年)5月、陸軍士官学校(27期)を卒業。同年12月、工兵少尉に任官し近衛工兵大隊付となる。1918年(大正7年)11月、陸軍砲工学校高等科(24期)を優等で卒業。電信第1連隊付などを経て、1924年(大正13年)11月、陸軍大学校(36期)を卒業した。 1925年(大正14年)12月、参謀本部付勤務となり、参謀本部員、第3師団参謀充用を務め、1930年(昭和5年)8月、工兵少佐に昇進し陸大教官に就任。
山本 亮(やまもと りょう、明治27年(1894年)12月1… 山本 亮(やまもと りょう、明治27年(1894年)12月14日 - 昭和48年(1973年)2月18日)は、日本の実業家、漢詩人、政治家。鳥取県西伯郡境町長(17代)、町会議員。号大麓。鳥取県平民。 境町長、鳥取県議会議長等を歴任した山本熊吉の長男。 鳥取県西伯郡境町栄町(いまの境港市)出身。山本熊吉の長男。 松江農林学校を卒業後、家業(醤油醸造)を継いだ。境電気会社設立等、実業界で活躍した。 昭和20年(1945年)4月23日、軍用船玉栄丸爆発事故が発生。山本町長は昼夜にわたる救援活動を指揮する一方で、軍に対して罹災者補償を請求、自ら現地調査に当たる等の尽力によってこの問題を解決した。 茶道、琵琶、漢詩等趣味も多かった。
稲賀 幸(いなが こう、1894年(明治27年)12月13日… 稲賀 幸(いなが こう、1894年(明治27年)12月13日 - 1974年(昭和49年)10月)は日本の医師。元稲賀外科医院長。元鳥取県会議長稲賀龍二の孫。妹しげのは元郵政大臣手島栄の妻。鳥取県済生会境港総合病院院長稲賀潔の祖父。 鳥取県境港市上道町出身。 米子中学(現米子東高校)、京都の第三高等学校を経て大正10年(1921年)東大医学部卒業。東大外科教室勤務。 大正11年(1922年)順天堂医院レントゲン科兼務。 大正14年(1925年)米子病院外科部長。 昭和20年(1945年)米子医専教授。昭和23年(1948年)退官し上道に稲賀外科医院を開業。 西伯郡医師会長及び鳥取県医師会副会長、鳥取県西部医師会副会長、上道公民館長も歴職した。
伊藤 武雄(いとう たけお、1894年〈明治27年〉12月1… 伊藤 武雄(いとう たけお、1894年〈明治27年〉12月13日 - 1966年〈昭和41年〉11月19日)は、日本の実業家。大阪商船社長を務めた。 1894年(明治27年)12月13日、名古屋市にて父・釤平、母・みやの長男として誕生。幼少期は陸軍経理部の軍人であった父に伴われて東京、岡山などで暮らした。1913年(大正2年)、旧制岡山中学校を卒業、旧制第一高等学校文科丙類に入学。1916年(大正5年)、同校を卒業、東京帝国大学法学部法律学科に入学。1918年(大正7年)、高等文官試験行政科に合格、翌1919年(大正8年)、東京帝国大学を卒業、大阪商船に入社。 大阪商船では遠洋課に属し、上海、ロンドン、シンガポールに駐在した。
藤本 捨助(ふじもと すてすけ、1894年〈明治27年〉12… 藤本 捨助(ふじもと すてすけ、1894年〈明治27年〉12月12日 - 1963年〈昭和38年〉9月11日)は、日本の政治家、教育者。衆議院議員を5期つとめた。 1894年(明治27年)12月香川県大川郡引田町(現東かがわ市)生まれ。1917年(大正6年)香川師範学校卒業、1922年(大正11年)東京高等師範学校卒業、1928年(昭和3年)東北帝国大学法学部卒業後、高松高等商業学校教授。 1936年(昭和11年)に第19回衆議院議員総選挙に立候補するが落選。1937年(昭和12年)第20回衆議院議員総選挙で香川1区から初当選、1942年(昭和17年)に第21回衆議院議員総選挙(翼賛選挙)で再選を果たす(翼賛政治体制協議会推薦)。
伊藤 徳之助(正字:德之助)(いとう とくのすけ、1894年… 伊藤 徳之助(正字:德之助)(いとう とくのすけ、1894年(明治27年)12月11日 - 1961年(昭和36年)2月9日)は日本の物理学者。別名:伊藤徳之。専門は地球物理学。
伊瀬 幸太郎(伊瀨幸太郎、いせ こうたろう、1894年〈明治… 伊瀬 幸太郎(伊瀨幸太郎、いせ こうたろう、1894年〈明治27年〉12月11日 - 1991年〈平成3年〉1月23日)は、大正から昭和期の農民運動家、政治家。衆議院議員(3期)。 奈良県葛下郡、のちの北葛城郡當麻町(現葛城市)出身。農業を営む。磐城村会議員に選出された。 農民運動に加わり、日本農民組合奈良県連会長、同中央委員、労働農民党奈良県支部連合会書記長、日本労農党奈良県連会長などを務めた。戦後、奈良県労働委員、同農地委員、奈良県指導農業協同組合連合会長、全国農民組合中央常任委員、奈良県農業会議々長などを務めた。 1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙で奈良県全県区から日本社会党公認で立候補して落選。
山中 かく(やまなか かく、1894年12月11日 - 20… 山中 かく(やまなか かく、1894年12月11日 - 2008年4月5日)は、国内最高齢だった女性。愛知県西尾市出身で、弥富市在住だった。 1894年、愛知県西尾町(現西尾市)生まれ。湾岸作業に70代まで従事し、引退してからは弥富市内の老人ホームで暮らしていた。趣味はカラオケで、国内最高齢となった当時は肺炎で寝込んでいた。長寿の秘訣を問われると「栄養ドリンクを毎日飲むこと」と答えていた。 2008年4月5日、居住していた老人ホームで113歳116日で死去。これにより、国内最高齢は沖縄県の知念カマとなった。
張 徳秀(チャン・ドクス、1894年12月10日 - 194… 張 徳秀(チャン・ドクス、1894年12月10日 - 1947年12月2日)は、朝鮮の政治家、教育者、独立運動家。本貫は結城張氏、号は雪山。東亜日報の初代主筆。 黄海南道載寧郡出身。1910年代に早稲田大学に留学し、在学中は朝鮮人留学生のリーダーとして活躍した。「新亜同盟党」で、大陸中国や台湾の留学生と交流したほか、茅原華山の雑誌「第三帝国」にも寄稿した。1918年に上海に渡り、呂運亨とともに「新韓青年党」を組織した。1919年2月に朝鮮に戻り逮捕された。同年11月の呂運亨の訪日の際には通訳を務めた。1920年「東亜日報」創刊とともに主筆を務め、金明植らと高麗共産党(朝鮮語版)上海派の国内支部を組織した。
濱田 庄司(はまだ しょうじ、1894年(明治27年)12月… 濱田 庄司(はまだ しょうじ、1894年(明治27年)12月9日 - 1978年(昭和53年)1月5日、本名象二)は、主に昭和に活躍した日本の陶芸家。次男の濱田晋作、三男の濱田篤哉、孫(晋作の次男)の濱田友緒はいずれも陶芸家。
濱田 庄司(はまだ しょうじ、1894年〈明治27年〉12月… 濱田 庄司(はまだ しょうじ、1894年〈明治27年〉12月9日 - 1978年〈昭和53年〉1月5日、本名象二)は、主に昭和時代に活躍した日本の陶芸家。民藝運動の中心的な活動家の一人であり、栃木県益子町に定住し、益子焼の中興の祖となった。 長男の濱田琉司は毎日新聞社記者。次男の濱田晋作、三男の濱田篤哉、孫(晋作の次男)の濱田友緒はいずれも陶芸家、四男の濱田能生は硝子工芸家。 神奈川県橘樹郡高津村(現・川崎市高津区溝ノ口)で、濱田久三の子として、母の実家である太田医院で生まれる。東京府立一中(現・東京都立日比谷高等学校)を経て、1913年(大正2年)、東京高等工業学校(後の東京工業大学)窯業科に入学、板谷波山に師事し、窯業の基礎科学面を学ぶ。
内藤 友明(ないとう ともあき、1894年(明治27年)12… 内藤 友明(ないとう ともあき、1894年(明治27年)12月8日 - 1992年(平成4年)3月14日)は、大正から昭和期の農業技術者、政治家。衆議院議員、富山県新湊市長。 富山県射水郡新湊町(新湊市を経て現射水市)出身。1917年(大正6年)東京帝国大学農科大学実科を卒業した。 1932年(昭和7年)1月、新湊町会議員に選出され1期在任。帝国農会参事、富山県農会技師兼幹事、産業組合中央金庫(現農林中央金庫)秘書課長、石黒忠篤農林大臣秘書官、農地開発営団常任幹事、農村更生協会常任理事、農山漁村文化協会監事などを務めた。 1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙で富山県第2区に国民協同党公認で出馬して初当選し、以後1955年(昭和30年)2月の第27回総選挙まで再選され、衆議院議員に連続5期在任した。
坂本 大造(さかもと だいぞう、1894年(明治27年)12… 坂本 大造(さかもと だいぞう、1894年(明治27年)12月8日 - 1964年(昭和39年)7月29日)は、大正から昭和期の造船技術者、政治家、華族。貴族院男爵議員。 本籍・長野県。海軍士官・坂本俊篤の長男として生まれる。父の死去に伴い、1941年(昭和16年)6月2日、男爵を襲爵した。 1916年(大正5年)早稲田大学理工科を卒業した。同年、横浜船渠に入社。その後、石川島造船所に移り、工作部鍛錬工場長、鋳鍛部部長代理などを務めた。 1946年(昭和21年)6月29日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し、公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
井上 卓一(いのうえ たくいち、1894年〈明治27年〉12… 井上 卓一(いのうえ たくいち、1894年〈明治27年〉12月5日 - 1979年〈昭和54年〉12月7日)は、日本の弁護士・政治家。衆議院議員、内閣官房副長官。 岡山県勝南郡湯郷村(現美作市)出身。1923年、早稲田大学専門部法律科を卒業。 東京で弁護士となり、日本弁護士協会理事も務めた。その他、小石川区会議員、東京市会議員を歴任。 1946年4月、第22回衆議院議員総選挙で岡山県選挙区に日本自由党から出馬し当選。1947年4月の第23回総選挙で落選し、衆議院議員を一期務めた。落選後の1948年、政治資金に関する問題で衆議院不当財産取引調査特別委員会に証人喚問された。1954年12月から第1次鳩山一郎内閣の内閣官房副長官(事務担当)を務め、第2次鳩山一郎内閣の内閣総理大臣秘書官に就任。
中村 勝平(なかむら かつへい、1894年〈明治27年〉12… 中村 勝平(なかむら かつへい、1894年〈明治27年〉12月5日 - 1971年〈昭和46年〉6月29日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。戦後は終戦連絡事務に尽力し、通称「中村機関」を率いた。 1894年(明治27年)12月5日、富山県東砺波郡五鹿屋村五郎丸(現砺波市五郎丸)で農業を営む父、中村宗平、母、ふしいの三男として生れる。1901年(明治34年)4月五郎丸尋常小学校に入学、出町高等小学校を経て1909年(明治42年)開校したばかりの礪波中学校(現富山県立砺波高等学校)に入学した。1914年(大正3年)9月10日、海軍兵学校45期に入校。1917年(大正6年)11月24日、海軍兵学校を首席で卒業。
赤松 克麿(あかまつ かつまろ、1894年(明治27年)12… 赤松 克麿(あかまつ かつまろ、1894年(明治27年)12月4日 - 1955年(昭和30年)12月13日)は、大正・昭和時代の社会主義運動家で、その後左翼活動家・国家社会主義運動家に転じた。衆議院議員。
花井 忠(はない ただし、1894年〈明治27年〉12月3日… 花井 忠(はない ただし、1894年〈明治27年〉12月3日 - 1973年〈昭和48年〉10月5日)は、弁護士・検事総長。茨城県生まれ。従三位。勲一等瑞宝章受章。岳父は花井卓蔵(元衆議院副議長・法学博士・弁護士)。 茨城県行方郡麻生町(現:行方市麻生)にて福田病院の院長・福田安次郎の四男三女の次男として誕生する。麻生町立尋常小学校、県立水戸中学校、第八高等学校を経て、1919年7月東京帝国大学法学部(独法兼修)を卒業。 1921年7月に弁護士名簿に登録。著名な弁護士であった花井卓蔵の法律事務所に入る。1925年5月、花井卓蔵の次女・稲子と結婚し、花井卓蔵の養子となる。1929年よりベルリン大学、ウィーン大学にて刑事学を研究、帰国後、海軍軍人と民間人が政財界人を暗殺した五・一五事件や神兵隊事件の弁護人を務める。
小河 正儀(おがわ まさのり、1894年〈明治27年〉12月… 小河 正儀(おがわ まさのり、1894年〈明治27年〉12月2日 - 1977年〈昭和52年〉1月7日)は、日本の内務・警察・拓務官僚、弁護士。官選県知事、樺太庁長官、海軍司政長官。 山口県山口町今道町(現山口市)出身。第五高等学校を卒業。1918年、東京帝国大学法科大学を卒業。同年10月、高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し和歌山県属となる。 以後、内務属・警保局図書課勤務、静岡県警視、関東庁事務官兼同参事官、関東庁警視、朝鮮総督府秘書官、同事務官・殖産農務課長、拓務省書記官・朝鮮部第一課長、台湾総督府事務官、拓務省大臣官房会計課長などを歴任。 1936年10月、青森県知事に就任。腸チフス流行への対処などを行う。
東谷 傳次郎(伝次郎、とうたに でんじろう、1894年〈明治… 東谷 傳次郎(伝次郎、とうたに でんじろう、1894年〈明治27年〉12月1日 - 1987年〈昭和62年〉2月15日)は、大正・昭和期の官僚。会計検査院長を務めた。位階は従三位。 広島県安佐郡福木村(現広島市東区)で農業・東谷保五郎の三男として生まれた。専検に合格し旧制第四高等学校を卒業。1921年(大正10年)4月、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年11月、高等試験行政科試験に合格した。1922年(大正11年)2月、会計検査院に入院し同書記に任官、第三部第三課に配属された。 以後、官房総務科長、第四部第一課長、第二部第三課長、第一部第一課長、第三部第三課長などを歴任。 1942年(昭和17年)5月、南方軍司令部附に発令。
安達 勝清(あだち かつきよ、1894年〈明治27年〉12月… 安達 勝清(あだち かつきよ、1894年〈明治27年〉12月 - 1965年〈昭和40年〉1月)は、昭和時代の司法官僚。検察官。弁護士。陸軍司政長官。 正井儀之丞の二男として島根県に生まれ、同県安達駿三郎の養子となる。1921年(大正10年)東京帝国大学法学部英法科を卒業し、神戸大阪各地方裁判所検事、大阪保護観察所補導官、司法書記官・行刑局第一第二各課長を経て、1942年(昭和17年)7月、陸軍司政長官に就任した。 戦後は和歌山県弁護士会会長を歴任した。
柳沢 徹隆(やなぎさわ てつりゅう、1894年(明治27年)… 柳沢 徹隆(やなぎさわ てつりゅう、1894年(明治27年)11月30日 - 1972年(昭和47年)9月9日)は、日本の政治家。新潟県直江津市(現・上越市)長(2期)。 新潟県中頸城郡直江津町(のち直江津市、現・上越市)に生まれる。1921年、東京帝国大学法学部卒。1929年、直江津町会議員となり、1947年、同議長となる。1954年、直江津町の市制施行により直江津市議会となり、初代議長となる。1955年、直江津市長選挙に立候補し、当選する。市長は1962年まで2期務めた。 このほか公民館長や消防団長、上越医療連合会会長、南部海区漁業調査委員会会長、新潟県漁業調査委員会副会長なども歴任した。
小竹 無二雄(こたけ むにお、1894年11月30日 - 1… 小竹 無二雄(こたけ むにお、1894年11月30日 - 1976年9月18日)は、日本の化学者。大阪大学名誉教授、大阪市立大学名誉教授。元日本化学会会長。元日本学士院会員。帝国学士院賞受賞。 富山県出身。旧制・北海道廳立上川中學校(現・北海道旭川東高等学校)、旧制・第七高等学校造士館を経て、1920年東北帝国大学理学部化学科卒業、理化学研究所助手。1928年東北帝国大学理学博士。1932年大阪帝国大学理学部教授。1944年帝国学士院賞受賞。1946年食品化学研究所(現サントリー生命科学財団)理事長。1949年大阪市立大学理工学部教授、初代大阪市立大学理工学部長。1955年大阪大学名誉教授、大阪市立大学名誉教授。
上原 六郎(うえはら ろくろう、1894年〈明治27年〉11… 上原 六郎(うえはら ろくろう、1894年〈明治27年〉11月30日 - 1964年〈昭和39年〉2月3日)は、日本の地方官僚、政治家。北海道札幌市長、札幌観光協会長。位階は正四位。勲三等瑞宝章受章。 実家は札幌郡平岸村(現・札幌市豊平区平岸)のりんご農家。北海道庁属から内務省へ出向し、日本大学法科に学んだ。1920年(大正9年)卒業。帝都復興院事務官となり、主計課長、理事等を歴任。1937年(昭和12年)、東京市収入役となり、その後、1939年(昭和14年)に同市市民局長、1940年(昭和15年)に総務局長を歴任した。1945年(昭和20年)8月14日、札幌市長に就任。1946年(昭和21年)11月12日、札幌市長を退任した。
柴山 全慶(しばやま ぜんけい、1894年(明治37年)11… 柴山 全慶(しばやま ぜんけい、1894年(明治37年)11月30日 - 1974年(昭和49年)8月29日)は昭和期日本に活躍した臨済宗の禅僧。 愛知県葉栗郡浅井町に生まれる。室号は寒松軒、道号は文明。法諱は全慶、俗姓は柴山。花園大学・大谷大学教授を務めた。また8回に渡って渡米し、諸大学で禅学を講義した。1931年(昭和6年)に日本仏教エスペランチスト連盟を起こしたエスペランティストでもある。また、詩『花語らず』でも知られている。1959年(昭和34年)臨済宗南禅寺派管長(1959-1974)に就任し、管長在位のまま1974年遷化。世寿81。 父・悦太郎、母・いと、七人兄弟の次男として生まれ、幼名を真一といった。
浅野 七之助(あさの しちのすけ、1894年11月29日 -… 浅野 七之助(あさの しちのすけ、1894年11月29日 - 1993年3月6日)は、盛岡市出身のジャーナリスト。 アメリカ合衆国で新聞記者として活動し、第二次世界大戦後にアメリカから日本に対しておこなわれた難民救済事業である「ララ物資の父」と言われている。 郷土の先輩、原敬の書生となり、中央大学で学んだ後、1917年に東京毎夕新聞記者特派員として渡米、1924年から朝日新聞米国西部沿岸通信員を務めた。1946年、サンフランシスコの代表的邦字紙「日米時事」を発刊し、社長となる。在米日本人、日系人の権利擁護、拡張のための民権擁護協会、帰化権獲得同盟に参加した。 日米親善と在留邦人の地位向上に貢献したことで、1973年に勲三等瑞宝章を授与される。
小穴 隆一(おあな りゅういち、1894年11月28日 - … 小穴 隆一(おあな りゅういち、1894年11月28日 - 1966年4月24日)は、日本の洋画家、随筆家、俳人。俳号は一游亭。
平田 春一(ひらた はるいち、1894年11月28日 - 1… 平田 春一(ひらた はるいち、1894年11月28日 - 1973年12月7日)は、歌人。 岡山県吉野郡讃甘村(現・美作市)出身。旧姓・井波。若山牧水に師事。日本ペンクラブ会員で再建当初から尽力した。「創作」復刊後から選者として活躍、関西で「みなかみ会」「三土会」を主宰。歌集「象刻集」「留年」など12冊。1957年日本歌人クラブ推薦歌集(第3回)「象刻集」。大阪市・道頓堀の法善寺横丁に、織田作之助文学碑と並んで歌碑がある。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
松下 幸之助(まつした こうのすけ、1894年〈明治27年〉… 松下 幸之助(まつした こうのすけ、1894年〈明治27年〉11月27日 - 1989年〈平成元年〉4月27日)は、日本の実業家、発明家、著述家。位階は正三位。 パナソニックホールディングスを一代で築き上げた経営者である。異名は「経営の神様」。その他、PHP研究所を設立して倫理教育や出版活動に乗り出した。さらに晩年は松下政経塾を立ち上げ、政治家の育成にも意を注いだ。 1894年11月27日、和歌山県海草郡和佐村千旦ノ木(現:和歌山市禰宜)に、小地主松下政楠・とく枝の三男として出生。家が松の大樹の下にあったところから松下の姓を用いたとする。 1899年頃、父が米相場で失敗して破産したため、一家で和歌山市本町1丁目に転居し、下駄屋を始めた。
平林 金吾(ひらばやし きんご、1894年(明治27年)11… 平林 金吾(ひらばやし きんご、1894年(明治27年)11月27日 - 1981年(昭和56年)12月29日)は日本の建築家。愛知県西春日井郡豊山村(現在の豊山町)出身。旧姓は安藤。 金吾は安藤喜代三郎・つね夫妻の三男として生まれ、その後母の姉の嫁ぎ先である平林家の養子となり東京に移住。芝中学を経て東京高等工業学校(現・東京工業大学)建築科卒業。その後入社した倉庫設計の会社で高橋貞太郎と出会う。この高橋の勧めでこの会社を退職し内務省明治神宮造営局技手として宝物殿の工事管理に従事、同完成後は高橋が勤務する宮内省に勤務。内務省在籍中の1918年、同僚だった岡本馨との連名で大阪府庁舎の建築設計競技(コンペ)に応募し、一等当選を果たす。