スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
滝田 文彦(たきた ふみひこ、1930年3月1日 - 199… 滝田 文彦(たきた ふみひこ、1930年3月1日 - 1996年11月11日)は、日本のフランス文学者・翻訳家。東京大学名誉教授。 東京出身。父は実業家の瀧田英二、母は元女優の花柳はるみ。第八高等学校、東京大学文学部仏文科卒、同大学院に学び、1957年東京大学教養学部講師、助教授、教授、1990年、定年退官、名誉教授。現代フランス文学を中心に多くの翻訳をした。妹は瀧田あゆち。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
久野 昭(くの あきら、1930年1月8日 - 2018年)… 久野 昭(くの あきら、1930年1月8日 - 2018年)は、日本の哲学者。専攻は比較思想論。広島大学名誉教授。国際日本文化研究センター名誉教授。実父は久野朔郎。実弟は小笠原暁、久野暲。 愛知県名古屋市出身。第八高等学校を経て、1952年京都大学文学部哲学科卒業。東洋大学、広島大学、国際日本文化研究センター各教授を歴任した。
藤本 淳雄(ふじもと あつお、1929年2月22日 - 20… 藤本 淳雄(ふじもと あつお、1929年2月22日 - 2021年8月10日)は、日本のドイツ・オーストリア文学者、翻訳家。東京大学名誉教授。 愛知県名古屋市出身。第八高等学校から、1951年東京大学独文科卒、東京大学大学院研究奨励学生前期修了。1961年東京大学教養学部講師、助教授、教授、1989年定年退官、成城大学教授、1999年退職。 2021年8月10日、心不全・腎不全のため死去。92歳没。死没日をもって従四位に叙され、瑞宝中綬章を追贈される。
北川 隆吉(きたがわ たかよし、1929年1月3日 - 20… 北川 隆吉(きたがわ たかよし、1929年1月3日 - 2014年4月7日)は、日本の社会学者。名古屋大学名誉教授。専門は、労働社会学、地域社会学、理論社会学、社会学史、社会運動論、地方自治論、東アジア研究、看護の社会学など多岐にわたる。 日本統治時代の朝鮮半島・京城生まれ。京城にて初等中等教育を修了し京城帝国大学予科に進む。終戦後、第八高等学校文科甲類に転入、戦前からの著名な社会学者井森陸平の薫陶を受ける。 1952年、東京大学文学部社会学科卒業。社会学科教授で『中支江南農村社会制度研究』で知られる林惠海の指導により同大学院に進学するが1年半で退学し、1953年10月、東京大学文学部社会学研究室助手に採用される。
井形 昭弘(いがた あきひろ、1928年9月16日 -201… 井形 昭弘(いがた あきひろ、1928年9月16日 -2016年8月12日)は、日本の医学者、内科学者。鹿児島大学第7代学長・名誉教授、名古屋学芸大学初代学長、名古屋学芸大学短期大学部学長。医学博士。専門は神経内科学。 静岡県浜松市出身。1946年、第八高等学校に入学。1950年、東京大学医学部医学科入学。1955年、東京大学医学部第三内科に入局。1960年から2年間のドイツ留学を経て、1960年「神経体液学説に関する研究」により東京大学から医学博士の学位を授与される[要出典]。1971年、新設された鹿児島大学医学部第三内科の初代教授に着任。1984年、鹿児島大学病院長に就任し、全国に先駆けてコンピュータシステムの導入を行った。
田中 稔(たなか みのる、1928年2月18日 - 1991… 田中 稔(たなか みのる、1928年2月18日 - 1991年7月30日)は、日本の歴史学者。専攻は中世史で特に法制史や古文書学などで実績を遺した。 1928年、愛知県知多郡阿久比村(現在の阿久比町)で生まれた。愛知県第一中学校から海軍兵学校(78期)に進むが、終戦により閉校。戦後改めて第八高等学校に進んだ。1952年に東京大学文学部国史学科を卒業。 文化財保護委員会(後の文化庁文化財保護部)に務め、平城宮発掘調査に携わった。その後、国立歴史民俗博物館の立ち上げに参加して1981年に同教授となる。東大寺などをはじめとする畿内寺社の古文書研究や鎌倉時代の制度史に関する研究を進め、中世古文書学の発展に尽くした。
辻内 順平(つじうち じゅんぺい、1927年〈昭和2年〉8月… 辻内 順平(つじうち じゅんぺい、1927年〈昭和2年〉8月18日 - 2024年〈令和6年〉12月29日)は、日本の物理工学者。専門は応用光学。東京工業大学名誉教授。応用物理学会会長(1988年度-1989年度)。工学博士。 1927年8月18日、和歌山県那賀郡粉河町に生まれた。旧制第八高等学校を経て、1951年に東京大学理学部天文学科を卒業した。同年、通商産業省工業技術院機械試験所(現在の産業技術総合研究所)に入所し、光学顕微鏡の結像特性に関する研究に携わった。1958年9月から1960年4月まで、フランス政府技術留学生およびCNRS研究員として、パリの光学研究所に在籍し、光学研究に従事した。
田中 明(たなか あきら、1926年7月3日 - 2010年… 田中 明(たなか あきら、1926年7月3日 - 2010年12月8日)は、日本の韓国・朝鮮研究学者。 愛知県名古屋市生まれ。叔父の養子となり、小学校からソウルで暮らす。龍山中学校卒業後、海軍経理学校へ入学。第二次世界大戦の終戦後は名古屋の旧制第八高等学校に編入学し、さらに東京大学文学部の新制一期生となり、1952年に卒業。中日新聞を経て、朝日新聞に入社。 朝日新聞社時代には、『朝日ジャーナル』記者として韓国を取材。1972年に朝日新聞を休職して、韓国の延世大学校 韓国語学堂・高麗大学留学。1979年に朝日新聞社を退社。1981年から拓殖大学海外事情研究所教授を務めた。 2010年12月8日、心筋梗塞で死去。
早崎 守俊(はやさき もりとし、1926年4月13日 - 2… 早崎 守俊(はやさき もりとし、1926年4月13日 - 2023年11月7日)は、日本のドイツ文学者、名古屋大学名誉教授。 大阪府生まれ。本籍・石川県。本名・早﨑良久。1948年第八高等学校理科甲類卒、1952年東京大学文学部独乙文学科卒。同志社大学助教授、名古屋大学教養部助教授、同教授、語学センター教授、同センター長事務代理、総合言語センター教授、1990年定年退官、名誉教授。愛知工業大学客員教授。妻の早﨑ふき子(1929-2020)は、『カフカの椅子』(角川書店 2006)等の歌集および『美の四重奏』(春日井建論、山中智恵子論、馬場あき子論、塚本邦雄論)(雁書館 1993)等の作家論集を著わした歌人で、2008年梨郷賞(中部日本歌人会大賞)受賞。
野村 豊(のむら ゆたか、1926年3月14日 - )は、日… 野村 豊(のむら ゆたか、1926年3月14日 - )は、日本の外交官、国際公務員。駐ヴェネズエラ特命全権大使等を経て、駐イラン特命全権大使。イランに在任中、「トルコ航空機によるテヘラン邦人救出事件」が発生。 第八高等学校を経て、1947年東京帝国大学法学部法律学科卒業、外務省入省、1951年イェール大学留学。 在連合王国日本国大使館一等書記官等を経て、1965年外務省経済協力局技術協力課長。1967年外務省経済協力局国際協力課長。 同年外務省経済協力局政策課長。1969年経済協力開発機構日本政府代表部参事官。1970年在アメリカ合衆国日本国大使館参事官。1973年外務省国際連合局外務参事官。1974年外務省経済局次長。
宮地 良彦(みやち よしひこ、1925年1月12日 - 20… 宮地 良彦(みやち よしひこ、1925年1月12日 - 2023年10月17日)は日本の物理学者。 静岡県浜松市出身。旧制第八高等学校を経て、1948年京都帝国大学物理学科卒業。1949年広島大学理論物理学研究所助手、1961年信州大学文理学部助教授、1966年理学部教授、1972年理学部長、1990年退官。同年放送大学客員教授、1991年信州大学学長を歴任。2000年勲二等旭日重光章受章。 その他、2001年から2003年まで長野県の治水・利水ダム等検討委員会委員長を務めた。 2023年10月17日午前10時35分、肺がんのため松本市の病院で死去。98歳没。死没日付をもって正四位に叙された。 句集を出版している。
小川 修三(おがわ しゅうぞう、1924年5月8日 - 20… 小川 修三(おがわ しゅうぞう、1924年5月8日 - 2005年1月9日)は、日本の物理学者(素粒子物理学)。名古屋大学名誉教授、広島大学名誉教授。 1924年、山口県都濃郡徳山で生まれた。徳山で育つが、1940年3月に三重県四日市市に転居したことに伴い、徳山中学校から富田中学校に移った。第八高等学校理科で学び、1944年9月に卒業。名古屋帝国大学理学部物理学科へ進学し、1947年に卒業。 卒業後は、同年12月より同大学の幅助手となった。1949年に理学部の文部教官となり、翌1950年に助手となった。1955年に学位論文『相互作用の普遍性に関する研究』を名古屋大学に提出して理学博士号を取得。同年4月より、広島大学理学部講師となった。
中村 博(なかむら ひろし、1921年〈大正10年〉11月1… 中村 博(なかむら ひろし、1921年〈大正10年〉11月17日 - 1999年〈平成11年〉1月24日)は、日本の官僚。位階は正四位。 愛知県出身。第八高等学校を経て、1943年(昭和18年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年7月、高等試験行政科試験に合格して厚生省に入省し厚生属任官。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願。同年9月、海軍経理学校に入学。1944年3月に経理学校を卒業し海軍主計中尉に任官。第22戦隊司令部付第2艦視艇艦司令承命服務となる。経理学校付第12期見習尉官隊第二分隊士(教官)を経て、1945年3月、主計大尉に進み、同年4月、第103戦隊司令部付春風勤務で終戦を迎えた。
江口 英一(えぐち えいいち、1918年7月27日 - 20… 江口 英一(えぐち えいいち、1918年7月27日 - 2008年11月22日)は、日本の社会学者。中央大学名誉教授。社会福祉、社会保障、貧困や日雇い労働者の問題を研究した。 愛知県出身。1938年第八高等学校 (旧制)卒業。1941年東京帝国大学経済学部卒。1948年専修大学経済学部助教授、1956年北海道大学教育学部助教授、1959年日本女子大学文学部教授、1968年中央大学経済学部教授。1989年定年、名誉教授。1981年野呂栄太郎賞受賞。1982年「現代の「低所得層」―「貧困」研究の方法」で日本学士院賞受賞。1983年「現代の「低所得層」」で中央大学経済学博士。 なお、日本女子大学や中央大学の通信教育課程の社会政策担当も兼任した。
藤波 恒雄(ふじなみ つねお、1917年10月4日 - 19… 藤波 恒雄(ふじなみ つねお、1917年10月4日 - 1988年4月8日)は、日本の通商産業技官。科学技術事務次官を経て、日本原子力研究所理事長、日本原子力学会会長などを歴任した。 山梨県出身。1938年第八高等学校理科甲類卒業。1940年東京帝国大学工学部卒業、電気庁入庁。1955年通商産業省公益事業局公益事業調査課長。1956年科学技術庁原子力局管理課長。1965年通商産業省公益事業局技術長。1967年科学技術庁原子力局長。1968年科学技術事務次官、国防会議幹事。1969年放射線審議会委員、海洋科学技術審議会委員、航空技術審議会委員。 1972年電力中央研究所理事。1974年電源開発調整審議会委員。
木下 祝郎(きのした しゅくお、1915年 <大正4年> 1… 木下 祝郎(きのした しゅくお、1915年 <大正4年> 10月31日 - 2011年 <平成23年> 3月19日)は、日本の農芸化学者、経営者。農学博士。協和発酵工業(現在の協和キリン)社長を務めた。位階は正四位。 京都府久美浜町(現京丹後市)出身。第八高等学校を経て、東京帝国大学に進み、1941年に同大農学部農芸化学科を卒業し、台湾総督府工業研究所に入所。同年12月開戦とともに徴兵され中国大陸南部に出兵、1946年5月に復員・帰国して協和産業(後の協和醗酵工業)に入社した。同社では、ペニシリンの量産化、ストレプトマイシン生産技術の導入などに取り組んだ。その後、同社東京研究所で、発酵によるアミノ酸製造技術(アミノ酸発酵)を発明した研究開発チームを主導した。
平川 彰(ひらかわ あきら、1915年〈大正4年〉1月21日… 平川 彰(ひらかわ あきら、1915年〈大正4年〉1月21日 - 2002年〈平成14年〉3月31日)は、日本の仏教学者。東京大学名誉教授。日本学士院会員。 1915年、愛知県渥美郡老津村(現在の豊橋市)で生まれた。1936年第八高等学校文科乙類入学、1939年東京帝国大学文学部印度哲学梵文学科で学び、1941年に卒業し、同大学大学院に進み、1946年東京帝国大学副手に任命される。 1950年、北海道大学助教授に着任。1954年、東京大学文学部印度哲学科助教授に転じた。1959年、学位論文『律蔵の研究』を東京大学に提出して文学博士号を取得。1962年に教授昇格。1975年に東京大学を定年退官、名誉教授の称号を受ける。
川松 鍵三(かわまつ けんぞう、1914年〈大正3年〉10月… 川松 鍵三(かわまつ けんぞう、1914年〈大正3年〉10月 - 没年不明)は、昭和時代前期の台湾総督府官僚、拓務官僚。 愛知県出身。第八高等学校を卒業。1939年(昭和14年)10月、高等試験行政科試験に合格。1940年(昭和15年)3月東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、同年台湾総督府殖産局兼拓務省殖産局勤務となる。ついで、総督府官房審議室に転じ、1941年(昭和16年)6月、地方理事官に進み、高雄州恒春郡守に就任し、1942年(昭和17年)8月、台南州教育課長に転じた。 戦後は、愛知県文書課長、愛知労働基準局労災補償課長、徳島県経済部長、同県商工水産部長、東京事務所長、兵庫労働基準局次長、奈良労働基準局長、大阪労働基準局次長、公共企業体等労働委員会事務局名古屋支局長を歴任した。
木村 耕三(きむら こうぞう、1913年10月10日 - 1… 木村 耕三(きむら こうぞう、1913年10月10日 - 1983年6月7日)は、日本の気象学者。理学博士。気象庁在職中、アメダスを完成させた業績で知られる。 1913年10月10日、東京都に生まれる。自宅は赤坂。父は銀座で医院を開業する医師。第八高等学校(名古屋市瑞穂区瑞穂町)を経て東京帝国大学理学部地震学科卒業。 新京市(現・吉林省長春市)の満州国中央観象台に就職。戦中は航空軍の気象将校として召集され、新京市で働く。階級は中尉。後輩にあたる将校たちが次々と結婚していったが、本人は平然とした様子で独身を貫いた。この頃熱心に読んでいたのはクローモフの『天気解析と予報入門』。戦後はソ連に1年8ヶ月抑留されたのち帰国。
服部 高顯(はっとり たかあき、1912年〈大正元年〉10月… 服部 高顯(はっとり たかあき、1912年〈大正元年〉10月1日 - 1993年〈平成5年〉3月24日)は、日本の裁判官。第9代最高裁判所長官。愛知県出身。位階は従二位。 第八高等学校、東京帝国大学法学部卒業。裁判官になったあと陸軍に召集され、下士官を過ごした。英語が抜群の出来で、戦後は司法省大臣官房で連合国との折衝にあたった。最高裁民事局第一課長の時に家事審判規則の制定に参画した。その後、司法研修所教官や東京地裁で裁判実務についた。1954年にフォード財団が支援した日米法学者交流でアメリカの大学に2年間留学した。帰国後、津地裁所長、東京高裁判事、福岡高裁長官、大阪高裁長官を歴任。 1975年12月3日に最高裁判所判事に就任。
宮本 梧楼(みやもと ごろう、1911年8月17日 - 20… 宮本 梧楼(みやもと ごろう、1911年8月17日 - 2012年7月20日)は、日本の物理学者(実験物理学)。理学博士。多年にわたり東京大学理学部教授を務め、原子核物理、加速器、核融合の分野で多くの業績をあげるとともに、数多くの人材を育成した。 旧制愛知県熱田中学校、旧制第八高等学校を経て、1936年に東京帝国大学理学部物理学科を卒業し、嵯峨根遼吉教授の指導下で理研のサイクロトロンを用いた原子核物理の実験研究を始めた。その後、東京大学教授に就任、1972年に定年退官した。東京大学退官後も、茨城大学、日本原子力研究所(特別研究員)等で教育と研究にあたった。 宮本は戦後いち早く高エネルギー物理学、なかんずくその必須の手段としての高エネルギー加速器の研究に着手し、1953年には文部省機関研究費を用いて東京大学強収斂電子シンクロトロンの建設を始め、1957年に130MeVの装置を完成した。
安藤 孝行(あんどう たかつら、1911年7月28日 - 1… 安藤 孝行(あんどう たかつら、1911年7月28日 - 1984年5月26日)は、日本の哲学者、翻訳家。岡山大学名誉教授。 1911年、愛知県西春日井郡豊山村(現:豊山町)生まれ。1929年、旧制・明倫中学校を出て、第八高等学校(文科甲類)に進学。1933年、京都帝国大学文学部哲学科に進んだ。大学では、田辺元らの指導を受ける。1936年に同大学を卒業し、大学院に進んだ。 1941年、第四高等学校教授に着任。太平洋戦争を経て、1949年に金沢大学助教授に就任。1951年、教授に昇格。1953年より立命館大学文学部教授。1958年からは文学部長を務めた。1956年、東京大学にて文学博士号を取得。1967年、岡山大学教授に転じた。
浅野 清(あさの きよし、1910年6月1日 - 1989年… 浅野 清(あさの きよし、1910年6月1日 - 1989年3月24日)は、日本の古生物学者。愛知県名古屋市出身。 名古屋市内において、11人兄弟の末っ子として生を受ける。第八高等学校(名古屋大学教養部の前身)を卒業後、東北帝国大学理学部、東北帝国大学大学院に進んだ。大学院において、小型有孔虫に関する研究に精力的に取り組む。 1938年(昭和13年)、南洋庁熱帯研究所嘱託となり、当時日本の委任統治下にあったパラオに赴いた。翌年技師となりサンゴ礁の研究を開始したものの、その年の秋には太平洋石油株式会社に移ることとなった。同社ではメキシコの石油資源調査に携わる。1941年(昭和16年)夏には仙台に戻り、東北帝大において副手の職を得た。
中村 貞一(なかむら さだいち、1909年9月24日 - 没… 中村 貞一(なかむら さだいち、1909年9月24日 - 没年不明)は、日本の林学者、造園学者。 京都大学、島根県立島根農科大学(現在の島根大学生物資源科学部)、信州大学、名城大学などで長く教育と研究にあたる。専門は防火樹に関する実験的研究であるが、別に観光レクリエーションと日本庭園史を手がけた。 1929年、第八高等学校文科乙類を卒業する。東京帝国大学法学部法律学科に進学するが、結核にかかり1935年に中途退学した。療養後の1942年9月から京都帝国大学に入学し、1945年、京都帝国大学農学部林学科を卒業した。同年より京都大学農学部助手(演習林、造園学教室)を経て1953年に京都大学講師となる。
鳥居 保治(とりい やすじ、1909年3月31日 - 199… 鳥居 保治(とりい やすじ、1909年3月31日 - 1996年3月9日)は、日本の実業家。三井石油化学工業(現在の三井化学)社長および会長を務めた。愛知県宝飯郡御津町出身。孫は植物学者の鳥居啓子。 旧制愛知県豊橋中学校、旧制第八高等学校を経て、1932年に東京帝国大学工学部応用化学科を卒業し、三井鉱山に入社した。1941年に三井化学工業に転じ、1954年に取締役に就任し、1969年に三井石油化学工業社長に就任。1977年に会長に就任し、1982年から相談役を務めた。 1971年4月に藍綬褒章を受章し、1979年4月に勲二等瑞宝章を受章した。 1996年3月9日狭心症のために東京都府中市の病院で死去。
加藤 進(かとう すすむ、1909年1月10日 - 1996… 加藤 進(かとう すすむ、1909年1月10日 - 1996年3月27日)は、日本の教育者、政治家。衆議院議員、参議院議員を各1期務めた(いずれも日本共産党公認)。日本共産党中央委員会顧問や同党愛知県委員会、日ソ協会愛知県連合会副会長などを歴任した。 愛知県名古屋市千種区出身。1945年、名古屋帝国大学理学部数学科を卒業後、第八高等学校哲学科講師や名古屋大学数学科教官に就任。この間初代愛知県教員組合副委員長を務めたほか、同県労働学校開設にも尽力した。 1963年の第30回衆議院議員総選挙で旧愛知1区から出馬し初当選。その後1971年の第9回参議院議員通常選挙で全国区から出馬し当選。1977年の第11回参議院議員通常選挙で落選した。
平井 昌夫(ひらい まさお、1908年11月24日 - 19… 平井 昌夫(ひらい まさお、1908年11月24日 - 1996年2月11日)は、日本の国語教育学者・日本語学者。 筆名に「頼阿佐夫」(平井昌夫 Hirai Masao から Hi と M をとって Rai Asao とした)。 東京府東京市(現・東京都大田区千束)生まれ。本籍地は愛知県名古屋市。 旧制第八高等学校文科甲類を経て、1933年3月に東京帝国大学文学部哲学科を卒業。1933年4月より1929年12月まで日本のローマ字社に勤務。1926年4月から1937年2月まで東京高等商工学校高等科教授。1927年6月から1928年12月まで東京帝国大学図書館嘱託。1929年から東亜研究所嘱託、春陽堂などの嘱託をつとめる。
竹内 壽平(たけうち じゅへい、1908年〈明治41年〉10… 竹内 壽平(たけうち じゅへい、1908年〈明治41年〉10月11日 - 1989年〈平成元年〉11月3日)は、静岡県浜名郡小野口村大字小松(現浜松市浜名区小松)出身の検察官。プロ野球コミッショナー。位階は正三位。 第八高等学校を経て東京帝国大学法学部卒。法務省刑事局長、法務事務次官。東京高検検事長を経て1970年より3年間、検事総長を務める。法務省時代、馬場義続の知遇を得る。法務事務次官時代に田中伊三次法務大臣が馬場の後の検事総長に竹内を起用する案を持っていたが、竹内は法務・検察の序列を軽視した人事では検事長クラスの中に辞表を提出する者が出て混乱すると進言し、田中は断念した。 退官後にスイスのジュネーブで開かれた国際会議に政府代表団団長として出席した。
野崎 利夫(のざき としお、1908年〈明治41年〉4月4日… 野崎 利夫(のざき としお、1908年〈明治41年〉4月4日 - 1989年〈平成元年〉4月11日)は、日本の新聞記者、経営者。プロ野球中日ドラゴンズ球団社長を務めた。愛知県豊橋市出身。 第八高等学校を経て、1932年に東京帝国大学文学部を卒業し、1936年に新愛知新聞社に入社。 新聞記者として勤務し、名古屋タイムズ社社長を経て、1962年には中部日本新聞社(現在の中日新聞社)取締役に就任。1964年には球団史上初めての中日ドラゴンズ球団社長に就任し、1967年までに務めた。 1989年4月11日食道ガンのために死去。81歳没。 著書に「天国と地獄の間」がある。
浅井 博(淺井博、あさい ひろし、1907年9月13日 - … 浅井 博(淺井博、あさい ひろし、1907年9月13日 - 2008年4月3日)は、日本の実業家。ヒガシマル醬油社長。 兵庫県揖保郡龍野町(のち龍野市、現・たつの市)生まれ。名古屋の旧制第八高等学校を経て、1931年、東京帝国大学経済学部を卒業する。卒業後は浅井醤油に入る。1942年、浅井醤油は合併で龍野醤油となり、取締役に就任する。その後、専務、副社長を経て、1963年、社長に就任する。翌年、龍野醤油をヒガシマル醬油に改称する。会長、名誉会長を経て、1998年、相談役となる。また、龍野市議会議員、同議長、龍野商工会議所会頭、龍野観光協会会長、日本醤油協会会長などを務めた。 2008年4月3日、心不全のため相生市内の病院で死去した。
谷口 寛(たにぐち ゆたか、1907年〈明治40年〉7月9日… 谷口 寛(たにぐち ゆたか、1907年〈明治40年〉7月9日 - 1994年〈平成6年〉10月3日)は、日本の内務・警察官僚。内閣官房副長官、最後の官選奈良県知事。 三重県津市出身。谷口周三郎の長男として生まれる。第八高等学校を卒業。1929年10月、高等試験行政科試験に合格。1930年、東京帝国大学法学部英法科を卒業。内務省に入省し、京都府属となる。 以後、富山県の課長、静岡県警察部警務課長、神奈川県商工課長、内務事務官、警保局勤務、岐阜県経済部長、厚生省軍事保護院職業課長、内閣参事官などを歴任。 1947年3月、前任の野村万作が知事選に出馬のため辞任したことに伴い奈良県知事に発令された。知事選挙を執行して同年4月に退任。
金子 武雄(かねこ たけお、1906年〈明治39年〉5月10… 金子 武雄(かねこ たけお、1906年〈明治39年〉5月10日 - 1985年〈昭和58年〉3月24日)は、国文学者。 新潟県生まれ。旧姓・伊野宮。第八高等学校卒、1933年東京帝国大学文学部国文科卒。 1905年生まれの金子武雄とは同姓同名の別人であるが、生没年ともに極めて近く、研究した専攻分野は異なるものの近いため一般書などでは同じ分野のものも多く、国会図書館の書誌データベースの著者の情報では混同されていた、という話が以前よりあり、現在も混同されたままである。
依田 新(よだ あらた、1905年9月30日 - 1987年… 依田 新(よだ あらた、1905年9月30日 - 1987年5月11日)は、日本の心理学者。 東京市麻布生まれ。学習院教授依田豊の長男。第八高等学校卒業。1929年、東京帝国大学心理学科卒業。 東京文理科大学助手。1937年、東京高等師範学校講師。1938年、教授。1936年から児童学研究会に参加し、さらに教育科学研究会教育科学研究部会に参加。戦時下弾圧を受ける。1948年、東京文理科大学教授。1949年、校名変更で東京教育大学教授。 1951年、名古屋大学教授(1958年まで東京教育大学教授併任)。1954年まで名古屋大学教育学部学部長。 1956年、東京大学教育学部教授(1959年まで名古屋大学併任)。
高林 敏巳(たかばやし としみ、1905年9月26日 - 1… 高林 敏巳(たかばやし としみ、1905年9月26日 - 1993年7月26日 )は、日本の経営者。三井金属鉱業社長を務めた。静岡県浜松市出身。 旧制静岡県立榛原中学校、旧制第八高等学校を経て、1928年に東京帝国大学工学部鉱山学科を卒業し、同年に三井鉱山に入社。1951年に三井金属鉱業に転じ、1952年に取締役に就任し、1956年に常務を経て、1958年11月に副社長に就任し、1964年5月には社長に昇格した。1970年4月に会長に就任し、1974年5月までに務めた。経済団体連合会、日本経営者団体連盟各常任理事も務めた。 1965年10月に藍綬褒章を受章し、1976年11月に勲一等瑞宝章を受章した。
谷 信一(たに しんいち、1905年5月8日 - 1991年… 谷 信一(たに しんいち、1905年5月8日 - 1991年1月21日)は、日本の美術史家。日本近世美術史専攻。東京国立博物館勤務。 1905年、三重県安濃郡安西村の素封家・駒田家生まれ。父の姉の家を継ぎ谷家へ養子に入る。第八高等学校卒業後、1930年3月東京帝国大学文学部美術史学科を卒業、同年4月東京帝国大学文学部副手、1932年7月東京帝国大学史料編纂所嘱託を経て、1942年3月京城帝国大学助教授に任官したが、1946年8月大学廃止により退官帰国した。 引き揚げ後は、1946年より美術研究所研究員、1949年5月東京芸術大学美術学部講師、1952年神戸大学文理学部教授となり、1952~1958年まで東京芸術大学教授を兼任した。
岩崎 克己(いわさき かつみ、1905年1月21日(明治38… 岩崎 克己(いわさき かつみ、1905年1月21日(明治38年) - 1993年11月20日)は日本の言語学者、歴史学者。 1905年1月21日、愛知県豊橋市で生まれた。旧制第八高等学校を卒業後上京し、東京帝国大学英文科に進学。同大学大学院に進み、修了。その後、東京外国語大学に入学。東京外国語大学ではオランダ語、ポルトガル語、スペイン語、ロシア語、ドイツ語、中国語、チベット語等を習得し、卒業した。 修了後は、郁文館、早稲田実業学校、桜蔭学園などで英語教師として勤務。専門は語学であったが、東洋史に関する問題についても研究し、『書物展望』、『歴史地理』、『学鐙』などの論文を残した。1943年に応召し、中華民国に渡った。
大島 弘夫(おおしま ひろお、1903年〈明治36年〉11月… 大島 弘夫(おおしま ひろお、1903年〈明治36年〉11月25日 - 1953年〈昭和28年〉10月4日)は、日本の内務官僚。官選青森県知事。 石川県金沢市長町出身。第八高等学校(現・名古屋大学)を首席で卒業。1925年11月、高等試験行政科試験に合格。1926年、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。内務省に入省し新潟県属となる。 以後、富山県書記官・警察部長、軍事保護院事務局長、総力戦研究所員、内閣参事官などを歴任。 1944年8月、青森県知事に就任。戦時下の食糧増産に尽力。1945年4月、内務省管理局長に転任。内務省調査官、大臣官房調査部長を歴任。1946年1月に退官。その後、公職追放となった。
井森 陸平(ゐもり りくへい、1903年3月26日 - 19… 井森 陸平(ゐもり りくへい、1903年3月26日 - 1982年12月29日)は、日本の社会学者、甲南大学名誉教授(文学博士)。専門は、農村社会学、産業社会学。 岐阜県郡上郡西和良村鬼谷(現・郡上市八幡町美山)生まれ。その父(京之助)は農商務省京都蚕業講習所(現・京都工芸繊維大学)の第一回卒業生であり蚕業技術者だった。また郡上八幡の実家では養蚕を行っていた。1926年3月、東京帝国大学文学部社会学科卒業。その後、鳥取高等農業学校、第八高等学校、名古屋大学、金沢大学、愛知大学、甲南大学(1973年3月定年退職)の教授を歴任した。甲南大学の就任には臼井二尚の推薦があったという。その学問は、テンニース、バレートの理論社会学研究からはじめ、次第に村落研究を人口、文化、習俗の観点から行うようになった。
牧野 茂(まきの しげる、1902年(明治35年)8月9日 … 牧野 茂(まきの しげる、1902年(明治35年)8月9日 - 1996年(平成8年)8月30日)は、日本の海軍軍人、造船技師。東京帝国大学卒業。最終階級は海軍技術大佐。愛知県名古屋市出身。 1902年(明治35年)8月9日生まれ。愛知県名古屋市出身。東京府立第一中学校、第八高等学校を経て、1922年(大正11年)、東京帝国大学工学部船舶工学科に入学。大正11年7月、海軍造船学生。1925年(大正14年)3月、東京帝国大学を卒業(工学士)。 大正14年5月、海軍造船中尉に任官、横須賀鎮守府付。1927年(昭和2年)12月に海軍造船大尉に進級し、1931年(昭和6年)12月から1934年(昭和9年)12月までフランスに駐在し(フランス国立造船大学〈シェルブール〉)、その間の1932年(昭和7年)12月に海軍造船少佐に進級。
橋本 政実(政實、はしもと まさみ、1902年(明治35年)… 橋本 政実(政實、はしもと まさみ、1902年(明治35年)1月2日 - 1962年(昭和37年)2月20日)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事。旧姓・坂井。位階は正四位。勲三等旭日中綬章。 長崎県出身。橋本家の養子となる。第八高等学校を卒業。1924年11月、高等試験行政科試験に合格。1925年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業し東京市事務員となる。1926年、内務省に転じ東京府属となる。 以後、高知県書記官・警察部長、情報局情報官・第四部長などを歴任。1944年7月、岐阜県知事に就任。1945年4月に茨城県知事に転じ、終戦を迎えた。同年8月、内務省警保局長に就任。同年10月、公職追放となり退官した。
山崎 敏夫(やまざき としお、1901年〈明治34年〉7月3… 山崎 敏夫(やまざき としお、1901年〈明治34年〉7月30日 - 1978年〈昭和53年〉4月3日)は、日本の歌人・国文学者。愛知県立大学元学長、同大名誉教授。位階は従三位。勲二等瑞宝章受章。 東京出身。第八高等学校卒、1926年京都帝国大学文学部国文科卒。八高時代石井直三郎に師事し、歌誌「青樹」を経て「水甕」(尾上柴舟)所属。愛知県立第一高等女学校(愛知県立明和高等学校の前身の一つ)校長などを経て、愛知県立女子大学教授、1964年学長、1966年愛知県立大学学長を務めた。1969年定年退官、名誉教授となり、椙山女学園大学短期大学部教授を務め、1977年退職。1972年勲二等瑞宝章受章。1978年死去。
澤 重民(さわ しげたみ、1901年(明治34年)4月29日… 澤 重民(さわ しげたみ、1901年(明治34年)4月29日 - 1993年(平成5年)12月21日)は、日本の内務官僚、実業家。官選奈良県知事。 実兄に空母「瑞鶴」飛行隊長として真珠湾攻撃に参加した嶋崎重和がいる。 三重県出身。澤重元の長男として生まれる。第八高等学校を首席で卒業。1924年11月、高等試験行政科試験に合格。1925年、東京帝国大学法学部法律学科を首席で卒業。内務省に入省し社会局属となる。 以後、国際労働機関帝国事務局勤務、佐賀県勤務、岐阜県勤務、内務省土木局河川課長、同地方局監督課長、同会計課長などを歴任。 1943年7月、奈良県知事に就任。戦時下の対応に尽力。1945年2月、厚生省衛生局長に転任。
武若 時一郎(たけわか ときいちろう、1901年(明治34年… 武若 時一郎(たけわか ときいちろう、1901年(明治34年)4月 - 没年不詳)は、日本の内務官僚。最後の官選広島県知事。 京都府出身。武若喜太の長男として生まれた。第八高等学校を卒業。1925年、東京帝国大学法学部法律学科(仏法)を卒業。内務省に入省し東京府属となる。1926年12月、高等試験行政科試験に合格した。 以後、京都府社会課勤務、内務属・土木局勤務、内務事務官、内閣紀元二千六百年祝典事務局書記官、内閣情報部書記官、神祇院書記官兼秘書官、造神宮主事、外務書記官、近畿地方行政事務局次長などを歴任。 楠瀬常猪が知事選挙に立候補するため広島県知事を辞任したことを受け、近畿地方行政事務局次長であった武若が事実上の選挙管理知事として任命され、1947年3月14日に40代官選広島県知事に就任。
小田 成就(おだ しげなり / じょうじゅ、1901年(明治… 小田 成就(おだ しげなり / じょうじゅ、1901年(明治34年)1月1日 - 1975年(昭和50年)6月12日)は、日本の内務官僚、弁護士。官選奈良県知事。海軍司政長官。妻・英子は樺山資英の三女。位階は正四位。勲二等瑞宝章。 兵庫県出身。小田半平の二男として生まれる。第八高等学校を卒業。1923年12月、文官高等試験行政科試験に合格。1925年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省し奈良県属となる。 以後、奈良県警察部保安課長、大阪府監査官・保安課長、神奈川県社会課長、同地方課長、同庶務課長、和歌山県書記官・学務部長、愛知県書記官・学務部長、文部書記官、文部省社会教育局成人課長などを歴任。
渡邉 信一(わたなべ しんいち、1901年 - 1984年… 渡邉 信一(わたなべ しんいち、1901年 - 1984年)は、日本の経済学者。東京帝国大学経済学部教授、名古屋大学経済学部長などを経て、名古屋大学名誉教授。 愛知県出身。1922年第八高等学校文科甲類卒業。1925年東京帝国大学経済学部経済学科卒業、東京帝国大学経済学部助手。1946に東京帝国大学経済学部教授を辞職し、1948年から名古屋大学法経学部教授として経済史講座を担当した。1950年名古屋大学評議員。1952年名古屋大学学生部長。1955年名古屋大学経済学部長。退官後、名古屋大学名誉教授。1984年正四位。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
谷口 成之(たにぐち しげゆき、1900年11月25日 - … 谷口 成之(たにぐち しげゆき、1900年11月25日 - 1984年)は、東海大学工学部教授などを歴任した日本の都市計画家。 愛知県尾張旭市生まれ。旧制明倫中学校から第八高等学校をへて1925年に東京帝国大学工学部土木工学科を卒業し、都市計画地方委員会の愛知地方委員会に奉職。1931年には長崎地方委員会に転任。1939年北海道地方委員会に転任。1942年には東京地方委員会に転任するが、戦時中のため仕事は護国寺の大防空壕掘削だったという。そのまま東京都発足で職員となり、戦後は戦災復興都市計画の責任者である都建設局区画整理課長や、区画整理部長を歴任していく。1950年からは都市計画担当教員として中央大学で教鞭を執る。
柴田 栄(しばた さかえ、1900年11月12日 - 198… 柴田 栄(しばた さかえ、1900年11月12日 - 1982年9月23日)は、日本の政治家、農林官僚。参議院議員(3期)、林野庁長官(第3代)。 愛知県川中村大字福徳(現名古屋市北区福徳町)に生まれる。第八高等学校を経て、1928年に東京帝国大学農学部林学科を卒業。 大学卒業後、白沢営林署長、真室川営林署長、青森営林署長、秋田営林局長などを歴任した。真室川営林署長時代にはスキー大会を発案及び主催。真室川町秋山スキー大会の始まりだった。 1952年9月3日、林野庁長官に就任。1954年12月11日にインドで開催された第4回世界林業会議に日本代表として出席した。1955年11月19日、同長官を退任。
谷口 明三(たにぐち めいぞう、1900年(明治33年)10… 谷口 明三(たにぐち めいぞう、1900年(明治33年)10月14日 - 1987年(昭和62年)10月9日)は、日本の内務・警察官僚。官選宮崎県知事、北海道開発庁次長。旧姓・田中。 現在の山口県下関市出身。田中種吉の三男として生まれ、谷口寛の養子となる。第八高等学校を卒業。1924年11月、高等試験行政科試験に合格。1925年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。横浜市役所を経て、1926年、内務省に入省し徳島県属となる。 以後、鳥取県警察部課長、青森県警察部課長、茨城県警察部課長、大阪府警察部課長、内務省事務官、満州国治安部警務司長、埼玉県内務部長などを経て、警視庁警務部長となる。 1944年8月、宮崎県知事に就任。
吉田 賢抗(よしだ けんこう、1900年〈明治33年〉5月1… 吉田 賢抗(よしだ けんこう、1900年〈明治33年〉5月10日 - 1995年〈平成7年〉4月28日)は、日本の漢文学者。学位は、文学博士(東洋大学・論文博士・1961年)(学位論文「北宋における心性論の研究 契嵩と王安石を中心として」)。東北大学名誉教授。 愛知県名古屋市生まれ。第八高等学校卒、東京帝国大学文学部支那哲学科卒。 松本高等学校教授、第二高等学校教授、戦後東北大学教養部教授、1961年「北宋における心性論の研究 契嵩と王安石を中心として」で東洋大学文学博士。 1964年東北大を定年退官、名誉教授、東北工業大学教授、名誉教授、桜美林大学教授。
稲葉 通彦(いなば みちひこ、1899年(明治32年)8月2… 稲葉 通彦(いなば みちひこ、1899年(明治32年)8月20日 - 1970年(昭和45年)4月16日)は、日本の実業家。鉄道建設興業(現在の鉄建建設)元社長。 鉄道建設業協会(現在の日本建設業連合会)元会長。位階は正四位。勲四等旭日小綬章受章者。弾丸列車計画に主任技師として任命され、計画のまとめ役となった。 茨城県水戸市出身。茨城県士族、奈良女子高等師範学校名誉教授の稲葉彦六の長男として生まれる。旧制第八高等学校を経て、1923年(大正12年)東京帝国大学工学部土木工学科を卒業し、鉄道省に入省した。 1925年(大正14年)鉄道技師となり、1931年(昭和6年)12月から1933年(昭和8年)8月まで欧米に留学した。