黒木 真由(くろき まゆ、1992年2月1日 - )は、日本… 黒木 真由(くろき まゆ、1992年2月1日 - )は、日本のラジオパーソナリティ、臨床検査技師、実業家。 広島県廿日市市出身。 山陽女子短期大学卒業。臨床検査技師として広島市立安佐市民病院に勤務。 病の原因は暮らしの中にあるのではないかと考え、2018年より、地域支援員として活動。中山間地域の住民の健康維持向上に取り組んだ。 2021年に「とこらぼ」を創設し、業務執行社員に就任。無印良品で「まちの保健室」を運営。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
細田 智也(ほそだ ともや、1991年〈平成3年〉11月14… 細田 智也(ほそだ ともや、1991年〈平成3年〉11月14日 - )は、日本の政治家、臨床検査技師。2017年に埼玉県入間市議会議員に当選し、オープンリーなトランスジェンダー男性としては世界初の議員となった。 埼玉県飯能市に生まれ、入間市で育った。飯能市立精明小学校、入間市立野田中学校卒業。第二次性徴で胸がふくらみ始める頃、自らの性に違和感を持つようになった。中学では駅伝に没頭。進学先の埼玉平成高等学校で陸上部に入るも、女子のユニフォームが嫌になり部活から足が遠のく。「子どもの頃は、自分が大人になる未来が想像できなかった。真っ暗闇の中にいた」という。 帝京大学2年生の時、成人式の直前に母親にカミングアウト。
滝野 ますみ(たきの ますみ、1990年10月11日 - )… 滝野 ますみ(たきの ますみ、1990年10月11日 - )は日本のサウンドデザイナー、音響技師。 栃木県立栃木女子高等学校卒、東京藝術大学音楽環境創造科卒、東京藝術大学音楽学部修士課程修了。 大学在学中にアニメーションのサウンドデザイン、サラウンド音響作品の制作を行う。 株式会社ヴェントゥオノから株式会社ビー・ブルーへ移籍。現在はフリーランスとして活動している。 アニメーション、CM、ゲーム、インスタレーション等のサウンドデザインを手がける。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
根本 飛鳥(ねもと あすか、1989年1月17日 - )は、… 根本 飛鳥(ねもと あすか、1989年1月17日 - )は、日本の録音技師である。日本映画・テレビ録音協会(J.S.A.)正会員。 多摩美術大学造形表現学部映像演劇学科卒業。同大学在学中から精力的に商業映画や自主制作映画のスタッフとして活動。学生時代の自主制作作品も含めると現在までに150本を超える作品にスタッフとして参加している。 学生時代は監督志望で助監督としての活動が多かったが、その後きっかけがあり録音部に転向。同期には俳優の森岡龍や監督の奥田庸介がいる。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。 この項目は、映画監督に関連した書きかけの項目です。
友田 直孝(ともだ なおたか、1985年8月31日 - )は… 友田 直孝(ともだ なおたか、1985年8月31日 - )は、日本の照明技師である。東京都出身。日本大学藝術学部映画学科卒業。株式会社HILITE代表取締役。映画「唄う六人の女」で日本映画テレビ照明協会主催令和5年度照明技術賞映画部門において新人奨励賞を受賞。
秋元 大輔(あきもと だいすけ、1982年8月18日 - )… 秋元 大輔(あきもと だいすけ、1982年8月18日 - )は、日本の録音技師である。 1982年(昭和57年)8月18日、北海道伊達市で生まれる。 幼少の頃から、家の車についていたカーステレオをいじるのが好きで、その影響から夜中のAMラジオ放送を録音してマイカセットテープを集めていた。札幌の専門学校入学3ヶ月の時に、音響のアルバイトで知り合った人に声をかけられ、札幌の録音スタジオに入社。当時18歳のころだった。 スタジオで、音楽レコーディングや、番組・CMなどのMAをはじめ、ライブ・舞台・RisingSunRockFesなどの音響業務や、スポーツ・生放送などのテレビ中継業務 に携わる。 2007年に退社し、上京。
冨田 和彦(とみた かずひこ、1979年 - )は、日本の録… 冨田 和彦(とみた かずひこ、1979年 - )は、日本の録音技師である。日本映画・テレビ録音協会会員。日本大学芸術学部映画学科非常勤講師。 1979年、東京都出身。日本大学芸術学部映画学科卒。録音助手時代から是枝裕和監督作品に多数参加、現場録音とポスト・ミックスを担当する。 音楽エンジニア古賀健一と共に、長年AudioEase社Altiverbのサラウンド、イマーシブIR録音を行い、後世にホール、スタジオなどのリバーブを残す活動をしている。 ※賞歴のある作品は太字で記す。ダガー()付きはドキュメンタリー作品。
高橋 和博(たかはし かずひろ、1969年 - )は千葉県出… 高橋 和博(たかはし かずひろ、1969年 - )は千葉県出身のカメラマン、映写技師。 法政大学卒。大学在学中、井土紀州、吉岡文平、伊藤学らと出会い、『第一アパート』(井土紀州監督)の撮影を担当し、以後、井土・吉岡らが結成したスピリチュアル・ムービーズに参加、中核メンバーとして活動する。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
岩丸 恒(いわまる ひさし、1968年7月18日 -)は、日… 岩丸 恒(いわまる ひさし、1968年7月18日 -)は、日本の録音技師。日本映画学校(現・日本映画大学)卒業。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
中須 岳士(なかす たけし、1968年3月26日 - )は、… 中須 岳士(なかす たけし、1968年3月26日 - )は、日本の照明技師である。日本映画テレビ照明協会副会長(技術部部長)をつとめる。 1968年3月26日生まれ。 日本映画学校(現・日本映画大学)第1期卒業。在学中からフリーの照明助手として映画、テレビ、CF、Vシネマなどに携わる。助手時代は、渡邊孝一、中村裕樹、熊谷秀夫などに師事する。 アサヒビール、第一三共ヘルスケア、ブルボン、理想科学、明治製菓、三井不動産販売、セキスイハイム、キリンビール、家庭教師のトライ、洋服の青山、ライオン、グリコ、P&G、金鳥、NTTDoCoMo、ニッセン、三菱電機、NEC、敷島パン、味の素、ヤクルト、ユニクロ、資生堂 HAKU、他多数。
安田 守(やすだ まもる、1965年〈昭和40年〉1月7日 … 安田 守(やすだ まもる、1965年〈昭和40年〉1月7日 - )は、日本の政治家、臨床検査技師。京都府向日市長(3期)。京都府議会議員(2期)や向日市議会議員(1期)を歴任した。 京都府向日市物集女町出身。向日市立第2向陽小学校、乙訓中学校事務組合立第四乙訓中学校(現・向日市立西ノ岡中学校)、京都府立桂高等学校卒業。1989年(平成元年)3月、藤田学園保健衛生大学(現・藤田医科大学)衛生学部卒業。同年4月、大阪医科大学附属病院に就職。 2003年(平成15年)3月、日本大学大学院を修了(国際情報の修士)。同年4月、附属病院を退職。同年7月20日に行われた向日市議会議員選挙に出馬し初当選。 2007年(平成19年)3月、市議を辞任。
横田 明(よこた あきら、1962年〈昭和37年〉10月3日… 横田 明(よこた あきら、1962年〈昭和37年〉10月3日[要出典] - )は、大阪府吹田市出身の日本の考古学者、元考古学技師(財団法人大阪府埋蔵文化財協会調査課技師)、元地方公務員(大阪府教育委員会文化財保護課調査第一グループ副主査)、日本考古学協会会員である。 韓国語翻訳者、舞台俳優、レイキティーチャーとしても活動する。 1990年4月から2023年3月まで大阪府教育委員会事務局(のちの大阪府教育庁)文化財保護課に考古学職として勤務し、大阪府内の文化財保護業務に従事した。 在職中には阪神・淡路大震災後、兵庫県教育委員会に3年間派遣され復興支援に従事した。さらに東日本大震災後には岩手県教育委員会に2年間[要出典]、福島県教育委員会に9か月間[要出典]派遣され、文化財の復旧・復興業務に携わった。
古茂田 耕吉(こもだ こうきち、1959年7月1日 - )は… 古茂田 耕吉(こもだ こうきち、1959年7月1日 - )は、日本の録音技師。東京都目黒区出身[要出典]。 第42回日本アカデミー賞、優秀録音賞受賞。 東京都立深沢高等学校、日本工学院専門学校放送制作芸術科卒業。 1992年に『THE RECORD HUNTER』(WOWOW)で録音技師としてデビュー。かつてはK'S-MAYやアーツポート企画に所属していたが、現在はフリーランスの録音技師として活動する。近年では若手映画監督の作品に関わることが多い。 2017年に映画『カメラを止めるな!』の録音に携わったことで、2018年度の第42回日本アカデミー賞の優秀録音賞を受賞。同賞の授賞式に出席したときの心境について「自分の録音賞も、頭の隅にもなかった。
畦元 将吾(あぜもと しょうご、1958年〈昭和33年〉4月… 畦元 将吾(あぜもと しょうご、1958年〈昭和33年〉4月30日 - )は、日本の診療放射線技師、実業家、政治家。自由民主党所属の衆議院議員(3期)。自由民主党政務調査会環境部会長代理。 厚生労働大臣政務官、党副幹事長、環境委員会理事などを歴任。 広島市出身。安田学園安田小学校、あきる野市立秋多中学校、山陽学園山陽高等学校を経て1980年3月、国際医学総合技術学院(現:岐阜医療科学大学) 診療放射線技師科を卒業。 同年、社会保険広島市民病院 (現:広島市民病院)放射線科。1985年、横河メディカルシステム株式会社(現:GEヘルスケア・ジャパン株式会社)入社。1999年、有限会社オフィス・アゼモト設立 (後の株式会社AZE)代表取締役社長 就任。
西倉 鉄也(にしくら てつや、1958年4月26日 - )は… 西倉 鉄也(にしくら てつや、1958年4月26日 - )は、日本の土木技師。 東京都建設局長、東京都技監などを歴任し、東京地下鉄株式会社常務取締役、明治安田生命保険顧問、東京臨海高速鉄道代表取締役社長に就任。 1982年3月 早稲田大学理工学部土木工学科卒業。1982年4月 東京都入庁。2008年7月 建設局第二建設事務所長。2010年7月 建設局企画担当部長。2012年7月 都市整備局市街地整備部防災都市づくり担当部長。2013年7月 都市整備局都市基盤部長。2014年7月 都市整備局理事。 2015年7月 建設局道路監。2015年9月 東京臨海高速鉄道監査役(非常勤)。2016年7月 建設局長。
鈴木 昭彦(すずき あきひこ、1958年 - )は、日本の撮… 鈴木 昭彦(すずき あきひこ、1958年 - )は、日本の撮影監督、録音技師である。 1958年、東京都に生まれる。日本大学芸術学部映画学科撮影録音コースを卒業。1982年から1984年まで東京ビデオセンター技術部に勤めたのち、独立。これまでに手がけた作品に『犬猫』、『ニシノユキヒコの恋と冒険』などがある。
木下 俊也(きのした しゅんや、1955年10月 - )は、… 木下 俊也(きのした しゅんや、1955年10月 - )は、日本の薬剤師、臨床検査技師。学位は博士(薬学)(静岡県立大学・1992年)。一般社団法人静岡市薬剤師会事務局局長、静岡県立大学薬学部客員教授。 株式会社津村順天堂静岡工場、株式会社津村順天堂研究所、株式会社ツムラ本社での勤務を経て、日本大衆薬工業協会生薬製品委員会委員長、日本OTC医薬品協会生薬製品委員会委員長、わかくさ調剤薬局薬剤師などを歴任した。 三重県出身の薬剤師、臨床検査技師である。静岡薬科大学、静岡県立大学にて学び、津村順天堂、および、ツムラに勤務した。また、業界団体である日本大衆薬工業協会、および、日本OTC医薬品協会においては、生薬製品委員会の委員長といった役職も兼任していた。
佐藤 一俊(さとう かずとし、1953年5月1日 - )は日… 佐藤 一俊(さとう かずとし、1953年5月1日 - )は日本のアニメーションの音響効果技師。東京都品川区出身。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
長田 達也(おさだ たつや、1952年(昭和27年) - )… 長田 達也(おさだ たつや、1952年(昭和27年) - )は、日本の照明技師である。 1952年(昭和27年)、山梨県山梨市牧丘町に生まれる。 1971年(昭和46年)、照明助手としてテレビ映画、独立プロダクションの作品に参加。1983年(昭和58年)、森﨑東監督作品で初めて技師を手掛けた。 撮影現場では照明だけでなくさまざまな提案をする照明マンとしても有名で、周防正行監督や矢口史靖監督のブレインとしても活躍している。 1997年(平成9年)、『shall we ダンス?』で第20回日本アカデミー賞 最優秀照明賞を受賞。以後、2002年(平成14年)『陰陽師』、2004年(平成16年)『壬生義士伝』、2008年(平成20年)『それでもボクはやってない』、2010年(平成22年)『ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜』2014年(平成26年)『舟を編む』2020年(令和2年)『カツベン!』の6作品で優秀照明賞を受賞。
宮島 喜文(みやじま よしふみ、1951年〈昭和26年〉7月… 宮島 喜文(みやじま よしふみ、1951年〈昭和26年〉7月28日 - )は、日本の政治家、臨床検査技師、細胞検査士。自由民主党所属の元参議院議員(1期)。 日本臨床衛生検査技師会会長を6期12年務めたほか、中央社会保険医療協議会専門委員、財務大臣政務官などを歴任した。 長野県下伊那郡泰阜村出身。長野県阿南高等学校卒業後、帝京医学技術専門学校に進学、臨床検査技師となる。 1972年4月、長野県に入庁。20代から30代は、山間地域の医療を担う長野県立木曽病院・阿南病院に勤務。往診の際、患者だけでなく家族の健康状態も尋ねる医師の姿勢に「医療とは、社会を見つめるもの」であると考えるようになったという。
志満 順一(しま じゅんいち、1951年 - )は、日本の録… 志満 順一(しま じゅんいち、1951年 - )は、日本の録音技師である。株式会社サウンドデザイン ユルタ代表取締役。日本映画・テレビ録音協会理事長。 1951年、東京都生まれ。明治学院大学在学中から助監督や自主映画製作に従事。1977年頃から、録音助手としてテレビ・映画の現場で経験を積む。 1989年公開の映画『ザジ ZAZIE』で録音技師デビュー。1990年公開の映画『ほしをつぐもの』から現場録音やポストプロダクションにてサウンドデザインを行うようになり、以降フリーの録音技師として数々の映画作品の録音を担当。 1997年、浦田和治、弦巻裕と共に株式会社サウンドデザイン ユルタを設立(2022年から代表取締役)、東京都渋谷区にて映画・CM・テレビドラマ・ネット配信・ドキュメンタリーなどの映像の現場録音から仕上げ作業まで音に関する全ての作業を一貫して行っている。
弦巻 裕(つるまき ゆたか、1950年 - )は、日本の録音… 弦巻 裕(つるまき ゆたか、1950年 - )は、日本の録音技師。日本映画・テレビ録音協会会員。日本映画大学名誉教授。 1950年、新潟県生まれ。法政大学映画研究会所属時に助監督を務め、映画作りの現場に参加。卒業後、東京テレビセンター勤務を経て、1976年フリーとなり、松川八洲雄監督の記録映画『不安な質問』で録音技師デビュー、山川直人監督『ビリィ★ザ★キッドの新しい夜明け』で劇映画を手がけ、以来数多くの作品に参加している。 1997年には、浦田和治、志満順一と共に株式会社サウンドデザイン ユルタを設立、東京都渋谷区にて映画・CM・テレビドラマ・ネット配信・ドキュメンタリーなどの映像の現場録音から仕上げ作業まで音に関する全ての作業を一貫して行っている。
松崎喬(まつざき たかし、1941年 - )は、松崎喬造園設… 松崎喬(まつざき たかし、1941年 - )は、松崎喬造園設計事務所、(株)プランニングネットワーク技師長などを経て,現在大日本コンサルタント株式会社景観デザイン室上席技師。環境デザイナーで千葉大学園芸学部非常勤講師。2014年土木学会創立100周年記念切手原画デザインを担当。 1964年(昭和39年)千葉大学園芸学部造園学科卒。千葉大学園芸学部創立100周年記念事業キャンパス修景計画等検討委員会委員長。日光宇都宮道路で2002年土木学会デザイン賞。千葉東金道路・山武区間で2001年土木学会デザイン賞。ほかに津軽ダム下流工事用道路現道転落防止柵、など。 著書に『自動車道路のランドスケープ計画―環境と景観の立場からみた道路づくり』(ソフトサイエンス社,1997年、共著)『造園実務必携』(朝倉書店、2018年、共著)『緑の環境設計』(エヌジーティー、2002年、共著)『ランドスケープの新しい波-明日の空間論を拓く-』(監修:現代ランドスケープ研究会 (株)メイプルプレス刊 1999年、共著)など。
佐々木 英世(ささき ひでよ、1940年2月12日 - )は… 佐々木 英世(ささき ひでよ、1940年2月12日 - )は日本の映画音響効果技師、有限会社東洋音響代表取締役。北海道根室市曙町出身。所属団体は日本映画・テレビ録音協会。 1959年に目黒高等無線専門学校通信別科を卒業と同時に[要出典]日活撮影所に音響効果技師として入社。1974年に東洋音響効果グループに参加し、1988年に帆苅幸雄らと共に東洋音響を設立。 映画『ゴジラvsモスラ』から東宝特撮映画の音響効果を担当。ゴジラを始めとする怪獣の鳴き声や足音などの効果音を手掛けた。既存の怪獣は過去のものを加工して用いることが多いが、新規怪獣は新たに制作している。『ゴジラvsメカゴジラ』のベビーゴジラの鳴き声や『サンダカン八番娼館 望郷』での牛の断末魔などでは、自身の声を加工して用いている。
斉藤 薫(、1939年〈昭和14年〉8月29日 - )は日本… 斉藤 薫(、1939年〈昭和14年〉8月29日 - )は日本映画の照明技師。東京都葛飾区出身。 1958年に東京都立墨田工業高等学校電気科卒業後、東宝に入社。同年の『裸の大将』から照明助手を務める。主に市川崑監督に付き、1987年の『映画女優』より照明技師に昇進。同作品で、第11回日本アカデミー賞優秀照明賞を受賞。 その後、川北紘一からの誘いで『ガンヘッド』以降、特撮映画の照明技師を務める。1999年に定年退職し、フリーとなる。その後もゴジラシリーズへは『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』まで参加した。 就職活動では、学歴を活かせる大手企業の入社試験を受けていたがすべて落ち、OBが務めていたことから学校に求人案内が来ていた東宝へ入社することとなった。
中野 稔(なかの みのる、1939年2月5日 - 2021年… 中野 稔(なかの みのる、1939年2月5日 - 2021年4月4日)は、日本の光学合成技師。円谷プロダクション、日本現代企画を経て、デン・フィルム・エフェクトに所属していた。東京都出身。 日本大学芸術学部・大学院芸術学研究科出身。同期には佐川和夫、東條昭平、坂本太郎がいた。 1972年、高野宏一、飯塚定雄と共に「デン・フィルム・エフェクト」を設立。 2016年、文化庁映画賞受賞。 2021年4月4日、肝不全のため死去。82歳没。
望月 英樹(、1937年〈昭和12年〉6月4日 - )は、日… 望月 英樹(、1937年〈昭和12年〉6月4日 - )は、日本映画の照明技師、日本映画テレビ照明協会会長。東京都出身。 1956年に東京都立蔵前工業高等学校を卒業[要出典]、東宝の照明助手となる。1980年に照明技師へ昇進する。 ブルーバック(グリーンバック)合成での撮影は、緻密に計算するよりも臨機応変にフレキシブルな対応をする方が良いと考えており、太陽光線の角度などを正確に作っても人間の視覚にはそういった情報は残らないと述べている。 役者と会話をすることで場を和ませることに長けており、監督勢からも重用されたほか、中尾彬から「一番好きなライトマン」と評されたこともあった。ゴジラシリーズを多数担当していたことから海外にもファンがおり、『GODZILLA』(1997年)の監督を務めたローランド・エメリッヒにも対面して喜ばれたという。
鈴木 功(すずき いさお、1937年 - )は、日本の録音技… 鈴木 功(すずき いさお、1937年 - )は、日本の録音技師。神奈川県出身。日本映画テレビ録音協会会員。1980年より山田洋次監督「男はつらいよ」シリーズの録音技師となる。 1937年、神奈川県に生まれる。1956年に松竹に入社し、松竹大船撮影所で録音助手となる。
杉崎 喬(すぎさき たかし、1935年10月20日 - )は… 杉崎 喬(すぎさき たかし、1935年10月20日 - )は、日本の録音技師である。東京録音現像チーフミキサーを経て、ニューメグロスタジオ常務取締役を歴任した。日本映画・テレビ録音協会元会員。 1935年(昭和10年)10月20日、日本統治時代の朝鮮の全羅南道光州府(現在の大韓民国光州広域市)に生まれる。 第二次世界大戦後の1951年(昭和26年)4月、新制・神奈川県立希望ヶ丘高等学校に進学、1954年(昭和29年)3月、同校を卒業する。1955年(昭和30年)、東京録音現像に入社、録音部に配属される。同社はいわゆる「目黒スタジオ」と通称され、同社創業者であり代表取締役であった金井喜一郎(1901年 - 1961年)は、都映画社代表や、伊藤武郎らの独立映画の監査役も務めており、したがって同社は、独立系のアフレコや現像を請け負うポストプロダクションであった。
粟木原 毅(あわきはら つよし、1935年〈昭和10年〉7月… 粟木原 毅(あわきはら つよし、1935年〈昭和10年〉7月20日 - )は日本映画の照明技師。兵庫県神戸市出身。 1954年に兵庫県立芦屋高等学校を卒業。1955年、東宝に照明助手として入社。1975年に照明技師に昇進。1980年に東宝専属契約者を経て1992年にフリーとなる。
飯塚 定雄(いいづか さだお、1934年〈昭和9年〉12月2… 飯塚 定雄(いいづか さだお、1934年〈昭和9年〉12月26日 - 2023年〈令和5年〉3月24日)は、日本映画の光学合成技師、デン・フィルム・エフェクト代表取締役社長。 東京都新宿出身。愛称は「デンさん」。妻は東宝で光学作画を務めた飯塚江津子(旧姓・茂田)。 1954年に高校に通いながら二科会の美術研究所で東郷青児に絵画を学び、19歳の時にアルバイトとして東宝撮影所に入所。当初は美術助手として、ミニチュアの建物に「汚し」を付ける仕事などを担当していた。 1957年より円谷英二の奨めで室内合成の光学作画を担当。『地球防衛軍』以降、東宝特撮独自の光線表現を確立。『ウルトラマン』のスペシウム光線、怪獣が吐く破壊光線や火炎、ロケットの噴射などの合成を多く手掛けた。
紅谷 愃一(べにたに けんいち、1931年6月7日 - )は… 紅谷 愃一(べにたに けんいち、1931年6月7日 - )は、日本の録音技師である。日本映画・テレビ録音協会代表理事。 1931年(昭和6年)6月7日、京都府京都市中京区で、代々「近江屋藤兵衛」の屋号で染物屋を営む家の5人きょうだいの末っ子として出生。1944年、旧制中学の京都市立第一工業学校電気科に入学。1948年の学制改革で京都市立洛陽高等学校(現・京都市立洛陽工業高等学校)となる。同級生には大島渚がいた。1949年3月に卒業し、電気工事のアルバイトをして就職浪人しているときに級友の紹介で大映京都撮影所に臨時雇用され、同撮影所の録音課に配属された。1951年、吉村公三郎監督の『源氏物語』の撮影終了後に正社員となる。
島田 喜十郎(しまだ きじゅうろう、1931年 - )は、日… 島田 喜十郎(しまだ きじゅうろう、1931年 - )は、日本の土木技師。技術士・土木学会フェロー会員。工学博士(京都大学)。元神戸市港湾局新埠頭連絡橋建設事務所長および垂水工事事務所長。元本州四国連絡橋公団(現:本州四国連絡高速道路)「橋の科学館」橋のマイスター。明石海峡大橋の建設推進および初期調査・技術設計者の1人。 専門は、土木工学・建設工学・橋梁工学。 1931年大阪市生まれ。1953年大阪工業大学工学部土木工学科卒業(土木工学科第1期生)。のちに、京都大学大学院工学研究科にて工学博士(京都大学)。京都大学工学部助手を経て、1959年明石海峡大橋の建設提唱者である原口忠次郎第12代神戸市長を慕い、神戸市に入庁。
大野 松雄(おおの まつお、1930年6月17日 - 202… 大野 松雄(おおの まつお、1930年6月17日 - 2022年12月19日)は、日本の音響デザイナー、音響効果技師、現代音楽家。テレビアニメ『鉄腕アトム』に関わったことで知られている。 1930年、東京府神田区に生まれる。東京府立第六中学校(現・東京都立新宿高等学校)を経て、旧制富山高等学校を中退。 文学座、NHK東京放送効果団に勤めたのち、独立した。 1963年から1966年にかけて放映された『鉄腕アトム』において、テープ変調を使用してアトムの足音やビームの音などを作り出し、これが日本SFアニメの効果音の定型となった。1975年には、それらの効果音を集めたアルバム『鉄腕アトム 音の世界』が発売されている。
佐野 武治(さの たけじ、1930年5月11日 - 2011… 佐野 武治(さの たけじ、1930年5月11日 - 2011年3月4日)は、日本の照明技師。倉敷芸術科学大学メディア映像学科非常勤講師。日本映画テレビ照明協会会長。 1930年5月11日、京都府京都市に生まれる。 1948年、京都府尋常中学校(現在の京都府立洛北高等学校)卒業後、松竹京都撮影所に入社。 1957年(昭和32年)、同撮影所の契約技師となる。 1964年、松竹京都撮影所閉所にともないフリーランスの照明技師となり、約5,000本の映画作品の照明を手がける[要出典]。 晩年も現役の照明技師で、照明歴は実に60年、照明の神様である。 その傍ら、日本映画テレビ照明協会会長である。 2008年より倉敷芸術科学大学メディア映像学科非常勤講師に就任。
小野寺 久幸(おのでら ひさゆき、1929年5月18日 - … 小野寺 久幸(おのでら ひさゆき、1929年5月18日 - 2011年3月1日)は、日本の文化財(仏像)修理技師、東大寺大仏師。 宮城県本吉郡本吉町(現・気仙沼市)出身。本吉郡小泉高等尋常小学校卒業。 1951年、神奈川県鎌倉市覚園寺における重要文化財の木造薬師如来および日光菩薩・月光菩薩の各坐像の保存修理を行い、その仏像修理の力量を知らしめた。 1954年に東京国立博物館文化財修理室に勤務、翌年、財団法人美術院国宝修理所に就職する。 1975年に同修理所所長・西村公朝の指名を受け、第六代所長兼常務理事に就任。以後、国宝・重要文化財の彫刻作品の修理に専従するとともに、現場において後進の育成に努めた。
前田 宗正(まえだ むねまさ、1927年(昭和2年)9月5日… 前田 宗正(まえだ むねまさ、1927年(昭和2年)9月5日 - 2011年(平成23年)8月9日)は、日本の造園技師。 株式会社昭和造園の創設者で、社団法人東京都造園緑化業協会副理事長・協会設立理事・副会長、(高橋他(2003))[要出典]日本造園建設業協会広報委員長、東京都造園高等職業訓練校校長、遮断法事日本造園建設業協会理事を歴任した(高橋他(2003))。[要出典] 1947年、千葉農業専門学校(現・千葉大学園芸学部)を卒業し、春日造園に入社する。1957年、昭和造園を設立し代表となる。(高橋他(2003))[要出典]。 2002年、日本造園学会上原敬二賞を受賞した。2004年7月、東京都造園緑化業協会会長代行に就任する(会長の逝去に伴う)。
本島 健三(もとじま けんぞう、1926年3月8日 - 20… 本島 健三(もとじま けんぞう、1926年3月8日 - 2014年1月30日)は、日本出身の測量技師、慈善家及びギニア国地図作成事業に尽力した人物である。彼のギニアに対しての慈善活動は、ギニアの発展に大きく貢献し、彼の死後にはギニアの最高位の勲章・コラティエ勲章がギニア政府により授与された。彼は1977年から1982年のギニアの基本地図作成事業以外にも、ギニアの難民への慈善活動や、寄付活動を生涯かけて行い、NGOギニア会の初代会長に任命された人物である。 長野県飯田市(旧名・鼎村)の農家の家系で生まれる。8人兄弟の3男で、兄弟全員男という珍しい兄弟構成だった。幼い頃は体を動かすことが大好きで、木登りや水泳などをしていたという。
上原 浩(うえはら ひろし、1925年 - 2006年5月1… 上原 浩(うえはら ひろし、1925年 - 2006年5月1日)は、日本の酒造技術者、元財務局課税物件鑑定官、元鳥取県工業試験場技師、鳥取県酒造組合連合会技術顧問、蔵元交流会常任顧問、日本酒サービス研究会(SSI)最高技術顧問、ここに美酒あり選考会審査委員長、鳥取県出身。 生前は「日本酒界の重鎮」、「生き字引」とも言われたが、大変な「毒舌家」としても知られる。 漫画家・尾瀬あきらは上原が顧問を務める「蔵元交流会」の特別会員である。上原が指導のため九州へ行く時でも、東北を回る時でもペンとカメラを持って付いて行き、そして酒についてあれこれ質問をする。漫画のネタを仕込むためとの理由であり、尾瀬の熱心な取材により代表作の『夏子の酒』(モーニング、講談社)のネタ元になっている。
西尾 昇(にしお のぼる、1923年1月7日 - 2015年… 西尾 昇(にしお のぼる、1923年1月7日 - 2015年/2016年)は、日本映画の録音技師。旧活動名は西尾 浩伸(にしお ひろのぶ)。 山梨県南巨摩郡飯富村(現身延町)出身。小学5年生の頃、松竹洋画系の本郷座で観た『キング・コング』で、この映画の画と音への感動が録音技師を志望する契機となった。同作は当時、誠文堂の月刊誌『子供の科学』に頻繁に載っていたトーキーで、西尾は友達の母親(女教師)に声をかけられ、4~5人の同級生と共に連れられて観に行っていた。 1941年に電機学校を卒業し、1943年に朝日映画社に入社する。1948年に独立し、西尾サウンドを設立する。東宝、大映、東映などの独立プロ作品の受注を開始する。
穂坂 衛(ほさか まもる、1920年(大正9年)8月25日 … 穂坂 衛(ほさか まもる、1920年(大正9年)8月25日 - 2016年(平成28年)10月26日)は、日本の技師・学者。東京大学名誉教授。紫綬褒章。大野豊らと共に、世界初のオンライン座席予約システムと言われるMARS-1を開発。また日本のコンピューターグラフィクス・CAD分野のパイオニア。 技術士官として山名正夫の下で、艦上爆撃機の構造強度計算や、特攻機桜花の構造設計に携わる。「試験飛行時には設計者も同乗する必要があるため、ミスの許されない仕事を学んだ」と当人が語っている。 戦後、国鉄の鉄道技術研究所に移った穂坂はフルブライト・プログラムの第一期生としてMITに留学、ノーバート・ウィーナーとの出会いをきっかけにコンピューターを工学に応用することに関心を持つようになった。
海原 幸夫(かいはら ゆきお、1919年3月26日 - 没年… 海原 幸夫(かいはら ゆきお、1919年3月26日 - 没年不詳)は、日本の録音技師である。戦前の日活京都撮影所、および戦時統合による大映の成立後も引き続き戦後も大映京都撮影所で技師を務めた。 1919年(大正8年)3月26日、京都府京都市に生まれる。 京都市立商工専修学校(現在の京都市立堀川高等学校)を卒業し、1935年(昭和10年)、日活京都撮影所に入社する。録音技師として記録に残るもっとも古い作品は、1937年(昭和12年)6月17日に公開された池田富保監督の『唐人お吉 黒船情話』であり、同作公開時に海原は満18歳であった。同年は、剣戟スター俳優の阪東妻三郎が阪東妻三郎プロダクションを解散、映画監督のマキノ正博(のちのマキノ雅弘)がマキノトーキー製作所を解散し、それぞれ同撮影所に入社した年で、海原は同年末に公開された阪東主演・マキノ監督による正月映画『血煙高田の馬場』の録音技師に抜擢されている。
渡会 伸(わたらい しん、1918年12月13日 - 200… 渡会 伸(わたらい しん、1918年12月13日 - 2001年5月28日)は日本映画の録音技師。秋田県大館市出身。 1938年に東宝の録音助手として入社。東宝争議の際には人生労働組合の委員長を務めた。1957年より録音技師となり、岡本喜八の独立愚連隊シリーズや暗黒街シリーズにつく。『太平洋の翼』『日本のいちばん長い日』『激動の昭和史 軍閥』『トラ・トラ・トラ!』など戦争映画も多く手がけた。 2001年4月に行なわれた黒澤版『トラ・トラ・トラ!』スタッフ座談会では、黒澤明降板前後の事情について詳しく証言している。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
三縄 一郎(、1918年〈大正7年〉2月14日[要出典] -… 三縄 一郎(、1918年〈大正7年〉2月14日[要出典] - 2017年〈平成29年〉12月16日[要出典])は、日本映画の音響効果技師。東京都文京区本郷真砂町[要出典]出身。 日本映画における効果音の基礎を築いた人物とされる。 歌手を目指し東洋音楽学校(現・東京音楽大学)で声楽を学んだ。新協劇団の女優であった姉の手伝いで[要出典]陰歌を手伝ったことをきっかけに、舞台音効の道へ進む。ミリオンレコード社へ入社するも[要出典]日中戦争の激化で同社が解散となり、自身も召集を受ける。 中国から帰国後の1942年(昭和17年)、東宝に入社し効果係となる。半年ほど助手を務めたが、再び召集を受け、戦後から映画の音響効果を本格的に携わるようになる。
西村 公朝(にしむら こうちょう、1915年(大正4年)6月… 西村 公朝(にしむら こうちょう、1915年(大正4年)6月4日 - 2003年(平成15年)12月2日)は、日本の仏師・仏像修理技師・僧侶・東京芸術大学名誉教授。勲三等瑞宝章。前名:西村利作。位階は従四位。 大正4年(1915年)6月4日、大阪府三島郡富田村(現・高槻市富田町2丁目)に、父・利兵衛と母・ミツの長男として生まれた。 1935年、東京美術学校(現東京芸術大学)に入学。彫刻科木彫部で現代彫刻家を志す。4年生の時に同校の古美術研究旅行で京都・奈良をまわり、法隆寺・夢殿の救世観音に感激。1940年に卒業し、いったんは私立大阪工科学校(旧制)の図画教師となる。 1940年頃、学生時代の縁で法隆寺に通っていた際、偶然日本美術院(第二部)初代院長である新納忠之介も同寺を訪ねており、後進の明珍恒男が亡くなったばかりで、「美大出で誰か仏像の好きなやつはおらんか」と法隆寺の僧に尋ねると、「丁度相応しい者が金堂におります」と紹介され、新納から美術院への入所の誘いを受けた。
菅 寿雄(かん ひさお、1912年12月10日 - 1991… 菅 寿雄(かん ひさお、1912年12月10日 - 1991年3月18日)は、日本の実業家、化学技師。雅号は木桃。セントラル硝子常務取締役・監査役。 第94代内閣総理大臣菅直人の父。武蔵野市議会議員菅源太郎の祖父。三井信託銀行専務を務めた平地弘和は長女の夫。広島大学医学部教授を務めた医学者の津下健哉は義弟。 岡山県久米郡福渡町下神目(現岡山市北区建部町下神目)出身。江戸時代、菅家は村の庄屋を務めた家柄であった。父の菅實は開業医であり、久米郡医師会長、郡会議員等を歴任した。 1936年、東京工業大学(東京科学大学の前身)応用化学科卒業。1937年1月、宇部曹達工業(セントラル硝子の前身)に入社。取締役技術部長を経て1965年、セントラル硝子常務取締役に就任、1977年、同社監査役。
野坂 一郎(のざか いちろう、明治45年(1912年)6月2… 野坂 一郎(のざか いちろう、明治45年(1912年)6月20日 - 没年不明)は、日本の無線技師、実業家、作家。元ラジオ山陰(現山陰放送)常務。 鳥取県米子市長・野坂康夫の伯父。洋食のレストランおよびレコード、楽器店を営んだ野坂康久(“十字屋”経営主)の長男。 鳥取県西伯郡米子町(現米子市)出身。康久の長男。 昭和7年(1932年)無線電信講習所本科卒業。大阪商船外国航路通信士。上海華中電気通信股份有限公司日立造船各勤務を経て、昭和29年(1954年)3月ラジオ山陰(現山陰放送)に弟陞三と勤める。 その間昭和13年(1938年)サンデー毎日大衆文芸第一席に当選。週刊朝日小説に三席入賞以後作品約十五発表。
石井 利雄(いしい としお、1912年(明治45年)4月10… 石井 利雄(いしい としお、1912年(明治45年)4月10日 - 2001年(平成13年)1月12日)は、日本の造船技師(専門は舶用内燃機関、造船の生産技術・品質管理などの生産管理全般)、海軍軍人(予備将校)、実業家である。最終階級は海軍中尉。従七位。とくに、戦時急造された海防艦の専門家であり、戦時中、御蔵型など40隻の海防艦を竣工させた。戦後は、南極観測船の建造にも関わった。ブロック工法(ブロック建造方式)による艦船建造の先駆者の一人。 佐賀県神埼市出身。生家は佐賀藩主鍋島家の藩祖以来の外戚家門石井家。初代藩主鍋島勝茂の従兄石井茂成の8代目の子孫という。 神埼市立神埼小学校を経て、佐賀県立佐賀中学校(現・佐賀西高等学校)に進学。
関 四郎(せき しろう、1909年3月29日 - 1990年… 関 四郎(せき しろう、1909年3月29日 - 1990年12月12日)は日本の電気技師。国鉄常務理事、明電舎社長、鉄道技術協会会長、電気学会会長などを務めた。ペンネーム芝山 倉平(しばやま くらへい)による探偵小説「電気機関車殺人事件」の作者としても知られる。 北海道札幌市生まれ。北海道帝国大学工学部卒。国鉄で技師を務めていた。1943年(昭和18年)に「国有鉄道1万キロ電化の提唱」を発表するなど国鉄の電化の必要性を強く訴えたが、戦時下にあって鉄道電化は遅々として進まなかった。終戦間もない1945年9月には上越線電化に向けて活動を開始。人材、食料、資材、資金が極度に不足する中で、1947年(昭和22年)4月には上越南線(高崎~水上間)、同10月には上越北線(石打~長岡間)の電化を完成させた。
細川 泉一郎(ほそかわ せんいちろう 1908年8月22日 … 細川 泉一郎(ほそかわ せんいちろう 1908年8月22日 - 2000年5月1日)は、元日本国有鉄道常務、技師。元日本車輌製造副社長。