スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
三原 舞依(みはら まい、英語: Mai Mihara, 1… 三原 舞依(みはら まい、英語: Mai Mihara, 1999年(平成11年)8月22日 - )は、日本の女性フィギュアスケート選手(女子シングル)、フィギュアスケートコーチ。兵庫県神戸市須磨区出身。血液型はA型。シスメックス所属。甲南大学経営学部卒業後、大学院へ進学。マネジメントはIMG TOKYO。 主な戦績は、2022年グランプリファイナル優勝、2017年・2022年四大陸選手権優勝、2017年・2023年世界選手権5位、2016年ネーベルホルン杯優勝など。 神戸市立東須磨小学校、神戸市立飛松中学校、兵庫県立芦屋高等学校を経て、甲南大学経営学部を卒業、甲南大大学院に進学。憧れの選手は浅田真央で、小学2年の時にテレビで見た浅田に憧れてスケートを始めた。
舘山 聖奈(たてやま せいな、1997年9月25日 - )は… 舘山 聖奈(たてやま せいな、1997年9月25日 - )は、関西テレビのアナウンサー。 兵庫県西宮市出身。小学校時代から10年にわたってソフトテニスの選手として活動し、西宮市立真砂中学校在学中には地区大会で優勝したほか、阪神地区選抜選手に抜擢されている。兵庫県立芦屋高等学校進学後もソフトテニス部に所属し、中高ともキャプテンを務めた。 高校2年時に『JUNON』(主婦と生活社)プロデュースの「第3回ジュノン・ガールズ・コンテスト」に応募したところ、ファイナリストの1人に選ばれたことをきっかけに、スタッフ・プラス所属の女優として活動した。高校卒業後に青山学院大学地球社会共生学部地球社会共生学科へ進学した。
Niki(にき、1996年10月15日 - )は、日本のファ… Niki(にき、1996年10月15日 - )は、日本のファッションモデル、タレント。兵庫県神戸市出身。エイベックス・マネジメント・エージェンシー所属。 2014年、エイベックス・ヴァンガード(現:エイベックス・マネジメント)に所属。当初は本名の丹羽仁希(にわ にき)で活動していた。東京ガールズコレクション主催の「Tokyo Girls Audition」で2万人の頂点に立ち、モデル部門で受賞。同年11月、ファッション雑誌「JELLY」の専属モデルを決める「NEWジェリガ総選挙」に出場し、グランプリを獲得した。同年12月17日発売のJELLY2015年2月号で専属モデルデビューし、それを機にNikiと改名。
松岡 桂花(まつおか けいか、1992年9月18日 - )は… 松岡 桂花(まつおか けいか、1992年9月18日 - )は、日本で活動していた女性歌手、ファッションモデル。 兵庫県神戸市出身。家族構成は両親、弟、妹[要出典]。2005年時点での身長は156センチメートル。 2005年、ヴィジョンファクトリー所属の女性4人組ダンス&ヴォーカルユニット・HINOIチームのメンバーとして芸能デビュー。他のメンバーと同様にSONIC GROOVEレーベルのアーティストとして活動し、徳間書店『ラブベリー』のモデルも務めていた。 2007年、学業専念のために[要出典]脱退。2011年、兵庫県立芦屋高等学校卒業[要出典]。神戸芸術工科大学卒業[要出典]。
吉岡 美帆(よしおか みほ、1990年8月27日 - )は、… 吉岡 美帆(よしおか みほ、1990年8月27日 - )は、広島県広島市出身の女子セーリング選手(クルー)。立命館大学経済学部卒業。ベネッセセーリングチーム所属。身長は177cm。
鎌田 奈津美(かまた なつみ、1988年8月19日 - )は… 鎌田 奈津美(かまた なつみ、1988年8月19日 - )は、日本のグラビアアイドル、タレント、女優。アーティストボックスに所属していた。 兵庫県出身。小学館・週刊ヤングサンデー「ミスYS乙女学院'07」グランプリ受賞。以後、テレビ、ラジオ、映画、舞台等で活動するとともに、写真集や多くのイメージDVDを出版した。 2006年(平成18年)、神戸市三宮でスカウトされ、素人女子限定写真集『Be.GIRLS photobook vol.3』でメイングラビアを飾る。 2007年、「YS乙女学院」平成19年度1学期エントリーメンバーとなる。同年7月26日、グランプリを受賞し『週刊ヤングサンデー』第34号の表紙および巻頭グラビアを飾る。
松永 貴志(まつなが たかし、1986年1月27日 - )は… 松永 貴志(まつなが たかし、1986年1月27日 - )は、日本の作曲家、編曲家、ピアニストである。 兵庫県芦屋市出身。巨匠ハンク・ジョーンズに絶賛され、2003年5月、17歳でアルバム「TAKASHI」でメジャーデビュー。各種メディアにも多数取り上げられ、ベストセラーとなる。ジャズの名門、米ブルーノートレーベル70年の歴史上、最年少リーダー録音記録を樹立。 18歳で作曲・演奏したテレビ朝日系「報道ステーション」テーマ曲「オープン・マインド」で一躍注目を浴びる。第14回「出光音楽賞」受賞。ハービー・ハンコックやボビー・マクファーリン、ロン・カーターなど世界の大物アーティストや、岩城宏之と、ガーシュウィン「ラプソディ・イン・ブルー」で共演する。
武田 博行(たけだ ひろゆき、1983年11月30日 - )… 武田 博行(たけだ ひろゆき、1983年11月30日 - )は兵庫県神戸市東灘区出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはゴールキーパー。 兵庫県立芦屋高等学校卒業後の2002年にJ2の水戸ホーリーホックに入団。しかし、正GKには地元茨城県出身の本間幸司が既に君臨しており入団から2年間は公式戦の出場機会が訪れなかった。2004年にようやくデビューを果たすものの、本間の牙城を崩すには至らなかった。しかし、2006年は本間が故障で長欠したこともあって自己最多の35試合に出場した。2007年も12試合に出場したが、結局本間からはレギュラーを奪えなかった。この年限りで水戸を退団。 2008年よりJFLの栃木SCへ移籍。
山本 翼(やまもと つばさ、1983年2月10日 - )は、… 山本 翼(やまもと つばさ、1983年2月10日 - )は、日本の元ラグビー選手。 小学校から野球を始め、中学校では野球部に所属していた。 兵庫県立芦屋高等学校の入学式の日に、ラグビー部からの勧誘を受け、ラグビー部に入部、3年時に兵庫県選抜に選ばれる。在学中、慶応義塾大学ラグビー部の上田昭夫監督からの誘いを受け、慶応義塾大学を志すも不合格となる。 1年間の浪人生活を経て、同志社大学に一般入試にて合格しラグビー部に入部。2年時よりレギュラーとして活躍した。在学中は関西大学リーグでは無敗、全国大学選手権大会3年連続ベスト4。 大学卒業後は金融業界への就職が決まっていたが、神戸製鋼コベルコスティーラーズからの誘いがあったことでラグビーへの思いが再燃し、 神戸製鋼所へ入社。
内田 るん(うちだ るん、1982年 - )は、日本の詩人、… 内田 るん(うちだ るん、1982年 - )は、日本の詩人、フェミニスト、イベントオーガナイザー。 東京都生まれ。8歳の時に兵庫県芦屋市立山手小学校に転校、兵庫県立芦屋高等学校卒業。バンド「くほんぶつ」と「The Scrooge」を主宰。友人のマスダユキと共に年1回発行するミニコミ「漫想新聞」の共同編集者としても活動。父は思想家の内田樹。
やぶうち 優(やぶうち ゆう、1969年12月1日 - )は… やぶうち 優(やぶうち ゆう、1969年12月1日 - )は、日本の女性漫画家、同人作家。兵庫県西宮市出身。北海道札幌市在住。 代表作に『水色時代』、『少女少年』、『ないしょのつぼみ』、『まほちゅー!』など。 1983年、13歳の時、『ちゃお』(小学館)9月号増刊に掲載の『ボインでごめん!』でデビュー。デビュー時のペンネームは薮内 優(やぶうち ゆう)。 1980年代は『ちゃお』とその派生誌で読切作品を執筆した。その後、『ちゃお』のレギュラー作家として連載作品を発表し、1990年代前半から中盤にかけては、後輩のあらいきよこ、清水真澄と共に『ちゃお』の看板作家として活躍した。 作風は自身の青春体験からの創作である。
伊藤 舞(いとう まい、1969年〈昭和44年〉9月18日 … 伊藤 舞(いとう まい、1969年〈昭和44年〉9月18日 - )は、日本の政治家。元兵庫県芦屋市長(1期)。元芦屋市議会議員(3期)。市の公式サイトや全国市長会の名簿などの表記では「いとう まい」と全ひらがなの名義を用いる。 大阪府茨木市出身。母親は元芦屋市議会議員の伊藤とも子。芦屋市立山手中学校、兵庫県立芦屋高等学校、帝国女子大学家政学部(現・大阪国際大学)卒業。1999年(平成11年)10月、東京海上火災保険代理店に勤務。ハワイ大学マウイ校短期大学卒業。神戸大学大学院法学研究科政治学前期課程修了。 2007年(平成19年)、芦屋市議会議員に初当選。2015年(平成27年)に3選。市議時代、副議長を2期歴任。
中津 秀之(なかつ ひでゆき、1962年-)は、日本のランド… 中津 秀之(なかつ ひでゆき、1962年-)は、日本のランドスケープ・アーキテクトである。 こども環境研究家。 有限会社サイトワークス・ランドスケープ研究所主宰。 一般社団法人TOKYO PLAY理事。 関東学院大学/建築・環境学部准教授。 こどもの遊び環境を研究する一方、集合住宅や保育施設等の外部空間を設計している。大学の研究室では、こども環境の視点によるまちづくり活動を実施している。 1981年 兵庫県立芦屋高等学校卒業。1985年 - 帯広畜産大学畜産学部農業工学科卒業(開発土木学研究室)。 1987年 筑波大学大学院環境科学研究科都市環境計画専攻修士課程修了(都市緑地学研究室)。 1994年 ハーバード大学デザイン大学院ランドスケープ学科を修了。
臼井 真(うすい まこと、1960年8月6日 - )は、日本… 臼井 真(うすい まこと、1960年8月6日 - )は、日本の小学校教諭(音楽専科)、ソングライター、大学教員。合唱曲「しあわせ運べるように」の作詞・作曲者として知られるほか、作詞・作曲した合唱曲は400曲以上に上る。 兵庫県神戸市東灘区出身。兵庫県立芦屋高等学校、大阪芸術大学演奏学科声楽専攻卒業。1983年から神戸市立小学校の音楽専科教諭を務める。 1995年、阪神・淡路大震災で東灘区の自宅が全壊。震災から約2週間後、身を寄せていた親戚宅で、生まれ育った街の変わり果てた姿をニュースで見て衝撃を受け、わずか10分で合唱曲「しあわせ運べるように」を作詞・作曲した。2011年の東日本大震災発生後には、同曲をCDブックとして出版した。
青山 暁(あおやま さとる、1960年7月24日 - )は、… 青山 暁(あおやま さとる、1960年7月24日 - )は、日本の政治家。兵庫県議会議員。元芦屋市議会議員(2期)。 兵庫県芦屋市出身。芦屋市立岩園幼稚園、芦屋市立岩園小学校、芦屋市立山手中学校、兵庫県立芦屋高等学校を経て立命館大学経済学部卒。 1984年、三共生興株式会社入社ののち子会社社長を歴任。 2011年4月、芦屋市議会議員選挙に立候補し、915票を得て初当選(任期は同年6月11日から)。芦屋選挙史上初の1票差当選となる。無所属で活動。 2019年4月、1,258票を得て2度目の当選。無所属で活動。第83代、並びに第84代副議長に2年連続で就任。 2023年4月9日に行われた兵庫県議会議員選挙にて日本維新の会公認で立候補し当選。
下城民夫(しもじょう たみお、1960年 - )は、日本のア… 下城民夫(しもじょう たみお、1960年 - )は、日本のアウトドア愛好家。アウトドア情報センター所長。日本バーベキュー協会会長。 兵庫県芦屋市出身。小学生時代はボーイスカウト活動を経験。兵庫県立芦屋高等学校卒業。大学時代はきぐるみショーのアルバイトをしており、劇団を結成。役者よりも運営側の方に興味があったため、イベント企画会社に入社。その後音楽プロモーション会社に転職。 大手広告代理店で契約社員として働いていたが、1992年に退職。同年にアウトドア情報センターを設立する。以後は各メディアにアウトドア関連の情報コンテンツ制作を提供するようになる。2006年には、日本バーベキュー協会を設立。「欧米に比べて当時のバーベキューに対する認識・レベルがあまりに低かったことが設立の理由」と述べている。
中内 正(なかうち ただし、1959年8月4日 - )は、日… 中内 正(なかうち ただし、1959年8月4日 - )は、日本の実業家、プロ野球球団経営者。 福岡ダイエーホークスオーナー代行、オーナー、読売ジャイアンツのオーナー顧問を歴任した。財団法人中内育英会第2代理事長。 ダイエー創業者・中内㓛の次男で、実兄はダイエー元副社長の中内潤。妻は常陸宮妃華子の姪。 芦屋高校、青山学院大学経済学部卒業。南カリフォルニア大学経営大学院修士課程修了(MBA)。 高校時代の同級生に、後のホークス投手コーチとなる矢野実がいる。 ホークスオーナー代行時代の1992年8月、上田利治に監督要請し組閣の準備に入っていたが、父である㓛が同時期に西武ライオンズ管理部長・根本陸夫の招聘に動き、「球団作りは専門家に任せなさい。
矢野 実(やの みのる、1959年4月21日 - )は、兵庫… 矢野 実(やの みのる、1959年4月21日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手(投手)。 1991年の登録名は矢野 實、1992年の登録名は矢野 未乘、1993年以降の登録名は矢野 未乗(いずれも読み同じ)。 芦屋高では3年夏の県大会ベスト8。社会人野球の神戸大丸・大丸では第52回都市対抗野球大会で岩切英司とのバッテリーで2/3回のみ登板、1981年のプロ野球ドラフト会議で南海ホークスから3位指名を受け入団。 スライダーを武器に右の中継ぎとしてチームを支えた。 1988年にはリーグ最多登板を記録する。 1990年オフに今井雄太郎との交換トレードでオリックス・ブルーウェーブに移籍。 1992年オフに金銭トレードでホークスに復帰。
戸田 清(とだ きよし、1956年10月12日 - )は、日… 戸田 清(とだ きよし、1956年10月12日 - )は、日本の社会学者、社会運動家、長崎大学名誉教授。 大阪府生まれ。兵庫県立芦屋高等学校卒業、1979年大阪府立大学農学部獣医学科卒業、獣医師の資格を取得。1980年東京大学大学院農学系研究科修士課程中退、日本消費者連盟事務局勤務を経て、1997年一橋大学大学院社会学研究科博士課程満期退学。都留文科大学非常勤講師などを経て、1997年長崎大学環境科学部助教授、2006年「環境学と平和学の関係についての一考察」で博士(社会学)、2007年教授(環境社会学、環境思想、平和学)。2022年定年退職。長崎県民間教育研究団体連絡協議会(長崎県民教連)の元会長。
注連 浩行(しめ ひろゆき、1952年2月10日 - )は、… 注連 浩行(しめ ひろゆき、1952年2月10日 - )は、日本の実業家。元ユニチカ代表取締役社長。元日本紡績協会会長。 兵庫県出身。兵庫県立芦屋高等学校を経て、1975年関西学院大学商学部卒業、ユニチカ入社。2001年総合企画部長兼情報システム推進部長。2003年執行役員経営企画本部長兼企画部長兼企画部ドメイン運営グループグループ長。2005年常務執行役員。2006年上席執行役員。2008年取締役上席執行役員。2012年取締役常務執行役員。2014年代表取締役社長。2015年日本紡績協会会長。2019年ユニチカ代表取締役会長。
長光 歌子(ながみつ うたこ、旧姓:藤本、1951年3月23… 長光 歌子(ながみつ うたこ、旧姓:藤本、1951年3月23日 - )は、日本の元フィギュアスケート選手(女子シングル)。兵庫県出身。 現在は関西大学アイススケート部コーチ。兵庫県立芦屋高等学校卒業。武庫川女子大学中退。 選手時代は田中鉄太郎に師事し、兵庫県立芦屋高等学校在籍中の1966年の全日本ジュニア選手権で優勝した。全日本選手権では最高6位に入った。高校卒業後に武庫川女子大学へ進学したが中退。1972年に引退し、のちにコーチ兼振付師として活動を始めた。 教え子には浅沼まり、林祐輔、澤田亜紀、村上大介、國分紫苑、上野沙耶、田中刑事、友滝佳子、中村優など、西日本を中心とした国内選手を数多く指導している。
淀川 隆博(よどがわ たかひろ、1951年3月4日 - )は… 淀川 隆博(よどがわ たかひろ、1951年3月4日 - )は、日本の元サッカー選手、前Jリーグ所属ジェフユナイテッド市原・千葉社長。現役時代のポジションはGK。 兵庫県出身。早稲田大学在学中には学生日本代表に選ばれた経験を持ち、1973年からは古河電工サッカー部(現・ジェフユナイテッド市原・千葉)でプレイ。 引退後は古河電工の営業職を経て、2004年4月から2008年4月までジェフユナイテッド市原の代表取締役社長を務める。 2006年にクラブの監督として契約途中であったイビチャ・オシムの日本代表監督就任要請を許諾、それまで一貫してチームの強化方針を担当していた祖母井秀隆GM(当時)と対立し、祖母井GMは退団する結果となった。
川島 令三(かわしま りょうぞう、1950年9月21日 - … 川島 令三(かわしま りょうぞう、1950年9月21日 - )は、日本の鉄道評論家(鉄道アナリスト)である。鉄道友の会会員、全国鉄道利用者会議会員。 兵庫県芦屋市出身、山梨県上野原市在住。 鉄道に関する著作が多く、中でも『全国鉄道事情大研究』(草思社)は25年以上続くシリーズとして現在も続刊中で、川島はこのシリーズをライフワークとしている。 兵庫県立芦屋高等学校、東海大学を経て、電気車研究会『鉄道ピクトリアル』編集部に勤務。同誌のグラフ写真の撮影のほか、同社が刊行していた『電気車の科学』の編集も担当した。その後はフリーのライターとして鉄道関連の記事を書いていたが、収入も微々たるもので、妻子を養うために父親が関わるベンチャー企業に技術職として就職。
佐藤 治夫(さとう はるお、1947年 - )は、日本の元ア… 佐藤 治夫(さとう はるお、1947年 - )は、日本の元アマチュア野球選手(内野手)。実父は佐藤平七。 芦屋高校から法政大学に進学。東京六大学野球リーグでは在学中に3回優勝。2年生から中村之保の後継として二塁手に定着、1967年秋季リーグから4季連続でベストナインに選出される。1年上の田淵幸一、山本浩司らとともに活躍。1968年の明治維新百年記念明治神宮野球大会に東京六大学野球リーグ代表として出場。最上級生となった1969年秋季リーグでも、同期のエース山中正竹を擁し優勝に貢献する。同年の第8回アジア選手権日本代表に選出される。大学同期に山中の他、江本孟紀、黒田正宏、堀井和人、山田克己らがいた。
川村 龍一(かわむら りゅういち、1943年〈昭和18年〉4… 川村 龍一(かわむら りゅういち、1943年〈昭和18年〉4月7日 - 2012年〈平成24年〉5月25日)は、日本のラジオパーソナリティ。川村 ひさし名義でのメディア活動で知られる。元大阪芸術大学短期大学部広報学科(現在のメディア・芸術学科)教授兼学科長。 朝日新聞社の役員だった実父の勤務の関係で、東京都で出生した後に、神奈川県や兵庫県で生活していた。 兵庫県立芦屋高等学校、関西学院大学文学部(新聞総部OB)を卒業後、学習研究社へ入社すると、音楽雑誌「ヒットポップス」の編集スタッフを務めていた。しかし、ラジオ関西の音楽番組でポップス情報を紹介したことをきっかけに、ラジオパーソナリティへ転身した。
加茂 建(かも けん、1943年 - )は日本の実業家で、元… 加茂 建(かも けん、1943年 - )は日本の実業家で、元学生サッカー選手。 実兄(三兄)の加茂周はヤンマーディーゼルサッカー部(現・セレッソ大阪)の選手やコーチ、日産自動車サッカー部と全日空サッカークラブ→横浜フリューゲルス(のちに合併し、現在は横浜F・マリノス)、サッカー日本代表の監督も務め、長兄の加茂豊もサッカー日本代表のゴールキーパーを務めた。 なお、1936年ベルリンオリンピックサッカー日本代表の加茂健・加茂正五との血縁関係はない。 東京都出身。父は毎日新聞の記者だった。 兵庫県立芦屋高等学校から関西学院大学に進学する。これらの学校ではサッカー部に所属した。 大学卒業後トヨタ自動車工業に入社。
安藤 敏雄(あんどう としお、1941年10月4日 - )は… 安藤 敏雄(あんどう としお、1941年10月4日 - )は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手。 芦屋高校では藤悟郎の1年下。2年生の秋からエースとなり本格派右腕として注目される。同期の広瀬幸司とバッテリーを組み活躍。1958年秋季近畿大会準決勝に進み、平安高の藤野隆司と投げ合うが敗退。しかし翌1959年春の選抜への出場を決める。大会では1回戦で三浦和美のいた広陵高を完封するが、2回戦で浪華商に敗れる。同年夏は県予選準々決勝で滝川高に敗退、甲子園には届かなかった。他の高校同期に一塁手の西岡浩史らがいる。 1960年に西鉄ライオンズへ入団するが、肩を故障しアンダースローへの転進を余儀なくされる。1962年に一軍初登板。
西岡 浩史(にしおか ひろし、1941年9月12日 - )は… 西岡 浩史(にしおか ひろし、1941年9月12日 - )は、兵庫県出身のアマチュア野球選手(一塁手)、実業家。野球選手引退後は東芝グループで要職を務めた。 芦屋高校では一塁手として活躍。1年上のエース藤悟郎を擁し、1958年春の選抜へ出場。1回戦で宇都宮工に敗退。同年夏の甲子園県予選は準々決勝で兵庫工に敗れる。翌1959年も春の選抜に連続出場。1回戦で三浦和美のいた広陵高を降すが、2回戦で浪華商に敗れる。同年夏は県予選準々決勝で滝川高に敗退、甲子園には届かなかった。高校同期には安藤敏雄、広瀬幸司のバッテリーがいた。 卒業後は慶應義塾大学へ進学し、東京六大学野球リーグでは1962年秋季リーグ、1963年春季リーグに優勝。
広瀬 幸司(ひろせ こうじ、1941年 - )は、兵庫県出身… 広瀬 幸司(ひろせ こうじ、1941年 - )は、兵庫県出身の野球選手(捕手)。 芦屋高校では、同期のエース安藤敏雄とバッテリーを組む。2年次の1958年に秋季近畿大会準決勝へ進み、平安高の藤野隆司に抑えられ敗退するが、3年次の1959年春の選抜出場を決める。大会では1回戦で三浦和美のいた広陵高を降すが、2回戦で浪華商に敗れる。同年夏は県予選準々決勝で滝川高に敗退、甲子園には届かなかった。他の高校同期に一塁手の西岡浩史らがいる。 高校卒業後は1960年に法政大学へ進学し、東京六大学野球リーグでは4回の優勝を経験。2年次の1961年から正捕手となり、2年上の新山彰忠、同期の山崎武昭・龍隆行らとバッテリーを組む。
勝呂 誉(すぐろ ほまれ、1940年6月1日 - 2026年… 勝呂 誉(すぐろ ほまれ、1940年6月1日 - 2026年1月23日)は、日本の俳優。兵庫県芦屋市出身。 兵庫県立芦屋高等学校卒。俳優座で演劇勉強中の1961年、テレビドラマ「青年の樹」でデビュー。 1962年に松竹に移籍、『下町の太陽』で倍賞千恵子と共演。公募で決まった「サニー・カップル」の愛称で青春スター路線で数本製作。歌手としてもキングレコードと契約し、倍賞とのデュエットで「二人で胸を張れ」(横井弘作詞・安部芳明作曲)を発売、他にもソロ曲「銀座浪漫」(結城忍作詞・伴謙介作曲)を発表。後年もディナーショーなどで歌い続けていた。1965年の日米合作映画『勇者のみ』では監督・主演のフランク・シナトラと共演した。
藤 悟郎(ふじ ごろう、1940年 - )は、兵庫県出身の元… 藤 悟郎(ふじ ごろう、1940年 - )は、兵庫県出身の元アマチュア野球選手(投手)。 芦屋高では、エースとして1958年秋季近畿大会県予選決勝に進み兵庫工と延長13回1-1の引き分け。再試合も延長20回0-0で引き分けとなり話題となる。翌1958年春の選抜に出場するが、1回戦で宇都宮工に敗退。同年夏の甲子園県予選は準決勝で兵庫工に敗退。高校の1年下に安藤敏雄がいた。 慶應義塾大学に進学。東京六大学野球リーグでは、1年上に早慶六連戦で主軸となった清沢忠彦、角谷隆、三浦清(日本石油-大昭和製紙)、丹羽弘(全鐘紡)の4投手がおり、なかなか活躍の機会はなかった。しかし4年生時にはエースとして同期の大橋勲とバッテリーを組み、1962年秋季リーグで優勝、ベストナイン(投手)に選出された。
川上 元美(かわかみ もとみ、1940年 - )は日本のデザ… 川上 元美(かわかみ もとみ、1940年 - )は日本のデザイナー、川上デザインルーム代表。東京芸術大学、金沢美術工芸大学、神戸芸術工科大学などの客員教授を歴任。現在、多摩美術大学美術学部環境デザイン学科客員教授。GENOVA家具展金賞(イタリア)、アメリカ建築家協会主催インターナショナル・チェア・デザインコンペティション1席(USA)、iFデザイン賞(ドイツ)など国内外の賞を多数受賞。 1940年(昭和15年)、兵庫県に生まれる。兵庫県立芦屋高等学校、東京芸術大学美術学部工芸科(ID専攻)卒業。東京芸術大学院美術研究科(デザイン)修士課程終了。その間、作品集『アンジェロ・マンジャロッティ1955-64』(青銅社)に出会い、強く感銘する。
加茂 周(かも しゅう、1939年10月29日 - )は、兵… 加茂 周(かも しゅう、1939年10月29日 - )は、兵庫県芦屋市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 長兄の加茂豊は毎日放送元社員でゴールキーパーとして1958年アジア大会で日本代表に選出された経験を持ち、弟の加茂建は加茂商事(サッカーショップ加茂を展開、傘下にジャパン・スポーツ・プロモーション、ソル・スポーツマネージメント)の社長である。 なお、1936年ベルリンオリンピックサッカー日本代表の加茂健・加茂正五との血縁関係はない。 関西学院大学卒業後、ヤンマーディーゼルサッカー部(現:セレッソ大阪)での選手生活を経て、1967年に指導者に転じた。1974年に日本人初のプロ契約監督として日産自動車サッカー部(現:横浜F・マリノス)の監督に就任。
大橋 太朗(おおはし たろう、1939年8月31日 - 20… 大橋 太朗(おおはし たろう、1939年8月31日 - 2021年1月28日)は、日本の実業家。阪急電鉄(現阪急阪神ホールディングス)代表取締役社長や、同社代表取締役会長を務めた。 兵庫県芦屋市西山町出身。兵庫県立芦屋高等学校を経て、1962年に関西学院大学商学部卒業、高校時代は鉄道研究会に所属するほどの鉄道好きが高じて、京阪神急行電鉄(現阪急阪神ホールディングス)入社。1990年取締役に昇格。1992年常務取締役。1995年専務取締役。1998年代表取締役専務取締役。 1999年から阪急電鉄代表取締役社長を務めたが、株主総会をめぐりトラブルが発生し、2002年には芦屋市西山町の自宅雨戸などに銃弾が撃ち込まれる事件が発生し、翌2003年代表取締役会長に退いた。
寺本 勇(てらもと いさむ、1939年7月3日 - )は、兵… 寺本 勇(てらもと いさむ、1939年7月3日 - )は、兵庫県芦屋市出身の元プロ野球選手(外野手)・プロ野球審判員。元パシフィック・リーグ審判部長。 芦屋高等学校では1956年、2年生の時に左翼手として春の選抜に出場。準決勝まで進むが中京商に敗れる。一学年上のチームメートに渡海昇二がいた。卒業後は立教大学に進学。東京六大学野球リーグでは1、2年在学中に3度の優勝を経験するが、その後の立大は低迷を続ける。しかし1961年秋季リーグでチームは2位まで順位を戻し、寺本も打率.410(2位)を記録して、同季のベストナインに選出された。大学同期に丸山完二、青野修三がいる。 1962年に大毎オリオンズに入団するが、一軍出場に恵まれないまま1963年に退団。
増田 彰久(ますだ あきひさ、1939年1月2日 - )は、… 増田 彰久(ますだ あきひさ、1939年1月2日 - )は、日本の写真家。 1939年、東京生まれ。兵庫県立芦屋高等学校、日本大学芸術学部写真学科を卒業。増田彰久写真事務所を主催。
島田 順司(しまだ じゅんし、1938年〈昭和13年〉8月1… 島田 順司(しまだ じゅんし、1938年〈昭和13年〉8月12日 - )は、日本の俳優。本名同じ。 兵庫県出身。兵庫県立芦屋高等学校卒業。オフィス斉藤、ジェイ・クリップに所属していた。 関西新劇界の名門劇団である関西芸術座演劇研究所を卒業後、正式座員になった後に退座して上京。東京芸術座に所属。 1965年、NET(現・テレビ朝日)のテレビ時代劇『新選組血風録』の沖田総司役で本格デビュー。同ドラマのヒットにより、栗塚旭演じる土方歳三とともに人気を博した。『新選組血風録』終了後も、『俺は用心棒』(1967年)、『燃えよ剣』(1970年)でも沖田を演じるなど時代劇を中心に活躍。 1988年から『はぐれ刑事純情派』 (テレビ朝日)で、藤田まこと演じる安浦刑事が所属する警視庁山手中央警察署の刑事課長・川辺精一役で、シリーズ18年間の全作品にレギュラー出演。
渡海 昇二(とかい しょうじ、1938年5月3日 - 201… 渡海 昇二(とかい しょうじ、1938年5月3日 - 2016年6月30日)は、兵庫県出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。 芦屋高校では、1956年に中堅手として春の選抜に出場する。準決勝まで進むが中京商業高の安井勝に抑えられ完封を喫する。なお、中京商業高は同大会で優勝した。高校時代の1学年下のチームメートに寺本勇(元大毎オリオンズ、引退後プロ野球審判員)がいた。 高校卒業後は、慶應義塾大学に進学する。東京六大学野球リーグで優勝はできなかったが、主将として1960年秋季リーグの早慶六連戦で活躍。2年生捕手の大橋勲とともに打線の中軸を担い、同季のベストナイン(外野手)にも選出される。リーグ通算81試合出場、290打数76安打、2本塁打、31打点、打率.262、ベストナイン(外野手)2回。
森 一夫(もり いちお、1937年7月30日 - )は、教育… 森 一夫(もり いちお、1937年7月30日 - )は、教育学博士(広島大学論文博士)、大阪教育大学名誉教授。 日本理科教育学会会長、日本教科教育学会理事、日本生活科・総合的学習学会常任理事、日本科学教育学会評議員を歴任。 シンガポールの学校理科教育に貢献。 1984年3月、政府派遣教育制度改善専門家(エキスパート)としてシンガポール教育省カリキュラム開発研究所にて、日本で言うところの理科学習指導要領及び国定理科教科書作成指導とその開発研究並びに現職教育や実践研究のありかた等について同国の校長や視学官への指導と講演に従事した。 以下の表彰・受賞歴がある。 主要な研究テーマは「自然認識の発展(達)と形成」である。
児玉 隆也(こだま たかや、1937年5月7日 - 1975… 児玉 隆也(こだま たかや、1937年5月7日 - 1975年5月22日)は、日本のジャーナリスト。田中角栄の金脈問題追及で知られる。 兵庫県芦屋市生まれ。終戦の1か月前、8歳のときに画家だった父を栄養失調で亡くす。以来、母が物売りや雑役婦をして家計を支えた。兵庫県立芦屋高等学校を卒業する年の2月、55歳で定年退職した母に、仕送りは要らないから、4年間、東京で勉強させてくれと頼み、早稲田大学第二政経学部に入学。働きながら大学に通う。21歳のときに岩波書店の月刊総合誌『世界』の懸賞原稿に入選する。 卒業する1年前から光文社の女性週刊誌『女性自身』の編集部でアルバイトをはじめ、卒業後に光文社に入社。
本屋敷 錦吾(もとやしき きんご、1935年10月31日 -… 本屋敷 錦吾(もとやしき きんご、1935年10月31日 - )は、兵庫県神戸市東灘区出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ、解説者。現在は芦屋市在住。 芦屋高校では在学中に甲子園に3回、国体に3回出場。1年時はベンチ外だったが、チームが出場した1951年夏の選手権では、1年先輩のエース植村義信を擁し準々決勝に進出するも、中西太のいた高松一高に敗退。秋の広島国体では決勝に進むが、広島観音高に敗退。2年上のチームメートに杉谷和男中堅手(のち大映)がいる。二塁手として出場した翌1952年春の選抜では、2回戦で平安高に敗れる。同年夏の選手権は順調に勝ち進み、決勝でエース木村保を擁する八尾高を降し初優勝を飾る。
粟木原 毅(あわきはら つよし、1935年〈昭和10年〉7月… 粟木原 毅(あわきはら つよし、1935年〈昭和10年〉7月20日 - )は日本映画の照明技師。兵庫県神戸市出身。 1954年に兵庫県立芦屋高等学校を卒業。1955年、東宝に照明助手として入社。1975年に照明技師に昇進。1980年に東宝専属契約者を経て1992年にフリーとなる。
水谷 穎介(みずたに えいすけ、1935年2月14日 - 1… 水谷 穎介(みずたに えいすけ、1935年2月14日 - 1993年2月4日)は東京都世田谷区出身の建築家、都市計画家。一級建築士、技術士(都市及び地方計画)などの資格の他、工学博士を晩年授与している。 座右の銘は村野藤吾の「時流にのるな、多数になるな、在野精神」。 代表的な都市計画として、六甲アイランド、ポートアイランド、シーサイドももちなどのウォーターフロント開発、八幡浜市総合計画や大谷幸夫との協働による麹町再開発計画(1961年)などがある。 福岡シーサイドももちでは、親友関係である宮脇檀をコーディネーターとして招き、当時では珍しい地元の建築家の参加によるまちづくり、住宅地開発を行っている。
植村 義信(うえむら よしのぶ、1935年1月5日 - 20… 植村 義信(うえむら よしのぶ、1935年1月5日 - 2023年5月30日)は、兵庫県芦屋市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者。 息子はフジテレビプロデューサーの植村義勝。 当時スポーツの花形であった野球をするのは男子のステータスの一つであり、植村もその波に乗っかった。ボール一つに不自由した時代でもあり、芦屋高校で野球部に入ると「白球を触るだけでうれしかった」という。ボール拾いの際に1球こっそり持ち帰り、裸電球の下、自宅そばの土壁に当てて投球練習をした。この積み重ねが豪速球とドロップを生み出し、その後の人生も変えていった。 杉谷和男(大映)の1学年下、本屋敷錦吾(阪急・阪神)の1学年上で、2年次の1951年夏から3回連続で甲子園に出場。
杉谷 和男(すぎたに かずお、1933年4月20日 - )は… 杉谷 和男(すぎたに かずお、1933年4月20日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手。 芦屋高校では1951年に第33回夏の甲子園に出場。1回戦の小倉高校戦で大会第2号となる本塁打を打っている。 1952年に大映スターズへ入団。1955年に退団した。
有本 義明(ありもと よしあき、1931年6月1日 - )は… 有本 義明(ありもと よしあき、1931年6月1日 - )は、兵庫県芦屋市出身のスポーツライター・解説者、野球監督。 現在はスポーツニッポン特別編集委員。 父・臣次は育英商から関西大を出て野球に親しみ、西宮市出身で甲陽中にも在籍した天知俊一と一緒の写真もあった。有本が幼い頃にキャッチボールすると「ちゃんと捕れるじゃないか」と喜んでくれた。 1945年8月15日の終戦後、9月に新学期を迎えると、当時芦屋中2年生の有本は剣道部に入部。小学生時代から壁当てや天井投げをして野球に親しんでいたが、野球部はなかった。芦屋中進学は甲南中受験に失敗したからであり、この時も西脇の疎開先で転校手続きに入っていた。そんな折、10月に校内軟式野球大会が芦屋・打出浜の海技専門学校であった。
田隅 恒生(たすみ つねお、1931年 - 2019年)は、… 田隅 恒生(たすみ つねお、1931年 - 2019年)は、日本の中東近代史研究家。 兵庫県出身。兵庫県立芦屋高等学校卒、1954年京都大学法学部卒業。丸紅に勤務。その間テヘラン、ニューヨーク、マニラに駐在。丸紅紙業を経て、1993年退職。 T・E・ロレンスの『知恵の七柱』を完訳した。
石塚 睦(いしつか むつみ、1930年1月5日 -2018年… 石塚 睦(いしつか むつみ、1930年1月5日 -2018年6月9日 )は在ペルーの天文学者。国立リマ工科大学名誉教授(2000年)、国立イカ大学名誉教授(2008年)。 1951年、ペルーのサンマルコス大学天文学教授ラファエル・ダビラからの同大学創立400周年記念天文台建設計画への参加の呼び掛けに応える形で、上田穣(京都大学宇宙物理学教室教授)の発案により太陽のコロナ観測で大気の澄んだアンデス山脈ティクリオ山への観測所設置が計画され、全国からの募金250万円に上田の退職金200万円が充てられることとなった。この観測に必要なコロナグラフを設置するため、当時京都大学の大学院生として生駒山太陽観測所で観測に従事していた石塚に依頼が来て、1957年に渡航することとなった。
野々村 のん は、日本の女優、声優。劇団青年座所属。兵庫県出… 野々村 のん は、日本の女優、声優。劇団青年座所属。兵庫県出身。
タイガー大越(たいがーおおこし、Tiger Okoshi)は… タイガー大越(たいがーおおこし、Tiger Okoshi)は、日本出身のアメリカのトランペット奏者。主にジャズ、フュージョンの分野で活躍。現在、バークリー音楽大学教授、昭和音楽大学客員教授を務める。 1950年、兵庫県芦屋市生まれ、兵庫県立芦屋高等学校、関西学院大学卒業。 1972年、バークリー音楽院に留学、首席で卒業。 2014年、日本政府から日米の親善に顕著な貢献をしてきたことが認められ、外務大臣表彰を受賞。