加賀谷 武夫(かがや たけお、1939年(昭和14年)12月… 加賀谷 武夫(かがや たけお、1939年(昭和14年)12月28日 - )は、日本の銀行家。北都銀行頭取を務めた。 秋田県秋田市土崎港出身。実家は秋田港近くの鮮魚問屋。3、4年、銀行で経験を積んだら家業を継ぐつもりでいた。 秋田県立秋田高等学校、早稲田大学政治経済学部を卒業後、当時横手市に本店のあった羽後銀行に入行、総合企画部長などを歴任する。 北都銀行に移行後は同期入行であった齋藤隆夫頭取を常務、専務として支え、2003年、齋藤の後任として頭取に就いた。 頭取在任時は、ビジネス商談会を軌道に乗せ、エリアサポートチームを新設したほか、みちのく銀行、荘内銀行、東北銀行と債権流動化で提携をむすんだ。
藤田 忠夫(ふじた ただお、1939年〈昭和14年〉12月2… 藤田 忠夫(ふじた ただお、1939年〈昭和14年〉12月27日 - )は、日本の元政治家・元建設技官。元山口県宇部市長。 山口県宇部市出身。山口県立宇部高等学校、東京大学工学部を経て、建設省(当時)に入省。沖縄開発庁振興局専門官、日本道路公団計画部課長、会計検査院技術参事官、建設省関東地方建設局道路部長、同道路局国道1課長、同近畿地方建設局長などを歴任する。 1993年(平成5年)5月に建設省を退官し、翌月の宇部市長選挙に出馬。この市長選挙は、前任の中村勝人が小野湖周辺のゴルフ場建設計画を巡って市長職をリコールされたことに伴い実施されたもので、ゴルフ場開発以外の方法での小野地域振興を掲げた藤田は保守系から日本共産党まで幅広い層の支持を受け、無投票で当選した。
芦塚 日出美(あしづか ひでみ、1939年12月27日 - … 芦塚 日出美(あしづか ひでみ、1939年12月27日 - )は、日本の電気技術者、実業家。九州電力代表取締役副社長や、九州通信ネットワーク代表取締役社長、博多座代表取締役社長、九州先端科学技術研究所理事長等を歴任した。 長崎県諫早市出身。福岡県立修猷館高等学校を経て、1962年九州大学工学部電気工学科卒業、九州電力入社。上椎葉水力発電所、北九州支店電力課で計5年現場経験を積んだのち、、本社の工務部給電課に配属された。1973年フランス電力で研修。1982年九州電力本社企画部設備計画課長。1987年電気事業連合会に工務部長として出向。1992年九州電力大分支店長。1995年九州電力工務部長。1996年九州電力企画部長。
浅川純(あさかわ じゅん、1939年12月27日 - 202… 浅川純(あさかわ じゅん、1939年12月27日 - 2020年9月5日)は、日本の小説家。 沖縄県生まれ、熊本県育ち。本名・新崎寛尚。京都大学法学部卒。 会社員を経て、1986年「世紀末をよろしく」でオール讀物推理小説新人賞を受賞、作家となる。当初推理小説を書くが、のち会社員小説などに転じた。
今井 功(いまい いさお、1939年12月26日 - )は、… 今井 功(いまい いさお、1939年12月26日 - )は、日本の弁護士(TMI総合法律事務所顧問)。元裁判官。東北大学法科大学院客員教授。最高裁判所判事を務めた。退官後は第一東京弁護士会に弁護士登録し、弁護士となる。兵庫県神戸市垂水区出身。 1958年(昭和33年)兵庫県立星陵高等学校、1962年(昭和37年)3月に京都大学法学部卒業。同年4月に第16期司法修習生、1964年(昭和39年)4月10日に東京地方裁判所・東京家庭裁判所判事補任官。判事補任官以降の経歴は以下の通り。
夏八木 勲 (なつやぎ いさお、1939年12月25日 - … 夏八木 勲 (なつやぎ いさお、1939年12月25日 - 2013年5月11日)は、日本の俳優・声優・歌手。本名同じ。1978年から1984年の間は、夏木 勲(なつき いさお)名義で活動した。愛称はなっちゃん・パパ。 1966年にデビューし、鍛え上げた身体で野性味あふれる男らしい演技や、晩年は円熟味と重厚さが加わり、生涯300本以上の映画・テレビ映画・ドラマに出演した。特技は乗馬・合気道・空手。身長176 cm。 東京府東京市足立区千住出身。実家は酒屋を経営。学生時代はスポーツに打ち込み、柔道と空手で身体を鍛え上げる。東京都立墨田工業高等学校卒業後、1年間の浪人生活後、慶應義塾大学文学部仏文科に進学する。
小谷 正博(こたに まさひろ、1939年12月25日 - )… 小谷 正博(こたに まさひろ、1939年12月25日 - )は日本の化学者。東京都出身。元学習院大学理学部教授。研究領域は物理化学。
大西 満(おおにし まん、1939年12月25日[要出典] … 大西 満(おおにし まん、1939年12月25日[要出典] - 2023年6月29日)は、日本の釣り師。 1980年代には「鮎釣り名人」として著名となった。泳がせ釣りの祖と言われている永井茂に師事し、報知アユ釣り選手権にて、第5〜9期名人となる。大阪府寝屋川市在住。 徳島県三好市池田町出身。 社会人となり大阪市職員として勤務する傍ら、釣りに傾倒し1974年(昭和49年)開催の報知アユ釣り選手権では第5期名人を獲得する。以降、1978年(昭和53年)開催の同大会で第9期名人を獲得まで毎年名人を獲得し続けた。 1979年(昭和54年)には初の著書『新しい友釣り』を出版。翌年おおよそ1000人の前で大阪市中央公会堂にてアユ釣り講演会を実施し盛況を得る。
井上 悟(いのうえ さとる、1939年〈昭和14年〉12月2… 井上 悟(いのうえ さとる、1939年〈昭和14年〉12月24日 - )は、元RKB毎日放送のアナウンサー・ラジオプロデューサー。 福岡県甘木市(現・朝倉市)生まれ。西南学院大学文学部卒業後、1963年にRKBに入社。1978年からはマイクネームを友人の勧めで井上里瑠に改名、プロデューサーや作家のときは井上サトルとして活動。現在はRKBの系列会社であるRKB興発株式会社の代表取締役社長を務めている。 「スマッシュ!!11」時代は鼻の下にヒゲを生やしていたことから、当時はライオンパパの愛称が付いていた。また、同番組から全国に進出していったミュージシャンたちから慕われるような存在であり、中でも井上陽水からは“おやじさん”と言われていたほどだった。
池上 康弘(いけがみ やすひろ、1939年12月24日 - … 池上 康弘(いけがみ やすひろ、1939年12月24日 - )は、日本の経営者。三共社長を務めた。静岡県出身。 1962年に早稲田大学商学部を卒業し、同年に三共に入社した>。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
水森 亜土(みずもり あど、本名:里吉 文江、1939年〈昭… 水森 亜土(みずもり あど、本名:里吉 文江、1939年〈昭和14年〉12月23日 - )は、日本のイラストレーター、歌手、女優、画家、作家。「劇団未来劇場」所属。愛称は「あどちゃん」「あどタン」。夫は「劇団未来劇場」の主宰者である里吉しげみ。旧姓:森。 東京府東京市日本橋区(現:東京都中央区日本橋)出身。父は建築家。母親は日本画家の森美子。幼い頃に絵やバレエ、ピアノを習う。 中央区立常盤小学校、桜蔭中学校・高等学校卒業。ハワイのモロカイハイスクールに遊学し、英語とジャズに触れる。 日劇ミュージックホールで歌手デビュー。英会話雑誌でイラストも描き始める。1964年、のちの夫・里吉しげみ(1965年に結婚)の主宰する劇団未来劇場公演「彼も仲間も悪い奴」で初舞台。
小林 禮子(こばやし れいこ、旧姓・木谷 1939年12月2… 小林 禮子(こばやし れいこ、旧姓・木谷 1939年12月23日 - 1996年4月16日)は、日本棋院所属の囲碁の女流棋士。神奈川県平塚市出身、七段。父は木谷實九段、夫は小林光一名誉三冠、女流本因坊などを獲得した小林泉美六段は娘。 1939年木谷實の三女に生まれる。平塚市立花水小学校、平塚市立浜岳中学校から神奈川県立平塚江南高等学校に進学。父の木谷實の道場で大勢の弟子達に混じって腕を磨き、1956年に入段。木谷の子女の中では唯一のプロ入り。1961年三段に昇進。1963年四段時に、女流選手権戦で伊藤友恵五段を破って初タイトル獲得、以後女流碁界のリーダー的存在として活躍。1964年に囲碁使節団の一員として渡米。
中川 了滋(なかがわ りょうじ、1939年12月23日 - … 中川 了滋(なかがわ りょうじ、1939年12月23日 - )は、日本の元裁判官、弁護士。石川県津幡町出身。元最高裁判所判事(2005年1月19日 - 2009年12月22日)。金沢大学法文学部10期生。金沢大学同窓会(北の都会)の東京支部長。東京都文京区在住。
山火 正則(やまび まさのり、1939年〈昭和14年〉12月… 山火 正則(やまび まさのり、1939年〈昭和14年〉12月23日 -2018年〈平成30年〉1月15日 )は、日本の法学者。神奈川大学名誉教授。専攻は刑事法学。 1939年(昭和14年)12月23日、北海道小樽市に生まれる。1963年(昭和38年)東北大学文学部哲学科卒業。1970年(昭和45年)東北大学大学院法学研究科公法専攻博士課程修了(法学博士)。神奈川大学法学部教授。神奈川大学学長(2000年 - 2007年)。 科刑論、罪数論等で重要な理論的要素となる、犯罪競合(「観念的競合」、「法条競合」、「かすがい理論」、「幅の理論」等)等に関する論文を執筆した。また、明治40年刑法典の成立過程に関する研究にも注力した。
大森 義夫(おおもり よしお、1939年〈昭和14年〉12月… 大森 義夫(おおもり よしお、1939年〈昭和14年〉12月22日 - 2016年〈平成28年〉9月11日)は、日本の警察官僚。内閣情報調査室長、警察大学校長、日本文化大学学長などを歴任した。 警察大学校長、内閣情報調査室長などを歴任。父は大森寛(陸上幕僚長、防衛大学校長)、弟に大森敬治(防衛施設庁長官、内閣官房副長官補、駐オマーン大使) 2016年9月11日、腎盂癌のために死去。76歳没。
鵜飼 武彦(うかい たけひこ、1939年12月21日 - )… 鵜飼 武彦(うかい たけひこ、1939年12月21日 - )は、日本の慈善活動家。男性。 滋賀県甲賀市出身。甲賀忍者甲賀二十一家荘内三家の内の一家鵜飼党本家鵜飼孫六の直系16代目、勝山より7代目、玄達より11代目、鵜飼舎杖より12代目の直系の子孫。生家は代々医家(博天堂医院)を営む。15代鵜飼晃の3男としてに生まれる。滋賀県立膳所高等学校を卒業後、株式会社高島屋に就職。一般社団法人恵水会、株式会社恵水会等を運営し障がい者福祉に尽力している。 高校卒業後、髙島屋に勤務。定年後はユニマットライフ顧問、鵜飼行政法務事務所所長、有限会社ユーアイシー代表取締役、株式会社恵水会取締役社長、特定非営利活動法人あけぼの会理事長、一般社団法人恵水会理事長、特定非営利活動法人健康倶楽部緑の会理事長、株式会社恵水会社長を務める。
関井 光男(せきい みつお、1939年12月21日 - 20… 関井 光男(せきい みつお、1939年12月21日 - 2014年3月3日)は、日本の文芸評論家。主に坂口安吾と太宰治の研究者として知られる。 弘前学院大学客員教授、近畿大学教授(国際人文経済研究所副所長)、早稲田予備校現代文担当講師などを務めた。 東京府生まれ。本名、山田光男(やまだみつお)。日本大学芸術学部文芸学科卒業。近畿大学では柄谷行人の側近だったが、単著は一冊もない。 2006年3月に近畿大学の運営に不満をもち、柄谷行人とともに近畿大学教授の職を辞任。近畿大学には関井の他にも柄谷側近を自認する者はいたが、職を辞することまで柄谷と行動を伴にしたのは関井のみである。 2014年3月3日午後8時30分、虚血性心疾患のため東京都練馬区の自宅で死去。
土田 ヒロミ(つちだ ひろみ、1939年12月20日 - )… 土田 ヒロミ(つちだ ひろみ、1939年12月20日 - )は、日本の写真家。本名は宏美。男性。大阪芸術大学写真学科客員教授。ニコンサロン運営委員。 福井県南条郡今庄町(現・南越前町)出身。福井県立武生高等学校、福井大学工学部卒。ポーラ化粧品本舗(現・ポーラ)の開発部に勤務しながら東京綜合写真専門学校に通う。1971年よりフリーとなる。東京綜合写真専門学校校長を務めた後、2000年より大阪芸術大学教授となる。教え子に岡田敦など。 「人の群れ」に対して焦点をあてた写真を多く撮る。代表作は『俗神』『砂を数える』『ヒロシマ』。
阿満 利麿(あま としまろ、1939年12月20日 - )は… 阿満 利麿(あま としまろ、1939年12月20日 - )は、日本の宗教学者、明治学院大学名誉教授。専攻は宗教学、日本思想史。 京都市生まれで、生家は西本願寺の末寺であった。1962年京都大学教育学部卒業。 1962年4月にNHK入局。教養番組のチーフ・ディレクター等を経て、1987年4月明治学院大学国際学部新設に伴い国際学部教授として招聘。担当科目は「民族学(フォークロア)」、「仏教文化論」、「日本文化論」など。国際学部長、大学図書館長などを歴任した。2006年3月依願退職し名誉教授。 退職後は、同志とともに「連続無窮の会」を創設し、同人。浄土宗・真宗系の関係者によるシンポジウムや講演にも多く参加・関与している。
松阪 猛(まつさか たけし、1939年12月20日 - 20… 松阪 猛(まつさか たけし、1939年12月20日 - 2014年10月22日)は、日本の柔道家(講道館9段)。現役時代の階級は中量級および重量級。 大阪府岸和田市出身で、生粋の大阪生まれ・大阪育ち。記録上の講道館入門は1956年3月29日。近畿大学在学中の1962年11月、4日に開催された全日本学生選手権(大阪府立体育会館)で3位入賞し、2週間後の講道館80周年記念全日本体重別選手権(東京体育館)では中量級の部で優勝を果たして、東京五輪代表候補の1人に数えられた。 1963年1月に大阪府警察入り、警察学校卒業後は機動隊特科中隊第2小隊(柔道部)へ赴任。府警のほか警視庁や旭化成、新日本製鉄、博報堂など実業団への出稽古で己の柔道を磨いた。
川村 隆(かわむら たかし、1939年12月19日 - )は… 川村 隆(かわむら たかし、1939年12月19日 - )は、日本の実業家。元東京電力ホールディングス取締役会長。元みずほフィナンシャルグループ社外取締役。元日立製作所取締役・代表執行役会長兼執行役社長、同相談役。元日本経済団体連合会(経団連)副会長。 父親は英文学者で元北海道大学教授の川村米一 北海道札幌西高等学校を経て、1962年3月東京大学工学部電気工学科卒業。在学中は原子力発電の研究に従事した。1962年4月、日立製作所入社。 日立では電力設計部に所属。1972年に主任技師となり、関西電力姫路第二発電所の火力6号機(略称「姫6」)、中国電力島根原子力発電所1号機などの開発に従事。東京本社火力技術本部を経て、1991年に日立工場副工場長となり、翌年工場長に就任。
稲葉 賀惠(いなば よしえ、本名:稲葉 佳枝、1939年(昭… 稲葉 賀惠(いなば よしえ、本名:稲葉 佳枝、1939年(昭和14年)12月18日 - )は、日本のファッションデザイナー、モデル。 東京出身。八重洲生まれ、鎌倉・横浜育ち。祖父・父は横浜でタイプライターを取り扱う「稲葉商会」を営んでいた。 1958年、横浜雙葉学園を卒業。1960年に文化学院美術科を卒業。文化学院の同級生に山東昭子、鳥居ユキ、安井かずみ、菊池武夫。1963年菊池と共に原のぶ子アカデミー洋裁学園(現・青山ファッションカレッジ)を卒業。その頃東京に進出した欧米のオートクチュールのアトリエで働くことを志願したが叶わず、1964年に赤羽に自らのアトリエを開いた。その後1970年に菊池や大楠裕二とともに、ビギ(BIGI)を設立。
高野 一彦(たかの かずひこ、1939年12月18日 - )… 高野 一彦(たかの かずひこ、1939年12月18日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 福岡県立京都高等学校卒業後、1958年に東映フライヤーズへ入団。 1959年に42試合に登板し4勝、1960年は32試合に登板し9勝を挙げている。 肩の故障により1963年に引退。
佐藤 英善(さとう ひでたけ、1939年12月18日 - )… 佐藤 英善(さとう ひでたけ、1939年12月18日 - )は、日本の法学者。専門は行政法。学位は、博士(法学)(早稲田大学・1991年)。早稲田大学名誉教授。 東京都出身。1963年、早稲田大学法学部卒業。早稲田大学大学院修士課程修了。同博士課程退学。早稲田大学助手、早稲田大学講師、早稲田大学助教授を経て、1977年から早稲田大学教授。この間ケルン大学留学(2年間)。1991年、博士(法学)(早稲田大学)。 早稲田大学では、法学部長、常任理事、副総長を歴任。このほか早稲田大学ラグビー蹴球部長、早稲田大学スポーツ振興協議会委員長を務めた。2010年3月、定年により早稲田大学法学部教授を退職。同名誉教授。
寺川 正興(てらかわ まさおき、1939年12月17日 - … 寺川 正興(てらかわ まさおき、1939年12月17日 - 2005年2月2日)は、日本のジャズ・ベーシスト、スタジオ・ミュージシャンである。 東京都小石川の生まれ。東京都立芝商業高等学校を卒業した。17歳頃から金井英人からベースを習った。高校時代はハーモニカバンドのベースを担当した。卒業後サラリーマン生活をしていたが、性に合わずプロミュージシャンに転向した。 澤田駿吾とダブルビーツに入って素質の良さを認められた。その後、宮沢昭、西条孝之介カルテット、八木正生トリオを経てジョージ大塚トリオに入り、1969年度スイングジャーナル人気投票第2位になるなど人気ベーシストとなった。その後石川晶とカウントバッファローズ、LOVE LIVE LIFEなどへの参加と平行してスタジオミュージシャンとして活動した。
東谷 穎人(ひがしたに ひでひと、1939年12月17日 -… 東谷 穎人(ひがしたに ひでひと、1939年12月17日 - )は、日本のスペイン文学者。神戸市外国語大学名誉教授・元学長。文学博士。専門はスペイン近現代文学。テレビのスペイン語講座の講師を長く務めた。 1939年に三重県松阪市に生まれた。高校生の時にラジオ講座でスペイン語と出会い、1962年に大阪外国語大学イスパニア語科を卒業した。在学中にフェルナンド・アカソと出会い、芦屋市のオプス・デイにてカトリックの洗礼を受けた。大学卒業後には商社勤務を経て、スペインのナバーラ大学大学院文学部博士課程に留学。スペイン近現代文学の研究に打ち込んだ。「大学の寮に聖堂があり、指導司祭もいた」とカトリック雑誌のインタビューで語っている。
若佐 博之(わかさ ひろゆき、1939年12月17日 - … 若佐 博之(わかさ ひろゆき、1939年12月17日 - )は、日本の銀行家。山陰合同銀行頭取を務めた。 島根県出身。1963年に日本大学商学部を卒業し、同年に山陰合同銀行に入行した。1994年6月に取締役に就任し、1995年6月に常務、1999年6月に専務を経て、、2001年6月に副頭取に就任し、2002年6月には頭取に昇格。2007年6月から2010年6月までに会長を務めた。 日本棋院松江支部理事・副支部長、社会福祉法人島根県共同募金会会長でもあり、2020年には、第49回大倉喜七郎賞を受賞した(有澤寛(日本棋院松江支部支部長、山陰中央テレビジョン放送株式会社会長)との同時受賞)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
菅野 誠一(すがの せいいち、1939年12月17日 - 2… 菅野 誠一(すがの せいいち、1939年12月17日 - 2010年8月29日)は、日本の合気道家。北海道小樽市出身。 1957年に合気会に入会し、その翌年より植芝盛平の内弟子となった。1965年、植芝の命によりオーストラリアへと渡り、合気道の指導を始めた。15年ほどオーストラリアを中心に指導を行い、その後ベルギー、ルクセンブルク、フランスなどのヨーロッパ国内での指導に当たった。 1988年よりはニューヨークへと移住し、ニューヨーク合気会で山田嘉光とともに師範として普及に努めた。2003年に左足を切断する手術を受けたが、その後も義足を使用して合気道を続けた。 2010年8月29日、70歳で亡くなっている。
倉石 忠彦(くらいし ただひこ、1939年12月15日 - … 倉石 忠彦(くらいし ただひこ、1939年12月15日 - 2023年6月25日)は、日本の民俗学者。國學院大學名誉教授。道祖神研究、都市民俗学論で知られる。妻の倉石あつ子、長女の倉石美都も民俗学者。 長野県長野市に生まれる。長野県立長野高等学校を経て、1959年に國學院大學文学部文学科に入学し、國學院大學民俗学研究会に入会する。1962年に日本民俗学会で「道祖神信仰の一考察」を発表する。1963年國學院大學文学部を卒業し、長野県内で高校教諭となる。1967年、前沢あつ子と結婚。1973年から長野県史民俗資料調査委員を務め、1975年には長野県史刊行会編纂委員になる。1980年、国立歴史民俗博物館設立準備委員会協力委員と長野県史刊行会常任編纂委員を務める。
クライン孝子(クラインたかこ、1939年12月15日 - 2… クライン孝子(クラインたかこ、1939年12月15日 - 2023年4月22日)は、日本のノンフィクション作家。拓殖大学客員教授。ドイツのフランクフルト・アム・マイン近郊のエシュボルン市に在住していた。満州出身。 1939年、満洲生まれ。戦後日本へ引き揚げ、 京都府福知山市に住み小学校時代を過ごす。 その後愛知県江南市に移住。 滝中学校・滝実業高等学校(現・滝中学校・高等学校)卒業後3年間、家事を手伝う。 その間大学に進学するための学費を貯金し、岐阜市立女子短期大学・英文科に入学。学費はすべてアルバイトで賄った[要出典]。 短大卒業後、帝国ホテルや外資系貿易会社に勤務。 その伝手で 1968年に渡欧。
吉田 六左エ門(よしだ ろくざえもん、1939年(昭和14年… 吉田 六左エ門(よしだ ろくざえもん、1939年(昭和14年)12月15日 - )は、日本の政治家、自由民主党所属の元衆議院議員(3期)。
保阪 正康(ほさか まさやす、1939年(昭和14年)12月… 保阪 正康(ほさか まさやす、1939年(昭和14年)12月14日 - )は、日本の作家・評論家。 北海道札幌市生まれ、二海郡八雲町育ち(なお、自著のプロフィールでは「北海道生まれ」のみと表記し、出身市町村については明記していない)。 北海道札幌市で教員の父親のもとに生まれる。父親は群馬県、母親は江別市出身。父親の勤務の関係で、生後間もなく江別市に移り、3歳で福島県二本松市、5歳で北海道二海郡八雲町に移る。そのまま八雲町で終戦を迎え、小学校6年まで同町で育った後、根室市を経て札幌市白石町(現・札幌市白石区)に移った。札幌市立柏中学校、北海道札幌東高等学校を卒業。阿部典英は中学高校の同級生、西部邁は中学校の1年先輩に当たる。
佐藤 多美治(さとう たみじ、1939年12月14日 - )… 佐藤 多美治(さとう たみじ、1939年12月14日 - )は、レスラー。ローマオリンピック4位入賞。北海道留萌支庁増毛郡増毛町育ち。 北海道増毛高等学校-中央大学高校大学とも全国優勝を経験、増毛高-中大のラインは松江喜久弥の時代から始まり、中大黄金時代の屋台骨となった。 中央大学3年の時にローマオリンピックでフェザー級4位入賞、増毛高校の全国制覇メンバー2人が入賞する大活躍だった。
小崎 愃(こざき けん、1939年12月14日 - 2018… 小崎 愃(こざき けん、1939年12月14日 - 2018年12月)は、熊本県出身のアナウンサー。 立命館大学法学部卒業後、1964年に近畿放送(KBS京都、現在の京都放送)へ入社した(同期入社は飛鳥井雅和)。主に土曜・日曜競馬中継(日曜の中継は昭和末期まではラジオでの中継であったが、テレビに移行したことでラジオの競馬中継を終了した)を担当し、エキサイトナイター・近鉄エキサイトアワー、高校野球、関西学生スポーツ中継やタイムリー10にも出演した。 特に競馬中継では、ラジオではミスターシービー(1983年)・シンボリルドルフ(1984年)、テレビではナリタブライアン(1994年)が三冠を達成した瞬間を伝えたほか、ラジオではテンポイントが出走していた第25回日本経済新春杯(1978年)を、テレビではダンスインザダーク(1995年)・サイレンススズカ(1997年)の新馬戦をそれぞれ担当した実績がある。
宮澤 宗弘(みやざわ むねひろ、1939年(昭和14年)12… 宮澤 宗弘(みやざわ むねひろ、1939年(昭和14年)12月13日 - )は、日本の政治家。元長野県安曇野市長(3期)。元長野県議会議員(5期)、元豊科町議会議員(5期)。 1958年(昭和33年)3月、長野県南安曇農業高等学校土木科卒業。同年4月、コンクリート製品の製造販売会社に就職。 1971年(昭和46年)4月、豊科町議会議員選挙に立候補し、初当選。以後、同町議を5期つとめる。 1991年(平成3年)4月、長野県議会議員選挙に立候補し、初当選。以後、同県議を5期つとめる。2009年(平成21年)8月、県議を辞職。 2009年(平成21年)10月11日執行の安曇野市長選挙に無所属で立候補し、初当選。
若林 映子(、1939年〈昭和14年〉12月13日 - )は… 若林 映子(、1939年〈昭和14年〉12月13日 - )は、日本の元女優。東宝映画を中心に活躍した。 名前の映子は 「えいこ」と誤読されることがあるが本名は「あきこ」で、夕映えの増すころに生まれたことにちなんで名づけられた。 東京市大森区北千束出身。父親はエンジニアだった。10代のころは、シモーヌ・ド・ボーヴォワールを愛好する読書家で、画家を志望したこともあった。 東京都立青山高等学校の3年生だった1957年(昭和32年)8月、ほんの軽い気持ちで東宝の『海鳴り』(制作中止)と『隠し砦の三悪人』の雪姫役に友人と一緒に応募する。結果は落選だったが、その後東宝から誘いを受け、高校卒業後に東宝へ入る。
井上 良二(いのうえ りょうじ、1939年12月13日 - … 井上 良二(いのうえ りょうじ、1939年12月13日 - )は、日本の会計学者。専門は会計学(特に財務会計論)。 静岡県榛原郡榛原町(現・牧之原市)出身。1958年静岡県立韮山高等学校卒業、1962年同志社大学商学部卒業、1970年中央大学大学院商学研究科博士課程単位取得満期退学。1980年「財務会計の基礎理論」で中央大学より商学博士の学位を取得。1967年中央大学商学部助手、1970年講師、助教授、1977年教授、1990年滋賀大学教授、1995年駿河台大学教授、1998年千葉大学法経学部教授、2002年定年退官、龍谷大学大学院教授。2005年青山学院大学大学院教授。2008年退職。1992年度~1994年度税理士試験委員、1997年度~1999年度公認会計士第二次試験委員、2003年度~2005年度公認会計士第三次試験委員。
岡田 純也(おかだ じゅんや、1939年12月12日 - )… 岡田 純也(おかだ じゅんや、1939年12月12日 - )は、日本の児童文学研究者・作家、京都女子大学名誉教授。 埼玉県立浦和高等学校卒業、立教大学卒、同大学院、米国パシフィック・ウェスタン大学(ディプロマ・ミル)で学術博士。京都女子大学児童学科教授。附属小学校長を兼務。2010年定年、名誉教授。湯布院こども童話館館長。日本児童文芸家協会監事。日本児童図書評議会会員。
皇 芳之(すめらぎ よしゆき、1939年12月12日 - )… 皇 芳之(すめらぎ よしゆき、1939年12月12日 - )は、日本の経営者。 大阪府大阪市出身。1962年に東京大学法学部を卒業し、同年に三菱レイヨンに入社した。1993年6月に取締役に就任し、1997年6月に常務、1999年6月に専務を経て、2000年6月に社長に就任し、2006年6月には会長に就任した。2010年6月に相談役に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
白石 勝(しらいし まさる、1939年12月12日 - 20… 白石 勝(しらいし まさる、1939年12月12日 - 2015年5月2日)は、日本の経営者。文藝春秋社長を務めた。 栃木県鹿沼市出身。1962年に早稲田大学第一文学部を卒業し、同年に文藝春秋に入社。「週刊文春」・「文藝春秋」各編集長、社長室長を経て、1992年に取締役に就任し、1998年6月に常務を経て、1999年6月に社長に就任。2004年5月から会長を務めた。 2004年から1年間日本雑誌協会理事長を務めた。 2015年5月2日に白血病のために死去。75歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
小川 眞由美(おがわ まゆみ、1939年〈昭和14年〉12月… 小川 眞由美(おがわ まゆみ、1939年〈昭和14年〉12月11日 - )は、日本の女優。旧芸名および本名は小川 真由美。 東京府東京市足立区(現在の東京都足立区)出身。和洋女子短大国文科卒業。父親・丹真は戦前、田村秋子らが創立した劇団新東京に属した俳優。5歳よりバレエ、日本舞踊を習う。学生時代は永井荷風を愛読し、荷風の日記のとおり一日を過ごしてみたこともあったと語っている。また高校時代は足繁く歌舞伎に通い、三代目市川壽海の大ファンだった。[要出典] 1961年(昭和36年)、田村の推薦で文学座付属研究所を受験し合格、第一期研究生として入所する。同期に草野大悟、岸田森、寺田農、樹木希林らがいる。
平井 克哉(ひらい かつや、1939年12月11日 - )は… 平井 克哉(ひらい かつや、1939年12月11日 - )は、日本の動物学者・獣医師。専門は獣医微生物学。北海道帯広市出身。 元・岐阜大学大学院連合獣医学研究科長。
根岸善雄(ねぎし よしお、1939年12月10日 - 202… 根岸善雄(ねぎし よしお、1939年12月10日 - 2022年1月16日)は、日本の俳人。 埼玉県羽生市出身。早稲田大学大学院商学研究科修士課程中退[要出典]。水原秋桜子に師事。1973年「馬酔木」同人[要出典]。公益社団法人俳人協会名誉会員[要出典]。
横溝 三郎(よこみぞ さぶろう、1939年12月9日 - 2… 横溝 三郎(よこみぞ さぶろう、1939年12月9日 - 2024年11月14日)は、日本の陸上競技選手。五輪選手。陸上競技日本代表。陸上競技テレビ解説者。陸上競技指導者。駅伝指導者。1964年東京オリンピック日本代表。東京国際大学駅伝部監督。 1939年生まれ、神奈川県横浜市緑区中山の出身。横浜市立中山中学校、横浜高等学校を経て、中央大学に入学し、卒業後はリッカーミシンに所属した。 中央大学の箱根駅伝6連覇時の中心選手として4年連続出場。1964年東京五輪では3000m障害の日本代表。選手引退後は、25年間の長きに渡り、NHKラジオ(1981年~1987年)日本テレビ(1988年~2006年)の箱根駅伝実況中継の解説者を務めた。
二代目 市川 猿翁(にだいめ いちかわ えんおう、1939年… 二代目 市川 猿翁(にだいめ いちかわ えんおう、1939年〈昭和14年〉12月9日 - 2023年〈令和5年〉9月13日)は、日本の歌舞伎役者、俳優、演出家。屋号は澤瀉屋。定紋は澤瀉、替紋は三つ猿。俳名に華果(かか)がある。紫派藤間流二代目家元としては二代目 藤間 紫(にだいめ ふじま むらさき)を名乗る。本名は喜熨斗 政彦(きのし まさひこ)。東京都出身。 「猿翁」は隠居名で、49年間にわたり名乗り続けた三代目 市川 猿之助(さんだいめ いちかわ えんのすけ)としても広く知られる。 文化功労者、従四位、旭日中綬章。子は九代目市川中車(香川照之)。 公称身長165cm・体重68kg・A型。千代田区立番町小学校、慶應義塾中等部・慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学文学部国文学科を卒業。
柳川 昌弘(やながわ まさひろ、1939年12月9日 - )… 柳川 昌弘(やながわ まさひろ、1939年12月9日 - )は、日本の空手家。東京都出身。和道流空手道八段。全日本空手道連盟和道会柳川道場支部長。日本伝・二聖二天流柔術憲法創始者[要出典]。 幼少期は身体障害をかかえていたが、徹底的な鍛錬によって達人と呼ばれる程の境地にまで上り詰めた異色の武道家として知られる[要出典]。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
伊藤 彬(いとう あきら、1939年 〈昭和14年〉 12月… 伊藤 彬(いとう あきら、1939年 〈昭和14年〉 12月7日 - 2025年 〈令和7年〉 1月12日)は、日本の政治家。元北上市長(3期)。位階は従五位。 岩手県北上市出身。岩手県立黒沢尻北高等学校、武蔵大学経済学部卒業。卒業後は東芝ビジネスマシンに入社する。 その後、帰郷し、北上市教育委員、同委員長に就任。ほか北上市で不動産会社を経営し、北上商工会議所会頭などを務める。 1999年の北上市長選挙で初当選。2003年と2007年の選挙で再選。2011年に退任した。 岩手県立黒沢尻北高等学校同窓会会長、職業訓練法人北上情報処理学園理事長、岩手県済生会支部長、北上さくらの会会長などを務めた。2012年に旭日小綬章を受章。
東條 昭平(とうじょう しょうへい、本名・東条 庄兵=読み同… 東條 昭平(とうじょう しょうへい、本名・東条 庄兵=読み同じ、1939年12月5日 - )は、主に特撮テレビドラマ作品の元監督・元演出家。福島県喜多方市出身。 1966年、円谷プロ作品『ウルトラQ』にて助監督として関わり、キャリアをスタート。翌々年の1968年、同プロダクション制作作品である『戦え!マイティジャック』で監督デビュー。以降同プロダクションや東映制作の特撮テレビドラマを中心に活動を続けた。 特撮監督の佐川和夫とは大学の同期だったが、在学中は全く交流がなく、付き合いは円谷プロで仕事をするようになってからである。 大学卒業後にテアトルプロに入社。助監督として東宝や大映のテレビドラマに参加した。
冨沢 篤紘(とみざわ あつひろ、1939年(昭和14年)12… 冨沢 篤紘(とみざわ あつひろ、1939年(昭和14年)12月5日 - [疑問点 – ノート])は、日本の政治家。元衆議院議員(1期)・元神奈川県議(2期)・元大和市議(1期)。 神奈川県大和市生まれ。神奈川県立希望ヶ丘高等学校卒業。1963年(昭和38年)慶應義塾大学法学部卒業後、都市銀行に入行し、のちに貸しビル会社社長を務めた。1979年(昭和54年)より大和市市議会議員を1期、1987年(昭和62年)から神奈川県議会議員(自民党)を2期務め、1996年(平成8年)の第41回衆議院議員総選挙に新進党公認で神奈川13区から出馬し中曽根派現職甘利明破り初当選。新進党分党で1998年(平成10年)1月改革クラブに、その後1999年(平成11年)12月民主党に移ったが、2000年(平成12年)の第42回衆議院議員総選挙では前回比例復活した甘利に破れ落選した。
新井 慧誉(あらい けいよ、1939年12月5日 - 200… 新井 慧誉(あらい けいよ、1939年12月5日 - 2007年1月9日)は、日本のインド哲学者、中国哲学者、僧侶。博士(文学)(東京大学・2002年)。 「父母恩重経」の研究では世界的権威。東京大学大学院文学部インド哲学科修了。インドのサンスクリット大学名誉博士。 慶應義塾大学を卒業後、東京大学へ学士入学し、中村元に師事した。インドと日本の橋渡しの役目を担い、奨学基金を立ち上げた。東京大学、北京大学、防衛大学校、二松學舍大学、インドのタゴール国際大学などで教授を勤める。サンスクリット語、チベット語、ベンガル語、ヒンディー語、フランス語、中国語、韓国語、英語、日本語に堪能。