スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
片岡 瑞帆(かたおか みずほ、1994年10月11日 - )… 片岡 瑞帆(かたおか みずほ、1994年10月11日 - )は、日本の女子ラグビーユニオン選手。 高校からラグビーを始めた。 2013年、都立芝商業高校卒業後、日本体育大学に入学する。また高校時代、世田谷レディースにいた。 2014年5月18日、大学2年生の時に15人制女子日本代表として女子アジアラグビーチャンピオンシップ2014の第1戦シンガポール代表戦に出場し、初キャップを得た。 2015年、日本体育大学ラグビー部女子の主将に就任した。 2017年、女子ラグビーワールドカップ2017の15人制女子日本代表に選ばれた。 2023年、日本時間の春シーズン途中(現地の秋)からニュージーランドオークランドのクラブ、ポンソンビーに加入。
本郷 剣斗(ほんごう けんと、1992年8月25日-)は、日… 本郷 剣斗(ほんごう けんと、1992年8月25日-)は、日本の俳優。 東京都出身。身長173cm、血液型A型。
市村 龍(いちむら りょう、1990年1月10日 - )は、… 市村 龍(いちむら りょう、1990年1月10日 - )は、日本のタレント。東京都出身。身長174cm、体重57kg、靴のサイズ27.5cm、血液型A型。東京都立芝商業高等学校卒業。 第19回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストのファイナリスト。ドイツ系のハーフ。 趣味は髪型研究、軟式テニス、サッカー観戦。
田口 良一(たぐち りょういち、1986年12月1日 - )… 田口 良一(たぐち りょういち、1986年12月1日 - )は、日本の元プロボクサー。東京都大田区出身。ワタナベボクシングジム所属。元WBAスーパー・IBF世界ライトフライ級統一王者。 いじめられっ子で、強くなりたかった事から、大田区立大森第七中学校3年の秋頃、地元の大田区体育館(現・大田区総合体育館)のボクシング教室に通いはじめ、芝商業高校1年の時に横浜光ボクシングジムに通うも、遊びを優先してすぐやめてしまう。高校卒業直後にワタナベジムに入門し本格的にスタート。2006年7月19日、後楽園ホールにて瀬尾智宏(川島)を初回TKOで降しデビュー。 2007年東日本ライトフライ級新人王として、西軍代表中澤翔(大鵬)を判定で退け全日本新人王獲得。
真部 豊(まなべ ゆたか、1968年6月6日 - )は、日本… 真部 豊(まなべ ゆたか、1968年6月6日 - )は、日本の元プロボクサー。東京都足立区出身。元日本ジュニアフェザー級王者。現役時代は宮田ボクシングジム所属。 東京都立芝商業高等学校卒業。偕成証券(現:内藤証券)に勤務し、運動不足解消に当時開業して間もない宮田ジムの門を叩く。当初はプロになる気はなかったが、ジムに通ううちに面白さに目覚めた。 長身のサウスポーで試合運びがうまかった。試合の録画放送があった際には、解説者から「真部君はクレバーで負けず嫌いですからね」と評されていた。世界戦を望んでいたが実現しなかった。 1990年5月15日、プロデビュー戦から5連勝を収めた。12月21日、東日本バンタム級新人王を争うも5RKOで敗れた。
青山 一也(あおやま かずや、1951年11月28日 - )… 青山 一也(あおやま かずや、1951年11月28日 - )は、日本の実業家、元俳優・歌手。本名、武田 基嗣(たけだ もとつぐ)。実業家としては本名で活動している。 東京都大田区出身。東京都立芝商業高等学校卒業。 海苔の問屋業を営む両親の長男として生まれる。加山雄三に憧れ、高校3年生の時に渡辺プロの新人募集に参加し、レッスン生の一人として採用される。 やがて渡辺プロを離れ別の事務所に移籍し、1970年にグリーン・グラスのメンバーとして、シングル「一人でいるよりあなたがいれば」をリリース。また、この時期には『天皇の世紀』(朝日放送)で俳優デビューを果たしている。その後、東京ミュージックカンパニーへ移籍することとなり、それを機に「青山 一也」に改名。
寺川 正興(てらかわ まさおき、1939年12月17日 - … 寺川 正興(てらかわ まさおき、1939年12月17日 - 2005年2月2日)は、日本のジャズ・ベーシスト、スタジオ・ミュージシャンである。 東京都小石川の生まれ。東京都立芝商業高等学校を卒業した。17歳頃から金井英人からベースを習った。高校時代はハーモニカバンドのベースを担当した。卒業後サラリーマン生活をしていたが、性に合わずプロミュージシャンに転向した。 澤田駿吾とダブルビーツに入って素質の良さを認められた。その後、宮沢昭、西条孝之介カルテット、八木正生トリオを経てジョージ大塚トリオに入り、1969年度スイングジャーナル人気投票第2位になるなど人気ベーシストとなった。その後石川晶とカウントバッファローズ、LOVE LIVE LIFEなどへの参加と平行してスタジオミュージシャンとして活動した。
石橋 純一(いしばし じゅんいち、1939年1月13日 - … 石橋 純一(いしばし じゅんいち、1939年1月13日 - )は、元NHKアナウンサー。東京都出身。東京都立芝商業高等学校、明治大学出身。松山局で定年退職し、そのまま嘱託職となった。
長谷 邦夫(ながたに くにお、1937年4月7日 - 201… 長谷 邦夫(ながたに くにお、1937年4月7日 - 2018年11月25日)は、日本の漫画家、漫画評論家、小説家、エッセイスト、詩人、作詞家、元大垣女子短期大学・椙山女学園大学・中京大学・宇都宮アート&スポーツ専門学校等の講師。元日本マンガ学会理事。赤塚不二夫の長年のブレーン役。パロディ漫画におけるパイオニアとして知られる。日本の教育における漫画学科の草創期から関わっている人物でもある。 石森章太郎主宰の東日本漫画研究会の同人として、赤塚不二夫とデビュー前から交流していた。彼らがトキワ荘に入居すると通い組として参加。もともと現代詩を書く文学青年でもあり、江戸川邦生名義で小説も発表した。また、SF同人誌『宇宙塵』の初期からの会員でもあった。
梶原 一騎(かじわら いっき、1936年9月4日 - 198… 梶原 一騎(かじわら いっき、1936年9月4日 - 1987年1月21日)は、日本の漫画原作者、小説家、映画プロデューサー。本名は高森 朝樹(たかもり あさき)。高森 朝雄(たかもり あさお)の筆名も使用した。格闘技やスポーツを題材に、男の闘う姿を豪快に、ときには繊細に描き出し、話題作を次々と生み出した。自身の型破りで豪快な生き方や数々のスキャンダルでも話題を呼んだ。身長180cm、体重85kg。空手五段、柔道二段(1983年7月28日の自己申告)。 1966年から『週刊少年マガジン』に連載された漫画『巨人の星』の原作者として名声を上げ、以後『あしたのジョー』(高森朝雄名義)、『タイガーマスク』など、いわゆる「スポ根もの」分野を確立した功績をはじめ、多くの劇画・漫画作品の原作者として活躍した。
内田 良平(うちだ りょうへい、1936年 - 2019年7… 内田 良平(うちだ りょうへい、1936年 - 2019年7月1日)は、おもに山岳写真を手がけた日本の写真家、著作家。 神奈川県横浜市出身。1954年に東京都立芝商業高等学校を卒業した。 1959年にベルニナ山岳会に入会し、以降、登山活動とともに山岳写真に取り組む。1970年に山岳写真家として独立し、以降は国内外各地で撮影を重ね、ネパール側のヒマラヤ山脈への取材旅行は、生涯に80回以上に及んだという。 1970年代からヒマラヤ・カメラトレッキングを組織し、1979年にはその参加者を中心に閑良屋会(ヒマラヤカイ)を結成して、以降、年1回の写真展「内田良平と閑良屋会(ヒマラヤカイ)山岳写真展「遥かなる山」」を開催し続けた。
戸塚 睦夫 (とつか むつお、1931年〈昭和6年〉4月20… 戸塚 睦夫 (とつか むつお、1931年〈昭和6年〉4月20日 - 1973年〈昭和48年〉5月12日)は、日本の喜劇役者。東京都出身。愛称は「ムッちゃん」。父は剣劇俳優として活躍した藤岡肇。妻は新宿フランス座の看板女優だった水川小夜子。 父・太郎が梅沢昇一座の剣戟俳優・藤岡肇だったためもあって子供のころからチャンバラ映画や大衆演劇に親しみ、ことに大都映画の剣戟スター・大乗寺八郎のカッコよさに強く憧れた。1950年に東京市立芝商業學校を卒業後、シチズン時計に勤務したのち梅沢昇一座、浅香光代劇団、不二洋子劇団を経て、浅草のロック座、池袋のフランス座などのストリップ小屋のコメディアンに転向して辛酸を嘗めていた戸塚は、昭和20年代、浅草の花月劇場に剣劇役者として参加していた際に、同じ浅草の奥山劇場で剣劇役者をしていた三波伸介に出会い、交流を深める。
山本 善之助(やまもと ぜんのすけ、1931年(昭和6年)4… 山本 善之助(やまもと ぜんのすけ、1931年(昭和6年)4月1日 - 2001年(平成13年)10月11日)は、日本の写真家。一部文献では山本 善之介とも。 1931年(昭和6年)4月1日、当時の東京市本郷区(現・東京都文京区の一部)で、上野のアメヤ横丁の布団屋(現在のたいまる本店の場所)の七人兄姉弟の五男として生まれる。父:廣三郎、母:冨美子。 1945年(昭和20年)3月、聖橋工業高校(神田駿河台:聖橋高等工学校)を第2学年で戦時動員令にて終了中退。 1946年(昭和21年)4月、東京都立芝商業学校(旧制中学、現東京都立芝商業高等学校)を入学、1950年(昭和25年)3月卒業。 1950年(昭和25年)4月、東京都立芝商業高等学校(新制高校)第4学年編入、1952年(昭和27年)3月卒業(1年間休学)。
千野 皓司(ちの こうじ、1930年12月17日 - 202… 千野 皓司(ちの こうじ、1930年12月17日 - 2022年12月)は、日本の映画監督、脚本家。 1967年に「喜劇 東京の田舎っぺ」で監督デビュー。70年代初頭から80年代半ばはテレビドラマを手がけた。社会の底辺でしぶとく生き抜こうとする人々や、戦争によって人生を翻弄された人々の悲哀を描くことが多い。 妻は舞踏家の谷口登美子。長女は画家の千野渓子。次女はボリショイ劇場付属バレエ学校を卒業した国立ロシアバレエの初の日本人プリマであるバレリーナ、千野真沙美。 東京都新橋烏森の花柳界を得意先とする半襟呉服商の長男として生まれるが、実母が4歳の時死去、数人の継母によって育てられる。 通称「天ぷら屋河内屋のミツちゃん」-本名小村井光三郎-のち講談師神田伯龍が大森海岸に住む町内の子供達を集め、レストランの主人が書いた脚本で料亭「松浅本店」の大広間の舞台で芝居を上演、その時主役をつとめたことから演劇に興味を抱きはじめた。
桂木 洋子(かつらぎ ようこ、本名・黛 住恵(まゆずみ すみ… 桂木 洋子(かつらぎ ようこ、本名・黛 住恵(まゆずみ すみえ)、旧姓・富沢(とみざわ)、1930年4月6日 - 2007年3月)は、昭和中期(1940年代後半から1960年代前半)に活動した女優。 東京市四谷区(現・新宿区)に、家具屋の一人娘として生れる。四谷第三国民学校出身。1946年、東京都立麹町女子商業学校(現・東京都立芝商業高等学校)[要出典]に在学中、母親の急逝に伴い中退して、松竹歌劇団に戦後の2期生として入団する(卒業と同時に入団とも)。初舞台は同年11月浅草松竹座公演の「秋の踊り」。同期に千草かほる、小柳久子(小柳ひさ子)などがいる。 1948年、黒澤明脚本の『肖像』を準備中、『女』のロケで国際劇場を訪れた木下惠介監督の目に留まり、その次作となる『肖像』で映画デビューする。
伊藤 雅俊 (いとう まさとし、1924年〈大正13年〉4月… 伊藤 雅俊 (いとう まさとし、1924年〈大正13年〉4月30日 - 2023年〈令和5年〉3月10日)は、日本の実業家。イトーヨーカ堂、セブン-イレブン・ジャパン、デニーズジャパンの設立者である。その手法は「資本主義の精神」そのものと言われた。 東京生まれ。東京市立京橋商業学校(現・東京都立芝商業高等学校)を経て横浜市立商業専門学校(現・横浜市立大学)を卒業。1944年三菱鉱業(現・三菱マテリアル)入社。数ヶ月後には召集され、香川県豊浜に臨時で設営された陸軍特別甲種幹部学校に入学するも、すぐに終戦となった。 三菱鉱業へ復職し、秋田県の尾去沢鉱山へ勤める。だが、3ヶ月ほどで退社し、1946年に北千住で母・ゆきと異父兄・讓が開いた洋品店「羊華堂」に合流する。
永谷 嘉男(ながたに よしお、1923年(大正12年)5月1… 永谷 嘉男(ながたに よしお、1923年(大正12年)5月16日 - 2005年(平成17年)12月28日)は、日本の実業家。 東京府東京市出身。永谷宗円の子孫の1人。永谷園創業者、名誉会長。 現在の東京都出身。東京市立京橋商業學校卒業後、太平洋戦争に従軍。復員後、戦争で焼失した実家の茶の製造業再建を目指し、「江戸風味お茶づけ海苔」を開発。1952年に発売され、瞬く間に大ヒット商品へと成長させた。 1953年株式会社永谷園本舗(現・株式会社永谷園ホールディングス)を設立。日本の和風料理に革新的なアイデアを取り入れ、インスタントの味噌汁(あさげ等)、お吸い物をはじめ、寿司のもと・すし太郎やふりかけなどを製造・販売。
樹下 太郎(きのした たろう、1921年3月31日 - 20… 樹下 太郎(きのした たろう、1921年3月31日 - 2000年12月7日)は、日本の小説家。 東京市池袋生まれ。本名・増田稲之助。京橋商業学校(現東京都立芝商業高等学校)卒、理研スプリングK.K.入社。出征し、復員後、福音電機に勤務、ドラマや放送台本を書く。1958年『週刊朝日』『宝石』共催の懸賞に「悪魔の掌の上で」が佳作入選。1961年「銀と青銅の差」で、1963年「サラリーマンの勲章」で直木賞候補。 推理小説、サラリーマン小説を書いた。
越智 信義(おち のぶよし、1920年8月6日 - 2014… 越智 信義(おち のぶよし、1920年8月6日 - 2014年1月10日)は、日本の将棋史研究者。古川柳研究会会員。「将棋博士」と呼ばれた。 東京都中央区築地生まれ。1938年、東京市立京橋商業学校(現・東京都立芝商業高等学校)卒業。住友金属工業に勤務。戦中、陸軍に応召して満洲へ。戦後は住金物産に勤務して、総務部長から「氷川会館支配人」を経て退職。 日本将棋連盟嘱託として、棋譜や対戦成績のデータベース整備を担当。『将棋昭和史』『将棋名人戦全集』『将棋年鑑』等の刊行に協力。 また、長年に渡り、将棋史の調査、将棋文献の収集を行ってきた。収集した文献は生前に、大阪商業大学・アミューズメント産業研究所に寄贈された。
蔦谷喜一(つたや きいち、1914年2月18日 - 2005… 蔦谷喜一(つたや きいち、1914年2月18日 - 2005年2月24日)は、画家、塗り絵作家。東京都出身。 1914年(大正3年)、京橋の紙問屋「蔦谷音次郎商店」の9人兄弟の7番目(五男)として生まれる。 1931年(昭和6年)、東京市立京橋商業学校を中退し、画家を志し川端画学校で学ぶ。 1939年(昭和14年)、画家としてはなかなか芽が出ず、見兼ねた兄の口利きで25歳にして商売をすることになり、菓子店の経営者となるが、商才は全くなく、赤字により1年ほどで店を閉める。 1940年(昭和15年)、友人が持ち込んだ「ぬりえ」の仕事をフジヲの名で始める。フジヲは、夏目漱石の「虞美人草」の藤尾からとった。
青柳 高一(あおやぎ たかいち、1913年(大正2年)2月2… 青柳 高一(あおやぎ たかいち、1913年(大正2年)2月20日 - 1976年(昭和51年)7月24日)は、日本の政治家、衆議院議員。 埼玉県児玉郡若泉村大字下阿久原(阿久原村、神泉村を経て現神川町大字下阿久原)出身。東京市立京橋商業学校(現・東京都立芝商業高等学校)卒。1934年(昭和9年)、青柳製作所を創立、社長となり、このほか関東産業、群馬工業、帝国車輛工業、日本化成工業、大建工業各(株)取締役社長となる。 戦後の1947年(昭和22年)、第23回衆議院議員総選挙に埼玉県第3区から立候補し当選した。日本進歩党、民主党、民主自由党、自由党に所属した。埼玉3区では荒舩清十郎らと競った。衆議院鉱工業委員会委員、衆議院鉱工業委員会理事、衆議院災害地対策特別委員会委員、衆議院労働委員会理事、衆議院商工委員会委員、衆議院水害地対策特別委員会理事などを務めた。
佐藤 正治 は、日本の俳優、声優。青二プロダクション所属。東… 佐藤 正治 は、日本の俳優、声優。青二プロダクション所属。東京都大田区出身。
神谷 明 は、日本の声優、俳優、歌手、ナレーター、元日本工学… 神谷 明 は、日本の声優、俳優、歌手、ナレーター、元日本工学院専門学校声優・俳優科講師。神奈川県横浜市出身。