真野 友博(しんの ともひろ、1996年8月17日 - )は… 真野 友博(しんの ともひろ、1996年8月17日 - )は、日本の走高跳選手。 広島県出身。広島市立国泰寺中学校、山陽高等学校、福岡大学工学部機械工学科を卒業し、2019年に九電工入社し、所属。 2022年、アジア競技大会で3位となった。 2025年、アジア陸上競技選手権大会で2位となった。
山陽高等学校:49人
※有名人ナビに登録されている49人を職業別に数えました。複数の職業を持つ人は、それぞれの職業に数えています。
真野 友博(しんの ともひろ、1996年8月17日 - )は… 真野 友博(しんの ともひろ、1996年8月17日 - )は、日本の走高跳選手。 広島県出身。広島市立国泰寺中学校、山陽高等学校、福岡大学工学部機械工学科を卒業し、2019年に九電工入社し、所属。 2022年、アジア競技大会で3位となった。 2025年、アジア陸上競技選手権大会で2位となった。
中川 皓太(なかがわ こうた、1994年2月24日 - )は… 中川 皓太(なかがわ こうた、1994年2月24日 - )は、大阪府富田林市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。読売ジャイアンツ所属。 富田林市立高辺台小学校時代は3年生からジュニア金剛に所属。富田林市立葛城中学校時代は富田林ブルーウェーブに所属。 広島県の山陽高等学校では県大会準優勝が最高で、甲子園出場歴はなし。硬式野球部での2学年先輩に森原康平がいる。 東海大学では1年春からリーグ戦に出場。4年次の第46回明治神宮野球大会ではベスト4。リーグ通算16勝1敗、防御率1.31。同期に田中俊太、渡辺勝、吉田侑樹、1学年上に大城卓三、1学年下に丸山泰資がいる。 2015年10月22日に行われたドラフト会議で読売ジャイアンツから7位指名を受けた。
森原 康平(もりはら こうへい、1991年12月26日 - … 森原 康平(もりはら こうへい、1991年12月26日 - )は、広島県福山市出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。横浜DeNAベイスターズ所属。 野球好きの祖父の影響で軟式野球を始める。本人は6歳だった1998年時点では、まだ野球に興味はなく、地元・広島に本拠地(広島市民球場)を置く広島東洋カープにも興味はなく、水泳と陸上を掛け持ちし始めていた時期だったと語っている。その後、カープのファンになり、また小学6年生のころに自身の最大の親友が野球を始めたことに影響され、自身も野球を始めた。小学生時代は中条少年野球クラブ、中学校への在籍中は軟式のクラブチーム「神辺レッズ」で捕手としてプレー。中学2年時に「神辺レッズ」の監督だった三原新二郎の勧めで投手に転向した。
三村 真(みむら まこと、1989年3月30日 - )は、広… 三村 真(みむら まこと、1989年3月30日 - )は、広島県広島市出身の元サッカー選手。中国リーグ・福山シティFC所属。ポジションは、MF。 山陽高校から拓殖大学を経て2011年、「チームに勢いを感じた」ファジアーノ岡山へ加入。同年はネクスト所属となる。2012年は左股関節肉離れの怪我もあり、ネクストに登録されたが、10試合9得点の活躍を見せ、7月にトップチームへ登録変更され、11試合に出場した。 2020年11月30日、契約満了による退団が発表された。 2021年1月23日にJ3に昇格したテゲバジャーロ宮崎に移籍。 2022年11月15日、テゲバジャーロ宮崎は契約期間の満了と来季に向けた契約更新を行わないことを発表。
髙野 征也(たかの せいや、1989年1月9日 - )は、日… 髙野 征也(たかの せいや、1989年1月9日 - )は、日本のセパタクロー選手。 同日本代表のキャプテン・エース。広島県広島市出身。 山陽高校から拓殖大学に進んだ。 ゼビオナビゲーターズネットワーク株式会社 所属 セパタクロー歴12年目 ポジション:フィダー(トサ―) 2010年 広州アジア競技大会 チーム戦 銅メダル 2014年 仁川アジア競技大会 ダブルス 銅メダル 2016年 全日本オープン 優勝 2017年 全日本選手権 優勝 2018 ジャカルタ・パレンバン アジア競技大会 クワッド種目 銀メダル、チームダブル 銅メダル 2018年 全日本オープン 優勝 大学卒業後はゼビオに入社している。
市川 裕太(いちかわ ゆうた、1985年6月13日 - )は… 市川 裕太(いちかわ ゆうた、1985年6月13日 - )は、広島県呉市出身の元サッカー選手。
井上 裕文(いのうえ ひろふみ、1984年4月5日 - )は… 井上 裕文(いのうえ ひろふみ、1984年4月5日 - )は、広島県広島市出身のサッカー選手。
大杉 誠人(おおすぎ まさと、1983年2月2日 - )は、… 大杉 誠人(おおすぎ まさと、1983年2月2日 - )は、広島県出身のサッカー選手。ポジションはディフェンダー。 山陽高校から阪南大学を経て、2005年にJFLの佐川印刷SCに加入。MF登録ながらDFとしても起用された。2006年には佐川急便大阪SCに移籍しDFとしての登録となったが、負傷の影響によりリーグ戦初出場は8月にずれ込み、9試合の出場にとどまった。 2007年、佐川大阪が佐川急便東京SCと合併して発足した佐川急便SC(後のSAGAWA SHIGA FC)に加入したが、合併に伴う競争の激化により出場機会を失った。2008年には主にDFのバックアップとしてメンバー入りし、右サイドバックなどで先発出場も果たした。
猿田 浩得(さるた ひろのり、1982年10月28日 - )… 猿田 浩得(さるた ひろのり、1982年10月28日 - )は、広島県大竹市出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。 ドリブラー。スピードで勝負するタイプのFW、攻撃的なMF。 タイにおける日本人サッカー選手の価値を上げた選手であり、彼の活躍によりタイ・プレミアリーグにおける日本人選手の需要が高まった。タイではキングと呼ばれていた。。愛媛FCにとっての日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)初得点を挙げた選手である。 実兄は2011年現在FC東京普及部コーチの猿田公章。 廿日市FC、フジタSS、山陽高等学校、拓殖大学出身。フジタSS時代の同期に柴村直弥、実兄の公章もフジタSS出身であり、沖野等から指導を受ける。
金川 直樹(かねかわ なおき、1980年6月3日 - )は、… 金川 直樹(かねかわ なおき、1980年6月3日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手(外野手)。 広島西シニアでは投手として全国大会出場。山陽高時代は遊撃手として活躍。高校通算打率.590、通算29本塁打、通算68盗塁を記録。3年夏は県大会ベスト4。1998年ドラフト3位で横浜ベイスターズに入団。 しかし、プロ入り後は、二軍でも打率が1割未満の年があるなど貧打に苦しんだ。 1999年は内野手登録だったが、2000年から外野手登録に変更。それでも一軍出場を果たせぬまま2001年に現役を引退。 松坂世代の選手では阪神タイガースの寺田祐也とともに最も早く退団した選手だった。
坂田 健史(さかた たけふみ、1980年1月29日 - )は… 坂田 健史(さかた たけふみ、1980年1月29日 - )は、日本の元プロボクサー、政治家。広島県安芸郡府中町出身。東京都稲城市議会議員(4期)、同市議会議長。元WBA世界フライ級王者。協栄ボクシングジム所属。山陽高等学校、専修大学商学部卒業。愛称は "Burning Fist"。入場曲はEUROPEの "The Final Countdown"。 元世界王者の竹原慎二と同じく安芸郡府中町出身。総合格闘家・中村和裕は坂田の卒業した府中緑ヶ丘中学校を1年先に卒業している。 2006年7月に結婚。2007年7月にハワイ・ホノルルで挙式を行い、2009年10月には長女が誕生した。 2007年7月1日の初防衛・王座統一戦以降、「あこがれのグローブだった。
小島 英次(こじま えいじ、男性、1977年12月16日 -… 小島 英次(こじま えいじ、男性、1977年12月16日 - )は、日本のプロボクサー。第21代・第23代OPBF東洋太平洋スーパーフライ級王者。広島県広島市西区出身。山陽高等学校卒、桃山学院大学中退。金沢ボクシングジム所属。 2000年12月12日、金沢ボクシングジム所属でプロデビュー。今津竜也に4R負傷判定勝ちを収めた。 2001年12月3日、5戦目で柳光和博が返上したOPBF東洋太平洋スーパーフライ級王座決定戦に出場。李根植に7R負傷判定勝ちをし、三原正と並ぶ当時日本人最短試合タイ記録で東洋太平洋王座を獲得(その後八重樫東、井上尚弥も達成するが、2014年に田中恒成に更新された)。勝利者インタビューでプロポーズをしその後結婚。
寺本 進(てらもと すすむ、1976年1月28日 - )は、… 寺本 進(てらもと すすむ、1976年1月28日 - )は、日本のセパタクロー選手。同日本代表のキャプテン・エース。 広島県広島市西区観音出身。 元サッカー選手。山陽高等学校のサッカー部だった1994年、地元広島で開かれたアジア競技大会(広島)のプレ試合が開催されたが、広島にセパタクローのチームが無く「サッカー選手なら出来るんじゃないか?」と当時の監督に薦められ即席チームに参加。セパタクローはカバティなどと共に、広島のアジア大会から日本で知られるようになったスポーツだが、寺本自身も初めてセパタクローを知ったという。このスポーツの面白さに取り憑かれ、すぐに日本代表にも選ばれ世界大会に出場した。高校卒業後、亜細亜大学の一芸一能試験にセパタクローで合格。
野村 宗弘(のむら むねひろ、1975年2月18日 - )は… 野村 宗弘(のむら むねひろ、1975年2月18日 - )は、日本の漫画家。広島県広島市東区出身。山陽高等学校卒。千葉県松戸市在住。妻も同じく漫画家の野村知紗(第20回黒潮マンガ大賞準大賞受賞)。 2006年、高知新聞主催「第18回黒潮マンガ大賞」で『ケーブルニヤリ』が準大賞を受賞。 2007年、講談社「第5回イブニング新人賞」で『まなぶ父』が奨励賞を受賞。 『イブニング』(講談社)で読み切り作品『とろける鉄工所』が掲載される。翌年の2007年12月発売の2008年第1号から『とろける鉄工所』連載開始。 2013年4月18日、広島東洋カープ対横浜DeNAベイスターズ戦で「カープ×漫画家」コラボレーション企画の一環として始球式を行った。
竹村 栄哉(たけむら よしや、1973年12月6日 - )は… 竹村 栄哉(たけむら よしや、1973年12月6日 - )は、広島県三次市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 広島県山陽高校卒業後、1992年にフジタ(ベルマーレ平塚)に加入。1994年8月17日のニコスシリーズ第3節でJリーグ初出場、1995年9月2日のニコスシリーズ第6節でJリーグ初ゴールを記録。 その後、1998年から水戸ホーリーホック、1999年途中から大分トリニータ、2002年から大宮アルディージャ、2004年からサガン鳥栖でプレー。2006年シーズン限りで鳥栖との契約が満了になり、クラブ側からはコーチ就任を打診されたが、大分時代の同僚である原田武男に誘われて九州リーグのV・ファーレン長崎に移籍。
前反 祐一郎(まえそり ゆういちろう、1973年11月19日… 前反 祐一郎(まえそり ゆういちろう、1973年11月19日 - )は、広島県広島市出身の競輪選手。日本競輪学校第81期生。師匠は和田誠吾(競輪学校第55期生)。 山陽高等学校を経て中央大学に進学。1996年の第51回ひろしま国体・成年スプリントで優勝。翌1997年競輪学校に入校。同期には長塚智広、加藤慎平、合志正臣、飯嶋則之らがいるが、同校の卒業記念レースで優勝。また、在校競走成績は第4位(39勝)だった。 1998年8月14日、高松競輪場でデビューし初勝利を挙げた。さらに後2日間も勝利して、デビュー場所で完全優勝を達成。 2000年、最後の開催となった全日本新人王戦(小倉競輪場)に出場し4着(優勝は同期の加藤)。
西田 一生(にしだ いっせい、1970年〈昭和45年〉9月1… 西田 一生(にしだ いっせい、1970年〈昭和45年〉9月17日 - )は、日本の振付師。ダンサー事務所(株)西田プロジェクト代表。タレント育成、プロモーター。自身のキャッチコピーは、おっさん史上最強カワイイ振付師。やっぱ西P!。広島県広島市出身。亜細亜大学経営学部経営学科卒業。2児の父。 広島県広島市出身。亜細亜大学経営学部経営学科卒業。 父は学校の教師。次男。幼稚園のとき体操教室に通い宙返りができるようになったことからダンスに興味をもった。小学時代に器械体操で床選手として活躍。その頃からザ・ドリフターズの志村けんに憧れるようになった。中学時代には広島東洋カープ球場の表でストリートダンスに没頭。
佐藤 康之(さとう やすゆき、1966年4月12日 - )は… 佐藤 康之(さとう やすゆき、1966年4月12日 - )は、広島県広島市安芸区矢野出身の元サッカー選手。ポジションはDF。 スピードとフィジカルの強さが売り。パンチパーマがトレードマークで、広島のみならず、Jリーグ屈指の強面選手だったが、愛嬌がありおしゃべりだったため、当時人気選手の一人だった。 森崎和幸・浩司兄弟は矢野中学校の後輩。広島国泰寺高校の野村雅之、吉田安孝は同い年で高校時代のライバルであった。地元山陽高校からマツダ入り。1988年には日本代表のメンバーに選ばれ中東遠征に参加した。Jリーグ開幕の頃にはマンチェスター・ユナイテッドFCへ修行に出されていた。1994年にレギュラー獲得、柳本啓成とともにコンビを組み活躍、サントリーシリーズ制覇に貢献した。
田中貴志(たなか たかし、1963年12月12日 - )は、… 田中貴志(たなか たかし、1963年12月12日 - )は、広島市中区鉄砲町出身の ミュージシャン・キーボーディスト・音楽プロデューサー・飲食店経営者。 本名同じ。愛称は「TAKA」。血液型はA型。 現在は「THE BOPS」(ザ・バップス)のリーダー&キーボード&ヴォーカル。
無良 隆志(むら たかし、1960年11月11日 - )は、… 無良 隆志(むら たかし、1960年11月11日 - )は、日本のフィギュアスケート選手(男子シングル・ペアスケーティング)。現在はインストラクター兼コーチ。パートナーは岡部由紀子、伊藤俊美。鳥取県西伯郡岸本町(現伯耆町)生まれ、広島県広島市南区翠町育ち。 広島市立翠町中学校、広島山陽高校、日本大学卒業。身長170cm。フィギュアスケーターの無良崇人は息子。 1979年、1980年全日本フィギュアスケート選手権優勝(ペア)。1983年ユニバーシアード優勝(男子シングル)。 幼少期に米子市内のリンクでフィギュアを始め、後広島市に移る。小川れい子(旧姓・小林)らと共に小学時から広島フィギュアクラブに所属。
畦元 将吾(あぜもと しょうご、1958年〈昭和33年〉4月… 畦元 将吾(あぜもと しょうご、1958年〈昭和33年〉4月30日 - )は、日本の診療放射線技師、実業家、政治家。自由民主党所属の衆議院議員(3期)。自由民主党政務調査会環境部会長代理。 厚生労働大臣政務官、党副幹事長、環境委員会理事などを歴任。 広島市出身。安田学園安田小学校、あきる野市立秋多中学校、山陽学園山陽高等学校を経て1980年3月、国際医学総合技術学院(現:岐阜医療科学大学) 診療放射線技師科を卒業。 同年、社会保険広島市民病院 (現:広島市民病院)放射線科。1985年、横河メディカルシステム株式会社(現:GEヘルスケア・ジャパン株式会社)入社。1999年、有限会社オフィス・アゼモト設立 (後の株式会社AZE)代表取締役社長 就任。
小滝 勇一(こたき ゆういち、1955年2月28日)は広島県… 小滝 勇一(こたき ゆういち、1955年2月28日)は広島県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 実兄は東洋工業でディフェンダーとして活躍した小滝強と小滝春男。三兄弟が同時期に日本のトップリーグでプレーした初のケース。 現役時代はフジタ工業でプレー。強シュートが持ち味のフォワードで、1977年、1979年、1981年の日本サッカーリーグ1部優勝、1977年、1979年の天皇杯優勝時のメンバーとしてフジタ工業の全盛期を支えた。 引退後はフジタ社員、1991年には中国サッカーリーグの広島フジタSCの監督に就任。1995年にはチームを中国リーグで優勝に導いた。 ・JSL東西対抗戦 1回出場(1981年)
吉本 敏寿(よしもと としひさ、1953年7月 - )は、日… 吉本 敏寿(よしもと としひさ、1953年7月 - )は、日本の陸上競技選手。専門は跳躍競技。 広島県佐伯郡能美町(現在の江田島市能美町)出身。能美中学校から山陽高等学校、中京大学に進み、1975年にアジア陸上競技選手権大会(ソウル)で三段跳金メダル(15m87)。大学在学中には、走幅跳で7m61の記録も残している。 山陽高等学校に教員として勤める。 1980年、第14回織田幹雄記念国際陸上競技大会の走幅跳で7m98の記録を出す。1980年モスクワオリンピックで代表選手に選ばれたが、日本のボイコットにより不参加となった。
河野 和久(こうの かずひさ、1950年12月30日 - )… 河野 和久(こうの かずひさ、1950年12月30日 - )は広島県出身の元サッカー選手。ディフェンダー(DF)。 山陽高等学校では崎谷誠一、平田和資らと共に1967年全国高等学校サッカー選手権優勝(洛北と両校優勝)、国体3位。3年時の翌1968年全国高等選手権は準優勝(0ー1初芝)。ユース日本代表にも選出され、1969年第11回アジアユース選手権(AFCユース選手権)に出場した。この時の代表メンバーは18人中9人が広島出身者の同学年で、多くが日本サッカーリーグ(JSL)各チームの主力選手として活躍した。(詳細は崎谷誠一の項目を参照)。 高校卒業後、日立入りし、忠実なサイドバックとして長くレギュラーとしてプレーした。
崎谷 誠一(さきや せいいち、1950年12月1日 - )は… 崎谷 誠一(さきや せいいち、1950年12月1日 - )は、広島県似島出身の元サッカー選手。 山陽高等学校でフォワード、あるいは攻撃的MFとして2年時の1967年、全国高等学校サッカー選手権で優勝(洛北と第二延長を含む120分0-0で両校優勝)、国体3位。2年生でユース日本代表に選出される。3年時の翌1968年には主将として全国高等選手権準優勝(0ー1初芝)。翌1969年第11回アジアユース選手権(AFCユース選手権)に出場した。この時の代表メンバーは18人中9人が広島出身者の同学年で、崎谷は八幡製鉄、山陽の同級・河野和久は日立、県立広島工業の荒井公三は古河電工、小原秀男は東洋工業、修道の大谷栄一は三菱重工、広島市商の河本博は八幡製鉄と、日本サッカーリーグ(JSL)に進み、いずれもチームの主力選手として活躍した。
国枝 強(くにえだ つよし、1944年9月18日 - )は、… 国枝 強(くにえだ つよし、1944年9月18日 - )は、広島県出身の元サッカー日本代表選手(DF)。 高校時代は山陽高等学校へ入学し、渡部英麿から厳しい指導を受けた。 1960年代後期~1970年代東洋工業(のちのマツダSC、現サンフレッチェ広島)に所属、60年代後期の東洋工業黄金期を支えたフルバック。1969年、1970年の2年連続天皇杯決勝進出に貢献している。 また日本代表としてもワールドカップメキシコ大会予選など、国際Aマッチ2試合に出場した。
高島 昭男 (たかしま あきお、1942年(昭和17年)4月… 高島 昭男 (たかしま あきお、1942年(昭和17年)4月15日 - )は、日本のフィールドホッケー選手。 1964年東京オリンピックと1968年メキシコシティーオリンピックに出場した。
田中 博司(たなか ひろし、1941年(昭和16年)12月2… 田中 博司(たなか ひろし、1941年(昭和16年)12月20日 - )は、日本のフィールドホッケー選手。 1964年東京オリンピックと1968年メキシコシティーオリンピックに出場した。
市原 則之(いちはら のりゆき、1941年10月30日 - … 市原 則之(いちはら のりゆき、1941年10月30日 - )は、広島県東広島市出身の元ハンドボール選手、元日本男子代表選手、代表監督。現日本ハンドボール協会副会長、日本ハンドボールリーグ機構会長。日本トップリーグ連携機構専務理事。日本オリンピック委員会(JOC)専務理事。2016年に広島山陽高等学校の理事長に就任。 広島山陽高校では暴れん坊の格闘技好きで退学寸前となるが、2年の時、生活指導の先生に勧められたハンドボールを始める。広島商科大学(現・広島修道大学)商学部商業学科卒業後、大崎電気ハンドボールクラブで活躍。一旦現役選手を引退し帰郷。瀬戸内高校教諭を3年半務めた後1969年、職を辞し湧永製薬ハンドボールクラブの創部に参画した。
山岡 敏彦(やまおか としひこ、1941年(昭和16年)9月… 山岡 敏彦(やまおか としひこ、1941年(昭和16年)9月11日 - )は、日本のフィールドホッケー選手。 明治大学出身。1964年東京オリンピックで男子トーナメントに出場した。2019年(令和元年)現在、東京都千代田区にて「お好み焼き屋 カープ(東京支店)」を経営する。
中谷 雄英(なかたに たけひで、男性、1941年7月9日 -… 中谷 雄英(なかたに たけひで、男性、1941年7月9日 - )は、元柔道選手。柔道指導者。講道館9段。
上 久雄(かみ ひさお、1941年6月28日 - )は、広島… 上 久雄(かみ ひさお、1941年6月28日 - )は、広島県広島市出身の元サッカー選手(DF、MF)・監督。 広島市立国泰寺中学校を経て、広島山陽高校では渡部英麿監督の指導を受けた。卒業後は寺西忠成監督に誘われ、1960年に八幡製鉄サッカー部へ入部。身体能力に優れ、ハードタックルと空中戦に強さを発揮。渡辺正・宮本輝紀らと共に主力選手として活躍し、ストッパーとして相手チームのエースのマークを任され、1966年と1967年には2年連続で「年間優秀11人賞」に選出される。日本代表では主にハーフバックとして活躍し、東京五輪では代表初のベスト8進出に貢献。メキシコシティ五輪は予選こそレギュラーとして出場したが、本戦では登録メンバーから外れた。
木原 征治(きはら せいじ、1941年1月15日 - 201… 木原 征治(きはら せいじ、1941年1月15日 - 2018年12月4日)は、広島県広島市堀越(現・南区)出身のフィールドホッケー選手・指導者。現役時代のポジションはセンターフォワード(FW)。1960年ローマオリンピック、1964年東京オリンピック日本代表。元男子代表監督で、2007年9月から男子強化本部長に就任。元日本ホッケー協会副専務理事、常任理事。 昭和30年代に黄金期を築いたホッケーの名門・広島山陽高校の中心フォワードとして在学中、高校選手権、国体の二冠を各1度制覇、進学した早稲田大学でも主力選手として活躍した。早稲田在学中、19歳で1960年ローマオリンピックの日本代表となるがチームは予選リーグで敗退。
宮本 輝紀(みやもと てるき、1940年12月26日 - 2… 宮本 輝紀(みやもと てるき、1940年12月26日 - 2000年2月2日)は、広島県広島市宇品(現・南区宇品)出身(広島市段原山崎町生まれ)の元サッカー選手(MF)・コーチ・監督。日本代表の攻撃的ミッドフィールダーとしてメキシコ五輪銅メダル獲得に貢献し、日本最初のゲームメーカーとも呼ばれる。 1945年8月6日、4歳の夏に爆心地から約2kmの段原山崎町で被爆し、一緒に遊んでいた弟を亡くした。張本勲も近所で被爆している。終戦後は宇品に引越して広島市立千田小学校に入学し、千田小の同期に岡光龍三、一学年上に後に山陽高→八幡→新日鐵と同じ道を歩む大石信幸がいた。広島市立国泰寺中学校時代に大学生にサッカーを教えてもらったことがきっかけでサッカー部に転部し、国泰寺中の一学年上に野村六彦、同期に今西和男がいた。
三原 新二郎(みはら しんじろう、1940年7月20日 - … 三原 新二郎(みはら しんじろう、1940年7月20日 - )は、広島県広島市己斐(現西区己斐)出身の高校野球指導者である。広島県山陽高校野球部元監督。
岡光 龍三(岡光竜三、おかみつ りゅうぞう、1940年 - … 岡光 龍三(岡光竜三、おかみつ りゅうぞう、1940年 - )は、広島県広島市出身の元サッカー選手(FW)・指導者。 広島市立千田小学校時代の同級に宮本輝紀、一学年上に大石信幸がいる。 高校は宮本や大石とともに広島山陽高等学校に進学し、渡部英麿から指導を受ける。1957年、1958年国体準優勝に貢献。特に1958年大会決勝は杉山隆一がいた静岡県立清水東高等学校との対戦で、当時話題となった。 大学は中央大学に進学した。サッカー部に在籍し、同郷の野村六彦・小城得達・桑原楽之らと活躍した。第42回天皇杯全日本サッカー選手権大会で決勝進出、決勝の相手は長沼健・平木隆三・川淵三郎・宮本征勝・鎌田光夫・保坂司と日本代表を揃え三連覇を狙った古河電工で、岡光は決勝点を決め中大優勝に貢献した。
大石 信幸(おおいし のぶゆき、1939年9月12日 - )… 大石 信幸(おおいし のぶゆき、1939年9月12日 - )は、広島県広島市出身の元サッカー選手。ポジションはFW。 広島市立千田小学校の一学年下の宮本輝紀、岡光龍三らと山陽高等学校に進学し1957年、主将として国体準優勝。八幡製鉄サッカー部でも1963年、1964年度全日本実業団サッカー選手権大会2連覇、1964年度の天皇杯優勝に貢献。1965年創設された日本サッカーリーグ(JSL)一年目は桑田隆幸(東洋工業)と並んで11得点を挙げ、得点王・野村六彦(日立)に次ぐ得点2位と、初年度の得点王争いは全員広島出身者だった。
綿田 道則 (わただ みちのり、1938年(昭和13年)10… 綿田 道則 (わただ みちのり、1938年(昭和13年)10月3日 - )は、日本のフィールドホッケー選手。 1960年ローマオリンピックで男子トーナメントに出場した。
小島 博(こじま ひろし、1938年(昭和13年)1月27日… 小島 博(こじま ひろし、1938年(昭和13年)1月27日 - )は、日本のフィールドホッケー選手。1960年ローマオリンピックで男子トーナメントに出場した。
山崎 久寿(やまざき ひさとし、1935年(昭和10年)10… 山崎 久寿(やまざき ひさとし、1935年(昭和10年)10月14日 - )は、日本のフィールドホッケー選手。1960年ローマオリンピックで男子トーナメントに出場した。
松井 旭(まつい あさひ、1927年11月24日 - 201… 松井 旭(まつい あさひ、1927年11月24日 - 2012年2月21日)は、日本の官僚、政治家。第18代~23代千葉市長(在任期間 1977年 - 2001年(六期))。北海道旭川市生まれ、広島県広島市育ち。
尾川 正二(おかわ まさつぐ、1917年(大正6年)4月28… 尾川 正二(おかわ まさつぐ、1917年(大正6年)4月28日 - 2009年(平成21年)3月5日)は、旧朝鮮生まれの国文学者である。
大佐古 一郎(おおさこ いちろう、1912年(大正元年)11… 大佐古 一郎(おおさこ いちろう、1912年(大正元年)11月15日 - 1995年(平成7年))は、昭和時代のジャーナリスト・著作家。広島市での原爆被災をはさむ長い時期にわたって、在広島の地方紙である中国新聞の記者を務めた。 広島県山県郡壬生町(現・北広島町)生まれ。1933年に(旧制)山陽中学を卒業したのち日本大学予科に入学。同大学文学部に学んだのち、標準教科書出版協会・哈爾濱日日新聞社を経て、1939年中国新聞社に入社。この間、中国大陸で兵役に就く。県政(広島県庁・中国総監府)担当記者であった33歳時、1945年8月6日に原爆に被災した。同社が壊滅して幹部・同僚記者が多数被爆死し、また敗戦後の枕崎台風によって疎開先の印刷工場も機能停止に陥るなか、辛くも生き延びて戦後の再建に参加した。
佐竹 利彦(さたけ としひこ、1910年(明治43年) - … 佐竹 利彦(さたけ としひこ、1910年(明治43年) - 1998年(平成10年)7月24日)は、日本の技術者・実業家。広島県東広島市出身。 サタケ二代目社長。おいしくて光沢のある白米ができる精米機を発明し、精米理論を体系化した。またヤシ・ソテツ類植物の収集・分類において権威であった。東京大学で農学博士号を取得(近代精米技術に関する研究)、東京農業大学名誉博士(ヤシの研究)、広島大学名誉博士(近代精米およびヤシの研究)。 1910年(明治43年)、佐竹利市の長男として生まれる。旧制山陽中学校(現・山陽高等学校)で優秀な成績を収め、旧制広島高等工業学校(現・広島大学工学部)への推薦入学が決まっていた。
松井 義男(まつい よしお、1906年4月1日 - 1983… 松井 義男(まつい よしお、1906年4月1日 - 1983年2月26日)は、広島県呉市出身の技術者、実業家。ダイワ精工創業者。 1923年山陽中学校卒。広島でカメラ店を経営するが上京し1953年、カメラの距離計の製造を主とする「松井製作所」を創業。1955年からは釣り具のリールの製造を開始、釣り用品の需要増大に伴い、リールを本格的に生産するため1958年、東京都中野区に資本金200万円で「大和精工」を設立した。さらにスポーツ用品の製造も開始。1960年、リール生産工場を東京都東久留米市前沢に新設、1962年本社もここへ移転した。 1964年、グラスロッド(ガラス繊維強化プラスチック製の釣り竿)の生産工場を新設、1965年にはオリジナル仕様のダイワブランド・リールを開発、販売を開始した。
伊藤 実雄(伊藤 實雄、いとう じつお、1906年(明治39… 伊藤 実雄(伊藤 實雄、いとう じつお、1906年(明治39年)3月25日 - 1984年(昭和59年)4月4日)は、昭和期の農業指導者、政治家。衆議院議員、広島県安芸郡熊野町長。 広島県安芸郡熊野村(現熊野町)で、伊藤忠兵衛の息子として生まれた。1938年(昭和13年)私立山陽中学校(現山陽高等学校)を卒業した。 農業を営む。熊野町会議員、同町長、同町農業会長、広島県農業中央会初代会長、全国農業会議所副会長などを務めた。 1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙で広島全県区に無所属で出馬して当選し、日本農民党に所属して衆議院議員に1期在任した。その後、1959年(昭和34年)6月の第5回参議院議員通常選挙で広島県地方区に無所属で立候補したが次点で落選した。
松月 秀雄(まつづき ひでお、1892年9月18日 - 19… 松月 秀雄(まつづき ひでお、1892年9月18日 - 1993年)は、日本の教育学者。文学博士。東京理科大学学長。
橋本 征治 は、日本の人文地理学者、関西大学名誉教授。
吉本 文弘 は、広島県広島市出身の元プロ野球選手(内野手)、… 吉本 文弘 は、広島県広島市出身の元プロ野球選手(内野手)、セ・リーグのプロ野球審判員。1991年から1994年の登録名は、吉本 武弘。審判員袖番号は4。