スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
山口 雄也(やまぐち ゆうや、1997年〈平成9年〉10月1… 山口 雄也(やまぐち ゆうや、1997年〈平成9年〉10月18日 - 2021年〈令和3年〉6月6日)は、日本の闘病記著者。大学1年生の19歳で癌の告知を受けてから23歳での病死まで、闘病の様子や自らの思いを、ブログやSNSを通して発信し続けた。 1997年(平成9年)10月18日、京都府京都市左京区に生まれる。3歳からピアノを習い始めたほか、小学3年生から陸上競技を始め、高校3年の夏まで9年間続けた。 2013年(平成25年)に京都市立堀川高等学校に入学し、2016年(平成28年)4月、京都大学工学部地球工学科に進学。この年の秋に風邪をこじらせて肺炎を発症し、精密検査を受けたところ、縦隔胚細胞腫瘍という、数十万人の一人の割合で発生する稀少な癌であることが判明。
山西 利和(やまにし としかず、1996年2月15日 - )… 山西 利和(やまにし としかず、1996年2月15日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は競歩。男子20km競歩の世界記録保持者。 京都府長岡京市出身。長岡京市立長岡第三中学校の時は3000mを走るトラックランナーであり、奈良県生駒市陸上競技協会主催の北和記録会での出場成績が現存している。中学時代は陸上競技に励む傍ら、学習塾の成基学園アストロ(長岡京)に通い、京都市立堀川高等学校に進学した。 高校進学後、陸上競技部の先輩が歩く姿に興味を持ってトラックから競歩へ転向。高校3年の時に第8回世界ユース陸上競技選手権大会(ウクライナ・ドネツィク)に日本代表選手として出場し、男子10000m競歩で41分53秒80のタイムで日本人選手として同種目初優勝を果たす。
前田 智宏 (まえだ ともひろ、1988年〈昭和63年〉12… 前田 智宏 (まえだ ともひろ、1988年〈昭和63年〉12月26日 - )は、南気象予報士事務所に所属する気象予報士・防災士・健康気象アドバイザーで、元・福井放送アナウンサー。 熊本県生まれの京都府京都市育ちで、京都市立堀川高等学校、京都大学教育学部教育科へ進学。中学生時代からのコブクロファンで、大学生時代にグライダー部で活動した ことから、自家用操縦士(上級滑空機)の国家資格も保有する。 大学卒業後の2011年4月1日付で、板垣菜津美・西田隆人と共に、アナウンサーとしてFBCへ入社した。同局では、『おじゃまっテレ ワイド&ニュース』(テレビ番組)内の「まえだのお絵描き天気」(天気予報)を、2013年4月から5年間にわたって担当。
山添 拓(やまぞえ たく、1984年〈昭和59年〉11月20… 山添 拓(やまぞえ たく、1984年〈昭和59年〉11月20日 - )は、日本の政治家、弁護士。日本共産党所属の参議院議員(2期)、同党政策委員長。自由法曹団、日本労働弁護団、青年法律家協会所属。 京都府向日市生まれ。京都市立堀川高等学校、東京大学法学部卒業。早稲田大学大学院法務研究科修了、法務博士(専門職)修得。2010年司法試験合格、2011年弁護士登録、以後東京法律事務所や山添拓法律事務所で、原発事故の被害賠償事件に取り組む弁護団、過労死弁護団、首都圏青年ユニオン顧問弁護団、国公労連賃下げ違憲訴訟弁護団等に参加。2016年の第24回参議院議員通常選挙に、改選数・定数6名の東京都選挙区から日本共産党公認で立候補し、得票率10.7パーセント (%) を得て4位で初当選する。
立川 吉笑(たてかわ きっしょう、1984年6月27日 - … 立川 吉笑(たてかわ きっしょう、1984年6月27日 - )は落語立川流所属の落語家。本名∶人羅 真樹。京都府京都市出身。立川談笑門下一番弟子 京都市立堀川高等学校自然探究科卒業。京都教育大学教育学部数学科教育専攻中退。 もともとお笑い芸人志望であり、大学を1年で中退した後コンビを組んで2年間baseよしもとのオーディションを受けていたが相方の失踪で解散。ヨーロッパ企画の舞台に影響を受け放送作家をしつつコンビ「イクイプメン」を組み4年間ほど活動。倉本美津留に目を留められて上京し仕事を行っていた時期があったものの相方との衝突やレベルの違いから空中分解の状態になる。その頃買った立川志の輔のCDから落語家を志すようになる。
西尾 塁(にしお るい 、1983年〈昭和58年〉3月29日… 西尾 塁(にしお るい 、1983年〈昭和58年〉3月29日 - )は、日本の俳優。京都府京都市出身。京都市立堀川高等学校卒業。 旧芸名は開都 塁。ぐるうぷ香住(2013年12月まで)を経てピカロエンタープライズ(2022年4月まで)に所属、現在は個人事務所(2022年5月から)で映像作品等も制作している。 1983年、京都市中京区にて社寺建築家の次男として生を受ける。 母が児童劇団に応募したことがきっかけで幼少期から演技、殺陣、日本舞踊を学ぶ。 1989年フジテレビ「華岡青洲の妻」華岡良平役でデビュー。 1993年TBSテレビ「ナショナル劇場水戸黄門」第22部 第10話まで寛坊役でレギュラー出演。
森下 ゆうじ(もりした ゆうじ、1981年1月16日 - )… 森下 ゆうじ(もりした ゆうじ、1981年1月16日 - )は日本の放送作家、ラジオパーソナリティ。本名は森下 祐次(読み同じ)。愛知県名古屋市を拠点に活動する。 京都府京都市出身。お笑いLIVEハウス、長者町raBBitを運営。ライオットエンターテイメント代表取締役。 京都市立堀川高等学校卒業後、愛知淑徳大学に入学。 18歳で名古屋NSC10期生として入学。 名古屋よしもとに所属し薬師寺陽一(現・ピン芸人兼イラストレーター)と「笑炎」というコンビで活動。 コンビとしては『オールザッツ漫才』に出演。2002年にトーナメント戦に出場。名古屋よしもとに所属しながらもうめだ花月のオーディションに合格し、うめだ花月の舞台に毎月出演。
髙谷 光信(たかや みつのぶ、1977年2月27日 - )は… 髙谷 光信(たかや みつのぶ、1977年2月27日 - )は、日本の指揮者。京都市生まれ。東京混声合唱団指揮者。関西大学客員教授、大阪芸術大学演奏学科 客員准教授、名古屋芸術大学 音楽領域・同大学院 非常勤講師、武庫川女子大学音楽学部 非常勤講師。 京都市立堀川高等学校音楽科(現・京都堀川音楽高等学校)を経て大阪音楽大学音楽学部器楽学科卒業、ウクライナ国立チャイコフスキー記念音楽院(en:Kiev Conservatory)指揮科首席卒業。また国家演奏家資格、ディプロマを最優秀の成績で取得。指揮を故小松一彦、故伊吹新一、田中良和、藏野雅彦、辻井清幸、V .プラソロフ、故E.ドゥーシェンコ(ru:Дущенко, Евгений Васильевич)、N.スーカッチに師事する。
加藤 隆生(かとう たかお、1974年9月14日 - )は日… 加藤 隆生(かとう たかお、1974年9月14日 - )は日本の実業家・ソングライター。株式会社SCRAP代表取締役社長。 岐阜県生まれ。京都府育ち。京都市立堀川高等学校、同志社大学文学部心理学科卒業。大学卒業後印刷会社に就職。印刷会社を1年半で退職。 2002年1月、ポップバンド「ロボピッチャー」を結成、ボーカル・ギターを担当、1年ほど音楽活動に専念。 京都でインディーズ音楽イベント「ボロフェスタ」を開催するため、2004年7月、京都府京都市を中心に配布するフリーペーパー「SCRAP」(2012年3月廃刊) を創刊、編集プロダクションで編集などに携わる。 2007年7月に京都で開催した「リアル脱出ゲーム」が評判を博し、イベントプロデュースを手がけるようになる。
ドクター長谷川(ドクターはせがわ、1971年5月12日 - … ドクター長谷川(ドクターはせがわ、1971年5月12日 - )は、日本のマルチタレント。京都府京都市出身(大阪府高槻市生まれ)。京都市立堀川高等学校、大阪芸術大学卒業。 出生より京都に落ち着く5歳まで、6度の引越しを繰り返したことで友達に恵まれず、自宅に居る大半を押し入れの中で過ごす。中学校卒業時まで押し入れの2段目に布団を敷き、寝床としていた。 幼少時に後天性真珠腫慢性中耳炎を患い、以来左耳の聴力のほとんどをなくすが逆に音楽の興味が日々増していく。小学校6年時にルイ・アームストロングの音楽に出会い、影響され、中学校入学と同時に吹奏楽部に入部、トランペットを始める。堀川高等学校でも吹奏楽部に入部するも、編成上の都合でサクソフォーンスパートに回される。
石原 正也(いしはら まさや、1969年3月8日 - )は、… 石原 正也(いしはら まさや、1969年3月8日 - )は、株式会社chapの代表取締役。プロデューサー、ディレクター、エディター。 京都市出身。京都市立柳池中学校、京都市立堀川高等学校、大阪写真専門学校を卒業。映像の編集アシスタントから始まり、同時にFMラジオのADも担当。23歳からFMディレクターとして現場に携わるが24歳の時に編集チーフの退職に伴い映像編集のチーフとして時代劇や2時間ドラマ、CMなどを手掛ける。33歳でフリーディレクターになり、数多くのTV番組やラジオ番組を制作。45歳で株式会社chapを設立し制作の範囲を広げ、WEBメディアやイベント制作など多岐にわたるコンテンツをプロデュースする。
通崎 睦美(つうざき むつみ、1967年5月23日 - )は… 通崎 睦美(つうざき むつみ、1967年5月23日 - )は、日本のマリンバ奏者、木琴奏者、随筆家。京都市下京区出身。 京都市立醒泉小学校、同志社中学校、京都市立堀川高等学校(音楽科)、京都市立芸術大学音楽学部卒業。同大学院音楽研究科修士課程修了。 風呂敷の縫製を生業とする家に次女として生まれる。5歳よりマリンバを始める。1991年にコンサートデビュー。これまでに、ピアノ、ヴァイオリン、アコーディオン、箏、三弦など様々な楽器やダンスとのデュオを結成。また、マリンバ・トリオでの演奏や、オーケストラとの共演なども行っている。 デビュー以来、セルフプロデュースのもとマリンバ演奏のコンサートを続けてきたが、2005年2月、東京フィルハーモニー交響楽団定期演奏会(井上道義指揮)にて、1944年に木琴奏者の平岡養一が初演した「木琴協奏曲」(紙恭輔作曲)を平岡本人の木琴で演奏。
野田 一江(のだ かずえ、1965年 - )は、日本の教育者… 野田 一江(のだ かずえ、1965年 - )は、日本の教育者。箕面自由学園中学校・高等学校のチアリーダー部ゴールデンベアーズの指導者。 1991年に音楽の非常勤講師として同校に着任した。翌年チアリーダー部を創設に際し、コーチに就任した。チアリーディング日本選手権大会(ジャパンカップ)9連覇を含む、全国優勝38回の常勝チームをつくり上げる。 現在はチアリーダー部総監督である。 大阪府生まれ。京都市立堀川高等学校音楽科(現在の京都市立京都堀川音楽高等学校)、同志社女子大学学芸学部音楽学科卒業後、クラリネット奏者として活動した。 1991年、音楽の非常勤講師として箕面自由学園高等学校に着任した。チアリーダー部創設に際し、〝チア経験ゼロ〟で指導を始める。
小林 弘之(こばやし ひろゆき、1958年 - )は、日本の… 小林 弘之(こばやし ひろゆき、1958年 - )は、日本の外交官。ナッシュビル総領事等を経て、駐モンゴル特命全権大使。 1958年 京都府出身 1974年 京都市立堀川高等学校入学 1983年 中央大学法学部法律学科卒業 在学中にニューヨーク州立大学に私費留学した 1983年 外務省入省(外務省専門職員採用試験) 2005年 在モンゴル日本国大使館参事官 2008年 外務省国際協力局気候変動室(現:気候変動課)首席事務官 2011年 外務省総合外交政策局国際原子力協力室企画官 2013年 外務省総合外交政策局海上安全保障政策室(現:宇宙・海洋安全保障政策室)室長 2016年 外務省大臣官房調査官 2018年 ナッシュビル総領事、ナッシュビルさくらまつり諮問委員会共同栄誉委員長兼務 2019年 モンゴル国駐箚特命全権大使(3度目の赴任)
河野 美砂子(こうの みさこ、1956年 - )は、日本のピ… 河野 美砂子(こうの みさこ、1956年 - )は、日本のピアニスト、歌人。 1956年、京都府京都市に生まれる。5歳からピアノを始める。京都市立堀川高等学校音楽科を経て京都市立芸術大学音楽学部卒業後、ロサンゼルスやウィーンに留学。井上直幸、ピヒト=アクセンフェルトらに師事する。1988年、淡路島国際室内楽コンクール優秀賞を受賞。1992年「塔」入会。1995年から京都市立芸術大学音楽学部のピアノの非常勤講師を務める。1995年、「夢と数」で第41回角川短歌賞受賞。2004年、歌集『無言歌』により、第5回現代短歌新人賞。2016年、歌集『ゼクエンツ』により、第12回葛原妙子賞。
長谷川 宏和(はせがわ ひろかず、1955年12月19日 -… 長谷川 宏和(はせがわ ひろかず、1955年12月19日 - )は、日本のフリーアナウンサーで、ローカルタレント。オフィスはせがわ所属。身長180cm、血液型A型。 京都府京都市生まれ。京都市立堀川高等学校を経て、1978年京都産業大学理学部物理学科を卒業。同年北海道テレビ放送株式会社(HTB)入社、以後、1998年12月まで勤務し、営業部門管理職への異動する辞令を受けずに退社。現在は、イベント司会・講演会活動の傍ら、後進の指導に精力的に力を注いでおり、コミュニティFM局FMアップルのラジオパーソナリティとしても活動中。 小学生の頃から放送部、演劇部に所属しており、高校時代はクラスメイトと漫才コンビを組み、関西のTV・ラジオ「番組荒らし」の異名を取るほどの典型的なお笑い少年であった。
4代目 桂 塩鯛(かつら しおだい、1955年2月9日 - … 4代目 桂 塩鯛(かつら しおだい、1955年2月9日 - )は、上方落語の落語家。本名∶山下 眞史。所属事務所は米朝事務所で、上方落語協会理事。2代目桂ざこば一門の筆頭弟子で、桂塩鯛の当代。出囃子は「鯛や鯛」。 京都府京都市生まれ。京都市立朱雀第七小学校、京都市立朱雀中学校(陸上部)、京都市立堀川高等学校卒業。立命館大学経営学部中退。[要出典] 1977年1月3日に桂朝丸に入門。当初は3代目桂米朝に入門を申し出ているが、住み込み修行中の弟子が多いため断られる。その後、2代目桂枝雀にも申し出たものの、米朝同様弟子がいたため断られている。[要出典] そして、KBSラジオでパーソナリティーをしていた「桂朝丸のモーニングサークル」の放送終了後に出待ちをし弟子入り志願したが、朝丸が当時29歳と若かったためいったん弟子入りを断られた。
滝下 信夫(たきした のぶお、1953年4月26日- )は、… 滝下 信夫(たきした のぶお、1953年4月26日- )は、日本の実業家。株式会社NBG代表取締役会長。京都府京都市出身。愛称はのぶちゃんマン。立命館大学経営学部卒業。剣道教士七段。 父親の滝下伊三郎が始めた小道具の露天商を継ぎ、1988年、京都市中京区壬生にタキシタ家具を設立。44歳の時に地元のテレビショッピングに女装して出演したところ、食卓セットがすべて売れたため、店舗でピーターパンなどインパクトのある格好をするようになった。
門川 大作(かどかわ だいさく、1950年〈昭和25年〉11… 門川 大作(かどかわ だいさく、1950年〈昭和25年〉11月23日 - )は、日本の宗教者(金光教押小路教会長)。学校法人関西金光学園特別顧問。元京都市長(4期)、京都サンガF.C.顧問、京都市教育長、教育再生会議委員(安倍内閣)などを歴任した。門下に元大阪市会議員の飯田哲史(元京都市社会教育委員、学校法人関西金光学園顧問)がいる。 京都府京都市中京区生まれ。京都市立龍池小学校、京都市立城巽中学校卒業。1969年3月、京都市立堀川高等学校定時制普通科卒業。同年4月、京都市教育委員会に就職。働きながら、立命館大学法学部第二部を卒業した。 京都市教育委員会総務部長、教育次長を経て、2001年に京都市教育長に就任し、2007年まで同職を務める。
奥野 卓司(おくの たくじ、1950年8月8日 - )は、日… 奥野 卓司(おくの たくじ、1950年8月8日 - )は、日本の人類学者。専攻は情報人類学・人間動物関係学。関西学院大学名誉教授。千里金蘭大学特別客員教授。公益財団法人山階鳥類研究所シニアフェロー。公益財団法人千里文化財団理事。 1950年、京都府京都市生まれ。京都市立堀川高等学校、京都工芸繊維大学卒業。1978年京都工芸繊維大学大学院修士課程修了。2001年同学術博士。論文の題は「情報化時代における『第三の社会』に関する実証的研究」。 卒業後は京都芸術短期大学芸術文化研究所専任講師、助教授、米国イリノイ大学客員准教授、甲南大学文学部助教授、1994年教授。 1997年より関西学院大学社会学部教授。
南出 喜久治(みなみで きくぢ、1950年〈昭和25年〉1月… 南出 喜久治(みなみで きくぢ、1950年〈昭和25年〉1月3日 - )は、日本の弁護士。京都弁護士会所属。國體護持塾塾長、体罰の会副会長。憲法無効論を主張。反ワクチン活動家であり、全てのワクチンを否定する立場をとっている。 京都市生まれ。生家は公衆浴場業(風呂屋)。父親は支那に渡り、支那事変以降は特務機関の将校として北支那で勤務した。復員後は、逓信局(郵便局)に勤務していたが、軍歴のため公職追放の対象となり失職。その後は、家業の風呂屋を営んだ。 小学校3年のときに母親が脳溢血で寝たきりとなったため、南出が家事を受け持ち、家業の手伝いもするようになった。中学進学後に父親が肝硬変で倒れ、南出は家業や家事のため、中学・高校時代は慢性的寝不足の状態で登校していた。
吉田 金太郎(よしだ きんたろう、1950年 - 1985年… 吉田 金太郎(よしだ きんたろう、1950年 - 1985年9月4日?)はよど号グループのメンバー。 京都市立堀川高等学校卒業。高校時代、まだ創刊したばかりの「新左翼」紙(現在の「人民新聞」)の事務所によく制帽・制服姿で訪れ、手伝いをしていたという。高校卒業後、日立造船で工員として働くが、労働組合活動へ傾倒し、ブント系反戦青年委員会に参加。1970年に20歳時に仲間8人とともによど号ハイジャック事件を起こし、北朝鮮に亡命。学生運動がきっかけで参加した者が多いよど号メンバーの中では唯一の労働者出身である。 1985年8月末、吉田の実家に吉田が難病のため面会に平壌までこられないかというよど号グループからの手紙が届く。
ボブ 佐久間(ボブ さくま、1949年5月5日 - )は、日… ボブ 佐久間(ボブ さくま、1949年5月5日 - )は、日本の作曲家、編曲家。兵庫県宝塚市出身。本名は佐藤 文英(さとう ふみひで)。 4歳の頃よりヴァイオリンとピアノを始め、京都市立堀川高等学校音楽科(現京都市立京都堀川音楽高等学校)を卒業後、東京交響楽団に第一ヴァイオリン奏者として入団。しかし、経済的理由から東京交響楽団を退団しピアニストとしてクラブなどでの演奏を行うようになる、この頃、同様に下積みであったSHŌGUNの長岡道夫や五木ひろしと交友を持ち、後に五木の曲のステージアレンジを担当することになる。 1972年、「恋のドブネズミ」が第1回東京音楽祭で注目を浴び作曲家としてメジャーデビューを果たす。
店村 眞積(たなむら まづみ、1948年8月31日 - )は… 店村 眞積(たなむら まづみ、1948年8月31日 - )は、日本のヴィオラ奏者。東京音楽大学教授、桐朋学園大学特任教授。京都府出身。男性。 6歳よりヴァイオリンを始める。東儀祐二、鷲見三郎、江藤俊哉、齋藤秀雄、ピエロ・ファルッリらに師事。中学3年生のとき、学生音楽コンクール西日本第1位。京都市立堀川高校音楽コースへ進学。高校卒業後は4年間大学へ行かず、週1度東京へ通い、江藤俊哉の個人レッスンを受ける。22歳のとき桐朋学園大学音楽学部へ入学。オーケストラではヴァイオリンもヴィオラも弾いたが、大学3年生のとき、齋藤秀雄に「ヴィオラをやりなさい」と勧められる。1974年に桐五重奏団を結成し、ヴィオラを担当。
壤 晴彦(じょう はるひこ、1948年1月25日 - )は、… 壤 晴彦(じょう はるひこ、1948年1月25日 - )は、日本の俳優、声優、演出家。京都府京都市出身。ヘリンボーン所属。 演劇倶楽部『座』主宰。略字:壌晴彦。かつては麦 草平の芸名でも活動していた。 京都府京都市出身。実家は料亭を経営していた。京都市立堀川高等学校、同志社大学経済学部卒業。 高校時代に惚れ込んだ狂言大藏流、茂山千五郎(現茂山千作・人間国宝)に弟子入りし師事。だがある時、「毎日お狂言の稽古の声が聞こえてくるような環境に育った者が相手では、もうどうにもならない」と考えたことがきっかけで狂言からは離れる。 狂言を離れてからも「芝居はやりたい」という思いがあり、別の側面から興味を持っていたフランス演劇をしようと劇団四季に入団。
萬谷 勝治(まんたに まさはる、1945年12月7日 - 2… 萬谷 勝治(まんたに まさはる、1945年12月7日 - 2011年3月5日)は、日本の元ラグビー選手。日本代表。京都市立堀川高等学校、早稲田大学商学部卒。 京都市立堀川高等学校を卒業後、早稲田大学商学部に進学。第二期大西鐡之祐の指導のもと、早大ラグビー部の低迷にピリオドを打つ。大学時代には、後の日本ラグビー史に残るサインプレー・「カンペイ」を完成させた。 早大卒業後、1968年にトヨタ自工(現・トヨタ自動車)にラグビー選手として入社、その年度の日本選手権でクラブ初優勝に導く。また、恩師・大西が監督に就任した、同年の日本代表のニュージーランド遠征に参加。カンペイの切り札としてオールブラックス・ジュニアを破る、当時の大金星に貢献した。
徐勝(ソ・スン、서승、1945年 4月3日 - )は、在日韓… 徐勝(ソ・スン、서승、1945年 4月3日 - )は、在日韓国人2世の法学者。元立命館大学特任教授。前立命館大学コリア研究センター研究顧問、靖国反対共同行動韓国委員会共同代表。専門は、比較人権法、東アジアの法と人権、現代大韓民国の法と政治。 北朝鮮工作員との容疑で韓国で共に逮捕された人権運動家の徐俊植、作家で東京経済大学名誉教授の徐京植は実弟。 京都府生まれ。京都市立堀川高等学校を経て、1968年東京教育大学卒。韓国ソウル大学校大学院に留学中の1971年、スパイとして国家保安法違反容疑でKCIAに逮捕された(学園浸透スパイ団事件)。取調べにおける拷問の途中、自殺を図って顔面に大火傷を負った。公判では火傷を負った顔で現れたため、日本のマスメディアの中には「韓国の官憲が火で顔を焼いた」など、誤報も含めスキャンダラスに報道し、日本で展開されていた救援運動はさらに高揚した。
福本 武久(ふくもと たけひさ、1942年4月21日 - )… 福本 武久(ふくもと たけひさ、1942年4月21日 - )は、日本の小説家。 京都市出身。京都市立堀川高等学校、同志社大学法学部卒。 繊維関連メーカに勤めながら、大阪文学学校に遊んだのをきっかけにして、小説を書きはじめる。同人誌活動もそのころからはじめ、仲間とともに「風」「構図」などを創刊。とくに「らぐたいむ」には、毎号小説作品を発表した。1978年春、「電車ごっこ停戦」で第14回太宰治賞を受け、作家としてスタートする。それ以降は小説(知的障害児と家族をテーマにしたもの、歴史に素材をもとめた伝記物、スポーツを背景にした青春物)、エッセイ(サラリーマンの世界をテーマにしたもの)、ドキュメンタリー、児童文学(創作)などを柱に執筆活動をつづけている。
山田 晏子(やまだ やすこ、1942年 - )は、日本の声楽… 山田 晏子(やまだ やすこ、1942年 - )は、日本の声楽家、ソプラノ歌手。 リサイタル、ジョイントリサイタル、や数多くのコンサートに出演。特に長年に亘り、チャリティコンサートをはじめ、音楽活動を通して京田辺市の音楽文化発展と社会福祉面に意欲的に取り組んでいる。またヘルムート・ドイチュに長期に亘って師事しドイツリートを修学。1998年~2006年の8年間京田辺市教育委員を務め、教育委員長表彰授賞。 京都教育大学附属桃山中学校、京都市立堀川高等学校音楽課程 (現京都市立音楽高等学校)を経て、京都市立音楽短期大学 (現京都市立芸術大学)声楽科卒業。林達次に師事。京都府京田辺市生まれ。
旭 孝(あさひ たかし、1940年5月5日 - )は、日本の… 旭 孝(あさひ たかし、1940年5月5日 - )は、日本のフルート奏者。リコーダー奏者。オカリナ奏者。主にスタジオ・ミュージシャンとして活動し、数多のレコーディングに参加している。 小学生の頃、ハーモニカの数字譜を読み音楽に興味を覚える。中学校ではブラスバンド部に入部し、アルトホルン、コルネットを担当。3年生の時に初めてフルートを手にし我流で吹き始める。その後京都市立堀川高等学校音楽科を受験し合格すると、在校中よりフルート奏者の吉田雅夫や林りり子らの指導を受ける。高校卒業後は大阪市音楽団に入団し、9か月後に関西交響楽団(現・大阪フィルハーモニー交響楽団)に移籍、後に林りり子の勧めで上京し、1971年に東京交響楽団に入団。
渡邉 勝正(わたなべ かつまさ、1940年 - )は、日本の… 渡邉 勝正(わたなべ かつまさ、1940年 - )は、日本の数理工学・情報処理学の研究者。奈良先端科学技術大学院大学名誉教授。 1940年生まれ。京都市立堀川高等学校を卒業後、京都大学工学部数理工学科に進学。1963年に卒業し、同大学院(数理工学専攻)に進んだ。在学中は萩原宏研究室で学んだ。1969年に博士課程を修了。 1968年、母校の京都大学工学部数理工学科の助手に採用された。1969年、学位論文『Compiler Compilerに関する研究』を京都大学に提出して工学博士号を取得。同情報工学科助教授を経て、1978年より福井大学工学部教授。1993年、奈良先端科学技術大学院大学情報科学研究科教授。
浅井 敬壹(あさい けいいち、1939年10月24日 - )… 浅井 敬壹(あさい けいいち、1939年10月24日 - )は、日本の合唱指揮者である。血液型はB型。日本合唱指揮者協会相談役。2006年より2014年まで全日本合唱連盟理事長を務め、現在は名誉会長。 2歳から8歳までを満州国(現:吉林省)にて過ごす。終戦に伴い日本に引き揚げ、その後は京都府京都市で育つ。京都市立堀川高等学校を経て同志社大学法学部卒業。在学中は同志社グリークラブに所属し、学生指揮者を務めていた。 大学卒業後は民間企業に勤務する一方で、1963年(昭和38年)、ロシアから来日した当時「世界一」と謳われたインスブルック合唱団の演奏会を聴き、「この合唱団のレベルが世界一だとするならば、(京都エコーを)十年間で世界一にできるのではないか」と感じ、「千年の古都・京都に世界一の合唱団を」との理想を掲げ、合唱団京都エコーを設立。
大野 克夫(おおの かつお、1939年〈昭和14年〉9月12… 大野 克夫(おおの かつお、1939年〈昭和14年〉9月12日 - )は、日本の作曲家、編曲家、キーボーディスト、音楽プロデューサー。京都府京都市出身。 1962年から1970年までザ・スパイダース、1971年から1972年までPYG、1971年から1980年まで井上堯之バンドのメンバーとして活動。1980年に大野克夫バンドを結成し、活動を続ける。愛称は克夫ちゃん。 後述するように、沢田研二をはじめ多数の歌手へ楽曲を提供している。1975年の「時の過ぎゆくままに」は約92万枚の売り上げを記録。1977年の「勝手にしやがれ」は89万枚の売り上げを記録。第19回日本レコード大賞の大賞、第8回日本歌謡大賞の大賞、第10回日本有線大賞の大賞を受賞し、主要な賞レースを独占した。
古谷 充(ふるや たかし、1936年〈昭和11年〉2月13日… 古谷 充(ふるや たかし、1936年〈昭和11年〉2月13日 - 2020年〈令和2年〉9月2日)は、日本のジャズミュージシャン、サクソフォーンプレイヤーでボーカリスト。父親はジャズ・クラリネット/サクソフォーン奏者の松野国照、自身の息子はジャズ・サクソフォーン奏者の古谷光広。 1936年2月13日、ジャズ・クラリネット、サクソフォーン奏者であり、作曲家の松野国照の息子として大阪府に生まれる。 1951年、京都市立堀川高等学校音楽課程入学、当初はヴァイオリンを専攻していたが、途中でクラリネットに転課。 1952年、父親のすすめで、アルトサックスを購入し、大津市の米軍キャンプで演奏していたジャズバンドに参加。
山嵜 泰正(やまざき やすまさ、1936年(昭和11年)月日… 山嵜 泰正(やまざき やすまさ、1936年(昭和11年)月日不明 - 2015年(平成27年)7月)は、京都市出身の郷土史研究家。説話・伝承学会、京都地名研究会、世界鬼学会などの学会に所属した。 京都市立堀川高等学校から立命館大学へ進学し、同大学院(法学修士)卒業後は、京都府立桃山高等学校、京都府立大江高等学校、京都府立洛北高等学校を経て、京都教育大学付属高等学校にて教鞭を取り、加えて、京都教育大学の非常勤講師を兼務した。定年退官後は京都文教大学の非常勤講師を経て、京都リビング新聞カルチャー講座、ラボール学園(京都勤労者学園)、生涯学習センター(京都市、宇治市)にて「歴史・説話」「歴史人物伝」の講師を勤めた。
堀田 力(ほった つとむ、1934年4月12日 - 2024… 堀田 力(ほった つとむ、1934年4月12日 - 2024年11月24日)は、日本の検察官、弁護士、福祉事業家。さわやか法律事務所所長、第一東京弁護士会所属、公益財団法人さわやか福祉財団会長、全日本社会貢献団体機構名誉顧問。 法務省大臣官房人事課課長、甲府地方検察庁検事正、法務省官房長、さわやか福祉推進センター所長などを歴任した。 京都府出身の弁護士である。京都大学を卒業後、検察官として任官し、東京地方検察庁では特別捜査部の検事としてロッキード事件の捜査に従事した。その後、甲府地方検察庁の検事正や法務省の官房長などを歴任した。退官後は弁護士として活動するとともに、さわやか福祉推進センターを開設するなど福祉事業家として活動した。
北澤 式文(きたざわ しきふみ、昭和7年(1932年)10月… 北澤 式文(きたざわ しきふみ、昭和7年(1932年)10月11日 - )は、日本の薬学者。 昭和7年、京都市東山区に生まれる。母方の祖母は建仁寺境内で官許の助産婦を開業し社会福祉活動(後に藍綬褒章を受章)をしていた。父が神嘗祭の式辞の文章を推敲している間に生まれたため式文と名付けられる。京都府立京都第二中学校に進み、一年次8月に終戦を迎える。中学二年生の時に肋膜炎を患い、休学、絶対安静の中ラジオで聞いていたクラシック音楽や英会話、劇場中継などがその後の趣味ともなっている。病気から回復した後、京都市立堀川高等学校に復学。英会話や化学に興味をもち、薬学を志望するようになる。 自身が結核に罹病して休学したこともあり、抗結核作用を持つ新規化合物の合成研究とその抗菌性を評価することを行った。
市田 ひろみ(いちだ ひろみ、1932年〈昭和7年〉7月10… 市田 ひろみ(いちだ ひろみ、1932年〈昭和7年〉7月10日 - 2022年〈令和4年〉8月1日)は、日本の美容師、服飾評論家、エッセイスト、女優、タレント。新しい歴史教科書をつくる会の理事と、日本会議の4つの関連団体の役員を務めた。 大阪府大阪市大正区出身。京都市立堀川高等学校、京都府立大学女子短期大学部国文科卒。 父の仕事(華中鉱業)の都合で、小学生時代を上海特別市で過ごした。1945年2月戦況の悪化を受けて、母弟と3人で日本へ帰国。母の郷里滋賀県大津市膳所で終戦を迎え、まもなく伯父の世話で京都(西洞院四条)へ移った。父が帰国するまで、と母が自宅で始めた美容院が繁昌し、高校三年生の時に美容師免許を取得。
佐々木 元治(ささき もとじ、1931年9月10日 - 20… 佐々木 元治(ささき もとじ、1931年9月10日 - 2013年7月5日)は、京都府出身のプロ野球選手。 堀川高校から法政大学を経て1955年に中日ドラゴンズへ入団。1956年に引退。
南 安雄(みなみ やすお、1931年5月2日 - 2012年… 南 安雄(みなみ やすお、1931年5月2日 - 2012年8月21日)は日本の作曲家、編曲家、指揮者。本名・岡田定夫。 京都市左京区出身。京都市立堀川高等学校音楽科卒業。 合唱曲の作曲や声楽曲の編曲を数多く手がけた。代表作品に詩人蓬萊泰三の詩をもとに作曲した「チコタン」は、現在も児童合唱の定番曲として有名。他にも蓬莱が作詞した「日記のうた」、「お菓子のうた」(前三作をまとめて三部作とも呼ばれる)、「日曜日~一人ぼっちの祈り~」などがある。いずれも詩の世界は深刻で衝撃的な内容をはらんでいるが、コロムビア合唱団には好んで取り上げられている。 長年NHKテレビの専属編曲家として活躍し、連続テレビ小説の『わたしは海』、『はっさい先生』のテーマ曲を担当したのをはじめ、『みんなのうた』、『音楽の広場』、『徹子と気まぐれコンチェルト』、『名曲アルバム』、『歌謡チャリティーコンサート』などにその名が見られる。
竹村 幸雄(たけむら ゆきお、1930年(昭和5年)4月23… 竹村 幸雄(たけむら ゆきお、1930年(昭和5年)4月23日 - 1998年(平成10年)11月19日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)を務めた。 堀川高校卒業。京都新報社社長や京都原水禁議長を歴任。 現在の京都府第2区に含まれる東山区選出の京都市議を経て1972年第33回衆議院議員総選挙に、旧京都1区から日本社会党公認で初当選(同じ自治体議員出身の社会党新人代議士に村山富市)。しかし任期満了で迎えた1976年第34回衆議院議員総選挙で落選。35回、36回、38回の総選挙にも京都1区から立候補するも全て落選している。 その後、1983年の第13回参議院議員通常選挙で京都府選挙区から立候補するが落選。
樋口 茂子(ひぐち しげこ、1928年(昭和3年)1月24日… 樋口 茂子(ひぐち しげこ、1928年(昭和3年)1月24日 - 2013年(平成25年)12月4日)は、日本の小説家、随筆家、評論家。静岡県生まれ。本名・茂(しげ)。幼少時を満州で過ごし、1940年帰国。以後、京都に住む。45年京都市立堀川高等女学校卒業。57年、学徒戦犯を題材にした第一作『非情の庭』でデビュー。64年膠原病を発症、闘病生活を送る。75年仕事に復帰、以後、休養をくり返しながら、日本の古代史をテーマに文筆活動を続けた。
海原 幸夫(かいはら ゆきお、1919年3月26日 - 没年… 海原 幸夫(かいはら ゆきお、1919年3月26日 - 没年不詳)は、日本の録音技師である。戦前の日活京都撮影所、および戦時統合による大映の成立後も引き続き戦後も大映京都撮影所で技師を務めた。 1919年(大正8年)3月26日、京都府京都市に生まれる。 京都市立商工専修学校(現在の京都市立堀川高等学校)を卒業し、1935年(昭和10年)、日活京都撮影所に入社する。録音技師として記録に残るもっとも古い作品は、1937年(昭和12年)6月17日に公開された池田富保監督の『唐人お吉 黒船情話』であり、同作公開時に海原は満18歳であった。同年は、剣戟スター俳優の阪東妻三郎が阪東妻三郎プロダクションを解散、映画監督のマキノ正博(のちのマキノ雅弘)がマキノトーキー製作所を解散し、それぞれ同撮影所に入社した年で、海原は同年末に公開された阪東主演・マキノ監督による正月映画『血煙高田の馬場』の録音技師に抜擢されている。
加藤 淑子(かとう としこ、1915年 - 2017年1月2… 加藤 淑子(かとう としこ、1915年 - 2017年1月2日)は、ロシア料理店スンガリーの店主。 1915年、京都府に呉服商の娘として生まれる。京都市立堀川高等女学校卒業。 1935年に津田幸四郎と結婚する(婿入り婚)。その直後、満州に移住する。幸四郎は満州国の特務機関員をしていたとの情報がある。白系ロシア人宅に間借りして住んでいたこともある。1943年ごろ、幸四郎が徴兵される。終戦直後、収容所生活となる。ソ連軍兵士が土足で入ろうとした際、毅然と「ここは私たちの眠る場所です。畳の上を靴で歩かないでください」と注意する 。 1946年秋、日本に帰国する。無事だった夫・幸四郎に再会し、一家5人の生活がスタートする。
樋上 新一(ひがみ しんいち、1907年6月25日 - 19… 樋上 新一(ひがみ しんいち、1907年6月25日 - 1980年1月7日)は、日本の政治家。元衆議院議員(2期)。 1907年(明治40年)6月25日に生まれる。京都市立商工専修学校(後の京都市立堀川高等学校専修夜間部)卒業。 1963年に京都市議会議員選挙に立候補し当選、1期務める。 1967年1月29日、第31回衆議院議員総選挙に、京都1区から公明党公認候補として立候補し、初当選する(以降、連続2期)。 1972年12月、第33回衆議院議員総選挙に落選。選挙地盤を公明党の竹内勝彦に譲り、政界から引退する。 1980年1月7日、死去。72歳没。同月11日、特旨を以て位記を追賜され、死没日付で正五位勲三等に叙され、旭日中綬章を追贈された。
松村秀美(まつむら ひでみ、7月28日 - )は、京都府出身… 松村秀美(まつむら ひでみ、7月28日 - )は、京都府出身の俳優。ALBA所属。 演劇カンパニー黒ヰ乙姫団主宰。2007年までは邑城秀美(ゆうじょう ひでみ)として活動。2008年より改名した。
樋口 哲生(ひぐち てつお)は、日本のホルン奏者。
平竹 耕三 は、日本の学者、政治活動家。元京都産業大学文化学… 平竹 耕三 は、日本の学者、政治活動家。元京都産業大学文化学部京都文化学科教授。京都市中京区出身。
石橋 雅一(いしばし まさかず)は、日本のオーボエ奏者。スタ… 石橋 雅一(いしばし まさかず)は、日本のオーボエ奏者。スタジオ・ミュージシャン。北海道出身。 13歳の頃からオーボエを始める。その後、京都市立堀川高校音楽科(現・京都市立京都堀川音楽高等学校)に入学し、在学中にオーケストラや室内楽の演奏およびスタジオでの録音等に携わる。高校卒業後は東京芸術大学音楽学部へ進み、古典音楽協会の演奏会に参加、卒業後には正式に会員となる。古典音楽のほか、ツイス木管五重奏団、アマティ室内合奏団、レゾナンス五重奏団などにも参加し、室内楽の分野で活動。1978年にはアスペン音楽祭に参加した。1980年より東京芸術大学管弦楽研究部の講師や桐朋学園芸術短期大学の講師として後進の指導に当たった。
稲岡 千架(いなおか ちか)は、兵庫県出身の、日本のピアニス… 稲岡 千架(いなおか ちか)は、兵庫県出身の、日本のピアニスト。 兵庫県生まれ。京都市立堀川高等学校音楽科、東京音楽大学ピアノ演奏家コース、マンハイム国立音楽芸術大学芸術家育成コース、ソリストコースをDAAD(ドイツ政府学術交流会)特別奨学生として最優秀で卒業。国家演奏家資格を授与される。マンハイム学内・モーツァルト・コンクール全部門総合優勝。バーデンヴュルテンベルク州政府新年会、ハイデルベルク音楽祭、モーツァルトガラコンサート等出演。SWRドイツ南西ラジオで放送される。ヒルデスハイム劇場オーケストラ、韓国室内オーケストラなどと共演。 モーツァルトの作品にライフワークとして取り組み、また現代の作曲家の作品も取り上げ、ピアノ協奏曲やソロの委嘱された作品も数多くある。