志位 正二(しい まさじ、1920年1月1日 - 1973年… 志位 正二(しい まさじ、1920年1月1日 - 1973年3月31日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少佐。 志位正人陸軍中将の息子として生まれる。東京府立六中、東京陸軍幼年学校、陸軍士官学校予科を経て、1939年9月、陸軍士官学校(52期)を卒業。同年11月、歩兵少尉に任官し歩兵第61連隊付となる。1944年12月、陸軍大学校(59期)を卒業し陸軍少佐に昇進。1945年4月、関東軍隷下の第3方面軍情報参謀に発令され、終戦を迎えた。 終戦後シベリア抑留に遭い、1948年4月にソ連諜報員となる誓約を行い、モンゴルのウランバートルにあった「第7006俘虜収容所」において朝枝繁春、瀬島龍三、種村佐孝らとともに諜報員、共産主義革命のための特殊工作員としての訓練を受けたとされる。
好川 三郎(よしかわ さぶろう、1916年〈大正5年〉10月… 好川 三郎(よしかわ さぶろう、1916年〈大正5年〉10月11日 - 1983年〈昭和58年〉4月4日)は、日本の陸軍軍人、政治家。奈良県橿原市の初代市長をつとめ、紀元節復活運動に尽力し、「紀元節市長」として全国的な知名度を有した。 1916年(大正5年)10月11日生まれ。 畝傍中学校(旧制、現・奈良県立畝傍高等学校)2年修了、陸軍幼年学校、陸軍士官学校(50期)を経て陸軍大学校(60期)を卒業。陸軍少尉任官、歩兵第37連隊付となり小隊長、中隊長として満州・中支に従軍。その後、陸軍参謀となり陸軍少佐として終戦を迎える。1947年(昭和22年)11月28日、元陸軍将校として公職追放指定。戦後は服飾学校「八木ドレスメーカー女学院」を経営した。
中村 龍平(なかむら りゅうへい、1916年〈大正5年〉5月… 中村 龍平(なかむら りゅうへい、1916年〈大正5年〉5月20日 - 2008年〈平成20年〉3月29日)は、日本の陸軍軍人及び陸上自衛官。陸軍士官学校卒業(第49期)、陸軍大学校卒業(第56期)。第10代陸上幕僚長、第7代統合幕僚会議議長。 滋賀県出身。農業組合長・中村忠治郎の長男として生まれる。水口中学校(現:滋賀県立水口高等学校)を卒業し、陸士予科を経て陸士本科へ進んだ。1937年(昭和12年)陸士本科(第49期)卒業。1942年(昭和17年)陸大卒業(恩賜組)。関東軍参謀、大本営陸軍部参謀等を務め、陸軍少佐で終戦を迎える。その後、公職追放となる。 1952年(昭和27年)7月、警察予備隊に入隊。
堀江 正夫(ほりえ まさお、1915年〈大正4年〉6月16日… 堀江 正夫(ほりえ まさお、1915年〈大正4年〉6月16日 - 2022年〈令和4年〉3月20日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官、政治家。自由民主党所属の参議院議員(2期)。位階勲等は正四位勲二等。日本会議代表委員。アジアと日本の平和と安全を守る全国フォーラム初代会長。 新潟県糸魚川市出身。水産学校校長堀江英一の次男として生まれた。7歳から12歳まで樺太で過ごし、糸魚川中学、東京陸軍幼年学校(34期)、陸士予科を経て、陸軍士官学校を卒業(第50期、35番/426名)。旧軍時代は歩兵科士官で、太平洋戦争中に陸軍大学校を卒業し(57期)、第18軍参謀としてパプアニューギニアで終戦を迎えた。 終戦後、1946年(昭和21年)3月に復員し、妻の郷里宮崎県日南市で林業に従事した後、警察予備隊及び保安隊を経て陸上自衛隊で勤務。
衣笠 駿雄(きぬがさ はやお、1915年〈大正4年〉2月23… 衣笠 駿雄(きぬがさ はやお、1915年〈大正4年〉2月23日 - 2007年〈平成19年〉2月11日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官。陸士48期・陸大55期恩賜。最終階級は帝国陸軍では陸軍少佐、陸自では統合幕僚会議議長たる陸将。第9代陸上幕僚長、第6代統合幕僚会議議長。 陸軍中佐・衣笠寛(陸士18期)の長男。陸軍士官学校(第48期)。陸軍大学校(第55期)恩賜の軍刀組でもある、陸士卒業時の兵科は航空兵。航空軍や航空総軍の参謀などを歴任。 戦後は公職追放を経て、警察予備隊に入隊、陸上自衛隊発足直後に戦時中、「空の神兵」と謳われた帝国陸軍挺進団(陸軍落下傘部隊)の元隊員達とともに(但し、第1次研究員は落下傘降下未経験者であった)、落下傘降下の研究を開始し、初代空挺教育隊隊長として第1空挺団の創設に尽力し、同空挺団の初代団長となる。
野口 省己(のぐち せいき、1911年(明治44年)5月31… 野口 省己(のぐち せいき、1911年(明治44年)5月31日 - 1999年(平成11年)1月)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官。陸軍士官学校第46期生、陸軍大学第56期生。陸軍での最終階級は少佐で、戦後は陸上自衛隊に入隊。長男は外交官の野口雅昭。孫に登山家の野口健、曽孫に野口絵子がいる。 ※他、雑誌『丸』(光人社)などに多数の論文執筆。
広瀬 栄一(ひろせ えいいち、1911年〈明治44年〉1月2… 広瀬 栄一(ひろせ えいいち、1911年〈明治44年〉1月23日 - 1988年〈昭和63年〉5月1日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官。最終階級は陸軍中佐、陸将。 香川県出身。旧制高松中学(現・香川県立高松高等学校)より広島陸軍幼年学校に転じ、陸軍予科士官学校に進学。44期生の指導生徒も務めたが、そこの区隊長はのちに二・二六事件の首謀者の一人となる村中孝次であった。1931年(昭和6年)7月、陸軍士官学校(43期)を卒業、同年10月、陸軍少尉任官、1938年(昭和13年)5月、陸軍大学校(50期)を卒業。砲兵畑を進む。 第二次世界大戦中、日本とフィンランドの間では暗号解読等の対ソ連情報協力が行われていた。
東 愛吉(ひがし あいきち、1911年〈明治44年〉1月15… 東 愛吉(ひがし あいきち、1911年〈明治44年〉1月15日-1973年〈昭和48年〉6月19日)は、日本の陸軍軍人。終戦時の階級は陸軍少佐。栄典は勲四等瑞宝章。大日本帝国陸軍第7飛行師団の参謀や陸上自衛隊第13普通科連隊長などを務めた。 1911年1月15日、鹿児島県宮之城村(現さつま町)に生まれる。盈進小学校、鹿児島県立第二中学校(現・鹿児島県立甲南高校)を経て、陸軍士官学校(45期)、陸軍大学校を卒業。陸大の同期(55期)に三笠宮崇仁親王がいる。その後、太平洋戦争時は陸軍参謀本部に勤務。 戦後、帰郷し公職追放により軍人を辞めたが、1953年、追放解除後に勧誘を受けた警察予備隊に二等陸佐として横須賀市久里浜幹部学校に入隊した。
梅沢 治雄(うめさわ はるお、旧字体:梅澤 治雄、1910年… 梅沢 治雄(うめさわ はるお、旧字体:梅澤 治雄、1910年(明治44年)10月30日 - 2003年(平成15年)6月23日)は、日本の元陸軍軍人および陸上自衛官。陸士44期卒(歩兵)、陸大51期(恩賜)。最終階級は中佐、陸将。 山形県米沢市出身。梅沢力助少将(11期)の長男。東京府立第六中学校(3回生)より陸軍幼年学校(29期)に転じ、陸軍士官学校を卒業。原隊は近衛歩兵第1連隊。少尉任官後、第51代連隊旗手を拝命。幹部候補生専任教官や歩兵学校教官を経て、陸軍大学校卒業後は第6師団参謀として中支に出征。参謀本部部員、陸大教官、大本営参謀を経て、陸軍省人事局で終戦を迎える。 戦後は第一復員局総裁秘書官を経て、保安隊に入隊。
加登川 幸太郎(かとがわ こうたろう、1909年(明治42年… 加登川 幸太郎(かとがわ こうたろう、1909年(明治42年)7月7日 - 1997年(平成9年)2月12日)は、日本の陸軍軍人、戦史研究家。最終階級は陸軍中佐。 北海道上川郡当麻町出身。屯田兵・農業、加登川春吉の長男として生まれる。旭川中学校(現北海道旭川東高等学校)を経て、1930年(昭和5年)7月、陸軍士官学校(42期)218名中を皇王族(恒德王・李鍵公)を除いて9番の成績で卒業し、同年10月、歩兵少尉に任官し歩兵第25連隊付となる。1938年(昭和13年)5月、陸軍大学校(50期)卒業後、戦車学校教官に就任した。 その後、北支那方面軍参謀を務め、太平洋戦争時には陸軍省軍務局軍事課員(予算班)、第2方面軍、第35軍、第13軍参謀としてニューギニアの戦い、レイテ島、インドシナ、中国を転戦し中佐で敗戦をむかえる。
島村 矩康(しまむら のりやす、1904年(明治37年)1月… 島村 矩康(しまむら のりやす、1904年(明治37年)1月22日 - 1945年(昭和20年)1月15日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。位階勲等は従四位勲四等。 高知県土佐郡初月村久万(現・高知市)出身。島村民衛・千代の長男。高知第一中学校(現高知県立高知追手前高等学校)、大阪陸軍地方幼年学校を経て、1924年(大正13年)7月、陸軍士官学校(36期)を卒業。同年10月、歩兵少尉に任官し歩兵第38連隊付となる。1931年(昭和6年)11月、陸軍大学校(43期)を優等で卒業した。 1932年(昭和7年)9月、参謀本部付勤務となる。参謀本部員、中国・ソビエト連邦駐在、関東軍参謀を務め、1938年(昭和13年)3月、歩兵少佐に昇進。
加藤 建夫(かとう たてお、1903年(明治36年)9月28… 加藤 建夫(かとう たてお、1903年(明治36年)9月28日 - 1942年(昭和17年)5月22日)は、日本の陸軍軍人、戦闘機操縦者。最終階級は陸軍少将。位階勲等は従四位勲三等功二級。北海道上川郡東旭川村(現:旭川市東旭川町)出身。旭川中学(現:北海道旭川東高等学校)、仙台陸軍幼年学校、陸軍士官学校、陸軍大学校(専科)卒。 太平洋戦争(大東亜戦争)緒戦時、戦隊長として「加藤隼戦闘隊」こと飛行第64戦隊を率い、一式戦闘機「隼」をもって活躍した、帝国陸軍(陸軍航空部隊)のみならず日本軍を代表するエース・パイロットの一人。 1903年(明治36年)9月28日、北海道上川郡にて屯田兵として京都綴喜郡から北海道に入植した父・鉄蔵、母・キミとの間に加藤家の末子(兄・農夫也、姉・貞)として誕生する。
西浦 進(にしうら すすむ、1901年(明治34年)12月4… 西浦 進(にしうら すすむ、1901年(明治34年)12月4日 - 1970年(昭和45年)11月5日)は、日本の陸軍軍人。陸軍大佐。 陸軍士官学校34期(秩父宮を除き3番、恩賜)、陸軍大学校42期(首席)。陸軍士官学校同期の服部卓四郎および堀場一雄と並び「34期三羽烏」と称された。主に陸軍省軍務局に属して軍政に従事、太平洋戦争開戦前後には東條英機首相兼陸軍大臣の大臣秘書官を務めた。戦後は太平洋戦争史の調査研究に注力し、防衛庁防衛研修所戦史室の初代室長として『戦史叢書』の編纂を進めた。 1901年(明治34年)に東京で、陸軍歩兵中尉西浦栄蔵の子として生まれる。旧制和歌山県立和歌山中学校から、1915年(大正4年)に大阪陸軍地方幼年学校へ進む。
服部 卓四郎(はっとり たくしろう、1901年(明治34年)… 服部 卓四郎(はっとり たくしろう、1901年(明治34年)1月2日 - 1960年(昭和35年)4月30日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大佐。 山形県出身。陸士34期、陸大42期(優等)。 陸軍士官学校34期を秩父宮雍仁親王を除き、12番の成績で卒業。同期に西浦進、石井秋穂、堀場一雄、赤松貞雄、西田税、三好達治などがいる。 服部は、同期の西浦・堀場とともに「三十四期の三羽烏」と称されるほどの俊秀であった。 陸軍大学校42期を卒業。卒業後、しばらくは参謀本部に勤務したが、1934年(昭和9年)~1935年(昭和10年)フランス留学、1936年(昭和11年)にはエチオピア戦争を観戦するなど海外畑を歩いた。
加藤 義秀(かとう よしひで、1901年〈明治34年〉1月2… 加藤 義秀(かとう よしひで、1901年〈明治34年〉1月2日 - 2002年〈平成14年〉10月)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 北海道雨竜郡一已村(現・深川市一已町)出身。1921年(大正10年)7月、陸軍士官学校第33期卒業。1930年(昭和5年)陸軍大学校第42期卒業。 フィンランド駐在武官、スウェーデン駐在武官、関東軍参謀、陸軍省兵務局防衛課高級課員を経て、1941年(昭和16年)7月、防衛総司令部参謀に補され、翌8月、陸軍大佐に進む。ついで、1945年(昭和20年)6月1日、第53軍参謀長となり、同月30日、陸軍少将に進んだ。済州島の守備に当たる中終戦を迎えた。1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた。
中山 寧人(なかやま やすと、1900年(明治33年)9月6… 中山 寧人(なかやま やすと、1900年(明治33年)9月6日 - 1980年(昭和55年)9月30日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。熊本県下益城郡松橋町長。 熊本県出身。中学済々黌(現熊本県立済々黌高等学校)を経て、1921年(大正10年)7月、陸軍士官学校(33期)を卒業。同年10月、歩兵少尉に任官し歩兵第79連隊付となる。陸軍歩兵学校付などを経て、1929年(昭和4年)11月、陸軍大学校(41期)を優等で卒業した。 1930年(昭和5年)8月、歩兵大尉に昇進し歩兵第79連隊中隊長に就任。参謀本部付勤務、参謀本部員、アメリカ駐在、中国駐在、アメリカ大使館付武官補佐官を務め、1936年(昭和11年)8月、歩兵少佐に昇進。
林 太平(はやし たへい、1900年(明治33年)3月23日… 林 太平(はやし たへい、1900年(明治33年)3月23日 - 1984年(昭和59年)10月18日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 鹿児島県姶良郡、のちの国分市(現霧島市)で生まれた。広島陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1920年(大正9年)5月、陸軍士官学校(32期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第73連隊付となる。1929年(昭和4年)11月、陸軍大学校(41期)を卒業した。 1930年(昭和5年)8月、歩兵第24連隊付となり、陸軍戸山学校教官、豊予要塞参謀を経て、1932年(昭和7年)7月、参謀本部付勤務となる。参謀本部員、参謀本部付(在支武官室)を務め、1935年(昭和10年)8月、歩兵少佐に進級した。
松村 秀逸(まつむら しゅういつ、1900年(明治33年)3… 松村 秀逸(まつむら しゅういつ、1900年(明治33年)3月1日 - 1962年(昭和37年)9月7日)は、日本の陸軍軍人、国会議員(参議院議員)。最終階級は陸軍少将。 熊本県出身。松村又熊の息子として生まれる。八代中学校(現熊本県立八代高等学校)、熊本陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1920年(大正9年)5月、陸軍士官学校(32期)を卒業。同年12月、砲兵少尉に任官し野砲兵第12連隊付となる。1928年(昭和3年)12月、陸軍大学校(40期)を卒業した。 1930年(昭和5年)12月、参謀本部付勤務となり、陸軍野戦砲兵学校教官、関東軍参謀部付を経て、1935年(昭和10年)8月、砲兵少佐に昇進し陸軍兵器本廠付(新聞班)に就任。
池谷 半二郎(いけたに はんじろう、1900年(明治33年)… 池谷 半二郎(いけたに はんじろう、1900年(明治33年)1月25日 - 1984年(昭和59年)3月17日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 静岡県出身。池谷幸作の二男として生まれる。静岡中学校(現静岡県立静岡高等学校)、名古屋陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1921年(大正10年)7月、陸軍士官学校(33期)を卒業。同年10月、工兵少尉に任官し工兵第9大隊付となる。1924年(大正13年)12月、陸軍砲工学校高等科(30期)を卒業し、1929年(昭和4年)11月、陸軍大学校(41期)を優等で卒業した。 1930年(昭和5年)8月、工兵大尉に昇進。1932年(昭和7年)2月、参謀本部員(船舶班)に就任。
佐方 繁木(さかた しげき、1899年(明治32年)10月1… 佐方 繁木(さかた しげき、1899年(明治32年)10月1日 - 1954年(昭和29年)4月8日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 熊本県出身。熊本中学校(現熊本県立熊本高等学校)卒業を経て、1920年(大正9年)5月、陸軍士官学校(32期)を卒業。同年12月、騎兵少尉に任官し騎兵第19連隊付となる。1928年(昭和3年)12月、陸軍大学校(40期)を卒業した。 1929年(昭和4年)8月、騎兵大尉に昇進し騎兵第23連隊中隊長に就任。1930年(昭和5年)8月、参謀本部付勤務となり、参謀本部員、参謀本部付(支那研究員)、参謀本部員を務め、1935年(昭和10年)8月、騎兵少佐に進級。
谷川 一男(たにがわ / たにかわ かずお、1899年(明治… 谷川 一男(たにがわ / たにかわ かずお、1899年(明治32年)9月11日 - 1954年(昭和29年)1月17日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 福岡県出身。測量業・谷川常吉の息子として生まれる。小倉中学校(現福岡県立小倉高等学校)を経て、1921年(大正10年)7月、陸軍士官学校(33期)を卒業。同年10月、騎兵少尉に任官し騎兵第5連隊付となる。1924年(大正13年)10月、騎兵中尉に昇進し、1926年(大正15年)2月、兵科を航空兵に転科し航空兵中尉に任官。1929年(昭和4年)11月、陸軍大学校(41期)を卒業した。 1930年(昭和5年)12月、下志津陸軍飛行学校教官に就任。
都甲 徠(とごう きたる、1899年(明治32年)9月3日 … 都甲 徠(とごう きたる、1899年(明治32年)9月3日 - 1991年(平成3年)2月17日)は、日本の陸軍軍人。陸士33期卒(歩兵)。最終階級は陸軍少将。 大分県速見郡山香町(現:杵築市)出身。農業・都甲喜佐久の三男として生まれる。宇佐中学校(現大分県立宇佐高等学校)卒業を経て、1921年(大正10年)7月、陸軍士官学校(33期)を卒業。同年10月、歩兵少尉に任官し歩兵第64連隊付となる。1932年(昭和7年)11月、陸軍大学校(44期)を卒業した。 1932年(昭和7年)12月、歩兵第37連隊中隊長に就任。1933年(昭和8年)12月、参謀本部付勤務(支那課)となり、参謀本部員、参謀本部付(支那研究員、北京・太原・長沙駐在)、中国駐在を務め、1936年(昭和11年)8月、歩兵少佐に進級。
木佐木 久(きさき ひさし、1899年〈明治32年〉7月14… 木佐木 久(きさき ひさし、1899年〈明治32年〉7月14日 - 1993年〈平成5年〉12月31日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級。 鹿児島県姶良郡、のちの国分市(現霧島市)出身。1921年(大正10年)7月、陸軍士官学校第33期卒業。1932年(昭和7年)陸軍大学校第44期卒業。 台湾軍参謀を経て、1941年(昭和16年)7月、第13軍高級参謀に補され、支那事変に出動する。同年8月、陸軍大佐に進む。大東亜戦争が勃発すると1944年(昭和19年)5月、再び台湾軍参謀となり、第10方面軍参謀を経て、1945年(昭和20年)6月10日、陸軍少将に進み、同月27日、西部軍附となり終戦を迎える。
中山 源夫(なかやま もとお、1899年(明治32年)5月2… 中山 源夫(なかやま もとお、1899年(明治32年)5月26日 - 1979年(昭和54年)12月13日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 鹿児島県出身。東京で陸軍大尉・中山左源二の長男として生まれる。鹿児島第一中学校(現鹿児島県立鶴丸高等学校)、名古屋陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1920年(大正9年)5月、陸軍士官学校(32期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第7連隊付となる。1929年(昭和4年)11月、陸軍大学校(41期)を卒業し歩兵第7連隊中隊長に就任した。 1931年(昭和6年)5月、東京警備参謀に就任し、参謀本部員を務め、1935年(昭和10年)8月、歩兵少佐に進級した。
福地 春男(ふくち はるお、1899年(明治32年)3月30… 福地 春男(ふくち はるお、1899年(明治32年)3月30日 - 1953年(昭和28年)12月9日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 佐賀県出身。陸軍少佐・福地守太郎の長男として生まれる。佐賀中学校(現佐賀県立佐賀西高等学校)、熊本陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1920年(大正9年)5月、陸軍士官学校(32期)を卒業。同年12月、砲兵少尉に任官し近衛野砲兵連隊付となる。1923年(大正12年)12月、陸軍砲工学校高等科(29期)を卒業した。1924年(大正13年)3月から7月まで陸軍戸山学校学生となる。陸軍野戦砲兵学校付などを経て、1930年(昭和5年)11月、陸軍大学校(42期)を卒業した。
西 義章(にし よしあき、1898年(明治31年)12月11… 西 義章(にし よしあき、1898年(明治31年)12月11日 - 1943年(昭和18年)7月7日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。旧姓・数藤。 北海道出身。陸軍中尉・小学校教員、数藤熊七の二男として生まれ、西家の養子となる。旭川中学校(現北海道旭川東高等学校)卒業を経て、1919年(大正8年)5月、陸軍士官学校(31期)を卒業。同年12月、騎兵少尉に任官し騎兵第24連隊付となる。1930年(昭和5年)11月、陸軍大学校(42期)を卒業し騎兵第24連隊中隊長に就任。 1932年(昭和7年)3月、陸士教官に就任し、1934年(昭和9年)8月、騎兵少佐に進級。1935年(昭和10年)2月、アメリカ駐在を命ぜられ、1936年(昭和11年)8月、アメリカ大使館付武官補佐官に就任。
大平 秀雄(おおひら ひでお、1898年(明治31年)12月… 大平 秀雄(おおひら ひでお、1898年(明治31年)12月4日 - 1995年(平成7年)1月20日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 香川県出身。農業・大平万太良の二男として生まれる。旧制三豊中学校(現香川県立観音寺第一高等学校)卒業を経て、1921年(大正10年)7月、陸軍士官学校(33期)を卒業。同年10月、歩兵少尉に任官し歩兵第22連隊付となる。1931年(昭和6年)11月、陸軍大学校(43期)を卒業し歩兵第22連隊中隊長に就任。 1932年(昭和7年)12月、参謀本部付勤務となる。以後、参謀本部員、参謀本部付(支那研究員)、中国駐在(南京、香港)を経て、1936年(昭和11年)8月、歩兵少佐に進級。
臼井 茂樹(うすい しげき、1898年(明治31年)10月3… 臼井 茂樹(うすい しげき、1898年(明治31年)10月30日 - 1941年(昭和16年)12月23日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 鹿児島県出身。薩摩郡高江村大字久見崎(現在の薩摩川内市久見崎町)に臼井恕助の息子として生まれる。熊本陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1919年(大正8年)5月、陸軍士官学校(31期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第46連隊付となる。1926年(大正15年)12月、陸軍大学校(38期)を卒業した。 1928年(昭和3年)3月、参謀本部付勤務となり、参謀本部員、ポーランド・ソビエト連邦駐在、ポーランド兼ルーマニア公使館付武官補佐官、参謀本部員、参謀本部付などを務め、1937年(昭和12年)8月、歩兵中佐に昇進。
山本 茂一郎(やまもと もいちろう、1898年(明治31年)… 山本 茂一郎(やまもと もいちろう、1898年(明治31年)10月8日 - 1978年(昭和53年)5月13日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍少将。 陸士31期、陸大38期(優等)。参議院議員(2期)。 和歌山県出身。農業・製糸業山本亀吉の四男として生まれる。五條中学校卒を経て、1919年(大正8年)5月、陸軍士官学校(31期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官され、歩兵第38連隊付となる。1926年(大正15年)12月、陸軍大学校(38期)を優等で卒業した。 1928年(昭和3年)3月、陸軍省整備局付勤務、整備局課員、イギリス駐在などを経て、1933年(昭和8年)3月、陸軍兵器本廠付に発令され、ジュネーブ軍縮会議日本全権団随員となる。
林 勇蔵(はやし ゆうぞう、1898年(明治31年)7月25… 林 勇蔵(はやし ゆうぞう、1898年(明治31年)7月25日 - 1970年(昭和45年)12月7日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級。 鹿児島県姶良郡、のちの国分市(現霧島市)で生まれた。。1920年(大正9年)5月、陸軍士官学校第32期卒業。1929年(昭和4年)陸軍大学校第41期卒業。 1939年(昭和14年)8月、浜松陸軍飛行学校教官、1940年(昭和15年)3月、飛行第98戦隊長を経て、同年8月、陸軍航空兵大佐に進む。ついで1941年(昭和16年)8月、浜松陸軍飛行学校附白城子陸軍飛行学校教官兼浜松陸軍飛行学校教官、1944年(昭和19年)6月、三方原教導飛行団司令部附を経て、1945年(昭和20年)3月、陸軍少将に進み、同年6月、独立混成第126旅団長に補され、天草諸島で本土決戦に備える中で終戦を迎えた。
片倉 衷(かたくら ただし、1898年(明治31年)5月18… 片倉 衷(かたくら ただし、1898年(明治31年)5月18日 - 1991年(平成3年)7月23日)は、日本の陸軍軍人、実業家。最終階級は陸軍少将。戦後は大平商事会長。 仙台に片倉小太郎陸軍大佐の次男として生まれる。熊本中学校、熊本陸軍地方幼年学校、陸軍中央幼年学校を経て1917年(大正6年)12月に陸軍士官学校(第31期)に入校。1919年(大正8年)5月、同校を卒業し士官候補生、同年12月に陸軍歩兵少尉に任官され、歩兵第27連隊附を命ぜられる。 1922年(大正11年)12月に歩兵中尉に進級し陸軍大学校(第40期)に入校、1928年(昭和3年)12月、同校を卒業した。1929年(昭和4年)3月に歩兵大尉に進級し、歩兵第27連隊中隊長に補される。
今井 武夫(いまい たけお、1898年〈明治31年〉2月23… 今井 武夫(いまい たけお、1898年〈明治31年〉2月23日 - 1982年〈昭和57年〉6月12日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は少将。 長野県上水内郡朝陽村(現長野市)の自作農今井熊太郎の六子のうち末子・四男として生まれた。1915年(大正4年)、(旧制)長野中学校を卒業(15回生)。六年制になったばかりの尋常小学校初の卒業生で、早生まれのため、高等小学校卒業生の多かった長野中学卒業生の中で今井は2番目に若かった。1918年(大正7年)、陸軍士官学校(30期、兵科は歩兵)を、1928年(昭和3年)、陸軍大学校(40期)をそれぞれ卒業。 陸大卒業以降、フィリピンに出征した約1年間を除き、日中戦争期間中、和平工作に従事した。
坂間 訓一(さかま くんいち、1898年(明治31年)2月1… 坂間 訓一(さかま くんいち、1898年(明治31年)2月11日 - 1984年(昭和59年)2月7日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 神奈川県出身。農業・坂間重次郎の長男として生まれる。厚木中学校(現神奈川県立厚木高等学校)卒業を経て、1919年(大正8年)5月、陸軍士官学校(31期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し近衛歩兵第3連隊付となる。1920年(大正9年)から1923年(大正12年)までシベリアに派遣された(ロシア語研究)。1928年(昭和3年)12月、陸軍大学校(40期)を卒業した。 1929年(昭和4年)12月、参謀本部付勤務(ロシア班)となり、1930年(昭和5年)12月、ポグラニチナヤ特務機関長に転じた。
福島 久作(ふくしま きゅうさく、1898年1月11日 - … 福島 久作(ふくしま きゅうさく、1898年1月11日 - 1990年11月13日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 1898年 1月11日 埼玉県深谷市血洗島 出生 1920年 5月26日 陸軍士官学校32期 卒業 1929年11月29日 陸軍大学校41期 卒業 1940年 3月 9日 第8師団参謀長 1941年 3月 1日 歩兵第4連隊長 陸軍大佐 1942年 4月 1日 西部軍高級参謀 1945年 1月29日 第16方面軍 兼 西部軍参謀副長 1945年 3月 1日 陸軍少将 大東亜戦争で西部軍高級参謀から第16方面軍兼西部軍参謀副長(第2総軍)に転じ、本土決戦に備えていた。
宇都宮 直賢(うつのみや なおかた、1898年(明治31年)… 宇都宮 直賢(うつのみや なおかた、1898年(明治31年)1月9日 - 1997年(平成9年)6月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 本籍鹿児島県。東京府で鉄道省技師・宇都宮新の二男として生まれる。加治木中学校(現鹿児島県立加治木高等学校)を経て、1920年(大正9年)5月、陸軍士官学校(32期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し近衛歩兵第4連隊付となる。1925年(大正14年)4月から1926年(大正15年)3月まで東京外国語学校英語科で委託学生として学んだ。 1930年(昭和5年)11月、陸軍大学校(42期)を卒業した。 1930年12月、近衛歩兵第4連隊中隊長に就任。1931年(昭和6年)9月、参謀本部付勤務となり、参謀本部員(米班)、参謀本部付(支那研究員、上海・香港駐在)、参謀本部付(上海武官補佐官)、陸軍省兵務局付(防諜班長)を務め、1938年(昭和13年)3月、歩兵中佐に昇進。
久米 精一(くめ せいいち、1897年(明治30年)12月1… 久米 精一(くめ せいいち、1897年(明治30年)12月18日 - 1949年(昭和24年)11月16日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 香川県出身。丸亀中学校(現香川県立丸亀高等学校)を経て、1919年(大正8年)5月、陸軍士官学校(31期)を卒業。同年12月、砲兵少尉に任官し山砲兵第11連隊付となる。1931年(昭和6年)11月、陸軍大学校(43期)を卒業し山砲兵第11連隊中隊長となる。 陸軍省軍務局付勤務、軍務局課員(防備課)、陸軍省兵務局課員、航空兵団参謀を務め、1938年(昭和13年)3月、兵科を航空兵に転科し航空兵中佐となる。1939年(昭和14年)9月、第3飛行集団参謀に発令され日中戦争に出征。
森本 軍蔵(軍藏、もりもと ぐんぞう、1897年(明治30年… 森本 軍蔵(軍藏、もりもと ぐんぞう、1897年(明治30年)10月17日 - 1979年(昭和54年)5月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 熊本県出身。森本徳次郎の長男として生まれる。熊本中学校(現熊本県立熊本高等学校)卒業を経て、1918年(大正7年)5月、陸軍士官学校(30期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第71連隊付となる。1919年(大正8年)8月から1920年(大正9年)5月までシベリア出兵に出征した。1922年(大正11年)3月、歩兵中尉に昇進。1926年(大正15年)12月、陸軍大学校(38期)を卒業し飛行第7連隊付となる。 1926年12月、兵科を航空兵に転科し航空兵中尉に任官。
那須 義雄(なす よしお、1897年(明治30年)9月26日… 那須 義雄(なす よしお、1897年(明治30年)9月26日 - 1993年(平成5年)11月14日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 熊本県出身。陸軍中佐・那須仙太郎の長男として生まれる。名古屋明倫中学校(現愛知県立明和高等学校)、名古屋陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1918年(大正7年)5月、陸軍士官学校(30期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第33連隊付となる。1928年(昭和3年)12月、陸軍大学校(40期)を卒業し歩兵第33連隊中隊長に就任。 1930年(昭和5年)8月、陸軍戸山学校教官に就任。1931年(昭和6年)3月、陸軍省軍務局課員(兵務課)となり、1933年(昭和8年)8月、歩兵少佐に進級。
川上 清志(かわかみ きよし、1897年(明治30年)4月2… 川上 清志(かわかみ きよし、1897年(明治30年)4月21日 - 1944年(昭和19年)12月8日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 鹿児島県日置郡田布施村(金峰町を経て現南さつま市)で生まれた。川辺中学校(現鹿児島県立川辺高等学校)、大阪陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1918年(大正7年)7月、陸軍士官学校(30期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第44連隊付となる。1928年(昭和3年)12月、陸軍大学校(40期)を優等で卒業した。 1929年(昭和4年)12月、参謀本部付勤務となり、参謀本部員(作戦班)、ドイツ駐在、ルーマニア駐在、歩兵第23連隊大隊長、参謀本部員(戦史課)などを務め、1937年(昭和12年)8月、兵科を航空兵に転科し航空兵中佐に進んだ。
鈴木 敬司(すずき けいじ、1897年〈明治30年〉2月6日… 鈴木 敬司(すずき けいじ、1897年〈明治30年〉2月6日 - 1967年〈昭和42年〉9月20日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。1941年から1942年にかけて存在したビルマ(現在のミャンマー)の独立運動の支援を任務とする日本軍の特務機関「南機関」の機関長。この経歴から「日本版アラビアのロレンス」と称される。 静岡県出身。鈴木房蔵の長男として生まれる。浜松中学校(現在の静岡県立浜松北高等学校)を経て、1918年(大正7年)5月、陸軍士官学校(30期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し近衛歩兵第4連隊付となる。1929年(昭和4年)11月、陸軍大学校(41期)を卒業し、翌月、近衛歩兵第4連隊中隊長に就任。
高嶋 辰彦(たかしま たつひこ、1897年(明治30年)1月… 高嶋 辰彦(たかしま たつひこ、1897年(明治30年)1月10日 - 1978年(昭和53年)9月24日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。旧姓・多賀谷。高島と表記される場合がある。 福井県出身。港湾業・多賀谷儀三郎の四男として生まれ、陸軍中佐・高嶋嘉蔵の養子となる。四日市中学校(現三重県立四日市高等学校)、名古屋陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1918年(大正7年)5月、陸軍士官学校(30期)を首席で卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第38連隊付となる。1925年(大正14年)11月、陸軍大学校(37期)を首席で卒業した。 1926年(大正15年)12月、陸軍省軍務局付勤務となり、軍務局課員(軍事課)を経て、1929年(昭和4年)1月からドイツ駐在として、ベルリン大学、キール大学で学んだ。
渡辺 三郎(わたなべ さぶろう、1897年(明治30年)1月… 渡辺 三郎(わたなべ さぶろう、1897年(明治30年)1月6日 - 1969年(昭和44年)1月1日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。旧姓・末国。 広島県出身。教員・末国又一の三男として生まれ、渡辺金作の養子となる。山口中学校(現山口県立山口高等学校)を経て、1918年(大正7年)5月、陸軍士官学校(30期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第70連隊付となる。1926年(大正15年)12月、陸軍大学校(38期)を卒業した。 1927年(昭和2年)8月、歩兵第76連隊中隊長に就任し、参謀本部付勤務、参謀本部員、イギリス駐在、歩兵第41連隊大隊長、陸軍運輸部員、陸大教官などを経て、1939年(昭和14年)8月、歩兵大佐に昇進。
稲田 正純(いなだ まさずみ、1896年(明治29年)8月2… 稲田 正純(いなだ まさずみ、1896年(明治29年)8月27日 - 1986年(昭和61年)1月24日)は、日本の陸軍軍人。陸士29期・陸大37期恩賜。最終階級は陸軍中将。 鳥取県日野町出身。陸軍三等軍医(少尉相当官。戦死)・稲田清淳の二男。米子中学校(現在の米子東高校)、広島陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1917年(大正6年)5月、陸軍士官学校(29期)を卒業、同年12月、陸軍砲兵少尉に任官して野砲兵第10連隊付。1920年(大正9年)11月に陸軍砲工学校高等科を卒業し、さらに1925年(大正14年)11月、陸軍大学校(37期)を優等(3席)で卒業して恩賜の軍刀を拝受。 参謀本部付勤務、参謀本部部員、フランス駐在(フランス陸軍大学校卒業)、野戦重砲兵第2連隊大隊長、陸大教官、参謀本部部員(防衛課)、陸軍省軍務局軍事課高級課員などを経て昭和13年7月に陸軍砲兵大佐に進級。
石野 芳男(いしの よしお、1896年(明治29年)3月10… 石野 芳男(いしの よしお、1896年(明治29年)3月10日 - 1950年(昭和25年)1月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 千葉県出身。東京私立錦城中学校(現錦城学園高等学校)卒業を経て、1916年(大正5年)5月、陸軍士官学校(28期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第33連隊付となる。1926年(大正15年)12月7日、陸軍大学校(38期)を卒業し歩兵第75連隊中隊長に発令された。 1928年(昭和3年)8月、支那駐屯軍司令部付となる。参謀本部員、参謀本部付(支那研究員・南京在勤)を経て、1932年(昭和7年)2月から同年5月まで上海派遣軍参謀として第一次上海事変に出動した。
中野 良次(なかの りょうじ、1896年(明治29年)3月1… 中野 良次(なかの りょうじ、1896年(明治29年)3月10日 - 1977年(昭和52年)2月24日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 佐賀県出身。地主・中野佐太郎の長男として生まれる。小城中学校(現佐賀県立小城高等学校)、熊本陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1917年(大正6年)5月、陸軍士官学校(29期)を卒業。同年12月、砲兵少尉に任官し野砲兵第11連隊付となる。1920年(大正9年)11月、陸軍砲工学校高等科(26期)を卒業。1927年(昭和2年)12月、陸軍大学校(39期)を卒業し野砲兵第8連隊中隊長に就任した。 1927年(昭和2年)12月、参謀本部付勤務(通信課)となり、参謀本部員、関東軍参謀を務め、1932年(昭和7年)8月、砲兵少佐に進級。
磯矢 伍郎(いそや ごろう、1896年(明治29年)1月2日… 磯矢 伍郎(いそや ごろう、1896年(明治29年)1月2日 - 1993年(平成5年)8月22日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は中将。 三重県出身。売薬業・磯矢馬佐右衛門の五男として生まれる。三重第三中学校(現三重県立上野高等学校)、大阪陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1917年(大正6年)5月、陸軍士官学校(29期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第55連隊附となる。1925年(大正14年)11月、陸軍大学校(37期)を卒業した。 1926年(大正15年)8月、歩兵大尉に進み歩兵第48連隊中隊長に就任。参謀本部付勤務、参謀本部員、陸大教官兼参謀本部員、関東軍参謀、参謀本部員を務め、1938年(昭和13年)7月、歩兵大佐に昇進し第2軍参謀に発令され日中戦争に出征。
園田 晟之助(そのだ せいのすけ、1895年(明治28年)1… 園田 晟之助(そのだ せいのすけ、1895年(明治28年)12月20日 - 1942年(昭和17年)4月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 兵庫県出身。鳳鳴義塾塾長・園田定太郎の長男として生まれる。鳳鳴中学校(現兵庫県立篠山鳳鳴高等学校)、大阪陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1917年(大正6年)5月、陸軍士官学校(29期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第70連隊付となる。1924年(大正13年)11月、陸軍大学校(36期)を卒業した。 1925年(大正14年)12月、陸軍省軍務局付勤務となり、陸軍兵器本廠付兼整備局課員、参謀本部付(支那研究員)、整備局課員、軍務局課員を務め、1932年(昭和7年)8月、歩兵少佐に進級し整備局課員・参謀本部員を兼務した。
寺田 雅雄(てらだ まさお、1895年(明治28年)11月2… 寺田 雅雄(てらだ まさお、1895年(明治28年)11月23日 - 1988年(昭和63年)4月25日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 福井県出身。小浜中学校(現福井県立若狭高等学校)卒業を経て、1917年(大正6年)5月、陸軍士官学校(29期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第36連隊付となる。1921年(大正10年)4月から翌年10月までシベリア出兵に従軍。1928年(昭和3年)12月、陸軍大学校(40期)を首席で卒業し歩兵第36連隊中隊長に就任した。 陸軍省軍務局付勤務、同局課員、イギリス駐在、参謀本部員などを務め、1936年(昭和11年)8月、歩兵中佐に昇進。1937年(昭和12年)10月、第10軍参謀に発令され日中戦争に出征。
唐川 安夫(からかわ やすお、1895年〈明治28年〉11月… 唐川 安夫(からかわ やすお、1895年〈明治28年〉11月19日 - 1977年〈昭和52年〉7月29日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 福山中学校、広島陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1917年(大正6年)5月、陸軍士官学校(29期)を卒業。同年12月、砲兵少尉に任官し野砲兵第1連隊付となる。陸軍砲工学校高等科を卒業し、さらに1927年(昭和2年)12月、陸軍大学校(39期)を卒業した。 野砲兵第1連隊中隊長、参謀本部付勤務、参謀本部員、イタリア駐在、陸軍兵器本廠付、陸軍重砲兵学校教官、参謀本部員を経て、1938年(昭和13年)6月から翌年3月まで大本営謀略課長を務めた。イタリア大使館付武官、参謀本部欧米課長、参謀本部謀略課長を歴任し、日中戦争に第13軍参謀長として出征。
守屋 精爾(もりや せいじ、1895年(明治28年)11月2… 守屋 精爾(もりや せいじ、1895年(明治28年)11月2日 - 1943年(昭和18年)5月20日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。旧姓・梶田。 岡山県出身。梶田寿平の五男として生まれ、守屋弁之助の養子となる。岡山第一中学校(現岡山県立岡山朝日高等学校)、広島陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1917年(大正6年)5月、陸軍士官学校(29期)を卒業。同年12月、砲兵少尉に任官し野砲兵第11連隊付となる。1920年(大正9年)11月、陸軍砲工学校高等科(26期)を卒業。陸士生徒隊付、山砲兵第11連隊付などを経て、1929年(昭和4年)11月、陸軍大学校(41期)を卒業した。 1931年(昭和6年)3月、参謀本部付勤務となり、参謀本部員を務め、1932年(昭和7年)8月、砲兵少佐に進級。