スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
稲森 彩(いなもり あや、1991年7月7日 - )は、元琉… 稲森 彩(いなもり あや、1991年7月7日 - )は、元琉球放送 (RBC) のアナウンサー。 三重県伊賀市出身。三重県立上野高等学校、東京海洋大学卒業。 大学を卒業後、三重テレビ (MTV) の報道記者を経て、2018年7月に、琉球放送に入社。 特技はシーカヤック乗り。好きなことは、神社仏閣巡り。 2022年5月20日24時放送の『稲森彩のミュージックファイルマックス』にて、2022年6月30日をもってRBCアナウンサーを卒業する事を発表。同時に、沖縄のビーチで撮影した卒業ムービーをTwitterとInstagramで公開した。 稲森が日頃から所持しているはぴるん棒は、RBCiラジオ「沖野綾亜のチルドキ!!」「オンラインカフェvol.2〜はぴるん宇宙に帰るの巻〜」にて、琉球ガラスで、再現されたものが限定発売された。
服部 晃一郎(はっとり こういちろう、 1990年8月3日 … 服部 晃一郎(はっとり こういちろう、 1990年8月3日 - )は、FM大阪アナウンサー、プロデューサー。
齋藤 めぐみ(さいとう めぐみ、1981年(昭和56年)6月… 齋藤 めぐみ(さいとう めぐみ、1981年(昭和56年)6月28日 - )は、三重県内を中心にラジオパーソナリティ、リポーター、アナウンサー、イベント司会などで活動するタレント。三重県伊賀市出身。
西 公平(にし こうへい、1981年1月 - )は、日本の漫… 西 公平(にし こうへい、1981年1月 - )は、日本の漫画家。三重県出身。大阪コミュニケーションアート専門学校卒業。2000年代には『週刊少年ジャンプ』(集英社)を中心に活動していたが、2014年以降は『ハルタ』(KADOKAWA エンターブレイン)にて作品を発表していた。
國友尚(くにとも たかし、1977年8月31日 - )は日本… 國友尚(くにとも たかし、1977年8月31日 - )は日本のテレビの演出家、放送作家、脚本家、研究者、実業家。 三重県伊賀市(旧上野市)出身。三重県立上野高等学校卒。慶應義塾大学大学院修士課程修了。東洋のエジソンと呼ばれた国友一貫斎の末裔といわれている[要出典]。 大学在学中に、『ダウンタウンのごっつええ感じ』、『笑う犬シリーズ』のチーフ放送作家であった廣岡豊に出会い、テレビ業界入り。クリエイター事務所Jappsを設立し、バラエティ番組、ドキュメンタリー番組を中心に演出・構成を行う。番組最後のエンドロールでは、「國友尚」→「国友尚」→「くにとも」と推移をみせた。 テレビ以外の活動では、インターネットサービスの企画・開発に携わり、サイバーエージェント、ヤフー、KDDIなどで新規事業のプロデュース、ディレクションを行う。
福森 道歩(ふくもり みちほ、1975年(昭和50年)8月2… 福森 道歩(ふくもり みちほ、1975年(昭和50年)8月23日生)は、日本の陶芸家、料理家。三重県阿山町(現・伊賀市)出身。伊賀焼を代表する窯元「土楽窯」の7代目当主福森雅武の四女で、2015年から8代目当主。 阿山町立丸柱小学校、阿山町立阿山中学校、三重県立上野高等学校を経て短期大学卒業。料理研究家村上祥子に3年師事。辻調理師専門学校卒業後、大徳寺龍光院にて1年間修行。2003年 家業である伊賀焼窯元「土楽」に入り、2016年 代表取締役に就任。 「ほぼ日刊イトイ新聞」にて土鍋料理の連載をしており、書籍化されている。フードスタイリストの飯島奈美とたびたびコラボレーションをしている。
菅生 千穂(すごう ちほ、1972年5月20日 - )は、日… 菅生 千穂(すごう ちほ、1972年5月20日 - )は、日本のクラリネット演奏家。三重県伊賀市出身。現在は群馬大学教育学部音楽教育講座准教授。 5歳から高北通子にピアノを習い、短い曲が弾けた達成感から徐々にピアノに没頭する。中学校ではバスケットボール部のキャプテンなどスポーツにも首を突っ込んだが、当時の音楽教師・藤森真理の影響で音楽の素晴らしさを再発見する。三重県立上野高等学校では吹奏楽部に入り、クラリネットと出会う。そこでクラリネットに没頭した菅生は、そのままクラリネットを学ぶため東京学芸大学に進学。 大学卒業後、5年間渡米し、クラリネットを小松孝文、新井淑之、須藤清子、M.エイコード、S.コーエンに、室内楽をW.ルードヴィクに師事。
田中 ほさな(たなか ほさな、1972年1月13日 - )は… 田中 ほさな(たなか ほさな、1972年1月13日 - )は、日本の漫画家。かつては「田中保左奈」名義で執筆していた。椎名高志の元アシスタントで、母校は三重県立上野高等学校。
村田 渚(むらた なぎさ、男性、1971年〈昭和46年〉7月… 村田 渚(むらた なぎさ、男性、1971年〈昭和46年〉7月29日 - 2006年〈平成18年〉11月11日)は、日本のお笑い芸人。血液型O型。身長169cm。体重63kg。大阪府生まれ、三重県鈴鹿郡関町育ち、三重県立上野高等学校卒業。ソニー・ミュージックアーティスツ所属。 かつてはホリプロに所属し、お笑いコンビ「フォークダンスDE成子坂」としてデビュー間もない頃から注目される。解散後はピン芸人として地道な活動を続け、新コンビ「鼻エンジン」を結成した翌年の2006年11月に急逝した。 お笑いを追求する姿勢や才能は同業者から高い評価を得ていた。 高校2年生の時に、中学校の同級生である桶田敬太郎を誘い、コンビを結成する。
伊藤 たかみ(いとう たかみ、男性、1971年4月5日 - … 伊藤 たかみ(いとう たかみ、男性、1971年4月5日 - )は、日本の小説家。 1971年、兵庫県生まれ。その後、大阪、三重と過ごし、三重県立上野高等学校卒業。早稲田大学政治経済学部卒。 1995年、大学在籍中に「助手席にて、グルグル・ダンスを踊って」で第32回文藝賞を受賞し小説家デビュー。同作品をもって早稲田大学より小野梓記念賞芸術賞を受賞。2000年、『ミカ!』(理論社)で、第49回小学館児童出版文化賞受賞。2006年、『ぎぶそん』(ポプラ社)で第21回坪田譲治文学賞受賞。同年「八月の路上に捨てる」で第135回芥川賞受賞。 2012年より日本絵本賞選考委員。 直木賞作家の角田光代と2006年に結婚したが、2年後の2008年に離婚。
麻耶 雄嵩(まや ゆたか、1969年5月29日 -)は、日本… 麻耶 雄嵩(まや ゆたか、1969年5月29日 -)は、日本の小説家、推理作家。本名、堀井良彦。三重県上野市(現・伊賀市)出身。「摩耶雄嵩」「麻耶雄高」などは誤り。 三重県立上野高等学校、京都大学工学部卒業。在学中は推理小説研究会に所属、この時に短篇の執筆を始める。そこで知り合った綾辻行人・法月綸太郎・島田荘司の推薦をうけ、1991年『翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件』でデビュー。 いわゆる「問題作」を一貫して書き続けており、長編・短篇を問わず寡作ではあるが、独特の世界観と手法的アプローチに強いこだわりを持った癖のある作風で、マニアックかつカルト的な支持を得ている。同業者やミステリ界隈からの評価に関わらず長い間無冠であったが[要出典]、2011年に『隻眼の少女』で第64回日本推理作家協会賞・第11回本格ミステリ大賞をダブル受賞。
松本キック(まつもとキック、1969年〈昭和44年〉3月8日… 松本キック(まつもとキック、1969年〈昭和44年〉3月8日 - )は、日本の漫才師・俳優。2007年(平成19年)まで大川興業に所属していた。サンミュージック所属。三重県上野市(現:伊賀市)出身。三重県立上野高等学校卒業、神奈川大学法学部中退。血液型:O型。旧芸名・シンカ。身長174cm。体重62kg。 特技たる格闘技の本格的鍛錬を目指し、神奈川大学進学のために関東へ移る。 ひょんなことから大川興業入り。ハウス加賀谷とともに漫才コンビ「松本ハウス」結成。加賀谷の相方に選出された理由は、大柄で屈強、かつ、統合失調症の既往がある上に、沈静のための薬の副作用で暴れだすことがたびたびあった加賀谷を、唯一止めることができたからという。
高橋 義仁(たかはし よしひと、1967年7月 - )は、日… 高橋 義仁(たかはし よしひと、1967年7月 - )は、日本の経営学者。専修大学商学部教授、博士(学術)。早稲田大学助教授などを経て現職。専門領域は、経営戦略論、コンペティティブ・インテリジェンス、経営組織論、技術経営(MOT)、研究開発マネジメント。マサチューセッツ工科大学修士課程修了、早稲田大学博士後期課程修了。
椎名 桔平(しいな きっぺい、1964年〈昭和39年〉7月1… 椎名 桔平(しいな きっぺい、1964年〈昭和39年〉7月14日 - )は、日本の俳優。本名、岩城 正剛(いわき まさよし)。 三重県伊賀市出身。スターダストプロモーション制作1部所属。 小学校3年生よりサッカーに親しみ、三重県立上野高等学校時代には三重県代表として国民体育大会に出場。さらに高いレベルでの活躍を求めて青山学院大学に進学するも、スポーツメーカーのCM出演がアマチュア規定に抵触して大学2年の春から半年間の謹慎処分を受けたことを機に、退部することとなる。 その頃スナックで知り合った俳優・寺田農の付け人を2年ほど務めた。サッカー好きだった寺田からは、自身のサッカーチームの仲間として迎え入れられ、様々な撮影現場をともに過ごした。
倉阪 秀史(くらさか ひでふみ、1964年1月25日 - )… 倉阪 秀史(くらさか ひでふみ、1964年1月25日 - )は、日本の環境経済学者。千葉大学法政経学部法政経学科教授。環境マネジメントシステム実習、環境経済論、環境政策論、政策・合意形成入門などを担当。小説家の倉阪鬼一郎は実兄。 三重県伊賀市出身。三重県立上野高等学校、東京大学経済学部をそれぞれ卒業。 1987年から1997年まで環境庁(現環境省)に勤務。環境基本法、環境影響評価法などの施策に関わる。1994年から1995年まで、米国メリーランド大学客員研究員。1998年から千葉大学法経学部経済学科助教授。 千葉大学では環境ISO学生委員会の組織を主導しており、学生委員会での活動が単位として認定されるという形の授業を開講し、千葉大学の環境マネジメント活動を行っている。
静永 健(しずなが たけし、1964年 - )は、日本の中国… 静永 健(しずなが たけし、1964年 - )は、日本の中国文学者、九州大学教授。 三重県出身。三重県立上野高等学校卒、1987年都留文科大学国文科卒、1995年九州大学大学院中国文学科博士課程満期退学、1998年「白居易諷諭詩研究」で博士(文学)。 1995年九大助手、1996年久留米大学専任講師、1999年助教授、2000年九州大学人文科学研究院助教授、2007年准教授を経て教授。 1992年日本中国学会賞受賞。
倉阪 鬼一郎(くらさか きいちろう、1960年1月28日 –… 倉阪 鬼一郎(くらさか きいちろう、1960年1月28日 –)は、日本の小説家・評論家・俳人・翻訳家。 環境経済学者の倉阪秀史は実弟。名字を「倉坂」と誤記されることが多い。 三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。三重県立上野高等学校、早稲田大学第一文学部文芸科卒業。早稲田大学大学院日本文学専攻中退。 早稲田大学時代は「幻想文学会」に所属し、東雅夫、浅羽通明らと知り合う。東がのちに創刊した雑誌『幻想文学』には、レビュー等を大量に寄稿する。また、「幻想文学会」の分科会として「幻想短歌会」を主宰した。 大学事務員として就職したもののフリーライターを志望して退職する。しかし生計が成り立たず印刷会社に入社、文字校正係として11年間勤務の後、退職。
高田 覚(たかだ さとる、1959年11月8日 - )は株式… 高田 覚(たかだ さとる、1959年11月8日 - )は株式会社テレビ朝日ホールディングス取締役広報担当、株式会社テレビ朝日取締役。元株式会社朝日新聞社取締役。朝日新聞社取締役時代にベンチャー投資部門のメディアラボを立ち上げたが、ベンチャー投資に失敗した。
北川 裕之(きたがわ ひろゆき、1959年(昭和34年)1月… 北川 裕之(きたがわ ひろゆき、1959年(昭和34年)1月2日 - )は、日本の政治家。三重県名張市長(1期)。元三重県議会議員(5期)。 三重県名張市出身。三重県立上野高等学校、同志社大学法学部卒業。 1981年から11年間名張市職員として勤め、1992年からは地元ケーブルテレビ会社で勤務した。 太平洋戦争中に戦艦大和の乗組員を務め、終戦後は語り部として活動した父や、北川正恭元県知事の影響で政治家を志し、2003年より三重県議会議員を務める。2018年1月、当時所属していた民進党を離党し、名張市長選挙への立候補を表明したが、この時の市長選では現職の亀井利克に敗れ落選。翌年に県議に復帰した。 2022年3月9日、市長選挙に立候補するため県議を辞職。
巽 昌章(たつみ まさあき、1957年4月5日 - )は、ミ… 巽 昌章(たつみ まさあき、1957年4月5日 - )は、ミステリー批評家、弁護士(大阪弁護士会所属、登録番号:21271)、関西学院大学大学院司法研究科教授。 三重県上野市出身。京都大学法学部卒業。京都大学推理小説研究会OB。 2006年に刊行した初の評論集、『論理の蜘蛛の巣の中で』(講談社刊)で、2007年、第60回日本推理作家協会賞評論その他の部門と第7回本格ミステリ大賞評論・研究部門を受賞した。 探偵小説研究会会員であり、1994年から2003年まで「創元推理評論賞」選考委員を務める。
中 相作(なか しょうさく、1953年- )は、日本の江戸川… 中 相作(なか しょうさく、1953年- )は、日本の江戸川乱歩研究者。 三重県出身。三重県立上野高校卒業。名張市立図書館乱歩資料担当嘱託を務めた後、編集業。嘱託時代に江戸川乱歩の詳細な書誌書を刊行し、フリーとなっても活動を継続している。 2018年、初の商業出版本『乱歩謎解きクロニクル』を刊行し、本格ミステリ大賞評論部門を受賞した。 2019年、名張ユネスコ協会から、名張市内で文化や自然の継承に取り組む個人や団体を顕彰する「なばりのたからもの功労者」に認定された。
沖森 卓也(おきもり たくや、1952年〈昭和27年〉7月2… 沖森 卓也(おきもり たくや、1952年〈昭和27年〉7月20日 - )は、日本の日本語学者、立教大学名誉教授。二松學舍大学教授。専攻は日本語学。 三重県伊賀市生まれ。伊賀で古書店を経営していた郷土史研究家・沖森直三郎の孫。 1971年・三重県立上野高等学校卒業。1975年・東京大学文学部国語国文学専修課程卒業。1977年・東京大学大学院人文科学研究科国語国文学専門課程修士課程修了。同助手。1979年・白百合女子大学専任講師、1983年・助教授、1985年・立教大学助教授、1990年・教授。2018年・定年退任、名誉教授となる。 現在、二松學舍大学教授。2023年、文化庁長官表彰。 1999年「日本古代の表記と文体」で東京大学より博士(文学)の学位を取得。
岡本 栄(おかもと さかえ、1951年〈昭和26年〉9月18… 岡本 栄(おかもと さかえ、1951年〈昭和26年〉9月18日 - )は、日本の政治家。元三重県伊賀市長(3期)。関西テレビ放送の元アナウンサー。 三重県上野市(現在の伊賀市)の出身・在住で、上野市立東小学校、上野市立緑ヶ丘中学校、三重県立上野高等学校から早稲田大学教育学部へ進学。両親は教師で、大学進学の影響につながったという。また、早稲田大学への在学中には、多数のアナウンサーを輩出している学内のアナウンス研究会で活動していた。 1974年にアナウンサーとして関西テレビへ入社。同期のアナウンサーに馬場鉄志がいる。 入社後は、地元から通勤しながら報道・情報番組を中心に出演。1985年に発生した日本航空123便墜落事故の際には、急遽放送された『FNN報道特別番組』に伊丹空港からの中継リポーターとして出演した。
清水 潔(しみず きよし、1948年11月10日[要出典] … 清水 潔(しみず きよし、1948年11月10日[要出典] - )は、日本の歴史学者。前皇學館大学学長・教授。博士(法学)(2008年・京都産業大学)。専門は日本古代史(法制史、朝儀史、古代典籍、古代公卿学の研究)。三重県名張市出身[要出典]。同市在住。2024年、瑞宝中綬章受章。 以下は皇學館学園報第32号(平成23年6月1日号)に拠る。
出口 治明(でぐち はるあき、1948年〈昭和23年〉4月1… 出口 治明(でぐち はるあき、1948年〈昭和23年〉4月18日 - )は、日本の実業家。ライフネット生命保険株式会社創業者。立命館アジア太平洋大学元学長。三重県生まれ。 1948年(昭和23年)、三重県一志郡美杉村(現:津市)に生まれる。三重県立上野高等学校、京都大学法学部(専攻:憲法)卒業。 大学卒業後の1972年(昭和47年)に日本生命保険相互会社に入社。経営企画を担当として企画部や財務企画部に所属し、また生命保険協会で財務企画委員の初代委員長として、金融制度改革・保険業法の改正に従事。ロンドン現地法人社長、国際業務部長などを経て、2006年(平成18年)、58歳の時に同社を退職。 同年、生命保険準備会社であるライフネット企画株式会社を設立し、代表取締役社長に就任。
生田 邦夫(いくた くにお、1948年〈昭和23年〉2月27… 生田 邦夫(いくた くにお、1948年〈昭和23年〉2月27日 - 2024年〈令和6年〉11月25日)は、日本の政治家、医師。滋賀県湖南市長(1期)、滋賀県議会議員(4期)、甲西町議会議員(1期)、 生田病院理事長を務めた。 三重県阿山郡玉滝村(阿拝村、阿山町を経て、現伊賀市)出身。三重県立上野高等学校を経て、1974年(昭和49年)3月、大阪医科大学医学部卒業。2000年(平成12年)、甲西町議会議員に初当選。 2007年(平成19年)4月、滋賀県議会議員選挙に自由民主党公認で立候補し初当選した。 2012年(平成24年)10月14日に行われた湖南市長選挙に立候補するも、現職の谷畑英吾に破れた。
李 正子(イ・チョンジャ、朝鮮語: 이정자、1947年3月3… 李 正子(イ・チョンジャ、朝鮮語: 이정자、1947年3月3日 - )は、在日コリアン二世の女性歌人である。未来短歌会所属。在日韓国人の歌人として、作品が日本の教科書に採用された最初の人物である。 三重県上野市(現 伊賀市)生まれ。戦前に父が慶尚南道晋州市から日本に渡り、日本で韓国人の母と知り合い結婚、伊賀市に定住し正子を生んだ。中学生の時に万葉集に触れ、短歌に魅力を感じる。1965年三重県立上野高等学校卒業後、民族資本の銀行に1年間勤務し、結婚して2人の男児をもうけたのち離婚。20歳のとき、香山正子名義で朝日新聞の短歌のページに近藤芳美を選者に指名し初投稿。これがトップで掲載される。投稿を幾度か繰り返した後、「未来」入会。
岡本 直之(おかもと なおゆき、1946年12月29日 - … 岡本 直之(おかもと なおゆき、1946年12月29日 - )は、日本の実業家。近畿日本鉄道代表取締役副社長や、三重交通グループホールディングス代表取締役社長、三重交通代表取締役会長、三交不動産代表取締役会長、名阪近鉄バス代表取締役会長、三重県商工会議所連合会会長等を歴任した。 三重県伊賀市出身。1965年三重県立上野高等学校卒業。1970年大阪市立大学商学部卒業。伊藤淳巳ゼミ出身。同年近畿日本鉄道入社。2003年近畿日本鉄道取締役。2005年近畿日本鉄道専務取締役。2007年近畿日本鉄道代表取締役副社長。2010年三重交通グループホールディングス代表取締役社長、三重交通代表取締役会長、三交不動産代表取締役会長、名阪近鉄バス代表取締役会長。
中野 実(なかの みのる、1943年11月8日 - 2001… 中野 実(なかの みのる、1943年11月8日 - 2001年7月4日)は、日本の政治学者。専門は、政治過程論、日本政治論。 2001年、三重県上野市で生まれた。早稲田大学政治経済学部で学び、卒業。早稲田大学大学院政治学研究科に進み、博士課程を終了。 修了後は、東京大学法学部助手に採用された。1987年、学位論文『現代国家と集団の理論:政治的プルラリズムの諸相』を早稲田大学に提出して政治学博士号を取得。その後、茨城大学人文学部教授に就いた。明治学院大学法学部教授に転じ、2001年在職中に死去。
古川 タク(ふるかわ タク、本名:古川 肇郁(ふるかわ ただ… 古川 タク(ふるかわ タク、本名:古川 肇郁(ふるかわ ただいく)、1941年9月25日 - )は、日本の男性アニメーション作家、イラストレーター、絵本作家である。日本アニメーション協会(JAA)会長。日本漫画家協会参与。 任天堂社長の古川俊太郎は子。 三重県上野市(現・伊賀市)出身。三重県立上野高等学校、大阪外国語大学イスパニア語学科卒業。 アニメーションからイラスト、漫画と活躍は多岐に渡る。個人製作によるシンプルな画風ととぼけたユーモアのアニメーションで世界的な評価を受けた。線画タッチの作品が多いのはソール・スタインバーグの影響。日本ではNHKの『みんなのうた』を定期的な作品発表の場とした。
南 直哉(みなみ のぶや、1935年11月15日 - 202… 南 直哉(みなみ のぶや、1935年11月15日 - 2022年10月24日)は、日本の実業家。 フジ・メディア・ホールディングス取締役監査等委員及びフジテレビジョン監査役。東京電力で第9代社長を経て顧問、財団法人省エネルギーセンター会長、社団法人企業情報化協会会長などを務めた。 三重県出身。三重県立上野高等学校を経て、1958年に東京大学法学部を卒業し東京電力入社。取締役を経て1999年に東京電力社長。これまでの東京電力社長職は政界との繋がりが強い総務畑が主流だったが、電力自由化に伴い霞が関に顔が利くという理由から企画畑出身の南が選ばれた。 2002年、原子力発電所の点検記録の改竄事件の責任をとって、社長を辞任。
東 郷幸(あずま さとゆき、1935年9月8日 - )は、三… 東 郷幸(あずま さとゆき、1935年9月8日 - )は、三重県出身の元プロ野球選手(捕手)。 上野高校から1954年に大阪タイガースへ入団。 一軍試合に出場することなく1955年に退団し、翌年から天王寺鉄道管理局に所属し都市対抗野球大会に出場。 1960年に国鉄スワローズでプロへ復帰し、1963年に引退した。
濱川 勝彦(はまかわ かつひこ、1933年12月4日 - 2… 濱川 勝彦(はまかわ かつひこ、1933年12月4日 - 2017年9月24日)は、日本近代文学者。奈良女子大学・神戸女子大学名誉教授。 兵庫県神戸市生まれ。1956年京都大学文学部国文科卒。三重県立上野高等学校教諭を務める。1970年松蔭女子学院大学助教授、1975年京都女子大学助教授、のち教授、1985年奈良女子大学教授、1997年定年退官し、名誉教授となり、神戸女子大学教授、2004年退任、名誉教授。 中島敦、梶井基次郎など、昭和初年の作家を研究した。 2017年9月24日、敗血症のため死去。83歳没。
田畑 彦右衛門(たばた ひこえもん、1932年〈昭和7年〉8… 田畑 彦右衛門(たばた ひこえもん、1932年〈昭和7年〉8月1日 - )は日本の社会評論家、司会者、三重県総合文化センター総長、元NHK解説委員。 三重県上野市(現・伊賀市)出身。三重県立上野高等学校を経て早稲田大学政治経済学部卒業後、1955年にNHKに入局。 情報番組『600 こちら情報部』で時事解説を務めた(大事件の発生で「600」が急遽中止になった時は、そのままスケジュールを流用して臨時ニュースのキャスターをつとめたりしていた)ほか、クイズ番組『クイズ百点満点』では、クイズの解説を務めた。 1994年3月、『クイズ百点満点』終了とともにNHKを退職。その後、社会評論家、コラムニストとして講演や執筆活動を中心に活動している。
榊 莫山(さかき ばくざん、本名:榊 齊(さかき はじむ)、… 榊 莫山(さかき ばくざん、本名:榊 齊(さかき はじむ)、1926年2月1日 - 2010年10月3日)は、日本の書家・作家・元教諭。
岸 宏子(きし ひろこ、1922年5月5日 - 2014年1… 岸 宏子(きし ひろこ、1922年5月5日 - 2014年12月2日)は、日本の放送作家、小説家。 三重県出身。阿山高等女学校卒。 1942年、小説「醜女」で厚生省公募の勤労文化賞受賞。以後、ラジオ、テレビ等に作品を発表。 1977年、銀河テレビ小説『巣箱』の脚本に対して、第14回ギャラクシー賞・選奨を受賞。 NHK名古屋放送局制作のドラマの脚本を多く書いた。ほか名古屋周辺の歴史を中心とする著作も多い。 これらの功績から第46回NHK放送文化賞(1994年度)を受賞した。 1990年には紫綬褒章、1995年には勲四等宝冠章を受章した。 2014年12月2日、慢性心不全のため死去。92歳没。遺言により、自宅や株式、預貯金、著書・蔵書のみならず、岸の保有する著作権と著作権料まで故郷の伊賀市に寄贈された。
福持通(ふくもちとおる、1922年 - 2014年)は日本の… 福持通(ふくもちとおる、1922年 - 2014年)は日本の実業家。元都ホテル(現ウェスティン都ホテル京都)社長。伊勢本街道保存会相談役。三重県名張市出身。祖父・善之丞は立憲憲政会員、名賀郡会議員。
前田 光嘉(まえだ みつよし、1916年(大正5年)9月16… 前田 光嘉(まえだ みつよし、1916年(大正5年)9月16日 - 2009年(平成21年)4月13日)は、日本の官僚。元建設事務次官。三重県出身。 建設省都市局長、営繕局長、住宅局長、大臣官房長を経て、1965年(昭和40年)建設事務次官に就任。1967年(昭和42年)に退官。 1970年(昭和45年)から1978年(昭和53年)まで日本道路公団総裁を務めた。1989年(平成元年)の春の叙勲で勲一等瑞宝章を受章。
猪木 正道(いのき まさみち、1914年(大正3年)11月5… 猪木 正道(いのき まさみち、1914年(大正3年)11月5日 - 2012年(平成24年)11月5日)は、日本の政治学者。京都大学名誉教授。第3代防衛大学校校長、財団法人平和・安全保障研究所顧問を歴任。「日本政治学界の大御所的存在で、安全保障問題の論客」として知られた。専門は、政治思想。学位は、法学博士(京都大学・1962年)。 1914年、京都府京都市で生まれた。6歳から16歳までを三重県上野(現在の伊賀市)で過ごした。1931年に旧制三重県立上野中学校を卒業し、旧制第三高等学校文科乙類に進学。1934年に同校を卒業。 東京帝国大学経済学部に進学し、在学中は河合栄治郎の演習に参加。自由主義と社会主義の双方に立脚した自らの思想を育んでいった。
辻本 芳郎(つじもと よしお、1914年(大正3年)9月7日… 辻本 芳郎(つじもと よしお、1914年(大正3年)9月7日 - 1991年(平成3年)9月17日)は、日本の地理学者。東京学芸大学名誉教授。学位は、理学博士。専門は工業地理学。 三重県生まれ。三重県立上野中学校を経て、1935年東京高等師範学校卒業。1938年応召、旅順重砲兵連隊に入営。1939年東京文理科大学理学部地学科地理学専攻卒業。1941年召集解除、陸軍教授、陸軍経理学校教官。1947年東京第二師範学校教授、1949年東京学芸大学助教授、1952年教授。1959年「伝統的在来工業の地域構造 東海陶業地域を中心として」で理学博士(東北大学)。1960 - 66年東京学芸大学附属世田谷小学校校長兼任、1975 - 77年東京学芸大学附属図書館長。
奥瀬 平七郎(おくせ へいしちろう、1911年〈明治44年)… 奥瀬 平七郎(おくせ へいしちろう、1911年〈明治44年)11月13日 - 1997年〈平成9年〉4月10日)は、日本の忍術研究家、小説家、三重県上野市(現・伊賀市)の元市長。三重県阿山郡上野町(現・伊賀市)生まれ。 1911年(明治44年)、三重県阿山郡上野町(現・三重県伊賀市)で代々続く醤油製造販売業「細平(こまへい)」の二男として生まれる。父の平十郎(1887年〜1956年)は、家業を従業員に任せ上京。霞翠の号で当時の代表的な投稿雑誌や文芸誌、詩歌誌に数多くの作品を発表、文芸誌『初楓』を創刊、また東京二六新聞記者として、上野町の『伊賀新聞』に小説『鞠子』を71回にわたって連載するなど文筆家として活躍した人物だった。
増田 四郎(ますだ しろう、1908年(明治41年)10月2… 増田 四郎(ますだ しろう、1908年(明治41年)10月2日 - 1997年(平成9年)6月22日)は、日本の歴史学者。一橋大学名誉教授。第5代一橋大学学長、東京経済大学理事長。日本学士院会員。文化勲章受章者。位階は従三位。日本学術振興会会長、国立大学協会副会長等を歴任。 専門は西洋史、西洋経済史。西洋社会・経済史の変遷を、実証研究と比較社会史・地域史の方法論を用いて研究した。 1908年、奈良県山辺郡波多野村(後の山添村)生まれ。旧制上野中学校(後の三重県立上野高等学校)卒業後、東京商科大学付属商業教員養成所入学。1932年東京商科大学(後の一橋大学)卒業。学部では日本経済史を専攻し、幸田成友の指導を受ける。
城戸 久(きど ひさし、1908年〈明治41年〉6月16日 … 城戸 久(きど ひさし、1908年〈明治41年〉6月16日 - 1979年〈昭和54年〉10月30日)は、日本の建築学者。名古屋工業大学名誉教授。日本建築史の専門家として、多くの城の再建に携わったことで知られる。建築家の城戸武男は兄。 三重県阿山郡上野町(現・伊賀市)の生まれ。旧制三重県立上野中学校をへて、1929年名古屋高等工業学校(現名古屋工業大学)建築学科卒。 1934年名高工助教授、1942年教授、戦後学制改革により名古屋工業大学教授に就任。 1949年、「近世日本城廓建築に関する基礎的研究」により京都大学から工学博士を授与。1969年2月、名工大学長代行に就任するが、学内の大学紛争の影響で同年9月に辞任。
新 規矩男(あたらし きくお、1907年7月30日 - 19… 新 規矩男(あたらし きくお、1907年7月30日 - 1977年9月17日)は、日本の西洋美術史家。 1907年(明治40年)三重県名賀郡生まれ。三重県立上野中学校から広島陸軍幼年学校卒、陸軍士官学校中退、1929年(昭和4年)第一高等学校卒業、1932年(昭和7年)東京帝国大学文学部美学美術史学科卒業、東京美術学校講師。1934年(昭和9年)ニューヨーク市メトロポリタン美術館東洋部助手。1937年(昭和12年)ヨーロッパ諸国を歴遊して帰国、東京美術学校に復帰、1938年(昭和13年)講師嘱託、1946年(昭和21年)東京美術学校教授、1952年(昭和27年)東京芸術大学美術学部教授。 1956年(昭和21年)、東京大学イラク・イラン遺跡調査団(団長:江上波夫)に加わる。
中井 徳次郎(中井 德次郎、なかい とくじろう、1907年(… 中井 徳次郎(中井 德次郎、なかい とくじろう、1907年(明治40年)5月29日 - 1991年(平成3年)12月18日)は、三重県出身の政治家。三重県上野市(現在の伊賀市)の市長だった。日本社会党に所属して衆議院議員を6期務めた。長男の中井洽も衆議院議員となった。 三重県立上野中学校、第八高等学校を経て、京都帝国大学法学部卒業後、高等文官試験合格。 満洲にわたり全満洲の電気供給事業を統制して電力・電燈の供給事業を独占的に行う満洲電業株式会社に入社。企画主計課長、文書課長を歴任した後、長男の洽が満洲で誕生した。終戦で三重県に引揚げた。 1947年(昭和22年)に全国で最初の日本社会党の公認候補者として三重県上野市長に当選し、以後2期、革新的な市政を行った。
富井 清(とみい きよし、1903年(明治36年)3月28日… 富井 清(とみい きよし、1903年(明治36年)3月28日 - 1974年(昭和49年)5月19日)は、日本の政治家、医師、尺八奏者。1967年から1971年まで京都府京都市長を1期4年務める。医学博士。富井舜山とも号す。 三重県生まれ。1925年(大正14年)金沢医科大学医学専門部を卒業後、京都府立医科大学眼科副手を経て、京都府保険医協会理事長や京都府医師会長、京都府公安委員を歴任。 1967年1月8日、京都市長の井上清一が在職中に死去。井上の死去に伴って2月26日に行われた京都市長選挙挙に、日本社会党・日本共産党や府市内の労働組合に加え府医師連盟などで作る「全京都市民会議」に推されて立候補。
齋藤 昇(さいとう のぼる、1903年〈明治36年〉1月28… 齋藤 昇(さいとう のぼる、1903年〈明治36年〉1月28日 - 1972年〈昭和47年〉9月8日)は、日本の内務官僚、政治家。位階は正三位。 運輸大臣、厚生大臣、警察庁長官を務めた。参議院議長を務めた斎藤十朗は子息。 三重県阿山郡東柘植村(現在・伊賀市)出身。父・角蔵、母・のぶへの長男として生まれる。 上野中学、八高を経て、東京帝国大学入学。 1925年(大正14年)に東京帝大農学部農学科を卒業し、1926年(大正15年)高等試験に合格した。1927年(昭和2年)、内務省に入省した。1928年(昭和3年)に東京帝大法学部政治学科を卒業する。地方局属、地方局行政課長、大臣官房文書課長、防空総本部総務局長等を歴任した。
城戸 武男(きど たけお、1899年〈明治32年〉4月29日… 城戸 武男(きど たけお、1899年〈明治32年〉4月29日 - 1980年〈昭和55年〉5月5日)は、日本の建築家。戦前は表現主義やスパニッシュ風の作品を多く手がけ、戦後は機能主義建築と和風建築で秀作を残す。建築史家の城戸久は弟。 1899年(明治32年)4月29日、三重県阿山郡上野町(現・伊賀市)字忍町12番屋敷に生まれた。城戸操の長男である。 三重県立第三中学校(現・三重県立上野高等学校)を経て、1920年(大正9年)3月に名古屋高等工業学校建築科(現・名古屋工業大学)を卒業した。教授の鈴木禎次に直接薫陶を受け、それが制作への強い源泉になったと回顧している。 卒業後は合名会社竹中工務店に入社し、1920年(大正9年)から1923年(大正12年)には本店設計部、1923年(大正12年)から1933年(昭和8年)には名古屋支店に勤務した。
横光 利一(よこみつ りいち、1898年〈明治31年〉3月1… 横光 利一(よこみつ りいち、1898年〈明治31年〉3月17日 - 1947年〈昭和22年〉12月30日)は、日本の小説家・俳人・評論家。本名は漢字表記同じで「よこみつ としかず」。 菊池寛に師事し、川端康成と共に新感覚派として大正から昭和にかけて活躍した。『日輪』と『蠅』で鮮烈なデビューを果たし、『機械』は日本のモダニズム文学の頂点とも絶賛され、また形式主義(英語版)文学論争を展開し『純粋小説論』を発表するなど評論活動も行い、長編『旅愁』では西洋と東洋の文明の対立について書くなど多彩な表現を行った。1935年(昭和10年)前後には「文学の神様」と呼ばれ、志賀直哉以来の「小説の神様」とも称された。
由良 哲次(ゆら てつじ、1897年2月7日 - 1979年… 由良 哲次(ゆら てつじ、1897年2月7日 - 1979年3月28日)は、日本の歴史哲学者、日本史家、美術史家、浮世絵蒐集家。横光利一の『旅愁』のモデル。 1897年、奈良県添上郡柳生村(現・奈良市)にて、丹生神社の神官の家系に生まれた。旧制の三重県立第三中学校(現在の三重県立上野高等学校)に在学中、1級下の横光利一と親交を結ぶ。父の事業の失敗により経済的に困窮し、滋賀県立師範学校に進学。教員となり、大津市南尋常小学校で2年間の教員生活を送った後、1918年に上京し、東京高等師範学校に入学した。 東京高等師範学校では、三宅米吉と峰岸米造のもとで古代史と考古学を修めた。1924年、京都帝国大学哲学科に入学。