三浦 理香子(みうら りかこ、2001年1月3日 - )は、… 三浦 理香子(みうら りかこ、2001年1月3日 - )は、日本の女優。千葉県出身。
東京海洋大学:73人
※有名人ナビに登録されている73人を職業別に数えました。複数の職業を持つ人は、それぞれの職業に数えています。
三浦 理香子(みうら りかこ、2001年1月3日 - )は、… 三浦 理香子(みうら りかこ、2001年1月3日 - )は、日本の女優。千葉県出身。
素潜り漁師マサル(すもぐりりょうしマサル、英語:Masaru… 素潜り漁師マサル(すもぐりりょうしマサル、英語:Masaru.、1998年2月11日 -)は日本の漁師、Youtuber、起業家。幼少期によゐこの濱口優に憧れて素潜りを始め、現在は「漁師を稼げるようにする」ため、Youtuberとして素潜り漁をテーマとした動画配信を行うかたわら沖永良部島にて水産加工場の建設を目指している。 東京海洋大学出身。2017年に魚突き&魚捌きに特化したYoutubeチャンネルを開設し、2019年末に東京から鹿児島県の沖永良部島に移住。 コロナ禍に伴う水産物需要の低下で苦境に立たされる島の漁師たちが稼げる環境を作ることを目指し、開業資金1億円で自ら水産加工場をオープンした。
稲森 彩(いなもり あや、1991年7月7日 - )は、元琉… 稲森 彩(いなもり あや、1991年7月7日 - )は、元琉球放送 (RBC) のアナウンサー。 三重県伊賀市出身。三重県立上野高等学校、東京海洋大学卒業。 大学を卒業後、三重テレビ (MTV) の報道記者を経て、2018年7月に、琉球放送に入社。 特技はシーカヤック乗り。好きなことは、神社仏閣巡り。 2022年5月20日24時放送の『稲森彩のミュージックファイルマックス』にて、2022年6月30日をもってRBCアナウンサーを卒業する事を発表。同時に、沖縄のビーチで撮影した卒業ムービーをTwitterとInstagramで公開した。 稲森が日頃から所持しているはぴるん棒は、RBCiラジオ「沖野綾亜のチルドキ!!」「オンラインカフェvol.2〜はぴるん宇宙に帰るの巻〜」にて、琉球ガラスで、再現されたものが限定発売された。
斎藤 久美子(さいとう くみこ、1990年1月22日 - )… 斎藤 久美子(さいとう くみこ、1990年1月22日 - )は、テレビ新潟(TeNY)のアナウンサー、報道記者。 愛知県豊橋市出身。愛知県立豊橋東高等学校、東京海洋大学卒業。大学在学時、テレビ朝日アスクの就職セミナーコースに通っていた。 大学を卒業後、2013年4月にテレビ新潟に入社し、アナウンサーになる。『夕方ワイド新潟一番』3部のキャスター担当になってからは、報道記者も兼務している。 趣味はダイビング。スキューバダイビングよりも、大学時代からしていた素潜りの方が得意であると語る。
中村 美公(なかむら・みく、1987年8月21日 - )は、… 中村 美公(なかむら・みく、1987年8月21日 - )は、日本の気象予報士、防災士。 福井県出身。少女時代からマリンスポーツを好み、東京海洋大学進学後にダイビング、素潜り、スタンドアップパドルボード、水上オートバイ(特殊小型船舶免許所持)などを趣味としている。 大学時代にはミスキャンパスパークの一員としてタレント活動もしており、2008年にテレビ朝日の『知っ得!歴史の裏側マガジン』などにも出演した経歴を持つ。 大学卒業後、いったんはアパレル系企業へ就職するが、趣味であるマリンレジャーは一歩間違えば生命の危険があることを感じ、天気を予想するようになりたいと考えて気象予報士試験を受け、2013年に気象予報士登録を行う。
菅緑(すが みどり、1986年12月4日 - )は、熊本県出… 菅緑(すが みどり、1986年12月4日 - )は、熊本県出身の元レポーター。第2日本テレビ第7期専属アナウンサー。熊本県立済々黌高等学校、東京海洋大学海洋科学部卒業。 身長164cm。血液型はO型。
山舩 晃太郎(やまふね こうたろう、1984年3月21日 -… 山舩 晃太郎(やまふね こうたろう、1984年3月21日 - )は、日本の考古学者。東京海洋大学非常勤講師、九州大学共同研究員。専門は水中考古学と船舶考古学。 秋田県出身。父が転勤族のサラリーマンだった影響で愛知県名古屋市や千葉県市川市などで育つ。名古屋での小学校時代に野球を始め、スポーツ推薦で法政大学第一高等学校に入学し、野球部へ入部して投手としてプロ野球への夢を追っていた。しかし、高校2年の時に右肘を故障して手術を受け、その影響で甲子園予選大会に出場することは出来なかった。 山舩は野球を諦めきれず、2002年に法政大学文学部へ入学し、同時に法政大学野球部に入部して神宮のマウンドに立つことを目指すが、他の選手とのレベルの違いや故障再発などで挫折、チームの打撃投手を務めるものの、結局は野球を断念する。
ながさき 一生(ながさき いっき、1984年 - )は日本の… ながさき 一生(ながさき いっき、1984年 - )は日本のタレント、魚の専門家である。 東京海洋大学講師、株式会社さかなプロダクション代表、一般社団法人さかなの会理事長代表、おさかなコーディネータ。「魚と食のコンテンツで、世界をちょっと楽しくしてます。」をテーマに活動しており、2006年からは、ゆるい魚好きのコミュニティ「さかなの会」を主宰し、魚と食に関するイベントを開催。参加者は延べ1000人を超える。新潟県糸魚川市出身。 1984年、新潟県糸魚川市にある「筒石」という漁村にて誕生。 2003年、新潟県立高田高等学校を卒業。 2006年、「さかなの会」立ち上げ。 2007年、東京海洋大学を卒業。
伊藤 智彦(いとう ともひこ、1978年10月20日 - )… 伊藤 智彦(いとう ともひこ、1978年10月20日 - )は、日本の男性アニメーション演出家、アニメーション監督。愛知県春日井市出身。東京商船大学卒業。東京都新宿区在住。別名義に神楽坂 時市がある。2016年からアニプレックス専属脚本チーム「スクリプトルーム」ルーム長。 東京海洋大学(旧東京商船大学)在学時に早稲田大学アニメーション研究会に参加し、就職活動もアニメ業界を目指した。マッドハウスに入社し、制作進行から演出に転向。マッドハウスに所属している期間から神楽坂時市の変名で様々な作品に参加する。荒木哲郎監督の『DEATH NOTE』で監督助手、細田守監督の『時をかける少女』と『サマーウォーズ』で助監督を務めた後、『世紀末オカルト学院』で監督デビュー。
RYOJI.M(リョウジ・エム、本名:前林 良治、1977年… RYOJI.M(リョウジ・エム、本名:前林 良治、1977年(昭和52年)8月24日 - )は、日本の音楽プロデューサー・ソングライター・実業家。徳島県徳島市出身。 徳島県徳島市出身。鳴門教育大学附属小学校・鳴門教育大学附属中学校・徳島県立城東高等学校を卒業。福井県立大学・東京水産大学を中退。東京水産大学を中退後、2002年に世界で初めて畜養(養殖)クロマグロの中国からの輸出に成功。その後、2004年のNHKアイテックの外注社員時にはB-SAT海外プロデューサーに就任。 2006年、香港の音楽プロデューサーであるMARK LUIと香港日本POPS輸出入提携協定の契約締結に成功。同年11月には韓雪、S.H.E、周華健、中孝介、元ちとせ、w-inds.等を中心に開催された「中華年記念音楽祭」のアテンダントオフィサーの代表に就任。
さかなクン(1975年〈昭和50年〉8月6日 - )は、日本… さかなクン(1975年〈昭和50年〉8月6日 - )は、日本の魚類学者、タレント、イラストレーター、東京海洋大学客員教授。 東京都葛飾区生まれ、神奈川県綾瀬市育ち、千葉県館山市在住。本名は宮澤 正之(みやざわ まさゆき)。父は囲碁棋士の宮沢吾朗九段。アナン・インターナショナル所属。 魚の生態や料理法についての豊富な知識で知られ、講演や著作活動などを中心に活動している。2006年に東京海洋大学客員准教授に就任。特定非営利活動法人自然のめぐみ教室海のめぐみ教室室長でもある。一般向けの講演では、広い世代に魚について理解をしてほしいと、難解な言葉を極力使わない解説や自作のイラストを用いるなどの工夫を心掛けている。
劉 海涛(りゅう かいとう、英語: Liu Haitao、1… 劉 海涛(りゅう かいとう、英語: Liu Haitao、1968年12月14日 - )は、在日中国人起業家。株式会社ストリーム創業者で、同社代表取締役社長や、代表取締役会長を務めた。 中華人民共和国安徽省出身。1995年東京商船大学(現東京海洋大学)卒業、株式会社亜土電子工業入社。株式会社亜土電子工業が買収されたことを受け、中華人民共和国向けパソコンの輸出業務などの事業譲渡を受け、1999年株式会社ストリームを設立し、同社代表取締役に就任。同年ECサイトSunshineを立ち上げ、パソコンの通信販売事業を開始。2002年にSunshineをECカレントに変え、以後ECカレント楽天市場店の開設など、通信販売事業の拡充を行った。
井関 俊夫(いせき としお、1960年1月 - )は、日本の… 井関 俊夫(いせき としお、1960年1月 - )は、日本の工学者。東京海洋大学学長。専門は船舶海洋工学・流体力学・確率統計学。
土屋 知省(つちや ともみ、1959年6月16日 - )は、… 土屋 知省(つちや ともみ、1959年6月16日 - )は、日本の国土交通官僚、工学博士。国土交通省近畿運輸局長や、鉄道建設・運輸施設整備支援機構理事長代理等を経て、日本冷蔵倉庫協会理事長、東京海洋大学客員教授、運輸総合研究所特任研究員。 静岡県出身。1978年静岡県立韮山高等学校卒業。1982年東京大学法学部卒業、運輸省入省。1989年ハーバード大学ケネディ行政大学院卒業 。1998年外務省在アメリカ合衆国日本国大使館一等書記官。同参事官。 国土交通省総合政策局政策課政策企画官を経て、2002年運輸審議会審理官。2004年中部国際空港管理本部経営企画部長。2006年国土交通省自動車交通局技術安全部管理課長。
大谷 亮介(おおたに りょうすけ、1954年〈昭和29年〉3… 大谷 亮介(おおたに りょうすけ、1954年〈昭和29年〉3月18日 - )は、日本の男性俳優、演出家、声優であり、劇団壱組印主宰である。本名、同じ。 兵庫県西宮市出身、ファザーズコーポレーション所属。 兵庫県西宮市内の小学校を経て、六甲学院中学校・高等学校へ進学。高校時代はサッカー部のレギュラーになり、兵庫県代表としてインターハイにも出場した。高校卒業後は生物学者を志して東京水産大学(現 東京海洋大学)へ進学したものの、勉強する気にならずに遊んでばかりいたところ、見かねた友人から「お前、向いてるんじゃないか」と勧めを受けて劇団を受験し合格。大学在学中の1977年にオンシアター自由劇場に入団、同年10月の『風吹がらす疾送記・異説のすかい・おらん』にて初舞台。
水谷 豊(みずたに ゆたか、1952年〈昭和27年〉7月14… 水谷 豊(みずたに ゆたか、1952年〈昭和27年〉7月14日 - )は、日本の俳優、歌手、映画監督、実業家。Trysome Bros.LLC合同会社代表社員。北海道芦別市出身。Trysome Bros.所属。妻は伊藤蘭、長女は趣里。 北海道芦別市野花南で生まれる。両親は京都出身である。四人兄弟の末っ子。父親はすぐに仕事を変えては転々とし、家族もこれに伴い、北海道の各地を転々。北海道時代の記憶はほとんどないという。小学校は北海道留萌郡小平町立達布小学校に入学。小学2年の時、父が東京都立川市で土建業を興し、以降、立川で育ち、俳優デビュー後も20代半ばまで実家に住んだ。 立川市立立川第四小学校、立川市立立川第一中学校卒業。
當眞 嗣吉(とうま つぎよし、1947年9月13日 - )は… 當眞 嗣吉(とうま つぎよし、1947年9月13日 - )は、日本の経営者。沖縄電力社長を務めた。 沖縄県出身。1970年に東京商船大学商船学部機関科を卒業し、1971年に琉球電力に入社。 1999年6月に取締役に就任し、2001年6月に副社長に就任し、2003年6月には社長に昇格。2007年6月には会長に就任。 2018年11月に旭日中綬章を受章。
岩重 慶一(いわしげ けいいち、1947年 - )は、日本の… 岩重 慶一(いわしげ けいいち、1947年 - )は、日本の社会運動家。NGOのHAB21イルカ研究会を設立し、代表を務める。メコン川イルカ保護と地域振興における海洋政策研究、イルカと人間の心の成長を科学する(イルカセラピー)研究者。東京海洋大学研究者学者、西南学院大学研究者。鹿児島県出身。 岩重英子郎の長男として生まれる。鹿児島市立荒田小学校、甲南中学、鹿児島県立甲南高等学校卒業後、1968年、下関市立大学経済学部に入学後退学し、西南学院大学経済学部に入学。1972年三菱信託銀行に入行。神戸支店などを経て財務相談部ライフプラン企画営業推進役・財務コンサルタントを務める。イルカ研究者として、後に日本鯨類研究所大隅清治顧問、国立博物館館長・山階鳥類研究所所長林良博教授に従事してメコン川イルカ調査研究に携わる。
坂口 弘(さかぐち ひろし、1946年11月12日 - )は… 坂口 弘(さかぐち ひろし、1946年11月12日 - )は、日本の新左翼活動家、元連合赤軍中央委員会書記長(連合赤軍のナンバー3)、歌人、テロリスト。確定死刑囚。 千葉県富津市出身。中学1年の時に父親を病気で亡くす。子供の頃は日本共産党の動向に関心を持ち、60年安保においては民主社会党を支持していた。 千葉県立木更津高等学校卒業後、1965年4月に東京水産大学水産学部増殖学科(現東京海洋大学海洋科学部)に入学、水泳部に所属する。同部に所属していた川島豪に近づくためだった。当時4年生で自治会で後援会費闘争を行っていた川島を慕うようになる。その後、日韓条約反対闘争に参加し初めての集会とデモを経験。
小林 浩(こばやし ひろし、1946年10月13日 - )は… 小林 浩(こばやし ひろし、1946年10月13日 - )は日本の実業家。日本ハム、元北海道日本ハムファイターズ会長。広島県安芸郡府中町出身。 1969年東京水産大学(現・東京海洋大学)水産学部製造学科卒業、日本ハム入社。食肉輸入事業に長く携わり水産物・乳製品の責任者などを歴任。 1992年3月輸入ブロイラー部長就任。1999年4月輸入食肉第二次業部長代行就任。2000年取締役輸入食肉第二次業部長就任2003年上席執行役員就任2005年常務執行役員就任2007年4月に代表取締役社長就任2012年代表取締役会長に就任2015年代表取締役会長を退任した。 2002年の牛肉偽装事件の後、藤井良清前社長が取り組んだ社内コンプライアンス(法令順守)経営の推進とコーポレートガバナンス(企業統治)強化を継承。
丹羽 隆子(にわ たかこ、1942年 - )は、日本の英文学… 丹羽 隆子(にわ たかこ、1942年 - )は、日本の英文学者、東京海洋大学名誉教授。 名古屋市生まれ。中央大学修士課程修了。1971年、東京外国語大学修士課程修了。東京商船大学助教授、教授、東京海洋大学教授、2006年、定年退任、名誉教授。専門は英文学、ギリシア古典文学。
木村 政昭(きむら まさあき、1940年11月6日 - )は… 木村 政昭(きむら まさあき、1940年11月6日 - )は、日本の海洋地質学者、地震学者。琉球大学名誉教授。学位は、理学博士(東京大学)(1968年)。 地震予知と与那国島海底地形(海底遺跡)の研究で知られており、これらのテーマについて多数の一般向け科学書を著すとともに、テレビへの出演等も積極的に行っている。 地震予知については、1986年の伊豆大島三原山の噴火、1991年の雲仙普賢岳の噴火、1995年の兵庫県南部地震、2000年の三宅島の噴火、2004年の新潟県中越地震等を独自の「時空ダイアグラム」理論で予測したとしている。 また、古代史にも興味をもち、「邪馬台国沖縄説」を唱えている。ただし歴史学界からの支持を得るには至っていない。
柳生 博(やぎゅう ひろし、1937年〈昭和12年〉1月7日… 柳生 博(やぎゅう ひろし、1937年〈昭和12年〉1月7日 - 2022年〈令和4年〉4月16日)は、日本の俳優、司会者、タレント、声優、団体役員。 茨城県稲敷郡舟島村(現在の阿見町)出身。茨城県立土浦第一高等学校卒業。東京商船大学(現在の東京海洋大学)中退。竹内事務所に所属していた。 作庭家(庭師)としても活動し、第5代日本野鳥の会会長・名誉会長を務め、コウノトリファンクラブ会長も務めた。身長175cm。血液型O型。 柳生新陰流で知られる柳生宗厳(柳生氏)の末裔にあたる家系に誕生。 船員を目指し大学に入学したが、視力が悪く断念。その後体調を崩し中退。 その後、役者を志し、劇団俳優座の養成所へ入所。
飯島 幸人(いいじま ゆきと、1932年 - )は、日本の船… 飯島 幸人(いいじま ゆきと、1932年 - )は、日本の船舶工学者。東京商船大学、鳥羽商船高等専門学校名誉教授、中国大連海事大学名誉教授。 1955年9月、東京商船大学航海科卒業。東京商船大助教授、1974年、教授。1976年、「海上交通管制の研究」で東京大学工学博士。1995年定年退官、名誉教授、鳥羽商船高等専門学校校長、2000年定年退官、名誉教授。日本航海学会会長を務めた。
渥美 清(あつみ きよし、1928年〈昭和3年〉3月10日 … 渥美 清(あつみ きよし、1928年〈昭和3年〉3月10日 - 1996年〈平成8年〉8月4日)は、日本のコメディアン、俳優、歌手。本名:田所 康雄(たどころ やすお)。 代表作『男はつらいよ』シリーズで、柴又育ちのテキ屋で風来坊の主人公「車 寅次郎」を演じ、「寅さん」として広く国民的人気を博した昭和の名優。 没後に国民栄誉賞を受賞している。 1928年3月10日、東京府東京市下谷区(現:台東区下谷)で、地方新聞の記者をしていた父・友次郎と、元小学校教諭で内職の封筒貼りをする母・タツとの間に次男として生まれる。兄・健一郎がいる。 1934年11月、板橋尋常小学校に入学。1936年、一家で板橋区志村清水町に転居し、志村第一尋常小学校へ転入。
深川 清司(ふかがわ きよし、1926年11月27日 - )… 深川 清司(ふかがわ きよし、1926年11月27日 - )は、日本の経営者。東洋水産会長を務めた。 三重県出身。1948年に農林水産講習所(現・東京海洋大学)を卒業し、とある食品メーカーで魚肉ソーセージ等の製造を手掛けていたが、その品質の高さを評価した東洋水産のある役員にスカウトされ、1958年に東洋水産に入社。 1972年5月に取締役に就任し、同社研究部長として製品開発の指揮を執る。当時はフリルフラマイド(AF2)の使用禁止問題などに翻弄されつつも、1975年に発売した『マルちゃんのカップうどんきつね』(後のマルちゃん赤いきつねと緑のたぬき)がヒットするなど、東洋水産を即席麺のトップメーカーの一角を占めるまでに成長させた。
鏑木 創(かぶらぎ はじめ、1926年〈大正15年〉2月27… 鏑木 創(かぶらぎ はじめ、1926年〈大正15年〉2月27日 - 2014年〈平成26年〉9月4日)は日本の作曲家、編曲家。日活ロマンポルノ作品では「月見里太一」名義を用いた。 神奈川県生まれ。1945年(昭和20年)東京高等商船学校航海科卒業。1952年(昭和27年)東京音楽学校本科作曲部卒業。作曲を池内友次郎、木下忠司に師事する。 1950年代から1990年代にかけて、アクション、スリラー、喜劇、ポルノといった大衆的な娯楽映画や2時間ドラマのサスペンス物などに音楽を数多く提供。耳に馴染みやすい明快なメロディを特徴とする作風で、多くの観客に親しまれた。石井輝男、井上梅次、加藤泰といった娯楽映画の職人監督への楽曲提供が特に有名である。
田中 茂(たなか しげる、1925年(大正14年)12月26… 田中 茂(たなか しげる、1925年(大正14年)12月26日 - 2012年(平成24年)7月13日)は、昭和から平成時代の政治家。医師。埼玉県和光市長(第6代〜第8代)。 福岡県出身。旧制豊山中学校、清水高等商船学校(現東京海洋大学)を経て、1950年(昭和25年)慶應義塾大学医学専門部卒業。1951年(昭和26年)和光市にて開業する。1960年(昭和35年)慶應義塾大学生理学教室にて博士号を受ける。1962年(昭和37年)から1976年(昭和51年)まで朝霞地区医師会会長。ほか、埼玉県医師会役員、日本医師会代議員、日本・ラテンアメリカ医学協会役員などを歴任した。 1989年(平成元年)和光市長に当選し、同年5月から2001年(平成13年)5月まで3期務めた。
星野 哲郎(ほしの てつろう、本名:有近 哲郎(ありちか て… 星野 哲郎(ほしの てつろう、本名:有近 哲郎(ありちか てつろう)、1925年9月30日 - 2010年11月15日)は、日本の作詞家であり、戦後歌謡界を代表する作詞家の一人。各所で「星野哲朗」という表記がされることがあるが、「哲郎」が正しい表記。「有田めぐむ」「阿里あさみ」など、数多くのペンネームが存在する。また『銀河鉄道999』の主人公である星野鉄郎と同音異字の同姓同名であることがよく知られているが、この関係から『銀河鉄道999』ファンの中にも漢字表記を混同している者が多く、星野の名前である『哲郎』あるいは『哲朗』と誤認識・誤表記するファンが絶えない。 山口県大島郡森野村(後に東和町→現・周防大島町)出身で、東京都小金井市に在住していた。
竹村嘉夫(たけむら よしお、1925年4月29日 - )は、… 竹村嘉夫(たけむら よしお、1925年4月29日 - )は、日本の写真家。 東京出身。1943年3月、旧制豊山中学を卒業。その後、水産講習所(現東京海洋大学)に入学・卒業。農林省水産試験所に勤務するかたわら、1978年佐々木崑らと自然科学写真協会(のち、日本自然科学写真協会となる)を創立して理事長となる。1982年退官し、1983年自然科学写真センターを設立。
山本 平弥(やまもと へいや、1922年(大正11年)- 2… 山本 平弥(やまもと へいや、1922年(大正11年)- 2012年(平成24年))は、日本の学者、海上保安官、海軍軍人(予備将校)である。最終階級は海軍大尉。工学博士。 新潟県長岡市において生まれる。1943年(昭和18年)東京高等商船学校機関科(現・東京海洋大学)卒業。 大阪商船に入社するも、海軍に応召。重巡洋艦「足柄」、防空駆逐艦「秋月」に乗り組み、機関科分隊士として軍務につく。1944年に乗艦「秋月」が沈没し、九死に一生を得る。その後、横須賀海軍砲術学校教官に転任し、海軍予備生徒の教育に従事。終戦時は海軍大尉。 戦後は、大阪商船に復帰するが、間もなく海上保安庁に入庁し、巡視船機関長等を歴任し、海上保安大学校教授(現・名誉教授)、第七管区海上保安部長、海上保安学校長を歴任。
川崎 真治(かわさき しんじ、1921年10月25日 - 2… 川崎 真治(かわさき しんじ、1921年10月25日 - 2007年10月9日)は、日本の言語学者、考古学者。大学や公の研究機関には所属していない在野の研究者。 世界各国の古代言語や古代文字(ペトログリフ)と日本語との関係を、極めて大胆な発想で結びつける説を多数提唱している。古くから著作が多く知名度は抜群に高いが、提唱された説が学会で発表されたり、他の考古学者等から支持を得たりすることは少ない。 1921年10月25日、東京、品川に生まれる。「川崎真治」は筆名であり、本名は川﨑治夫。 1944年、東京高等商船学校(現・東京海洋大学海洋工学部)航海科卒業。戦時中は三等航海士として海上勤務した。戦後、龍口直太郎のもとで語学雑誌の編集にたずさわり、その後、『譚海』編集長となる。
天辰 祐之郎(あまたつ ゆうしろう、1920年11月29日 … 天辰 祐之郎(あまたつ ゆうしろう、1920年11月29日 - 1996年11月8日)は、日本の経営者。現在の鹿児島県薩摩川内市出身。 1944年に水産講習所を卒業し、1945年11月に西大洋漁業統制(のちの大洋漁業)に入社。1972年3月に取締役に就任し、1973年10月に常務、1978年4月に専務、1981年4月に副社長、1986年4月に会長を経て、1987年2月に社長に就任。1989年6月に会長を経て、1990年6月から相談役を務めた。 1994年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 1996年11月8日肝硬変のために死去。75歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
安部 徹(あべ とおる、1917年3月28日 - 1993年… 安部 徹(あべ とおる、1917年3月28日 - 1993年7月18日)は、日本の俳優。本名:阿部 徹(読み同じ)。旧芸名:原 不二雄(はら ふじお)。 日活アクション映画や東映仁侠・ヤクザ映画など数多くの作品で悪役を演じ、戦後日本映画史に残る悪玉役者として知られる。戦前に新興キネマでデビューしており、若手時代は二枚目俳優として活躍した。妻は女優・声優の北原文枝だが入籍はしていない。 1917年(大正6年)3月28日、福岡県宗像郡東郷町(現在の宗像市)に、教師で糟屋郡志免町の青年学校長を務めていた父・大作と母・千代の4人兄弟の四男として生まれる。3人の兄はいずれも戦死している。 上京して府立四中(現在の都立戸山高校)を修了後、東京商科大学予科に進むが、酔っ払って西武線を止めて退学処分となる。
森 和夫(もり かずお、1916年(大正5年)4月1日 - … 森 和夫(もり かずお、1916年(大正5年)4月1日 - 2011年(平成23年)7月14日)は、日本の実業家。東洋水産創業者。静岡県賀茂郡田子村(現在の西伊豆町)出身。静岡県立豆陽中学校(旧制)(後の静岡県立下田高等学校)、水産講習所(現在の東京海洋大学)卒業。 実家は元々漁業を営んでいたが、父の代で冷蔵製氷業に転じ、1919年(大正8年)に田子製氷株式会社(2007年(平成19年)に東洋水産に吸収合併される)を設立し、田子村で冷蔵庫を運営していた。 和夫は水産講習所卒業後水産会社に就職するが、間もなく徴兵され、旅順の陸軍予備士官学校を経て1939年(昭和14年)のノモンハン事件に従軍。所属していた部隊がほとんど全滅に近い被害を受ける中、かろうじて生き残り帰国する。
小副川 十郎(おそえがわ じゅうろう、1915年2月15日 … 小副川 十郎(おそえがわ じゅうろう、1915年2月15日 - 1996年6月15日)は、日本の経営者。日本水産社長、会長を務めた。佐賀県出身。 1940年に農林水産講習所を卒業し、同年に日本水産に入社。 1964年に取締役に就任し、1969年5月に常務、1971年5月に専務を経て、1973年5月に副社長に就任し、1975年12月には社長に昇格。1980年6月に取締役相談役に就任し、1982年6月には相談役に就任。 1979年4月に藍綬褒章を受章。 1996年6月15日心不全のために死去。81歳没。
天野 慶之(あまの けいし、1914年4月1日 - 2002… 天野 慶之(あまの けいし、1914年4月1日 - 2002年10月31日)は、日本の水産学者。東京都町田市出身。 水産講習所(現東京海洋大学)卒。1975年より東京水産大学教授。1977年から1979年まで日本冷凍協会会長。1979年から1985年まで東京水産大学学長。 1953年に発表した『主婦の食品手帖 五色の毒』は、日本で初めて食品添加物の有害性を警告したとされている。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
茂在 寅男(もざい とらお、1914年2月10日 - 201… 茂在 寅男(もざい とらお、1914年2月10日 - 2013年5月31日)は、日本の工学博士(航海計器学)、作家、水中考古学(海洋考古学)研究者。 茨城県筑波郡筑波町大字北条(現・つくば市北条)出身、千葉県市川市に在住していた。勲三等旭日中綬章、東京商船大学(現・東京海洋大学)名誉教授、英国王立航海研究所名誉会員、日本水中考古学会副会長。ペンネームは、油棚憲一(あぶらだな けんいち)、茂在公望(もざい こうぼう)、鬼怒川公望(きぬがわ こうぼう)、他。 日本で初めてヨットを製作する。土浦中学校(現・茨城県立土浦第一高等学校)、東京高等商船学校(現・東京海洋大学)航海科卒業後、日本郵船を経て、鳥羽商船学校、東京高等商船学校(東京商船大学を含む)、横浜国立大学、東京大学、東海大学で教鞭をとりながら、先端研究分野である船舶のオートパイロットを視野にいれた航海計器の近代航海術の技術開発研究を行う。
李 龍雲(イ・ヨンウン、이용운、1914年 - 1987年1… 李 龍雲(イ・ヨンウン、이용운、1914年 - 1987年10月19日)は大日本帝国海軍及び大韓民国海軍の軍人。最終階級はそれぞれ海軍少佐、海軍中将。第4代海軍参謀総長を務めた。日本名は山本龍雲。 陸軍少将の李龍文は弟。第15代国会議員の李健介(朝鮮語版)は甥。 平壌生まれ。大韓帝国武官出身の父が病死すると生計のため靴屋を運営し、日本行きの船に乗った。1932年11月、東京高等商船学校航海科入学。1938年5月、東京高等商船学校卒業。商船学校を卒業すると、弟の龍文も日本に呼んだとされる。同年6月4日、海軍予備少尉。海軍砲術学校修了。連合艦隊所属戦艦航海士、掃海艇航海長、駆潜艇艇長、三江丸艦長などを務め、少佐まで昇進した。
松井 魁(まつい いさお、1910年12月30日 - 198… 松井 魁(まつい いさお、1910年12月30日 - 1987年8月19日)は、日本の魚類学者。 山口県新南陽市(現・周南市)生まれ。1934年水産講習所(現・東京海洋大学)増殖学科卒。水産講習所助教授、1946年第二水産講習所教授、1952年「日本産鰻の形態及び生態に関する研究」で京都大学理学博士、下関水産科学賞受賞、水産学会賞、1953年小野臨湖実験場長、1954年日本農学会賞受賞、1971年水産大学校長、1975年下関水族館顧問。1976年宇部短期大学学長。1983年勲三等旭日中綬章受勲、主として鰻を研究し、随筆も書いた。
崔 瑞日(チェ・ソイル、朝鮮語: 최서일、1906年9月27… 崔 瑞日(チェ・ソイル、朝鮮語: 최서일、1906年9月27日 - 1970年7月24日)は、日本統治時代の朝鮮の教員および大韓民国の実業家、政治家。第5代海務庁長、第6代韓国国会議員。 全羅南道莞島郡出身。日本農林省水産講習所(現・東京海洋大学)卒。水産業界の専門家として麗水水産学校の教諭を6年間務めた。光復後は朝鮮水産開発株式会社社長、商工部水産局長、第5代海務庁長(1960年10月22日〜1961年5月21日)を歴任した。5・16軍事クーデター以降は政界に入り、民主共和党所属の第6代国会議員、民主共和党全羅南道第13地区党委員長、国会農林委員会委員を務めた。 1970年7月24日、持病によりソウル市城東区の自宅で死去。
丸山 薫(まるやま かおる、1899年〈明治32年〉6月8日… 丸山 薫(まるやま かおる、1899年〈明治32年〉6月8日 - 1974年〈昭和49年〉10月21日)は、日本の詩人。男性。海軍軍人の松田千秋は義弟(妹こまの夫)にあたる。 官吏をしていた父の任地大分県大分市で生まれる。1歳で長崎市へ移り、以後東京、京城、松江などを転々としたが、父が亡くなったあと、小学6年の秋に母方の祖父を頼って家族4人で愛知県豊橋市に移り住んだ。身内はそこで旅館業をしていたという。豊橋市立八町小学校を卒業し、愛知県立第四中学校(現・愛知県立時習館高等学校)を卒業。海洋への憧れから、周囲の反対を押し切って東京高等商船学校(現・東京海洋大学)を志し、2度目の受験にして合格するが、まもなく脚気のため退学する。
廿日出 要之進(はつかで ようのしん、1898年11月30日… 廿日出 要之進(はつかで ようのしん、1898年11月30日 - 1973年9月26日)は、広島県出身の実業家。アヲハタ創業者。 広島県豊田郡大長村(現在の呉市豊町)生まれ。大長村は広島ミカン発祥の地で廿日出の実家も果物農家を営んでいた。旧制忠海中学校(現広島県立忠海高等学校)~農林省水産講習所(現・東京海洋大学)卒業(1923年)。同講習所の先輩で中島董一郎が創業した中島董商店に入社。大長村の同郷で、ミカン缶詰のアルカリ剥皮法で名を残す加島正人に協力して郷里でみかんの缶詰作りに取り組む。ところが加島が中島董商店を通さず、直接英国と取り引きを始めたことから、中島の全額出資を得て1932年、みかんの缶詰加工とオレンジママレードなどジャム類の製造を目的として広島県竹原市忠海に「旗道園株式会社」を創業した。
三田 一也(みた かずや、1898年10月13日(明治31年… 三田 一也(みた かずや、1898年10月13日(明治31年)- 1998年6月3日(平成10年))は日本の元船員、元海軍軍人(予備将校)、元海上保安官。最終階級は、海軍では海軍中佐。海上保安庁では警備救難監(海上保安官の最高位)、海上保安庁次長。日本海事検定協会会長、日本海洋会副会長を歴任。又、戦後、海上自衛隊復活を討議した「Y委員会」の主要メンバー。一貫して再軍備には反対の立場を取った。埼玉県羽生市出身。埼玉県立不動岡中学校(後の埼玉県立不動岡高等学校卒業)。 1922年(大正11年)に東京高等商船学校航海科74期生(後の東京商船大学、現東京海洋大学)を首席で卒業し、御前講義した卒業論文は、東京海洋大学の越中島会館の中に保存されている。
田口 長治郎(たぐち ちょうじろう、1893年6月10日 -… 田口 長治郎(たぐち ちょうじろう、1893年6月10日 - 1979年5月4日)は、日本の政治家。参議院議員(1期)。衆議院議員(7期)。 長崎県島原市に生まれる。長崎県立島原中学校を経て、農林省水産講習所(後に東京水産大学を経て現東京海洋大学)本科卒業。長崎県、山形、滋賀、茨城各県の水産試験場勤務。1937年農林省水産局に入る。1941年、華中水産株式会社に転職し、取締役副社長となる。戦後は長崎で共和水産株式会社を設立して社長になる。また、日本遠洋底引網漁業協会理事長、長崎県水産振興対策本部副本部長、県漁港協会会長に就任した。 1949年の第24回衆議院議員総選挙長崎1区に民主自由党から出馬し、初当選。
江熊 哲翁(えぐま / えくま てつお、1893年(明治26… 江熊 哲翁(えぐま / えくま てつお、1893年(明治26年)4月25日 – 1974年(昭和49年)5月20日)は、大正から昭和期の水産技術者、政治家。参議院議員。 大分県宇佐郡、現在の宇佐市で生まれる。1916年(大正5年)農商務省水産講習所(現東京海洋大学)本科養殖科を卒業した。 1918年(大正7年)大分県水産技手に就任。以後、水産試験場技手、台湾総督府技手、滋賀県技手、地方農林技師・佐賀県水産課長兼水産試験場長・水産製品検査所長、愛媛県水産課長、山口県水産課長、下関漁港事務所長事務取扱などを歴任した。その後、山口県健民対策審議会専門委員、同水産業会長、同漁業組合連合会長、山口漁村振興協議会長、福石商会会長、天山商事社長などを務め、山口県の水産業界の振興に尽力した。
鈴木 九平(すずき きゅうへい、1893年 <明治26年> … 鈴木 九平(すずき きゅうへい、1893年 <明治26年> 1月11日 - 1980年 <昭和55年> 8月21日)は、日本の経営者。位階は正四位。 静岡県磐田市出身。1918年に東京高等商船学校を卒業。日本郵船での勤務を経て、1935年に日本捕鯨(のちの日本水産)に入社し、1950年には社長に就任。1951年には会長も兼務し、1963年には相談役に退いた。 1960年5月に藍綬褒章と紺綬褒章を受章し、1972年4月に勲二等旭日重光章を受章。 1980年8月21日急性心不全のために死去。87歳没。死没日付をもって正四位に叙された。
秋山 俊一郎(あきやま しゅんいちろう、1892年〈明治25… 秋山 俊一郎(あきやま しゅんいちろう、1892年〈明治25年〉10月22日 - 1972年〈昭和47年〉12月3日)は、大正から昭和期の水産技術者、実業家、政治家。参議院議員。 高知県長岡郡東豊永村(大豊村を経て現大豊町怒田)で、秋山紋弥、春女の長男として生まれる。1912年(明治45年)高知県立第一中学校(現高知県立高知追手前高等学校)を卒業。1915年(大正4年)農商務省水産講習所(現東京海洋大学)漁撈科を卒業。 台湾宜蘭庁技手に任官し、1916年(大正5年)台湾総督府に転任。1920年(大正9年)長崎県に転じた。1928年(昭和3年)高知県水産課長に就任。その後、佐賀県水産課長を経て、長崎県水産試験場長となった。
田代 正治(たしろ しょうじ、1892年(明治25年)9月1… 田代 正治(たしろ しょうじ、1892年(明治25年)9月11日 - 1983年(昭和58年)11月11日)は、日本の実業家、漁業家、政治家。衆議院議員。 新潟県中蒲原郡村松町(現五泉市)で素封家・田代兼次の三男として生まれる。新潟県立新潟中学校を経て、1915年、農林省水産講習所(現東京海洋大学)漁撈科を卒業した。 その後、佐渡島で漁業に従事。1916年、青森県技手に就任。1919年、日魯漁業の平塚常次郎に見いだされ同社に入社。函館製網船具 (株) に転じて新川工場長に就任し漁網の改良に従事。1931年に独立して漁網漁具製造販売業を営んだ。また、函館産業社長、函館青果卸売市場社長、北海道方面委員、函館地方裁判所調停委員、函館調停協会理事などを務めた。
高田 正夫(たかだ まさお、1892年 - 1982年6月2… 高田 正夫(たかだ まさお、1892年 - 1982年6月20日)は、静岡県出身の船乗り、船長。 1917年に東京高等商船学校(現:東京海洋大学海洋工学部)を卒業して、日本郵船に入社。主に遠洋航海の船舶の船乗りとして従事した。その後、浅間丸の船長を経て、1940年に大日本帝国海軍の命令により長良丸の船長として赴任。レーダーの受け取りのためにイタリアへ航海したが、連合国軍側の爆撃を受けた。 1941年には大日本帝国陸軍の命令により輸送船の船長としてフィリピンや香港への上陸作戦に従軍した。 1953年から日本船長協会の会長に就任。また、洞爺丸事故(1954年9月)による海難審判における特別弁護人を務めた。