スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
佐治 瑠璃(さじ るり、1994年1月30日- )は、新潟県… 佐治 瑠璃(さじ るり、1994年1月30日- )は、新潟県出身の神職。ミス・グランド・ジャパン2020として知られる。 1994年1月30日、新潟県上越市に生まれる。母の実家は神社で、週の半分はそこで暮らす。残りの半分は父の実家で暮らす。バレエ、水泳、スキー、生け花、ゴルフ、テニス、社交ダンス、ピアノなどの習い事を学ぶ。また、月に2回は父の趣味であるセーリングをするために海に出かけていた。 2009年4月1日、新潟県立高田高等学校入学。2012年4月1日、日本大学法学部経営法学科入学。1年生在学中の2012年、法学部のキャンパスクイーンに相当する「ミスフェニックスコンテスト2012」に出場。2012年、ケンブリッジ大学に留学、アートを学ぶ。
水谷 悠莉(みずたに ゆうり、1990年7月7日 - )は、… 水谷 悠莉(みずたに ゆうり、1990年7月7日 - )は、フリーアナウンサー。元NST新潟総合テレビアナウンサー。キャスタークリエイト・ジャパン所属。 新潟県上越市出身。新潟県立高田高等学校、早稲田大学文学部卒業。高校在学時には陸上部に所属していた。大学在学時には、学内で行われるファッションショー「早稲田コレクション」のモデルを務めていた。 大学を卒業後、2013年4月に新潟総合テレビ(当時)に入社。 『八千代ライブ』の企画の一環として、酒井瞳・ぱいぱいでか美とともにアイドルユニット『ツナギッコ』としても活動を行っている。 2020年3月27日に放送された『八千代ライブ』内にて2020年3月31日を以ってNSTを退社し、フリーに転身することを発表した。
齊藤 ジョニー(さいとう ジョニー、1987年10月27日 … 齊藤 ジョニー(さいとう ジョニー、1987年10月27日 - )は、日本のシンガーソングライター。Goose houseのメンバー。新潟県上越市西本町出身。血液型はO型。 1987年10月27日、新潟県上越市に生まれる。 2002年に父親の影響でギターを始める。「テストで10番以内に入ったらギターを買ってもらう」と親と約束し、その次の期末テストで10位になり、最初のエレクトリック・ギターを手に入れる。 2006年、仙台にある東北大学に入学し、ブルーグラス同好会に参加。また軽音楽部に入部し、ライブ活動を開始。 2009年、箱根サンセットクリークブルーグラスフェスティバルに出演し、ブルーグラス人気バンド投票1位に選ばれる。
ながさき 一生(ながさき いっき、1984年 - )は日本の… ながさき 一生(ながさき いっき、1984年 - )は日本のタレント、魚の専門家である。 東京海洋大学講師、株式会社さかなプロダクション代表、一般社団法人さかなの会理事長代表、おさかなコーディネータ。「魚と食のコンテンツで、世界をちょっと楽しくしてます。」をテーマに活動しており、2006年からは、ゆるい魚好きのコミュニティ「さかなの会」を主宰し、魚と食に関するイベントを開催。参加者は延べ1000人を超える。新潟県糸魚川市出身。 1984年、新潟県糸魚川市にある「筒石」という漁村にて誕生。 2003年、新潟県立高田高等学校を卒業。 2006年、「さかなの会」立ち上げ。 2007年、東京海洋大学を卒業。
小西 翔(こにし しょう、1983年3月11日 - )は、京… 小西 翔(こにし しょう、1983年3月11日 - )は、京都府出身のプロ野球選手(外野手)。 1983年3月11日、京都府で生まれる。その後両親の仕事の都合から新潟県上越市に転居した。 野球を始めたのは小学1年生の頃。地元の少年野球チーム「福田リトルイーグルス」へ入ったのが原点。当時から中学までポジションは捕手だった。また上越教育大学附属中学校3年時には主将を務め、4番を打った。 中学卒業後、新潟県立高田高等学校に進学。3年時は4番で一塁手。夏の大会では県ベスト16。俳優の佐藤佑介は高校時代のチームメイトでもある。 卒業後、指定校推薦で慶應義塾大学に進学した。3年時からベンチ入り。4年時には主に代打で、相手チームの先発が左投手の場合には3番左翼手で先発出場。
金山 泉(かなやま いずみ、1982年6月5日 - )は、毎… 金山 泉(かなやま いずみ、1982年6月5日 - )は、毎日放送(MBS)のアナウンサー。 2006年4月1日から2009年1月31日までは、中京テレビのアナウンサーであった。2009年2月1日付で毎日放送へ移籍してから、スポーツ中継の実況を本格的に担当。JNN・JRN加盟局の優秀なアナウンサーを表彰するアノンシスト賞では、2016年度・2019年度に「テレビ・スポーツ実況部門」で優秀賞、2021年度に「ラジオ・スポーツ実況部門」で優秀賞を受賞している。 新潟県上越市の出身で、身長177cm。実家は、1492年に建立された浄土真宗・大谷派の由緒ある寺・照金山泉光寺(しょうきんざん せんこうじ)。
星野 圭介(ほしの けいすけ、1976年5月21日 - )は… 星野 圭介(ほしの けいすけ、1976年5月21日 - )は、NHKのアナウンサー。 新潟県上越市出身。新潟県立高田高等学校を経て、東京工業大学理学部を卒業後、2000年(平成12年)4月に入局。 趣味はジャグリング。 好きな食べ物はラーメン、信州そばなどの麺類。
藤田 憲彦 (ふじた のりひこ、1973年6月5日 - )は… 藤田 憲彦 (ふじた のりひこ、1973年6月5日 - )は、日本の政治家。民主党所属の元衆議院議員(1期)。 上越市出身。新潟県立高田高等学校を卒業後、1浪した後東京大学に進学。法学部卒業後はソニーに入社し、ソニーとエリクソンによる合弁会社設立(現ソニー・エリクソンモバイルコミュニケーションズ)の法務実務担当を務める。その後、ビットワレット株式会社に出向し、電子マネー「Edy」の立ち上げに参画。世界初となったおサイフケータイへの電子マネー搭載ビジネス担当責任者として事業の推進を行い、電子マネーに関するビジネスモデル特許を筆頭発明人として6本取得(特許第3853315他)。 2005年9月の衆議院選挙のボランティアをした事がきっかけで政治に興味を抱く。
新保 真徳(しんぼ まさのり、1972年9月29日 - )は… 新保 真徳(しんぼ まさのり、1972年9月29日 - )は、新潟放送 (BSN) の元アナウンサー。血液型はO型。 新潟県中頸城郡大潟町(現上越市)出身。新潟県立高田高等学校を経て上智大学を卒業後、1995年BSNに入社。入社1年目から高校の先輩である惣前直子とコンビを組んで、ラジオ「リバーサイドウェーブ」のパーソナリティを務めた。その後、テレビ「ウィークエンドi」のMC(司会)などを経て、2005年春からテレビ「イブニング王国!」のMCとなった。 2014年9月まで「Nスタ新潟」などローカルニュース番組のメインキャスターを中心に活動していた。
田巻 直子(たまき なおこ、1970年8月30日 - )は、… 田巻 直子(たまき なおこ、1970年8月30日 - )は、新潟放送の社員。アナウンサー。 旧名 惣前 直子(そうまえ なおこ)。新潟県妙高市(旧新井市)出身。新潟県立高田高等学校を経て早稲田大学卒業後、1993年新潟放送に入社。ラジオ「リバーサイドウェーブ」などでパーソナリティを務めた。 1998年秋、大学の後輩のディレクターと結婚し改姓。2009年4月からラジオ「田巻直子のまんまる金曜日」のパーソナリティを務めた後、近藤丈靖の独占!ごきげんアワーの木曜日などを担当し、夕方の番組であるゆうWAVEの木・金曜日を担当。2019年9月末を以てアナウンス部を離れ、同社のCSR推進部長を務めていたが、2024年4月より石塚かおりの後任として、アナウンス部長に就任。
菊野 麻子(きくの あさこ、1969年8月21日 - )は、… 菊野 麻子(きくの あさこ、1969年8月21日 - )は、日本のフリーアナウンサー、新潟県人事委員会委員。元新潟総合テレビアナウンサー。
伊藤 麻子(いとう あさこ、1969年2月15日 - )は、… 伊藤 麻子(いとう あさこ、1969年2月15日 - )は、元新潟放送のアナウンサー。 新潟県妙高市(旧新井市域)出身。明治大学文学部文学科(日本文学専攻)を卒業後、1993年に新潟放送に入社した。 既婚者で、アナウンサーの仕事を家事や育児と両立させながら続けていた。
小日向 謙一(おびなた けんいち、1968年1月17日 - … 小日向 謙一(おびなた けんいち、1968年1月17日 - )は、ボート競技(現ローイング競技)アトランタオリンピック代表、歯科医師。 東京都生まれ。新潟県立高田高等学校を経て1986年新潟大学歯学部入学とともにボートを始める。1992年(当時、大学院生)に全日本選手権、全日本大学選手権、全日本軽量級選手権の史上初3冠達成。全日本選手権では続く1993年、1994年と3連覇。1993年、ユニバーシアード軽量級シングルスカル4位。1994年、杉藤洋志と組んだ世界選手権軽量級ダブルスカル11位、アジア大会軽量級ダブルスカルでは中国を破り、3大会ぶり唯一の金メダルを獲得する。1996年、長谷等(日本大学卒、中部電力)と組んだアトランタオリンピック男子軽量級ダブルスカル15位。
風間 直樹(かざま なおき、1966年10月22日 - )は… 風間 直樹(かざま なおき、1966年10月22日 - )は、日本の政治家。 参議院議員(2期)、外務大臣政務官(野田第3次改造内閣)、参議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長、新潟県議会議員(1期)などを務めた。 新潟県新井市(現・妙高市)生まれ。新井市立新井小学校(現・妙高市立新井小学校)、上越教育大学附属中学校、新潟県立高田高等学校卒業。1990年、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。同年4月、三井物産株式会社に入社。大前研一事務所にも勤める。1992年、平成維新の会事務局次長に就任(事務局での同僚に長妻昭がいた)。 1999年4月、新潟県議会議員選挙に上越市選挙区から自由民主党公認で出馬し、初当選した。
坂詰 真二(さかづめ しんじ、1966年10月15日 - )… 坂詰 真二(さかづめ しんじ、1966年10月15日 - )は、新潟県上越市出身、神奈川県横浜市在住のスポーツトレーナー、文筆家、タレント、エクササイズモデル。スポーツ&サイエンス代表者。 1966年、新潟県上越市に生まれる。上越市立南本町小学校、上越市立城西中学校、新潟県立高田高等学校普通科を卒業後、1985年に横浜市立大学文理学部に入学。大学では運動生理学を学び、特に筋肉疲労とリカバリーに関する研究に取り組んだ。学部の枠を越えて野坂和則教授(後に神戸大学教授、筋生理学・運動生理学の専門家)に師事し、スポーツ科学の知見を深めた。 4年次に1年間休学し、前半は倉田アクションクラブ(現倉田プロモーション)在籍、後半はオーストラリア留学。
小柳 美奈子(こやなぎ みなこ、本名:須川 美奈子、1965… 小柳 美奈子(こやなぎ みなこ、本名:須川 美奈子、1965年 - )は、日本のピアニスト。新潟県上越市出身。新潟県立高田高等学校を経て、東京芸術大学音楽学部器楽科卒業。ピアノを安川加壽子、梅谷進、秦はるひに師事。 伴奏で有名だが、ソリストとしても吉松隆作曲のピアノ曲集「夢の動物園」から第1集、第2集(この2集には磯田健一郎の楽曲も含まれる)を各1枚のCDでリリースしている。また、山口多嘉子(パーカッション)とのデュオ〈パ・ドゥ・シャ〉のメンバーでもあり、2005年にデビュー・アルバムをリリースしている。 山口と共に大の猫好きであり、ユニット名〈パ・ドゥ・シャ〉(意味は「猫の足跡」)はその事にちなんでつけられた。
柳 孝(やなぎ たかし、1964年5月29日 - )は、日本… 柳 孝(やなぎ たかし、1964年5月29日 - )は、日本の文部科学官僚。文部科学省大臣官房長、文部科学審議官等を経て、文部科学事務次官。 新潟県中頸城郡柿崎町(現上越市柿崎区)出身。新潟県立高田高等学校を経て、1987年立命館大学法学部卒業。国家公務員採用Ⅰ種試験(法律)を受け、科学技術庁入庁。原子力安全局原子力安全課配属。1992年4月原子力安全局原子力安全課総括係長。1993年4月長官官房総務課企画係長。その後は文部科学省大臣官房国際課国際協力政策室長、文部科学省科学技術・学術政策局科学技術・学術戦略官、文部科学省研究振興局研究環境・産業連携課長等を経て、2012年文部科学省研究開発局宇宙開発利用課長。
佐藤 秀哉(さとう ひでや、1963年5月21日 - )は、… 佐藤 秀哉(さとう ひでや、1963年5月21日 - )は、日本の実業家。株式会社テラスカイ創業者・代表取締役社長。 新潟県新井市(現・妙高市)生まれ。1982年新潟県立高田高等学校卒業。東京都の予備校での大学受験浪人生活を経て、1987年東京理科大学理工学部情報科学科卒業、日本アイ・ビー・エム入社。2000年セールス・オフィサー賞受賞。 母親が複数の手芸店を運営する経営者だった影響で起業を考えていたところ、日本アイ・ビー・エムの先輩から誘いを受け、経営の勉強のため2001年にセールスフォース・ドットコム(現・セールスフォース)日本法人に入社して設立に参画した。同社執行役営業統括本部長を経て、2005年ザ・ヘッド代表取締役社長に就任。
三遊亭 白鳥(さんゆうてい はくちょう、1963年5月21日… 三遊亭 白鳥(さんゆうてい はくちょう、1963年5月21日 - )は、落語協会所属の落語家。出囃子は『白鳥の湖』。主に新作落語を中心に活動している。 新潟県高田市(現:上越市)出身で、自転車店(後に模型店)の二男。兄は天理大学教授の藤田明良。三児の父。 新潟県立高田高等学校を経て日本大学藝術学部文芸学科卒業。 1987年7月、初代三遊亭圓丈に入門。前座名「にいがた」。 1990年3月に入船亭扇治、橘家文吾、三遊亭窓樹と共に二ツ目昇進。「新型」に改名するも、「しんがた」と誤読されたためほどなく「新潟」に再改名。1992年にニッポン放送主催「第7回お笑いゴールドラッシュ」優勝。 2001年9月 - 柳家禽太夫、入船亭扇治、橘家文左衛門(文吾改め)、三遊亭萬窓(窓樹改め)、林家きく姫、柳家三太楼、柳家一琴、古今亭駿菊、金原亭馬遊と共に真打昇進、「白鳥」に改名。
伊野 隆之(いの たかゆき、1961年8月24日 - )は、… 伊野 隆之(いの たかゆき、1961年8月24日 - )は、日本のSF作家。現在タイ王国在住。 新潟県上越市生まれ。新潟県立高田高等学校、東京理科大学理学部化学科卒業。2009年、『樹環惑星 ―ダイビング・オパリア―』(応募時タイトルは、「森の言葉 / 森への飛翔」)で第11回日本SF新人賞を受賞(山口優と同時受賞)。2010年11月、同作が徳間書店より刊行され作家デビューした。
髙鳥 修一(たかとり しゅういち、1960年〈昭和35年〉9… 髙鳥 修一(たかとり しゅういち、1960年〈昭和35年〉9月29日 - )は、日本の政治家、自由民主党所属の衆議院議員(6期)。 自由民主党政務調査会長代理、衆議院農林水産委員長、自由民主党筆頭副幹事長・総裁特別補佐、農林水産副大臣(第4次安倍第1次改造内閣)、内閣府副大臣(第3次安倍第1次改造内閣)、衆議院厚生労働委員長、厚生労働大臣政務官(第2次安倍内閣)、自由民主党厚生労働部会長等を歴任。 新潟県立高田高等学校、早稲田大学法学部卒業。国土計画、大沢商会で勤務した後、1993年に父、高鳥修衆議院議員の秘書となった[要出典]。 2003年11月の第43回衆議院議員総選挙において、政界引退を表明した父、高鳥修の後継候補として新潟6区から初出馬したが、自民党の公認を争った新潟県議会議員の風間直樹が無所属で立候補した事も影響し、共倒れとなり[要出典]、民主党の筒井信隆に敗れて落選。
三浦 展(みうら あつし、1958年9月25日 - )は、日… 三浦 展(みうら あつし、1958年9月25日 - )は、日本の社会デザイン研究者、マーケティング・アナリスト、消費社会研究家、評論家。マーケティングリサーチやマーケティングプランニング、コンサルティング等の受託業務等を行う株式会社カルチャースタディーズ研究所代表取締役。 新潟県糸魚川市生まれ。三和村(現上越市)出身。新潟大学教育学部附属高田小学校、同中学校、新潟県立高田高等学校を経て、1982年に一橋大学社会学部を卒業。佐藤毅ゼミ出身で、サブゼミとして岩崎允胤ゼミにも参加した。 卒業後はパルコに入社。同社のマーケティング雑誌アクロス編集室で勤務し、入社4年目の1986年に「アクロス」編集長に就任。
渡辺 満久(わたなべ みつひさ、1956年 - )は、日本の… 渡辺 満久(わたなべ みつひさ、1956年 - )は、日本の地理学者、東洋大学社会学部教授。専門は変動地形学、活断層研究。 新潟県生まれ。新潟県立高田高等学校卒業。1980年、東京大学理学部卒業。1989年、東京大学大学院理学系研究科地理学専攻博士課程修了、「東北日本の火山フロント沿いにおける、活断層・火山の相補的分布と低地帯の分化様式」により、東京大学より理学博士を取得。東京大学では米倉伸之の指導を受けた。 1991年に東洋大学文学部講師となり、1995年に助教授へ昇任、1999年に社会学部へ移籍し、2002年に教授。 活断層の働きによって形成される変動地形について、トレンチ調査やテフロクロノロジーの手法(火山灰の分析による年代の特定法)などを用いた野外調査の成果とコンピュータ上の数値実験を交えた研究を行なっている。
山﨑 夏生(山崎 夏生、やまざき なつお、1955年7月2日… 山﨑 夏生(山崎 夏生、やまざき なつお、1955年7月2日 - )は、日本の元プロ野球審判員。新潟県高田市(現:上越市)出身。 幼少期の頃から野球が大好きでプロ野球選手を目指していた。1974年に新潟県立高田高等学校卒業すると、1浪して北海道大学文学部国文科に進む。大学在学中は、北海道地区大学野球連盟加盟の硬式野球部で投手兼内野手を務める。この時点でもプロ野球選手を目指していたが、怪我の影響で4年次の1年間は活躍できず断念する。 1979年、北海道大学文学部国文学科卒業、日刊スポーツ新聞社に入社。希望した記者職ではないことに不満を持っていた頃、日本シリーズを見て審判という仕事を知り、採用を求めてパ・リーグ会長と面会したものの審判経験がないことなどから断られる。
山崎 夏生(やまざき なつお、1955年7月2日 - )は、… 山崎 夏生(やまざき なつお、1955年7月2日 - )は、新潟県上越市出身のプロ野球審判員。
萩尾 みどり(はぎお みどり、1954年〈昭和29年〉1月1… 萩尾 みどり(はぎお みどり、1954年〈昭和29年〉1月14日 - )は、日本の女優、声優、タレント。所属事務所はオフィスPSC。 福岡県八幡市(現・北九州市八幡西区)生まれ、新潟県直江津市(現・上越市)育ち。新潟県立高田高等学校卒業、千葉大学理学部生物学科中退。 福岡県生まれだが、1964年に新潟県へ転居。 1974年頃の千葉大学理学部・生物学科在学中にデビューし、女子大生美人コンテストで準優勝する。 1976年には『クイズダービー』で、初代4枠レギュラー解答者(女子大生枠)として出演するが、3か月(1976年1月~同年4月)ほどで降板。レギュラー時代の通算成績は45勝62敗、正答率は4割2分だった。
布施 広(ふせ ひろし、1953年 - )は、日本のジャーナ… 布施 広(ふせ ひろし、1953年 - )は、日本のジャーナリスト。毎日新聞記者。 新潟県東頸城郡大島村(現・上越市大島区)生まれ。1972年新潟県立高田高等学校卒業、1978年、京都大学文学部仏文科を卒業し、毎日新聞社に入社。1989年にカイロ特派員になり1991年の湾岸戦争など取材。1995年イスラエル・ヘブライ大学のトルーマン研究所に留学(客員研究員)、1998年からワシントン特派員、北米総局長として米同時多発テロなど取材。2002年に帰国し政治部編集委員。2004年10月に論説委員。論説副委員長などを経て2013年現在、論説室専門編集委員(Senior Editorial Writer)。
菅山 謙正(すがやま けんせい、1953年 - )は、日本の… 菅山 謙正(すがやま けんせい、1953年 - )は、日本の英語学者。元ジーニアス英和辞典編集関係者、元神戸市外国語大学・京都府立大学名誉教授。専門は語彙文法(word grammar)。 新潟県出身。新潟県立高田高等学校、神戸市外国語大学卒業、同大学院修了。山岸勝榮によると、菅山の同大学での指導教官は小西友七であった。 神戸市外国語大学大学院修了後は大阪市立大学大学院に学んだ。同大学院修了後に母校の神戸市外国語大学に戻り教員に就任、助教授、教授を歴任した。神戸市外国語大学退官後は京都府立大学文学部教授に就任。その後龍谷大学に特任教授として着任した。 英語学の中でも語文法や語彙意味論などを専門とし、イギリスの言語学者リチャード・ハドソンの理論を日本に紹介した他、ハドソンと共同で研究書も執筆している。
小菅 淳一(こすげ じゅんいち、1952年2月28日 - )… 小菅 淳一(こすげ じゅんいち、1952年2月28日 - )は、日本の外交官、政治家。2011年(平成23年)4月からヨルダン駐箚特命全権大使。2014年(平成26年)10月からハンガリー駐箚特命全権大使。上越市長(1期)。 新潟県上越市出身。新潟県立高田高等学校を経て、東京大学法学部在学中の1975年(昭和50年)11月に外務公務員採用上級試験に合格。1976年(昭和51年)東大を卒業して外務省に入省した。経済協力開発機構(OECD)東京センター所長などを経て、2004年(平成16年)フランクフルト総領事。アフガニスタン大使を経て、2008年(平成20年)4月、ミュンヘン総領事。 2011年(平成23年)4月からヨルダン駐箚特命全権大使。
川端 誠(かわばた まこと、1952年1月10日 - )は、… 川端 誠(かわばた まこと、1952年1月10日 - )は、日本の絵本作家。 新潟県高田市(現・上越市)出身。新潟県立高田高等学校、武蔵野美術短期大学商業デザイン科卒業。東京都杉並区在住。 1982年に『鳥の島』でデビュー。デビュー作は高く評価され、第5回絵本にっぽん賞を受賞。以降フリーの絵本作家として、お化けシリーズ、十二支シリーズ、風来坊シリーズ、幼児絵本シリーズ、あいさつの絵本シリーズ等を次々と発表。1994年から発表している古典落語をテーマにした『落語絵本シリーズ』は各方面で話題を呼びヒットした[要出典]。 その他、『お化けかるた』等のお化けをテーマにした作品を複数発表している。執筆活動のほか、原画展や講演会、絵本の開き読み(読み聞かせ)も各地で開催する。
桜井 洋子(さくらい ようこ、1951年8月9日 - )は、… 桜井 洋子(さくらい ようこ、1951年8月9日 - )は、NHKの元エグゼクティブアナウンサー(局長級)。現在は嘱託職。 新潟県上越市出身。新潟県立高田高等学校を経て、1975年に明治大学文学部を卒業後、NHKに入局。女性初の新潟県出身のNHK正職員アナウンサーであった。一貫して東京アナウンス室に勤務し、38歳で管理職(最初はチーフアナウンサー)となった。 1997年部長級チーフアナウンサー、2000年局次長級エグゼクティブアナウンサーとなる。 主に報道・教養番組を担当。2004年10月23日、法事のため郷里・直江津に母親と帰省中、新潟県中越地震に遭遇した。以来、新潟局・東京制作を問わず、地震関連の特別番組の司会を担当するようになっている。
丸山 繁雄(まるやま しげお、1951年6月22日 - )は… 丸山 繁雄(まるやま しげお、1951年6月22日 - )は、ジャズボーカリストである。 新潟県・高田市にて誕生。東京都在住。 新潟県立高田高等学校卒業後(22回生)、早稲田大学第一文学部に入学。在学中に早稲田大学モダンジャズ研究会に入会、ジャズボーカリストとしての演奏活動を始める。 第一線の音楽家として多方面にわたる音楽活動(後述)を行っている。またジャズならびにアフリカ系アメリカ人文化の研究者である。博士(芸術学)(日本大学、2011年)。さらに日本大学芸術学部音楽学科、自身主宰の「丸山繁雄ボーカルスクール」で後進の指導にあたっている。 妻(若見匠風僖)と次男(若見匠祐助)は家元として若見匠流日本舞踊を運営している。
内山 郁夫(うちやま いくお、1951年6月11日 - )は… 内山 郁夫(うちやま いくお、1951年6月11日 - )は、日本の技術者、実業家。日本ケミコン株式会社代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長だった。 新潟県上越市出身。新潟県立高田高等学校を経て、1975年宇都宮大学工学部工業化学科卒業。部活動では自動車部に所属した。1977年宇都宮大学大学院工学研究科工業化学専攻修士課程修了、日本ケミカルコンデンサー入社。1997年KDK新潟工場長。2001年日本ケミコン取締役。2002年日本ケミコン材料事業部本部長。2003年から日本ケミコン代表取締役社長を務め、研究開発への投資を進めるなどした。2019年日本ケミコン代表取締役会長。2021年6月、退任。
新井 誠(あらい まこと、1950年6月27日 - )は、日… 新井 誠(あらい まこと、1950年6月27日 - )は、日本の民法学者、筑波大学名誉教授、中央大学大学院研究開発機構 機構教授、弁護士。民法・信託法が専門で、民法に関連した成年後見制度を研究。 新潟県上越市生まれ。1969年新潟県立高田高等学校卒業、1973年慶應義塾大学法学部法律学科卒業、1980年同大学院博士課程満期退学、1979年ミュンヘン大学法学部博士課程修了、法学博士。1981年國學院大學法学部専任講師、1984年助教授、1991年教授、1992年大学院法学研究科教授、1995年千葉大学法学部教授、2001年筑波大学教授、2011年定年退官、名誉教授、中央大学法学部教授(-2021年3月)、同大学院法学研究科委員長(2015年11月 - 2019年10月)。
一木 剛太郎(いちき ごうたろう、1949年12月4日 - … 一木 剛太郎(いちき ごうたろう、1949年12月4日 - 2020年9月11日)は、日本の弁護士。森・濱田松本法律事務所パートナー、初代日本司法支援センター事務局長、法テラス東京所長、司法協会理事長等を歴任した。 新潟県立高田高等学校を経て、一橋大学法学部3年次に旧司法試験に合格。大学卒業後、最高裁判所司法研修所修了。ワシントン大学法科大学院修了、LL.M.。ワシントン大学リサーチフェローを経て、濱田松本法律事務所パートナー。1996年第二東京弁護士会副会長、2000年日本弁護士連合会事務次長。法律扶助の問題に関心を持ち、日本司法支援センター設立に参画。2006年には初代日本司法支援センター本部事務局長に就任。
春日 偉知郎(かすが いちろう、1949年3月9日 - )は… 春日 偉知郎(かすが いちろう、1949年3月9日 - )は、日本の法学者。専門は、民事訴訟法・国際民事手続法。学位は、法学博士(一橋大学・論文博士・1992年)(学位論文「民事証拠法の研究 - 証拠の収集・提出と証明責任 - 」)。筑波大学教授・慶應義塾大学教授・関西大学教授を経て、筑波大学/関西大学名誉教授。カンボジア王国友好勲章受章。弁護士。 ロルフ・シュトゥルナー(ドイツ・フライブルク大学教授)の学説をもとに、主張・立証責任を負わない当事者にも、事案解明義務として一定の場合に主張・立証責任を課すという理論を提唱した。竹下守夫(一橋大学名誉教授、元日本民事訴訟法学会理事長、日本学士院会員)は、この見解が最高裁平成4年10月29日第一小法廷判決・民集46巻7号1174頁により、最高裁に容れられたものとし、このような判例理解が有力説となっているが、松本博之(大阪市立大学教授)等、これとは異なる判例理解をする学者もいる。
石塚正英(いしづか まさひで、1949年 - )は、日本の倫… 石塚正英(いしづか まさひで、1949年 - )は、日本の倫理学者・歴史学者。博士(文学)(立正大学・論文博士・2001年)(学位論文「フェティシズムの思想圏」)。東京電機大学名誉教授。専門は文化史学・歴史知学。 新潟県高田市(現・上越市)生まれ。新潟県立高田高等学校卒業、1浪後、立正大学文学部へ。立正大学大学院文学研究科史学単位取得退学。1982年立正大学講師、1989年東京電機大学理工学部講師、2000年助教授、2001年教授。2020年3月退職。 2001年「フェティシズムの思想圏」で博士(文学)(立正大学)の学位を取得。2008年、NPO法人頸城野郷土資料室(新潟県知事認証)理事長。 ハイティーンの頃はユートピスト、20代はファナティシスト、30代はアソシアシオニスト、40代はフェティシスト、50代はヒストリオソフィスト、その後はふたたびユートピストをもって任じているらしい。
伊藤 茂昭(いとう しげあき、1948年11月4日 - )は… 伊藤 茂昭(いとう しげあき、1948年11月4日 - )は、日本の弁護士。シティユーワ法律事務所パートナー。東京弁護士会会長や、日本弁護士連合会副会長、関東弁護士会連合会理事長等を務めた。兄は厚生労働省医政局長や全国社会保険協会連合会理事長などを務めた厚生労働技官・医師の伊藤雅治。 新潟県西頚城郡木浦村(現・糸魚川市)生まれ。厚生労働省医政局長などを務めた伊藤雅治は兄。1967年新潟県立高田高等学校卒業、新潟大学医学部入学。6年間の在学を経て中退。大学闘争で公務執行妨害罪により起訴された経験から弁護士を志し、1973年中央大学法学部入学。1976年旧司法試験合格。1977年中央大学法学部卒業。
峯村 保雄(みねむら やすお、1948年11月 - )は、日… 峯村 保雄(みねむら やすお、1948年11月 - )は、日本の外交官。在カルガリー総領事を経てエルサルバドル駐箚特命全権大使。 新潟県新井市(現・妙高市)出身。新潟県立高田高等学校を経て、1972年(昭和47年)法政大学法学部を卒業し、外務省に入省した。1973年6月から英国アバディーン大学にて在外研修。外務本省では中南米局、国際連合局、北米局及び大臣官房に勤務、在外ではナイジェリア、米国(ニューヨーク、カンザスシティ)、サウディアラビア、オーストリア、パキスタン、シリア、インド、カナダ及びエルサルバドルに在勤。
矢口 彰(やぐち あきら、1948年または1949年 - 2… 矢口 彰(やぐち あきら、1948年または1949年 - 2022年 <令和4年> 10月16日)は、日本の国土交通技官。国土地理院長、日本デジタル道路地図協会専務理事、日本測量協会会長を歴任。位階は従四位。瑞宝中綬章受章。 1968年 (昭和43年) 3月 新潟県立高田高等学校卒業、1974年3月 東京大学大学院理学系研究科修士課程修了、同年4月 建設省入省、国土地理院企画部企画調整課長、1996年 (平成8年) 5月 同測地観測センター長、1997年9月 同測地部長、1999年4月 同企画部長、2003年4月 砂川孝志の後任として同参事官、2005年1月 同職を秋山實と交代し渡邊茂樹の後任として国土地理院長。
南雲 忠信(なぐも ただのぶ、1947年2月12日 - )は… 南雲 忠信(なぐも ただのぶ、1947年2月12日 - )は日本のエンジニア、実業家。横浜ゴム代表取締役会長、日本ゴム工業会会長、渋沢栄一記念財団名誉顧問。タイヤ開発に長年携わり主に技術畑を歩んだ。新潟県生まれ。
北川 フラム(きたがわ ふらむ、1946年(昭和21年)10… 北川 フラム(きたがわ ふらむ、1946年(昭和21年)10月5日 - ) は、日本のアートディレクター。父は良寛研究家の北川省一。建築家の原広司は姉・若菜の夫(義兄)。「フラム」は本名であり、ノルウェー語で「前進」を意味する。 新潟県高田市(現・上越市)出身。新潟県立高田高等学校から東京芸術大学美術学部入学。仏教彫刻史を専攻。大学では「東京芸術大学全共闘」として活動する。大学時代から学生運動界隈のつながりから、アングラ文化周辺に集まる人々と協働し、音楽や演劇のイベントを開催するようになる。 大学卒業後の1971年(昭和46年)より、東京芸術大学の学生・卒業生を中心に「ゆりあ・ぺむぺる工房」を発足させ、展覧会やコンサート、演劇の企画・制作に関わる。
小和田 亮(おわだ まこと、1944年5月5日 - )は、日… 小和田 亮(おわだ まこと、1944年5月5日 - )は、日本の運輸技官。 港湾技術研究所次長、港湾技術研究所長、独立行政法人港湾空港技術研究所理事長などを歴任。 兄に外務事務次官、国連日本大使、国際司法裁判所長などを務めた外交官の小和田恆、漢文学者の小和田顯らがいる。したがって、皇后雅子の叔父にあたる。 新潟県出身。新潟県立高田高等学校、東京大学工学部土木工学科卒業。1969年6月 運輸省入省(第三港湾建設局企画課)。1974年7月 国土庁地方振興局東北開発室。1975年4月 運輸省第一港湾建設局新潟調査設計事務所工事専門官。1997年4月 北海道開発庁港政課長。1999年4月 港湾技術研究所次長。
伊藤 雅治(いとう まさはる、1942年9月20日 - 20… 伊藤 雅治(いとう まさはる、1942年9月20日 - 2019年9月1日)は、日本の厚生労働技官・医師。厚生労働省医政局長・全国社会保険協会連合会理事長等を務めた。 新潟県西頚城郡木浦村(現糸魚川市)生まれ。伊藤茂昭元日本弁護士連合会副会長は弟。新潟県立高田高等学校を経て、1968年新潟大学医学部卒業、新潟県入庁、新津保健所兼衛生部公衆衛生課配属。1971年に厚生省へ入省し、公衆衛生局結核予防課に配属され、沖縄返還に備え結核対策にあたった。1975年外務省在サンパウロ日本国総領事館領事。1978年国際協力事業団医療協力部医療第二課長。1982年青森県環境保健部長兼青森県立青森高等看護学院長。 1985年厚生省保健医療局健康増進栄養課長。
宮越 馨(みやこし かおる、1941年〈昭和16年〉9月14… 宮越 馨(みやこし かおる、1941年〈昭和16年〉9月14日 ‐ )は、日本の政治家。元上越市議会議員(2期)、元新潟県議会議員(1期)、元上越市長(2期)、元官僚(大蔵省主計局主査など歴任)。 新潟県旧高田市出身。新潟県立高田高等学校、中央大学商学部卒業。 大蔵省を退官後、渡辺美智雄の秘書を8年務めながら、衆院選に3度出馬 したものの、いずれも落選した。宮越が出馬した旧新潟県第4区は、定数2を自民党の高鳥修と当時同じく自民党だった白川勝彦、さらに社会党(当時)の筒井信隆の3人が激しく争っており、宮越はこの3度の選挙全てで4位に終わった。 3度目の落選直後の1993年11月より出身地の上越市長に就任。
岡田 幹治(おかだ もとはる、1940年 - 2021年7月… 岡田 幹治(おかだ もとはる、1940年 - 2021年7月21日)は、日本のジャーナリスト・ノンフィクション作家。 元朝日新聞論説委員、元朝日ニュースター(CS放送)キャスター、元『週刊金曜日』編集長。 新潟県高田市(現・上越市)生まれ。1959年新潟県立高田高等学校卒業。 1964年、一橋大学社会学部を卒業後、朝日新聞社に入社。1979年にワシントン特派員を経て、1988年に朝日新聞論説委員となる。2000年、同社を定年退社。『週刊金曜日』編集長を経て、フリージャーナリストに転身した。現在は、食の安全や公共事業、日本経済を主なテーマにして、市民の立場から取材・執筆・講演活動をしている。 FSN(食の安全を考えるネットワーク)理事のほか、上智大学や法政大学の講師、東京経済大学の非常勤講師も務めている。
清水 邦夫(しみず くにお、1936年〈昭和11年〉11月1… 清水 邦夫(しみず くにお、1936年〈昭和11年〉11月17日 - 2021年〈令和3年〉4月15日)は、日本の劇作家、演出家。演劇企画グループ「木冬社」代表。妻は女優の松本典子。 新潟県新井市(現・妙高市)出身。新潟県立高田高等学校を経て早稲田大学第一文学部演劇科卒業。 早稲田大学在学中に初戯曲『署名人』を発表し、注目を浴びる。1960年早稲田大学卒業後、岩波映画に入社するが1965年に退社。劇作家として劇団「青俳」などに戯曲を提供する。 東京・新宿のアートシアター新宿文化劇場を拠点に、演出家・蜷川幸雄とコンビを組み、一時代を画した。1968年に蜷川と現代人劇場を結成。1969年の『真情あふるる軽薄さ』(蜷川幸雄演出)が反響を呼び、蜷川らと結成した劇結社「櫻社」が解散する(1974年)まで、蜷川とコンビを組み、反体制的な若者を描いた作品で人気を集める。
庄山 悦彦(しょうやま えつひこ 1936年3月9日 - 2… 庄山 悦彦(しょうやま えつひこ 1936年3月9日 - 2020年6月5日)は、日本の実業家。位階は従三位。勲等は旭日大綬章。 株式会社日立製作所社長(第7代)、社団法人日本経済団体連合会副会長、株式会社日立製作所会長、日本赤十字社監事、公益社団法人発明協会会長などを歴任した。
玉泉 八州男(たまいずみ やすお、1936年2月25日 - … 玉泉 八州男(たまいずみ やすお、1936年2月25日 - )は、日本の英文学者。専攻はシェイクスピアとエリザベス朝演劇。 新潟県高田市(現・上越市)生まれ。新潟県立高田高等学校、東京大学文学部英吉利文学科卒業。東京大学大学院人文科学研究科英語英文学専攻博士課程満期退学。東京工業大学工学部助教授を経て教授。1985年、『女王陛下の興行師たち』でサントリー学芸賞受賞。千葉大学文学部教授。帝京大学文学部教授、帝京大学名誉教授。日本シェイクスピア協会会長(1997-1999年度)。2007年日本学士院会員。2011年瑞宝重光章。
小和田 恆(小和田 恒、おわだ ひさし、1932年〈昭和7年… 小和田 恆(小和田 恒、おわだ ひさし、1932年〈昭和7年〉9月18日 - )は、日本の外交官、国際法学者。第22代国際司法裁判所(ICJ)所長。 国連大使・外務事務次官などを歴任。皇后雅子の実父。愛子内親王の外祖父。 新潟県北蒲原郡新発田町(現:新発田市)生まれ。小和田毅夫・静夫妻の次男で、8人きょうだいの4番目。父・毅夫は新潟県立高田校長を務めた。生家の跡地は現在清水園の駐車場となっている。本籍地は新潟県村上市。 旧制新潟県立柏崎中学校(現:新潟県立柏崎高等学校)2年のとき、父の転勤により旧制新潟県立高田中学校に転校した。高田中学校在学中の学制改革を経て新潟県立高田高等学校を卒業し、東京大学文科一類に進学し、東京大学教養学部教養学科(国際関係論分科)在学中の1954年(昭和29年)に外交官領事官試験に合格、翌年の1955年 (昭和30年)に大学を卒業して(教養学士)、外務省に入省した。