スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
岩原 大起(いわはら だいき、1995年 - )は、読売テレ… 岩原 大起(いわはら だいき、1995年 - )は、読売テレビの社員で、元アナウンサー兼報道局記者。 高知県南国市の出身。小学生の頃に高知さんさんテレビ(地元のフジテレビ系列局)の『SUNSUNスーパーニュース』(FNN全国ニュースパート)に出演していた「アナウンサーのおじさん」(当時フジテレビのアナウンサーだった須田哲夫)に憧れたことがきっかけで、アナウンサーを志すようになった。 高知県立高知追手前高等学校から日本大学法学部新聞学科を経て、2017年4月1日付で読売テレビに入社。同期入社のアナウンサーに中村秀香がいるが、自身はアナウンス部に籍を置きながら、報道局報道部の記者を兼務していた。 入社2年目の2018年4月からは、『かんさい情報ネットten.』(平日夕方の報道・情報番組)に出演していた。
板垣 真衣(いたがき まい、本名:板垣劉 真衣(いたがきりゅ… 板垣 真衣(いたがき まい、本名:板垣劉 真衣(いたがきりゅう まい)、1988年8月2日 - )は、高知県出身のモデル。所属事務所はなく、フリーモデルとして活動。2013年7月ミス・ワールド2013審査員特別賞を受賞。 2001年高知市立城北中学校に入学し陸上部に所属した。3年のときに生徒会長を務め、高知新聞社・RKC高知放送・高知県教育文化運営委員会主催の美術展において、書道の部門で県展賞を受賞した。 2004年高知県立高知追手前高等学校に入学し、バドミントン部に所属した。 2011年4月高知大学人文学部 社会経済学科を卒業後、香川県のブライダル関係会社に就職し、ウェディングプランナーを担当する。
岩川 英樹(いわかわ ひでき、男性、1986年1月6日 - … 岩川 英樹(いわかわ ひでき、男性、1986年1月6日 - )は、日本のソングライター、編曲家、ベーシスト。高知県生まれ。Sound Garden所属。 幼い頃より両親の好きな歌謡曲やフォークソングを聴いて育つ。中学時代まではバスケットボール部のキャプテンを務めるスポーツ少年だった。中学3年の夏休みに音楽好きの姉の影響でベースを手にする。高知県立高知追手前高等学校に進学、地元のライブハウスを中心に活動を始める。18歳でESPギタークラフトアカデミー大阪に進学し楽器製作を学びながらバンド活動を続ける。21歳の時に音楽の道を諦め滋賀県に移り住むが、1年後に音楽への気持ちを断ち切れず上京。バンドでは常にセルフプロデュースの形をとっていたため、独学でDTMや音楽制作を学んでいく。
小松 塁(こまつ るい、1983年8月29日 - )は、高知… 小松 塁(こまつ るい、1983年8月29日 - )は、高知県出身の元プロサッカー選手で、サッカー指導者。セレッソ大阪スポーツクラブ所属。現役時代のポジションはフォワード(センターフォワード)。 関西学院大学時代の2005年にユニバーシアード日本代表に選ばれ、優勝に貢献。 2006年に前年特別指定選手として登録されていたセレッソ大阪に入団したが、シーズン途中の10月に全国地域リーグ決勝大会突破とJFL昇格を目指していた当時Kyuリーグ所属のV・ファーレン長崎に期限付き移籍する。全国地域リーグ決勝大会では小松と同様に期限付き移籍で加入した林祐征とツインタワーを組んでいた。[要出典] 2007年はC大阪に復帰。
藤田 淳平(ふじた じゅんぺい、1979年5月3日 - )は… 藤田 淳平(ふじた じゅんぺい、1979年5月3日 - )は、日本の作曲家、編曲家、キーボーディスト、音楽プロデューサー。高知県出身。株式会社アリア・エンターテインメント執行役員、Elements Garden所属。 ポリシーは「作品、アーティストにマッチングした楽曲を提供する」。Elements Gardenメンバーの中で唯一エンジニアリング、マニピュレーターの経験がある。 2009年9月19日に歌手のSuaraと結婚した。2013年11月には第一子となる男児が誕生した。 飛蘭や茅原実里のバックバンドにキーボーディストとして参加している。 2015年からは音楽プロデューサーとしての活動も開始し、TVアニメ『Dance with Devils』と『BanG Dream!』の音楽プロデュースを務めている。
松岡 敦司(まつおか あつし、1978年8月8日 - )は、… 松岡 敦司(まつおか あつし、1978年8月8日 - )は、ニッポン放送の社員、元ディレクター。 高知県高知市出身。高知県立高知追手前高等学校、立命館大学法学部卒業後、2003年4月ニッポン放送に制作職として入社。同期は、同じアナウンススクールのテレビ朝日アスクに通っていた、現フリーアナウンサーの新保友映と現フジテレビアナウンサーの鈴木芳彦。 同年7月に編成局制作部に配属され、ADを3年勤めた後の2006年営業に異動。2010年7月1日付け人事で編成局制作部に復帰、主任に昇進。『オールナイトニッポン』を含めた夜枠のチーフディレクターを担当し、『福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル・魂のラジオ』の9代目ディレクターを担当。
青木 まゆこ(あおき まゆこ、1975年12月17日 - )… 青木 まゆこ(あおき まゆこ、1975年12月17日 - )は、日本の女優、声優。旧名、青木 麻由子(読み同じ)。高知県出身。 趣味は小物集め。香港映画が好きで広東語を勉強しており、梁 朝偉(トニー・レオン)が大好き。好きな食べ物と飲み物は、うどん、魚、コーヒー、桃。 以前はNHKプロモーションに所属しており、1997年に連続テレビ小説『あぐり』のかよ役で女優デビューした。『ファイナルファンタジーX』のユウナ役の声優を務め、同作関連本の写真では、ユウナと同じネックレスをつけている姿がよく掲載されていた。 2006年暮れから活動を休止し、2011年3月3日発売の『ディシディア デュオデシム ファイナルファンタジー』でユウナ役としての出演が決まり、「青木まゆこ」名義で5年ぶりにユウナ役として声優を務める。
青木 まゆこ(あおき まゆこ、1975年12月17日 - )… 青木 まゆこ(あおき まゆこ、1975年12月17日 - )は、日本の女優、声優、モーションアクター。旧名、青木 麻由子(読み同じ)。
井上 昭夫(いのうえ あきお、1972年 - )は、日本の森… 井上 昭夫(いのうえ あきお、1972年 - )は、日本の森林学者。近畿大学教授。博士(農学)(九州大学・2001年)。
森岡 周(もりおか しゅう、1971年3月20日 - )は、… 森岡 周(もりおか しゅう、1971年3月20日 - )は、日本の医学者。畿央大学教授。博士(医学)。資格は理学療法士。専門は理学療法学、リハビリテーション、神経科学、ニューロリハビリテーション。一般社団法人日本神経理学療法学会副理事長。一般社団法人日本ペインリハビリテーション学会監事。
みずき ひとし(1969年4月10日 - )は、日本の漫画家… みずき ひとし(1969年4月10日 - )は、日本の漫画家。高知県出身、男性。既婚。デビュー以来、主に成年コミックの分野で活動してきたが、2000年代頃からオンラインゲームのアンソロジーコミックなどで一般コミックの分野にも活動の幅を広げている。配偶者は同業者であるが、配偶者のペンネームは非公開にしている(但し厳密に秘匿しているという訳では無く、ある程度のファンには周知の事柄である)。近年はPixivやTINAMIにて、自身を東方Projectのキャラクター多々良小傘に、妻を東風谷早苗とし、他の関係者も同作品のキャラクターに置き換えた4コママンガである「がんばれ小傘さん」をほぼ毎日更新している。
松村 厚久(まつむら あつひさ、1967年3月29日 - )… 松村 厚久(まつむら あつひさ、1967年3月29日 - )は、日本の実業家。株式会社ダイヤモンドダイニング創業者。株式会社DDホールディングス代表取締役社長・グループCEO。高知県観光特使。 高知県出身。高知県立高知追手前高等学校、日本大学理工学部卒業。大学在籍中に、当時できたばかりのサイゼリヤで4年間アルバイトを経験した中で飲食業の面白さを体験。卒業後、日拓エンタープライズに入社。ディスコの企画・運営に携わり、非日常を学びエンターテイメントに目覚める。 1995年に独立。当初から飲食店に興味があったが、資金集めのために翌年1996年に「A&Yビューティサプライ」を設立し、都内に日焼けサロンを展開。
西込 加久見(にしごみ かくみ、1961年6月4日 - )は… 西込 加久見(にしごみ かくみ、1961年6月4日 - )は、日本の音楽家、音楽プロデューサー、編曲家、作曲家、ベーシスト、マニピュレーター、ミキシング・エンジニア。 布施明、小坂忠、つのだ☆ひろのレコーディング制作で活動。アダマンツミュージック株式会社 代表取締役。アダマンツレコーズ代表 兼 レーベルプロデューサー。 THE ALWAYS クワマン with スリー・ビックリーズ フォーリーブス(再結成) ice (リンゴ・スター Jr のバンド) アイリーン・フォーリーン Navy&ivory ギラジルカ & Voissalot Choir RANDOM FUTURE Pegasus (野呂一生+櫻井哲夫) Tetsujino (櫻井哲夫+日野JINO賢二)
高田 昌幸(たかだ まさゆき、1960年 - )は、日本のジ… 高田 昌幸(たかだ まさゆき、1960年 - )は、日本のジャーナリスト、フロントラインプレス合同会社代表。東京都市大学メディア情報学部教授。元北海道新聞・高知新聞記者。 高知県立高知追手前高等学校卒業後、東京で新聞店従業員を経て法政大学法学部政治学科入学。卒業後、一般企業を経て、1986年北海道新聞入社。小樽報道部、本社経済部、本社社会部、東京支社政治経済部、本社報道本部編集委員、同部次長、東京支社国際部編集委員、ロンドン支局、東京支社国際部次長を経て、本社運動部次長。2011年6月に退社しフリーに。2012年4月に高知新聞に入社。社会部に所属。2017年3月に退社。同年4月より東京都市大学教授。
山岡 俊介(やまおか しゅんすけ、1959年8月 - )は、… 山岡 俊介(やまおか しゅんすけ、1959年8月 - )は、日本のジャーナリスト。株式会社アクセスジャーナル代表取締役。 愛媛県生まれ。高知県立高知追手前高等学校、一浪後、神奈川大学法学部入学。神奈川大学法学部法律学科卒業。法政大学大学院人文科学研究科日本史学修士課程中退。専門は、近・現代史。零細編集プロダクションに2年半在籍し、29歳よりフリーに。1991年1月より『週刊大衆』の専属記者を務めながら、『噂の真相』、『財界展望』などを中心に記事執筆。2002年1月、メルマガ「東京アウトローズ」で記事の配信を開始するも2004年9月に編集長辞任。2005年4月より、新たにwebマガジン「ストレイドッグ」記事配信開始。
くさか 里樹(くさか りき、1958年6月9日 - )は、日… くさか 里樹(くさか りき、1958年6月9日 - )は、日本の漫画家。女性。高知県高岡郡日高村出身、高知県在住。高知県立高知追手前高等学校卒業。夫はかつて自身が師事していた青柳裕介の元アシスタントである大石倉人。 ペンネームの由来は、出身地である日高村の地名「日下(くさか)」と、当時ファンであった俳優リッキー・ホイから。本人によると一時は「草刈り機」と間違われたという。 高校を卒業後に高知市内の授産施設に職員として勤務しながら漫画を投稿した後、1980年に『別冊少女コミック』(小学館)6月号にて掲載された『ひとつちがいのさしすせそ』でデビュー。 2011年5月、『ヘルプマン!』で第40回日本漫画家協会賞大賞を受賞。
橋田 俊彦(はしだ としひこ、1958年1月7日 - )は、… 橋田 俊彦(はしだ としひこ、1958年1月7日 - )は、第25代気象庁長官である。日本気象学会副理事長。 高知県四万十市出身。
西村 かおる(にしむら かおる、1957年 - )は、日本コ… 西村 かおる(にしむら かおる、1957年 - )は、日本コンチネンス協会名誉会長。排泄ケア専門ナース。東京都内の病院で訪問看護師として勤務した後、イギリスに留学し、地域看護とコンチネンスケア(排泄ケア)を学ぶ。帰国後、1990年にコンチネンスセンター(排泄ケア情報センター)を開設し、1993年に「日本コンチネンス協会」を設立した(2009年にNPO法人化)。 1976年に高知県立高知追手前高等学校を卒業。1979年に専門学校三育学院カレッジ看護学科を卒業。1982年に東京都立公衆衛生看護専門学校保健学科を卒業。1987年に英国サセックス州のブライトン・ポリテクニック訪問看護コースを修了。1986年には、イギリス・サセックス州のブライトン・ポリテクニックにて地域看護を学ぶ。
松村 信定(まつむら のぶさだ、1955年1月10日- )は… 松村 信定(まつむら のぶさだ、1955年1月10日- )は、元競輪選手、競輪評論家。高知県高知市出身。現役時は日本競輪選手会高知支部所属、ホームバンクは高知競輪場。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第36期生。 実父の松村憲も元競輪選手。 競輪学校入学前の経歴は異色に近く、旧制中学校からの歴史を持つなど高知県内でも有数の進学校であり公立高校では戦後一貫してトップである高知県立高知追手前高等学校出身(以下facebook参照)だが、父親からの影響もあり在学中から自転車競技で国民体育大会などの出場経験がある。 競輪学校には第36期生として入学。同期には同じくGI(当時は特別競輪)タイトルホルダーである菅田順和らがいる。
石田 祝稔(いしだ のりとし、1951年9月1日 - )は、… 石田 祝稔(いしだ のりとし、1951年9月1日 - )は、日本の政治家。公明党アドバイザー。 衆議院議員(8期)、衆議院経済産業委員長、厚生労働副大臣(第1次安倍内閣)、農林水産副大臣(福田康夫改造内閣・麻生内閣)、公明党政務調査会長、公明党副代表、衆議院総務委員長などを歴任した。 高知県高知市生まれ。 1970年、高知県立高知追手前高等学校を卒業し、電気通信大学に入学するが、1971年に中退した。 その後、1971年に創立された創価大学文学部社会学科に入学し、1975年に卒業した。 1978年、創価大学大学院文学研究科修士課程を修了した。 1979年、東京都庁に入庁した。 1990年、第39回衆議院議員総選挙に公明党公認で高知県全県区(定数5)から出馬し、得票数4位で初当選した。
川田 稔(かわだ みのる、1947年(昭和22年)6月21日… 川田 稔(かわだ みのる、1947年(昭和22年)6月21日 - )は、日本の歴史学者・政治学者。名古屋大学名誉教授、前日本福祉大学教授。専攻は、政治外交史・政治思想史。 近代日本の政治外交史、政治思想史を専門とし、原敬・濱口雄幸・山縣有朋など主に大正期の政治家・政党政治家や永田鉄山をはじめとする昭和陸軍を中心に研究を行っている。また、民俗学者として知られる柳田國男を政治思想史的観点から研究している。2012年、『昭和陸軍の軌跡』で第21回山本七平賞受賞。 高知県生まれ。1971年岡山大学法文学部卒業、1978年名古屋大学大学院法学研究科博士課程単位取得満期退学、1987年法学博士(名古屋大学)(学位論文「柳田国男の思想史的研究」)。
浜渦 武生(はまうず たけお、1947年 - )は、日本の実… 浜渦 武生(はまうず たけお、1947年 - )は、日本の実業家、元議員秘書。国会議員政策担当秘書や東京都知事特別秘書を経て、東京都副知事、東京交通会館副社長、東京都参与を歴任した。自民党の保守派議員グループ青嵐会の裏方を務めたほか、石原慎太郎の側近として知られ、肝煎りで東京都副知事に就任した。 高知県安芸郡北川村出身。父親は公職追放を受けた後、奈半利町内の営林署勤務。奈半利町立奈半利小学校卒業後は父親の意向で妹と一緒に高知市へ移って下宿暮らしし、高知市立潮江中学校へ通う。江本孟紀は中学校の同級生。 高校は高知県立高知追手前高等学校へ進学。高校生時代に高知駅でコーヒー袋を見かけ、それが気になってつられるように高知港を訪れてグアテマラの貨物船に上がり込んで、同国の船会社に就職の交渉を行い、就職と移住の手続きを済ませたが、これが両親に無断のことであり、当時末期がんで入退院を繰り返していた母親から懇願されて断念、父親には大学進学の意志を伝え、関西大学文学部新聞学科へ進学。
原 知佐子(はら ちさこ、本名:実相寺 知佐子(じっそうじ … 原 知佐子(はら ちさこ、本名:実相寺 知佐子(じっそうじ ちさこ)、旧姓名・旧芸名:田原 知佐子(たはら ちさこ)、1936年〈昭和11年〉1月6日 - 2020年〈令和2年〉1月19日)は、日本の女優。夫は実相寺昭雄。現代制作舎所属。 高知県高岡郡高岡町(現在の同県土佐市)出身。高知県立高知追手前高等学校卒業、同志社大学文学部美学美術学科中退。 高岡第一小学校に在学中、教師から「この子は宝塚に入ったらいい」と薦められ、芸能界に憧れる。 高岡中学校を経て、1954年に高等学校を卒業。宝塚歌劇団と松竹歌劇団を受験するが落ちてしまい、「芸能人の多い京都ならばコネで潜り込めるかも」と思い立ち、大学に入学。
成田 十次郎(なりた じゅうじろう、1933年1月1日 -2… 成田 十次郎(なりた じゅうじろう、1933年1月1日 -2022年8月7日 、旧姓:山中)は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。スポーツ学者。高知県吾川郡池川町(現・仁淀川町)出身。 高知県立高知追手前高等学校ではバレーボール部に所属していたが、東京教育大学体育学部に入学後は蹴球部に入部した。在学中の1953年に関東大学サッカーリーグ戦で優勝、1954年に日本代表候補となる。 東京大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学後、1960年にドイツ体育大学ケルンに留学する際、日本サッカー協会から戦後日本のサッカー復興のためのコーチ探しを依頼され、西ドイツ国内のクラブチームから、当時西ドイツでも日本でも無名であったデットマール・クラマーを発掘した。
秌場 準一(あきば じゅんいち、「あき」の字は「火」へんに「… 秌場 準一(あきば じゅんいち、「あき」の字は「火」へんに「禾」(ノギ)、1932年10月6日 - )は、日本の法学者。専門は国際私法。学位は、法学博士(一橋大学)・LL.M.(イェール大学)。一橋大学名誉教授。日本学術会議会員、国際法学会理事長、国際私法学会理事長を歴任。 兵庫県神戸市生まれ。中学時に神戸から母の故郷である高知に転居。一橋大学では久保岩太郎と大平善梧に師事。博士課程を修了した1960年から一橋大学に勤務。1966年に当時東京大学法学部助手だった鳥居淳子(国際私法学者、成城大学教授、法務省法制審議会会長)と結婚。1996年3月に63歳を定年とする一橋大学の定年制により定年退官。指導学生に横山潤一橋大名誉教授、中山ひとみ元第二東京弁護士会副会長など。
前田 祐吉(まえだ ゆうきち、1930年9月22日 - 20… 前田 祐吉(まえだ ゆうきち、1930年9月22日 - 2016年1月7日)は、日本のアマチュア野球選手、野球指導者。慶應義塾大学野球部で選手、監督を務めた。 高知県高知市出身。高知県立高知城東中学校のエースとして戦後初となる1946年夏の甲子園に出場。これは高知県勢で春夏通じて初めての全国大会出場だった(この年甲子園球場はGHQが接収中のため、阪急西宮球場で開催)。1回戦で芦屋中を降すが、続く2回戦で松本市立中に敗退。翌1947年春の選抜にも出場。2回戦では田辺中の岩本尭との投手戦となるが延長11回サヨナラ勝ち。3回戦では引地信之のいた下関商を降す。準決勝では小倉中の福嶋一雄と投げ合うが0-1で惜敗。
鎌倉 節(かまくら さだめ、1930年(昭和5年)4月27日… 鎌倉 節(かまくら さだめ、1930年(昭和5年)4月27日 - 2014年(平成26年)10月25日)は、日本の警察官僚。位階は従三位。内閣調査室長、警視総監、宮内庁長官などを務めた。 高知県出身。高知城東中、高知高等学校 (旧制)を経て、1954年(昭和29年)東京大学法学部卒業。国家地方警察本部(現警察庁)入庁。同期入庁の佐々淳行(初代内閣安全保障室長)、金澤昭雄(第13代警察庁長官)等と共にキャリアとして評価された。 大阪府警を振り出しに愛知県警本部、警視庁など刑事畑を歩む。1973年(昭和48年)富山県警本部長となり、警視庁公安、警務各部長、同副総監、内閣調査室長、警察大学校長、警視総監など歴任。
深瀬 忠一(ふかせ ただかず、1927年3月1日 - 201… 深瀬 忠一(ふかせ ただかず、1927年3月1日 - 2015年10月5日)は、日本の法学者。専門は憲法。北海道大学名誉教授。法学博士(北海道大学・論文博士・1962年)(学位論文「衆議院の解散 : 比較憲法史的考察」)。高知県出身。宮澤俊義門下。 東京大学法学部在学中に戦後憲法学の始祖・宮沢俊義教授に師事する。宮沢の晩年の弟子。 内村鑑三らが設立した札幌独立キリスト教会の会員であった。自らのクリスチャンとしての生き方と日本国憲法の精神を重ねあわせ、やや思想が先行した典型的な護憲派学者として知られる。恵庭事件、長沼ナイキ事件などの訴訟でも出廷し、鑑定人として証言した。 恵庭事件発生当時、まだ学部生だった笹川紀勝から、「このような事件がある。
古谷 俊夫(ふるや としお、1926年(大正15年)5月27… 古谷 俊夫(ふるや としお、1926年(大正15年)5月27日 - )は、日本の教育者、実業家。一般社団法人高知県食品衛生協会会長、高知県旅館ホテル生活衛生同業組合理事長、高知県能楽協会第3代会長、特定非営利活動法人板垣会初代会長、海軍高知県海洋会会長、「京大土佐吉田会」会長。勲三等瑞宝章。 自宅が旧土佐藩士・乾和正(内蔵進)邸を改築した旅館兼料亭の朝日軒であり、南隣が旧板垣退助邸であったことから、板垣邸跡に建つ高野寺の庭は、幼少期からの遊び場であった。 高知市立第三尋常小学校(のちの高知市立追手前小学校)在学中の1937年(昭和12年)4月6日、高野寺の谷信讃の発意により板垣を顕彰する「板垣会館」が同寺内に建立された際は、成績優秀(首席)であったため、小学生代表として、来賓・頭山満、板垣退助長女・片岡兵子、退助孫・宮地茂秋ら臨席のもと、祝辞を奉読している。
北村 正利(きたむら まさとし、1926年1月10日 - 2… 北村 正利(きたむら まさとし、1926年1月10日 - 2012年7月13日)は、日本の天文学者(天体物理学)。理学博士。東京大学名誉教授。 現在の高知県南国市久礼田に生まれる。旧制高知県立高知城東中学校(現・高知県立高知追手前高等学校)を経て、1950年、東京大学理学部天文学科卒業。東京大学附属東京天文台助手、講師、助教授を経て1971年教授に就任。1986年定年退官し東京大学名誉教授となった。 北村は古畑正秋とズデネク・コパルの弟子であり、門下生には山崎篤磨、中村泰久、岡崎彰、西城恵一らがいる。 戦後、日本では早期に光電測光を古畑正秋と共に開始。ツアイス製65cm屈折望遠鏡に光電測光装置を取付けて天体の測光を行った。
関田 英里(せきた ひでさと、1921年(大正10年)9月1… 関田 英里(せきた ひでさと、1921年(大正10年)9月1日 - 2002年(平成14年)10月30日)は、日本の経済学者。元高知大学学長、同大学名誉教授。専門は経済史、農業経済学。高知県生まれ。 1921年9月1日、高知県長岡郡大篠村大埇(現南国市)において、海軍武官の父関田繁里と母豊榮の長男として生まれる。幼少期は郷里で祖父母のもとに過ごし、1927年に父母のもとへ上京。1934年3月、東京市世田谷区立八幡尋常小学校を卒業。同年4月、父の赴任先の長崎県立佐世保中学校を受験し入学。1935年秋頃、父の転勤に伴い麻布中学校に転入。1937年夏頃、父の死に伴い帰郷し高知県立高知城東中学校に転入。
山原 健二郎(やまはら けんじろう、1920年〈大正9年〉8… 山原 健二郎(やまはら けんじろう、1920年〈大正9年〉8月11日 - 2004年〈平成16年〉3月8日)は、日本の政治家。 高知県議会議員(2期)、衆議院議員(10期)、日本共産党衆議院議員団長、党議員団総会副会長を歴任。 高知県長岡郡本山町出身。 二松學舍専門学校卒。 出征、高知新聞記者を経て中学・高校の国語教師に。 1948年、高知県教育委員に全国最年少で当選(27歳)。 1953年、共産党入党。 1956年からは県教組副委員長、県総評副議長を務め、勤評反対闘争の際に懲戒免職となった。 1963年高知県議当選。 1969年の第32回衆議院議員総選挙で衆院議員に初当選。党衆議院議員団長、党議員団総会副会長を務める。
岡村 孝雄(おかむら たかお、1919年4月17日 - 20… 岡村 孝雄(おかむら たかお、1919年4月17日 - 2009年2月8日)は、高知県出身のプロ野球選手(投手)。 高知県立高知城東中学校(現・高知県立高知追手前高等学校)在学中は甲子園出場なし。その後、南満洲工業専門学校(戦後、大連理工大学に改組),土佐電気鉄道でプレーした。 1948年に阪急ブレーブスに入団。翌1949年まで在籍した。1950年に新球団・広島カープが創設されるに当たり、初代監督を務める事となった石本秀一の誘いで、阪急時代のチームメイトだった内藤幸三,武智修,竹村元雄と共に広島に入団した。しかし、広島では一軍の出場機会はなく、シーズン途中に森井茂が入団してくると背番号を変更させられる有様だった。
やなせ たかし(本名:柳瀬 嵩〈読み同じ〉、1919年〈大正… やなせ たかし(本名:柳瀬 嵩〈読み同じ〉、1919年〈大正8年〉2月6日 - 2013年〈平成25年〉10月13日)は、日本の漫画家・絵本作家・詩人。有限会社やなせスタジオ社長。高知県出身(後述)。妻は編集者の小松暢。 『アンパンマン』の原作者として知られる。社団法人日本漫画家協会代表理事理事長(2000年5月 - 2012年6月)、社団法人日本漫画家協会代表理事会長(2012年6月 - 2013年10月)を歴任。 作曲家としてのペンネームは「ミッシェル・カマ」。壮年期までは「やなせ・たかし」と中黒が付された表記をされていた。 絵本作家・詩人としての活動が本格化する前までは頼まれた仕事はなんでもこなし、編集者・舞台美術家・演出家・司会者・コピーライター・作詞家・シナリオライターなど様々な活動を行っていた。
八幡野 平八郎(やはたの へいはちろう、1917年9月29日… 八幡野 平八郎(やはたの へいはちろう、1917年9月29日 - 1994年5月9日)は、伊勢ヶ濱部屋に所属した元力士。9代谷川。本名は西内 平八郎(にしうち へいはちろう)。現在の高知県須崎市(当時は高岡郡須崎町)出身。182cm、86kg。最高位は西十両5枚目。得意技は右四つ、上手投げ、うっちゃり。 米穀・肥料を商う「西亀」の八男として生まれ、生家は裕福な家庭だった。実父は須崎町議を6期努める有力者で、長兄が神戸高等商業(現神戸大学経済学部)、本人を除く他の7人が京都帝国大学卒という家系で、本人も子供の頃から体格よく頭脳明晰だった。県立城東中学に進学すると柔道部に籍を置き、部員不足の相撲部の試合にも参加し、堺の大浜相撲場で行われた全国中等学校相撲大会にも出場したのを機に、親友の父から強く勧められたため、学業を続けるのを条件として1935年3月に伊勢ヶ濱部屋に入門、5月場所に八幡野の四股名で初土俵を踏んだ。
坂本 昭(さかもと あきら、1913年《大正2年》7月24日… 坂本 昭(さかもと あきら、1913年《大正2年》7月24日 - 1978年《昭和53年》12月2日)は、日本の医師、政治家。旧姓・傍士 高知県選挙区選出の参議院議員で、1956年(昭和31年)から1962年(昭和37年)まで務めた。第24・25・26代高知市長も務め、在任期間は1967年(昭和42年)から1978年(昭和53年)10月まで。 三重県宇治山田市曽根町(現伊勢市)で、中学校英語教師・傍士龍治、茂登恵の長男として生まれた。母方の姓を継ぎ坂本に改姓。
中内 力(なかうち つとむ、1912年〈明治45年〉7月20… 中内 力(なかうち つとむ、1912年〈明治45年〉7月20日 - 2001年〈平成13年〉11月22日、満89歳没)は、日本の政治家。高知県知事を務めた。 高知県吾川郡明治村(現・高岡郡越知町)出身(なお、出生地は現在の吾川郡いの町)である)。明治村立鎌井田尋常小学校、明治村立片岡尋常高等小学校を経て旧制・高知県立高知城東中学校(現高知県立高知追手前高等学校)卒業。その後、大阪での就職を経て帰高し高知県の外郭団体たる高知県体育協会の職員になり、その後高知県職員となる。民生部長、厚生労働部長、高知県教育長、副知事を歴任(なお、生え抜き初の副知事である)。とりわけ、いわゆる勤評闘争時には高知県教育長として組合側と対峙し、県教育界正常化のために奔走する。
前野 直定(まえの なおさだ、1911年〈明治44年〉1月2… 前野 直定(まえの なおさだ、1911年〈明治44年〉1月21日 - 1971年〈昭和46年〉7月24日)は、日本の銀行家。板垣退助先生顕彰会創立発起人兼顧問 。 1911年(明治44年)3月8日、吉本家の男子として、高知県高知市鷹匠町2に生まれる。のち前野家を継いで姓を改む。 高知県立高知城東中学校(現・高知追手前高校)卒業後、旧制高知高等学校を経て、1935年(昭和10年)、東京帝国大学法学部法律学科に学ぶ。東京帝大法学部法律学科在学中に高等試験行政科に合格。 東京帝大法学部法律学科を卒業後、横浜正金銀行に入り、1941年(昭和16年)、大蔵省に入省。為替局属。1944年(昭和19年)4月、総務局。
大西 正男(おおにし まさお、1910年〈明治43年〉10月… 大西 正男(おおにし まさお、1910年〈明治43年〉10月12日 - 1987年〈昭和62年〉9月18日)は、日本の政治家。郵政大臣(第40代)、衆議院議員(9期)。 高知県高知市升形出身。弁護士、衆議院議員の大西正幹の長男。旧制高知高等学校、東京帝国大学法学部卒業後、検事を経て弁護士となる。1949年の総選挙に高知県全県区から立候補し、初当選。1952年の総選挙では公職追放から解除されたばかりの宇田耕一に地盤を譲り、同年の参院選に高知県地方区から出馬するが、落選。 政界から一旦は退いていたが、1963年の総選挙で宇田の後継だった浜田正信の地盤を引き継ぐ格好で、11年振りに出馬して当選し、国政に返り咲く。
横山 隆一(よこやま りゅういち、1909年5月17日 - … 横山 隆一(よこやま りゅういち、1909年5月17日 - 2001年11月8日)は、日本の漫画家・アニメーション作家。高知県高知市出身。 政治風刺漫画が主流だった1930年代日本の漫画界において、簡略な絵柄と明快なギャグによる欧米流の「ナンセンス漫画」を志向した若手グループ「新漫画派集団」を結成し、やがて戦中・戦後初期の漫画界をリードした。戦後にはアニメーション制作会社「おとぎプロダクション」を設立したほか、広告・絵本のイラストレーションや、油彩画を描いた。 高知市堺町に生まれる。公式の誕生日(戸籍上の生年月日)は5月17日であるが、横山自身は母から、名付けの遅れのために届け出が遅れ、本当の生まれた日付は5月10日であったことを伝え聞いているという。
大黒 東洋士(おおぐろ とよし、1908年11月12日 - … 大黒 東洋士(おおぐろ とよし、1908年11月12日 - 1992年10月24日)は、日本の映画評論家。辛口の映画批評で知られる。 高知県高岡郡仁井田村下呉地()(現・四万十町下呉地)出身。小学校入学前に小高坂村(現・高知市)へ転居。高知県師範学校附属小学校を経て旧制高知城東中学校卒業。中学5年の時に一家が東京へ移住したため、1926年に中学卒業とともに上京。有島武郎の小説や山への憧憬から北海道大学進学を目指すが叶わず、1927年の頃は復興局で測量技師の助手のアルバイトに従事して、収入の多くを映画鑑賞に費やし、やがて「人生の転機」(『映画とともに五十年』より)にいたる。1928年、松竹キネマ蒲田撮影所において所長の城戸四郎の肝煎りで新たに開設される「脚本養成所」(後に「松竹映画脚本研究所」と改称)の研究生に応募、30人の中に合格して第1期生の一人となった。
乾 一郎(いぬい いちろう、1908年(明治41年)1月13… 乾 一郎(いぬい いちろう、1908年(明治41年)1月13日 - 2000年(平成12年)9月19日)は、日本の教育者(英語・ドイツ語科)、牧師、軍人。旧土佐藩士族 乾市郎兵衛家・第9代当主。板垣退助の孫。日本福音ルーテル芦屋教会初代牧師。 1908年(明治41年)1月13日、高知県貫属士族・乾正士の長男として、高知県土佐郡潮江村412番屋敷に生まれる。母は、長野県上水内郡柳里村8番地(現・長野県上水内郡飯綱町柳里中宿164番地)高野直作の長女・八重野。父乾正士は板垣退助の次男にあたる。乾姓を称したのは、退助が戊辰戦争の際、乾姓から板垣に復姓したが、旧来の乾姓が無くなるのを惜しみ正士を後嗣の無い分家の土佐藩士・乾正厚の家督を相続させる形で残そうとしたため。
伊藤 俊夫(いとう としお、1907年10月30日 - 19… 伊藤 俊夫(いとう としお、1907年10月30日 - 1998年5月25日)は、日本の農業経済学者。北海道大学名誉教授。元日本学術会議会員。北海道文化賞受賞。 1907年、北海道札幌市で生まれた。1925年、高知県立第一中学校(現高知県立高知追手前高等学校)を卒業。1928年、北海道帝国大学予科修了し、北海道帝国大学農学部農業経済学科に進んだ。1931年に卒業した後、同大学大学院へ進学。1936年に修了し、同大学助手に採用された。1941年、京城帝国大学法文学部助教授に就任。 戦後帰国し、1946年より帯広獣医畜産専門学校教授。翌1947年、北海道帝国大学法文学部助教授となった。1948年、北海道大学に学位論文を提出して農学博士。
塩見 俊二(しおみ しゅんじ、1907年(明治40年)5月1… 塩見 俊二(しおみ しゅんじ、1907年(明治40年)5月17日 - 1980年(昭和55年)11月22日)は、日本の政治家。位階は正三位。参議院議員(4期)。自治大臣、厚生大臣。自由民主党高知県連会長。板垣退助先生顕彰会顧問。土佐市名誉市民。 1907年(明治40年)5月17日、塩見熊吉の二男として高知県高岡郡戸波村浅井(現土佐市)に生まれる。初代土佐市長の塩見俊雄は実兄。母は塩見良。 1921年(大正10年)4月、高知県立第一中学校(翌年「高知県立高知城東中学校」と改称。現高知県立高知追手前高等学校)に入学。この時の同期生に板垣退助の孫・乾一郎がいた。同校卒業後、旧制高知高等学校に進み、更に東京帝国大学法学部で学を修める。
宇田 耕一(うだ こういち、1904年(明治37年)10月1… 宇田 耕一(うだ こういち、1904年(明治37年)10月15日 - 1957年(昭和32年)12月30日)は、昭和期の日本の政治家、実業家。経済企画庁長官(第3-4代)、科学技術庁長官(第2-3代)、衆議院議員(3期)。旧姓は六田。 高知県出身。大阪市西区で六田橘太郎、ウタ夫妻の六男として生まれる。1917年(大正6年)土佐中学校・高等学校の創立者でもある海運業者で衆議院議員(憲政会)も務めた宇田友四郎の養子となる。幼少期は高知県香美郡岸本町の伯父の家で育ち、岸本尋常小学校から高知県立第一中学校(現高知県立高知追手前高等学校)、高知高等学校(現高知大学)を経て、京都帝国大学法科に入学。1929年(昭和4年)卒業後、ヨーロッパ視察、兵役を経て、1930年(昭和5年)南満洲鉄道に入社。
島村 矩康(しまむら のりやす、1904年(明治37年)1月… 島村 矩康(しまむら のりやす、1904年(明治37年)1月22日 - 1945年(昭和20年)1月15日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。位階勲等は従四位勲四等。 高知県土佐郡初月村久万(現・高知市)出身。島村民衛・千代の長男。高知第一中学校(現高知県立高知追手前高等学校)、大阪陸軍地方幼年学校を経て、1924年(大正13年)7月、陸軍士官学校(36期)を卒業。同年10月、歩兵少尉に任官し歩兵第38連隊付となる。1931年(昭和6年)11月、陸軍大学校(43期)を優等で卒業した。 1932年(昭和7年)9月、参謀本部付勤務となる。参謀本部員、中国・ソビエト連邦駐在、関東軍参謀を務め、1938年(昭和13年)3月、歩兵少佐に昇進。
有光 次郎(ありみつ じろう、1903年12月15日 - 1… 有光 次郎(ありみつ じろう、1903年12月15日 - 1995年2月22日)は、日本の官僚(文部事務次官)・教育者。1974年勲一等瑞宝章受章。1989年名誉都民受賞。板垣退助先生顕彰会創立発起人兼顧問。 高知県生まれ。旧制高知県立第一中学校、旧制第三高等学校を経て、東京帝国大学法学部を卒業した。1927年、文部省に入省した。1932年に宗教局保存課長、1934年に専門学務局学務課長、1941年に大臣官房文書課長、1942年に大臣官房秘書課長兼大臣秘書官、1945年6月に科学局長、1945年9月に体育局長、1945年10月に教科書局長を経て1947年に文部事務次官に就任した。 教育基本法の制定、小学校6年、中学校3年の六・三制の実施などの戦後の教育改革に携わる。
浜田 正信(濱田 正信、はまだ まさのぶ、1903年(明治3… 浜田 正信(濱田 正信、はまだ まさのぶ、1903年(明治36年)6月18日 - 1969年(昭和44年)5月22日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 高知県吾川郡伊野町(現いの町)で浜田惣次、春尾の二男として生まれる。高知県立第一中学校(現高知県立高知追手前高等学校)、高知高等学校を経て、1931年(昭和6年)京都帝国大学法学部を卒業した。 京都市役所で勤務した後、淀川製鋼所に転じた。東京支社長、取締役支配人、専務取締役などを歴任。1957年(昭和32年)宇田耕一の死去に伴い取締役社長に就任した。その他、白洋産業取締役社長、白洋汽船取締役、南海興業取締役、高知県造船取締役会長、日本鉄鋼連盟理事、日本経営者団体連盟理事、国連協会関西本部理事などを務めた。
西内 雅(にしうち ただし、1903年 - 1993年4月1… 西内 雅(にしうち ただし、1903年 - 1993年4月19日)は、日本の歴史学者。 高知県生まれ。高知第一中学校卒業。一時期マルクス主義やアナーキズムに傾倒。代用教員を経て、広島文理科大学数学科卒業。和暦および暦法研究の過程で、谷秦山(渋川春海の弟子)の土佐勤皇思想(土佐南学)に接し、皇国史観にのめり込む。平泉澄(当時東京帝国大学教授)が開いた青々塾の門下生となり、皇国史観で著名な「平泉学派」のイデオローグの一人とみなされるに至る。 広島文理大研究生、陸軍士官学校嘱託教官を経て陸軍教授(1933年以降青々塾門下生が次々に陸海軍学校の教官に迎え入れられている)。のち、総力戦研究所所員(思想担当教官)として同所研究生等に「皇国思想」を教授するが、当時の日本の各界の若手エリートからなる同所研究生の間では時代錯誤的であるとして評判が悪かったといわれる。
片山 敏彦(かたやま としひこ、1898年(明治31年)11… 片山 敏彦(かたやま としひこ、1898年(明治31年)11月5日 - 1961年(昭和36年)10月11日)は、日本の詩人、文学研究者、ドイツ文学者、フランス文学者、翻訳家。 ロマン・ロラン、ヘッセ、リルケ、ハイネ、ゲーテらの翻訳も多く、『著作集』全10巻がある。 1898年11月5日、高知県医師会会長・片山徳治の長男として高知市帯屋町に生まれる。母の名は「歌」で、姉・佐栄との4人家族であった。1905年、高知市立第三尋常小学校へ入学、1911年、高知県立第一中学校(現在の追手前高校)に進んだ。多感で、詩に牽かれ、短歌を投稿するなどした。 1916年、岡山市の第六高等学校第3部(医科)に入学し、西欧の哲学、文学を耽読した。