久保田 和馬(くぼた かずま、1989年3月23日 - )は… 久保田 和馬(くぼた かずま、1989年3月23日 - )は、日本の映画ライター、映画評論家。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
職業が映画評論家:143人
久保田 和馬(くぼた かずま、1989年3月23日 - )は… 久保田 和馬(くぼた かずま、1989年3月23日 - )は、日本の映画ライター、映画評論家。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
桂 ちきん(かつら ちきん、本名:峯松 明生、1985年5月… 桂 ちきん(かつら ちきん、本名:峯松 明生、1985年5月22日 - )は、大阪府松原市出身の落語家・映画評論家。吉本興業所属。上方落語協会会員。よしもと奈良県住みます芸人。 小学校の頃からお笑いに興味を持ち、学生時代はバスター・キートン、チャールズ・チャップリン、ハロルド・ロイド、古川ロッパなどの喜劇から日本の砂川捨丸・中村春代、横山エンタツ・花菱アチャコの漫才、また上方落語、戦前、戦後の寄席演芸、バラエティ番組にいたるまでを研究に没頭。また喜劇映画にも精通する。週に映画を20本観ている。 奈良産業大学卒業後、2008年9月に桂きん枝(現・4代桂小文枝)に入門。当初芸名は謹賀新年にちなんで「きんが」(漢字表記不明)という候補があったが却下された、ちきんの友人らに相談したら「ちきん」と「きんかん」という候補が上がり、「ちきん」が選ばれた。
はづき 藍(はづき あい、1978年8月2日 - )は、日本… はづき 藍(はづき あい、1978年8月2日 - )は、日本の脚本家、映画評論家。本名:相川 はづき(あいかわ はづき)。血液型はO型。
吉田 伊知郎(よしだ いちろう、1978年 - )は、日本の… 吉田 伊知郎(よしだ いちろう、1978年 - )は、日本の映画評論家、映画ライター。 兵庫県出身。大阪芸術大学映像学科卒。別名義はモルモット吉田。
中井 圭(なかい けい、1977年3月20日- )は、日本の… 中井 圭(なかい けい、1977年3月20日- )は、日本の映画評論家。兵庫県川西市出身。関西大学法学部政治学科卒。映画紹介プロジェクト「映画の天才」代表。才能育成プロジェクト「偶然の学校」代表。無料上映プロジェクト「ナカメキノ」クリエイティブディレクター。
辰巳 孝太郎(たつみ こうたろう、男性、1976年〈昭和51… 辰巳 孝太郎(たつみ こうたろう、男性、1976年〈昭和51年〉8月21日 - )は、日本の政治家、ラジオパーソナリティ、映画評論家。日本共産党所属の衆議院議員(2期)、日本共産党中央委員。参議院議員(1期)を務めた。政治活動においては「たつみコータロー」表記を用いる。 大阪府大阪市西淀川区出身。「孝太郎」の「孝」は、父親が江戸時代初期に活躍した儒学者中江藤樹の著書「孝経啓蒙」に因んで名付けたという。大阪府立北野高等学校卒業後、「やりたいことを探して」単身アメリカ合衆国へ渡る。テネシー州のカーソン・ニューマン大学を経て、マサチューセッツ州ボストンのエマーソン大学映画学科に編入し卒業。 帰国後映像制作会社に入るが、国際連合ボランティアでコソボに赴任していた兄の求めに応じ、「コソボ高校生の日本招聘プロジェクト」事務局長に就く。
三浦 哲哉(みうら てつや、1976年 - )は、日本の映画… 三浦 哲哉(みうら てつや、1976年 - )は、日本の映画批評家。青山学院大学文学部教授。博士(学術)。 福島県立安積高等学校を経て、一橋大学社会学部卒業、フランス・カーン大学大学院DEA課程映画演劇コース修了、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論コース博士課程修了、博士(学術)。 日本学術振興会特別研究員を経て、2013年から青山学院大学文学部比較芸術学科准教授。2021年から同教授。2015年度映画美学校批評家養成ギブス講師。 また、2011年より日本各地で開かれている映画上映とトークのプロジェクトImage.Fukushimaの代表を務める。2012年、著書『サスペンス映画史』が刊行される。
石橋 今日美(いしばし きよみ、1975年 - )は、日本の… 石橋 今日美(いしばし きよみ、1975年 - )は、日本の映画監督、映画批評家。 東京大学大学院修士課程修了。パリ第3大学映画学科博士課程修了。ウェブ雑誌『Flowerwild』編集長、東京工科大学メディア学部助教、東京映画社企画制作グループのディレクターなどを歴任。映画批評家として『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン』や『マリ・クレール・ジャポン』などに寄稿する。 2007年、携帯電話を用いて撮影した監督第一作『Silent Scream』がパリ市立映像フォーラム主催ポケット・フィルム・フェスティバルに出品される。2009年、『Spyder』がロッテルダム国際映画祭に出品される。
平沢 剛(ひらさわ ごう、1975年 - )は、日本の映画評… 平沢 剛(ひらさわ ごう、1975年 - )は、日本の映画評論家、映画研究者。明治学院大学非常勤講師。 1975年神奈川県生まれ。明治学院大学文学部芸術学科卒業。四方田犬彦のもとで映画学を学ぶ。同じゼミには小説家の木村紅美がいる。『VOL』(以文社)編集委員。編著として『アンダーグラウンド・フィルム・アーカイブス』(河出書房新社、2003年)、共編として『ファスビンダー』(現代思潮新社、2005年)、聞き手として足立正生『映画/革命』(河出書房新社、2003年)など。 2014年より、文化庁新進芸術家海外研修員としてロンドン、ニューヨークに留学。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。
藤井 仁子(ふじい じんし、1973年 - )は、日本の映画… 藤井 仁子(ふじい じんし、1973年 - )は、日本の映画批評家、早稲田大学文学部教授、テアトル・オブリーク主宰。 1997年京都大学法学部卒、同大学院人間・環境学研究科修士課程修了。立教大学文学部助手を経て、現職。京都映画祭専門委員。日本映像学会機関誌編集担当常任理事。 2008年、編著『入門・現代ハリウッド映画講義』を人文書院より刊行し、神戸映画資料館や『週刊読書人』で取り上げられた。2009年、記録映画アーカイブ・プロジェクトで岩波映画『佐久間ダム』についての報告を行う。2011年、木村建哉と中村秀之との編著『甦る相米慎二』をインスクリプトより刊行した。2012年、丹羽美之・吉見俊哉編『岩波映画の1億フレーム』に寄せた論考が管啓次郎から評価される。
石田 美紀(いしだ みのり、1972年 - )は、日本の映画… 石田 美紀(いしだ みのり、1972年 - )は、日本の映画批評家、映画学者、新潟大学人文学部准教授。 京都府生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程を修了。2008年、著書『密やかな教育 〈やおい・ボーイズラブ〉前史』が洛北出版より刊行される。同書において、竹宮惠子と増山法恵と佐川俊彦へのインタヴューを行った。2005年「ファシスト政権下イタリア映画の自己形成における「白」の視覚 :批評用語「白い電話」をめぐる諸問題」で京大博士(環境・人間学)。2007年新潟大学人文学部准教授。
松崎 健夫(まつざき たけお、1970年8月8日 - )は、… 松崎 健夫(まつざき たけお、1970年8月8日 - )は、日本の映画評論家。兵庫県神戸市出身。東京芸術大学大学院映像研究科映画専攻修了。日本映画ペンクラブ会員。 映画・テレビ・ラジオの現場を経て、映画専門の執筆業に転向した。 2011年に『WOWOW映画王選手権』で優勝し、WOWOW公認・初代映画王となる。それを機に、ニコニコ動画のWOWOW公式チャンネルで放送していた『WOWOWぷらすと』で添野知生、堺三保らと映画解説を担当していた。[要出典] 活動当初は肩書きを映画文筆家としていたが、2015年1月21日『WOWOWぷらすと』番組内で肩書きを変更して映画評論家と名乗る旨、映画評論家の町山智浩の前で宣言する。
遠山 純生(とおやま すみお、1969年 - )は、日本の映… 遠山 純生(とおやま すみお、1969年 - )は、日本の映画評論家、編集者。 1969年、愛知県に生まれる。早稲田大学第一文学部卒業。1990年代後半より映画評の執筆と書籍編集を始める。これまでに、エスクァイア・マガジン・ジャパンのe/mブックスのほか、映画パンフレットの執筆、編集を手がけている。2021年『アメリカ映画史 再構築 社会派ドキュメンタリーからブロックバスターまで』で芸術選奨新人賞受賞。
阿部 和重(あべ かずしげ、1968年〈昭和43年〉9月23… 阿部 和重(あべ かずしげ、1968年〈昭和43年〉9月23日 - )は、日本の小説家・映画評論家。山形県東根市出身。妻は同じく小説家の川上未映子。 日本映画学校(現・日本映画大学)卒業。演出助手などを経て、1994年に「アメリカの夜」で群像新人文学賞を受賞しデビュー。1997年の『インディヴィジュアル・プロジェクション』で注目をあつめる。テロリズム、インターネット、ロリコンといった現代的なトピックを散りばめつつ、物語の形式性をつよく意識した作品を多数発表している。2004年に『シンセミア』で伊藤整文学賞および毎日出版文化賞を、2005年に「グランド・フィナーレ」で芥川龍之介賞(芥川賞)をそれぞれ受賞。
なかざわ ひでゆき(1968年6月26日 - )は映画評論家… なかざわ ひでゆき(1968年6月26日 - )は映画評論家・音楽評論家、フリーライター。長野県佐久市出身。 3人きょうだいの長男として生まれる。生後4か月で父の仕事の関係によりモスクワに移住。4歳時に一旦帰国したものの小学校4年時に再度モスクワへ。ロシア共産党政権下の外国人として生活する。再帰国後、日本大学芸術学部映画学科、日本大学芸術学部大学院芸術学研究科卒業。 フリーライターとしては雑誌「イメージフォーラム」の1991年2月号特集「イタリア映画パラダイス」でデビュー。イタリア映画、カルト映画、ハリウッド・クラシックに造詣が深い。また、主にヨーロッパ、地中海近辺、アラブなど英語圏以外のポップスや60-80年代のポップスなどの知識も豊富。
鈴木 裕史(すずき ひろふみ、1967年1月28日 - )は… 鈴木 裕史(すずき ひろふみ、1967年1月28日 - )は、日本の放送作家、映画評論家。テレビ番組の企画、構成、制作、ウェブ制作も行う。自称「報道からコントまで何でも屋のエンタテイメント職人」。東京都出身、埼玉県立浦和西高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。有限会社ミンナハッピー取締役社長。 早稲田大学在学中の19歳から放送作家の仕事を始め、卒業後、そのままテレビ・ラジオの世界へと進み、放送作家として番組制作に携わる。 1998年5月から2001年3月までロサンゼルスに留学。Santa Monica College、CSUN(California State University, Northridge)、UCLA Extensionにて学ぶ。
樺沢 紫苑(かばさわしおん、本名:佐々木 信幸、1965年1… 樺沢 紫苑(かばさわしおん、本名:佐々木 信幸、1965年10月27日 - )は日本の精神科医で、映画評論家、作家、YouTuber。北海道札幌市生まれ、江別市大麻育ち。浅井企画に所属。血液型はO型。 小さい頃から熱心な映画少年だった。1991年札幌医科大学医学部卒業後、同大学の神経精神医学講座に入局。精神科医を志したきっかけは、研修医時代のカンファレンス(症例検討会)で精神科だけが予診を行い人間として患者に接しているように感じられたことと、夢野久作原作の映画『ドグラ・マグラ』を観たこと。 大学病院、総合病院、単科精神病院など北海道内の8病院に勤務する。2004年から米国シカゴのイリノイ大学に3年間留学。
青山 真治(あおやま しんじ、1964年7月13日 - 20… 青山 真治(あおやま しんじ、1964年7月13日 - 2022年3月21日)は、日本の映画監督、小説家、音楽家、映画批評家。元多摩美術大学教授。妻は女優のとよた真帆。 福岡県北九州市出身。福岡県立門司高等学校在学時には音楽活動をしており、いくつかのバンド経験を経た後に広石武彦らとバンド「UP-BEAT UNDERGROUND」(後のUP-BEAT)を結成するが、青山は大学受験のために高校3年生の時点でバンドを脱退している。 1989年、立教大学文学部英米文学科卒業。立教大学一般教育部で、蓮實重彦の「映画表現論」の授業から強い影響を受けた。 大学卒業後、ディレクターズ・カンパニーの現場に参加、フリーの助監督になる。
佐々木 敦(ささき あつし、1964年7月8日 - )は、日… 佐々木 敦(ささき あつし、1964年7月8日 - )は、日本の映画評論家・音楽評論家・文芸評論家・時事評論家、小説家。雑誌編集者。 早稲田大学元客員教授、慶應義塾大学ほか非常勤講師、HEADZ代表。雑誌『エクス・ポ』『ヒアホン』編集人。文学ムック『ことばと』編集長。 愛知県名古屋市生まれ。名古屋市立桜台高等学校を経て、早稲田大学卒業。映画評、音楽評、時評、小説評などを多数の媒体に寄稿する一方、自らの事務所であるHEADZで海外ミュージシャンの昭凱[要説明]やコンサート、フェスティバルなどの企画制作を手掛ける。 2001年、慶應義塾大学環境情報学部の非常勤講師に着任。2002年から慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスおよび武蔵野美術大学で非常勤講師。
松崎 まこと(まつざき まこと、1964年 - )は、放送作… 松崎 まこと(まつざき まこと、1964年 - )は、放送作家、映画評論家(自称は「映画活動家」。映画検定1級)。 早稲田大学第一文学部卒業。ラジオで『大沢悠里のゆうゆうワイド』『伊集院光 日曜日の秘密基地』『荒川強啓 デイ・キャッチ!』、東京MX『博士の異常な鼎談』『松嶋×町山 未公開映画を観るTV』、WOWOW『町山智浩の映画塾』などの構成を担当。 また、『WOWOWぷらすと』などで、映画評論家松崎健夫とのコンビ“松崎ブラザーズ”の“松崎A”として映画深掘りトークを展開している。 田辺・弁慶映画祭には、第1回から参加。2014年の第8回からは、コンペティション部門ティーチインの司会およびキネマイスター審査員のコーディネーターを務める。
柳下 毅一郎(やなした きいちろう、1963年12月30日 … 柳下 毅一郎(やなした きいちろう、1963年12月30日 - )は、日本の映画評論家、英米文学翻訳家、殺人研究家。自称「特殊翻訳家」(後述)。多摩美術大学造形表現学部映像演劇学科非常勤講師(映像芸術論)。 大阪府生まれ。母親が熱心なSFファンであり、実家にあった大量のハヤカワSFシリーズと『SFマガジン』のバックナンバーを読む。 甲陽学院中学校・高等学校から東京大学理科一類を経て東京大学工学部建築学科卒業。東京大学在学中は、山形浩生と共に、「東京大学SF研究会」に属し、共同でウィリアム・バロウズについての研究ファンジン「バロウズ本」を作成し(北北西SF名義)、1988年のSFファンジン大賞の翻訳・紹介部門を受賞。
種田 守倖(たねだ もりゆき、1963年12月24日 - )… 種田 守倖(たねだ もりゆき、1963年12月24日 - )は、大阪府大阪市在住のメディアプロデューサー、災害ジャーナリスト、コンセプター、映像作家、放送作家、映画評論家、ナレーター、ラジオパーソナリティ。後述の離別まで、れいわ新選組の選挙対策メンバーを務めていた。 過去に本名の種田守倖(たねだ もりゆき)の他、幾つかのペンネームで活動していたが、2005年頃から榎田信衛門名義に一本化して活動している。 父は土木学者・測量学者の種田守、母は地図製図技術者の種田幸子である。 父が山梨県に赴任していた際に出生。直後に東京都小平市に転居する。 小平学園幼稚園からの帰り道、近所のスーパーでラジオの生中継を体験し衝撃を受ける。
小山 正(おやま ただし、1963年 - )は、日本のテレビ… 小山 正(おやま ただし、1963年 - )は、日本のテレビプロデューサー(日本テレビ放送網)、ミステリおよびミステリ映画評論家。 東京都出身。慶應義塾大学卒業。大学では慶大推理小説同好会に所属。妻はミステリ作家の若竹七海。バカミス概念を提示したことで知られる。 日本テレビのテレビプロデューサーとして制作した主な番組には、
篠崎 誠(しのざき まこと、1963年 - )は、日本の映画… 篠崎 誠(しのざき まこと、1963年 - )は、日本の映画監督、脚本家、映画批評家。 立教大学映像身体学科教授。映画美学校フィクション・コース講師。 立教大学心理学科卒業後、映画ライターとして『キネマ旬報』『東京人』などで執筆。1995年、初長編映画『おかえり』がテッサロニキ国際映画祭国際批評家連盟賞を受賞する。2010年には、『東京島』が公開されたほか、『怪談新耳袋 怪奇』が公開された。2011年、『死ね!死ね!シネマ』が公開される。2012年、『あれから』が第25回東京国際映画祭に出品される。2014年、『SHARING』が第19回釜山国際映画祭「アジア映画の窓」部門にて上映される。
北小路 隆志(きたこうじ たかし、1962年 - )は、日本… 北小路 隆志(きたこうじ たかし、1962年 - )は、日本の映画批評家である。 早稲田大学政治経済学部卒業、早稲田大学大学院経済学研究科修士課程修了。『映画芸術』『キネマ旬報』『現代思想』『すばる』『装苑』などで批評を執筆する。東京国立近代美術館フィルムセンター客員研究員、京都造形芸術大学映画学科教授などを歴任。2010年、第23回東京国際映画祭日本映画「ある視点」部門の審査委員を務めた。主な著書に、『いますぐ抱きしめたい』から『若き仕立屋の恋』までのウォン・カーウァイ作品を論じた『王家衛的恋愛』がある。
添野 知生(そえの ちせ、1962年 - )は、SF映画評論… 添野 知生(そえの ちせ、1962年 - )は、SF映画評論家。 東京都出身。弘前大学人文学部卒業。弘前大学SF研究会出身。WOWOW勤務、「SFオンライン」編集者をへてフリー。 「キネマ旬報」「映画秘宝」「SFマガジン」で連載記事を持つ。90年代、米国ギターポップとオルタナ・カントリーのファンジン「Jem」に参加。 BS朝日のエンタメ情報番組『japanぐる~ヴ』で松崎健夫と共に映画紹介を繰り広げたコーナーが、番組終了後スピンオフの形で「映画Tube【そえまつ映画館】」として配信開始した(2023年1月13日配信分以降は体調不良により欠席が続いている)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
塩田 明彦(しおた あきひこ、1961年9月11日 - )は… 塩田 明彦(しおた あきひこ、1961年9月11日 - )は日本の映画監督、脚本家、映画批評家、教師である。
青柳秀侑(あおやぎ ひですけ、1960年12月29日 -20… 青柳秀侑(あおやぎ ひですけ、1960年12月29日 -2021年6月30日)は、フリーアナウンサー・映画評論家。文化放送元アナウンサー。 1960年、福島県に生まれる。3歳より神奈川県川崎市で育ち、神奈川県立川崎高等学校を卒業。茨城大学在学中、本格的な映画製作に取り組む。 卒業後の1983年、文化放送に入社し、ニュースや文化・芸能番組などを担当。1990年に独立。ラジオを中心に映画の最新情報やコラムを展開し、レポーターとしても活躍した。NHKラジオ第1「ラジオ深夜便」では、月1回の映画紹介コーナー「待ち合わせは映画館で」を、1996年から22年間担当した。 神奈川県内の高校放送部コーチ、神奈川県立大師高校社会人講師などとして、20年以上高校での指導に当たった。
名越 康文(なこし やすふみ、1960年6月21日 - )は… 名越 康文(なこし やすふみ、1960年6月21日 - )は、日本の精神科医、映画評論家。 専門は思春期精神医学、精神療法。高野山大学客員教授、相愛大学客員教授。 奈良県大和高田市出身。大阪星光学院中学校・高等学校、近畿大学医学部卒業。両親は薬剤師。 母親は6代続く医者の家系の長女だが、当時の女医への偏見もあり医者への道を断念。父親は医学部を目指していたものの、浪人することを親が許さなかったため薬学部に進学。そのため幼い頃から両親に「お前は医者になるんだ」と言われて育ち、職業選択の自由が無かったと話している。 中学受験時、元々は東大寺学園中学校・高等学校を目指していたが不合格になり、大阪星光学院中学校・高等学校に進んだ。
安井 豊作(やすい ほうさく、1960年 - 2025年)は… 安井 豊作(やすい ほうさく、1960年 - 2025年)は、日本の映画批評家、映画監督である。 アテネ・フランセ文化センターのキュレーター、『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン』の編集委員、映画美学校の初代事務局長などを歴任。 2011年、著書『シネ砦 炎上す』を刊行し、『映画芸術』『東京新聞』『週刊読書人』で取り上げられた。そのほか、共著に『黒沢清の映画術』がある。 2011年、法政大学学生会館の解体を捉えた灰野敬二出演の長編映画『Rocks Off』を監督した。
宮台 真司(みやだい しんじ、1959年3月3日 - )は、… 宮台 真司(みやだい しんじ、1959年3月3日 - )は、日本の社会学者、映画批評家。学位は社会学博士(東京大学・1990年)。首都大学東京教授[3][4]。宮城県仙台市出身。
上島 春彦(かみじま はるひこ、1959年 - )は、日本の… 上島 春彦(かみじま はるひこ、1959年 - )は、日本の映画評論家である。國學院大學文学部卒業。 2006年、著書『レッドパージ・ハリウッド 赤狩り体制に挑んだブラックリスト映画人列伝』が作品社より刊行される。
西田 和昭(にしだ かずあき、1958年7月16日 - )は… 西田 和昭(にしだ かずあき、1958年7月16日 - )は、大分県佐伯市出身の俳優、映画評論家、ゆーとぴあ・ホープ門下のお笑い芸人。本名並びに旧芸名は西田 和晃、ぼん西田。愛称は永らく「ぼんちゃん」。2010年7月以降『異母栗 ぼん』(いぼぐり ぼん)の異名も持つ。 中学時代に見た、ジャン=ルイ・バローの「天井桟敷の人々」を見てパントマイムにあこがれ、学園祭などで披露していた。第一経済大学在学中は、宮﨑重明(飛鳥涼)、柴田秀之(Chage)らと同窓。チャゲ&飛鳥は7名を加えたバンドで、そのメンバーらと共に活動していた。メジャーデビューにあたり2人だけが売り出される事になり、他の創立メンバーはチャゲ&飛鳥から放逐された(西田はバンドメンバーではないので直接の関係はない)。
畑中 佳樹(はたなか よしき、1958年3月 - )は、アメ… 畑中 佳樹(はたなか よしき、1958年3月 - )は、アメリカ文学者、映画評論家、東京学芸大学教授。
春岡勇二(はるおか ゆうじ、1958年 - )は、日本の編集… 春岡勇二(はるおか ゆうじ、1958年 - )は、日本の編集者、映画評論家。島根県出雲市出身。 大阪芸術大学映像計画学科卒業。一般企業に就職後、1982年12月号から情報誌『プレイガイドジャーナル』に参加。映画担当となり、1985年からは副編集長を兼任、雑誌休刊時まで務めた。 1988年からフリーとなり、映画評論家として、主に関西を中心に活動する。 キネマ旬報ベストテン、朝日ベストテン映画祭、毎日映画コンクール選考委員。京都造形芸術大学非常勤講師(2011年~15年)、京都学園大学人間文化学部非常勤講師(現代映画論)(2004年~18年)、大阪ビジュアルアーツ専門学校講師(1999年~)。2022年から大阪芸術大学客員教授。
沢田 康彦(さわだ やすひこ、1957年10月5日 - )は… 沢田 康彦(さわだ やすひこ、1957年10月5日 - )は、日本の編集者、エッセイスト、映画評論家、映画プロデューサー。ファックス&メール短歌の会『猫又』主宰。『暮しの手帖』前編集長。滋賀県生まれ、現在は京都市に在住。 戸籍上の正確な表記は澤田 康彦(読みは同じ)。前妻は作家の蒔岡雪子。2002年に再婚して現在の妻は女優の本上まなみ。 滋賀県立彦根東高等学校、上智大学外国語学部フランス語学科卒業。在学中に『本の雑誌』の書店配本部隊に参加。また、椎名誠が主催する「東ケト会」に「ドレイ」として参加し、離島でのキャンプ活動に参加し、椎名の著書『怪しい探検隊』シリーズに実名で登場している。 大学卒業後、マガジンハウスに入社し、雑誌『BRUTUS』などの編集を行う。
加藤 幹郎(かとう みきろう、1957年1月23日 - 20… 加藤 幹郎(かとう みきろう、1957年1月23日 - 2020年9月26日)は、日本の映画批評家、映画学者。京都大学名誉教授。日本映画学会初代会長(2005年 - 2012年)。 長崎県長崎市生まれ。1981年筑波大学比較文化学類卒業。筑波大学院博士課程文芸・言語研究科単位取得満期退学。英文学者として出発。ジェイムズ・ジョイスに関する論文「Ulyssesの謎--第15挿話"Circe"を中心に」により第9回日本英文学会新人賞受賞。1986年、帝京大学専任講師に着任。 その後、映画研究にシフト。1999年、京都大学より論題「古典的ハリウッド映画の構造と歴史:ジャンルの生成とヘイズ・コード」で、博士(人間・環境学)。
斎藤 英治(さいとう えいじ、1957年 - )は、日本のア… 斎藤 英治(さいとう えいじ、1957年 - )は、日本のアメリカ文学研究家、映画評論家、翻訳家。明治大学法学部教授。 茨城県生まれ。茨城県立水戸第一高等学校、慶應義塾大学文学部西洋史学科卒業。明治大学文学研究科英文科修士課程修了。 大学時代に映画・文学批評の同人誌「キップル」を畑中佳樹、武藤康史と発行。小説家の村上春樹が1986年にジョン・アーヴィングの『熊を放つ』を翻訳する際、柴田元幸、畑中佳樹、上岡伸雄、斎藤英治、武藤康史の5人でチームを組んでバックアップした。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
大場 正明(おおば まさあき 1957年 -)は、日本の映画… 大場 正明(おおば まさあき 1957年 -)は、日本の映画評論家。横浜市出身。中央大学法学部卒業。『SWITCH』、『エスクァイア』などを主な執筆の場とする。アメリカ文化に詳しく、サバービア(郊外)についての考察を絡めた映画評が出色である。映画以外にも、ブルース関連書の共訳、フィリップ・ディックについての研究書の共訳、フリークスについてのレスリー・フィードラーの著書の伊藤俊治らとの共訳もある。 趣味は、登山、写真、料理。
筒井 武文(つつい たけふみ、1957年 - )は、日本の映… 筒井 武文(つつい たけふみ、1957年 - )は、日本の映画監督、映画評論家。東京芸術大学大学院映像研究科教授。 1957年、三重県に生まれる。東京造形大学在学中の1982年、『レディメイド』を発表する。2004年、長編監督作品としては『ゆめこの大冒険』(1987年)以来となる『オーバードライヴ』が公開される。2011年、竹厚綾と綾野剛と三村恭代を主演に迎えた『孤独な惑星』が公開される。
西森 マリー(にしもり まりー、1956年7月19日 - )… 西森 マリー(にしもり まりー、1956年7月19日 - )は、イギリス出身、1980 - 1990年代の日本で活躍した翻訳家、映画評論家であり、米国のジャーナリストである。本名、マリー・シェヘラザード・伊神(1986年時点)。 野生動物保護運動に取り組み、イスラム教徒でもある。菜食主義者。 父はオランダ人、母は日本人。英語、アラビア語、フランス語、日本語に堪能。 1976年にエジプトのカイロ大学へ留学(専攻は比較言語心理学)後、東京外国語大学(心理学、アラビア語専攻)卒業。1979年、フジテレビにリポーターとして入社。フジテレビ退社後は『11PM』(日本テレビ)でインタビュアーなどを務める。キャスター以外にロックの訳詞家としては、ローリング・ストーンズ、デフ・レパード、ボン・ジョヴィなどの1000枚以上のアルバムに日本語訳詞をつけた。
那田 尚史(なだ ひさし、1956年 - 2022年)は、日… 那田 尚史(なだ ひさし、1956年 - 2022年)は、日本の映画評論家。 アマチュア映画・小型映画の研究者として知られており、牧野守が提起した小型映画研究に関する問題意識を発展させた1人に数えられる。 1956年に愛媛県に生まれ、1991年に早稲田大学大学院文学研究科修士課程を修了した後、早稲田大学や東京工芸大学などで非常勤講師を勤める。1900年代初頭から小型映画フィルムの収集を進め、1992年に発表した「日本個人映画の歴史」はアマチュア映画研究の貴重な先行研究であると後藤一樹は評価している。 2008年から「微笑禅の会」を設立し、独自の禅に取り組む。2009年、非常勤講師を退職後、「ロータス人づくり企画」を創設。
万田 邦敏(まんだ くにとし、1956年 - )は日本の映画… 万田 邦敏(まんだ くにとし、1956年 - )は日本の映画監督、脚本家、映画批評家。東京都出身。立教大学現代心理学部映像身体学科教授[3]。妻の万田珠実とは『Unloved』『接吻』で共同脚本を執筆している[4]。
黒沢 清(くろさわ きよし、1955年〈昭和30年〉7月19… 黒沢 清(くろさわ きよし、1955年〈昭和30年〉7月19日 - )は、日本の映画監督、脚本家、映画批評家、小説家。東京芸術大学大学院映像研究科映画専攻教授。同業である黒澤明との血縁関係はない。 1955年、兵庫県神戸市生まれ。六甲学院高等学校卒業。大学在学中より8ミリ映画の制作をはじめる。1980年、立教大学社会学部産業関係学科卒業。 立教大学では、自主映画製作集団「パロディアス・ユニティ」に所属。同サークルには森達也や塩田明彦らがいた。蓮實重彦の「映画表現論」を受講し強い影響を受ける。 1981年、8ミリ映画『しがらみ学園』が第4回ぴあフィルムフェスティバルに入選。 大学4年生の時に雑誌『GORO』の対談で出会い知遇を得た長谷川和彦から声をかけられ『太陽を盗んだ男』に制作助手として参加。
木村 奈保子(きむら なほこ、1955年1月11日 - )は… 木村 奈保子(きむら なほこ、1955年1月11日 - )は、映画評論家、著述家、実業家。ヒーロー・インターナショナル株式会社代表取締役。元中部日本放送アナウンサー。木村奈保子事務所所属。血液型O型。 かつては淀川長治、高島忠夫、荻昌弘、水野晴郎などと共にテレビのゴールデンタイム枠の映画番組で映画解説者を務めた。17年間解説を担当した『木曜洋画劇場』(テレビ東京系)では「あなたのハートには、何が残りましたか?」というキャッチフレーズを用いた。 兵庫県神戸市生まれ。京都外国語大学外国語学部英米語学科を卒業後、中部日本放送にアナウンサーとして入社。同期に入社した女子アナウンサーには、地元局の毎日放送を経て、のちに歌手のASKAの妻になった八島洋子がいる。
福井 次郎(ふくい じろう、1955年 - )は、日本の小説… 福井 次郎(ふくい じろう、1955年 - )は、日本の小説家、詩人、映画評論家。 趣味のユダヤ人研究、 映画、専門の世界史を結びつけた本を執筆している。2013年には自身初の小説も刊行した。 青森県大鰐町出身、在住。父は中学校の教員であった。日本作詞家協会に所属した時期もあった。青森県立弘前高等学校入学後は演劇部に入部した。演劇部では全国大会優勝を成し遂げた。小惑星探査機「はやぶさ」のプロジェクトマネージャー川口淳一郎は同期。一浪の後、早稲田大学第一文学部に入学。入学後1年目の夏には弘前市で劇団「炎天下」を立ち上げた。寺山修司は大学時代、一時アルバイトしていた渋谷のパブレストランの常連であった。
友成 純一(ともなりじゅんいち、1954年(昭和29年)9月… 友成 純一(ともなりじゅんいち、1954年(昭和29年)9月28日 - 2024年(令和6年)7月23日)は、日本の小説家、コラムニスト、映画評論家。日本推理作家協会会員。日本SF作家クラブ会員。変格ミステリ作家クラブ会員。 福岡県出身。早稲田大学政治経済学部卒業。大学在学中の1977年に「透明人間の定理 リラダンについて」で幻影城新人賞評論部門に佳作入選。その後スーパー変態マガジン『Billy』(白夜書房)にて1981年9月号から1984年8月号にかけて「人獣裁判」を連載する。これがSM雑誌の編集者の目に留まり、1985年に「肉の儀式」(ミリオン出版)で小説家デビュー。官能的でバイオレントな作風が注目を浴びる。
梅本 洋一(うめもと よういち、1953年1月9日 - 20… 梅本 洋一(うめもと よういち、1953年1月9日 - 2013年3月12日)は、日本の映画批評家、元横浜国立大学教授(映画論、フランス演劇史)である。長期留学中に、パリ大学(第8大学)で芸術学博士を授与。帰国後、文学博士(早稲田大学)を授与[要出典]。また、当初の執筆書籍には芸術学博士と書いていたことも多かったようだ[要出典]。 1953年1月9日、神奈川県横浜市出身。 1981年、28歳のとき、『視線と劇場』で「第二回ダゲレオ出版評論賞」を受賞、日本の映画批評界にデビューする。留学先のパリから帰国した1980年代初頭、東京日仏学院で「梅本洋一の木曜シネクラブ」を開き、『月刊イメージフォーラム』(ダゲレオ出版刊)で同名の連載を開始。
晏 妮(アン ニ、YAN Ni,1953年-)は、中国北京市… 晏 妮(アン ニ、YAN Ni,1953年-)は、中国北京市出身の映画学者、映画評論家。専門は日中比較映画史、映像学、表象文化論。かつて一橋大学大学院社会学研究科客員教授や日本映画大学特任教授を務めた。 清華大学外国語学部を卒業し中国電影家協会(英語版)に入った。清水晶の知遇を得て川喜多記念映画財団の招きで来日し、映画評論活動を行う。早稲田大学大学院文学研究科で修士学位取得後、2007年一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程を修了し、論文「戦時下の日中映画交渉―その史的展開をめぐって」で、一橋大学博士(社会学)学位を取得。 一橋大学大学院社会学研究科の特任講師や、日本映画大学特任教授、川喜多記念映画文化財団客員研究員、明治学院大学言語文化研究所研究員、華東師範大学比較人文研究所研究員、早稲田大学、慶應義塾大学、東京工業大学、法政大学、明治学院大学の非常勤講師を歴任。
井筒 和幸(いづつ かずゆき、1952年12月13日 - )… 井筒 和幸(いづつ かずゆき、1952年12月13日 - )は、日本の映画監督、映画評論家。井筒プロダクション所属。代表作は『二代目はクリスチャン』『犬死にせしもの』『のど自慢』『パッチギ!』など。テレビ、ラジオのコメンテーターとしても活動し、映画評論家としては映画監督や製作者、スタッフ、キャストの視点に立った辛辣な映画批評でも知られる。奈良県出身。 アメリカン・ニューシネマに傾倒し、奈良県立奈良高等学校 時代から8ミリと16ミリ映画の製作を行っており、1975年に友人と映画制作グループ「新映倶楽部」を設立する。 1975年にピンク映画『行く行くマイトガイ 性春の悶々』を初監督(「ゆけゆけマイトガイ性春の悶々」に後に改題。