スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
近藤 亮太(こんどう りょうた、1999年10月5日 - )… 近藤 亮太(こんどう りょうた、1999年10月5日 - )は、日本の陸上競技選手。長崎県島原市出身。順天堂大学スポーツ健康科学部卒業。三菱重工マラソン部所属。 島原市立第一中学校、長崎県立島原高等学校、順天堂大学出身。 大学時代は4年時に箱根駅伝(第98回大会)の10区に出場し、チームの15年ぶり表彰台となる2位でゴールテープを切ったものの、個人では区間14位にとどまるなど大きな実績はなかった。 2025年2月24日の第13回大阪マラソンでは2秒差で優勝は逃したものの、初マラソン日本最高記録の2時間05分39秒で日本選手1位になった。この結果によって2025年世界陸上男子マラソン代表に選手された。
宮﨑 香蓮(みやざき かれん、1993年11月20日 - )… 宮﨑 香蓮(みやざき かれん、1993年11月20日 - )は、日本の女優。
渡辺 舞(わたなべ・まい、1983年(昭和58年)10月24… 渡辺 舞(わたなべ・まい、1983年(昭和58年)10月24日 - )は、九州各地で活動していたキャスター・アナウンサー。 長崎県南高来郡国見町(現・雲仙市)出身。長崎県立島原高等学校などを卒業後、2006年より地元長崎放送『あっ!ぷる』のリポーターを務める。その後2010年よりNHK大分放送局の契約キャスターを務め、翌年よりNHK熊本放送局に移籍し、2012年末まで活動。NHKではいずれも夕方のニュース番組を担当。 なお、2013年に入ってからの活動状況は不明。 サッカーどころで育ったこともあり幼い頃からサッカー好きで、本人はヘディングによるリフティングを得意とする。長崎放送ではそのことを生かした企画が組まれたほか、熊本局では池田伸子アナが東日本大震災に伴う応援派遣でサッカー情報を担当できなかった時の代役も務めている。
佐藤 倫子(さとう のりこ、1983年〈昭和58年〉4月11… 佐藤 倫子(さとう のりこ、1983年〈昭和58年〉4月11日 - )は、長崎県島原市出身のフリーアナウンサー、元名古屋テレビ放送(メ〜テレ)の女性アナウンサー。主に土曜午前の情報番組を担当していた。 血液型A型。趣味は美術館めぐり、特技はバレエ。 東京都生まれで12歳まで在住、中学・高校・大学時代を現在の長崎県島原市で過ごした。長崎県立島原高等学校、活水女子大学卒業。学生時代に、長崎観光親善大使(ロマン長崎)及び『ゼクシィ』九州版の専属モデルを務めたことがある。 大学卒業後、2006年(平成18年)10月にメ〜テレに入社。同期入社は大嶽まどか、合田倫子。愛称のサトノリは『アナ誕!』にて山里亮太に名付けられたのがきっかけで、『WAYAYAあはっ!』でも使われるようになり、公式の愛称となった。
佐藤 青南(さとう せいなん、1975年1月3日 - )は、… 佐藤 青南(さとう せいなん、1975年1月3日 - )は、日本の作家。元ミュージシャン。長崎県島原市出身、東京都在住。男性。
林田 浩一(はやしだ こういち、1965年9月5日 - )は… 林田 浩一(はやしだ こういち、1965年9月5日 - )は、日本の実業家で、西日本鉄道社長を務めている。 長崎県南高来郡西有家町(現・南島原市)出身。長崎県立島原高等学校を経て、1988年に九州大学法学部を卒業し、同年に西日本鉄道に入社した。 2014年に西鉄ストア副社長に就任し、ホテル事業本部長、取締役、専務を経て、2021年4月から代表取締役社長を務めている。 スマートフォンを使った次世代交通サービスの「MaaS」の導入などのデジタル戦略の主導にも携わっていた。
相川 武利(あいかわ たけとし、1960年〈昭和35年〉 -… 相川 武利(あいかわ たけとし、1960年〈昭和35年〉 - )は、日本の政治家、実業家。長崎県南島原市長就任予定者。 長崎県南高来郡西有家町(現・南島原市)生まれ。長崎県立島原高等学校、京都大学法学部卒業。国際協力銀行に入行し、空機・船舶課長、ブラジル首席代表を務める。2009年よりブラジル石油公社を経て、2011年、IHIグローバル戦略本部ブラジルプロジェクト部長。2016年6月、大島造船所取締役。2017年11月、ダイゾー代表取締役。 2020年8月には早崎潮流発電推進研究会を設立し、南島原市内の有志らと潮流発電の事業化に取り組む。2022年、ダイゾー社長を退任し帰郷。2023年より島原半島観光連盟会長を務める。
古川 隆三郎(ふるかわ りゅうざぶろう、1956年〈昭和31… 古川 隆三郎(ふるかわ りゅうざぶろう、1956年〈昭和31年〉6月30日 - )は、日本の政治家。長崎県島原市長(4期)。長崎県市長会会長。 元島原市議会議員。 長崎県島原市出身。島原市立第三小学校、島原市立第二中学校、長崎県立島原高等学校、福岡工業大学卒業。 2003年(平成15年)5月25日執行の島原市議会選挙に無所属で出馬。新人であるにもかかわらず、トップ当選を果たす。2007年(平成19年)5月27日執行の同市議選において2期目の当選。 2008年(平成20年)11月30日執行の島原市長選挙に無所属で出馬。新人で元長崎県職員の横田修一郎に僅差で敗れる。得票数は、横田:14,551票、古川:13,343票。
植木 雅俊(うえき まさとし、1951年8月11日 - )は… 植木 雅俊(うえき まさとし、1951年8月11日 - )は、日本の仏教学者。理科系出身で多面的な仏教思想研究を行っている。 1951年、長崎県生まれ。島原高校を経て、九州大学理学部物理学科で学んだ。同大学院理学研究科修士課程修了し、理学修士号を取得。東洋大学大学院文学研究科へ進み、博士後期課程を中退。1991年から東方学院で中村元に学んだ。 2002年、お茶の水女子大学に学位論文『仏教におけるジェンダー平等の研究:『法華経』に至るインド仏教からの考察』を提出して博士号(人文科学)を取得(男性初)。2008年から2013年まで、東京工業大学世界文明センターで非常勤講師を務めた。NHK文化センター、朝日カルチャーセンターでも講座を持つ。
松本 正夫(まつもと まさお、1951年7月7日 - )は、… 松本 正夫(まつもと まさお、1951年7月7日 - )は、日本の郵政・総務官僚。衛星通信の専門家として知られ、総務省大臣官房 技術総括審議官などを歴任した。 1951年、長崎県で生まれた。長崎県立島原高等学校を経て、京都大学工学部に進学。同大学大学院工学研究科に進み、修士課程を修了。パデュー大学への留学経験もある。 1976年に郵政省入省。「さくら3号」など多くの衛星事業に携わり、省内きっての衛星通信のエキスパートとして知られた。1985年11月からは防衛庁装備局に出向し、通信課において、海上自衛隊の衛星通信の導入を担当した。使用する周波数の決定や衛星本体の性能決定、軌道位置確保のための国際調整、衛星打ち上げ後の管理体制など、郵政省の支援と協力なくしては成り立たない問題を次々と処理していった。
中村 法道(なかむら ほうどう、1950年11月29日 - … 中村 法道(なかむら ほうどう、1950年11月29日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日重光章。長崎県知事(公選第17・18・19代)を歴任。名前の本来の読みは「のりみち」。 長崎県南高来郡有家町(現:南島原市有家町)の一本釣り漁師の家に生まれる。長崎県立島原高等学校、長崎大学経済学部卒業。1973年、長崎県庁に入庁。最初の配属先である税務課の上司に二井関成(第42・43・44・45代山口県知事)がいた。その後国際課長、日蘭交流400周年記念事業推進室長、秘書課長、対馬支庁(現:対馬振興局)長、農林部長、総務部長等を歴任し、2009年4月に長崎県副知事に就任した。 2009年11月4日、金子原二郎長崎県知事が2010年2月に行われる長崎県知事選挙に出馬しない意向を表明。
宇根 豊(うね ゆたか、旧姓 永藤、1950年6月2日 - … 宇根 豊(うね ゆたか、旧姓 永藤、1950年6月2日 - )は、日本の百姓にして思想家。農と自然の研究所代表。百姓の経験を思想化し表現することに生涯をかけて来た。 1950年長崎県島原市で生まれた。島原高校卒業、九州大学農学部農学科卒業。1973年より福岡県の農業改良普及員。1974年宇根公代と結婚し、宇根姓を名乗る。1978年より減農薬稲作を提唱した。1988年糸島郡二丈町(現糸島市)にて就農。2000年福岡県庁を退職。NPO法人「農と自然の研究所」を百姓仲間と設立し、代表理事に選任される。2004年社会人入学していた九州大学より農学博士の学位を授与。2010年農と自然の研究所はNPO法人を解散して任意団体へ移行。
森 茂暁(もり しげあき、1949年9月9日[要出典] - … 森 茂暁(もり しげあき、1949年9月9日[要出典] - )は、日本の歴史学者、福岡大学名誉教授。専門は中世日本の政治と文化。文学博士(九州大学・1985年)。 長崎県出身。長崎県立島原高等学校を卒業[要出典]。1972年九州大学文学部史学科を卒業。1975年同大学院文学研究科博士課程を中退、1979年まで九州大学助手。1980年文部省教科書検定課勤務、1984年同省教科書調査官を経て、1985年京都産業大学教養部助教授に就任。同年、九州大学にて「南北朝期公武関係史の研究」で文学博士。1991年山口大学教養部助教授、のち同大学人文学部教授となる。1997年に福岡大学人文学部教授。2020年定年退職。
岩本 正和(いわもと まさかず、1948年10月26日 - … 岩本 正和(いわもと まさかず、1948年10月26日 - ) は、日本の化学工学者。東京工業大学名誉教授。元北海道大学触媒化学研究センターセンター長。元触媒学会会長。紫綬褒章受章。 1967年長崎県立島原高等学校卒業。1971年九州大学工学部応用化学科卒業。1973年九州大学大学院工学研究科応用化学専攻修士課程修了。1976年九州大学大学院工学研究科応用化学専攻博士課程単位取得退学、長崎大学工学部助手。1978年長崎大学工学部講師、テキサスA&M大学研究員。1981年長崎大学工学部助教授。1987年宮崎大学工学部教授。1990年北海道大学触媒化学研究センター教授。1997年北海道大学触媒化学研究センター長。
横田 修一郎(よこた しゅういちろう、1946年〈昭和21年… 横田 修一郎(よこた しゅういちろう、1946年〈昭和21年〉12月9日 - )は、日本の政治家。元長崎県島原市長(1期)。 長崎県島原市中安徳町に生まれる。島原市立第五小学校、島原市立第三中学校、長崎県立島原高等学校を経て、1969年中央大学法学部卒。同年、長崎県庁に入る。商工労働部長、地域振興部長、教育長などを歴任し、2008年に退職。同年の島原市長選挙に立候補し、元島原市議の古川隆三郎を破って当選。市長時代には職員・組織の役割や責任の明確化を図るため、部制・グループ制を導入したほか、管理職を対象に各自の職務目標を設定する新たな人事評価制度をスタートさせた。また、閉庁日である土・日曜日の午前中に市民向け窓口を開設した。
加藤 寛治(かとう かんじ、1946年4月24日 - )は、… 加藤 寛治(かとう かんじ、1946年4月24日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(3期)、農林水産副大臣(第4次安倍第2次改造内閣)、農林水産大臣政務官(第3次安倍第1次改造内閣)、自民党長崎県連会長、長崎県議会議員(8期)、同議長などを歴任した。 長崎県島原市出身。父親の加藤清則は株式会社三青の創業者で、長崎県議会議員を務めた。長崎県立島原高等学校、日本大学理工学部をそれぞれ卒業する。 1982年に長崎県議会議員に初当選して以降8期務め、県議会議長、県連幹事長などを歴任した。 2012年の第46回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で長崎2区から立候補する。久間章生の元秘書で雲仙市長の奥村慎太郎が無所属で立候補して保守分裂選挙となるも、奥村や民主党の川越孝洋らを破り加藤は初当選する。
水田 かかし(みずた かかし、本名:水田 高明(みずた たか… 水田 かかし(みずた かかし、本名:水田 高明(みずた たかあき)、1939年11月30日 - 2017年12月10日)は、日本の物真似・漫談師。松竹芸能所属。元トンボプロダクション所属。(自身の個人事務所) 実の子がシンガーソングライターの水田達巳。 長崎県の生まれ、島原高校卒業後、役者を志し東映に入る。しかし断念し演芸の世界に転身し1965年に旧なんば花月からギター漫談でデビュー。その後水田とんぼと漫才コンビを組むも解消し再び漫談に戻った。吉本興業を離れフリーで活動後、現在は松竹芸能所属で歌謡物真似等を行う。水田カカシと表記したこともあった。
坂本 恭章(さかもと やすゆき、1935年1月2日 - )は… 坂本 恭章(さかもと やすゆき、1935年1月2日 - )は、日本のタイ語・カンボジア語学者、東京外国語大学名誉教授。 台北生まれ。父は台湾総督府勤務。父が戦病死し、敗戦後引揚げ、熊本県、福岡県で育つ。長崎県立島原高等学校卒、1958年東京大学文学部言語学科卒、海外事情調査所所員、1965年東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所助手、69年講師、72年助教授、80年教授。97年定年退官、名誉教授、共立女子短期大学教授。妻はタイ語の坂本比奈子(1936-2013)。
太田 一也(おおた かずや、1934年12月14日 - )は… 太田 一也(おおた かずや、1934年12月14日 - )は日本の火山学者、地質学者。九州大学名誉教授。長崎県南高来郡国見町出身。九州大学理学部教授(1988-1994年)。九州大学理学部卒、九州大学大学院中退。専門分野は火山学、温泉学。2015年現在、島原市弁天町在住。
田近 洵一(たぢか じゅんいち、1933年3月1日 - )は… 田近 洵一(たぢか じゅんいち、1933年3月1日 - )は、日本の国語教育学者。東京学芸大学名誉教授。 長崎県島原市生まれ。長崎県立島原高等学校卒業後、1955年、横浜国立大学学芸学部乙類国語科卒業。川崎市や都立校の教員として勤務しながら、1959年、東京教育大学教育学部研究生となる。1969年、横浜国立大学教育学部講師、1971年助教授。1974年、東京学芸大学教育学部助教授、1977年教授。1996年、同大学を定年退職、名誉教授。1998年、早稲田大学特任教授。2002年同大学を退職。 1975年、全国大学国語教育学会賞石井賞を受賞した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
鐘ヶ江 管一(かねがえ かんいち、1931年1月22日 - … 鐘ヶ江 管一(かねがえ かんいち、1931年1月22日 - )は、元島原市長。長崎県島原市出身。
宮﨑 康平(みやざき こうへい、1917年5月7日 - 19… 宮﨑 康平(みやざき こうへい、1917年5月7日 - 1980年3月16日)は、長崎県島原市生まれの古代史研究家、作家、元会社役員。『まぼろしの邪馬台国』によって日本中に邪馬台国論争を巻き起こした。正確な表記は「宮﨑」(「崎」の字は山偏に竒)であるが「宮﨑」と表記出来ない環境が一部存在するので「宮崎」で通すことが多い。以下本項でも「崎」の字を用いる。
中村 利次(なかむら としつぐ、1917年(大正6年)3月3… 中村 利次(なかむら としつぐ、1917年(大正6年)3月3日 - 1980年(昭和55年)9月1日)は、昭和期の労働運動家、政治家。参議院議員(2期)。位階は従四位、勲等は勲二等。 長崎県南高来郡南有馬町(現南島原市)で、船員の家の4人兄姉の末子として生まれた。1934年(昭和9年)長崎県立島原中学校卒業。 1938年に上京し、京王電気軌道入社。1942年、太平洋戦争の勃発にともなう配電統制令により、電力供給事業を関東配電(いわゆる国策会社)に譲渡したため会社を移る。徴兵され大村連隊に入隊し、日中戦争に従軍し戦傷を受けて日本に帰還し、広島の陸軍病院に入院した。 戦後、労働運動に加わり、1946年(昭和21年)電産都支部変電分会組織部長に就任。
河野 秋武(こうの あきたけ、1911年〈明治44年〉10月… 河野 秋武(こうの あきたけ、1911年〈明治44年〉10月8日 - 1978年〈昭和53年〉3月17日)は、日本の俳優。旧芸名は山崎 進蔵。 長崎県南高来郡安中村新港(現在の島原市)の生まれ。父は公務員で、六人兄弟の次男として生まれる。県立島原中学(現長崎県立島原高等学校)から東京物理学校(現東京理科大学)に進学するが1930年(昭和5年)11月に中退、1931年(昭和6年)11月に前進座のプロレタリア演劇研究所に入ったのち、前進座の座員として舞台に立つ一方、1933年(昭和8年)に前進座ユニット出演の映画『段七しぐれ』に顔出し出演する。 1939年(昭和14年)に応召、1940年(昭和15年)8月に除隊し前進座に復帰。
宮崎輝(みやざき かがやき、1909年(明治42年)4月19… 宮崎輝(みやざき かがやき、1909年(明治42年)4月19日 - 1992年(平成4年)4月17日)は、昭和・平成期の企業経営者。旭化成中興の祖と呼ばれた。勲一等瑞宝章受章。没後従三位追贈。吾妻町名誉町民及び延岡市名誉市民。 長崎県南高来郡山田村(現:雲仙市吾妻町)出身。長崎県立島原中学校に入学、同中学時代は市内の曹洞宗の禅寺晴雲寺で5年間寄宿生活を送った。第五高等学校を経て東京帝国大学法学部英法科卒業後、日本窒素肥料(現:チッソ)に入社。旭ベンベルグ絹糸(後の旭化成工業、現:旭化成)に配属となる。 総務課長、東京事務所長を経て38歳で取締役に選任。延岡工場で起きた労働争議の解決に尽力し、その手腕が認められる事となった。
村田 重治(むらた しげはる、1909年〈明治42年〉4月9… 村田 重治(むらた しげはる、1909年〈明治42年〉4月9日 - 1942年〈昭和17年〉10月26日)は、日本の海軍軍人。海兵58期。南太平洋海戦で米空母「ホーネット」攻撃後に戦死した。二階級特進により最終階級は海軍大佐。 1909年(明治42年)4月9日、長崎県南高来郡島原村新馬場に父円の次男として生まれる。村田家は士族で、祖父・重太郎は戊辰の役に兵士として参加している。重治の幼少時代は、成績は小学校、中学校ともに優秀だが、控えめで口数も少なくどちらかと言うと目立たなかったが、相撲と剣道は強かった。中学時代の渾名は「ガジ」であり、当時の級友によれば「決してガジガジの性格から来たものではなく、背が低くてがっしりしていたので、その感じから自然と“ガジ”という渾名が付いたものと思う」という。
平田 敬一郎(ひらた けいいちろう、1908年9月5日 - … 平田 敬一郎(ひらた けいいちろう、1908年9月5日 - 1992年5月22日)は、日本の大蔵官僚。大蔵事務次官、日本開発銀行総裁。 長崎県南高来郡瑞穂村(のち瑞穂町、現雲仙市)出身。実家には古部の佐嘉領境界石がある。島原中学校(長崎県立島原高等学校)、第五高等学校、東京帝国大学法学部法律学科(英法科)を経て、大蔵省入省(配属先は東京税務監督局兼主税局)。1932年(昭和7年)12月 和歌山税務署長。1934年(昭和9年)6月 淀川税務署長。1935年(昭和10年)6月 北税務署長。大臣官房戦後緊急対策企画室主幹、終戦連絡部主幹、物価部第一課長、物価庁第一部長、主税局長などを歴任。税のエキスパートとして知られた。
芳川 赳(よしかわ たけし、1895年10月20日 - 19… 芳川 赳(よしかわ たけし、1895年10月20日 - 1951年7月9日)は、美術評論家、作家。 長崎県島原市生まれ。長崎県立島原中学校(現長崎県立島原高等学校)、明治大学卒業、出版界に入り小説、評論などを書く。美術春秋社を興し、『美術春秋』『日本画傑作年鑑』等の編輯発行者となる。戦後は「美術鑑賞」を発行した。
田口 長治郎(たぐち ちょうじろう、1893年6月10日 -… 田口 長治郎(たぐち ちょうじろう、1893年6月10日 - 1979年5月4日)は、日本の政治家。参議院議員(1期)。衆議院議員(7期)。 長崎県島原市に生まれる。長崎県立島原中学校を経て、農林省水産講習所(後に東京水産大学を経て現東京海洋大学)本科卒業。長崎県、山形、滋賀、茨城各県の水産試験場勤務。1937年農林省水産局に入る。1941年、華中水産株式会社に転職し、取締役副社長となる。戦後は長崎で共和水産株式会社を設立して社長になる。また、日本遠洋底引網漁業協会理事長、長崎県水産振興対策本部副本部長、県漁港協会会長に就任した。 1949年の第24回衆議院議員総選挙長崎1区に民主自由党から出馬し、初当選。
松尾 造酒蔵(まつお みきぞう、1890年3月1日 - 19… 松尾 造酒蔵(まつお みきぞう、1890年3月1日 - 1985年1月20日)は日本の牧師。長年神学校の教授を務め、神学教育に貢献した。日本基督改革派教会の牧師吉岡繁の実父であり、双恵学園(さいたま市)の創立者・松尾武の兄。共立女子神学校校長,フェリス女学院理事長,横須賀学院理事長などを歴任。 長崎県島原に生まれた。島原中学卒業後に上京し、叔父の松原英一の指導を受ける。 1908年(明治41年)東京にて、植村正久より洗礼を受ける。明治学院神学部、米国のオーバン神学校(英語版)、スコットランドのエディンバラのニュー・カレッジで学び、1921年(大正10年)7月に帰国して、横浜市に住んだ。 1922年(大正11年)8月日本基督教会鎌倉雪ノ下教会より招聘を受けて、9月より牧師になる。
福田 信昭 は、日本の男性俳優、声優。長崎県島原市出身。
ズナイデン房子(ズナイデン ふさこ)は、日本のマーケター。資… ズナイデン房子(ズナイデン ふさこ)は、日本のマーケター。資生堂、日清食品などのマーケティング部門に携わり、2023年3月より、日本マクドナルドホールディングス取締役、日本マクドナルドの取締役上級執行役員最高マーケティング責任者(英語版)(CMO)を務める。 長崎県島原市出身。長崎県立島原高等学校、筑波大学第二学群農林学類を卒業後、1987年に資生堂に入社。約200人の新入社員のうち唯一マーケティング部に配属され、若くしてヒット商品の開発に携わった。アメリカ人男性との国際結婚を機に資生堂を退社。ユニリーバやロレアルに勤めたのち、2007年に資生堂に復帰。『TSUBAKI』のブランドに携わった。 「化粧品メーカーだけしか知らないままで終わりたくない」と、2014年6月に日清食品に移る。