酒井 直斗(さかい なおと、1993年11月3日 - )は、… 酒井 直斗(さかい なおと、1993年11月3日 - )は、日本のお笑いタレント、漫談家、俳優、ラジオパーソナリティ。愛知県名古屋市大須生まれ。foh piece所属。 『大須生まれ、大須育ち、名古屋で活動するピン芸人』というフレーズで紹介されることが多い。 ピンで活動する他、高校生時代、20歳前の時にはパーマ大佐とのコンビ「酒井・國土」での活動も行い、このコンビでハイスクールマンザイ、M-1グランプリ、THE MANZAI、ワラチャン! U-20お笑い日本一決定戦などに出場。「酒井・國土」として、ハイスクールマンザイで2010年・2011年連続で地区予選優勝・準決勝進出、2012年には『笑乱 〜東海地区若手お笑い芸人トーナメント〜』で優勝した。
宮下 兼史鷹(みやした けんしょう、1990年〈平成2年〉1… 宮下 兼史鷹(みやした けんしょう、1990年〈平成2年〉11月16日 - )は、日本のお笑いタレント、漫談家。お笑いコンビ宮下草薙のツッコミ担当。相方は草薙航基。太田プロダクション所属。2022年1月11日に一般女性と結婚。 群馬県佐波郡玉村町出身。身長168cm。血液型A型。弟がいる。趣味は遊戯王カードや平成仮面ライダーシリーズのライダーベルトやベイブレードなどのおもちゃ収集。平成仮面ライダーシリーズは全部見ている。 小学3年生の頃に本気でバカ殿になりたいと思ったことがあり、その後さまぁ〜ずが好きになる。その頃までは、本人曰く「周りを笑わしているようなクラスの人気者タイプ」。その後小学4年生頃から、喘息持ちで運動が満足にできず、両親の離婚も重なったため、本人は「ゆがみ始めた」と話している。
林家 あずみ(はやしや あずみ、1981年4月24日 - )… 林家 あずみ(はやしや あずみ、1981年4月24日 - )は、落語協会に所属する漫談家である。落語協会での芸種は「三味線漫談」。 京都府京都市伏見区出身で、京都市立日吉ヶ丘高校を卒業する。地元の和菓子製造会社とスイミングスクールのインストラクターとして4年間勤務したのち、「タレントになりたい」と志して25歳で上京する。『恋のから騒ぎ』9期生として半年間出演したのち太田プロに所属し、芸能タレントとしておもにバラエティ番組でアシスタントやリポーターを担当する。 エル・ファクトリーへ移籍し、ニッポン放送のラジオ番組『テリー伊藤のってけラジオ』でリポーターを担当するほか、上田郁代と写真集を発売するなど芸能タレントとして活動する。
南野 やじ(みなみの やじ、1976年8月30日 - ) は… 南野 やじ(みなみの やじ、1976年8月30日 - ) は、日本のお笑いタレント、漫談師である。本名、廣田 伸一(ひろた しんいち)。 長崎県長崎市出身。長崎県諌早市在住。プライム所属。
まちゃまちゃ(本名:菅崎 雅美〈かんざき まさみ〉、1976… まちゃまちゃ(本名:菅崎 雅美〈かんざき まさみ〉、1976年5月7日 - )は日本の女性お笑いタレント(ピン芸人)、漫談家。 テレビ番組の『エンタの神様』では摩邪(まじゃ)という名前で出演していた。 千葉県君津市出身。吉本興業東京本社所属。千葉県立姉崎高等学校卒業。身長158cm。 『エンタの神様』ではプロレスラー「マジャ・コング」のキャラ設定(アジャ・コングの名前だけ真似ている)のもと、「怒りの熱血プロレスラー」というキャッチコピーで2005年1月に初出演し、同年2月から2007年途中まで、ほぼ毎回出演していた。 「まちゃまちゃ」としての持ちネタは一人コントだが、「摩邪(マジャ・コング)」としての持ちネタは、いわゆるマイクパフォーマンス風な、毒舌漫談である。
ヤナギブソン(1976年3月25日 - )は、吉本興業に所属… ヤナギブソン(1976年3月25日 - )は、吉本興業に所属する日本のお笑いタレント、漫談家。本名:柳谷 学(やなぎたに まなぶ)。お笑いユニットザ・プラン9のメンバーで担当はツッコミ。ピン芸人としても活動している。愛称は「ギブソン(さん)」、「ギブちゃん」、「ザ」。『R-1ぐらんぷり』2003・2012・2013ファイナリスト。 1976年3月25日生まれ。出身は大阪府大阪市阿倍野区。大阪府立住吉高等学校、追手門学院大学卒業。 大学卒業後NSC大阪校17期生として入学。同期にはバイきんぐ(のちに他事務所へ移籍)や青空、ゴリけん等がいる。NSC時代に漫才コンビ「君と僕」を結成、のち2001年に解散。
あべ こうじ(1975年〈昭和50年〉2月19日 - )は、… あべ こうじ(1975年〈昭和50年〉2月19日 - )は、日本のお笑いタレント、漫談家、俳優、作詞家。神奈川県横浜市南区出身。吉本興業所属。本名は阿部 公二(読み同じ)。R-1ぐらんぷり2010優勝者。妻はモーニング娘。の元メンバーでタレントの高橋愛。 フリッパーズ・ギター「恋とマシンガン」
ねづっち(1975年2月18日 - )は、日本のお笑いタレン… ねづっち(1975年2月18日 - )は、日本のお笑いタレント、漫談家。漫才協会・落語芸術協会所属。所属事務所はプロデューサーハウスあ・うん。東京都日野市出身。血液型O型。既婚。出囃子は「ずいずいずっころばし」。本名は根津 俊弘(ねづ としひろ)。 小学校の頃から「ねづっち」と呼ばれ、中学校時代からお笑いの道を目指すようになった。日本大学明誠高等学校時代は柔道部に所属し、柔道三段の段位を有する。古文が好きになった影響で、一時は国語教師を志望したが、大学受験に失敗して断念。一浪した後、東洋大学法学部に進学した。なお、落研に所属していた経験はない。大学在学中に、お笑いのライブに誘われたことがきっかけで、再びお笑い芸人を志すようになった。
ホーキング青山(ホーキング あおやま、本名:青山 世多加(あ… ホーキング青山(ホーキング あおやま、本名:青山 世多加(あおやま せだか)、1973年12月7日 - 2023年12月12日)は、日本のお笑いタレント、漫談家、作家。 東京都大田区出身。芸名は理論物理学者で青山と同じく両手両足が不自由なスティーヴン・ホーキングに由来している。 落語をやる際の高座名は『古今テー志んショー者』改め『古開院亭大麻(こかいんていたいま)』(後述)。 先天性多発性関節拘縮症(せんてんせい たはつせいかんせつこうしゅくしょう)のため、生まれたときから両手両足は使えなかった。本名の世多加は、両親の初デートがニール・セダカのコンサートだったことからつけられた。 1994年6月、大川興業の若手芸人コンテスト『すっとこどっこい』によってデビュー。
ヒロシ(1972年1月23日 - )は、日本のお笑いタレント… ヒロシ(1972年1月23日 - )は、日本のお笑いタレント、漫談師、ベーシスト、俳優である。本名、齊藤 健一(さいとう けんいち)。
なだぎ 武(なだぎ たけし、1970年10月9日 - )は、… なだぎ 武(なだぎ たけし、1970年10月9日 - )は、日本のコメディアン、お笑いタレント、漫談家、俳優である。本名、灘儀 武(読み同じ)。
AKI猪瀬(あき いのせ、本名:猪瀬 明彦〈いのせ あきひこ… AKI猪瀬(あき いのせ、本名:猪瀬 明彦〈いのせ あきひこ〉、1970年4月7日 - )は、日本のスポーツライター、野球評論家、漫談家。 栃木県宇都宮市出身で、1989年3月に栃木県立宇都宮工業高等学校を卒業する。1989年に映画研修で渡米し、インディアナ大学に7か月留学後ニューヨーク大学へ転学して1991年に同大学フィルム・スクールに入学する。のちに松竹シナリオ研究所やオフィス・トゥー・ワンでライター修行した。 高校で野球を経験し、アメリカ留学中に感銘したメジャーリーグベースボール (MLB) について学び始め、パシフィック・リーグ広報部長の伊東一雄に師事する。 1997年にパーフェクTVがMLB中継を開始すると解説者として出演し、以後おもにMLBに関するスポーツライターとして活動する。
長井 秀和(ながい ひでかず、1970年(昭和45年)1月3… 長井 秀和(ながい ひでかず、1970年(昭和45年)1月3日 - )は、日本の政治家、お笑いタレント、漫談家(ピン芸人)、実業家(飲食店経営)、俳優。2022年(令和4年)12月から西東京市議会議員(無所属、1期目)を務めている。東京都西東京市在住。 東京都北多摩郡村山町(現在の武蔵村山市)で生まれる。父親は聖教新聞販売店の店主の創価学会の幹部で、のちに武蔵村山市議会議員(公明党の所属)を務めた長井孝雄(ながい たかお)。母親は専業主婦だった。両親が創価学会員だったために、長井秀和も生まれた時からの創価学会員だった。2012年(平成24年)に創価学会を脱会した。 当初は地元の公立の小学校に通っていたが、1978年の小学校3年生の時に、私立の東京創価小学校の開校にともなって小学校3年生から編入した。
ユリオカ超特Q(ユリオカ ちょうとっきゅう、1968年4月1… ユリオカ超特Q(ユリオカ ちょうとっきゅう、1968年4月1日 - )は、日本のお笑いタレント、漫談家。所属事務所はトルバ。漫才協会所属。本名、百合岡 英之(ゆりおか ひでゆき)。兵庫県城崎郡日高町(現:豊岡市)出身。スクールJCA2期生。 日高町立日高東中学校、兵庫県立豊岡高等学校、立命館大学産業社会学部卒業。その後ソニーPCL勤務を経て、1993年にスクールJCAへ2期生として入学。 JCA在学当初は、以前NSC大阪校に通っていた尼崎出身の同期生とコンビを組み、半年ほど関西弁の漫才を行っていた。そのコンビを解消後、当時のプロダクション人力舎社長であった玉川善治に「お前は一人だと無理だろうから相方を探せ。
ダンディ坂野(ダンディさかの、1967年1月16日 - )は… ダンディ坂野(ダンディさかの、1967年1月16日 - )は、日本の漫談家、お笑いタレント。本名:坂野 賢一(さかの けんいち)。 石川県加賀市出身。サンミュージックプロダクション所属。血液型はAB型。 田原俊彦のようなアイドルに憧れて高校卒業後に上京を模索したものの、その資金がなかったことから、貯めるために地元で働いた後、26歳になった1993年に上京。年齢的な理由とダウンタウンやウッチャンナンチャンがテレビ番組でアイドルと親しげにしていたのを見て、アイドル路線からお笑い芸人路線に方針転換。プロダクション人力舎のスクールJCAに2期生として入学。漫才コンビ「ラブリン」を結成し、ボケを担当するも、「才能が無い」という理由で留年。
大平 まさひこ(たいへい まさひこ、本名:尾山 雅彦(おやま… 大平 まさひこ(たいへい まさひこ、本名:尾山 雅彦(おやま まさひこ)、1965年10月13日 - )は、日本の物真似・漫談師・司会者。旧芸名は大平マサヒコ、事務所に所属しておらずフリーランスで活動。関西高等学校卒業。 岡山県岡山市出身。1987年にタイヘイトリオのタイヘイ夢路の弟子となり、タイヘイ一門に入る。かつては大平シローと漫才コンビを組んでいたこともあったが、3年でコンビを解消している。大平シローとのコンビがきっかけで、1時間ほどの単独ショーをこなせるようになった。また、物真似タレントとしても活動、80人ほどのレパートリーがあるとされる。 北陸地方との縁は、2010年に山代温泉(石川県加賀市)での営業で来訪したのがきっかけで、空き時間を利用して自ら売り込みを続けた。
ぴろき(本名:佐藤 浩樹(さとう ひろき)、1964年1月1… ぴろき(本名:佐藤 浩樹(さとう ひろき)、1964年1月1日 - )は落語芸術協会・漫才協会に所属する漫談家・お笑い芸人。岡山県浅口郡里庄町出身、東京都在住。現在はウクレレ漫談で寄席を中心に活動している。 ちょんまげ・丸眼鏡・チェックデカシャツという出で立ちで、ウクレレを弾きながら自虐ネタの漫談を披露する。ぴろきの“ぴ”は、ピエロの“ピ”に由来するという。 東京の大学に進学するが中退し、1986年、東八郎主宰の「笑塾」に入門。浅草ロック座の専属コメディアンとなる。1989年、漫才協会に入会し、漫才コンビ「カッポラポッケ」を結成、コンビは8年ほど続けたが解散しピン芸人となる。 1994年、トークと風船芸を交えた独自の「風船漫談」ジャンルを確立。
山田 邦子(やまだ くにこ、1960年〈昭和35年〉6月13… 山田 邦子(やまだ くにこ、1960年〈昭和35年〉6月13日 - )は、日本のお笑いタレント、漫談家、女優、司会者、作詞家、小説家。日本喜劇人協会会長。ノースプロダクション所属。愛称は「邦ちゃん」。 東京都荒川区東尾久八丁目の社宅に、兄・弟と両親による5人家族の長女として生まれる。幼稚園に入る前に江東区森下町の母の実家に家族で転居し、祖父母が以前経営していたアパートを1つの大きな家に改造して家族、祖父母、母の兄妹という大所帯となって暮らし始めた。小学校5年の時に板橋区高島平に転居したが、卒業するまで江東区立八名川小学校に通い続けた。 川村中学校・高等学校在学中、在校生を相手にものまねを披露して学校中の人気者となる。
青空 遊歩(あおぞら ゆうほ、1958年2月2日 - )は神… 青空 遊歩(あおぞら ゆうほ、1958年2月2日 - )は神奈川県横浜市出身の漫談家、司会者である。 以後、アイドルから演歌歌手による歌謡ショーの司会を中心に活動。 この項目は、お笑いタレント・コメディアン(これらの関連記事を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:お笑い/PJ:お笑い)。
パーラー吉松(パーラーよしまつ、1955年3月18日 - )… パーラー吉松(パーラーよしまつ、1955年3月18日 - )は、東京演芸協会所属の漫談家。本名は、吉松秀一。主に、プロレスの実況中継、大相撲の力士の形態模写、世界の民族舞踊をレパートリーとしている。 福岡県北九州市出身。専修大学経営学部経営学科卒業。1977年大学卒業後は、福岡県警に就職するも、自分の夢実現のため、退職。1978年上京し浅草松竹演芸場にて司会者として修業。1982年模写漫談としてスタート。1983年歌手大川栄策の専属司会となる。1984年ハワイNBCホールに出演。1989年東京演芸協会所属となる。
テント(本名:三浦 得生(みうら とくお)、1951年〈昭和… テント(本名:三浦 得生(みうら とくお)、1951年〈昭和26年〉5月16日 - 2016年〈平成28年〉9月27日)は、日本の漫談家、タレント。吉本興業所属。大阪府八尾市出身。近畿大学附属高等学校卒業。 放送メディアにめったに出演しない姿勢から、未確認生物になぞらえ「ツチノコ芸人」「お笑い界のツチノコ」と評されたほか、先鋭的な芸風から師匠の上岡龍太郎に「出てくるのが10年早かった」と言わしめたり、「21世紀型芸人」と形容されたりした。晩年はさらなる露出の減少から、自らを「架空の人物」と名乗っていた。 テントの漫談は短いネタを唐突に次々と繰り出す形式であり、とぼけた淡々とした調子で合間にギャグを挟みながら、最後には「人間パチンコ」のような珍芸を披露した。
テント(1951年5月16日[4] - 2016年9月27日… テント(1951年5月16日[4] - 2016年9月27日)は、日本の漫談家、タレント。本名:三浦 得生(みうら とくお)。
綾小路 きみまろ(あやのこうじ きみまろ、本名:假屋 美尋〈… 綾小路 きみまろ(あやのこうじ きみまろ、本名:假屋 美尋〈かりや よしひろ〉、1950年12月9日 - )は、日本の漫談家、お笑いタレント。 鹿児島県志布志市出身。5代目鈴々舎馬風門下。あん摩マッサージ指圧師の国家資格を保有(鍼灸師は保有していない)。現在の家族構成は本人、5歳年下の弟、妻、子供3人。父親は1997年、自身が40代後半の時に亡くなったが、生前は馬の種付けや農業をしていた傍ら、戦時中は徴兵されて戦地に出向いた事もある。 鹿児島県立末吉高等学校、拓殖大学商学部卒業。身長165cm、体重70Kg。血液型はO型。 鈴々舎馬風一門として「落語協会」会員である。ブレイク以後、寄席に出演することはほとんどないが、籍を置き続けている。
国分 健二(こくぶ けんじ、本名:国分 謙治、1949年10… 国分 健二(こくぶ けんじ、本名:国分 謙治、1949年10月5日 - )は、大阪府大阪市出身の漫談家。落語芸術協会所属。出囃子は浪花小唄から現在は高校三年生に変更されている。 浮世亭ジョージ・ケンジ時代 ・人生オモロイで(B&B【国分健二・島田洋七】)/同カラオケ(コロムビア)(1985年8月) 作詞:鳥井実 作曲:松浦孝之 編曲:池田孝春
イエス 玉川(いえすたまがわ、本名:深見輝義、1949年9月… イエス 玉川(いえすたまがわ、本名:深見輝義、1949年9月7日 - )は、浪曲師、漫談家。広島県三原市(旧賀茂郡大和町)出身。ジャイロスコープ所属
伊東 かおる(いとう かおる、1948年〈昭和23年〉9月3… 伊東 かおる(いとう かおる、1948年〈昭和23年〉9月3日 - 2007年〈平成19年〉7月8日)は、日本の男性漫談家。本名は伊東 薫(いとう かおる)。血液型はA型。九州出身の名古屋弁漫談家として名古屋・大須演芸場をホームグランドとして活動した。 1948年、大分県臼杵市で生まれる。貧しい家計を支えるため働きながら定時制高校に通った。1967年卒業後大阪、東京、さらに結婚のために転居していた姉を頼り名古屋へ移った。以降、終生名古屋で過ごした。NHKの小劇場の小道具係をしていた時、大須演芸場社長足立秀夫を知り、単身で大須演芸場の寄席を見に訪れた。当初の役者志望から舞台芸人に目標を移し、演芸場に押しかけ掃除や弁当配りをしながら舞台に上がれる日を待った。
あさひ のぼる(1948年5月14日 - )は、日本の漫談家… あさひ のぼる(1948年5月14日 - )は、日本の漫談家。北海道旭川市出身。元東京演芸協会理事。ギターによる漫談で知られる。 この項目は、お笑いタレント・コメディアン(これらの関連記事を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:お笑い/PJ:お笑い)。
泉 ピン子(いずみ ピンこ、1947年〈昭和22年〉9月11… 泉 ピン子(いずみ ピンこ、1947年〈昭和22年〉9月11日 - )は、日本の女優、コメディアン、漫談家、歌手、タレント。東京都中央区日本橋生まれ。静岡県熱海市在住。所属は pi企画株式会社。血液型はB型。身長154cm。戸籍名:坂井 小夜(さかい さよ)、旧姓:江口(えぐち)。デビュー直後の芸名は三門 マリ子(みかど マリこ)。 東京都品川区立第二日野小学校、品川区立日野中学校卒業。日本音楽高等学校中退後の1966年、牧伸二に師事し三門 マリ子(みかど まりこ)の芸名で歌謡漫談家としてデビューするがキャバレー巡りを続ける。1975年に日本テレビ『テレビ三面記事 ウィークエンダー』で出演者に欠員が生じた際に話しぶりの面白さでリポーターに起用され、芸名を泉ピン子へ改名する。
一矢(かずや、1947年3月31日 - )は、東京演芸協会及… 一矢(かずや、1947年3月31日 - )は、東京演芸協会及び落語芸術協会所属の漫談家。東京演芸協会では、現監事。本名∶中島 福雄。旧芸名は「仲一也」。 長野県飯田市出身。1973年牧野周一の紹介で、佐藤事務所の所属となり、模写漫談としてデビュー。また和田アキ子の司会者として5年間勤める。また、1982年6月19日お笑いスター誕生に西仁とのコンビVANVANで初出場を果たす。1週勝ち抜き。 現在は、相撲の呼び出しの衣装で相撲漫談を確立。また、1985年から1993年まで、読売ジャイアンツの選手のイベント司会者としても活躍した。 好田タクトのインターネットの番組、タクトの部屋の第1回目のゲストである。
高土 新太郎(こうづち しんたろう、1944年10月26日 … 高土 新太郎(こうづち しんたろう、1944年10月26日 - 2024年1月22日)は、日本の俳優、お笑い芸人、漫談家。 岐阜県岐阜市出身。東京都東村山市を経て現在は神奈川県横浜市在住。人喰企画所属。 岐阜東高等学校、日本大学経済学部出身。
ミスター梅介(ミスターうめすけ、 (1944-06-02) … ミスター梅介(ミスターうめすけ、 (1944-06-02) 1944年6月2日(82歳)- )は、日本の漫談家、タレント。本名、岡崎 勝一。東京都出身。事務所に所属せず、フリーで活動。かつてはプロダクション人力舎に所属していた。現在は主に浅草などの演芸場に出演している。 父は歌舞伎立て三味線の杵屋六里郎だが、知ったのは父の没後に遺産問題が発生した30歳過ぎのことである。成蹊大学法学部卒業。三菱商事系の貿易会社の営業マンとして13年勤務していた。旧司法試験に何度もチャレンジし、短答試験と旧口述試験には合格するも、論文試験に受からなかった。 会社を退職後、35歳のときに芸人活動を開始。『お笑いスター誕生!!』に出場し、8週勝ち抜き金賞を獲得。
ローカル岡(ローカル おか、1943年12月13日 - 20… ローカル岡(ローカル おか、1943年12月13日 - 2006年1月16日)は、日本の漫談家である。本名、岡田 満(おかだ みつる)。茨城県那珂市出身。 飄々とした風貌と茨城弁の独特の語り口で世相を切り取る漫談が人気を集めた。漫談家になる前は漫才師として活動した。ボーイズバラエティ協会、落語芸術協会に所属していた。愛称は、漫才師時代は「セイちゃん」、ボーイズ以降は「岡ちゃん」である。 「ローカル岡」という芸名は、元スリートーンズのリーダー若菜春夫(元・日本演芸家連合事務局長)が命名した。それまで、ソロ活動の時は「岡三郎」名義だった。「ローカル岡」としてのソロ活動開始後は、茨城弁を主とした世相漫談を語っていた。
林家 ペー(はやしや ペー、本名:佐藤 嘉彦、1941年11… 林家 ペー(はやしや ペー、本名:佐藤 嘉彦、1941年11月29日 - )は、日本のタレント、漫談家、写真家、落語家。自らが運営するP&P企画所属。また漫談家として落語協会所属。落語家としての高座名は林家たいぺー。 大阪府大阪市浪速区日本橋3丁目生まれ、同市阿倍野区育ち。ただし、小学校は旧南区(当時)の大阪市立精華小学校。中学校は同中央区大阪市立南中学校出身。私立浪速高等学校卒業。大阪スタヂアムの近く(当時の実家は裕福で、ヤマギワソフト大阪店が建つ前の土地に建っていた)で育った。 幼い時から江戸っ子の粋に憧れており、東京都に移住した当時、非常に人気が高かった初代林家三平への弟子入りを目指す。「いきなり弟子入りを頼んでも断られるだろう」との考えにより、思いついたギャグ(ダジャレなど)を何度も三平宛に投書し続けた。
西条 ロック(さいじょう ロック、1941年〈昭和16年〉-… 西条 ロック(さいじょう ロック、1941年〈昭和16年〉- )は、日本の漫談家、歌手、ラジオパーソナリティ、作詞家。京都府出身。本名は西条 貴博(さいじょう たかひろ)。1970年代以降、関西を中心に漫談・音楽ショー・ラジオなど幅広い分野で活動した。 京都府立朱雀高等学校在学中、京都市内の歌謡喫茶「ひばり」に所属するグループ「シャネル・カンカンズ」のリーダーを務めた。同店でボーヤとして楽器運びをしていた人物が、後にラジオ大阪『オーサカ・オールナイト』で共演する横山プリンである。同時期、素人参加型のラジオ演芸番組に数多く出演し賞金を得る、いわゆる「素人番組荒らし」として早くから注目される存在となっていた。
水田 かかし(みずた かかし、本名:水田 高明(みずた たか… 水田 かかし(みずた かかし、本名:水田 高明(みずた たかあき)、1939年11月30日 - 2017年12月10日)は、日本の物真似・漫談師。松竹芸能所属。元トンボプロダクション所属。(自身の個人事務所) 実の子がシンガーソングライターの水田達巳。 長崎県の生まれ、島原高校卒業後、役者を志し東映に入る。しかし断念し演芸の世界に転身し1965年に旧なんば花月からギター漫談でデビュー。その後水田とんぼと漫才コンビを組むも解消し再び漫談に戻った。吉本興業を離れフリーで活動後、現在は松竹芸能所属で歌謡物真似等を行う。水田カカシと表記したこともあった。
東京 ぼん太(とうきょう ぼんた、1939年4月7日 - 1… 東京 ぼん太(とうきょう ぼんた、1939年4月7日 - 1986年10月14日)は、日本の芸人、歌手、漫談家。栃木県出身。トレードマークは唐草模様の風呂敷。本名は中山孝一。 作新学院で野球をやっていたが、肘のケガで中退する。コメディアンを志して上京した。芸名の由来は「東京の上野駅に着いた時にボーンと鐘が鳴った」ことが芸名のヒントになったといわれる。キャバレーなどを転々とした後に、1960年頃から寄席に出演。1963年からは唐草模様の風呂敷包みを背負ってテレビに登場して「夢もチボーもないね」「イロイロあらあな」など、栃木訛りを誇張したギャグで人気を博した。 レコードも発売しており「マアいろいろあらァな」は、20万枚のヒットとなった。
初代月亭 可朝(つきてい かちょう、1938年〈昭和13年〉… 初代月亭 可朝(つきてい かちょう、1938年〈昭和13年〉3月10日 - 2018年〈平成30年〉3月28日)は、神奈川県横浜市出身(同県三浦郡葉山町生まれ)の落語家・漫談家。本名∶鈴木 傑。通称「カチョヤン」。後年は兵庫県西宮市に居住した。 幕末以来の「月亭」の亭号を名乗り、弟子に月亭八方など、孫弟子に八光や方正などを持ち、「月亭一門」を形成している。定紋は月紋、または桂米朝一門の用いる結び柏。出囃子は「ああそれなのに」または「芸者ワルツ」。 デビュー以降、最初の師匠の事務所であった吉本興業に長年所属し、米朝一門に移ったのちも、一門の多くのように米朝事務所(1974年創立)に所属せず、ケーエープロダクション、スパンキープロダクションを経て、フリーランスとなる。
松鶴家 千とせ(しょかくや ちとせ、本名:小谷津 英雄(こや… 松鶴家 千とせ(しょかくや ちとせ、本名:小谷津 英雄(こやつ ひでお)、1938年〈昭和13年〉1月9日 - 2022年〈令和4年〉2月17日)は、日本の漫談家、歌手、作詞家。 全国さつまいもの会会長、東京演芸協会常任理事、南相馬市ふるさと親善大使を務めた。 アフロヘアーと、「俺が昔、○○だった頃、○○は○○だった。○○は○○で、○○は○○だった。わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ」のフレーズ、「イェーイ!」で決めるピースサインのポーズがトレードマークで1970年代に人気を博した。 満洲国で産まれる。水道設計技師の実父の仕事で在満していたが、1945年に父がソ連軍の捕虜になったため、母と共に6人で満洲を脱出し日本に帰還(父はその後6年間の抑留を経て日本に帰還)。
東 京二(あずま きょうじ、1935年11月5日 - )は、… 東 京二(あずま きょうじ、1935年11月5日 - )は、漫談家・漫才師。北海道出身(漫才協会のプロフィールでは函館市、落語協会のプロフィールでは札幌市)。本名:神田 公司。 この項目は、お笑いタレント・コメディアン(これらの関連記事を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:お笑い/PJ:お笑い)。
青空 うれし(あおぞら うれし、1935年1月5日 - )は… 青空 うれし(あおぞら うれし、1935年1月5日 - )は、東京都中央区日本橋出身の司会者、漫談家。駒澤大学卒業。本名:島田 寿三 。 学生時代から素人漫才コンクールで鳴らし、1958年にコロムビア・トップ・ライトに入門。1960年6月に漫才コンビ「青空うれし・たのし」を結成、いきなり売っ子になる。漫才のみならず1955年から2年間歌謡ショーで岡晴夫の司会を担当、それを皮切りに村田英雄、五月みどりの専属司会等にも幅広く活躍するが、お互いピンの仕事が増えて行き違いが多くなり、1981年の満20年を期にコンビを解消。 その後はピンの漫談家、司会業、レポーター業の傍ら講演活動にも力を入れ、春日三球と巣鴨つながりのコンビで掛け合いを見せることもある。
コロムビア・ライト(1927年3月30日 - 2010年10… コロムビア・ライト(1927年3月30日 - 2010年10月26日)は、日本の漫才師、漫談家。落語芸術協会所属。社団法人あゆみの箱常務理事。本名、鳥屋 二郎(とりや じろう)。
吾妻 ひな子(あづま ひなこ、1924年8月21日 - 19… 吾妻 ひな子(あづま ひなこ、1924年8月21日 - 1980年3月8日)は、上方の漫才師、漫談家。かつての女道楽を「おんな放談」という形にアレンジし、一世を風靡した。本名、杉森(旧姓・米沢)芙美子。鳥取県鳥取市出身。 鳥取県の米卸問屋・米沢徳治の三女として誕生した。1927年(昭和2年)に一家で大阪に移り住み、その頃から三味線、琴、日本舞踊などを習う。1938年(昭和13年)に小学校を卒業したが、母、姉を結核で相次ぎ亡くした。1940年(昭和15年)頃、父である浅田家朝日門下で「朝日・小日奈」を名乗った。17歳のときに親子漫才により「和歌山県有楽座」で初舞台を踏み、地方や中国大陸などをドサ回りする。
西条 凡児(さいじょう ぼんじ、1914年〈大正3年〉10月… 西条 凡児(さいじょう ぼんじ、1914年〈大正3年〉10月17日 - 1993年〈平成5年〉5月31日)は、日本の漫才師、漫談師、放送タレント。本名:河内 弘明。 毒舌と鋭い社会風刺を売り物にした漫談で知られ、戦後の民間放送誕生初期に人気を博した。 大阪府大阪市生まれ。旧制浪華商業学校卒業、関西大学専門部中退。最初、五代目笑福亭松鶴に弟子入りするが芸人を志し、来阪した古川ロッパや初代大辻司郎に弟子入り志願をしたが断られ、知人の紹介で当時「漫談屋」と称していた花月亭九里丸の内弟子となる。「西条」の亭号は九里丸のペンネーム「西条ちかし」および西条八十から、「凡児」は麻生豊の漫画『只野凡児』から取ったとされる。
坂野 比呂志(さかの ひろし、1911年(明治44年)10月… 坂野 比呂志(さかの ひろし、1911年(明治44年)10月6日 - 1989年(平成元年)5月25日)は、昭和時代の漫談家。活動弁士を経て、浅草名物の芸人となった。ガマの油売りやバナナの叩き売り等の物売り芸(大道芸)で、1982年(昭和57年)第37回文化庁芸術祭大衆芸能部門1部大賞受賞。 東京・深川に生まれる。活動弁士・熊岡天堂の弟子となった後、浅草オペラの田谷力三や榎本健一の舞台を踏み、軽演劇、漫才、漫談、司会など、スタイルを変えながらも、第二次世界大戦前後も浅草を離れることなく芸能活動を続けた根っからの「浅草芸人」で、浅草の生き字引と呼ばれた。 1945年(昭和20年)、陸軍恤兵部から命令を受けた松竹演芸部の仕事で慰問団の一員として満州に渡り「比呂志・美津子」の名で夫婦漫才を行なった。
牧野 周一(まきの しゅういち、1905年2月21日 - 1… 牧野 周一(まきの しゅういち、1905年2月21日 - 1975年5月3日、本名:宇野主一)は、日本の映画説明者、漫談家。東京演芸協会第2代会長。
山野 一郎(やまの いちろう、1899年12月15日 - 1… 山野 一郎(やまの いちろう、1899年12月15日 - 1958年12月18日)は、日本の活動写真弁士、漫談家、俳優。本名は山内幸一。 弟の山地幸雄(本名:山内倉司)も活動写真弁士である。 1919年、三浦さくと結婚。第1子は夭逝したが、第2子・山内明は俳優、第3子・山内久は脚本家、第4子・山内正は作曲家、また、第5子山内幸子は作曲家小杉太一郎(俳優小杉勇の長男)の妻となった。タレント・エッセイストの山内美郷は孫(明の長女)。 新潟県古志郡半蔵金村生まれ。幼年期に一家で東京に出て、向島に育つ。なお、生涯、自分が東京生まれでないことを隠していたという。東京府立第三中学校卒業。 はじめ俳優を志したが叶わず、三越の店員などを経て弁士となる。
大辻 司郎(おおつじ しろう、本名:大辻 四郎、1896年(… 大辻 司郎(おおつじ しろう、本名:大辻 四郎、1896年(明治29年)8月5日 - 1952年(昭和27年)4月9日)は、日本の活動弁士、漫談家。 漫談という言葉をつくり、自らを漫談宗家、漫談家元と名乗った文字通り漫談家の草分け。もく星号墜落事故犠牲者のひとりとしても知られる。 東京市日本橋出身。甲洋学舎卒業、父がやっていた「尾張屋」という株屋を経て活動弁士染井三郎や柳思外に師事。浅草帝国館で初舞台。活動写真の弁士を目指し、独学で1916年(大正5年)に外国映画の弁士としてスタート。きっかけはその年の徴兵検査で甲種合格したため、兵役から逃れる為だったという。喜劇専門の弁士として活躍。独特の奇声で喋る『勝手知ったる他人の家』、『胸に一物、手に荷物』、『ハラハラと落つる涙を小脇に抱え』といったフレーズで一躍、人気弁士に躍り出る。
徳川 夢声(とくがわ むせい、1894年4月13日 - 19… 徳川 夢声(とくがわ むせい、1894年4月13日 - 1971年8月1日)は、日本の弁士、漫談家、作家、俳優。ラジオ・テレビ番組などをはじめ、多方面で活動した日本の元祖マルチタレントとも言える人物である。本名は福原駿雄(ふくはら としお)。「彼氏」「恐妻家」の造語でも知られる。日本放送芸能家協会(現・日本俳優連合)初代理事長。
青空 麒麟児(あおぞら きりんじ)は、静岡県浜松市出身の紙切… 青空 麒麟児(あおぞら きりんじ)は、静岡県浜松市出身の紙切り師、漫談家、司会者、日本舞踊家、保育園経営者である。本名:髙林 勝。 浜松市有玉出身。浜松市立南陽中学校・豊川高等学校卒業。 青空一夜に師事。一夜没後コロムビア・トップ(青空一門総帥)師事、最後の愛弟子となる。トップからも可愛がられ、その縁で読売ジャイアンツの長嶋茂雄終身名誉監督とも交流。長男誕生の際には長嶋が命名をした。 日本一背の高い紙切り師から「青空麒麟児」と命名された。漫才師から「紙切り漫談」という新たな分野を開拓した。紙切りではフランス・カンヌ国際映画祭会場でおこなわれた「WORLD CONGRESS 2002」に出演した。