スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
安達 圭吾(あだち けいご、2003年9月14日 - )は、… 安達 圭吾(あだち けいご、2003年9月14日 - )は、愛知県出身のハンドボール選手。日本ハンドボールリーグ(リーグH)の大同特殊鋼 Phenix TOKAI所属。 大阪体育大学浪商中学校時代は2018年の全国中学校大会で優秀選手に選出。10月には日韓スポーツ交流の日本代表U-16に選出された。 大阪体育大学浪商高等学校進学後は、2019年に日韓スポーツ交流の日本代表U-16に2年連続で選出。 2021年は全国高等学校総合体育大会(高校総体)で優秀選手に選出。 高校卒業後は大同大学へ進学。2024年の春季リーグでは優秀選手に選ばれた。 2025年2月に日本ハンドボールリーグ(リーグH)のアルバモス大阪へ期限付きで加入。
泉本 心(いずもと しん、2002年9月5日 - )は、大阪… 泉本 心(いずもと しん、2002年9月5日 - )は、大阪府出身のハンドボール選手。日本ハンドボールリーグ(リーグH)のジークスター東京所属。 中央大学時代は2022年に第17回ジュニアアジア選手権の日本代表U-21に選出された。同年の春季リーグでは65得点を挙げ、得点王のタイトルを獲得。秋季リーグでも得点王(69得点)となり、優秀新人賞を受賞した。11月の全日本学生選手権大会(インカレ)では中央大の2連覇に貢献し、優秀選手に選ばれた。 2023年1月に日本ハンドボールリーグのジークスター東京と期限付きで契約に合意。中央大復帰後の春季リーグでは優秀選手賞を受賞した。5月に日本代表の強化合宿に参加。
今井 寛人(いまい ひろと、2002年1月9日 - )は、大… 今井 寛人(いまい ひろと、2002年1月9日 - )は、大阪府出身のハンドボール選手。日本ハンドボールリーグ(リーグH)の安芸高田わくながハンドボールクラブ所属。 大阪体育大学浪商高等学校時代は2019年に第27回日韓中ジュニア交流競技会の高校日本代表に選出。 高校卒業後は大阪体育大学へ進学。同期には木太隆雅らが在籍。 2022年は第17回ジュニアアジア選手権の日本代表U-21に選出。 2023年は2年連続で日本代表U-21に選出され、第24回ジュニア世界選手権に出場。8月の西日本学生選手権大会(西インカレ)では優秀選手賞を受賞した。関西学生リーグでは春季リーグで最優秀選手に選ばれ、秋季リーグでは優秀選手に選ばれた。
蔦谷 大雅(つたや たいが、2000年4月4日 - )は、大… 蔦谷 大雅(つたや たいが、2000年4月4日 - )は、大阪府出身のハンドボール選手。日本ハンドボールリーグ(リーグH)のジークスター東京所属。 弟も同じくハンドボール選手の蔦谷日向。 大阪体育大学浪商中学校では2015年の第24回JOCジュニアオリンピックカップに大阪府選抜として出場し、優秀選手に選ばれた。 大阪体育大学浪商高等学校時代は2016年に日韓スポーツ交流の日本代表U-16に選出された。 2017年は第7回ユース世界選手権の日本代表U-19に選出。 2018年の全国高等学校選抜大会では優秀選手に選ばれた。同年は第6回U-22東アジア選手権の日本代表U-22(U-19で構成)、第8回ユースアジア選手権の日本代表U-19に選出された。
矢野 世人(やの せいと、1999年5月15日 - )は、大… 矢野 世人(やの せいと、1999年5月15日 - )は、大阪府大阪市出身のハンドボール選手。日本ハンドボールリーグ(リーグH)の豊田合成ブルーファルコン名古屋所属。 大阪体育大学浪商高等学校時代は2015年の日韓スポーツ交流の日本代表U-16に選出。 2016年は第4回U-22東アジア選手権の日本代表U-22に選出。8月には第7回ユースアジア選手権の日本代表U-19に選ばれた。 2017年は第7回ユース世界選手権の日本代表U-19に選出。インターハイ終了後の8月には第25回日韓中ジュニア交流競技会の高校日本代表に選ばれた。 高校卒業後は筑波大学へ進学。2018年は第16回ジュニアアジア選手権の日本代表U-21に選ばれた。
豊田 宣広(とよだ のぶひろ、1992年2月3日 -)は、日… 豊田 宣広(とよだ のぶひろ、1992年2月3日 -)は、日本の男子競泳選手。大阪府出身。 大阪体育大学浪商高等学校、大阪体育大学卒。2009年のアジア水泳選手権で50m、100m、200mの背泳ぎでそれぞれ金、銀、銅のメダルを獲得した。4×100mメドレーリレーでも銀メダルを手にしている。 この項目は、水泳選手(飛込競技選手・アーティスティックスイミング選手・水球選手を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:スポーツ/PJスポーツ人物伝)。
植垣 健人(うえがき けんと、1990年10月17日 - )… 植垣 健人(うえがき けんと、1990年10月17日 - )は、大阪府出身のハンドボール選手。日本ハンドボールリーグ(リーグH)のアルバモス大阪高石所属。 実姉はハンドボール選手の植垣暁恵、実兄もハンドボール選手の植垣貴志。 2013年に日本ハンドボールリーグの大崎電気へ加入。 2015年にはリオデジャネイロオリンピックアジア予選の日本代表に選出された。 2016年は第17回男子アジア選手権の日本代表に選出。 2017年は第25回男子世界選手権の日本代表に選出された。 2018年の第8回社会人選手権ではベストセブンに選ばれた。 2023-24年シーズン限りで大崎を退団。 2024年8月にアルバモス大阪へ加入。
植垣 貴志(うえがき たかし、1989年6月17日 - )は… 植垣 貴志(うえがき たかし、1989年6月17日 - )は、大阪府出身の元ハンドボール選手。 実姉はハンドボール選手の植垣暁恵、実弟もハンドボール選手の植垣健人。 大阪体育大学附属中学校時代は2004年の第13回JOCジュニアオリンピックで優秀選手に選ばれた。 中学卒業後は大阪体育大学浪商高等学校へ進学し、2005年に日本代表U-16に選出。 2006年は第2回男子アジアユース選手権の日本代表U-19に選出された。 高校卒業後は大阪体育大学へ進学。2008年に第11回男子ジュニアアジア選手権の日本代表に選ばれた。 2012年に日本ハンドボールリーグの大崎電気へ加入。 2017-18年シーズン終了後に現役を引退。
奥 龍将(おく たつまさ、1988年12月2日 - )は、日… 奥 龍将(おく たつまさ、1988年12月2日 - )は、日本の実業家。株式会社スマイリーアース代表取締役社長。 大阪府泉佐野市上之郷出身。大阪体育大学浪商高等学校卒業。2011年、國學院大學文学部日本文学科卒業。國學院大學在学中、第87回箱根駅伝に出場した。卒業後、家業のスマイリーアースを継ぎ、タオル製造に従事する。 2017年、「地球を汚さないタオル製造技術の開発」で、日本水大賞経済産業大臣賞を受賞。2018年、第7回ものづくり日本大賞受賞(経済産業大臣賞)、第1回在外公館長賞受賞(在ウガンダ共和国日本国大使館)を受賞。
小西 拓槙(こにし たくま、1987年7月21日 - )は、… 小西 拓槙(こにし たくま、1987年7月21日 - )は、日本の男性キックボクサー。大阪府岸和田市出身。岸和田市議会議員(1期)。 父親が地元で少年野球の監督をしており、5歳から同チームで野球を始める。小・中学と少年野球チームに所属し、エースで4番打者を務める。高校はPL学園や大阪桐蔭高校からスポーツ推薦を受け将来を嘱望されていた。その後大阪体育大学浪商高等学校に入学、野球部の後に日本拳法部へ入部する。全国高等学校日本拳法選手権大会で個人有段の部3位入賞の実績を残す。高校卒業後、大阪府岸和田市の消防署員として就職する。 アマチュアではK-2無差別級優勝、NJKFアマチュア70kg級王者になっている。
黒田 俊介(くろだ しゅんすけ、1977年3月18日- )は… 黒田 俊介(くろだ しゅんすけ、1977年3月18日- )は、日本のミュージシャン、作詞家、作曲家、YouTuberである。日本の音楽デュオ・コブクロのメンバーで、ボーカルを担当している。愛称「黒ちゃん」。身長193cm。血液型O型。3人兄弟の次男。大阪府堺市南区出身。既婚。 恋愛をテーマにすることが多い小渕に対し、黒田は、夢を追うことや努力を続けることの大切さをテーマにすることが多い。 ※いずれも絢香、小渕との共作
中川 貴志(なかがわ たかし、1975年7月4日 - )は、… 中川 貴志(なかがわ たかし、1975年7月4日 - )は、日本のお笑い芸人、実業家。 2017年6月に解散したお笑いコンビ・ランディーズのボケ担当。吉本興業所属。大阪府貝塚市出身。 公演場所はすべてうめだ花月 高井とのコンビでの出演についてはランディーズを参照。
山口 洋司(やまぐち ようじ、1975年6月12日 - )は… 山口 洋司(やまぐち ようじ、1975年6月12日 - )は、日本の陸上競技選手。2003年6月の廃部までNEC陸上部に所属し、その後は2007年までHonda陸上競技部において活動した。 大阪府出身。大阪体育大学浪商高等学校を卒業後、明治大学に入学。大学時代は「それほど目立たなかった選手」であったが、NEC陸上部では全日本実業団対抗駅伝競走大会において3年連続で1区の日本人トップとなる。そして同年の第15回福岡国際クロスカントリー大会では、男子一般(10000m)において優勝(30分41秒)している。また2002年7月にフィンランドのタンペレにおいて開催された国際大会では、男子5000m(13分41秒31)および男子3000m(7分56秒03)において優勝している。
石森 宏一(いしもり こういち、1961年12月2日 - )… 石森 宏一(いしもり こういち、1961年12月2日 - )は、日本のレスリング選手。大阪府出身。1980年大阪体育大学浪商高等学校卒業。1984年大阪体育大学卒業後大阪府警察に所属。現在は高槻市で石工事業を営む。
高見 公明(たかみ ひろあき、1960年8月7日 - )は、… 高見 公明(たかみ ひろあき、1960年8月7日 - )は、アマチュアボクシング選手・指導者である。佐賀県出身。 大阪体育大学浪商高等学校にて2年連続インターハイ優勝。その後大阪体育大学を経て、公立学校教員(地方公務員)として奈良県立王寺工業高等学校に赴任。教員の傍らアマチュアボクサーとして全日本選手権出場し4度優勝。大学の1年先輩に元東洋太平洋フライ級チャンピオン松村謙二がいる。 王寺工業高校教員時代にロサンゼルスオリンピックにバンタム級で出場。(3回戦敗退) 1991年、奈良県立奈良工業高等学校に赴任。同校でボクシング部を設立。アトランタ・シドニー五輪2大会出場、全日本選手権10連覇4階級制覇の辻本和正、元WBA世界スーパーフライ級チャンピオン名城信男、女子アマチュア6連覇の釘宮智子、元東洋太平洋ライトヘビー級チャンピオン寺地永の次男拳四朗らを輩出した。
渡辺 二郎(わたなべ じろう、1955年〈昭和30年〉3月1… 渡辺 二郎(わたなべ じろう、1955年〈昭和30年〉3月16日 - )は、元プロボクサー(大阪帝拳ジム所属)。 岡山県小田郡矢掛町で生まれ、大阪府で育つ。血液型B型。浪商高等学校(現・大阪体育大学浪商高等学校)、追手門学院大学文学部英米語学文学科卒業。高校時代は水泳部、大学時代は日本拳法部で活躍し、世界選手権で4位となった。 大学卒業後に体重別のボクシングを志向、大阪帝拳ジムにアマチュアとして入門した。アマ戦績は4戦4勝。 引退後も実業家、ボクシング解説者、講演家、テレビタレントなど多方面で活躍していた。 1995年、金融機関からの融資返済に絡む恐喝未遂事件で逮捕され、起訴猶予処分で釈放された。
月亭 八方(つきてい はっぽう、1948年〈昭和23年〉2月… 月亭 八方(つきてい はっぽう、1948年〈昭和23年〉2月23日 - )は、上方の落語家。上方落語協会顧問。出囃子は『夫婦萬歳』。大阪府大阪市福島区出身、大阪市福島区在住。吉本興業所属。浪商高等学校(現:大阪体育大学浪商高等学校)出身。関西学院大学経済学部オープンカレッジコース(1年)修了。弟子の月亭八光は長男。 子供の頃は病気がちだった。父親は銀行員、母は大衆演劇のファンで、八方が売れてからは地元福島区でお好み焼き屋を営んでいた。妻は大衆演劇出身で、九州にいた頃には吉本新喜劇の木村進と共演経験もあった。 八方自身の子供の頃の夢は、プロ野球選手と漫才師であった。まずはプロ野球選手を目指そうと浪商高校に進学するものの、周りのレベルの高さから夢を断念(2学年上には主将の高田繁がいる)。
森岡 栄治(もりおか えいじ、男性、1946年6月8日 - … 森岡 栄治(もりおか えいじ、男性、1946年6月8日 - 2004年11月9日)は、日本のプロボクサー。大阪府大阪市大正区出身。1968年メキシコシティーオリンピックボクシングバンタム級の銅メダリスト。 大阪浪商高(現大体大浪商高)3年時にインターハイバンタム級優勝。近畿大学商学部進学後も1965年から全日本選手権4連覇を達成。1968年メキシコシティオリンピックで銅メダルを獲得。決勝進出を阻んだのは不可解な判定であったが、会場がブーイングを続けたことに対し、森岡は「メキシコの人たちが、あれだけ騒いでくれたことがうれしい」と言い残している。アマチュア戦績138戦128勝72KO・RSC10敗。
北原 謙二(きたはら けんじ、1939年(昭和14年)10月… 北原 謙二(きたはら けんじ、1939年(昭和14年)10月8日 - 2005年(平成17年)1月26日)は、日本の歌手、俳優。本名は北原 謙太郎(きたはら けんたろう)。 大阪府出身。浪華商業高等学校(現・大阪体育大学浪商中学校・高等学校)出身。ジャズ喫茶で歌っていたことが縁で、鈴木英治とブルー・カウボーイズのメンバーとして上京。その後は日本コロムビアのディレクターにスカウトされ、1961年(昭和36年)歌手デビュー。NHK紅白歌合戦に2回出場している(詳細は下記参照)。 1991年(平成3年)3月に高血圧性脳内出血で倒れたが、左半身麻痺と闘いながらリハビリを重ね、3年後に復帰。その後は全国各地の福祉施設への慰問活動などを積極的に行っていたが、2005(平成17)年1月26日午後10時1分、虚血性心疾患のため東京都文京区の病院で死去。
坂崎 一彦(さかざき かずひこ、1938年1月5日 - 20… 坂崎 一彦(さかざき かずひこ、1938年1月5日 - 2014年1月28日)は、大阪府豊中市出身のプロ野球選手(外野手)。 1953年浪華商業高校(現・大阪体育大学浪商高等学校)に入学。投手から野手に転向し、2年生の1954年に右翼手として春の選抜に出場する。2回戦でこの大会に優勝した飯田長姫高のエース光沢毅に抑えられ敗退。翌1955年の春の選抜では「4番打者・中堅手」として出場。チームは順調に勝ち上がり、決勝戦で桐生高校と対戦。桐生高校監督の稲川東一郎は坂崎に対して勝負を避ける選択を取る。坂崎は2打席敬遠されたが、第3打席に桐生高エースの今泉喜一郎は勝負し、その打席で2点本塁打を放つ。結局、浪華商は延長11回にサヨナラ勝ちして、18年ぶり2回目の優勝を飾った。
牧 昭男(まき あきお、1936年3月14日 - 2014年… 牧 昭男(まき あきお、1936年3月14日 - 2014年4月26日)は、日本の元プロボクサー。元OBF東洋スーパーバンタム級王者。アマチュアの強豪からプロに転じ、東洋王座を獲得したテクニシャン。 大阪府大阪市大淀区(現:北区)に生まれる。浪華商業高等学校(現:大阪体育大学浪商高等学校)から関西大学に進み、アマチュアボクシングで活躍。1958年(昭和33年)に全日本チャンピオンとなった後、同年に開催された第三回アジア大会にも出場、またメキシコで開催されたダイヤモンド・ベルト大会で銅メダルを獲得するなど、アマで通算82勝10敗と輝かしい成績を残す。 1959年(昭和34年)にプロに転向。3戦目で後の強豪関光徳と対戦、6回を引き分けている。
3代目 桂 春団治(かつら はるだんじ、1930年〈昭和5年… 3代目 桂 春団治(かつら はるだんじ、1930年〈昭和5年〉3月25日 - 2016年〈平成28年〉1月9日)は、上方落語の落語家。本名:河合 一。大阪府大阪市出身。所属事務所は松竹芸能。上方落語協会会員で死去時点で相談役、1977年から1984年までは第3代会長を務めた。出囃子は『野崎』。2代目桂春団治は実父であり師匠。 2代目桂春団治は実父、河本寿栄は義母。実母とは死別している。兄が早世したため、長男の扱いであった。 浪華商業学校(現在の大阪体育大学浪商高等学校)では野球部で夜まで練習する生活を送った。卒業後、兵庫県宝塚市の自動車部品販売会社でサラリーマンとなる。本人にも父にも落語家の道に進む考えはなかった。
西条 凡児(さいじょう ぼんじ、1914年〈大正3年〉10月… 西条 凡児(さいじょう ぼんじ、1914年〈大正3年〉10月17日 - 1993年〈平成5年〉5月31日)は、日本の漫才師、漫談師、放送タレント。本名:河内 弘明。 毒舌と鋭い社会風刺を売り物にした漫談で知られ、戦後の民間放送誕生初期に人気を博した。 大阪府大阪市生まれ。旧制浪華商業学校卒業、関西大学専門部中退。最初、五代目笑福亭松鶴に弟子入りするが芸人を志し、来阪した古川ロッパや初代大辻司郎に弟子入り志願をしたが断られ、知人の紹介で当時「漫談屋」と称していた花月亭九里丸の内弟子となる。「西条」の亭号は九里丸のペンネーム「西条ちかし」および西条八十から、「凡児」は麻生豊の漫画『只野凡児』から取ったとされる。
落合 正義(おちあい まさよし、1910年6月3日 - 19… 落合 正義(おちあい まさよし、1910年6月3日 - 1939年12月30日)は、日本の陸上競技選手。 現在の島根県安来市広瀬町生まれ。浪華商業学校(現在の大阪体育大学浪商中学校・高等学校)卒業、明治大学に進む。 1932年の日本陸上競技選手権大会の男子ハンマー投で優勝。1932年ロサンゼルスオリンピックに出場し、男子ハンマー投げで12位。ロス五輪で同じくハンマー投げ代表選手の長尾雄治も明治大学の学生で、古山一郎とともに「明大のハンマートリオ」と呼ばれていたという 明治大学卒業後は、名古屋市で運動公園管理者として働く。1938年9月、松江の歩兵第63連隊に入隊。日中戦争が勃発すると第110師団衛生隊陸軍上等兵として北支へ出征。
山本 伊三郎(やまもと いさぶろう、1906年1月25日 -… 山本 伊三郎(やまもと いさぶろう、1906年1月25日 - 1971年7月8日)は、日本の政治家、参議院議員(3期)。位階は従四位。勲等は勲二等。浪華商業学校、関西大学専門部卒業。 大阪市生まれ。1918年(大正7年)小学校卒業。社会主義理論の原典を知りたいとの思いから大阪キリスト教青年会英語学校入学。 1926年(大正15年)、大阪市役所採用。1947年(昭和22年)、日本社会党入党。1948年(昭和23年)、大阪市職員労働組合委員長。 1956年(昭和31年)、全日本自治団体労働組合中央執行委員長。1959年(昭和34年)、第5回参議院議員通常選挙全国区当選。1965年(昭和40年)、第7回参議院議員通常選挙二選。
大内 貴仁(おおうち たかひと)は、日本のアクション監督、ス… 大内 貴仁(おおうち たかひと)は、日本のアクション監督、スタント・コーディネーター、スタントマンである。日本のアクションチームであるA-TRIBE代表。 1976年、大阪・堺市に2人兄妹の長男として生まれる。小学生から空手を習っていた。高学年で初段をとって黒帯になるも中学では野球に転向。大阪体育大学浪商高等学校でレスリングを始め、近畿で準優勝になるなど、その後大阪体育大学での4年間を含め7年間励んだ。常に予想しないタイミングで投げられることが多いレスリングでは咄嗟に身を守る受け身が重要になる。この受け身に対する自信は、のちにやったこともないアクロバットの練習をする際にも怖がらずにチャレンジするのに役立ったという。