スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
高倉 日向(たかくら ひなた、2004年4月30日 - )は… 高倉 日向(たかくら ひなた、2004年4月30日 - )は、日本のプロボクサー。大阪府堺市出身。現女子日本バンタム級暫定王者。ディアマンテボクシングジム所属。 小学4年で弟とともにキックボクシングを始め、中学2年で元女子世界王者野上奈々(リングネーム:好川菜々)が会長のディアマンテジムに入門しボクシング転向。3年時にはUJ王座決定戦を制し、統一王座決定戦でも優勝。 浪速高校時代には2021年に全国高校選抜の女子フライ級で優勝するなど、アマチュアで活躍。 その後、看護師を目指すため藍野大短大部を受験し、一度は競技を離れたが、入学後に元WBO女子アジアパシフィックミニマム級王者の吉川梨優那の活躍に刺激を受けプロ転向を決意。
藤岡 竜也(ふじおか たつや、2003年3月13日 - )は… 藤岡 竜也(ふじおか たつや、2003年3月13日 - )は、ジャパンラグビーリーグワンの清水建設江東ブルーシャークスに所属するラグビーユニオン選手。 4歳から堺ラグビースクール(大阪府堺市)でラグビーを始める。 堺市立金岡北中学校から浪速高等学校(大阪市住吉区)へ進学。3年時に花園(全国高等学校ラグビーフットボール大会)の大阪府予選でベスト4に入った。 2021年、近畿大学に進み、1年時で関西大学リーグでの出場機会を得た。2年時からは、ほぼ先発13番センターとして出場を続けた。4年時には、大学選手権(全国大学ラグビーフットボール選手権大会)の準々決勝まで進出。 2025年1月27日、ジャパンラグビーリーグワンの清水建設江東ブルーシャークスへの入団を発表した。
二階堂 迅(にかいどう じん、2001年10月30日 - )… 二階堂 迅(にかいどう じん、2001年10月30日 - )は、日本のプロボクサー。 ディアマンテボクシングジム所属。2022年度全日本フライ級新人王 大阪府泉大津市出身。浪速高等学校卒業。関西大学在学中。 小5からボクシングを始める。浪速高校から関西大学に進学。在学中にディアマンテボクシングジムでプロデビュー。 デビュー戦ではKWORLD3ジム所属森本竜馬を相手に判定勝ち。 翌年の2022年11月6日全日本新人王西軍代表決定戦にて坂井涼相手に2-0(38-38、39-37×2)判定勝ちで西軍代表技能賞獲得。同年西軍フライ級新人王として、東日本新人王長谷川優太を相手に3回2分40秒TKO勝ち。全日本新人王獲得。
横山 葵海(よこやま あおい、2001年7月23日 - )は… 横山 葵海(よこやま あおい、2001年7月23日 - )は、日本のプロボクサー。大阪府大阪市西淀川区出身。ワタナベボクシングジム所属。第42代OPBF東洋太平洋スーパーフライ級王者。 3歳から極真空手を始めて、小学3~5年生時に全国大会3連覇。中学1年生からボクシングを始めた。 浪速高校卒業後、拓殖大学に進学。なお拓殖大学時代にボクシング部主将を務めて、2022年全日本選手権バンタム級で優勝を果たした。 大学時代に取得した介護福祉士の資格を活かして、2024年6月からプロボクサーとして働きながら介護老人保健施設で働いている。 2024年7月7日、プロデビュー戦はTKO勝ち。 また2024年11月7日、3150×LUSHBOMUの契約第一号選手となる。
須本 光希(すもと みつき、英語: Mitsuki Sumo… 須本 光希(すもと みつき、英語: Mitsuki Sumoto、2001年2月4日 - )は、日本の元フィギュアスケート選手(男子シングル)。2017年全日本ジュニア選手権1位、2017年ジュニアグランプリファイナル3位。 大阪府泉大津市出身。血液型はAB型。 4歳でスケートを始める。当時のリンクメイトに友野一希、山本草太、NMB48の川上千尋らがいる。 2012年世界選手権男子フリーで羽生結弦が演じた「ロミオとジュリエット」に心を奪われ、それまで趣味でやっていたスケートに対し、「この競技を頑張りたい」と心に火が付いた、「羽生選手のプログラムなら3曲くらい完コピで踊れるくらい覚えた」と言うほど羽生の演技をまねしていた、とも明かしている。
友野 一希(ともの かずき、1998年5月15日 - )は、… 友野 一希(ともの かずき、1998年5月15日 - )は、日本のフィギュアスケート選手(男子シングル)。大阪府堺市出身。同志社大学スポーツ健康科学部卒業。第一住建グループ所属。 主な戦績は、2023年世界選手権6位、2022年世界選手権6位、2018年世界選手権5位、2022年四大陸選手権2位、2025年スケートアメリカ3位、2022年フランスグランプリ3位、2021年ロステレコム杯3位、2018年ロステレコム杯3位、2022年全日本選手権3位、2016年全日本ジュニア選手権優勝、2016年ジュニアグランプリシリーズリュブリャナ杯3位など。 堺市立陵南中学校、浪速高等学校卒業。2017年4月同志社大学スポーツ健康科学部に入学。
桂 小梅(かつら こうめ、本名:大崎 豊、1992年5月18… 桂 小梅(かつら こうめ、本名:大崎 豊、1992年5月18日 - )は、大阪府大阪市出身の落語家。元子役。浪速高等学校卒業。 落語家・4代目桂梅團治の長男として生まれる。落語家で鉄道ファンの父の影響を受けてか、趣味に落語、鉄道、だんじりを挙げている。 2001年夏、かつら小梅の名で小学3年生にして初舞台。この当時は小噺を披露することが主で、落語についてはまだ行っていなかった。持ちネタは「饅頭恐い」や「動物園」などで、公式サイトによると8つのネタを持ちネタとしていたとのこと。他にも「みょうばん丁稚」などを披露したり、噺の間や終わりにリコーダーを吹くのが定番となっていた。 高校時代の活動休止を経て、2011年4月、父・梅團治に入門し、桂小梅を名乗りプロへ転向する。
坂 晃典(さか こうすけ、1992年2月11日 - )は、日… 坂 晃典(さか こうすけ、1992年2月11日 - )は、日本のプロボクサー。大阪府和泉市出身。岸和田市在住。第61代日本フェザー級王者。第48代日本スーパーフェザー級王者。第48代OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王者。仲里義竜ボクシングジム所属。 中学2年生からボクシングを始めた。 浪速高校卒業後、関西大学経済学部に入学。なお関西大学時代の同級生にボクシング世界王者拳四朗がいる。 2012年3月4日のプロデビュー戦は1回KO勝ち。 2012年西日本フェザー級新人王として、東軍代表伊藤雅雪と対戦して5回0-3(46-49、47-48×2)の判定負けで全日本新人王獲得はならず、プロ初黒星。 2016年9月13日、後楽園ホールで日本スーパーバンタム級15位の中嶋孝文と対戦し、1回1分28秒TKO勝ちを収めた。
近藤 大亮(こんどう たいすけ、1991年5月29日 - )… 近藤 大亮(こんどう たいすけ、1991年5月29日 - )は、オリックス・バファローズに所属する大阪府堺市出身のプロ野球選手(投手)。
高平 拓弥(たかひら たくや、1990年10月17日 - )… 高平 拓弥(たかひら たくや、1990年10月17日 - )は、日本のラグビー選手。 2009年、浪速高校卒業後、東海大学に入る。 2013年、東海大学卒業後、リコーブラックラムズに加入。同年8月31日に行われたジャパンラグビートップリーグ第1節のコカ・コーラウエストレッドスパークス戦に途中出場で公式戦初出場を果たす。 2020年、リコーブラックラムズを退団した。
瀬川 和正(せがわ かずまさ、1989年8月24日 - )は… 瀬川 和正(せがわ かずまさ、1989年8月24日 - )は、大阪府堺市出身のセーリング選手。出生は鳥取県。浪速高等学校、龍谷大学卒業。鳥取県立米子産業体育館職員。妻はセーリング選手の伊勢田愛(リオデジャネイロオリンピック女子RS:X級日本代表)。 小学校の頃は水泳、中学・高校時代はサッカーをしていた。大学でヨット部に入りヨット競技を始めた。大学時代は目立った結果を残せなかったものの卒業後の1年間は五輪出場を目指して、和歌山県内のマリーナを拠点に練習を重ねた。 2018年にはジャカルタ・アジア大会に出場。16艇中4位となり惜しくも表彰台を逃した。 鳥取県境港を拠点にレーザー級で2020年東京オリンピック出場を目指していたが、2020年の2月に代表を逃がした。
中嶋 平八(なかじま へいはち、1986年8月4日 - )は… 中嶋 平八(なかじま へいはち、1986年8月4日 - )は、日本の男性キックボクサーである。本名は中嶋 浩二(なかじま こうじ)。大阪府大阪市出身。浪速高校出身。誠至会所属。現ニュージャパンキックボクシング連盟フェザー級王者。 ボクシングをバックボーンとし、アマチュアボクシングでインターハイへの出場経験がある。 高校3年時にK-1のアーネスト・ホーストに憧れ、キックボクサーを目指すようになった。 2007年8月15日、ニュージャパンキックボクシング連盟でプロデビュー。 2009年7月5日、長島☆自演乙☆雄一郎プロデュース「DEEP KICK」のトリプルメインイベント第2試合でヨックタイ・シスオーに2R28秒ボディブローでKO勝ち。
大引 啓次(おおびき けいじ、1984年6月29日 - )は… 大引 啓次(おおびき けいじ、1984年6月29日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手(内野手)。
みなみかわ(1982年〈昭和57年〉9月28日 - )は、日… みなみかわ(1982年〈昭和57年〉9月28日 - )は、日本の男性お笑いタレント、俳優。2004年から2024年5月まで松竹芸能に所属し、2024年6月より個人事務所「合同会社ナンセ」に所属(2025年8月、「株式会社ナンセ」に改組)。2005年から2019年まで、お笑いコンビ「ピーマンズスタンダード」のツッコミとして活動。本名は、南川 聡史(みなみかわ さとし)。 小学生時に『ダウンタウンのごっつええ感じ』に熱中し、中学生時は姉の影響で『すんげー!Best10』に熱中。浪速高等学校に入ってからは、男子校のアメフト部というゴリゴリの体育会系の環境に身を置いていた。警察官を目指し、関西大学法学部二部に入学する。
小森園 ひろし(こもりぞの ひろし、1982年9月6日 - … 小森園 ひろし(こもりぞの ひろし、1982年9月6日 - )は、日本のお笑い芸人。大阪府岸和田市出身。浪速高等学校、大阪芸術大学卒業。本名は小森園 洋志(読み同じ)。大阪NSC29期扱い。 みなみかわ(元ピーマンズスタンダード)とは高校の同級生で、同じアメリカンフットボール部に所属していた。 2007年、松竹タレントスクールを経て松竹芸能に所属したが、2011年に吉本興業に移籍。オーディション組から昇格後、よしもと漫才劇場などに出演。 2014年、R-1ぐらんぷり2014の決勝に進出。キャッチコピーは「熱血コント魂」。 2016年4月に上京し現在は東京吉本に所属、ヨシモト∞ホールなどで活動している。
新里 賢(しんざと けん、1981年4月12日 - )は、大… 新里 賢(しんざと けん、1981年4月12日 - )は、大阪府堺市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。 1年秋は府大会準々決勝で関大一高の久保康友に完投で敗れた。2年夏の南大阪大会ベスト4。法政大学では2年上の浅井良の卒業で正捕手を継ぎ、4年時に主将を務めるなど、人望が厚いことで知られている。大引啓次は高校、大学の3年後輩。 2003年のドラフト会議で大阪近鉄バファローズから5巡目指名を受け入団。 2004年オフ、オリックス・ブルーウェーブとの合併に伴う選手分配ドラフトで東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍。 2006年途中、川井貴志とのトレードで東北楽天ゴールデンイーグルスから千葉ロッテマリーンズに移籍。
喜多 修平(きた しゅうへい、1980年7月29日 - )は… 喜多 修平(きた しゅうへい、1980年7月29日 - )は、日本の男性歌手。HIGHWAY STAR所属。大阪府泉南郡熊取町出身、和泉市育ち。血液型はA型。愛称はきたぽんなど。 アニメソングを専門に歌うアニソン歌手であり、自身も作詞作曲をするいわゆる「シンガーソングライター的なもの」(本人談)でもある。 2007年夏に開催されたアニマックス主催の第1回全日本アニソングランプリにて、歌唱力とパフォーマンスを評価され優勝。これをきっかけに2008年1月に放送されたテレビアニメ『PERSONA -trinity soul-』の第1期オープニング主題歌「Breakin' through」でデビュー、1万枚を超えるヒットを記録した。
南出 賢一(みなみで けんいち、1979年12月20日 - … 南出 賢一(みなみで けんいち、1979年12月20日 - )は、日本の政治家、ワクチン忌避主義者。関西学院大学商学部卒業。ニチロ、南出製粉所を経て、大阪府泉大津市の市議会議員(3期)。泉大津市長(3期)。龍馬プロジェクト 全国会の国民啓発委員長、こどもコロナプラットフォーム 代表・発起人、ワールドカウンシルフォーヘルス(WCH)ジャパン アドバイザー。 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行時、20歳未満へのCOVID-19ワクチン接種に反対し、接種券や市の公式ホームページで危険性を訴えたり、小児の接種券を一律送付せずに申請方式にしたことで注目された。泉大津市では、2020年からCOVID-19感染後に体調を崩した人と「ワクチン後遺症と自ら訴えてきた人」の相談窓口を設置し、代替医療による様々な「改善プログラム」を行っている。
石田 力哉(いしだ・りきや、1979年9月7日 - )は元ア… 石田 力哉(いしだ・りきや、1979年9月7日 - )は元アメリカンフットボールプレイヤー。大阪府出身。関西学院大学卒業。身長184cm 体重112kg。 浪速高等学校卒業後、関西学院大学へ進学し、関西学院大学ファイターズのプレイヤーとして活躍。2001年シーズンには、甲子園ボウルMVPを獲得するなどの活躍を見せた。大学卒業後、プロのアメリカンフットボール選手としてNFLをはじめ、アサヒ飲料やアムステルダム・アドミラルズなどでプレーし、2007年から2009年まで、Xリーグ「アサヒビールシルバースター」に在籍していた。現在はアスリートとしての経験を活かし、アメフトのアカデミーでコーチを務めている。
北川 晋(きたがわ すすむ、1973年9月25日 - )は、… 北川 晋(きたがわ すすむ、1973年9月25日 - )は、日本の元プロ野球選手(投手)。大阪府出身。
国司 憲一郎(くにし けんいちろう、1972年〈昭和47年〉… 国司 憲一郎(くにし けんいちろう、1972年〈昭和47年〉1月12日 - )は、RSK山陽放送(RSK)のアナウンサー。愛称は国司くん(VOICE21時代より)ないしは国司さん(イブニングDonDon時代以降)。
高島 秀行(たかしま ひでゆき、1968年7月26日 - )… 高島 秀行(たかしま ひでゆき、1968年7月26日 - )は、大阪府大阪市生まれのエンジニア、実業家。2018年現在、GMOフィナンシャルホールディングス株式会社代表執行役会長、GMOクリック証券株式会社代表取締役会長、GMOコイン株式会社代表取締役会長、株式会社メディバンは代表取締役社長、GMOあおぞらネット銀行株式会社。 もともとはオンライントレードである松井証券のネットストック開発の中心エンジニアであったが、その後も、数社でのオンライントレードシステムの開発やネットバンクの立ち上げにかかわり、アクセンチュアでは、オブジェクト指向の開発と金融系のネットビジネスのコンサルを担当。ライブドアでは夜間取引(PTS)とネット銀行の設立準備を担当した(約半年間)。
萩原 仁(はぎはら ひとし、1967年〈昭和42年〉9月12… 萩原 仁(はぎはら ひとし、1967年〈昭和42年〉9月12日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(1期)。 大阪市生まれ。私立浪速高等学校を経て近畿大学商経学部に入学。卒業後は松下電工に就職し、川本建築事務所社員を経て27歳で萩原都市建築研究所を設立した。2005年の第44回衆議院議員総選挙で民主党公認として大阪2区から出馬するが、郵政民営化に反対して自由民主党の公認を受けられず無所属となった左藤章と、自民党の公認を受けた川条志嘉との争いに埋没し、川条が当選、萩原・左藤は落選した。 2009年の第45回衆議院議員総選挙では、連合大阪の支援を受け、再び大阪2区から出馬し、左藤や川条を破り初当選した。
島田 貴裕(しまだ たかひろ、1965年2月9日 - )は、… 島田 貴裕(しまだ たかひろ、1965年2月9日 - )は、大阪府出身のサッカー指導者、元サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー。 1987年、大阪体育大学を卒業して松下電器産業サッカー部(後のガンバ大阪)に入団。10年以上に渡ってセンターバック、ストッパーとしてプレーし、1997年に現役を引退。 引退後はガンバ大阪下部組織の指導者を務めている。2009年5月にJFA 公認S級コーチライセンスを取得。
和泉 修(いずみ しゅう、1962年〈昭和37年〉6月14日… 和泉 修(いずみ しゅう、1962年〈昭和37年〉6月14日 - )は、日本のお笑いタレントであり、お笑いコンビ・ケツカッチンの一人。本名・釘田 修吉(くぎた しゅうきち)。参政党の奈良県支部顧問、外部アドバイザー。「足識食癒施術法」サロン経営。食育や健康についての講演を行う。 鹿児島県生まれ、大阪府泉南郡南海町(現・阪南市)育ち。元吉本興業所属(1986 - 2024年退社)。 1962年生まれ、大阪府阪南市出身。1981年浪速高等学校、1986年同志社大学文学部文化学科国文学専攻(現・国文学科)卒業。卒業論文題目は「古代天皇とコトムケ -古事記におげる闘争の伝承を中心として-」 。 1984年6月、同志社大学の先輩である清水圭太とお笑いコンビ「圭太・修吉」(後の清水圭・和泉修、略称は「圭・修」)を結成し、吉本興業に所属。
元祖おかもと(がんそおかもと、1961年8月19日 - )は… 元祖おかもと(がんそおかもと、1961年8月19日 - )は、日本の喜劇俳優。所属事務所はプラーネ。本名、岡本 昌治(おかもと まさはる)。 大阪府大阪市出身。浪速高等学校を経て、近畿大学卒業。赤井英和とは高校・大学を通じてのボクシング部の先輩・後輩の関係にある。2008年R-1ぐらんぷりにアマチュアで挑戦。『赤井組の岡本さん』の芸名で準決勝に進出したことから芸能界に遅咲きデビュー。俳優として赤井英和主演の舞台にサラリーマン時代から出演し、脇役として元重量級ボクサーのパンチの効いた演技と繊細な芸風、オヤジ世代ならではの濃いキャラクターで、一種独特のお笑いと人物像を作り出している。 身長180cm、体重110kgのO型。
石川 利光(いしかわ としみつ、1961年1月8日 - )は… 石川 利光(いしかわ としみつ、1961年1月8日 - )は日本の尺八(琴古流)演奏家。石の会主催。オーラJ(オーケストラアジア・ジャパンアンサンブル)メンバー。大阪邦楽ゾリステン代表。国際尺八研修館常任講師。
上山 勝也(うえやま かつや、1961年 - )は、日本の実… 上山 勝也(うえやま かつや、1961年 - )は、日本の実業家。串カツチェーン「だるま」を運営する株式会社一門会の代表取締役社長兼会長である。 大阪市生野区出身。だるまの3代目大将が病に倒れ閉店危機になった際に上山と共にだるまの常連客であった浪速高校及び近畿大学ボクシング部の先輩である赤井英和からだるまを継ぐように説得される。そして当時勤めていた保険会社を辞め3代目大将の下で修行した後に4代目大将となる。その後は日本国内のみならず海外出店するまでに成長させる。 また社会貢献の一環として職親プロジェクトに参加している。
木村 義志(きむら よしゆき、1955年8月24日 - )は… 木村 義志(きむら よしゆき、1955年8月24日 - )は、日本の著作家、編集者。 専門の魚類のほか、幼児期から親しんだ昆虫など小動物の飼育に関する著作が多い。日本昆虫協会理事。 大阪府大阪市西成区の天下茶屋(聖天下)の長屋に生まれ、幼児期に近所の聖天山(正圓寺)で毎日のように昆虫採集をしたことから生き物に興味を持つようになったという。 浪速高等学校から日本大学農獣医学部(現在の生物資源科学部)水産学科卒業。 築地市場に務めた後日本ナチュラリスト協会に参加。 1980年川上洋一、斎藤美奈子らと科学図書や児童図書の編集プロダクションを設立し、以後科学図書編集、生物や自然に関する著作活動を続ける。
西浦 達雄(にしうら たつお、1954年9月22日 - )は… 西浦 達雄(にしうら たつお、1954年9月22日 - )は、日本のシンガーソングライター、大阪音楽大学短期大学部非常勤講師。 大阪市東住吉区で4人兄弟の末っ子として生まれる。父はオペラ歌手。 浪速高等学校在学時にフォークソンググループを結成し、ヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)関西の決勝まで進む。高校卒業後は、ジャズ・ピアニストになることを目標に、森関矢に師事していた。 阪神・淡路大震災(1995年)の発生直後には、「歌のボランティア」として避難所を巡回した。「瞬間」「3/4の未来」などのオリジナル曲に加え、「上を向いて歩こう」なども歌った。その際には、「歌はこんな時のためにあるんだね」と込み上げてくる実感の言葉を残した。
笑福亭 鶴瓶(しょうふくてい つるべ、1951年〈昭和26年… 笑福亭 鶴瓶(しょうふくてい つるべ、1951年〈昭和26年〉12月23日 - )は、日本の落語家、タレント、司会者、俳優。出囃子は『トンコ節』または『新ラッパ』。本名は、駿河 学(するが まなぶ)。身長170 cm。 大阪府中河内郡長吉村(現・大阪市平野区)出身で、兵庫県西宮市在住。所属事務所はデンナーシステムズ で、長年所属していた松竹芸能にも籍を残している。前述の通り、西宮市に本宅があるが、活動の拠点が東京であるため、港区にも別宅を持っている。 愛称は「べーさん」「べー師匠」「鶴瓶ちゃん」「まーちゃん」「まなぶくん」など。落語家として上方落語協会相談役を務めている。2025年現在、6代目笑福亭松鶴の存命の弟子の中では上から5番目にあたる。
はるき 悦巳(はるき えつみ、1947年5月28日 - )は… はるき 悦巳(はるき えつみ、1947年5月28日 - )は、日本の漫画家。男性。 本名は非公開。元々、ペンネームは春木 悦巳という表記だったが、1977年にデビュー作『政・トラぶっとん音頭』が第1回平凡劇画賞で佳作入選して、その賞状が贈られた時、名前が青木悦巳と誤記されたため、以降ははるき悦巳をペンネームとした。 「自分は生来の怠け者で、面倒くさいことはイヤだ」というのが持論。趣味はジャズレコード鑑賞と映画鑑賞や小説を読むことで、その他にあまりお金の使い道がないという。ヘビースモーカーでタバコは一日に何箱も吸うほどだが、酒は全く飲めない下戸である。パソコンを使わないためインターネットにうとく、携帯電話も苦手である。
岩木 康郎(いわき やすろう、1946年3月18日 - )は… 岩木 康郎(いわき やすろう、1946年3月18日 - )は、大阪府大阪市西成区出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手。
室谷 信雄(むろや のぶお、1946年〈昭和21年〉2月11… 室谷 信雄(むろや のぶお、1946年〈昭和21年〉2月11日 - 2018年〈平成30年〉12月5日)は、日本の喜劇役者、タレント。 大阪府泉佐野市出身。吉本興業に所属し、1970年代から1984年まで活躍。吉本新喜劇の座長として間寛平や木村進、帯谷孝史ら座員はもちろん、多くの芸人から、先輩後輩問わず尊敬され慕われた。1984年11月、喉頭癌で声を失い、惜しまれつつ引退した。 泉佐野市立長南中学校、浪速高等学校卒業後、1964年6月に吉本興業に入り。白木みのる、ルーキー新一に師事する。付き人生活を終えて吉本新喜劇に入団。やがて木村進、間寛平らが新喜劇に入団し、若手の活躍が増えると共に室谷も、次第に薄くなってきた髪の毛のネタで脚光を浴びる。
武本 比登志(たけもと ひとし、1946年 - )は、日本の… 武本 比登志(たけもと ひとし、1946年 - )は、日本の画家(油彩画家)。大阪府大阪市出身。ポルトガルの風景を、独特の赤を多用し、独自の画風を確立。 来歴1946年、愛媛県新居浜市出身の画家・武本憲太郎(1911-2012)の次男として、大阪市東住吉区に生まれる。父が主宰する土曜日児童画教室で幼少の頃より絵に親しむ。 育和幼稚園、桑津小学校、東住吉中学校を経て浪速高等学校に入学。美術部に入部し、本格的に油彩を描き始める。このときの同期には、上久保良文(イラストレーター)が、先輩に吉田定一(児童文学、詩人、画家)、1年後輩には、はるき悦巳(漫画家・じゃりン子チエ)などがいる。また、顧問の藤井満の下、今も50年目を迎えるOB展、NACK展(茶臼山画廊)、NACKシニア展(マサゴ画廊)、スケッチ会など盛んに活動が行われている。
林家 ペー(はやしや ペー、本名:佐藤 嘉彦、1941年11… 林家 ペー(はやしや ペー、本名:佐藤 嘉彦、1941年11月29日 - )は、日本のタレント、漫談家、写真家、落語家。自らが運営するP&P企画所属。また漫談家として落語協会所属。落語家としての高座名は林家たいぺー。 大阪府大阪市浪速区日本橋3丁目生まれ、同市阿倍野区育ち。ただし、小学校は旧南区(当時)の大阪市立精華小学校。中学校は同中央区大阪市立南中学校出身。私立浪速高等学校卒業。大阪スタヂアムの近く(当時の実家は裕福で、ヤマギワソフト大阪店が建つ前の土地に建っていた)で育った。 幼い時から江戸っ子の粋に憧れており、東京都に移住した当時、非常に人気が高かった初代林家三平への弟子入りを目指す。「いきなり弟子入りを頼んでも断られるだろう」との考えにより、思いついたギャグ(ダジャレなど)を何度も三平宛に投書し続けた。
吉田 定一(よしだ さだいち、1941年 - )は、大阪府出… 吉田 定一(よしだ さだいち、1941年 - )は、大阪府出身の児童文学作家・詩人である。元・白百合女子大学・東京学芸大学講師。
市口 政光(いちぐち まさみつ、1940年1月12日 - )… 市口 政光(いちぐち まさみつ、1940年1月12日 - )は、大阪府出身の日本のアマチュアレスリング選手、指導者。元東海大学体育学部教授。1964年東京オリンピックレスリンググレコローマンスタイル・バンタム級の金メダリストでもある。 関西大学時代に1960年ローマオリンピックに出場し、5回戦で敗れたものの7位に入賞。卒業後はサラリーマンをしながら競技を続け、1962年の全米オープン選手権・世界選手権で優勝した。金メダルを期待された東京オリンピックでは足首の捻挫に苦しみながらも予選を勝ち進み、決勝トーナメントに進出する。しかし、他の予選突破選手が当時の罰則制限をオーバーして失格したため、決勝トーナメントを戦わずして市口の優勝(金メダル)が決定、グレコローマンスタイルでは日本人初の快挙でもあった。
戸田 芳実(とだ よしみ、1929年1月26日 - 1991… 戸田 芳実(とだ よしみ、1929年1月26日 - 1991年8月29日)は、日本の歴史学者。神戸大学名誉教授。日本中世史。 浪速高等学校を経て、1955年卒業論文「古代社会における在地の変質について」をまとめ、 京都大学文学部卒業、1960年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。1961年神戸女子薬科大学講師、1964年助教授、1968年東京都立大学人文学部助教授、1974年神戸大学文学部教授。1991年定年退官、名誉教授。同年神戸女子大学文学部教授となるも約5か月で没した。 1964年に「中世領主制成立史の基礎研究」により、京都大学から文学博士の学位を授与される。 学生時代に他の多くの人と同じく石母田正の「中世的世界の形成」に影響を受け、その後の進路を決定した。
山川 暁夫(やまかわ あきお、1927年2月28日 - 20… 山川 暁夫(やまかわ あきお、1927年2月28日 - 2000年2月12日)は、日本の政治評論家である。本名は山田昭。 1927年生まれ。福岡県出身。 1945年の浪速高校民主化運動に参加し、共産青年同盟に加盟する。1948年、東京大学経済学部に入学する。その年10月には、日本共産党本部の青年学生担当部員となっている。1960年代後半には、日本共産党の党員評論家の「川端治」として活躍し安保沖縄問題を論じている。ジャパンプレスサービスに従事するが、新日和見主義事件で日本共産党を離党する。 1974年に、「MAPP」(Military & Politics Perspective)という不定期雑誌を出版する。
斎藤 光雄(さいとう みつお、1926年8月25日 - 20… 斎藤 光雄(さいとう みつお、1926年8月25日 - 2010年8月4日)は、日本の経済学者。神戸大学名誉教授。専門は計量経済学、経済統計学。経済学博士(大阪大学、1975年)(学位論文「一般均衡と価格」)。大阪府大阪市南区出身。 1926年8月25日 大阪市南区の商家の四男として生まれる。 1947年3月 浪速高等学校高等科文化甲類卒業 1951年3月 京都大学経済学部卒業 1959年3月 大阪大学大学院経済学研究科経済政策専攻修士課程修了 1959年7月 大阪大学助手(経済学部付属社会経済研究施設) 1964年3月 大阪大学助教授(経済学部付属社会経済研究施設) 1970年2月 大阪大学教授(社会経済研究所) 1971年2月 神戸大学教授(経済学部) 1990年3月 神戸大学を定年により退官 1990年3月 神戸大学名誉教授 1990年4月 帝塚山大学教授(経済学部) 1991年4月 理論・計量経済学会(現日本経済学会)会長(1992年3月まで) 1973年10月 『一般均衡と価格』、創文社 1991年11月 『国民経済計算』、創文社 一般均衡理論モデルに計量経済学的な個別主体均衡のモデルを組み込んで、日本経済の実証分析を行った。
塩田 丸男(しおだ まるお 1924年7月27日 - )は、… 塩田 丸男(しおだ まるお 1924年7月27日 - )は、日本の作家・評論家である。
末永 俊郎(すえなが としろう、1921年5月31日 - 2… 末永 俊郎(すえなが としろう、1921年5月31日 - 2007年7月8日)は、日本の心理学者。東京大学名誉教授。 浪速高等学校を経て、1943年東京帝国大学心理学科卒、東大文学部助教授、教授、1982年定年退官、日本大学教授。1989年帝京大学教授、1997年定年。1994年 日本心理学会名誉会員。2007年、肺炎による呼吸器不全のため86歳で死去した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
梅本 純正(うめもと よしまさ、1919年〈大正8年〉5月2… 梅本 純正(うめもと よしまさ、1919年〈大正8年〉5月27日 - 2015年〈平成27年〉12月28日)は、日本の厚生官僚・実業家。 社会保険庁長官、厚生事務次官、環境事務次官、内閣官房副長官、武田薬品工業社長などを務めた。 大阪府大阪市出身。浪速高等学校を卒業。1942年7月、高等試験行政科試験に合格。同年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。厚生省に入省し、生活局属となる。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、同年9月に海軍経理学校に入校。1943年1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。第九五八海軍航空隊に配属されラバウルに赴任。1944年5月、主計大尉に進み終戦を迎えた。 以後、児童局企画課長、内閣官房総務課長(首席参事官)、援護局長、大臣官房長、保険局長、社会保険庁長官、厚生事務次官などを歴任。
高橋 達男(たかはし たつお、1917年8月9日 - 197… 高橋 達男(たかはし たつお、1917年8月9日 - 1976年7月9日)は、日本の経営学者。 大阪府出身。浪速高等学校を経て、1942年東京帝国大学法学部卒。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、1942年9月に海軍経理学校に入校。1943年(昭和18年)1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。神戸監督官事務所監査官付となる。1944年(昭和19年)5月に海軍主計大尉に進み、富山監督官事務所北陸軍需管理部勤務で終戦を迎えた。 日本電信電話公社に入り、経営調査室長。日本生産性本部経営アカデミー参与、産業能率短期大学教授などを務め多数の著作、翻訳をなした。
井上薫(いのうえ かおる、1917年3月28日 - 2009… 井上薫(いのうえ かおる、1917年3月28日 - 2009年6月9日)は、日本の歴史学者、大阪大学名誉教授。文学博士(東京大学、1962年)。 大阪府北河内郡南郷村生まれ。浪速高等学校を経て、1940年東京帝国大学国史学科卒。1943年同大学院退学。1949年大阪大学教養部助教授、1962年「奈良朝仏教史の研究」で東京大学文学博士。1963年阪大教授。1980年定年退官、大阪大学名誉教授、奈良大学教授。1986年退職。1983年から1993年まで堺市博物館長を務めた。
林 敏夫(はやし としお、1915年5月14日 - 1945… 林 敏夫(はやし としお、1915年5月14日 - 1945年8月13日)は、日本の俳優、歌舞伎役者である。本名同じ。第二次世界大戦で戦死した。 1915年(大正4年)5月14日、大阪府大阪市南区玉屋町(現在の同府同市中央区東心斎橋付近)に生まれる。祖父が初代中村鴈治郎、父が二代目林又一郎、叔父が二代目中村鴈治郎という歌舞伎一家に生まれた。 1921年(大正10年)、数え年7歳にして大阪・中座で初舞台を踏む。作品は『菅原伝授手習鑑』四段目『寺小屋』、菅丞相の子「菅秀才」役であった。以来、鴈治郎一座で歌舞伎役者として活動する。役者としての活動の傍ら、旧制・浪速中学校(現在の浪速高等学校)に進学、同校を卒業したのち、満18歳を迎える1933年(昭和8年)、京都の松竹下加茂撮影所に入社する。
那須 宗一(なす そういち、1914年3月9日 - 1990… 那須 宗一(なす そういち、1914年3月9日 - 1990年9月10日)は、日本の社会学者。中央大学名誉教授。元淑徳大学学長。専門は、老人社会学、社会病理学、犯罪社会学。 和歌山県田辺市生まれ。1934年大阪府立浪速高等学校卒業。1937年東京帝国大学文学部社会学科卒業。1951年東洋大学文学部助教授、1953年中央大学文学部教授に就く。1958年中央大学文学部教授、1966年経済企画庁国民生活審議会委員、1972年東京都老人総合研究所副所長、日本老年学会理事、日本老年社会科学会会長。1984年中央大学を定年退職、名誉教授。淑徳大学学長。同学長在職中に死去。
木羽 敏泰(きば としやす、1913年11月1日 - 201… 木羽 敏泰(きば としやす、1913年11月1日 - 2017年2月20日)は、日本の化学者、教育者。 1913年(大正2年)大阪市に生まれる。大阪府立浪速高等学校を経て東北帝国大学に進学。1937年(昭和12年)同大理学部化学科卒業。1939年(昭和14年)金沢高等工業学校に勤務。1941年(昭和16年)名古屋帝国大学工学部助教授、1949年(昭和24年)金沢大学教授。金沢大学では理学部分析化学講座を担当した。1969年(昭和44年)同大学理学部長,1979年(昭和54年)同大を定年退職、金沢工業大学教授に就任。1984年(昭和59年)金沢工業大学学長。1988年(平成元年)任期満了により同学長を退職。
岡見 正雄(おかみ まさお、1913年7月30日 - 199… 岡見 正雄(おかみ まさお、1913年7月30日 - 1990年2月6日)は、日本の国文学者。学位は、文学博士(京都大学・論文博士・1962年)(学位論文「中世小説研究序説」)。京都女子大学教授・関西大学教授・中京大学教授を歴任。 東京生まれ(本籍は秋田県)。父は岡見宇一。1923年に大阪へ転居、浪速高等学校 (旧制)卒、1936年に京都帝国大学文学部国文科卒、大学院入学。 1939年に天理外国語学校 (旧制)(現:天理大学)教授、1943年に京都府立京都第一高等女学校(現:京都府立鴨沂高等学校)教諭、1948年に京都府立桃山高等学校教諭、1949年に京都市立日吉ヶ丘高等学校教諭、1954年に京都女子大学教授、1961年に関西大学教授、1962年「中世小説研究序説」で京都大学より文学博士の学位を取得。