スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
ぷろたん(1989年8月4日 - )は、日本のYouTube… ぷろたん(1989年8月4日 - )は、日本のYouTuber、ボディビルダー、タレント、実業家、株式会社PROISM代表取締役。VAZ所属。静岡県下田市出身。本名は鈴木 健太郎(すずき けんたろう)。血液型AB型。 1989年8月、静岡県下田市で生まれ、小学生時代は人気者であった。中学生時代はソフトテニス部に所属しており、全国大会出場経験がある。高校時代は硬式テニス部に所属したが、地元からテニスで全国大会出場者がでるのは約30年ぶりであり、周囲からの注目や期待にプレッシャーを感じたことも原因でイップスのような症状に陥り思うような結果が出ず、挫折を味わった。その後、大学進学をきっかけに上京した。
山田 幸美(やまだ ゆきみ、1984年1月25日 - )は、… 山田 幸美(やまだ ゆきみ、1984年1月25日 - )は、日本のフリーアナウンサー。ニチエンプロダクション所属。静岡県賀茂郡南伊豆町出身。静岡県立下田北高等学校、明治学院大学国際学部卒業。テレビ朝日アスク受講生。
伊藤 信博(いとう のぶひろ、1977年11月4日 - )は… 伊藤 信博(いとう のぶひろ、1977年11月4日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 静岡県浜松市出身。先生の勧誘で庄内中学1年よりバレーボールを始める。 下田南高校を卒業後、デンソーを経て、1999年に新日鐵(現在の堺ブレイザーズ)に入団した。 2002年に全日本代表に初選出され、2002年世界選手権に出場、翌2003年ワールドカップに出場した。 2010年1月21日の練習中に左足ジョーンズ骨折。全治12週間の怪我を負った。6月30日、現役引退を発表。 2010年より賢明学院に事務員として勤務し、賢明学院高校の監督をしていた。 2015年より帝塚山大学のバレーボール部監督をしていた。現在、浜松市内の中高一貫校で社会科教諭。
御法川 修(みのりかわ おさむ、1972年4月2日 - )は… 御法川 修(みのりかわ おさむ、1972年4月2日 - )は、日本の映画監督。静岡県下田市出身。 1991年より助監督として従事。崔洋一、村川透、原隆仁、渡邊孝好、古厩智之、中江裕司など、多くの監督のもとで経験を積む。 『エレファントソング』(1994年/利重剛監督)では助監督と共同脚本を兼任する。(この作品は、ベルリン国際映画祭95・ヤングフォーラム部門に出品され、最優秀アジア映画賞に当たるNETPAC賞を受賞) 2006年、劇場用映画監督デビュー作となる『世界はときどき美しい』を発表。第19回東京国際映画祭「日本映画・ある視点」部門に出品される。 2008年、ドキュメンタリー映画『色彩の記憶』を完成。
鈴木 みそ(すずき みそ(ペンネーム)、1963年8月12日… 鈴木 みそ(すずき みそ(ペンネーム)、1963年8月12日 - )は、日本の漫画家。本名:鈴木稔。静岡県下田市出身。東京藝術大学美術学部絵画科油絵専攻除籍。ペンネーム「みそ」は高校時代の美術部のあだ名。当時は苗字はなかったが、少年ジャンプの編集者だった鳥嶋和彦が「鈴木みそ」と名付ける[要出典]。『ファミコン必勝本』ライター時代のペンネームは「ちゃっきりみそ」。 静岡県立下田北高等学校(現下田高校)卒。高校在学中から「月刊OUT」などの雑誌へギャグを投稿。常連の投稿者となる。18歳の時、受験のために上京。遊びにいった編集事務所でスカウトされ、美術予備校へ通う傍らライターとして活動する。少年ジャンプ、週刊漫画アクションなど、読者ページやコラムのページを担当。
鈴木 由美子(すずき ゆみこ、1960年6月11日 - )は… 鈴木 由美子(すずき ゆみこ、1960年6月11日 - )は、日本の漫画家。静岡県下田市出身。 静岡県立下田北高等学校、千葉大学教育学部卒業。『mimi』や『Kiss』(いずれも講談社)で活動。1989年、『白鳥麗子でございます!』で第13回講談社漫画賞少女部門受賞。代表作は『白鳥麗子でございます!』、『ひゃほ〜ウニファミリー』、『カンナさん大成功です!』。
楠山 俊介(くすやま しゅんすけ、1954年(昭和29年)6… 楠山 俊介(くすやま しゅんすけ、1954年(昭和29年)6月4日 - )は、日本の政治家、歯科医師。 2012年から2016年まで、静岡県下田市長を1期務めた。また、2023年4月より下田市議会議員(1期目)を務める。 静岡県下田市出身。下田市立朝日小学校、下田市立下田中学校、静岡県立下田北高等学校、城西歯科大学(現・明海大学)歯学部卒業。1982年(昭和57年)3月、下田市吉佐美に歯科医院を開業する。並行して1993年(平成5年)、下田青年会議所理事長。1994年(平成6年)、下田を中心に南豆地域の活性化を目的とした任意団体「下田にぎわい社中(現:NPO法人下田にぎわい社中)」の設立に参画、2006年(平成18年)に同代表理事。
秀男(ひでお、1949年12月28日 - )は、大相撲の元呼… 秀男(ひでお、1949年12月28日 - )は、大相撲の元呼出。本名は山木秀人(ひでひと)。伊勢ヶ濱部屋、桐山部屋を経て最後は朝日山部屋所属だった。血液型はA型[要出典]。 静岡県下田市出身。相撲部屋の先輩呼出である幸太郎に名付けられた。呼び上げの美声で相撲ファンから愛され、「土俵上の妖精」の異名を持つ。 1969年3月場所で初土俵。2003年5月場所より副立呼出に昇進。2008年1月場所番付発表の12月20日から立呼出に昇進。戦後生まれ初の立呼出となった。2003年7月場所限りで康夫が停年退職したため、翌9月場所からは秀男が呼出のトップとなり、結びの一番の呼び上げを担当していた。2014年12月27日に停年退職した。
西田 豊明(にしだ とよあき、1948年2月6日 - )は、… 西田 豊明(にしだ とよあき、1948年2月6日 - )は、静岡県下田市出身のソフトテニス選手。1975年第一回世界ソフトテニス選手権ダブルス優勝。日本体育大学名誉教授。 下田北高等学校時代にインターハイ個人優勝。日本体育大学卒業後に時安繁とペアを組み、アジア選手権〜世界選手権に三大会連続個人優勝、天皇杯全日本選手権に4年連続で決勝進出など『西田・時安時代』を築く。
福井 祐輔(ふくい ゆうすけ、1947年(昭和22年)11月… 福井 祐輔(ふくい ゆうすけ、1947年(昭和22年)11月9日 - )は、日本の政治家、陸上自衛官。元静岡県下田市長(1期)。 高知県土佐清水市出身。中学3年のときに下田市に移り住んだ。下田市立下田中学校卒業。1966年(昭和41年)3月、静岡県立下田北高等学校(現・静岡県立下田高等学校)卒業。1967年(昭和42年)3月、防衛大学校に入校。1971年(昭和46年)3月、同校を卒業。同年4月、陸上自衛隊に入隊。第1次カンボディアPKO国際平和協力隊長兼停戦監視員、普通科教導連隊長兼滝ヶ原駐屯地司令、防衛大学校教授などを歴任し、2003年(平成15年)8月、定年退官。退職時階級は陸将補。 2015年(平成27年)7月、NPO法人日本地雷処理・復興支援センター理事を任期満了退職。
栗原 はるみ(くりはら はるみ、1947年3月5日 - )は… 栗原 はるみ(くりはら はるみ、1947年3月5日 - )は、日本の料理家。株式会社ゆとりの空間社長。静岡県下田市出身。成城大学短期大学部卒業。一男一女の母。夫は元キャスターの栗原玲児、長女は料理家の栗原友、長男は料理家の栗原心平。 オリジナルブランドの「share with Kurihara harumi」を掲げた百貨店インショップ。日本国内の主要都市で食器・料理道具・台所用品・雑貨等の生活用品やエプロン・Tシャツ等のホームウェアを扱う店舗を構える。 ゆとりをテーマにプロデュースした生活提案型の飲食店で、栗原はるみオリジナルの料理を提供する。オリジナルブランドのショップを併設し、有料によるレシピ教室やライフスタイルのトークショー等のイベント場所としてファンに知られる。
木村 靖二(きむら せいじ、1943年1月 - )は、日本の… 木村 靖二(きむら せいじ、1943年1月 - )は、日本の歴史学者。専門は西洋近現代史・ドイツ史。東京大学名誉教授。 1943年、東京都生まれ。東京大学文学部で学び、同大学大学院人文科学研究科に進学。博士課程を単位取得後退学。ミュンヘン大学へ留学した。 その後、東京大学助手に採用された。茨城大学助教授を経て、立教大学文学部史学科教授に就いた。東京大学大学院人文社会系研究科教授、独立行政法人大学評価・学位授与機構教授を経て、2008年より2013年まで立正大学文学部教授。 専門は西洋近現代史、ドイツ史。『詳説世界史』(山川出版社)など高校教科書も編集執筆。
船津 衛(ふなつ まもる、1940年2月23日 - )は、日… 船津 衛(ふなつ まもる、1940年2月23日 - )は、日本の社会学者。学位は、博士(社会学)。主たる研究領域は、社会学理論、社会的自我論、コミュニケーション論。 1940年、東京都生まれ。1967年、東北大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。日本を代表する社会学者である新明正道の薫陶を受ける。東北大学在学時、卒業論文では社会意識論を扱い、修士論文では準拠集団論の研究に取り組んだ。山口大学人文学部専任講師、同助教授、大阪市立大学文学部助教授、東北大学文学部教授、東京大学大学院人文社会系研究科教授、東洋大学社会学部学部長、放送大学教授を歴任する。我が国におけるシンボリック相互作用論研究の第一人者であり、その門弟には、土肥豊、伊藤勇、徳川直人、山尾貴則、桑原司、小川祐喜子、寺田征也等がいる。
桜町 弘子(さくらまち ひろこ、1937年6月16日 - )… 桜町 弘子(さくらまち ひろこ、1937年6月16日 - )は、日本の女優。本名は臼井 真琴。静岡県賀茂郡出身。静岡県立下田南高等学校卒業。 高校2年生の時に「ミス丹後ちりめん」のコンテストに応募して入選。そしてたまたま、地元の伊豆にロケに来ていた映画監督の松田定次がタクシーの運転手からこの話を聞き付けたことで桜町本人と会い、1956年に東映ニューフェイスの第3期生として迎える形で東映入りした。同期には里見浩太朗・大川恵子・大村文武らがいた。1957年、大友柳太朗・美空ひばり・大川橋蔵主演『大江戸喧嘩纏』に、松原 千浪の名で映画デビュー。 同年の『ふたり大名』から桜町 弘子に改名、以後丘さとみ・大川恵子らと東映三人娘として活躍。
原 秀三郎(はら ひでさぶろう、1934年10月26日- )… 原 秀三郎(はら ひでさぶろう、1934年10月26日- )は、日本の歴史学者。静岡大学名誉教授。日本古代史専攻。 1934年、静岡県下田市に生まれた。 1953年3月、静岡県立下田北高等学校を卒業。静岡大学文理学部史学専攻で学び、内藤晃に考古学や日本史を学んだ。1958年3月、同大学を卒業。京都大学大学院文学研究科に進み、岸俊男に師事。1965年3月に博士課程国史学専攻を満期退学した。 その後は奈良国立文化財研究所に研究員として勤務。1989年、学位論文『日本古代国家史研究』を京都大学に提出して文学博士号を取得。静岡大学人文学部助教授となり、後に教授昇格。1998年に静岡大学を退官し、名誉教授となった。
小浪 充(こなみ たかし、1932年 <昭和7年> 11月1… 小浪 充(こなみ たかし、1932年 <昭和7年> 11月15日 - 2006年 <平成18年> 11月18日)は、日本の社会学者、東京外国語大学名誉教授。元NHKテレビ英会話講師。元日本カナダ学会会長。位階は正四位。 秋田県生まれ。1955年、東京外国語大学外国語学部英米語学科卒業後、東京大学大学院社会科学研究科入学。東大の教養学科アメリカ分科で主任教授を務めた中屋健一に師事した。東大大学院在学中に、フルブライト奨学生としてコロンビア大学国際関係大学院修士課程に留学。 外務省調査員を経て、母校である東京外国語大学英米語学科の教員となる。在職中(1966-1995年)、学部講座では主にアメリカ事情、大学院では地域研究方法論を担当、1980年代の学際研究ブームの一翼を担った外語黄金期を支えた。
池谷 淳(いけたに きよし、1932年〈昭和7年〉4月29日… 池谷 淳(いけたに きよし、1932年〈昭和7年〉4月29日 - 2021年〈令和3年〉6月4日)は、日本の政治家。実業家。元静岡県下田市長。 下田市出身。1951年(昭和26年)静岡県立下田北高等学校(現・静岡県立下田高等学校)卒業。1955年(昭和30年)中央大学法学部卒業。 1958年(昭和33年)味の素に入社。1961年(昭和36年)スーパー下田専務、1962年(昭和37年)三和観光常務、1965年(昭和40年)カネヤス商事代表取締役を歴任。1971年(昭和46年)4月より1984年(昭和59年)6月まで下田市議会議員を延べ4期13年つとめたのち、下田市長選挙に立候補し当選。1984年(昭和59年)7月より2000年(平成12年)7月まで、歴代の下田市長としてはもっとも長い4期16年をつとめた。
浦岡 敬一(うらおか けいいち、1930年5月4日 - 20… 浦岡 敬一(うらおか けいいち、1930年5月4日 - 2008年11月24日)は日本の編集技師。 1948年、松竹に入社。浜村義康に師事し、小津安二郎監督作品などの編集助手を務め、1958年『人間の條件』(小林正樹監督)で編集技師となる。1969年、松竹を退社。その後も、フリーの技師として精力的に幅広い作品を担当する。1989年には『帝都物語』(実相寺昭雄監督)、『優駿 ORACION』(杉田成道監督)で第12回日本アカデミー賞優秀編集賞を受賞。 日本映画編集協会(現・協同組合日本映画テレビ編集協会)の設立にも尽力し、初代編集協会理事長を務めた。また、日本映画学校に於いて多数の後進の育成に努めた。
土屋 義彦(つちや よしひこ、1926年〈大正15年〉5月3… 土屋 義彦(つちや よしひこ、1926年〈大正15年〉5月31日 - 2008年〈平成20年〉10月5日)は、日本の政治家。 参議院議員(5期)、参議院議長(第17・18代)、環境庁長官(第11代)、埼玉県知事(第54・55・56代)、埼玉県議会議員(2期)、自由民主党最高顧問、自由民主党参議院議員会長を歴任した。 土屋家は大工を営んでおり、父・澄男は家業から技術を習得し、内務省技師として茨城県行方郡潮来町(現:潮来市)に赴任していた頃に義彦が生まれた。次弟は昭二(大正製薬会長)、三弟は祐三。 義彦が6歳の時に父が急性肺炎で死去。母・初江は義彦らを残して家を去ったため、義彦と祐三は東京府北豊島郡高田町(現:東京都豊島区高田)で大工を自営していた父方の祖父母である土屋仁作・たつも夫妻に引き取られた。
三國 連太郎(みくに れんたろう、1923年〈大正12年〉1… 三國 連太郎(みくに れんたろう、1923年〈大正12年〉1月20日 - 2013年〈平成25年〉4月14日)は、日本の俳優、映画監督。本名は佐藤 政雄(さとう まさお)。 息子は俳優の佐藤浩市、孫は俳優の寛一郎。群馬県太田市生まれ、静岡県出身。身長178cm、体重70kg。 個性派俳優として日本映画界を牽引し、圧倒的存在感をスクリーンに残した、日本を代表する名優の一人。デビュー以後、『ビルマの竪琴』(1956年)、『飢餓海峡』(1965年)、『はだしのゲン』(1976年)、『ひかりごけ』(1992年)など社会派作品から、『未完の対局』(1982年)、『三たびの海峡』(1995年)、『大河の一滴』(2001年)など中国を中心にした国際合作、『犬神家の一族』(1976年)、『野性の証明』(1978年)、『マルサの女2』(1988年)などの娯楽大作まで、主演・助演を問わず幅広く出演、映画出演の本数は180本余りに及ぶ。
大久保 婦久子(おおくぼ ふくこ、1919年(大正8年)1月… 大久保 婦久子(おおくぼ ふくこ、1919年(大正8年)1月19日 - 2000年(平成12年)11月4日)は、日本の芸術家、皮革工芸家。下田市名誉市民。本名は大久保 ふく。勲三等瑞宝章(1989年)、文化功労者(1995年)、文化勲章(2000年)。日本芸術院会員。皮革造形美術グループ「ド・オーロ」代表。モンゴル芸術大学名誉教授。日本の皮革工芸の第一人者として知られた。 静岡県賀茂郡下田町生まれ。下田尋常高等小学校(現在の下田市立下田小学校)を経て、1935年に静岡県立下田高等女学校(のちの静岡県立下田南高等学校、現在の静岡県立下田高等学校)を卒業。同郷の日本画家・中村岳陵の絵画に魅せられて画家を志し、同年、女子美術専門学校(現在の女子美術大学)師範科西洋画部入学。
堤 達男(つつみ たつお、1918年〈大正7年〉10月18日… 堤 達男(つつみ たつお、1918年〈大正7年〉10月18日 - 1988年〈昭和63年〉)は、日本の彫刻家、教育者。 構造社会友、静岡県立松崎高等学校講師、鳩巣会会長(初代)、社団法人日展会員などを歴任した。 静岡県出身の彫刻家である。日本美術展覧会での特選を機に評価を確立し、伊豆半島で制作に勤しんだ。また、高等学校にて教鞭を執り、後進の育成にも務めた。彫刻家集団である「鳩巣会」では会長に推戴された。 1918年(大正7年)10月18日、静岡県賀茂郡仁科村に生まれた。幼い頃より美術に関心を持ち、彫刻家になることを志した。静岡県立豆陽中学校を経て、1936年(昭和11年)に東京美術学校に進学、彫刻科で学んだ。
森 和夫(もり かずお、1916年(大正5年)4月1日 - … 森 和夫(もり かずお、1916年(大正5年)4月1日 - 2011年(平成23年)7月14日)は、日本の実業家。東洋水産創業者。静岡県賀茂郡田子村(現在の西伊豆町)出身。静岡県立豆陽中学校(旧制)(後の静岡県立下田高等学校)、水産講習所(現在の東京海洋大学)卒業。 実家は元々漁業を営んでいたが、父の代で冷蔵製氷業に転じ、1919年(大正8年)に田子製氷株式会社(2007年(平成19年)に東洋水産に吸収合併される)を設立し、田子村で冷蔵庫を運営していた。 和夫は水産講習所卒業後水産会社に就職するが、間もなく徴兵され、旅順の陸軍予備士官学校を経て1939年(昭和14年)のノモンハン事件に従軍。所属していた部隊がほとんど全滅に近い被害を受ける中、かろうじて生き残り帰国する。
藤井 隆(ふじい たかし、1909年8月4日 - 2000年… 藤井 隆(ふじい たかし、1909年8月4日 - 2000年2月25日)は、日本の生物学者。静岡県出身。東京大学名誉教授。理学博士。 1934年(昭和9年)、東京帝国大学理学部動物学科卒業(理学博士)。 1951年(昭和26年)、東京大学理学部教授に就任。1955年(昭和30年)には皇居に招かれて生物学に関する合同進講に出席。「発生化学 細胞分裂の化学」と題する進講を行った。後に東京大学理学部の学部長となるが、1968年(昭和43年)から始まる東大紛争の期間にも学部長を務めあげた。1970年(昭和40年)定年退官、名誉教授となる。同年、静岡大学理学部教授。 1979年(昭和54年)、勲二等旭日重光章。
車谷 弘(くるまたに ひろし、1906年(明治39年)8月2… 車谷 弘(くるまたに ひろし、1906年(明治39年)8月28日 - 1978年(昭和53年)4月16日)は、日本の編集者、俳人、実業家。文藝春秋専務取締役を務めた。 静岡県下田市出身。唐人お吉研究で知られる郷土史家・眼科医の村松春水を伯父に持つ。1929年(昭和4年)東京薬学専門学校(現・東京薬科大学)卒業。翌年『サンデー毎日』の懸賞小説に入選。永井龍男と下宿を共にしていたこともある。 1931年(昭和6年)より文藝春秋社に勤め、戦後、菊池寛が同社を解散した際、佐佐木茂索、鷲尾洋三らとともに文藝春秋新社を設立。『文藝春秋』、『オール讀物』の編集長、編集局長、出版局長を経て専務取締役となった。 小説を書くほか俳句をし、渡辺水巴、久保田万太郎に師事。
黒田 秀俊(くろだ ひでとし、1905年4月15日-1989… 黒田 秀俊(くろだ ひでとし、1905年4月15日-1989年6月14日)は、日本のジャーナリスト、社会運動家。 静岡県下田市出身。明治大学政治経済学科中退、明治大学新聞高等研究科修了。 1938年中央公論社入社、42年南方派遣、のち「中央公論」編集長となり、44年横浜事件及び改造社、中央公論社解散に遭遇。 戦後は原水協事務局長、基地問題文化人懇談会事務局長、日本平和委員会常任理事などを務め、晩年は東京都中野区の教育委員準公選運動などに関わった。
外岡 茂十郎(とのおか もじゅうろう、1898年3月25日 … 外岡 茂十郎(とのおか もじゅうろう、1898年3月25日 - 1986年8月27日)は、日本の法学者。学位は法学博士。静岡県出身。 静岡県賀茂郡三坂村(現在の賀茂郡南伊豆町)入間に生まれる。賀茂郡立中学豆陽学校から早稲田大学に進学し、1925年に早稲田大学教授に就任。 1942年から1964年まで早稲田大学野球部部長を務める。あわせて東京六大学野球連盟理事長も務め、1943年には出陣学徒壮行早慶戦を敢行している。 戦後はオール早慶戦の開催、1946年春の六大学野球再開を実現させ、12月に日本学生野球協会が結成されると副会長として30年間アマチュア野球の発展に尽力した。その後は中京大学へと移り、1966年の同大学法学部の開設に関わり、1975年まで法学部長を務めた。
近藤 平三郎(こんどう へいざぶろう、1877年12月11日… 近藤 平三郎(こんどう へいざぶろう、1877年12月11日 - 1963年11月17日)は、日本の薬剤師、薬学者(薬化学)。勲等は文化勲章。学位は薬学博士。日本学士院会員。 陸軍薬剤官、塩野義商店顧問、乙卯研究所所長、東京帝国大学教授、日本薬学会会頭、日本薬剤師会会長などを歴任した。 現在の静岡県賀茂郡松崎町にて生まれた。本郷のドイツ語学校から東京帝国大学医科薬学科に進み、長井長義に師事。帝大卒業後は大学に籍を置きながらも陸軍薬剤官として入隊し、日露戦争に薬剤師として従軍。陸軍医学校教官を経て、ベルリン工科大学に留学して有機化学を専攻した。 1911年に帰国すると塩野義商店の塩野長次郎の懇請を受け、塩野義商店顧問に就任。